第七章 回天特攻展開期 泊地攻撃 昭和19年(1944) ウルシー,パラオ,グアム
第一次玄作戦
名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
菊水隊
 
 
昭和19年
 
 
11月8日 伊36帰還 ウルシー 北泊地 予備3今西太一 吉本健太郎
豊住和寿
工藤義彦
伊36艦長 寺本巌(神戸商船)
伊47 帰還 ウルシー 南泊地 兵71 仁科関夫 
機53 福田斉
予備3 佐藤章
予備3 渡辺幸三
伊47艦長 折田善次(兵59) 米軍記録 11月20日給油艦ミシンネワ沈没
伊37 未帰還 パラオ・コッスル 兵70上別府宜紀  
機53村上克巴
予備3宇都宮秀一
予備3近藤和彦
伊37神本信雄艦長以下乗組員112名戦死。
整備員時田久美,土居完治,前原茜,栗本晃戦死。
菊水隊 伊36潜搭乗回天隊員 吉本健太郎,豊住和寿,工藤義彦回天故障帰還。
伊37潜、11月19日米護衛駆逐艦コンクリ及びマッコイ・レイナルズがパラオ北方20マイル付近でソーナー探知。爆雷攻撃で撃沈。
開闢(かいびゃく・物事の一等始め)菊水隊の構成
No出撃日艦喪失潜水艦隊 名 出撃基地作戦海域搭 載発 進摘 要
1昭和19年11月8日
(1944)
 伊36菊水大津島ウルシー北泊地41故障3
2伊37パラオ・コッソル水道44 
3 伊47ウルシー南泊地44
攻撃決行
昭和19年(1944)11月19日 伊47潜(艦長折田善次・兵59)回天射出点に進出
 艦長は 03:28〜03:42 間に回天4基を発進。04:16 及び 04:22 に大火柱各1、及び火災を確認した。
時刻は戦史叢書潜水艦史による。伊47は環礁南南東部から回天を射出した。以下小灘+片岡共著「特攻回天戦」で米測量艦サムナーが 04:18 珊瑚礁での大爆発を視認。日米とも日本時(米シドニー時)であり伊47潜の回天と思われる。  伊47潜は推測航法で艦位を失していた。 戦闘詳報では環礁マガヤン島まで12浬で回天を射出。回天の進入航走は12ノットであったから、1時間後に環礁入り口に到達する。 当日現地日の出 05:38
 伊36潜(艦長寺本巌・神戸高商)は3基の回天が故障し、残る1基(今西太一)を 04:54 に発進した。05:45 に大爆発音。 続いて 06:45 誘爆音聴取。
 伊37潜(艦長押本信雄・兵56) 昭和19年(1944)11月19日消息を絶った。 攻撃予定日は翌20日だった。 回天整備員時田久美,土井完治,前原茜,栗本晃戦死。艦長以下112名も運命を共にした。
 伊47潜は大火柱2と別の火災を確認。 続いて爆発音1、誘爆音1。となる。 2回の音と2本の火柱だけであったのに戦果は空母2、戦艦3を撃沈と判定した。 音だけで戦艦が沈み、火柱で空母が沈んだ。 5基回天が発進したから合計撃沈数が5。しかも空母と戦艦。なんとすごい実力ではないか。 帝国海軍バンザイ! めでたしめでたしと 所轄潜水艦隊と聯合艦隊と軍令部の藤森康夫は祝杯をあげたに違いない。
 藤森は中澤 佑に言ったに違いない。 部長回天の命中率は100%でした!。 実際は1万トン程度の油槽船1隻(ミシンネワ)撃沈。 距離にして20Km以上も離れた場所から潜望鏡で炎上する艦船の黒煙を見、 爆発音を聞いただけで空母と戦艦を撃沈したとなるのか Imperial Navy の不思議である。戦後このようなウソぱち露見するなど思っていなかったのであろう。厚顔無恥。同じ日本人として恥ずかしい。 この程度の頭脳と見識しか帝国海軍兵学校卒業者は持ち合わせていなかったのであろう。
帰還後伊47潜艦長折田善次による筑紫丸での報告
  • 潜水艦先遣部隊(第六艦隊)は用兵側の無理解もあったが開戦以来さしたる戦果を挙げていなかった。 航空特攻はすでに嚇々(かくかく)たる戦果を挙げていた。 昭和19年(1944)12月2日呉第六艦隊旗艦「筑紫丸」で回天特別攻撃隊第一次玄作戦研究会が全幕僚及び回天建造に携わった呉工廠関係者の出席の下に開催された。 その折り、伊47潜艦長折田善次(兵59期・鹿児島)は回天出撃の様子を悲痛な面持ちで『午前4時40分、まだ明けやらぬ闇をついて潜水艦から発進した「回天」は、5時7分、米第三艦隊に向かって突撃した。泊地の真ん中に真っ赤な火柱が立ち上がった。見守っていた艦内から歓声が沸き起こった。続いてまた一つの火柱があがり、大爆発音が二度にわたって轟いた・・・・・』
    戦闘詳報(公文書・戦史叢書 海軍捷号作戦《2》) 回天発進時刻 マガヤン島方位145゚ 距離12浬
      03:28〜03:42 まで5分間隔で順次発進。 1号艇 03:28, 2号艇 03:33, 3号艇 03:38, 4号艇 03:42
     戦闘詳報にみる伊47潜火柱各1確認時刻 04:16及び 04:22 同書P550〜P551(第六艦隊戦闘詳報)
     当日の日の出 05:38 月齢4.1 であった。このような条件下で  明けやらぬ闇の中、環礁狭水道をランドマークなどの情報も与えられず無事通過できたとは思えない。
    筑紫丸における折田艦長による回天発進時刻等
     04:40 回天発進。  05:07 泊地の真ん中に真っ赤な火柱が立ち上がった。
    折田艦長手記では
     04:15 1号艇発進。のち5分間隔で回天4基発進。 4号艇発進時刻 04:30
     突入想定時刻である発進 50分後の 05:07 泊地の真ん中に真っ赤な火柱が立ち上がった。
    米測量艦サムナーが見た回天爆発とおぼしき爆発。 04:18 巨大な閃光を伴った爆発がプグリュー島
    1浬半南の珊瑚礁で起こった。
     艦長折田善次による研究会(1944/12/02)発表では回天発進から艦長が目撃した火柱望見までの所要時間は27分である。 回天襲撃法では最終突入までは12ノットで進むことにしてあり、 研究会発表での発言どおりだと回天は24ノット程度で航行したことになる。 研究会では回天製造に携わった呉工廠関係者も同席しており、この発進から爆発まで深く追求されることはなかった。
      折田艦長によるこの筑紫丸発表出撃時刻等は帰還直後提出された戦闘詳報と異なる。折田善次は明らかに嘘をついている。
     折田艦長手記は火柱望見時刻の 05:07 から逆算し発進時刻を操作し 04:15 としたのであろう。 理由は回天襲撃法の途中航行(進撃速度)12ノットに整合させたもの思える。
    研究会発表で火柱視認時刻を黎明時 05:07 と公表したのでそれに合わせて回天出撃時刻を変更したのか??
    一方、サムナーによる爆発・閃光覚知時刻は 04:18 であり、戦闘詳報の回天発進時刻が正しいと考えられる。

  • 第二次玄作戦

    名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
    金剛隊
     
     
     
    昭和19年 12月21日 伊56 攻撃不能
    戦場離脱
    アドミラルティ諸島    柿崎 実
    前田 肇
    山口重郎
    古川七郎
    伊56艦長 森永正彦(兵59期)
    12月25日 伊47   ニューギニア 兵72川久保輝夫  
    予備3原 敦郎
    上曹村松 実
    1曹佐藤勝美
    伊47艦長 折田善次(兵59期)
    伊47 1月12日 03:16〜03:26 回天4基発進。命中予想時刻 04:55 湾内に一大火災を認めたので
    大型輸送船4轟沈。 米軍沈没損傷艦艇記録されず。

    名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
    金剛隊
     
     
    昭和19年 12月30日 伊36   ウルシー泊地 兵71加賀屋武  
    兵71都所静世
    機54本井文弥
    上曹福本百合満
    伊36艦長 寺本巌(神戸商船)
    1月12日 03:42〜03:57 回天4基発進。 命中予想時刻に4回の爆発音聴取。有力艦4隻轟沈
    米軍 輸送艦(マザマ)1大破。 寺本巌 1945/7/24 伊予灘にて米機動部隊戦闘機機銃掃射で戦死。

    名 称 出撃年 月 日 搭載艦 態 様 攻撃方面 分 類 出撃隊員 生還隊員
    金剛隊 昭和19年 12月30日 伊53   パラオ・コッスル 兵72 久住 宏 久家 稔
    機54伊東 修 
    上曹 有森文吉
    伊53艦長 豊増清八(兵59期)
    1月12日 03:49〜03:56 回天3基発進。2基命中と認め、予想時刻 05:20と05:25 大爆発音聴取
    よって大型輸送船2隻撃沈と戦果報告。 戦車揚陸艦LST225小破?
    昭和19年 12月30日 伊58   グアム 兵72石川誠三 
    予備3工藤義彦
    2曹森  稔
    2曹三枝直二
    伊58艦長 橋本以行(兵59期)
    1月12日 03:10〜03:27 回天4基発進。 黒煙2条天に冲するを認める。特空母1。大型輸送船3撃沈。 菊水隊伊36潜で出撃(11/8)し帰還した 工藤義彦二度目の出撃で戦死。
    米軍側記録 1月12日 輸送艦1小破 揚陸艇1沈没 揚陸艦1小破
    昭和20年 1月 9日 伊48 未帰還 ウルシー泊地 兵72吉本健太郎  
    機53豊住和寿
    予備4塚本太郎
    2曹井芹勝見
    伊48艦長 当山全信(兵59期)
    伊48 連絡不能だが戦果は油槽船1,巡洋艦1,大型輸送船2轟沈と発表。
    菊水隊 伊36潜で出撃(11/8)し帰還した 吉本健太郎,豊住和寿 回天隊員2度目出撃で戦死。
    伊48潜、1月23日米護衛駆逐艦コルベシャー、コンクリ及びラビーがウルシー沖でレーダー探知。爆雷攻撃で撃沈。

    金剛隊が上申した戦果
    特空母大型輸送船輸送船巡洋艦有力艦
    1911618
    回天を15基発進し戦果は18隻?
    金剛隊の戦果とおぼしきものは、揚陸艇LCI600撃沈,輸送艦マザマ大破,揚陸艦LST255小破,輸送艦ポンタス・ロス小破 合計4隻の撃沈破でしかなかった。
    未帰還で連絡不能だった艦でも戦果を計上した。作戦用兵側がその人命浪費の責任を回避するために、虚と嘘の戦果を計上したに違いない。
    次の著者 小灘+片岡共著「特攻回天戦」に
    伊58潜で出撃した石川誠三(兵72)は「写真偵察のもっと詳しい状況が知りたかった。だいたい、敵の防御状況、港湾の状況をちっとも教えることなく出撃させることは、いささか無責任ではないか。出せばかならず戦果があがるもんだといういうふうに簡単に考えてもらいたくない。人力の尽くせるところまで尽くしてこそ、戦果があがるもんである。」
    同著で攻撃水面の事前調査は、いったいだれの責務だったのか。と疑問を投げかける。 戦史叢書潜水艦史でこのあたりのことは片言隻語書かれていない。 そんなことどうでもよい。出撃未帰還なら後から作戦参謀が勝手に戦果を計上するから、貴様ら死ねばよい! と開き直っていたのであろう。

    第六章 回天攻撃隊誇大戦果はなぜ  第八章 回天特攻戦闘海域出撃期


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