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![]() 山口県平生町阿多田交流館展示 映画「出口のない海」で使われた回天 |
| 「敵ノ油断ニ依頼セザルヲ得ザルモノニシテ警戒厳重ナラバ如何トモ為シ難カリシコト明白ナリ」 |
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昭和19年12月30日金剛隊で出撃した伊58潜水艦 『戦闘詳報』に敵の油断以外に回天射出地点に近づけない。と書いているのだ。
更に続けて敵作戦海域150浬内(277.8Km)に近づけず200浬(370.04Km)以上で潜水用の蓄電池充電をせざるを得なかった。 昭和19年5月マリアナ沖海戦前から、 帝国海軍の対潜能力は低く、同じように潜水艦は非力であった。回天はその誕生の当初から天をめぐらす回天戦など絶望的であった。 また潜水艦は騒音発生器そのものだった。 これさえドイツに教えられるまで知らなかった。 更なる不幸は戦争という暴力衝突で最後に勝つのはテクノロジーよりも精神力と信じていたことである。 人間魚雷回天のリリースで潜水艦に大きな期待を寄せざるを得ない情況となったが帝国海軍にとって本来潜水艦は補助戦力だった。 最後には昭和5年(1930年)進水の老婆潜水艦まで戦場に投入した。 |
歴史は明確に人間魚雷回天を否定Imperial Navy が戦争に使った回天型兵器は複雑で操作が難しく習得するまでに多くの訓練が必要であり、操縦員の任務完遂が即自己の死であった。訓練中の建前なら、必死・必殺を口にしても、先遣部隊参謀らの『お前ら死んでこい』という雰囲気は隠そうとしても直ぐに伝わったであろう。 艦長が数時間前に「回天戦」用意の命令で自分の確実な死を目の前にして、魚雷を三次元で冷静に操縦するのは非常に難しかったに違いない。 回天発進で固定バンドが外される間際雄叫びに近い声が電話から漏れた話も残されている。 重圧に耐えかねて発狂したのかも知れない。 また艦長らも戦果病に罹患したのか、通常の魚雷戦で対応できそうな局面で回天を使っている。 天武隊として出撃した伊36潜(艦長菅昌徹昭・兵65期)と伊47潜(艦長折田善次・兵59期) 人間がセンサーになって水面下で敵艦に突入する。 珊瑚礁内に停泊してる艦艇襲撃にしても搭乗する魚雷で露頂し位置を見定めようとしてもランドマークなどの情報は一切教えられず、環礁内への入口を探すことさえ不可能であろう。 回天戦の多くに自爆らしき状況が米側に記録されているのは、単に「死んでこい」を実行したように思えてならない。 機械的センサーで必中を期す兵器ではなく人間を使ったところに回天の限界があった。 金剛隊伊36潜で出撃した都所静世(機53期)ガッシリした体格で大男だったそうだが、彼の絶筆は心理学的に絶対的保護の母親を求めている。 女々しいことであろうか。 そのような感情を押しつぶそうとする社会を筆者は否定する。 我が命、夕に迫ったが、過ぎ越し人生で勇ましい事を言う人間ほど、信用出来ない人間はいなかった。 また社内会議で大きな声で勇ましく発言する人物ほど、信用できなかった。 |
開闢(かいびゃく・物事の一等始め)菊水隊の構成
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| No | 出撃日 | 艦喪失 | 潜水艦 | 隊 名 | 出撃基地 | 作戦海域 | 搭 載 | 発 進 | 摘 要 |
| 1 | 1944/11/8 | 伊36 | 菊水 | 大津島 | ウルシー北泊地 | 4 | 1 | 故障3 | |
| 2 | 1944/11/8 | ※ | 伊37 | 菊水 | 大津島 | パラオ・コッソル水道 | 4 | 4 | |
| 3 | 1944/11/8 | 伊47 | 菊水 | 大津島 | ウルシー南泊地 | 4 | 4 |
攻撃決行1944/11/19回天射出点に進出 ・伊47潜(艦長折田善次・兵59)は 03:28〜03:42 間に回天4基を発進。04:16 及び 04:22 に大火柱各1、及び火災を確認した。 |
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*時刻は戦史叢書潜水艦史による。伊47は環礁南南東部から回天を射出した。以下小灘+片岡共著「特攻回天戦」で米測量艦サムナーが 04:18 珊瑚礁での大爆発を視認。日米とも日本時(米シドニー時)であり伊47潜の回天と思われる。 伊47潜は推測航法で艦位を失していた。 戦闘詳報では環礁マガヤン島まで12浬で回天を射出。回天の進入航走は12ノットであったから、1時間後に環礁入り口に到達する。 当日の日の出 05:38 |
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・伊36潜(艦長寺本巌・神戸高商)は3基の回天が故障し、残る1基を 04:54 に発進した。05:45 に大爆発音。 続いて 06:45 誘爆音聴取。 ・伊37潜(艦長押本信雄・兵56 1944/11/19)は消息を絶った。 攻撃予定日は翌20日だった。 これをまとめると、大火柱2と火災の確認。 続いて爆発音1、誘爆音1。となる。 2回の音と2本の火柱だけであったのに戦果は空母2、戦艦3を撃沈と判定した。 音だけで戦艦が沈み、火柱で空母が沈んだ。 5基回天が発進したから合計撃沈数が5。しかも空母と戦艦。なんとすごい実力ではないか。 帝国海軍バンザイ! めでたしめでたしと 所轄潜水艦隊と連合艦隊と軍令部の藤森康夫は祝杯をあげたに違いない。 藤森は中澤佑に言ったに違いない。 部長回天の命中率は100%でした。 実際は1万トン程度の油槽船1隻撃沈。 |
この程度で驚いてはならない
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| No | 出撃日 | 艦喪失 | 潜水艦 | 隊 名 | 出撃基地 | 作戦海域 | 搭 載 | 発 進 | 摘 要 |
| 1 | 金剛 | 大津島 | 1944/12/21 | 伊56 | アドミラルティ泊地 | 4 | 0 | ||
| 2 | 1944/12/25 | 伊47 | ホーランジア・フンボルト湾 | 4 | 4 | ||||
| 3 | 1944/12/30 | 伊36 | ウルシー南泊地 | 4 | 4 | ||||
| 4 | 1944/12/30 | 伊53 | パラオ・コッソル水道 | 4 | 3 | 故障1 | |||
| 5 | 1944/12/30 | 伊58 | グアム・アブラ港 | 4 | 4 | ||||
| 6 | 1945/01/09 | ※ | 伊48 | ウルシー南泊地 | 4 | 4 |
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・伊56潜 1月12日〜14日まで進入に努めたが、敵の阻止線に阻まれ攻撃断念。 ・伊47潜 1月12日 03:16〜03:26 回天4基発進。 命中予想時刻 04:55 湾内に一大火災を確認。 ・伊53潜 03:49〜03:56 回天3基発進。2基は攻撃成功と認め、命中予想時刻である 05:20 及び 05:25 に大爆発音2聴取。 ・伊58潜 03:10〜03:27 回天4基発進。 黒煙2条天に冲するを認める。 ・伊36潜 03:42〜03:57 回天4基発進。 命中予想時刻に4回の爆発音聴取。 ・伊48潜 消息不明。 これをまとめると、火災1、黒煙2、爆発音6。すなわちそれらしき攻撃成功の兆候は9。戦果はどうだったかのか ・伊47潜 火災を認めたので大型輸送船4隻轟沈。 ・伊53潜 音を2度聞いたから大型輸送船2隻撃沈。 ・伊58潜 煙が2本立ち上ったから特空母1。大型輸送船3轟沈。 ・伊36潜 爆発音4回聞いたので有力艦4隻轟沈。 ・伊48潜 全く連絡が無かったが、おまけで油槽船1、巡洋艦1、大型輸送船2轟沈。 * 伊48潜は未帰還。戦果は潜水艦長の申告に基づくはず。一体この戦果は誰が作成したのか? 何にも分からないのに戦果だけはカウントしている。九三式酸素魚雷に使われていた「仮称2号爆発尖」は早発・不発などの不具合が多いにも係わらず全部爆発。 |
![]() 上図 「戦史叢書沖縄方面海軍作戦」掲載の伊58の航跡 |
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上図は掲題の公刊戦史に掲載されている。各地点の緯度経度が示されていないがグアム島の大きさは判明しており図のアプラ港の横線の右端まで約 10Km である。これを物差しとして測ってみると、回天射出点は港から約20Km 離れたところから出撃している。
また、戦果確認の浮上点から港まで距離は約 43Km もある。 潜望鏡でみると煙が2本立ち上っただけで、特空母1。大型輸送船3轟沈となるのだろうか?。 戦史叢書潜水艦史 P68 に潜望鏡のスペックションが掲載されている。それによると 倍率10倍程度の代物でどの程度の視認が出来るのか確認されたらよい。この程度の双眼鏡で山にでも登って距離40Km先を体感されたい。
このような過酷な任務に |
| 金剛隊が上申した戦果 | ||||||
| 特空母 | 大型輸送船 | 輸送船 | 巡洋艦 | 有力艦 | 計 | |
| 1 | 9 | 1 | 1 | 6 | 18 | |
| 戦後の調査で輸送艦の至近で爆発。損傷。 | ||||||
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*小灘+片岡共著「特攻回天戦」より 伊58潜で出撃した石川誠三(兵72)は「写真偵察のもっと詳しい状況が知りたかった。だいたい、敵の防御状況、港湾の状況をちっとも教えることなく出撃させることは、いささか無責任ではないか。出せばかならず戦果があがるもんだといういうふうに簡単に考えてもらいたくない。人力の尽くせるところまで尽くしてこそ、戦果があがるもんである。」 同著で攻撃水面の事前調査は、いったいだれの責務だったのか。と疑問を投げかける。 戦史叢書潜水艦史でこのあたりのことは片言隻語書かれていない。 そんなことどうでもよい。出撃未帰還なら後から作戦参謀が勝手に戦果を計上するから、貴様ら死ねばよい! と開き直っていたのであろう。 |
| ► 回天隊お前もかの誇大戦果 |
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その折り、伊47潜艦長折田善次(兵59期・鹿児島)は回天出撃の様子を悲痛な面持ちで『午前4時40分*、まだ明けやらぬ闇をついて潜水艦から発進した「回天」は、5時7分、米第三艦隊に向かって突撃した。泊地の真ん中に真っ赤な火柱が立ち上がった。見守っていた艦内から歓声が沸き起こった。続いてまた一つの火柱があがり、大爆発音が二度にわたって轟いた・・・・・』 * 折田艦長によるこの発表出撃時刻等は帰還直後提出された戦闘詳報と異なる。 ► 1.戦闘詳報(公文書・戦史叢書 海軍捷号作戦《2》) 回天発進時刻 マガヤン島方位145゚ 距離12浬 03:28〜03:42 まで5分間隔で順次発進。 1号艇 03:28, 2号艇 03:33, 3号艇 03:38, 4号艇 03:42 戦闘詳報にみる伊47潜火柱各1確認時刻 04:16及び 04:22 同書P550〜P551(第六艦隊戦闘詳報) 当日の日の出と月齢 日の出 05:38 月齢 4.1 回天は明けやらぬ闇の中環礁狭水道をランドマークなどの情報も与えられず無事通過できたとは思えない。 ► 2.筑紫丸における折田艦長による回天発進時刻等 04:40 回天発進。 05:07 泊地の真ん中に真っ赤な火柱が立ち上がった。 ► 3.折田艦長手記では 04:15 1号艇発進。のち5分間隔で回天4基発進。 4号艇発進時刻 04:30 突入想定時刻である発進 50分後の 05:07 泊地の真ん中に真っ赤な火柱が立ち上がった。 ► 4.米測量艦サムナーが見た回天爆発とおぼしき爆発。 04:18 巨大な閃光を伴った爆発がプグリュー島 1浬半南の珊瑚礁で起こった。 2項、研究会(1944/12/02)発表では回天発進から艦長が目撃した火柱望見の時間は27分である。 回天襲撃法では最終突入までは12ノットで進むことにしてあり、研究会発表では回天は24ノット程度で航行したことになる。 研究会では回天製造に携わった呉工廠関係者も同席しており、この発進から爆発まで深く追求されることはなかった。 3項、折田艦長手記は火柱望見時刻の 05:07 から逆算し発進時刻を操作し 04:15 としたのであろう。 理由は回天襲撃法の途中航行(進撃速度)12ノットに整合させたもの思える。 研究会発表で火柱視認時刻を黎明時 05:07 と公表したのでそれに合わせて回天出撃時刻を変更したのか?? 4項、サムナーによる爆発・閃光覚知時刻は 04:18 であり、戦闘詳報の回天発進時刻が正しいと考えられる。 |
前記の件に関して、小灘利春+片岡紀明著 「回天特攻作戦」 P77 に詳しい。ご一読を
筑紫丸玄作戦研究会の内容について前間孝則著:戦艦大和誕生(上・下)に詳しい。 この件に関し、奥本 剛氏神潮(回天)特別攻撃隊菊水隊 詳しいのでこちらも閲覧を。奥本 剛氏は阿多田交流館に回天搭載の特眼鏡2本を提供されている。 ![]() ![]() 第一次玄作戦研究会続き 呉工廠造船官であった堀元美はこの会に出席しも次のような回想をしている。 『悲痛極まる特別攻撃隊員の決別描写は、ほとんど声涙下ると言いたいような有り様だったが、もともと回天作戦は、ここに集まった関係者全員が心を痛めながらその手配を進めてきているのだ。 一同の感銘は極度に達した。艦長たちも参謀たちも、回天五隻の戦果を最大限にまで評価するのであった。 あたかもこの殉国の勇士たちの行為の価値が、戦果の大きさによって定まるとおもっているようだった。 -- 中略 -- 私たちは、散華した搭乗員たちに対する無限の尊敬と、愛惜の情と、報告に述べられたような状況では、とてもそう大きな戦果を期待するのは無理ではないかという疑念と、戦争の推移についての不安との混じった一種異様な感慨を胸にして黙々として「筑紫丸」の舷梯を下りて内火艇に乗り移るのであった。』 * 参考図書 小灘利春+片岡紀明著 回天特別攻撃隊 前間孝則著 戦艦大和誕生(下) 戦史叢書 海軍捷号作戦《2》 |
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海軍造船エンジニア堀元美はまだ人間の心を持ってた様が読み取れる。 ところが、率先して人間魚雷回天を押し進めた海軍省軍務局第一課*吉松田守(中佐・回天試作研究推進)や、回天は実用性が高く命中率も大きいとし作戦を推し進めた軍令部第一課員藤森康夫(中佐)や、お前達は死んでこいと豪語し、実際に回天戦を推し進めた先遣部隊(第六艦隊)鳥巣建之助(中佐)。更に見もしなかった回天の戦果を誇大に報告した伊47潜艦長折田善次(少佐)など、兵学校58期、59期など
当時の海軍の中堅だった人間は精神が腐りきっている。 この中堅らはアジア・太平洋戦争を押し進め、敗戦に次ぐ敗戦を企図した連中の尻馬に乗り、人間を消耗品とする精神腐敗の極に達している。 それぞれ部局が違いながらもここまでの精神荒廃を目の当たりにすると、その精神構造は俗人的領域を超え、海軍兵学校教育にその根源があったと思わざるを得ない。 * 海軍省は軍政機関(行政機関)である。よって実戦部隊に対する関与は出来ない。 |
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米軍の航空機のようにガンカメラでの撮影が唯一の戦果確認確定手段だったので、一切の法螺は通用しなかった。 ところが Imperial Navy はそのような手段を取らなかったので法螺が通用した。 前掲金剛隊の誇大戦果は第二次玄作戦のことである。戦後この事実を知ってかっての潜水艦艦長たちは、回天の威力を覆い隠すために戦果の隠蔽があるとのたまわった。 戦勝国が事実を隠蔽することにいかほどの価値があるのか。また各艦の報告で音を聞いた。煙を見た。ましてや未帰還だった。というだけで轟沈!。撃沈!とすることのほうが常軌を逸している。 この点に関しても彼らの話は問題にならない。 このような誇大戦果は、先遣部隊(第六艦隊)鳥巣建之助(58期・中佐)参謀と軍令部員藤森康夫の合作と勘ぐらざるを得ない。筆者(小生)の悲しい結論である。 このことと、敗戦後平生基地で自決した橋口 寛の純粋さが損なわれるものではない。 この回天戦を取り仕切った、軍令部黒島亀人、中澤佑、藤森康夫の責任だけは追及し続ける必要がある。 愚劣極まる兵器とワンサイドアタックに甘んじた8隻の潜水艦乗組員と多くの回天隊員を失なわせた事実を直視するとき、彼らが目論んだ取らぬ狸の皮算用を許してはならない。 |
| ► 回天戦での戦果集計 |
| 戦時中の回天戦での戦果 | |||||||
| 空母 | 戦艦 | 特空母 | 巡洋艦 | 水上機母艦 | 駆逐艦 | 輸送船 | 合 計 |
| 2 | 3 | 1 | 11 | 1 | 5 | 23 | 46 |
| 戦後判明した回天戦の戦果 | ||||||||
| 撃沈 | 撃破 | 合 計 | ||||||
| 給油艦 | 駆逐艦 | 揚陸艇 | LST 225 | 駆逐艦 | 輸送艦 | |||
| 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 8 | ||
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► 現場の報告から全く疑問を感じなかったバカたち
「戦史叢書潜水艦史」 P425 天1号作戦に呼応して沖縄海域に出撃した伊58潜は次の報告をしている。 『7日以来西方ヨリ突入ヲ企図セシモ回天発進不適ナリ 5日以来実測艦位ヲ得ズ 敵制圧下回天ノ整備困難ノウエ哨戒機ニ発見セラレタル諸点ニ鑑ミ一時離隔再挙ヲ期ス』 この報告でもわかるように米軍の対潜索敵は厳重を極め、150浬(277.8Km)圏内は航空機を常時飛ばしていた。 戦史叢書潜水艦史にも日中16時間は潜行し動かず、夜間ゆるゆると3ノット程度で進んだ潜水艦もあると書いてある。 洋上潜水艦の艦位測定は通常天測*によったから 夜間浮上したら雲量10で天測不可能も考えられる。1945年4月上旬天一号作戦の天候は最悪であったから、回天射出圏20浬(37Km)の敵艦艇に近づくなど不可能に近かった。潜水艦は片っ端から沈められる情況で回天戦出撃の潜水艦長が 艦位もわからず出撃を命じたケースも考えられる。 何度も書くが捷一号作戦で護衛空母に接近しつつあった第十水雷戦隊は距離13浬(24Km)で魚雷を発射。戦後米軍との突き合わせで魚雷は全く命中してもいないのに、複数艦が命中爆煙を視認した。と言っている。当然艦橋には複数の配置者がいたはずであるが、それでも誤認は防げたなかった。 我々の技量は最高である。 打ったら中る。 希望的思いこみが幻覚を呼び覚ましたのかも知れない。 また出番の少なかった水雷科の連中に花を持たしてやれという雰囲気が蔓延していたのかも知れない。 回天戦要地襲撃は警戒厳重であり、20浬(37Km)地点で回天の射出を行ったであろうから、 その距離で命中音が本当に伝わるのであろうか?。 また爆煙天に冲するを見た=撃沈破としているが、逃げにかかっている潜水艦で潜水艦長のみが潜望鏡で見たという証言から、敵艦撃沈とした潜水艦隊幕僚も正常な頭脳の持ち主とは思えない。 * この当時の潜望鏡には天文航法に欠かせない六分儀が内蔵されていなかったのであろう。昼間は潜行しており艦位測定は不可能。夜間浮上し観測を行おうとしても荒天・悪天候であれば不可能である。 わずかな星を頼りに観測しても三角法の表を引っ張り出して、艦の位置を割り出さなければならない。 艦内ジャイロ・コンパスと縦舵機で艦の正確な進路は判明しても移動後の正確な緯度・経度を計算するのは至難の技であった。 |
| 第五章 回天搭乗員の戦死と投入潜水艦 第七章 回天特攻泊地攻撃期 |
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