犬の遠吠え思想だった大和搭載主砲。弾が遠くへ飛ぶことゝ命中することは別

聯合艦隊は、大艦巨砲主義の艦隊決戦を念頭において編成、整備された。 「百発百中の砲1門は、百発一中の砲百門に優る」という東郷平八郎元帥のお言葉は、 海軍大学でも確率論上で誤りであることは常識だった。 発射速度が同じであれば、第一回目の射撃で、百発百中の砲は、 敵1門を破壊し、百発一中の砲も敵 1門を破壊する。 後に残る砲は、ゼロ対99門で、百発一中の砲の側が勝つ。同じことが陸軍でもあった。 1935年(昭和10年代)に欧米の武官より連発銃装備の話が入る。 早速開発検討会が開催された。 「百発1中の連発銃より1発必中の単発銃」との結論になり未開発と決定。 ところが実際戦争に入ったら(1941年以降)米兵の連発銃に射すくめられどうにもならなくなってくる。 急遽開発検討が開始されたら思わぬ障害が壁となった。 精密工作機械を欧米に頼っていたので連発銃を多量に製造することが出来なかった。 兵全員が連発銃を携帯していた米軍と戦ったのが運の尽きだったが・・・・・。
大和主砲 specification
主砲重量;2,510トン 最大俯迎角度;+45〜−5° 旋回速度;2°/s
俯迎速度8°/s 射撃速度;約40s/発 初速;785m/s 最大射程;40,800m
弾丸重量;1,460Kg 口径;46Cm

大和主砲 specification 出典:日本海軍史 第七巻
最大射程で着弾まで90秒。その間相手が20Ktだと926m移動した。  これだけの遠距離だと、様々な要因を考え たとき命中するわけがない。 個艦だと3連装3基9個の砲弾がパラパラと落ちてくる。1分間にその程度。
射撃の手順と射撃諸元
T.射撃諸元の入手 敵艦のデータ 1.的速(速度) 2.的針(方位) 3.距離
U.射撃諸元の計算(射撃盤・露天甲板下,発令所)
V.射撃諸元を砲塔に伝達
  1. 自艦等のデータ
  @ 自速(速度) A 自艦の動揺角 B 砲弾の種類 C 装薬の種類 D 装薬の温度
  E 装薬の経年変化 F 砲齢(何発射撃したか) G 照準装置と砲塔の高さ H 照準装置と砲塔の距離
  2.外的条件
  @ 気温・湿度・風向・風速 A 当該海域の地球自転速度
艦橋頂部の測距儀・測的所のデータは、露天甲板下部主砲発令所に集められ、九八式射撃盤改一で計算され、 各砲塔に俯仰・砲旋回角情報が送られる。同時に艦橋頂部の主砲射撃指揮所に電気的伝達される。
自艦の縦揺れは標的の前後に、横揺れは標的の左右に外れる。  どれほど猛訓練しても命中弾は簡単に得られない。 戦艦クラスの砲術長は中佐クラスで40歳以上。 とんでもない兵員の 頂点に立つ。
砲塔とその操作機器は、自動装填装置、水圧式駆動装置、 照準・発射管制装置、光学式距離測定装置、自艦の揺れを電気機械式自動計算機で 判断して砲身角度と砲塔の旋回角を決める装置など、 当時の日本で造りうるハイテクノロジーのかたまりで、 精巧なものであった。これらの装置は現在のニコン(日本光学)が開発していた。 単体としての戦艦がどれほど優秀であっても、兵器系として完成されていない ものは簡単に撃沈される運命に陥り、例外は存在しなかった。 建艦当時は日本の先端技術を集積したものだったが、第二次世界大戦が始まると、欧米や独国の先端技術との格差は拡がる ばかりとなり、1940年9月、日独伊三国同盟が結ばれると米国からの工作機械やノウハウは全く入らなくなり 技術革新の停滞が始まった。 しかたなく、独国に頼らざるをえなかったが成功していない。  必勝の信念は、テクノロジーの敵ではなかったが、それに気づいた兵学校出の士官は少数派だったことだろう。
大和の主砲弾到達距離と命中させることは別問題
主砲弾丸の正確な飛距離について確実性に足りるデータがない。仮にその飛距離が40,800mとすると。 初速 785m/s だから 40,800m÷785m/s=51.97秒 単純に初速通りの弾速でも着弾までに52秒必要だ。 よって、目標が20ノットで航走中だったらその間に535mも移動する。 また、その距離で弾丸の飛翔時間は90/s必要(空気抵抗で速度が低下する)だったというデータもあるのでそれだと 目標は ≒ 926m移動してしまう。 さらに、砲弾飛翔中の大気温・湿度、風速・風向。砲弾重量のバラツキ。 装薬の経年変化による燃焼速度の遅速、自艦の速度・針路・上下左右の動揺。標的の速度・針路などを勘案したとき砲弾命中はこの距離だと奇跡に近くなる。 弾着が目標の左右の場合には着弾誤差はわかりやすいと考えられるが、前後の場合の 艦橋からのメートル単位の誤差判別は不可能に近いだろう。よってその着弾観測のための水上偵察機を大和では 8機搭載していた。 だが、この水偵での目標上空の観測も昼間に限られ、 敵は高角砲で水偵撃墜を目論むだろうし、艦隊決戦を行う相手も水偵を搭載しているはずだから、 戦闘海域上空でのほほんと着弾観測できるものでもない。 Imperial Navy は 敗戦まで航空機搭載無線電話は安定性・故障・保守などの面から実用に耐えるものとは云えず、 観測機によるリアルタイム射撃管制は絵に描いた餅であった。結論は、戦術的攻撃兵器は有効性を 支援する周辺機材も同程度の進化をしないと、単なる戦略的値打ちだけとなる。
1944年10月25日サーマル沖海戦で砲撃を受ける米護衛空母。この海戦で大和は主砲弾104発撃ったと いうが一発の命中弾もない。誰が考えても標的の左右移動は射撃調定が簡単だろうけど、反航,同航で 自艦との軸芯が数度違うと30秒後の標的に命中させることは至難の技だろう。
素人判断だが、ソロモン海で戦われたサボ島沖海戦のように半径5Km程度の戦いが砲撃戦での有効圏内だろう。
【戦艦金剛は命中させたか?】

戦艦大和レイテ沖海戦(1944年10月24〜26日)発射弾数
 10月24日10月25日10月26日
主砲対空弾31 2414  69
徹甲弾 0 1004  104
副砲対空弾102 17484  360
徹甲弾 0 1270  127
133425102  660
10月25日、大和対艦初弾発射距離 37Km
軍艦大和戦闘詳報(捷一号作戦)

護衛空母ガンビア・ベイ撃沈は、戦艦金剛・重巡利根・筑摩の砲撃による。駆逐艦4隻、その他損傷艦も8″(20cm)砲弾以上の記録はない。 少なくとも、近接しなければ砲弾は命中しない。 大和はこの戦いで戦死33人、重傷18人、軽傷77人を数えた。 逆に目標が大きかったから中口径砲弾1発を喰らっている。
それでも、多くの乗組員は砲術長の「命中、火災!」の声を聞いたと述べている。
設備=大艦巨砲ですごい。
人=猛訓練で最高。
着弾精度=非常にバラツキ。
着弾修正方法(艦橋目視)=前後の場合ほとんど不可能。
  〃   (水偵上空観測)=高角砲 Or 敵機の餌食と昼間だけ。 荒天だと水偵の発進も不可能(射出はある程度可能だが着水が出来ない)。  夜間戦。水偵観測機は吊光弾投下用に使われている。
水偵機着弾観測OK=観測機と艦上間のリアルタイム通信方法確立が必須。 電信のモールス信号を聴取し即砲術長が指示できないだろう。  また、無線機は非常によく故障している。
当時の無線電話=敗戦までことにならなかった。
二座航空機には短波・中波切換式の「九六式空2号無線電信機改1」と 三座用「九六式空3号無線電信機改2」が使われいる。また、単座航空機同士(隊内用)の無線電話として 「18試空1号無線電話機」を制式化した「三式1号無線電話機(重量30Kg)」があったが、 ノイズが多くほとんど聴取不可能で取り外すパイロットもいた。 航空機同士の連絡は「指合図」が確実だったと 証言するパイロットもいる。 こんな無線電信機や電話機の不満を空母の飛行長や航空参謀は、 どのように聞いて処置したのか史料を探したが見つけられなかった。 航空兵は予科練や甲飛・乙飛の 兵曹であり、兵学校出の幹部はテク音痴と重なって聞く耳持たなかったのであろう。
当時の海軍は無線通信を極度に嫌った。敵に居場所を知らせることになる。という理由だった。 居場所を知られないに越したことはないが、1944年以降、米潜水艦は複数で日本の輸送船団を 襲撃したが、攻撃体制に入ると相互確認のため無線通信をしまくった。護衛艦艇はその無線を聴取し 右往左往する内に輸送船は撃沈され、最後に魚雷が余っていると護衛艦もとどめを刺された。
「戦時輸送船団史」に詳しいのでご一読を!
通常電波の到達範囲は距離の二乗に反比例して減衰する。 波長の短いVHF,UHFなど大気中の水滴などに 吸収され到達距離は知れていた。
複座用として戦前開発された「九八式空4号隊内無線機(多座機・通信距離37Km・重量40Kg)」と 「一式空3号(2〜3座・超短波・通信距離9Km・重量18Kg)」が敗戦まで一貫して使われている。「一式空3号」の通信距離から判断して、 現在の携帯アマチュア無線機出力で1W程度である。この機種だと現在では手のひらに入ってしまう。
戦艦同士の砲撃戦で戦局が変わる事案=発生しなかった。  第三次ソロモン海戦(1942/11/14・戦艦霧島対米船艦ワシントン・サウスダコタ)で似た場面は発生したが、今時大戦を決定付けた戦いではなかった。
兵器系はシステムであり、その一つが欠けても成り立たない。 このように整理したとき、 当時の Imperial Navy はどんな自己分析をし、この巨艦と巨砲にどのような期待を込めて 建艦したのか、さっぱりわからなくなる。
だから大和の乗組員が死にもの狂いで猛訓練を実施しようが、同一地点においても天候・気象は365日、1 日たりとも同一条件は存在しないし、ましてや戦闘は昼間の天気晴朗波穏やかな時に行われるものでもない。 このようなことを考えたとき、大艦巨砲による艦隊決戦など実際も起こらなかったし、建艦当時の状況はすでに 空母艦載機による打撃力に転換されつつあった。
艦長
砲術長
副砲長砲術士
高射長掌砲長
  戦艦の砲術長(大和最後の砲術長:黒田吉郎中佐)のステータスは高く、武人として多くの兵員の頂点に立っていた。 レーダーの発達は的針,距離を瞬時に割り出すことが出来る。
すなわち職人芸で支えられた仕組みは 全く不要となってしまう。 当然彼らは電探普及の抵抗勢力であったことであろう。と同時に国産電探の性能不良が、 その性能向上を図ろうとしている者への抵抗勢力でもあった。
兵科士官の主導権は幕末にさかのぼる。

打撃力について 石剣=腕の延長+剣身の長さ
石槍=腕の延長+槍の柄の長さ
火縄銃の有効射程 100m程度
◆ 知られている輸入銃器の最大射程
 三ツバンドミニエー(各国・国別により諸元差異) 820m
 スペンサー(米・連発銃) 900m
 シャスポー(仏・ボルトアクション式) 1,200m
 エンフィールド(英・前装式施条銃) 1,300m
 スナイドル(英・後装式金属薬莢) 1,400m
銃器の進歩は、その命中精度と射程の伸延であった。 砲弾からミサイルへの転換も例外ではない。
大艦巨砲は当然の帰結 艦載砲と陸軍重砲
大砲の種類
口径 cm砲弾重量平均的射程 km
艦載砲 14インチ砲 36   600
 30
15インチ砲 38   700
 35
16インチ砲 40   900
 35
18インチ砲 46  1,200
 40
陸軍砲 10cm榴弾砲 10   16
 11
10cm加農砲 10   16
 18
15cm榴弾砲 15   31
 12
15cm加農砲 15   50
 27
24cm榴弾砲 24  190
 26
陸軍の大砲と比べると艦載砲の性能は子供と大人以上の開きがある。
戦艦大和主砲最大射程 41,000m(東京タワーから横浜京浜急行追浜駅先程度)
当時の九七艦攻 行動半径 270浬(500Km) 巡航速度135Kt(250Km)。 東京タワーから関空まで433Km
それでも航空機と比較すると戦艦大和の攻撃範囲は小さなものでしかなかった。
用兵関係者も建艦関係者も砲弾を遠くまで飛ばし、敵に痛打を与えうるとの希望的観測 の下に、巨大戦艦を建造した。 その論拠は、 歴史的に敵に対する決定的打撃力を得るために、 腕の伸延をどこまで延長(遠隔)できるかであった。 巨砲もこの範疇から逃れられない。よって、巨砲を搭載するため巨大艦となっただけである。 だが、それが実用的だった訳ではないし、現実に戦った太平洋戦争で展開された戦闘は、関係者(乗組員)の 努力に反し、建艦の趣旨から大きく異なったものだった。
Imperial Navy は日露戦争の大勝利から全く学んでいない。この海戦の勝敗を決した要因は、 近接戦と、水雷戦隊の活躍と、敢闘精神(ガッツ)だった。 
そして、子供のチャンバラのように「及び腰」で 腕を思い切り一杯延ばして、相手を小突く程度の戦いに終始したミッドウェイ海戦の南雲忠一(司令長官)や 草鹿参謀長,源田飛行長(常に大物たれたけど)にみられるようにまるで "ガッツ" がなかった。 戦争終盤レイテ・サーマル 沖海戦の第二艦隊司令長官栗田健男,参謀長小柳富次らは、日本海海戦での水雷戦隊活用さえ学ばず、 接敵の最大チャンスに駆逐艦後にさがれ!と命令した。駆逐艦の最大戦速33kt(61km/Hr)なら アッという間に接近し米艦に痛打を与えたはずだ。 その後もまるでガッツがない。 第二戦隊司令官西村祥治(スリガオ海峡で潰滅)の爪の垢(ガッツだらけの猪突猛進・または蛮勇)を10倍程度濃縮して飲ませてやりたい位いだ。  聯合艦隊参謀長草鹿龍之介は、またどうして西村艦隊と志摩清英艦隊(第五艦隊・通称志摩艦隊)と同一行動をとらせなかったのか??。 公刊戦史 「海軍捷号作戦」を何回読み直しても判然としない。
そこには、防空,防御,守りなど忘れた帝国海軍でもあった。

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