特攻の時代と特攻隊員の遺書を考える
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回天開発 歴史編】 
  一人では乗りこなせない欠陥兵器。また後進・停止が出来ない最悪な兵器。
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航空特攻】 誰が主導したのか?  【海軍の戦争犯罪】 
作戦命令の仕組み。
 大海令により天皇より命令が下され、大海指により連合艦隊に示達される。 連合艦隊は麾下航空隊に作戦命令とその機数を令する。少なくともここまでは単なる数字である。命令受領した各航空隊はここから特攻する航空兵の人選に入る。 当初は無機質な数字だったものが、最終的には生きている人間に死ぬ命令を出すことになる。 旧帝国海軍職業軍人たちの卑劣さは、この最終的に特攻する航空兵は志願だったと強弁するのだ。 では、最初に作戦機数と作戦航空隊を指定し命令したとき、それを受領した航空隊で特攻志願が全くなかった場合には作戦命令が成り立たなくなる。 作戦命令が成り立たない作戦などあり得ない。また戦争経過にそのような事実(志願なし特攻作戦未成立)は全く見いだせない。機上練習機白菊(巡航速度176Km) が航空特攻に使えない位のことはわかっているはずである。 白菊が特攻に使えない程度のことはこの練習航空隊の幹部連中は重々知っていたはずだ。 知っていながら、その航空隊の幹部と訓練兵は特攻しますと進んで手を挙げたのか? 否、挙げるはずもない。
特攻死を 命じた人間たちは責任を感じ敗戦と同時に自決したか? やつらは死にもしなかった。 命からがら死地を脱した潜水艦長に、第六艦隊参謀鳥巣建之助は卑怯未練と罵倒した。  また、陸軍第六航空軍参謀倉澤清忠(少佐)は命が惜しい者が特攻隊を志願するなとうそぶいた。

 証言録海軍反省会(戸高一成/編)の常連だった寺崎隆次(大佐)は第十一回反省会で「特攻の指示は誰が出したのか」の議論の中で、わたしゃー全く知りませんというスタンスを取っているが、 戦史研究家の渡辺洋二氏著「彗星夜戦隊」頁168〜。 昭和20年2月4日軍令部総長邸で開催された研究会で白菊(機上練習機・鈍速機)が多数あると発言し、第1課長の田口太郎大佐は「(飛行)練習生が練習機で特攻をやる方法の研究をせよ」と提言し、 これを受けて軍令部第1部第1課航空主務員(班長)だった寺井義守中佐は「(白菊)で行けば大抵命中す」とだめ押しし、白菊特攻が展開された。指揮官先頭率先垂範を豪語する兵学校出身者は練習機で、また白菊で特攻出撃する覚悟があったのか?。 全く無かった。なぜなら彼らは目出度く特攻死することもなく敗戦をむかえている。
 彼らが(海兵・海大)ことある毎に、海軍は「率先垂範指揮官先頭」と高説を述べているがこれは真っ赤なウソである。軍令部作戦課に配置される人物は海軍のエリートとされている人間である。 そのエリートが率先垂範していないのであるからこれらの言はウソに決まっている。そのように信じていただけだったようだ。すなわち幻想に酔いしれたバカ共であった。


 昭和20年5月24日の「菊水七号作戦」を嚆矢とし、6月25日の「菊水十号作戦」までに、 130数機の「白菊」が、すなわち若者が特攻死した。田口大佐も寺井中佐も寺崎大佐も勿論この特攻に加わっていない。
渡邉恒雄(読売新聞・主筆)氏は、世界の海軍にあって最も下劣で戦争犯罪組織と化した海軍をほかに知らない。 『人間を物体としての兵器と化した軍部当事者の非人間性は、日本軍の名誉ではなく 汚辱だと思わざるを得ない』
中央公論 2006年10月号に掲載された、
渡邉恒雄氏の全文はこちら

<= アメリカ空母に突入寸前の特攻機

Imperial Navy のエリートとされた一握りの男たちに好むと好まざるとにかかわらず青春を奪われ、 人間としての尊厳をも奪われ、今日の平和の礎となった多くの若者に深く哀悼の誠を捧げる。

特攻
 特攻を美化してはならない、また決して風化させてはならない。 戦争指導部の作戦の失敗から劣勢にたたされたが、彼らはその贖いを若人に行わせた。 特攻作戦を計画した海陸軍戦争指導部は戦後もその責任回避に終始し今日に及んでいる。
 特攻。悲しき響きが心を打つ。このような過酷な状況に打ち勝った若者が日本に存在した。 聞くものをして襟を正さざるをえない。 私利私欲に走る経営者よ。政治家よこれらの若者を決して忘れるな!  '08年8月政府は戦後最長の景気は終わったと発表した。 この間勤労国民の所得は208兆円から200兆円に下降したが、逆に企業の経常利益は3倍に膨らんだ。 最長の景気の中で利益を受けた者は、 額に汗して働く者ではなく株主と経営者のみであった。 そして、ワーキングープア層は勤労者の25%に達した。 特攻を主導した高級将官と昨今の経営者が筆者にはオーバーラップする。
 何も軍部だけがあの狂気を切り開いたのではない。 著名な歌謡作詞家と作曲家らもこれに迎合し、若者を煽った。 その張本人はこちら

鈴木勘次と林芳市の会話
 帝国海軍統帥部は特攻に回天天をめぐらす意時勢を一変させること〕をかけた。 すなわち、戦勢の挽回を若者の命で贖なおうとしたのである。回天を唱えるのなら、戦いの趨勢(戦勢)などを丁寧に隊員に説明する必要があろう。それが命を投げ出そうとしている若者へのせめてもの誠意と考える。 ところが、これら命をなげうつ覚悟を決めた若者に一片の思いやりもなかった。銀河で敵艦に突入する態勢で撃墜され、米駆逐艦に救助され希有な生還を果たした鈴木勘次は次のように書いている。
 基地でのある日、『神雷特攻隊』に配属されていた同期生の林芳市(1945年4月14日1130、第四神雷部隊攻撃隊の一員として鹿屋を発進。沖縄東方海上にて散華)が鈴木を訪ねて来た。林の顔には一見したところ臆したり疑念を感じたりしたところは見えない。その林が言った。「出撃が同じ日」だといいがなあ」。鈴木も同じ気持ちであった。 特攻出撃を巡って同期の僚友が一緒に行けると言うことが、彼らのささやかな安堵感となっていたのである。一人で死ぬより一緒に死にたい。孤独の死を分かちあえば死の恐怖もまた半減する。予定されていた死を巡っての存在に付き纏う実存の不安を軽減する集団死への仰望。
 この時、二人の間に交わされていた会話を鈴木は次のように記している。
「戦局は一体どうなっているんだろう。なにか聞いているか?」
 と林が言った。
「知らんよ。なんにも聞いていないよ?」
「上のほうから、教えてくれんからなあ……?」
「なぜ本当のことを知らさんのだ。なにを聞いても俺達の気持ちがどう変わるわけじゃあないのに……」
「俺もそう思うよ、些細なことまで隠しやがる?」
林はそう言って飛行場の彼方を眺めながら言った。
「いいさ! やるだけやって、死ねばいいんだよ。滝沢恒夫も田中龍太郎もあの世で待っているぜ?」
戦局がどのように推移しているのか。それを知ることが特攻隊員にとって死の価値を確かめるにもせめてもの慰めであったが。だが上層部はそのことを彼らに知らせなかった。
  出典:特攻/森本忠夫/著 頁277〜278
特攻の時代の戦略思想
一、東洋の覇権を確保する。 それ戦争だ。
二、国体護持。一矢を報い講和を有利に。
三、一矢を報いるためには手段を選ぶな!
人と物とを使い捨てにしろ!
保守政治家と経営者の戦略思想
一、国際競争の中で生き残らなければならない。
二、そのために手段を選んではおれない。
三、簡単に人件費を抑制できる法律を作れ!
非正規雇用の拡大
1.−時代概観
少年がまるで乾いたスポンジが水を吸う如く、無垢な心の成長時代に
 1925年(大正14年)治安維持法制定。
 1928年(昭和2年)6月12日、改定により最高刑が死刑になり、また1941年(昭和16年)には予防拘禁制度が導入される。   言論の自由は封殺され、物言えぬ時代となった。
 1931年(昭和6年)9 月18日満州事変始まる。
 1936年(昭和11年) 2月26日。226事件発生。軍部によるテロの恐怖が市民・政治活動に影を落としだした。
 1937年(昭和12)7月の盧溝橋事件および8月の第二次上海事変以降 支那事変始まる。
 治安維持法、テロル、戦争など、軍部の台頭はとどまるところを知らず、軍人天下となり、統帥権は統治権の上にありと豪語した。  この暴言・暴挙にマスコミは弾圧をおそれ黙りこんでしまった。
子供も大人も『皇国臣民の誓詞』を暗記させられた。 そして、「醜(しこ)の御盾(みたて・天皇を守る)」を強制された。
1−1.−学校教育の現場に
 1935年(昭和10年)前後、各学校の正門付近に「奉安殿」なる建物が建設され、そこには天皇皇后の写真(ご真影と云った)が納められた。
 四大節祝賀*1式典の際には、全職員生徒で御真影に対しての最敬礼と教育勅語の奉読が求められた。 登下校時や単に前を通過する際にも、 職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。これを省略したことが発覚すると非常に厳しい譴責を受けた。  この譴責を避けるために内心厭やでも、奉安殿前で襟を正さざるを得なかった。    敗戦後(1945年)直ちに建物は撤去されたが、強固な基礎部分はしばらく放置されたまま残っていた。
 学校の現場で天皇を神格化し「現人神(あらひとがみ=人の姿でこの世に現れた」とされ、
  国民は「天皇の赤子(せきし=天皇を親とする赤ん坊の意味)」と呼ばれた。
 国民は天皇を頂点絶対とする「皇国臣民」であり住んでいる国土は万世一系の天皇を戴く「神国」と教え込まれた。
 また、「国恩」も天皇を頂点に仰ぐ幸せな国に生まれたことに恩義を感じさせる教育も行われた。
*1 四方拝(新年) - 1月1日 、紀元節 - 2月11日 、天長節(今上陛下の誕生日)- 4月29日(昭和時代)、明治節(明治時代には天長節) - 11月3日

1−2.−国家と国民
 当時は国体護持が最終理念である。国体護持とは天皇を頂点した政治体制のことで、 そのためには国民の命は鴻毛のような軽さに扱われた。 当時は新聞や雑誌で日本と記述するとき、『大日本帝国』と呼ばせた。 英語では、Grand(Ggreat) Empire JapanGgreat(Grand) Imperial Japan と訓んだであろう。
 天皇と天皇制の論評さえタブーとされ、軍部の悪口など完全に社会から締め出された。 何か云うと非国民とか 「赤(共産主義者)」と呼び、生活のあらゆる面から閉め出された。 新聞・雑誌は検閲の対象で 発禁処分も相次いだ。 マスコミ人や文筆家も反軍的思考の持ち主は活躍・活動の場さえ失った。 今でいう思想・信教の自由もなかった。 この信教の部分は 既存の仏教教団も大いに責められるべきだった。
   発達段階にある少年や少女の心にこれら、天皇制や軍国主義的教育が注ぎ込まれた。 自由で何事にも闊達な心は 封じ込まれ、芸術など天真爛漫な心で花開く文化も大きく制扼を受けた。 すなわち、すり込み教育により 軍国少年・軍国少女のオンパレードだった。 北朝鮮の将軍様以上の存在が天皇であった。  軍艦にも奉安殿(室)があり、ご真影(天皇の写真)が納められ、担当士官が決められ、その士官の命より単なる作ろうと思えば いくらでもプリントできた紙切れの写真が大切にされた。 大の大人がそれさえ不思議に思わない超神懸かり的社会であった。
2.−特攻の書籍・Webサイトの嘘(ウソ)
 戦後多くの特攻に関する出版物に次のような切り口上が述べられている。
国のために命を捧げた。かれらはわたしたちを守るべく自分の身をなげうってくれた人々である。
そして、日本を勝利にみちびくことを使命とした などである。
 前半部分、現在の国民国家,主権在民の置き換えで語っている。すなわち、国=そこに住む私たちを守るとしている。  当時の兵士(国民を含む)が『国もしくは祖国』と言えば、それは「皇国(神国)=国体」と同義であり、それ以外のなにものでもなかった。 よって、特攻隊員の遺書に上層部の検閲があるという前提条件があるにせよ、 『国民を守るために敵艦に突入する』という意味合いの遺書を一通も発見できなかったし見ていない。 よってこれは一つの虚構である。 後半、「日本を勝利にみちびくことを使命とした」も当然国体護持を使命とした。若しくは使命とさせられたがのが真の姿である。  よって彼らの遺書にみられる「皇国を守る」などは国民を守ることでなく「国体を守る」という意味以外の何ものでもない。
いわゆる、現在の価値観に置換して事象を語ってはならない。 当時の社会とその教育内容に踏み込まなかったら皮相に過ぎる過ちを犯す。 ただ愚輩一人で彼らの遺書なるものを渉猟しただけであり、見落としもあるかもしれない。 当Webサイトを閲覧し 『国民を守るために敵艦に突入する』とした遺書を発見された方、ぜひご一報下さい。

  '08年、勤労国民の4分の1がワーキングプアと呼ばれている貧困層となった。保守政治家橋本龍太郎が非正規雇用推進という、雇用関係法の大転換政策を行い、狐目の総理は 『努力したものが報われる。何が悪いか!』 と開き直った。彼らの多くは全く努力しない二世,三世議員たちが支えている。  続く、ボンボン安倍内閣や福田内閣は国民の目線にたった政治を放棄した。 キャリア官僚は特殊法人を次々と設立し、そこに天下り財を貪る。この事態は、特攻を始めた東郷元帥の末裔たちとその背景が同根に思えるのは筆者だけか?
  筆者には特攻の時代と現在が相通じる様相に写る。2008年戦後最長の好景気(通算6年間)続いたと日銀は発表したが、この間に国民の所得は208兆円から200兆円に低下した。 この間一番儲けたのは株主と経営者だった。 所得が低下した最大の要因は、事業経営でそれまで人件費は固定費だったが、相次ぐ労働諸法の改正で人件費が変動費化できる制度に負うところが大きい。 すなわち非正規雇用の拡大。労働力の使い捨てを可能にしたのだ。 この人間の使い捨て制度は特攻を作戦の一環に位置づけたこととなんら変わらない。
  憲法改正・有事法制・軍国主義礼讃教科書検定。どれをとっても日本は再軍備と海外派兵の途を歩もうとしているように見える。 筆者は、これらの動きに断固反対する。 理由は、日本ほど無責任為政者地方政治家と官僚群を持っている国家は存在しない。 先の戦争で日本人だけで300万人にも及ぶ犠牲者を出しながら、マスコミも含め「一億総懺悔」と叫び、 不幸にして戦塵に倒れた犠牲者にもその責任の一旦ありと、聞こえるようなことを平気で喋る人たちが存在する。  また、先の大戦を一度も総括することなく今日に至っている。  自衛のための軍備を持つなと言っているのではない。 無責任国家と為政者と政治家だらけの実態だから、これらのことに反対するのだ!。
 あのおぞましい特攻を一度も総括することなく今日に及んでいる。  戦後の国民の多くが先の大戦を心から反省し、若者が戦争の名の下に他国人を殺すことなく、また殺されもせず今日に及んでいる事実は国際社会に胸をはって誇ることが出来る。
 だが、この国はアメリカのポチから抜け出せない貧相な総理を輩出してきた。 あるボンボン出身の世間知らずの二世首相は、戦後レジーム(EJIMU・脱却すべき体制)の脱却などと偉そうな ことを標榜し、僕の在任中はこんな政策を進めると国会で喋った口が乾かぬうちに、僕もう知らナァーイと政権を投げ出したのだ。 国家経営とはそれほど軽いものなのか? それほど無責任で務まるのか?。 その彼は、まだ国政を担当するとして議員バッジを外さない。   その実、薬害エイズや、C型肝炎ウイルス問題や、消えた年金問題でも 誰一人責任を取ったという話を聞かない。 また国の有利子負債は880兆円('08/02月現在)を超えた。 子孫に過大な負担を押しつけ、 現在も地方を含め有利子負債は増え続けている。 おそらく全ての問題がうやむやの内に終わるだろう。 そのような無責任国家と為政者なのだ。 (2008/02記)
戦後の繁栄は
 戦塵にまみれ、命一つ拾った彼らの努力により、焦土と化した日本の戦後復興を成し遂げた。 飽食の時代。世の中に金で買えないものはない。と豪語する若者。 「株主価値をたかめると」高尚なことを云いながら単なるハゲタカファンドの首魁だった元官僚。 金権にまみれた福島、和歌山、宮崎の知事。
Dental関係団体から一億円もの金を懐にしながらダンマリを決め込んだポマード内閣は、 労働諸法の改悪を行い、おびただしいWarkingpa層を生みだした。 また、娘らは悠々欧米に遊び「Yellow Cab(黄色のやらせや)」とさげすまれる。
経営からみた労働者派遣法
事業者にとって優秀なスタッフとなる人材確保は事業継続の絶対条件である。 だがOA化の著しい発展でライン労働者は普通の能力で事足りる。 事業者にとって人件費は固定費であった。 ところが派遣法によって生産を維持する労働力が変動費化した。 すなわち労働力の使い捨てが可能となったのだ。 それでも識者といわれる多くの者が現在でも多様な働きが可能と強弁する。 人には適性があり、必ずしも多様な働きが出来るものではない。 だが、適性を無視するがごとき努力不足人間と切り捨てる。
海軍兵学校出のスタッフがラインの学卒予備学生や航空兵らを特攻で使い捨てにした方法と愚輩はオバーラップしてしまうのだ。 ポマード内閣のとき経営に携わっていた経営者の端くれとして大変な時代を予感していたが、 まさにその通りとなってしまった。
そして、防衛大学卒業(人材派遣会社大手の「グッドウィル」)の俊秀(M・O)が介護事業を食い物にした。 福祉関係諸法は性善説に立脚する。脱法行為をしながら福祉を行うとは笑止千万である。 国費(全て税金)で教育を受けながら、社会に貢献するどころか、 介護保険料をだまし取る反社会的行為。泥棒とどこが違うのか。 日経連の理事とも聞く。日経連もその体質を問われる。自らの人としての教育を全額国家(国民の税金)で受けながら、 後足で国民に泥をひっかけた。社会から厳しく糾弾されながら保身に終始するテレビ会見。 どこか旧海軍高官に似ている。撃沈漂流矢矧乗組員佐藤義一が感じた薄汚く腹の座っていない人間としてのクズが画面に映っていた。
保守政党安倍総理が「教育再生」を掲げているが、足下の防衛大学卒さえあの程度。 なぜか「教育再生」が空虚に聞こえだしたと特攻艦隊矢矧で生還した佐藤義一はいう。 全く同感。焦土から奇跡といわれる戦後の繁栄は、 ハイテク兵器の防空システムとVT信管の弾幕をかいくぐり米艦に突入して果てた青少年らの尊い犠牲があり、 無謀な水上艦艇の沖縄突入を受け入れ全身全霊全力を傾注し奮闘した男たちの存在を知っているなのら、 もう少し品格のある行動がとれるであろう。防衛大学はこんなことも教えないのか?。 また、九死に一生を得て生還した人たちによるたゆまぬ努力で、 戦後の繁栄の礎が築かれた事実を国民が共有するなら、もう少しましな国ともなるであろう。 佐藤義一ら青少年は国家安危に応ぜんとしてはせ参じた。 彼らは、この国に生まれた恩。すなわち国恩に報いんとしたのである。 一片の私利も私欲もそこにない。恩と義。この二つだけは連綿として引き継がせて欲しい。 これもあのバカな防大卒に教えてやりたい。 エリートとされた海軍高官のバカどもが、 食料をはじめとする資源を海外に頼らざるを得ない島嶼日本を艦隊決戦のみが救いうると思い込んだ愚考の先に戦艦大和以下の末路があった。 その艦内で必至に自らに科せられた任務に邁進した者達の生命を、 まるで賭場でサイコロを振る如く弄びながら、戦後高官らは一切の責任をも取ろうとしなかった。

3.−母宛の遺書の意味するもの
心療内科の草分け的な精神医学者『池見酉次郎(九州大学)』先生が エリック・バーン博士の精神分析を紹介し、展開したものに交流分析(TA・Transactional Analysis)がある。 この交流分析では、自我状態(心)の構造を5つに分類して考えます。 われわれは、日常の人との関わり合いのなかで、次にみる、P・A・Cを使い分けながら やり取りや行動を行っています。
CPCritical Parent・批判的な親心;家父長的;威圧的;命令的;恫喝的)
NPNurturing Parent・養育的親心;絶対的保護;暖かく優しい心;母親的)
AAdult・合理的な大人の心;冷静な大人の心;知性・理知的な心)
FCFree Child・無邪気な子供の心;自由闊達;天真爛漫;芸術性;創造性)
ACAdapted Child・順応した子供の心;すねた心;ふてくされた心;みくびった心)
この五段階が我々の自我なのです。そのまま組織にも当てはまります。CP,NP,A,FC,AC の五つですが、 この総和は100なのです。 だから一つだけがずば抜けて大きいことは起こりますが、 それぞれのカテゴリーの中で、ゼロ点はありません。
ACAdapted Child)の大きい人は(男性でも女性)結婚生活が長く続くことはありません。  もしあなたが、男だったら妻にする女性はFCFree Child)の大きな方を選べば幸せな人生を送れるはずです。 夫婦生活はこの FC で行われるのですから。愚輩の経験による AC (結婚生活で問題あり)傾向型異性の見分け方。
すぐそこまでだからという考え方からか自動車運転でシートベルトをしない人。
駄洒落の一つも話さない人。
わぁーすごい。わぁーきれいなど、喜怒哀楽レベルの低い人。
郊外型大型ショッピングモールで身障者駐車場に平気で駐車する人。 など
3−1.交流分析的視点(TA)でかっての帝国海軍を概観すると
全くこの A (Adult・合理的な大人の心) は確実に消し飛んでいます。 敵に勝つには、冷静に事象を観察し、分析し、 それに基づいて、対抗しうる資源(人的・物的)を集中する必要があります。 緒戦の 真珠湾攻撃は見事にこれを実行しています。 ミッドウェイ海戦ではまるで消えてなくなります。 AC (Adapted Child) が垣間見えます。 1944年(昭和19年)に入ると、A(Adult)は限りなくゼロに近くなり、その分CP(Critical Parent)が肥大した感じです。
最前線の部隊はこれでなくては務まりませんが、軍令部作戦課などがこれだともう戦いになりません。 新兵器開発などほとんど行われていませんが、資源不足というより、組織学的にFC(Free Child)が欠落した組織だったのでしょう。
戦後、弱電メーカー SONY や自動車メーカー HONDA などの企業はまるで、FC(Free Child)の固まりに見えます。 また、カメラメーカーCANON の社長だった御手洗さんの在任中に伝えられる社長像は NP(Nurturing Parent)でした。 いずれの会社の社員も自己の能力以上の力を発揮したでしょう。  一方、コンピュータ関連メーカーの「Fuji通」は社員の能力主義評価方式に切りかえました。 その結果、何千人という社員を解雇せざるを得ない苦境に立たされています。 CP(Critical Parent) で叩かれた「Fuji通」の社員は働かず、知恵も出さなくなったのです。
3−2.−特攻隊員の心と母親
1)我々が、母の胎内に宿った瞬間から、母の絶対的保護下にあります。危険を感じることさえないのです。 哺乳期間も母と一心同体でこれも絶対的保護下にあります。やがて、自分と母、母と他人が識別できるように なります。この段階で危険も知るようになります。 危険が迫ると「ワァー」と泣いて知らせます。 母は直ぐに抱きよせ頬ずりします。 その子は、ピンチから救われたのです。 このように、母は常にピンチを救ってくれる存在として 成長します。 父親がどのように愛情を注ごうと、母親の胸ほど子供にとって心地よい安心できる場所はありません。
2)Webサイトで公開されている隊員の遺書 (なにわ会Webサイト)

[回天記念館所蔵]
   (1) 回天隊員で戦死した都所静世(伊36 ウルシー, 21歳) 叔母あて書簡 1944年(昭和19年)12月
『お母さんの処、清江の処へ行く日はあと十二日、 最後にぶつかる時は「お母さん」と叫んで死に度い。真のお母さんが欲しかった。 先日「母子草」という小説を読みました。いいお母さん、しかしその代わりやさしいお姉さん(兄嫁) を持ったことはせめてもの幸せでした。』
特攻隊員だった都所は絶対死というピンチに立ちました。 彼の心は必死で 絶対保護の母親を求めたのでした。 組織の力で彼はねじ伏せられました。
『悠久の大義に従容としておもむいた』 なんと色あせた虚しい言葉でしょう。
 (2) 第四筑波隊 麻生摂郎(24歳) 1945年4年29日戦死 (特攻の総括 深堀道義/著 P184)
母の元に届いた半紙1枚に『眠れ眠れ母の胸に』 彼も必死で母の絶対的保護をその深層心理で求めているのです。 これらは、男として女々しいことでしょうか。 多くの若者が、母の胸を求め、母の声を求めたのでした。  勇ましい遺書を残した若者が勇ましく死んだのではありません。 往々にして心の裏返しがあるのです。
麻生摂郎少尉ならずとも、特攻隊員として出撃した若者の多くは、母親の 絶対的保護を求め、絶望の中にすがりつきたいほどの悲痛な声を発しているのです。
彼らは、強い力で死を強制されたとき、必死に母を呼んだのです。母に助けを求めたのです。  この生きたいと叫んだ若者を私たちは忘れてはなりませし、そのことを強制した海軍で特攻を唱道した人物を 許してはなりません。 人に死ぬことを仕向けた者はまた自らの命で贖うべきでした。
彼らがもし、キリスト教でいう天国や、大乗仏教でいう極楽に行ってるのなら、私は天国や極楽に絶対行きません。
第四筑波隊1945年4月29日14:15爆装零戦6機で鹿屋を飛び立った。未帰還5機。指揮官中尉米加田節雄。この日駆逐艦ヘーズルウッド、ハッガード、敷設艦シャノン、ハリー.F.バウアーが損傷した。

1944年12月19日聯合艦隊は電令作448号をもって玄作戦開始を命じた。金剛隊である。 都所静世は伊36潜で12月30日大津島基地より出撃した。目的地はウルシー。1945年1月12日伊36潜はソロレン島を228゜に見る6.5浬で(03:42〜03:57)の間に回天4基を発進。都所は死んだ。 戦果はこちら。

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太平洋戦争取材班
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