エリス Henry Havelock Ellis 1859-1939



性科学 (Sexology:セクソロジー) の創始者として知られるイギリスの医師。

 ロンドン近郊に船長の長男として生まれ、 世界を周遊した後にロンドンに戻って医学を修め、 開業医となったが、30 歳代で研究、著作に専念する生活に入った。 

文芸批評、犯罪心理学、天才研究などの業績もあるが、1894 年の《男と女》以来、性の研究に対する偏見と弾圧の強い時代に、 一貫して性の科学的研究とその体系化に力を尽くした。 

主著は《性の心理学的研究》全 6 巻 (1897‐1910) で、古今東西のあらゆる分野の文献を集成した、 一種の性科学の百科事典というべき労作である。

 



エリス
婦人運動の活動家である妻エディスはレズビアンであった。

 

 

そもそも性科学創始のきっかけは、夢精に悩まされ続けた思春期より始まる。しかし彼を本当に悩ませていたのは「チョットした倒錯」嗜尿症、すなわち女性の排尿を見たいという欲求であった。

それが始まったのは彼がまだ小さな頃だった。母親に手を引かれ、リージェント・パーク動物園の庭を歩いている時、母親がふいに立ち止まりしゃがみこんだ。水のはじける音がして、母の足元には小さな水溜りが出来ていた。母親は恥ずかしそうに「お前にこんな所を見せるつもりではなかったのに。」とつぶやいた。それからしばらくして、母親は息子に見張りをさせて、茂みの中で小用を足した。それ以来、少年エリスは、「金色の流水」(後に彼がそう呼ぶ)にとりつかれてしまった。

彼は自分が単なる発育障害の一症例すぎないとは夢にも思わなかったらしい。このことを、ギリシア彫刻やギリシア的な同性愛と同じ分類に入れるほど素晴らしい美的体験だと確信していた。

若きエリスはかなりロマンチックな青年だった。魅力的な女性に出会うたびに「永遠の女性の化身」として崇拝した。そして女性に対してよく使う言葉は

「魂の友」

この言葉は、女性解放論者(フェミニスト)やレズビアンに、とても快く聞こえたらしい。エリスの周りには、多くの崇拝者が集まってきた。そして好青年であった彼は多くの立派な妙齢の女性たちを不思議な魅力で説き伏せて自分の目の前で放尿させていた。

エリスは彼女達を「水の精」と評し、雨のオックスフォード通りの人ごみの中で、たったまま放尿させるのを好んだ。女性達はそれを

「甘美な恥ずかしさ」

と表現した・・・

 

エリスの大きな功績の一つとして、同性愛は性倒錯でないと主張した点である。同性愛は性癖ではないとし、性倒錯と分離して研究した。これは今日でも十分通用する姿勢である。

彼は同性愛者ではなかったが、彼の妻「エディス・リー:Edith Lee」はレズビアンだった。エディスはかつて父を恨み、それ以来全ての男性に対し深い不信感や呪い的なものを抱いていた。しかしエリスの魅力で「バイセクシャル」に転向した。エリスは性欲旺盛な女性が苦手だったので敢えてレズビアンを妻として選んだのである。

やがて彼は自体愛 (オートエロティズム) やナルシシズムなどの術語を体系化し、 自慰の有害性を否定、女性に対する差別、 偏見を批判し、S.フロイトをいち早く評価するなど、 すぐれた批判精神によって、現代にいたる性の科学的研究の基礎をつくりあげた。 また 1926 年に国際性科学会議を創立した功績も大きい。 

 


イワン・ブロッホ
1872-1922
性科学という用語を初めて使用したのはブロッホである。彼はサドを研究していた医学者であった。医学に限らず人類学の概念もこの世界に導入、近代セクソロジーの基礎を築いた。

 

 


若きエリス
エリスが開始した性の心理学的研究は、やがてブロッホによりセクソロジーという名称が与えられた。クラフトエービングフロイトが研究対象を患者に限定していたのに対し、エリスは一般大衆を研究対象とした。


このページは、心理学サイト「性と文化の革命家」と
「心理学を学ぶには?カウンセラーになるには?」の記事です。
性と文化の革命家(心理学の偉人伝)  心理学を学ぶには?カウンセラーになるには?(誰でもこれから実現できる方法)  参考文献