第九章 回天特攻洋上襲撃期 昭和20年(1945)6月〜敗戦まで

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1944年(昭和19年)、開戦以来25ヶ月愁色濃厚。戦勢の挽回を夢想した Imperial Navy 首脳部は、人間魚雷回天をリリースした。 人間を消耗品とする回天戦は、その射程距離からして敵の対潜能力を無視しては成り立たない。
潜水艦封じ込め
1944年に入ると、米の対潜能力は飛躍的に向上した。まず、泊地200浬圏は哨戒機で探索され、次に哨戒艇のレーダーに捕捉され、ソナーで居場所を探知された。次に爆雷若しくはヘッジホッグで攻撃された。一旦探知されると包囲網を脱出することは不可能に近かった。
回天戦の戦果は望むべくも無かった
現有潜水艦の性能、装備で警戒厳重な敵の洋上泊地に進入し、回天攻撃を加えることは無謀*1である。 との現場認識であった。事実戦後の戦史は彼らの認識どおりで展開している。いわゆる潜水艦はワンサイドアタック下に置かれていた。
潜水艦の喪失(含む訓練中)喪失実態
1941年(昭和16年)12月8日〜1943年(昭和18年)12月31日までの25ヶ月  42隻
1944年(昭和19年)1月1日〜 11月7日回天戦開始まで10ヶ月  50隻  (59隻*2)
1944年(昭和19年)11月18日〜12月末 9隻
1945年(昭和20年)1月1日〜 8月15日 27隻
人間を消耗品とする兵器が・・・・
いくら戦時軍人の世界でも、兵の命を尊重しない組織の上に神風なぞ吹かないという認識さえ喪失していた。

*1 戦史叢書潜水艦史
*2 1944年中の亡失隻数
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
轟隊 昭和20年 6月 4日 伊36   マリアナ
東方海上
予備3 池淵信夫 園田一郎
野村栄蔵
横田 寛
予備4 久家 稔
1曹柳谷秀正
伊36艦長 菅昌徹昭(すがよし・てっしょう,兵65期)
池淵信夫三度目出撃,久家稔,柳谷秀正 二度目の出撃戦死。
園田一郎,野村栄蔵,横田 寛 二度目帰還。
菅昌徹昭(すがよし・てっしょう)は思うところあっのか、戦後通信教育で僧籍を取得してた。昭和52年(1977)大津島で開催された三十三回忌の慰霊祭に弔辞を読んだ。万感胸に迫るものがあったことであろう。
海軍指揮官先頭は大嘘。その実態はこちら
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
轟隊 昭和20年 6月15日 伊165 未帰還 沖縄−比島線上予備4水知創一 
1曹 北村十二郎
伊165艦長 大野保四(兵65期)以下104名戦死。
整備員阿部福平,恵美須吉戦死。
出撃するも母艦沈没(1945.06/27)で回天隊員戦死。
伊165潜、6月27日サイパン東方にて基地哨戒機の攻撃により撃沈される。

名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
多聞隊 昭和20年 7月14日 伊53   沖縄−ウルシー線上兵73勝山 淳高橋 博
坂本雅刀
1曹川尻勉一 
生徒1関 豊興
1曹 荒川正弘
艦長大場佐一(兵62期) 3月30日光基地沖触雷。修繕時シュノーケル装備。
駆逐艦アンダーヒル撃沈。駆逐艦R・V・ジョンソン対潜攻撃中至近大爆発損傷。
7月18日 伊58   沖縄−パラオ線上予備3伴 修二 白木一郎
1曹小森一之 
予備4水井淑夫
1曹中井昭一
1曹林 義明
伊58艦長 橋本以行(兵59期) 7月28日駆逐艦ロウリー小破。
7月19日 伊47作戦変更沖縄東方海域  加藤 正
桐沢鬼子衛
久本晋作
河村 哲
石渡昭三
新海菊雄
伊47艦長 鈴木正吉(兵62期)
新海菊雄 二度目生還。伊47再々の作戦変更後帰投を命じられる。
帰投8月13日光基地。
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
多聞隊 昭和20年 7月19日 伊367 作戦変更 沖縄−グアム線上  藤田克己
安西信夫
岡田 純
吉留文夫
井上恒樹
伊367艦長 今西三郎(兵67期)
藤田克己,吉留文夫,岡田 純 二度目生還。
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
多聞隊 昭和20年 8月 1日 伊366   沖縄−サイパン線上兵73成瀬謙治鈴木大三郎
岩井忠重
1曹上西徳英一 
1曹佐野元一
伊366艦長 時岡隆美(兵67期)
8月 8日 伊363 艦体損傷沖縄−グアム線上  上山春平
園田一郎
石橋輝好
小林重幸
久保吉輝
伊363艦長 木原 栄(兵66期) 4人二度目生還,園田一郎三度目生還

名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
神州隊 昭和20年 8月16日 伊159 帰還命令日本海   斉藤 正
今田新三
伊159艦長 館山武祐(兵68期) 昭和5年建造オンボロ艦。練習潜水艦であった。
このおんポロ潜水艦でかつ玉音放送の翌日回天を出撃させた平生基地隊司令は長井満。長井は玉音放送のあるその日午前10時頃、 基地隊の全員を集合させ「たとえ終戦の詔勅が下っても、我が平生基地隊は絶対に降伏しない。最後の一兵となるまで戦う覚悟である」と高言をを吐いた。 長井は一人でかつ徒手空拳で戦うつもりだったのか? 続けて「本日は呉鎮守府に高官が集合しているはず、その頭上に飛行機で檄文を撒くつもりだ」と息巻いた。戦前「水からガソリン」が出来ると信じた提督がいたが、この長井のバカ振りをみると兵学校はバカ薬を大きな注射器で栄養として注射していたのか?
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太平洋戦争取材班
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