第八章 回天特攻 戦闘海域出撃期 昭和20年(1945)硫黄島(2月)〜沖縄海域(3〜5月)
まず、第1章 海軍人間魚雷回天開発小史 歴史編 からお読み下さい。
人間魚雷回天特別攻撃隊 回天特攻 実戦投入期
注)戦闘海域での回天戦は敵の対潜攻撃能力を用兵担当者が知らなかったか、知っていても無視したかによる。 訪独潜水艦伊52が大西洋上でUボートより電探逆探知用設備を貰い受け、かつ夜間にもかかわらず撃沈された戦訓を知っていて、なおこの様な作戦を立案したとすれば何おか言わんやである。
天津風森田友幸が言うように海軍開闢以来、対潜探索・対潜攻撃という教育もなく、研究もされず敵のサーチをどのようにすればよいのか、敵の攻撃をどのようにかわせばよいのか研究されたこともない。
水上艦隊(艦艇)に対潜攻撃らしい対潜攻撃法がないのだから、潜水艦もその対抗策を勉強しているはずもなかろう。 更に潜水艦は撃沈されると乗組員の生存・救助の例はほとんどなく、戦訓が活かされることもない。

回天戦を取り仕切った鳥巣建之助(1908〜2004)について 兵58期。終戦時中佐。 昭和17年6月30日伊165潜艦長。 昭和18年7月1日海軍大学校学生。 昭和19年2月5日第6艦隊(潜水艦部隊)参謀兼第一特別基地隊(大浦崎〔P基地〕)作戦参謀。
長井満(少将)、昭和19年7月10日第一特別基地隊発足と同時に司令官に就任。水雷参謀に発令された板倉光馬(少佐)に指示・督励して、人間魚雷「回天」の戦力化を推進した。
証言録 海軍反省会 PHP研究所 2009/8/19 第1版第1刷
昭和55年12月第9回反省会,昭和56年1月30日第10回反省会参加者に名を連ねている。両会とも潜水艦戦ではないが自分が取り仕切った作戦の反省や海軍のテクノロジー音痴に言及した話は一切掲載されていない。 戦後、潜水艦戦に係る著書多数を著述し回天戦を食い物にした。 市中引き回しの上斬首!

伊300台潜水艦は輸送潜水艦として12隻建造された。潜航深度75m。魚雷発射管 2。後撤去。回天史戦投入。
性能 行動能力二ヶ月,速力水上12Kt(≒22Km),水中3Kt(≒5.5Km)。泣きたくなるほどの性能。
更に解決しなければならない技術的製造能力は多岐にわたった。
・安全潜行深度の増大問題
・水中航続距離と水中持続時間,水中速度の増大
・電波探信機(レーダー)装備
・電波探知機(逆探)装備
・電波吸収塗料の開発と塗布
・ソナー吸収塗料がゴム皮膜の開発と施工
・急速潜行可能システムの開発
・発電機性能の向上(浮上航行時間短縮,蓄電池充電の短縮)
・大容量蓄電池の開発
・爆雷攻撃ショックによる艦体のひずみ防止措置
・騒音・振動防止対策

技術者側の問題点、
・科学と技術の発達の見通しと甘さ・研究スタンスの無さ
・前述の問題が戦局に及ぼす影響についての考究不足
用兵側は陳腐ともいえる兵器で戦わざるを得なかった側面を否定出来ない。

名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
千早隊
 
 
 
 
 
 
昭和20年
 
 
 
 
 
 
2月20日 伊368 未帰還 硫黄島 機53 川崎順二 
予備4石田敏雄
予備4難波 進
2曹磯部武雄
2曹芝崎昭七
伊368艦長 入沢三輝(兵63期)以下79名戦死。
整備員黒川文夫,浜本安雄,関儀政,重松正市,岩橋繁行戦死。
伊370 未帰還 硫黄島 機54 岡山 至 
予備4市川尊継
予備4田中二郎
2曹浦佐登一
2曹熊田孝一
伊370艦長 藤川進(兵66期)以下79戦死。整備員菅原今朝松,亀田武雄,森正夫,荒木七五三一,寺西亨戦死。
2月23日 伊44攻撃不能
戦場離脱
硫黄島   土井秀夫
亥角泰彦
館脇孝治
菅原彦五
伊44艦長 川口源兵衛(兵66期)
伊368、2月27日米護衛空母アンツオ搭載機の攻撃により沈没。
伊370、2月26日米護衛駆逐艦フィンネガンが硫黄島南方でレーダー探知。爆雷攻撃により撃沈。
伊44艦長川口源兵衛は
1.2月27日、硫黄島の南西50浬で敵の制圧を受け47時間潜航。
2.硫黄島北から東部にても敵哨戒機に制圧され接近不可能。
3.硫黄島泊地に対しては『回天』による攻撃は不可能。
と打電。 連合艦隊は作戦変更により3月11日伊44潜に帰還を命じた。 
すぐさま研究会に名を借りた査問委員会が開催された。 川口艦長は「警戒厳重な敵洋上泊地に進入して一度浮上し回天攻撃(当艦には交通筒装備が無く浮上して回天に乗り組んだ)を決行するという計画には、 計画自体に問題があり、潜水艦と回天に犬死にを強いる無謀な作戦である」と述べた。 それを聞いた艦隊参謀鳥巣建之助は艦長に向かって『卑怯未練』とののしった。
【人間魚雷/鳥巣 建之助 新潮社 ; 1983.10】 ぜひご一読頂きたい。この人間がどの程度の頭脳だったかが一目瞭然である。また海軍大学校の教育を覗い知ることが出来る。 連合艦隊の意を受けたのか?鳥巣建之助がこの様な無謀な作戦を具申し続けたのか? この後も神武,多々良,天武隊とまるで壬申の乱(皇位継承をめぐる戦い)当時の名称で戦闘海域に回天を送り続けた。 現状認識の甘さ、無定見は帝国海軍の病弊である。 やがて昭和20年(1945)4月6日戦艦大和以下の水上特攻につながる。
海軍反省会 昭和56年8月26日 鳥巣建之助発言要旨
 昭和56年2月13日第10回海軍反省会で鳥巣は「特攻の指示は誰が出したのか」と黒島亀人や中澤佑を散々非難しておきながら、 8月26日の反省会で自分が係わった作戦について持論の回天の洋上使用の成果を得々と語っている。
同書頁411〜412
『こうして伊47潜と伊36潜がウルシーと沖縄、サイパンと沖縄を結ぶ中間付近で洋上作戦(天武隊)を行い、 潜水艦長の報告のまま真に受けますと、大戦果を挙げたわけであります。』
 これは全くのデタラメで戦果は全くない。 すでに昭和54年8月には日本潜水艦戦史 坂本金美/著が出版されており、同書頁229で天武隊の無戦果が記述されている。
 鳥巣は更に、5月6日の夜、ラジオは久しく聞かなかった軍艦マーチに続いて天武隊の戦果を伝えています。 ところがこれも、昭和54年に「大本営発表の真相史 富永謙吾/著」が発刊されており、鳥巣がいう天武隊による戦果の発表はない。

名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
神武隊 昭和20年 3月 1日 伊58 作戦変更
帰   還
硫黄島   池淵信夫
園田一郎
柳谷秀正
入江雷太
伊58艦長 橋本以行(はしもと・もちつら,兵59期)
3月 2日 伊36 作戦変更
帰   還
硫黄島    柿崎 実
前田 肇
古川七郎
山口重郎
伊36艦長 菅昌徹昭(すがよし・てっしょう,兵65期)
12月21日(金剛隊・伊56潜)に続き生還 柿崎 実,前田 肇,古川七郎,山口重郎。
入江雷太 後、3月31日伊58で沖縄海域に向かうも荒天により艦位を失い帰還その後 5月17日 大津島にて殉職。

水上特攻天一号作戦呼応出撃
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
多々良隊
 
 
昭和20年 3月29日 伊47 艦体損傷
(帰 還)
沖縄海域     柿崎 実
前田 肇
古川七郎
山口重郎
新海菊雄
横田 寛
伊47艦長 折田善次(兵59期)
3月31日 伊58 接敵不能 沖縄海域   池淵信夫
園田一郎
柳谷秀正
入江雷太
伊58艦長 橋本以行(はしもと・もちつら,兵59期)
伊47 柿崎 実二度目の生還。池淵信夫,園田一郎,柳谷秀正,入江雷太 4名 3月二度出撃帰還
池淵信夫出撃3度目轟隊(6月4日)でマリアナ海域で出撃戦死。
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
多々良隊
 
 
昭和20年 3月31日 伊56 未帰還 沖縄海域 兵72 福島誠二  
予備4八木 寛
2曹川浪由勝
2曹石直新五郎
2曹宮崎和夫
2曹矢代清二
伊56艦長 正田啓治(兵62期)以下116名戦死。
整備員熊野義隆,谷村昌寿,桑原竹二,沢井滝夫,遠坂末喜,物部信一郎戦死。
母艦搭乗潜水艦が撃沈(4/6)され回天隊員全員戦死。
伊56潜、4月5日、米駆逐艦ハドソンが久米島西方でレーダー探知。爆雷攻撃により撃沈。
大和以下残存水上艦艇による天1号作戦に呼応した回天作戦として多々良隊が出撃した。前回の千早隊と同じく戦闘海域への出撃である。 敵の対潜能力を無視した出撃に効果のあろうはずもない。伊58潜は連日の悪天候で浮上天測かなわず艦位を失った。奄美大島西方海上は4月6日〜7日に掛けて悪天候だった。
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
多々良隊
 
 
昭和20年 4月 3日 伊44 未帰還 沖縄海域 兵72土井秀夫 
予備4亥角泰彦
予備4館脇孝治
2曹菅原彦五
2月23日についで二度目の出撃で土井秀夫,亥角泰彦,館脇孝治,菅原彦五 潜水艦撃沈され戦死
伊44艦長 増沢清司(兵65期)以下126名戦死。整備員西山隆,赤星敏夫,伊藤二三男,野口藤太郎戦死。この艦の前任者は川口源兵衛である。闘志不足の責を負わされ更迭された。 増沢清司に蛮勇があったとは思わない。不幸なことである。
伊44潜、4月17日米駆逐艦ヒアマン及びマッコードが南大東島60マイル付近でレーダー探知。爆雷攻撃。更に駆逐艦三隻が応援に駆けつけ爆雷攻撃。撃沈される。逆探装置が配備されていたはずだが初期の性能を発揮していない。次々にレーダーに引っかかり撃沈されている。

名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
天武隊
 
 
 
昭和20年 4月20日 伊47   沖縄海域 兵72柿崎 実新海菊雄
横田 寛
上曹古川七郎 
1曹山口重郎
予備3前田肇
12月21日、3月2日、3月29日に続き4度目の出撃で柿崎 実戦死。
古川七郎,山口重郎,前田肇 戦死。 新海菊雄,横田 寛 二度の出撃で帰還。
伊47艦長 折田善次(兵59期)
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態様 攻撃方面 分類 出撃隊員 生還隊員
天武隊
 
 
昭和20年 4月22日 伊36   沖縄海域 機54八木悌二久家 稔
野村栄造
2曹安部英雄 
2曹松田光雄
2曹海老原清三郎
久家 稔 二度目帰還。回天発進10分後4度の爆発音聴取。よって米艦船4隻撃沈と報告。これは誤認であり米側にその記録はない。
伊36艦長 菅昌徹昭(すがよし・てっしょう,兵65期) 菅昌は戦後仏門に入る

名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
振武隊 昭和20年 5月 5日 伊367   沖縄海域 1曹小野正明(18)
千葉三郎(19)
藤田克己
吉留文夫
岡田純
伊367艦長 武富邦夫(兵65期) 括弧は年齢 駆逐艦1撃破

名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態様 攻撃方面 分類 出撃隊員 生還隊員
轟 隊
 
 
 
 
 
昭和20年 5月23日 伊361 未帰還 沖縄海域機54 小林富三雄 
1曹金井行雄 
1曹斉藤達雄
1曹田辺晋一
1曹岩崎静也
伊361艦長 松浦正治以下76名戦死。
整備員釜野義則,梅下政男,坂本茂,高沢喜一郎,藤原昇戦
母艦撃沈され回天隊員戦死。
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態様 攻撃方面 分類 出撃隊員 生還隊員
轟隊 昭和20年 5月28日 伊363 接敵不能 沖縄海域   上山春平
和田 稔
小林重幸
石橋輝好
久保吉輝
伊363艦長 木原 栄(兵66期)
伊361潜、5月30日沖縄南東方向において護衛空母アンツオ搭載機の攻撃により沈没。

すでに記述したが、菅昌徹昭(すがよし・てっしょう,兵65期)通信教育で僧籍を得、霊前に深い鎮魂の祈りを捧げたと伝えられている。かくも非道な作戦を強いた高級参謀らにこの種の話は寡聞にして聞かない。
和田 稔、東京帝国大学法学部。接敵できず生還した特攻隊員には辛い日々であった。鳥巣建之助らは、出撃したからには死んでこい。 戦果は我々が作るとうそぶく雰囲気なのである。そうした中、和田は7月25日、訓練中光市沖で殉職する。
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