第二章  海軍人間魚雷回天開発小史 技術・機能編

人間魚雷回天
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開発小史歴史編 用兵側の詐欺師・ペテン師らは人間の尊厳を踏みにじる兵器の開発に着手した。
また、回天戦戦死隊員(突入)は指揮官先頭に則り兵学校出身者が多いといううそがまかり通る。戦死者104人中17名で16.4%に過ぎない。
"http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/konadaa-kaiten.htm" ○出撃者の選抜 御参照、
運用編 回天はその誕生から許されざる兵器であった。また隊員の募集も詐欺師・ペテン師的な方法だった。
兵器としての回天非常に扱い難い兵器だった。
燃料・酸化剤・添加剤石油(ケロシン,若しくはアルコール)、純酸素98%, 四塩化炭素(CCL4 石油希釈剤)
  • 酸素と石油(アルコール)と燃焼させ更に海水を添加
      し高温高圧燃焼ガス+水蒸気をシリンダーに供給
      し動力源として推進器をまわす。
  • 推進器の逆回転が出来ない。バック不可能。
  • 一端動き出したら停止することが出来ない。
  • 回転半径は 200m 程度必要。
  • 着火は1回こっきりで次なる着火は出来ない。
  • 浅深度の高速度は重心位置から頭部が下降する。
  • まま気筒爆発を起す。 エンジンが始動しないことも
      あった。
  • 実戦で一端発進すると、途中で機関などの機器類
      が故障しても操縦者の回収は不可能。
  • 人間が操縦する兵器バックが出来ない停止が出来ない乗り物は最悪である。また回天発進後の故障に対して全くなすすべがなく操縦者の無駄死が発生する最悪の兵器だった。 すなわち、銃口から発射された銃弾であった。物も人も使い捨ての兵器だった。
    推進力は中心軸方向に働く。回天の重心点は安定性を保つため中心軸下部の左図の位置にある。 よって急激に頭部が下降してしまう。
    潜望鏡(特眼鏡)のくもり止め
    敵情偵察のため潜望鏡(特眼鏡)を大気中に露出すると2〜3秒でレンズがくもり何も見えなくなった。実戦訓練中もこれに対しては不満タラタラであった。      
    浮上航走は不可能
    エンジンを一度停止さすと再起動は不可能だった。また水上航走も出来なかった。無理に行えばイルカ運動。すなわち水面に飛び出たり潜ったりの不規則運動を起こした。
    回天は1本の酸素魚雷で1基製造できた。 当時あらゆる資源が不足していたが使い道の無くなった九三式酸素魚雷を転用することで兵器化を図ることが出来た安上がりな兵器だった。
    本章では人間の尊厳を踏みにじる最悪で愚劣な兵器は誰が最初の言いだっしぺなのか。彼はどのような思考をしたのか日米の対潜能力はこの時期懸絶していたが用兵者らはどのような思惑があったのかを簡潔に記したい。
    生還ゼロ兵器 回天 の言いだっしぺ
    黒木博司 機関課51期 岐阜県
    日時:昭和19年(1844)9月6日 17:40 訓練のため回天発進。 18:12 回天海底突入。
        黒木博司・樋口孝(海兵70期,東京) 翌7日窒息死体で発見さる。 当該海域の日の入り 18:34
    場所:山口県徳山市(周南市)大津島〜蛇島(さしま)方向
    気象・海象:晴れ 海上荒れ模様。
    経緯:海上の模様や訓練開始時刻から周囲は訓練中止を進言した。だが黒木は訓練を強行。監視役追従艇は波浪のため回天を見失う。
    窒息死までの黒木博司記述文要旨:
    1.海底突入2時間経過頃の記述
       陛下ノ艇ヲ沈メ奉リ、就中(なかんずく)○六ニ対シテハ畏クモ陛下ノ御期待大ナリト拝聞致シ奉り居り候際、 生産思ワシカラズ、シカモ最初ノ実験者トシテ多少ノ成果ヲ得ツツモ充分ニ後継者ニ伝ワルコトヲ得ズシテ殉職スルハ恂(まこと)ニ不忠申訳ナク慚愧ニ耐エザル次第ニ候。
    2.海底突入3時間経過頃の記述
       欣(よろこ)ンデ茲(ここ)ニ(かね)テ覚悟ノ殉職ヲ致スモノニ候、天皇陛下万歳。
    覚悟の自殺か? 戦友を道連れ。 疑惑まみれの彼の遺書。

    黒木艇の救助捜索は 18:50 頃から開始された。日没後となり波浪も加わって難航し 21:00 頃に中止されれ救助活動は翌日に持ち越された。 黒木博司は海底突入から事故に至った経過と所見を書き出している。
    彼は自己陶酔のあまり覚悟の事故死を生起せしめたと邪推出来なくもない。
    *−その1
    『陛下ノ艇ヲ沈メ』 回天は実戦で繰りかえし使用しうる兵器ではない。すなわち一度発射された回天は操縦者も含め使い捨てである。 これは小銃弾と同じく発射され放しであり実戦で銃弾を発射するたびに陛下の銃弾を使い捨てで発射します。許して下さいと謝ることはない。 この男は何か大きな勘違いをしている。
    ここが航空特攻と大きく違うところである。 航空特攻は再起が可能であった。
    *−その2
    『殉職』という言葉を二度も使用している。 『予(かね)テ覚悟』とまで云いきっている。 訓練にかこつけて夕刻波浪高き中で覚悟の殉職を演出したと考えざるを得ない。
     回天は翌日海底18mで発見された。自力脱出不可能な深度ではない。当然そのままでは水圧によりハッチ開放は不可能であるが実は排圧弁が回天には備え付けられていた。人力操舵には空気圧を利用したがその排圧はキャビンに逃がす方式であった。 よってこの排圧弁を利用し外部水圧と等圧にすることが可能であった。  実際ほぼこれと同じ事が光回天基地の訓練時発生したが乗員は脱出し生還している。


    この件について招集され海軍予備学生だった神津直次著『人間魚雷回天』を参照されたい。

    *−その3
    生産『思ワシカラズ』と決めてかかっているが、回天は九三式魚雷1本を転用して製造した。1本の魚雷から回天1基製造できた。 九三式魚雷は作戦艦艇の減少によりこの時点でも在庫はそれなりにあった。生産進捗が思わしく無かったのは他の要因である。熟練工まで片っ端から徴兵され現場は悲鳴を上げていた。 ついには切削油、熟練工の不足で酸素魚雷のエンジンは製造できなくなった。
    (出典:回想の譜 光海軍工廠 昭和55年10月31日,光廠発行) 現在の中学1年生国民学校高等科1年まで動員し昭和20年8月14日の爆撃で六人が爆死した。


    黒木博司の殉職は限りなく黒(自作自演) をにおわせると一時期P基地で一緒だった小島光造はその著書『回天特攻』に書く。
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    当頁の参考資料
    「人間魚雷」  鳥巣建之助著
    「人間魚雷回天」  神津直次著
    「日本海軍史 第七巻」  (財)海軍歴史保存会

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