航空特攻 逃亡と無能な陸海エリートたち

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-- 悲しさと怒りと−1
「海軍特別攻撃隊」(奥宮正武著)当時海軍中佐もその著書で「自らの意志で、特攻に参加した背景には」日本の国民性があった。 ととんでもない表現をしている。 奥宮の云わんとしたことを忖度すれば、 恥と名誉の文化を指すものと考えられる。 もし、恥だったとしても、 それは特攻に指名、若しくは命令された者の側に生じる問題で、 特攻を指名し命令した立場の人間に言及していない。 少なくとも、人の死を弄んだことにさえ人間としての恥を感じていたようにも思えない。もちろん、少佐以上の特攻死も発生していない。大言壮語的に海軍の伝統として指揮官先頭があった。と云っているが特攻に関してなぜ指揮官先頭にならなかったのか、後世の我々に対する説明責任があろう。 よって彼奥宮は卑怯な人間の部類に入ると筆者はみなす。 特攻で生還した鈴木勘次苦悩をお前らはどう感じるのか。
彼らはあまりにも思い上がっている。軍務に服することは、 戦争中なら死と隣り合わせでであるが、あくまでも役務を提供するものであって、 殺生与奪を含め全生命を預託するものではない。 1944年10月1日、全部隊が特攻を意味する第721桜花(人間爆弾)飛行隊を編成しているのだ。  また、何人といえども人の命をもてあそぶ権利を与えられていない。
元山空、特攻戦死者40人中、兵学校出身者は2人。 奥宮正武のいう「自らの意志で、特攻に参加」 であれば、海兵出身者は「自らの意志で特攻に不参加であり人間としての クズが海軍兵学校出身者ということになる。 明らかに、海軍兵学校出身者は自らが犯した犯罪行為を糊塗しようとしている。
-- 悲しさと怒りと−2

出典:戦史叢書沖縄・台湾硫黄島方面陸軍航空作戦
航空特攻に対応するため沖縄島の四周にこのようにレーダー装備のピケット艦を配置した。 特攻機はまずこのピケット艦に発見されたし、多くはこれらの艦艇に突入した。 4月6日の特攻作戦で北方第一配置点と第二配備点のピケット艦が沈没した。 その後この北方配備点1と2にピッケト艦が増強され、駆逐艦2、支援揚陸艇4が投入された。
-- 悲しさと怒りと−3
特攻に関して海軍関係者の記述は愚輩からみると卑怯である。 例えば、最大公約数的に『特攻は問題があったかも知れないが・・・・、 ただ、英霊の御冥福をお祈り申し上げる』と 問題をすり替えている。英霊を追悼することと、責任を追及することは全く別のことである。 特攻→英霊追悼と詭弁を弄する。中澤 佑,黒島亀人,源田 実。憂国の志呼ばわりは、彼らの犯した 犯罪の片棒を担ぐことと同義である。人として越えてはならない一線を彼らは越えた。 組織にあって一人を失うことは何万分の一かもしれないが、肉親にあってはその全てを失うのだ。 この地球に殺人を許容する国家、民族は存在しない。なぜなのか?。人として越えてはならない一線なのだ。
日本を救うのは諸君の双肩にかかっている。一矢を報いる。一機よく一艦を屠る。 命の尊厳を無視した特攻の結果で、昭和20年(1945)入って1万トンを越える大型艦艇は1隻もいない。撃沈艦艇排水量合計 44,925トン
空母加賀(38,200トン)+軽巡矢矧(6,700トン)の二隻分である。 いかに航空特攻が 非科学的状態で実行されたか知って頂きたい。 軍令部総長及川,次長伊藤整一,作戦部長中澤 佑(1943/6/14〜1944/12/4), 黒島亀人(1943/6/14〜1945/5/26),源田 実らが実行した愚かな結果である。 学級崩壊や、いじめが話題になる昨今、本気で次代を担う子供たちに、 普通に生きることさえままならなかった時代を生きた、若者の存在を伝えて欲しい。
航空特攻による全沈没艦艇
沈没年月日艦  名 艦艇番号艦艇種別排水量
1944/10/25St LoCVE-63 護衛空母6,730
1945/1/4Ommaney BayCVE-79護衛空母6,730
1945/1/6Hovey DMS-11 掃海駆逐艦1,190
Long DMS-12 掃海駆逐艦1,190
1945/1/7Palmar DMS-5 掃海駆逐艦1,190
1945/1/11BelhnapAPD-34高速輸送艦1,090
1945/4/6BushDD-529駆逐艦2,050
ColhounDD-801駆逐艦2,050
BushとColhounはレーダーピケット艦として配置に付いていた。
Emmons (taiwan)DMS-22掃海駆逐艦1,190
 LST-447戦車揚陸艦1,490
1945/4/12Mannert L AbleDD-733 駆逐艦 2,200
1945/4/16PringleDD-477駆逐艦 2,050
1945/5/3MorrisonDD-560駆逐艦2,050
Luce DD-522 駆逐艦 2,050
Little DD-803 駆逐艦 2,050
1945/525Bates APD-47 高速輸送艦1,275
1945/5/27DrexlerDD-741駆逐艦 2,200
1945/6/10William D PorterDD-579駆逐艦2,050
1945/6/16TwingsDD-591 駆逐艦 2,050
1945/7/28CalaghanDD-792駆逐艦2,050
 合計 44,925
-- 民族の誇りとして --
多くの若者が、生から死への重圧のなかで、自らのためでなく、愛する者のために一身を投げ出し、 ハイテク兵器の対空レーダーシステムと米艦載機群をかいくぐり、 更にVT信管付対空砲弾の弾幕をかわし、 フィリピン沖や沖縄近海の米艦船に突入し果てた。出撃機数 2,367機。戦死 2,165名、突入機数 244機。 ほぼ同数の至近突入(レイテ戦記;大岡昇平/著)があった。決して戦争を賛美するものではないが、 彼ら特攻に散った若人は 民族の誇り として誰かが永遠に語り継いでやらねばならない。
日本軍は「一機よく一艦を屠る」として特攻を正当化したが,その企図は、 厳密な科学的な「特攻機の打撃力」を計算したものとは言えない。特攻機とその搭載する爆弾の破壊力は、 投下した爆弾や砲弾よりも遥かに小さい。
筆者(当Web管理者)も、大和特攻に関連して主として海軍航空特攻を調べたが、 悲しく辛い作業だった。 そして確実に、今日の平和と繁栄は命を捧げた若者たちによってもたらされている。 若者の苦悩と涙に深い感謝と哀悼の誠を捧げたい。  ぜひ、精神が腐りきっている海軍の人間爆弾 "桜花" の開発史を知って欲しい。  君はそれでも志願で特攻があったと信じるか!
誰が、あれほど人間の尊厳を踏みにじった死を強制したのか。そしてその犯罪者らの責任の追及を放棄したのか。今からでも遅くはないこの問題をキチント検証することが、 平和を享受している飽食の時代に生きる者の責任でもある。  それこそが特攻で死んだ "英霊" に安らかにお眠り下さいと応える最短のみちであろう。
特攻で亡くなった若者と、このような悲劇的な戦争発起したA級戦犯とされる者達らは、 間違いなく加害者と重なる。 靖国神社に祭られている者は全てその昔は殉難者の立場だった。そして今日、その殉難者とされる祭神の中に加害者(A級戦犯)の存在を誰も否定できないであろう。
特攻(外道の統率と人間の条件) 森本忠夫/著 文芸春秋:刊 1992/06発行より
「もし貴様が生き残ったら、戦闘機が爆弾を抱えて体当たりしなければならなかった事実を、きっと後世に伝えてくれ」 陸軍特攻隊八紘隊 馬場駿吉少尉
同書
「かつて、千々に乱れた心を振り切り、最後には凛然として、積乱雲の峰を越え、 殉難の阿修羅となって、無辺の彼方にかき消されていった日本の若者達の非業の死を、私たちの世代は語り継がねばならないのである」

レイテ戦記 大岡昇平/著 中公文庫:刊 1974/10発行より
「想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越え目標に到達した人間が、我々の中にいたのである」
大岡は、これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである。と続ける。 筆者はこの中に著者(大岡)は、人間としての尊厳を踏みにじった人間たちに、 大きな失望とそれにもまして強い怒りとを感じている。 "レイテ戦記" 「十 神風」の章を開いたとき、原稿用紙に彼の流したであろう涙を読みながら感じてしまう。  愚劣な指導者と、崇高な精神に到達した若者とを比べたとき、読売新聞主筆渡邊恒雄氏の怒りもここにあるのであろう。


航空特攻に関して、戦艦大和が出撃沈没した1945年4月6〜7日の二日間を調べた。  一人ひとりの名前を追いながら、彼ら若者に非情にも次々と強制戦死を命じた、陸軍菅原道太、海軍 宇垣 纏の冷血さに限りない憤り禁じ得ない。特攻に関する出版物も海軍特攻が圧倒的に多い。陸軍知覧・都城基地から 沖縄特攻に向かって出撃し戦死した者439人。 海軍597人。 沖縄戦で陸海双方で1,036人。
太平洋戦争中、国に殉じた航空特攻の数は2,406機、隊員は 3,863人に及んだ。
海軍の特攻艇「震洋」や人間魚雷「回天」による戦死者も含めると 5,852人に達するという。
大和以下特攻艦隊生存者(戦死者・内訳)はこちら。 なお、本特攻作戦の戦死者 4,044 人

これら航空特攻を支えた、航空艦隊司令長官,基地司令、飛行長が戦後どのような余生を送ったのであろうか。  良心の呵責が起きなかったのであろうか?・・・・・・
第五航空艦隊(第1機動基地航空部隊)は連合艦隊の指揮下であったから、航空作戦は航空甲参謀の淵田美津雄(真珠湾攻撃の飛行隊長)が行ったはずである。 淵田の段階では、○月○月、○○方面に○○機特攻。と単なる無機質な数字であろうが、特攻命令を受けた航空隊の参謀、飛行長、飛行隊長は特攻○○機という数字に搭乗員を割り振る。 割り振られた搭乗員は生き残りを許されなかったので確実に死ぬ。出撃にみた朝の顔(かんばせ)を夕に見ることはない。冷血残酷なことを続けられたものであり、戦後良心の呵責は起きなかったのであろうか。 よくもまあ、ヌケヌケと年金を貰い生を貪ったと逆に感心する。


特別攻撃隊 特攻隊慰霊顕彰会編纂 (1990年[平成2年]・非売品)
海軍特攻隊
区分地域 作戦名等戦没者
航空比島方面作戦(比島航空特攻)419
サイパン・硫黄島方面作戦 56
沖縄特攻直前(敵機動部隊) 399
菊水1〜10号作戦 1,590
本土来襲機動部隊 67
航空特攻 計 2,531
潜水特殊潜航艇440
回天特別攻撃隊 104
水上震洋特別攻撃隊(ベニヤ艇)1,081
  海軍特攻 合計4,156
陸軍特攻隊
区分地域 作戦名等戦没者
航空比島方面作戦(比島航空特攻)276
沖縄特攻直前(敵機動部隊) 1,020
南西方面(スマトラ沖,同島上空) 66
内地及び満州(B-29突入含む) 55
航空特攻 計 1,417
陸上丹波戦車特別隊9
水上海上挺身隊 263
 陸軍特攻 合計 1,689
両軍 計 5,845

軍 別 全 体 比島航空特攻沖縄航空特攻他地域航空特攻 航空特攻 計
海 軍 4,156 419 1,590 5222,531
陸 軍 1,689 276 1,020 1211,417
5,845 695 2,610 6433,948

海軍階級別特攻死
階級死者数
海兵(士官)116 2.79
予備士官653 15.71
下士官兵 3,38781.50
4,156 100.00
陸軍階級別特攻死
階級死者数
士官87 5.15
特操263 15.57
幹候66 3.91
下士官兵 1,273 75.37
計 1,689 100.00
昭和20年4月少佐以下航空機搭乗員数
階級/項目兵員数構成率
士官 886 8.1
予備仕官 2,281 21.0
特務士官 323 3.0
准士官 388 3.6
下士官兵 6,998 64.3
合計10,876 100.0

現在のところ、前掲の表が特攻に関して一番正確な数字であるとされる。5月24日実行された義烈空挺隊による沖縄強行着陸作戦。義号作戦戦死者は含まれていない。
陸軍の特操は海軍の予備学生である。

海軍、予備とは大学・工専相当者、陸軍、特操とは昭和18年(1943)7月3日、勅令第655号によって「陸軍航空関係予備役将校補充服務臨時特例」が発令され、大学学部、高等学校高等課、専門学校、高等師範学校、及び同等以上と陸軍大臣が認める学校に在学中の者を特別操縦見習士官として採用した。
海軍は上に(海兵)に甘く、下に厳しかったと読める。両軍を比較すると彼ら(海軍)は一見卑怯に見えてくるナァー。

戦後自衛隊に入った旧海軍、奥宮正武はその著書「海軍特別攻撃隊」(出版者 朝日ソノラマ 出版年 1980/09)で、特攻は「自らの意志で、特攻に参加」と云ってのけている。 海軍兵学校の多くは「自らの意志で、特攻に不参加」だったことが分かるナァー
陸軍と比べても卑怯だぞ海軍は・・・・・、

陸軍特攻死の内、少年兵は312名。下士官兵の25%が少年兵。


昭和20年(1945)5月 特攻戦果に疑問あり 未完成空母阿蘇 爆撃実験
1945年(昭和20年)に入ると撃沈したはずの米艦が沈んでいないことが判明してくる。 そこで 5月進水したものの物資・資材不足で艤装できない空母阿蘇を呉沖(倉橋島大迫・特殊潜航艇基地沖)に引き出し 陸海最強の爆弾投下実験を行った。委員長は呉海軍工廠の妹尾知之工廠長(任期:1945年5月1日〜) 投下したものの阿蘇の傾斜は1度程度傾いただけ。
更に爆弾を強力にし2回目を6月に実施。前回より少しはましで5度程度傾いたが沈没にはほど遠い状態。 次の実験を7月に予定していたところ、米艦載機の爆弾で見事着底(1945/07/24)。

【着底した阿蘇】
関係者一同。日本軍の爆弾の威力のなさに愕然。かくも威力のない爆弾で死ねと命じたことは痛憤に堪えない。 とある。高威力だったら痛憤は起きなかったのか。この、「痛憤に堪えない。」の話は 光海軍工廠の記録「光工廠譜」にある。それほど当時の日本海軍兵学校や大学校出身者全体が科学技術音痴であった。
逃亡と無能な陸海軍エリートたち
陸軍、富永恭次中将は,捷一号作戦(1944年10月)では陸軍航空隊の第四航空軍司令官として、 フィリピンでの特攻攻撃を指揮した。
比島捷号作戦(レイテ攻防戦・1944/10〜12月)において特攻戦没者251人、使用機202機。特攻隊員が飛び立つ時に訓辞。
「君らだけを行かせはしない。最後の一機で本官も特攻する・・・諸君はすでに神である・・」 いわれなき神があるかぎり、いわれ無き強制死 が待っていた。
「諸君はすでに神」 は誰の発言か?
多くは、海軍大西瀧治郎が話しとしている。大西が第一航空艦隊司令長官に就任した 1944年10月20日、 特攻隊を発令し、その前後に話したとされる。 もう一人陸軍富永恭次。 Webサイトも概ね大西に軍配?を挙げている。  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は富永恭次説。
現在我々が目にすることが出来る海軍敷島隊ほか、隊員の出撃時(1944/10/20)の写真は、ただ一人現場同行が 許された報道班員日本映画社(日映*1)カメラマン稲垣浩邦*2撮影である。その時の情況を「特別攻撃隊 日本の戦史別巻C 毎日新聞社(1979年10月1日発行)」 P116 で次のように書いている。 「君達を"神風攻撃隊"と命名する。今日、日本を救うのは君たちの双肩にかかっている」という訓示がありました。 玉井副司令が特攻隊員の一人一人に水筒の水を注いでまわり、日頃厳しい雷親父にもこのときばかりは涙を浮かべ ・・・ 力の限り握りしめた固い握手 ・・・・ と続き、多く玉井副司令と隊員間の機微に触れている。 そこには「諸君はすでに神」発言は まったく書れていない。
戦史叢書海軍捷号作戦<2> 頁114 猪口力平一航艦主席参謀による戦後の回想。
*1 日映とは。支那事変後、映画は国策会社に統合された。  この会社の報道班員が撮影した映画は映画館でニュース映画として上映されていた。
*2 稲垣浩邦は「特別攻撃隊 日本の戦史別巻C 毎日新聞社(1979年10月1日発行) 頁116」 で 唯一飛行場で取材を許された。と書いているが、「特攻の真実 深堀道義/著 原書房 (2001年11月28日第1冊発行) 頁275〜」 10月20日同盟通信記者小野田政は海軍報道班員として 飛行場わきの小川のほとりの草むらで腰を下ろして関大尉と語り合った。 (中略) 当時、クラークフィールドや マバラカット飛行場にはカメラマンが居なかったので、小野田記者は常時カメラを携行していた。 「常時カメラを携行」していた。と深堀氏は書いているが、 撮影した。と一言も書いていない。 現在普通に目にする出撃時の写真は一体誰が撮影したのか。? 陸軍特別攻撃隊史に気になる記述
1944年10月20日10:00頃、茨城県にある鉾田陸軍教導飛行師団に、双軽による「体当たり部隊編成」の命令が届いた。翌21日 教導師団長今西六郎少将は岩本益臣大尉以下十六名の空中勤務者を指名し、これに十三名の整備員付けて比島に送り出した。これが後の万朶隊である。  陸軍の初期特攻隊は尽く失敗し、10月31日大本営から、神風特別攻撃隊注1の戦果が大々的に発表され、陸軍もこれに追従し、陸軍中央は早速6隊を編成。 11月16日更に6隊合計12隊151名を指名したが、天皇の名において命令することが出来ず、あくまで本人の自発的意志を、第一線指揮官が、 戦局の最高機に発揮する形をとった。
陸軍は中央指導で特攻隊が編成され、海軍は中央黙認、現場主導で特攻が推進された。 少なくとも経緯から海軍側から特攻を行う旨陸軍に情報が入ったのであろう。 大西が比島出発前に陸軍に情報がもたらされたことになる。
陸軍はこのような絶対死命令(統帥権上命令者は天皇)を出せないので、人を超越した"神扱い"せざるを得なかった。
朝日新聞のコラム
「諸君はすでに神」である発言は富永恭次の発言としている。
注1 神風特別攻撃隊の名前が発表されたのは、昭和19年10月31日16時30分が初めてである。これが必死必中という表現にとどめ(絶対死)の特攻隊とは伝えていない。  昭和19年10月、陸海軍は肉弾特攻部隊の創設運用を考えていたことになる。

新聞は次の見出しを掲げて、この壮烈な行動にこたえた。
 唯額かん、この忠烈! 愛機に爆装体当り、敵艦もろ共轟炸、偉勲不滅。
 公表文は次のとおり。
○海軍省公表(昭和十九年十月二十八日十五時)
 神風特別攻撃隊敷島隊員に関し聯合艦隊司令長官は左の通全軍に布告せり
   布  告
  戦闘000飛行隊分隊長 海軍大尉    関  行男
  戦闘000飛行隊附 海軍一等飛行兵曹 中野 盤天
  戦闘000飛行隊附 同            谷  暢夫
  同           海軍飛行兵長    永峰  肇
  戦闘000飛行隊附海軍上等飛行兵   大黒 繁男
 神風特別攻撃隊敷島隊員として昭和十九年十月二十五日○○時「スルアン」島の○○度○○浬に於いて中型航空母艦四隻を基幹とする敵艦隊の一群を捕捉するや必死必中の体当たり攻撃を以て航空母艦一隻撃沈同一隻炎上撃破巡洋艦一隻轟沈の戦果を収め悠久の大義に殉ず忠烈萬世に燦たり茲に其の殊勲を認め全軍に布告す
 昭和十九年十月二十八日
      聯合艦隊司令長官 豊田 副武

○大本営発表(昭和十九年十月三十一日十六時三十分)
一、神風特別攻撃機隊は十月二十五日以来比島東方海面(「レイテ」湾を含む)の敵機動部隊竝に輸送船団に対し連続必死必中の猛攻を加へつつあり同隊の収めたる戦果中現在迄に確認せるもの次の如し
撃沈航空母艦三隻 巡洋艦二隻 輸送船一隻 撃破航空母艦六隻
戦艦二隻 巡洋艦二隻 輸送船一隻 艦種不詳三隻
二、其の後の報告に依り曩(さき)に発表せる「フィリピソ」沖海戦の戦果に次の通り追加す
撃沈巡洋艦一隻 駆逐艦二隻 撃破航空母艦二隻 巡洋艦若は駆逐艦三隻
富永恭次は、1945年(昭和20)1月9日米軍がルソン島に上陸し、フィリピンでの日本の敗退が明らかになると、 部下を置き去りに台湾に逃亡。全く処罰 (予備役にまわされたが復帰) されず戦後ものうのうと生きながらえた。
彼らは一様に、「散る桜,残る桜も散る桜」「貴様たちだけを死なせはしない」 「最後の一機で俺も特攻に出撃する」といいつつ特攻はしなかった。 敗戦の責任を大元帥閣下に死して詫びを入れるのが武勲のみを誇った司令らの身の処し方と考えるが、そのような事も一切行われなかった。   海軍で予備学生の墓場と云われた元山航空隊(七生隊)の青木泰二郎司令は、 自らの武勲を誇るために多くの特攻を命じたが、 敗戦確実を知るや昭和20年(1945)8月11日、兵を置き去りにして元山空(朝鮮)から一部の上級幕僚、 ならびに家族ともども日本に逃亡した。海軍軍人は人間が腐っている。 彼の画像入りWebサイトはこちら

殉国の至情に基づく輩が勝手に酸素魚雷を組み合わせ人間魚雷回天を製造し、 これまた勝手に山口県大津島に訓練基地を作り、潜水艦長とつるんで、勝手に出撃し自爆したというのであろうか。 志願が聞いてあきれる。   かっての帝国陸海軍は兵が勝手に国家の資産である航空機と国家の資産である爆弾と国家の当時油の一滴は血の一滴というほど貴重なガソリンをパイロットが盗み出し米艦に突入を繰り返えさせたのか。  兵が兵器を盗み勝手に使用することを黙認したのであれば犯罪の片棒を担いだことになる。また、特攻兵は犯罪者となる。  特攻出撃で不時着帰還者を更に特攻に出している史実をどう説明するのか。
この国はかって国家と国民を破滅の淵に導いた戦争指導者を一度たりともその責任を追求してしてこなかった。
1945年3月21日,大分県宇佐海軍基地の第721海軍航空隊「第一回神雷桜花特別攻撃隊」は,人間爆弾「桜花」15基を運ぶ一式陸攻15機と別途3機, 護衛戦闘機30機(計画は55機。25機故障で離脱)で出撃し、特攻隊は全滅。これは「大和」海上特攻2週間前の悲劇である。 人間ロケット自爆部隊、神雷部隊神雷部隊(150名)のうち予備学生(学徒兵)・ 予科練(少年兵)の出身者は143名、海軍兵学校出身者は7名。護衛戦闘機10機が撃ち落とされ、 合計160人が一度に消えた。隊長 野中五郎少佐。特攻隊を陣頭指揮し戦死した佐官以上の高級将校は、 「桜花」部隊の野中五郎少佐ただ一人。海軍兵学校出身者は,ほとんど特攻出撃していない。特攻隊の人選は、 未熟練な学徒兵と少年兵に集中していた。「特攻は自然発生的な志願である」のなら、 なぜ(死後昇進ではなく)出撃時に佐官以上の高級将校が特攻しなかったのか?。 また均等に兵学校出身者が存在しないのか?

昨今の官僚(厚生労働、社会保険庁) エリート(キャリア)がものを言うすべを持たない弱者(国民大衆)を踏み台にしているのと同じ図式である。丙種飛行予科練習生、 以下 乙飛、甲飛のノンキャリアの命を士官学校卒業のキャリアが弄んだと誰が否定できようか。
1945年4月6日、戦艦大和以下の特攻艦隊に乗り合わせた男達は、自らに課せられた任務と、日本の安危を救わんとし、倒れた。 彼ら倒れた兵らの力不足だったのか?。否、用兵を誤ったのだ。ならば、その作戦の立案者と天皇の補弼者らは、 当然死してその責を負うべきであった。だが悲しいかな、過去も現在もこの国は一度として、 結果の責任を論じてこなかった。
2007年6月、この国と地方自治体の総負債は一千兆円を超えると報道された。 この超破産状態を招来した責任も取らず、ツケのすべてを責任の無い子や孫の代に押しつけることに平然としている。
靖国神社公式参拝を政治公約とした、あのキツネ目が首相だった5年間だけでも負債は二〇〇兆円増加した。
国技といわれている相撲界。時天山死亡問題、横綱朝青龍の遊び惚け問題。その対応、 後手後手トップの理事長が平然と居座り。2007年9月、国会冒頭の所信表明演説ののち、「僕やめたァ〜」 と病院に逃げ込んだ総理大臣。 この無責任、非常識は今に始まった問題ではない。
先の大戦の、あれだけの惨禍をもたらした責任さえうやむやにした体質は、今後の政治責任さえうやむやにし続けるだろう。

► * 野中五郎少佐は厳密な意味で特攻隊員ではない。彼の任務は、桜花特攻隊員を射出地点まで届ける輸送役であった。
航空特攻の言い出しっペの一人、第721海軍航空隊桜花神雷隊司令:岡村基春(もとはる)大佐(海兵50期) 後に、昭和23年(1948年)7月18日、 千葉県の茂原付近で鉄道自殺(外房線)をする。 彼が死刑を宣告した若者の怨念に耐えられなかったのであろうか?。 一説には女性問題だったとも伝えられている。 真相は定かでない。  全軍特攻化を確認した最高戦争指導会議のメンバーこそ自決すべきであった。
特攻に限って陸海軍とも志願であったという。 戦闘マシンである軍隊が、今から敵を攻撃する。  志願する者この指とまれ。 など笑止なことを行う訳がない。 責任回避と後ろめたさを打ち消す詭弁である。
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