橋口 寛は敵艦との距離500mで浮上し、最高速度30ktで突入する方法を編み出したという。この方法なら回天の欠点をカバーする。約32秒後に敵艦に激突する。
ただし、回天が浮上するということは、当時の米軍の対潜能力(ソノブイ)からして母艦は確実に発見されたであろう。
よってこの攻撃法は回天隊員には受け入れられたにしても、潜水艦側に受け入れられなかったと考えられる。 回天の進行方向に潜水艦が存在することを暴露すことになり、
たちまち反撃されることは必定である。 米軍のソノブイによる撃沈はこちら。
この浮上襲撃法も回天の速度が30Ktであり、おのずと低速な輸送船相手の戦いに限定されるだろう。
* 目標艦艇追跡は相手の速度の1.5倍は必要。

実態をひとつ。沖縄戦回天多々良隊伊56潜(1945/3/31出撃)は1945年4月18日沖縄東方230Km (26-42N,130-38E)で軽空母パタン所属機のソノブイ攻撃で撃沈された。
また、伊44潜(1945/4/3出撃)は南大東島南174Km、沖縄那覇方位120.5゚,距離422Kmの洋上で護衛空母ツラギ所属機によつて撃沈された。
多々良隊出撃4潜のうち2潜が撃沈された。このように米軍の対潜作戦は緻密であった。
参考までに伊47潜は故障で内地帰還。伊58潜は沖縄西方海面に進出したが米軍の警戒厳重なため接敵できず帰還した。
回天白昼の強襲は母艦側(潜水艦の喪失)が行わなかったであろうし、泊地潜入は不可能に近く、洋上襲撃も、黎明及び月齢たのみだった。月齢がよくても
荒天であれば襲撃できなかったので、海軍首脳の皮算用とは裏腹に、戦果は望むべくもなかった。

隊員に見敵必殺の意気込みがあったとしても、天候に大きく左右される兵器を造り運用すべきではなかった。兵器は全天候、リアルタイム運用が必須助条件である。
わたしたちゃー、夜明け前の波静かで、雨も降らず、風も吹かず、あんたが油断して寝込んでいるときとしか戦争しませんのでそのつもりでお願いします。が人間魚雷回天であった。
カチカチ山の船を造る程度の海軍だったからこの程度のものであろう。貧すれば鈍するか。
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