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 NHKラジオ深夜便「ないとエッセイ・23時40分〜50分」番組(2007.8.27〜30の4日間)に出演した原稿を紹介します。
 南部鉄と向き合って
 第1日目『南部鉄器との出会い
 第2日目『南部鉄器の歴史とアドバイス
 第3日目『南部鉄の魅力と効用
 第4日目『南部鉄にかける夢


@『南部鉄器との出会い

今晩は、金属造形家の廣瀬 慎です。

第一回目の今日は南部鉄器との出会いのお話をしましょう。 
皆さんのご家庭には南部鉄の風鈴やすき焼き鍋・灰皿がひとつ位あると思います。その南部鉄をデザインしています。
南部鉄器の世界に入り 早いもので43年になります。
当時、大学受験に失敗し家の経済的な事情で、浪人する事は許されなかったので就職しました。 全国各地で活躍されている作家の作品を扱う、工芸品の会社に勤める事になりましたが、入社まもない新参者ですから失敗も沢山ありましたね。
有名な陶芸家の花瓶を緊張のあまり落として、こわした事もありました。
無我夢中で仕事を覚え、美しいものに触れる事の出来る毎日でしたね。
形の無い世界から形の有る世界に作り上げる喜びに浸る作家に、僕自身その喜びを味わって見たいものと考えた事もありました。
漠然ですがこの頃、工芸の道に進む事を心の隅で芽生えていた様に思えます。
張り切って勤めていた会社が2年余りで倒産しましてね、多少の蓄えがありましたので造形の基本から学びたいと、美術専門学校のプロダクト・デザイン科に進み、一生の仕事として工芸の中で何を選択したらいいのか、迷いながらも兎に角 勉学に励みました。
23歳に卒業しそんな折ふっとしたきっかけが、今も続いている鋳鉄の世界に入る事に運命付けられたんでしょうね。
東京日本橋の丸善に工芸品の売り場で展覧会がありましてね、その会場で「湯釜」がドーンと目に入ったんです。それがなんと無駄の無い研ぎ澄まされた形の美しさや、黒一色の作品に鳥肌が立ったんです。感動したのでしょうね。即、事務局行き、盛岡を紹介されました。
それから、盛岡で3年間の職人としての修行が始まったのです。なぜ3年と言いますとね、石の上にも3年と言う言葉がありますね、3年勤めれば何か先が見えてくるのではないかと思い決断しました。
工房は古ぼけた裸電球の薄暗い作業場で、ほこりとススが部屋いっぱいにこびり付き、体中がすぐ黒く汚れてしまいます。
鉄瓶の型作り・模様押しや口や蓋の摘み作りをさせていただきました。1400度で溶けた鉄をトリベ(柄杓)に移し、このときの溶けた鉄は白く波立ちうねっていて、まるで溶岩のようです。溶けた鉄の事を湯といいます。
なんともいえない美しい色ですよ。1200度〜1100度まで温度を下げ、多少赤味を帯びてきた時に、その湯を一気に鋳型に流し込むと一瞬にして鉄が固まります。
型の隅々まで湯が流れている事に期待しながら、一番緊張する時でもありますね。
1400度や1100度と言っても、その都度温度計で計るわけではありません。
目で色を見ながら 感で温度を判断するのです。
また、その湯を 鋳型に流し込む時、時々火花が飛び散り手足に焼けどしてもトリベは絶対に離す事は出来ません。それは大惨事になり危険だからです。
手足から皮膚の焼ける匂いを臭きながら歯を食いしばって我慢し、鋳型に流し込む作業が終わるまでトリベを離す事は出来ません。手足の火傷の跡を勲章として自慢し合う事もありました。
伝統的な鉄器である「湯釜や鉄瓶」の型の制作に朝から晩まで、頭のてっぺんから足のつま先まで、真っ黒になりながら技術を覚えました。
覚える事が何もかも新鮮で非常に楽しみでしたが、暖かい千葉育ちの僕には冬の作業は大変つらかったですね。窓からすきま風が入り 手がかじかんであかぎれが出来てつらかったですね。

修行中に作った「ひらめ皿」が 当時の通産大臣賞を頂きました。この事も南部鉄に打ち込む自信にもなった様におもいます。
ひらめ皿は直径30cm程の平らな皿で、目とくちばしに愛嬌があり、僕の初めての作品で 古さを感じさせないデザインが今でも好まれているようです。
このひらめ皿を見ると寝食を忘れ、一生懸命に制作に打ち込んでいた当時の自分の姿を思い返し、今を戒める為にも必ず個展にひらめ皿をお供させています。
修行中に私の人生を決定づけた一人の師との出会いがありました。
馬場忠寛先生という当時30歳半ばの鋳金作家で、東京の練馬でアトリエを構え 創作活動をされている方です。
先生は通産省から派遣され、デザイン指導や技術指導・講演等でたびたび盛岡を訪れていた時に初めてお会いしました。威厳のある話し方に緊張のあまり言葉も出ず、あげくの果てに失神した事も今では懐かしい思い出です。
特に造形に厳しく妥協は絶対に許されないんです。
粘土で形を整え、粘土をヘラでたしたり削ったりしながら形の美しさを求められました。この事が今の僕の造形力の基本となっています。
とりあえず3年の修行を終えいったん東京にもどり 馬場先生の所に造形力とデザイン力を学びたく弟子入りしました。先生のところでは、なお一層の造形力を養いました。
「創作活動をしている者は、ゴールが見えない生涯現役でなくてはいけない。やりがいのある仕事でもある。歳を取ると守りに入る方を考えるが後悔しない様、納得のいく作品を一つでも多く造ること」と話され、現在喜寿を過ぎた先生は、長野の飯綱高原に別荘とギャラリー兼アトリエを建て、東京の自宅と長野を車で往復し、精力的に創作活動をしておられます。
ご健在で活発に活動されていますから、私のいい意味での刺激となっております。
僕が31歳の時先生から盛岡にデザイナーとしていく気はあるか?と言われ産地にいた方が何かと仕事がし易く、2歳になった子供と妻の3人で再び盛岡の地に踏み込んだのですね。今度は三人なので僕自身心強かったです。
当時アイターンのはしりで、地元のテレビ放送の取材や新聞や雑誌に掲載され、騒がれたこともありました。
家内にとっては初めての地、本州でも一番寒い所へ行く不安はありました。
当時、新幹線や高速道路も完成されていませんから、廻りの者はよほど遠い田舎へ行ってしまうと思い反対する者もいました。特に寂しそうな母親の顔を見るのは辛いものがありましたね。
当初は盛岡に馴染む事は出来なくとも、子供の順応性は凄いですね。
近所の子供達と朝から晩まで真っ黒になり遊んでいました。
次第に私共を巻き込んでこの地に溶け込んでいったのです。今では懐かしい思い出となっております。
岩手は自然が豊かで 四季の移りかわりがとても素晴らしいんです。
でも、冬の厳しさにはいまだ閉口するばかりですが、それゆえ春の雪解けの間から福寿草が見えた時は感動しますね。
都会では味わえない事でしょう。この感動があるからこそアイデアも沸いて来るのではないでしょうか。
明日は南部鉄の歴史や鉄器の使用のアドバイスのお話をします。
  
Metal design Atelier HILO


A『南部鉄の歴史と使う上でのアドバイス

今晩は、廣瀬 慎です。
南部鉄の産地は現在盛岡と水沢があります。

江戸の初期今から400年前にですね、盛岡は代々南部藩主の保護のもとで、また水沢は約800年前の鎌倉時代に、平泉を拠点に栄えた藤原一族の文化の保護の中で、共に良質な木炭・漆・砂・砂鉄・粘土等の原料が全て地元で産出されましてね、それによって鉄器が栄えたんですね。
盛岡はお茶の道具である湯釜を中心に、水沢は鍋や醸造用の大きな釜を製造して来ましたが、その当時は共に他の国から来た渡り職人が幅を利かせ、その渡り職人達が各地の鉄器産地を転々としながら 鋳物の情報をもたらし地場にいる職人達にいろいろな面で刺激を与え、競って良い製品が生まれてきた様です。
戦時中は軍の統制下に置かれた為に この二大産地も手りゅう弾を作っていました。
終戦間もない頃は鉄が不足し、飛行機のアルミエンジンを溶かして洗面器や鍋を作り、生計を立てざるを得ないようでした。
昭和30年代に入ってから機械化され家庭雑貨が製造され、南部鉄器の名が世に知られるようになりました。
当時はデザインに対してお金を掛ける事はなく、他の製品をそのまま模造し利益を上げていた様です。
後半に入りますとね、当時の通産省が日本各地の手工芸品メーカーいわゆる地場産業ですね、それに対してデザインや職人教育に力を入れる様になりまして、南部鉄器もその一環の中で国益に繁栄させてきました。
昭和50年に「伝統的工芸産業振興法」という法律が出来まして、南部鉄器が国の第1号の指定を受け 伝統的工芸品として現在に至っています。

皆さんの家にも鉄瓶やすき焼き鍋などが有るとおもいます。その鉄器の上手な使い方について話しをしましょう。
鉄は錆びるから重たいからという理由で敬遠されがちですね。逆にそれなりの良さを持っているんですよ。
錆びたからといって使わない鍋をもう一度蘇がえらせ、使い続けてほしいものですね。
昔スクラップ置き場に僕の作品が赤茶けて捨てられていたのを見ると、悲しい思いをしました。
錆びた鍋の場合は、タワシで洗い野菜くずを油でよく炒め、深めの鍋でしたら時々、揚げ物鍋として使いますと、鍋肌に油が浸みこみ使うほど黒くツヤを増してきます。
洗剤で油を洗い流す必要もないと思います。お湯で洗ったらまわりをサッと乾かせばいつまでも使える筈です。一生ものですね。
火に掛けすぎは駄目です。金気が出てきますからあくまでも軽く乾かす程度でいいんですよ。
現に我が家の台所には何十年も前から、鋳鉄鍋や片手鍋がゴロゴロと置かれ毎日使っていますので、錆の出る余裕がないんです。
お客様から持ち込まれた鍋を先程の方法で直し、捨てられる運命にあった鍋を何度か
蘇えらせ感謝されています。
化粧直しをして輝きを取り戻した鍋を、目の前にしての満足感はひとしおですね。
こちらではアイアンクッキングクラブという私のデザインした鉄鍋を使った 料理番組があり、僕も家内も参加し料理研究家の豊富なアイディアには びっくりしています。鉄鍋ならではのレシピを多く仕入れさせて頂いています。
すき焼き鍋だからといってすき焼きの時だけ登場するのは、寂しい鍋になってしまうと思いませんか?
チャーハンやパエリアなどのご飯物やオーブン料理・焼き餃子など又、お餅やおにぎりも綺麗に焼けますよ。工夫次第では一年中活躍してくれます。是非目の届く所に置いて 出来れば毎日使ってください。そのまま食卓に持っていっても器として使えます。
それから意外と駄目するのは鉄瓶ですね。
鉄瓶の中をタワシや洗剤で 洗わない事と水を入れっぱなしにしない事です。
なぜかと言いますと折角錆にくくする為に 苦労して付けた酸化被膜が剥がれ、そこから錆が出て 使用出来なくなってしまうのです。
使用後は中の湯を空にし 水分を飛ばす程度に火にかけ乾かすだけでいいんですよ。蓋をはずしてそのまま水分を蒸発させてもかまいません。
時々、鉄瓶の肌が温かいうちにお茶を浸した布や、クルミを布に包んで特に注ぎ口や口の周りを拭いてあげると ツヤが出てとても綺麗になります。
鉄瓶で沸かした湯でお茶を入れると美味しさも違うようですし、鋳物ストーブの上に置いて沸かした湯は 更に味が美味しくなるようです。
本当に不思議ですね。
我が家では鍋を使いこなしているので、鍋尽くしと言っていい程テーブルに並べる料理に、客人達はこうゆう料理方法も有るのかと改めて感心している様です。
お目当てのご馳走が食べたくて、食事時に来る若い女性もいて、「美味しい」と言ってくれると「又、食べにおいで」と違うメニューを考え始めたりもするんです。 
器としてもおかしくないし 熱い料理は熱いままで運ばれ、余熱でチリチリ焼けている料理はとても食欲を増すんですね。
 僕の卵好きは昔からで、卵の出ない日はありません。でも僕が子供のころ卵は貴重品で病人か父親以外なかなか口にする事は出来ませんでしたね。
小ぶりの鉄鍋で使った目玉焼きは固まる直前に醤油をかけ、ジュッといったところで火を止め そのまま食卓へもって行きます。
白身のまわりがカリカリ半熟の盛り上がった黄身を見ているだけで、とても幸せになってくるんですよ。
家内は「それで幸せになるなんて安上がりで良いわね〜」と喜んで言っています。
あっ、そうそう卵料理でフワフワ玉子がびっくり美味しくできるんです。僕の知り合いの6年生のお嬢さんが我が家に見え、喜んで家内と一緒に台所で作り始め、
彼女が家に帰ってからも、毎日そのフワフワ玉子を作っているようですよ。
そのレシピを紹介しましょう。
まず、卵を黄身と白身に分け、白身をメレンゲにします。黄身をよく溶き、メレンゲにした中に静かに混ぜ、バターを溶かした鍋に入れ、フワッとしたら出来上がり。
一度試してください。鉄器と玉子はびっくりするほど相性がいいんですよ。
メーカーで鍋を開発する仲間がいましてね、その仲間たちと「笑える玉子委員会」が出来ているんです。楽しいですよ!
明日は鉄器の魅力と効用についてお話しましょう。
  
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B『鉄器の魅力と効用

今晩は、廣瀬 慎です。
今日は鉄器の魅力と効用についてお話しますね。

私が金属に関わって現在は多種多様なものをデザインしています。公共性の高いものであれば壁面装飾・照明・街路灯・フェンス・タイル・マンホールの蓋等。小物であれば文具関係・テーブルウェアー・キッチンウェアー等数え切れません。
デザインするだけでなく、自分がデザインした作品を職人と一緒に現場に入り、汗を流す事もあります。
仕事を進める上で製造上の工程が見えにくい部分もあります。鉄を溶かして砂型に流し込む瞬間ですが、その時が一番神経がピリピリして、作品がどういう状態になっているのか、計算しえない何かが砂型の中で起こってはいないだろうか、不安な気持ちを抱きながらも 心がわくわくする一瞬でもあります。 
作業している時、ごまかしたり手を抜いたりあせって早く終わろうとすると 必ずと云っていいほど失敗します。あせりは禁物真面目に真剣に接しないと良い作品は出来ませんね。
「蓋の置場所に困るから、何とか考えてよ〜」という家内から難問を課せられ、溶接技術が無かった昔の技術を職人さんに聞いたり、又、試行錯誤しながらも、何度か失敗を繰り返し、取手のところに蓋を立て掛ける事が出来る鋳造ならではの煮込み鍋を作り出し 僕の自信作になりました。
ある程度の複雑な形も製造は出来ますし、大量生産から反復生産も鋳物では可能なのです。
先人が苦労して考え出した複雑な技の財産が 今では利益追従や面倒なものとして段々失われています。
その事に一抹の不安を隠しきれませんが、何んとか次の代に受け継いでもらいたいものと考えております。
鉄鍋は重たくすぐ錆びてしまうからと敬遠されがちです。そのデメリットを払拭するに十分な良さはあります。
重たくなるのは、鉄を溶かし砂型に流し込む技法ですから、製造上肉厚が影響しこれはどうしても避ける事が出来ません。 それがかえって保温性が高められ、又、いったんため込んだ熱は簡単には逃がさない性質を持っていますから、 じっくり煮込んだり焼いたり揚げたりする事で 素材の持ち味が存分に引き出されます。
鉄器ならではの美味しさも創出されますね。
保冷性もあり、鉄皿を冷蔵庫で冷やし、冷たい料理をのせて出すことも出来ます。又、ご飯も電気炊飯器より早く美味しく炊けて、黒豆などは ふっくらと艶良く仕上がります。絶品である事間違いなし。ぜひ試しください。
同じ手間暇かけて料理を作るなら 鉄鍋で美味しできたほうが喜ばれ、楽しく 又、健康的であると思いますね。
鉄器は調理時に鍋の表面から、鉄分がイオンのかたちで微量ながら食品に溶け込んで行きます。この鉄分はとても体に吸収がよく貧血予防の効果もあるそうですよ。
鉄器の中でも湯釜と鍋は、その素材の魅力を最大限に生かしたものと思いますね。
現に鉄鍋や鉄包丁を今よりも多く用いていた頃には貧血になる人がずっと少なかったとも言われています。
鉄玉子という鋳物で出来た玉子形のかたまりを アルミのやかんに入れて湯を沸かすと鉄分が溶出してきます。実際に大学で実験した結果 時間の経過が長い程鉄分が多く溶出することが判りました。
古代の日本人は豊富に産出する砂鉄を「たたら」と呼ばれる炉で溶かしさまざまな鋳物にして役立てていました。それらは権力の象徴として、祭器や武具に用いられていましたが、技術の向上とともに生活の道具としての地位を占める様になっていったのです。
「てつ」という昔の文字は金の王なる哉と書いてある事からもその重要性がうかがわれますね。    
また 最近の食品にはたくさんの添加物が含まれており、海外から輸入される食品に禁止されている農薬が含まれたりして 大変な社会問題になっていますね。
健康を維持する上で食材の安心感は関心事ですが、それを料理する鍋も安全でなければいけないと思うのです。
鋳鉄製品は自然素材100%ですから、安全でリサイクルも可能なんです。 
人間にも地球環境にも優しく、安心・安全で 魅力的な素材だと言えますね。
鉄鍋の最大の魅力は前にもお話した通り 何と言っても美味しい料理が出来る事です。
漆は傷がつき、陶磁器やガラス工芸品は破損しても 当たり前の様に思われがちです。鉄器も強い衝撃で破損やヒビも入ります。
特に錆びが出るとなぜクレームが出るのでしょうね。それぞれの素材の扱い方があります。
殆どの金属は錆びが出てきますが、それなりの方法をこうじれば必ず錆びは防ぐ事が出来ます。
鉄は水と湿気が嫌いなので、それを排除する方法を取るだけでいいのですよ。
使い終わったらタワシで洗い軽く火にかけ、水分を蒸発させるだけで充分です。それに長時間食べ物を入れておかない事も守れば、けして難しくはありませんね。
鉄鍋を使えば使うほど落ち着いた肌合いになり、錆びも出にくくなり愛着も増して来ます。 孫やひ孫の代まで使用出来ますよ。子育てと同じ様に愛情を持って使って下さい。
使いこまれたものには 独特の風格と誇りが漂っているものです。
古くなったからと言って鉄の価値は下がらないんですよ。台所を見回しても古くなって風格が出る道具は、鉄以外には無いんではないでしょうか?
使い捨ての時代にものを愛する事は 自然をそして自分自身を大切にする事に つながると考えています。
最終日の明日は鉄器のデザインにかける夢についてお話しますね。

  
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C『鉄器のデザインにかける夢

今晩は、廣瀬 慎です。
4日目の最後のお話は鉄器のデザインにかける夢についてです。

現在、食事を取巻く環境も変化していますね。
夜型生活者の増加や家族内の生活時間のズレやひとり暮らしの増加は孤食の増加に拍車をかけています。
こうした傾向を支えるのが、24時間食べ物が簡単に手に入るコンビニの全国普及やスーパーの24時間営業ではないでしょうか?
僕も便利で恩恵も十分受けていますが、こんな状況が加速すればするほど家族のあり方 絆が問われて来る様に思われて仕方がありません。
食べものも満足でなかった戦後のあの貧しい時代に、家族全員が丸いテーブルを囲んでの食事風景は おふくろの味をかみ締め心は満ち足りていた様にも思いましたね。
ひとつの鍋をつつき合いながらの団欒を 取り戻す機会を是非つくって欲しいと思っています。
僕は料理を作る事や食べる事は大好きです。ですから鍋はとても楽しいデザインのひとつです。
機能を追及するだけではなく冷たい金属の特質を生かしながらも、より温かみがあり台所で料理する道具としてはもちろんの事、食卓や居間に置いても違和感のないデザインを 心掛けています。
また、自ら料理をすることでその都度欠点を見つけ、それをヒントに再度作り直し、この料理だったらこういう鍋がいいかな〜…と検証したりもしています。
よきアドバイザーでもある家内と各地の美味しいお酒やお気に入りのワインを飲みながらの鍋談義は、尽きることのない至福のひと時でもあります。
作品をつくるたびにその鍋で料理をつくる事になった家内も、次第にのめり込んで創意工夫したメニューを作る様になりました。
それが発展しデンマーク製の鋳物薪ストーブを設置しました。
この冬はストーブ料理が欠かせない日課となった程です。
料理を作る喜びを味わっているのは、家内の方かもしれませんね。
余談になりますが、薪ストーブは地球の温暖化を考えれば電力を使わず、一酸化炭素の排出量も少なく、森林を伐採する事でより森林の育成にもなり、森を守る為にも必要な事なんですね。
薪の炎を見ていると心が落ち着き、特に乾燥したリンゴの木を焚くと部屋中あまい優しい香りが漂い、心が落ち着きアイデアも沸いてきます。
欧米ではゲスト用にリンゴの木を使用するそうですよ。
又、薪割の労働や 乾燥させる為に 薪の積み方の工夫も 楽しみのひとつであります。

私が住んでいる岩手県矢巾町に文化会館が建造される時、そのホールの壁面(巾10メーター・高さ5メーター)にレリーフの依頼が設計事務所からありました。
鉄は湿気を帯びると錆が出て来るのは当たり前ですが、それを逆手に取りあえて錆を全面に出したレリーフを制作しました。
これは以前から温めていた事なんです。鋳鉄の錆びを錆びた状態のままの作品にと、考えていたのです。錆びも呼吸しながら生きている感じがするんですね。
とても自然なんですね。
錆びた鉄の色はなかなか良いものです。釘や鉄板が錆びたのと違いますし、錆の複雑な濃淡がありところどころ朱の色が出てきます。
なんとも云えない色なのですよね。
設計事務所の方や役所の方々を説得し 何とか制作にこぎ付けました。
作品を水洗いし天日で乾かしては又、水をかけながら錆をだし、それをワイヤーブラシで錆を落す、その方法を数回くりかえしていくうちに錆も止まり、手でこすっても手に錆が付かなくなりました。
化学的に付けた色と違い僕が考えた通り以上の言葉で表現出来ない程 自然な色合いに仕上がりました。
鋳鉄の錆は溶解している時にカーボンやシリコンなどの不純物が自然に入り、そうゆう物質が壁を作り、錆びを防御し浸透せず表面に出来るだけです。
純度のいい鋼材などは反対に不純物が混入されていませんから、一度錆びるとどんどん浸透し最後にはボロボロになります。
不安を抱きながらのひと月半の作業でしたが、私の思っていた通りの作品に仕上がりました。
自分の手 自分の目 自分の経験や感情で一生懸命白紙の状態の中から 自分が描いていた夢を追い求めたものを創り上げた時の作品は、造形家として一番の喜びを感じます。
又 デザインしている時、エンピツの線が変幻自在になっていく姿も 楽しみのひとつでもあります。周囲の雑音に惑わされる事もなく、仕事を楽しく出来たらこのうえない喜びです。
1995年に工芸の世界では文化勲章に匹敵するほどの大きな賞を頂きました。
国井喜太郎産業工芸賞というもので 作品に対しての賞ではなく産地鋳物工芸の発展に貢献した事に対しての賞です。今までの苦労が報われたように 思っております。
最近、個展の会場や工房に自然素材100%の安全な鉄器に関心を持った若い女性が 全国各地から以前よりも多く訪れる様になりました。
僕の話に熱心に耳を傾ける彼女たちに、満更でもないと鼻の下を長くし嬉しく思っています。
鋳鉄という自然素材は何故か人をほっとさせます。その特質を充分に生かしながら使い勝手の良さと、美しいフォルムしなやかなデザインで柔らかさや温かさを添えなくてはいけないと考えているんですね。
43年前に日本橋の丸善の展覧会で見た湯釜に感動し、その出会いがあったお陰で南部鉄の世界に入り、無我夢中で仕事をし 益々南部鉄が好きになりその魅力に取りつかれています。
恩師や先輩・同僚そして理解あるメーカーといろいろな方々に支えられ 、恵まれた環境の中でより多くの仕事が出来た事に大変嬉しく感謝しています。
芸術家であるより 仕事を楽しみながら 暮らしの一部を担うものを作ること
この事に こだわりを持ち続け、納得のいく作品をこれからも作り続けたいと 考えております。

  
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