サド Marquis de Sade  1740-1814


 

フランスの小説家。少年時代マスターベーションの光景を家庭教師に発見されてしまい、彼女からの懲戒(尻叩き、鞭打ち)が後に大きな影響を与えたとされる。

七年戦争に参加したのち、司法官の娘と結婚したが、アルクイユの乞食女鞭打事件 (1768)、マルセイユのボンボン事件 (1772) などのスキャンダル(当時は重罪であった肛門性交をしてしまったことが決定的であった)を引き起こし、ために生涯の 3 分の 1 以上を獄中で過ごすことになる。

フランス革命とともに釈放され (1790)、一時は政治運動に挺身するが、恐怖時代に反革命の嫌疑でふたたび下獄。さらにナポレオン体制下に筆禍を招き、死ぬまでシャラントン精神病院に監禁された。ナポレオンは彼の作品に度々激怒していたという。

彼の遺言状は「自分の名を永遠に世人の記憶から抹殺せよ」

作品には、2 人の姉妹の運命を対照的に描いた《ジュスティーヌあるいは美徳の不幸》(1791) と《ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え》(1797) のほか、同じテーマの《新ジュスティーヌ》 (1797)、書簡体小説《アリーヌとバルクール》 (1795)、しんらつな対話体の《閨房哲学》 (1795)、短編集《恋の罪》 (1800) などがある。

どの作品も強姦、拷問、手足切断、殺人に満ちており、読んでいると正常な人間は気分を害する。生皮を剥れる子供を、互いの苦しみを見せつけられる家族の苦悩を、ロバのペニスで貫かれて死ぬ女を、平然と書いてのける。
作品の一つ「悪徳の栄え」の最後はこう記されている。

・・・幼い娘が自分の愛人に犯され、アヌスまで陵辱される。子供はやがて火の中に投げ込まれて焼け死ぬ。
それを平然と眺めていた母親が、最高の快楽を叫んでマスタベ―ションする。

・・・サドが途方も無く、邪悪で不愉快な人物であったことは確かである。

サディズムの名称は、現実に数多くの性的虐待を実行し、しかもこのような性的乱行を小説の主題としたフランスのサド侯爵にちなんで、クラフト・エービンクによって命名された。

・狭義には、他人に苦痛を加えることによって性的満足を得ようとする性倒錯をさす。
・広義には性的満足は伴わなくても、残酷さの中に喜びを見いだす傾向は広くサディズムとみなされる。 

S.フロイトならびにK.アブラハムの精神分析的人格発達理論においては、

・乳児が母親の乳房をかむことに満足を感じる時期 (口唇サディズム期oral‐sadistic stage) 
・幼児が親の意に反抗して大便を貯溜したり排泄したりすることに満足を感じる時期 (肛門サディズム期anal‐sadistic stage) 

にこの用語をあてている。このように古典的精神分析学においてはサディズムなる概念は人間誰にでもある現象に対して用いられ、皆これを通過していくものとみなされている。

長く黙殺されていたサドの思想的文学的価値は、19 世紀末のドイツ圏の精神医学者や文学者達の努力によって復権され、現在では古典の扱いを受けている。

日本では、数々のサドの作品を翻訳した仏文学者「澁澤龍彦」が有名である。

 


サド










 

 

 

 

 

 

 


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