正統とは、失われようとするとき甦るものである(T・S・エリオット)
は じ め に
近時、わが国の禅門三流のうち臨済宗・黄檗宗の坐禅は公案(古則公案)を用いる看話禅であるが、最大教団である曹洞宗のそれはただ黙々と坐る黙照禅であって、公案は用いないとする理解が広く行われている。しかし、これは明らかな誤りである。
曹洞宗が宗祖と仰ぐ道元禅師は、京都建仁寺の栄西禅師の高弟・明全禅師のもとで公案禅によって見性し、その膝下にあった六年余りの間、師に入室独参して公案を充分に究明され、ついにその印可を得ている。
その後、正師を求めて渡った大陸(南宋)においても、当時彼の地で全盛であった公案禅を深く探求され、天童山景徳寺・長翁如浄禅師に入室独参してその法を嗣いだのち、我が国に公案集を持ち帰っておられる。帰朝後に著した主著「正法眼蔵」には、多数の公案が盛り込まれ、その吟味が尽くされている。
更に道元禅師は、第一の弟子・孤雲壊弉(永平二世)を公案「一毫衆穴ヲ穿ツ」によって大悟させ、また遷化(逝去)される前には徹通義介(永平三世)を徹底させるために、「老婆心」の公案を与えている。

道元禅師
その後、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(総持寺開山)が徹通義介禅師の指導の下、「平常心是道」の公案によって永仁二年十月二十日、二十七歳の冬に大悟されたことは、よく知られた史実である。
その総持開山も、会下に参じた峨山韶碩(総持二世)に「月ニ両箇アリ」の公案を授け、正安三年十月二十三日寒天月明下の坐禅中に忽然と大悟した二十五歳の彼に、印可を許した。

瑩山禅師
このようにして、道元禅師が継承し伝えられた正伝の仏法【只管打坐】は、公案参究を不可分のものとした坐禅であって、内容空疎な黙照禅でないことは明らかなのである。
そもそも公案と呼ぶべきものは、伝承によれば、二千五百年前釈尊が迦葉尊者に伝法した場面で既に現れている。有効な禅の指導法として明確な意識を持って用いられ、体系化が図られるようになってからでも、既に千年以上を経ている。
遠く茫漠とした坐禅修行の道に、明確な方向性と目標を与えるという点で、公案禅は実に合理的で洗練された方途である。
曹洞宗の現下にも、厳として公案禅を継承している流れがあることを示し、曹洞門のみならず臨済門にも独参指導(公案問答)の出来る力量を有する指導者が少なくなった現状に一石を投じ、公案禅の再興を実現したいというのが私の願いである。
龍 雲
