エレクトロニクスで完敗した海軍 海軍の製作した電探 (レーダー)

1942年6月5日ミッドウェイ海戦大敗北のその日遙か後方を進んでいた第一艦隊は、第一機動部隊救援に増速した。 最大の敵はこの海面に発生した濃霧だった。 衝突防止のためあらゆる灯火を点灯し航行した。 それでも猛烈な濃霧で艦位を失ったと伝えられている。 この艦隊の戦艦伊勢と日向には電探(レーダー)が取り付けてあった。 日向は帰還後、電探の有効性を進言したが誰も興味や対応を示さなかった。
結局帝国海軍は対米戦でエレクトロニクス(電探・無線電話・射撃管制レーダー)に完敗したが、 工業技術とその周辺工業も未発達だったことを差し引いても、用兵側がその必要性を強く認識し、要望しなかったことが大きかったのではなかろうか。 とかく勇ましい言葉遊びに興じ、先端技術に盲目だったと断ぜざるを得ない。 その証拠に海軍が電測(レーダー測定技術習得)学校を開設したのは敗戦11カ月前の1944年9月1日なのだから。

RADAR (Radio Detection and Ranging)
米海軍: Radio Detection and Ranging
米陸軍: Radio Point Fainder
日海軍: 電波探信儀
日陸軍: 電波警戒機(索敵用)
 〃  : 電波標定機(測的用)
通常電波の到達範囲は距離の二乗に反比例して減衰する。よって大出力の電探は越えなければならない 壁(高出力管)が存在した。
レーダーは無線通信やテレビ受信機と違って、電波が往復するから、 アンテナの指向性の鋭さが2倍になる。 よって、受信電力は距離の四乗に反比例する。 そこで、探知距離を、50%伸ばすには5倍の送信出力が必要となる。 GL(グラント・レベル,地平)から照射すると目標高度がおよそ 3,000m 以下では地球の丸みの陰になって、 いくら出力を増やしても捕捉不可能である。 哨戒電探はこれらの理由で200Kmあたりが限度。 沖縄水上特攻の戦艦大和が距離100Kmで敵機を捉えているので 性能的にはそこそこであった。
更に受信装置。表示装置も同じように安定性と視認性が必須条件だった。
最後まで、全周囲撮像管(PPIスコープ)の実戦使用はならなかった。 PPIスコープの研究開発はNHKが担当した。
戦争後半には、搭載電探の相次ぐ故障と能力不足、 容積重量過大など用兵側の不満は、彼らの精神風土(攻撃兵器重視)から 軽視され続けた。
レーダーに関して 彼らは望遠鏡に毛が生えた 程度という認識が最後まで抜けなかった。

1.電探開発にあたった民間人を軍艦に乗せなかった。 製造にたずさわった者が戦場の使用状態を認識できず、 脆弱な部品で安定した環境で試作製造した代物を軍艦に搭載したことが故障多発の原因となった。
 ・・ 特定部品故障などの不具合も改善されず、設計変更や規格の変更は行われていない。 ・・
 ・・ 真空管の陽極は震動に弱く、大型艦では最低限同一型式の電探を2基設置した。・・
 ・・ 最後まで航海用にのみ使う電探は開発されなかった。 海軍当局が電探の用法に気付かなかったからだ。・・

2.あまりにも、完璧主義・純粋主義に陥っていた Imperial Navy は、 自己のみで先端兵器の電探を製造しようとした。 産・学の頭脳を結集する努力を怠った。
3.作戦主導軍令部や、用兵TOPの艦隊司令長官などが、電子兵器に対する位置づけと認識不足があった。  米第五艦隊を率いたスプールアンスはレーダーの有効性を認識し、それを戦術にキチント取り入れた。
 ・・ 航海科・砲術科の連中はレーダー電波の照射(発信)は敵に発見されるとして禁止した。・・

陸上用 対空用見張り電探(レーダー)
区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
二式1号1型S17.1(18.7)陸上対空見張り固定式実戦編隊250 単機130
1号2型(19.4)  〃 移動式  〃編隊100 単機50
1号1型の量産型30基が南方要地に設置されたが、酷暑対処機能を欠き、故障や欠陥が相次ぎ所期の性能を発揮し得なかった。波長は3m。1号2型は、波長を1.5mに短縮すると共に送信機,空中線(アンテナ)を小型化し、全装置を牽引車に搭載し移動式にした。

艦船用 陸上,水上,対空見張り電探(レーダー)
区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
三式1号3型S18.10(18.3)陸上・艦船・潜水艦,可搬式対空実戦編隊100 単機50
1号4型S20.5 陸上超遠距離 固定式,対空見張実戦編隊500 単機250
1号3型対空警戒レーダーの波長は2m。探知性能は編隊に対し100Km以上で指示機目盛りは150Km。押しボタンにより150〜300Kmの探知が可能で、 敵機のIFF(敵味方識別装置)に反応したので敵の信号を利用した遠距離探知も可能であった。必要時に平均して96%の稼動が可能であった。なお本機の空中線(アンテナ)の艦船短波櫓を利用する方式が完成したのは昭和19年(1944)に入ってからである。
1号4型 波長6m。出力100KW。B-29 の編隊を500Km先から捉えることが出来たが、製造は5基のみであった。

艦船用 対空用見張り電探(レーダー)
区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
二式2号1型S17.3(18.5)対空見張り固定式実戦編隊100 単機7
仮称2号2型S17.5(20.5)艦船・潜水艦兼射撃 〃戦艦35 駆逐艦17
  • 2号1型は昭和17年(1942)5月戦艦伊勢に実装実験が行われた。航空機単機探知55Km。戦艦日向に対して20Kmで探知した。伊勢の実験結果により本機種を対空見張用として戦艦と空母に配備。測距塔(艦橋TOP)に装備し塔の旋回を利用して捜索探信を行った。 ブラウン管直径 105mm を使用。精度誤差は800〜1000m程度実測と遠く表示した。昭和17年(1942)10月28日周防灘で日向に対する偏弾射撃を行ったが、初弾発砲の衝撃で探信儀が破損。その後改良が加えられた。
  • 2号1型対空レーダーはほとんど問題を起さなかったが200MHzにおける受信感度の低さから 満足できる動作はできなかった。
  • 2号2型レーダーは滅多に動作させていなかったが、その機能維持には困難が伴い、必要時の稼働率は50%程度であった。
  • 2号2型装備時は動作不安定であったが昭和19年(1944)年1月にオートダイン方式受信機完成し、 量産型2号2型改四(四度目の改良)を同年3月量産型として緊急生産に入った。その頃鉱石検波方式のスーパーヘテロダイン方式(電波から特定周波数の情報を選択的に取り出す技法)受信機が完成し受信安定化が結実。それまではラッパ状の送信用,受信用の導波管が必要だったが昭和20年(1945)に入ると1本導波管方式が完成した。
    1号3型対空警戒レーダーアンテナ問題と2号2型レーダーの改良・改善とも戦況の切迫時に完成されたが、 その両者の情報を照合する有効な手段はなかった。 装置からのデータは射撃指揮所、艦橋、砲塔に伝声管または艦内電話で伝達された。
  • 第二水雷戦隊司令部 天1号作戦戦闘詳報
    矢矧2号2型電探は次の欠陥あり。
    (a)探知能力小 駆逐艦に比し約3分の2。
    (b)探信確度不安定。
    (c)前方左右30度宛探信死角。
    (d)騒音大にして艦橋戦闘指揮を妨ぐ。
    矢矧は天一号作戦出動が決定した段階で連合艦隊にその整備を依頼し連合艦隊はそれを受入れたが、 整備する艦政本部は整備せず。との連絡により呉工廠で現状改善策を実施することに決したが、 これも出撃期日が迫ったことで未施工で出撃している。
    現場がこの時期(昭和20年)に対空レーダーの必要性を感じたのであろう。ところがこの時期すでにこれらの整備を行う能力を艦政本部は喪失していた。
    矢矧の2号2型電探は時期的に改四と思われる。この型は一等多く装備されたが、性能について大きなバラツキがあった。騒音大とあるが、今となってはその騒音源が何か分からない。真空管冷却ファンの騒音か?

    水上射撃用電探(レーダー)
    区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
    三式2号3型S18.12(19.3)艦船用水上射撃未使用駆逐艦13
    3号1型(20.3)    〃 実用準備中戦艦35
    3号2型(19.9)    〃 実用準備中戦艦36
    3号3型(20.1)    〃 実用準備中駆逐艦12
    二号三型 本機はドイツ「ウルップルグ」の系統をひくUHF波利用(波長58Cm) のパラボラアンテナを使用し、回転ダイボールで精密測角をする方式で、従来の方式に比し幾多の特長を持った新鋭機で、練習艇一号に装備しての実験結果も良好であったが、残念ながら昭和十九年七月の完成時には、すでに戦機を失し、艦隊はリンガ方面に集結中のため生産・装備をあきらめざるを得ないことになった。

    陸上射撃用電探(レーダー)
    区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
      4号1型S18.7(18.8)陸上対空射撃実戦編隊40 単機20
    4号2型S19.2(19.10)   〃 実戦編隊40 単機20
    4号3型(19.9) 陸上探照灯制御実戦編隊30 単機20

  • 4号1型はフィリピンで海軍が鹵獲した米軍SCR-268型を手本として設計製作された。波長1.55m,送信出力20〜2.5Kw,等感度受信方式。 性能は、高度3,000mの水上偵察機単機に対し、確実測定精度23m、距離±100m、方位角±1度, 15度以上の高角における高角測定精度0.5度程度であった。全部で60基製造された。その重量は5トンを超え艦船に搭載できる代物ではなかった。
  • 4号2型はシンガポールで鹵獲した英軍SLC装置(サーチライト・コントロール)の全模倣品で、 その後2型改2として1944年10月に設置が試みられたが、実際に設置されたものは数十基にとどまった。
  • 4号3型にも改2がある。この改善型は当初所期の性能を発揮したが、敵はチャフ(Chaff・四分の一波長に切断したアルミ箔)を投下し、更に同一波長の電波妨害を行い測距儀も欺瞞され、対空射撃は無力化された。 この点に関しても敵が一枚も二枚も上であった。

  • 航空機用暗視装置
    区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
      5号1型 大型機用未使用PPI 20
    海軍のレーダーディスプレイは円形105mmのオシロスコープだったが、この暗視装置には円形PPIスコープを使おうした。このPPIは開発はNHKが担当した。海軍は電探の黎明期からその開発に冷淡であった。 自己より電波を発信することは奇襲を基調とする海上作戦において自己位置を敵に暴露するので不適切であり、ノクトビジョン(暗視装置)の研究こそはるかに重要である。とした。太平洋戦争の歴史は暗視装置を否定し、 戦いが熾烈になると共に電探が発展し今日でもその有用性は揺るぎないものになっている。

    対空高度測定電探(レーダー)
    区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
      6号1型(20.4)敵高度・位置測定実用準備中単機130
    6号2型(20.4)   〃 実用準備中単機100
    6号3型     〃 実用準備中単機160

    航空機用電探(レーダー)
    区分名称採用(完成)用途態様有効距離 Km
    三式 空 6号 S18.5 艦船・航空機・陸上実戦船団100 飛行機70
    仮称四式 空 6号4型    〃 実用準備中 〃 三式6号小型化
    一八試 空    6号4型S19.8 夜間戦闘機接敵用実戦飛行機3
    -- 航空機用無線機について --
    二座航空機には短波・中波切換式の「九六式空2号無線電信機改1」と三座用 「九六式空3号無線電信機改2」が使われいる。また、単座航空機同士(隊内用)の無線電話として「18試空1号無線電話機」を制式化した「三式1号無線電話機(重量30Kg)」があったが、ノイズが多くほとんど聴取不可能で取り外すパイロットもいた。  航空機同士の連絡は「指合図」が確実だったと証言するパイロットもいる。
    すなわち、無線機だけでなく、機体を含めてノイズ防止を考える必要があった。 航空機にはダイナモ(発電機)や点火栓(スパークプラグ)なども 付いている。
    現場はVHF隊内無線電話機を熱望した。結局敗戦まで実用域に達しなかった。
    日向に設置されていた二号一型電探のアンテナ二号二型 対海上艦艇見張用レーダー
    左、呉で破壊された戦艦日向に設置されていた2号1型電探のアンテナ(艦橋最上部格子状アンテナ)。  右、海防艦など、対潜水艦発見用の2号2型電探のアンテナ。後、アンテナラッパは1本にされた。 有効距離:戦艦37Km、駆逐艦17Km。当初送受別々の2ラッパ方式であったが後1本に改良された。
    1945年に入ると急速に設置された2号2型電探。海防艦は対潜水艦対策が必須となったので 急速に装備された。
    対空見張り用2号1型の網目アンテナは見えない。
    防御兵器として操作員まで差別された、25mm口径の対空機銃(単装〜三連装)が各艦艇でも増設された。
    なお、この画像の解像度では三式1号3型が搭載されているか判然としない。
    レーダー開発小史
    艦船対空用レーダー
    1942年2月,4月下旬に占領したシンガポールとマニラで英・米の射撃用レーダーを鹵獲した。 電波関係技術者は八木アンテナが使われていることにビックリする。
    それまで、電波発射兵器の研究中止などの措置が解かれ海技研の連中が完成させたのが、
    艦船用、二式2号1型の艦船見張用レーダー(メートル波75cm〜4m)であるが、 故障・不具合が多く改良型の完成は1943年5月となった。 撮像管はオシロスコープである。
    艦船見張り用水上レーダー
    仮称2号2型。ラッパ管レーダーである。マイクロ波(9〜12cm)を使ったものだが、受信部の性能改善が 進まず(鉱石検波器が過入力に弱いと言う思い込み)小型艦艇の必須アイテムだったが真の意味で実用の域に達しなかった。 安定性・装備の不良・調整・取扱の困難・操作員の未熟などで実績が上がらなかった。その要因として、
    1.用兵側の無理解(守りの兵器) 卑怯者の使う兵器とまで蔑んだ。
    2.製造者側は、艦船の過酷な環境を経験せず机上での製造にならざるを得なかった。
    3.真空管やコンデンサー、抵抗器などの不均一と資材の欠乏で壁にぶち当たった。
    4.真空管の耐性が備わっていなかった。大型砲の発射衝撃で使い物にならなかった。 真空管の命数に非常に大きなバラツキが存在した。

    射撃用レーダー
    射撃用4号1型は、海軍がフィリピンで鹵獲した米軍使用のCR268型を手本として設計製作された。 波長1.5m,送信出力2.5kw,等感度受信方式を用い高度3,000mの単機に対し確実測定距離23m、測定精度は 距離において±100m,方位角±1°,15度以上の高角測定精度は0.5°程度だった。 1943年8月に完成し、60基製造された。
    艦船用、三式2号3型。二式2号1型の改良版。本来この型番は見張り用水上レーダーであったが 波長を58cmの極超短波(UHF)を使用し対空射撃用としたが未使用に終わった。
    4号2型改2が最終改良型で、終戦間際に完成し製造は十数基にとどまった。

    探照灯制御レーダー
    シンガポールで入手した英軍SLC装置の模倣品。 部品精度不良で初期の目的に達しなかった。

    航空機用レーダー
    三式「空六号」機上電探(レーダー) 別名「H−6」,波長2m 出力6KW 重量150Kg。 昭和18年(1943)5月から波長2mを採用し本格的実用化に入った。複座機天山,一式陸攻・銀河や 大型飛行艇に搭載されたそれなりの安定性を保っていた。
    「戦史叢書海軍捷号作戦<1>」によると最小有効距離3Km 重量110Kg で、目標捕捉も使用機の三割程度にとどまっている。目標反射波の表示が最大感度方式であり、かつ波長が2mであったからそれなりの限度があった。
    一八式空6号4型。夜間戦闘機用月光に搭載された。 無いよりはまし程度の電探だった。

    その他の電波兵器
    電波高度計1型。 夜間雷撃の必要から1944年9月から実用に入った。パイロットの 錬度、空母機動部隊の壊滅などで活躍の場が無くなっていた。
    レーダーの発展は、航空機に対して敵味方を識別する必要に迫られたが、 模倣国家日本はドイツの技術に頼ろうとしたが、訪独潜水艦作戦の頓挫。自主開発に入ったが試作品までであつた。
    海軍の陸上地上基地で米軍のIFF装置は実観察されていた。電波照射すると応答波を発するのは米機。無応答は味方機。


    2号1型VHF電波,波長2mについて
    現在アマチュア無線で使用できる周波数に144.00MHz帯がある。これを、通称2メータと呼んでる。 これは波長の長さのことで、光や電波が空気中を進む速度は30万Kmだから、 計算式は、30万Km÷144MHzで2.08mとなる。整数をとって2m(メーター)と呼称している。
    Hz(ヘルツ) というのは1秒間に電波の波が何回振動するかを表す単位で「ヘルツ」と読む。 144MHzは1秒間に14400万回振動する波のことを示すので、その波長を求める式は、 300,000,000 [m] ÷ 144,000,000 = 2.08 [m] という計算になる。
    レーダーについて素人の筆者よりこの方のWebをご参照。
    レーダーについて懇切丁寧で分かりやすい。
    電測兵だった方の海軍レーダー 徒然草はこちら
    電波も光も直進性である。よって地球の丸みの影響で、遙か彼方の水上艦艇は探知できない。 すなわちいくら電波を照射しても相手の水上艦艇は気づかない。
    水平線の求め方
    1=√(R+x)2−R2

    数値(R=6400・地球の半径、 X=0.0015・目の高さ1.5m )を代入してL1=4.38Km
    眼高15mで44km先が見える。 これは条件のよいときの視認距離。 暗夜・荒天など電波の眼は関係なしに有効。  兵学校のバカたちはそのことさえ気づいていない。 暗夜で猛烈なスコールのスリガオ海峡。西村艦隊のよたよた損傷艦最上に、後から進撃した志摩艦隊の那智が衝突した。 これもレーダーが 活用できなかったことによる。


    無線電話など通信機器(含む電探,電波探知機)を担った民間企業
    東京芝浦通信工業,同真空管研究所,日本無線,住友通信工業,日立製作所,東洋通信,安立電気
    富士通信,沖電気,東京芝浦電気,三菱電機,富士電気,NHKなど。
    NHKはPPIスコープを担当した。 その多くが、社名は変わったが現在も続いている。
    [technology] 内の各 htm ファイル
    沖縄突入艦から除かれていた対空駆逐艦秋月型 specification,矢矧など   旧 Imperial Navy のバカどもが最終的に行き着いたコンクリート船   巨象は虚像だったImperial Navy   マリアナ沖海戦真の敗因 (日本海軍に存在した防御軽視の大弊害)   伊52 模倣国家日本の縮図   期待と結果が無惨に食いちがった戦闘の経過   マリアナ沖海戦参加艦艇   レーダーを取り外して惨敗したバカども。   水から航空ガソリンが出来ると信じたバカ。   電探の重要性を帝国海軍軍令部が真から気づいたとき   艦上攻撃機天山 ・ 艦上爆撃機 彗星   犬の遠吠え思想だった大和搭載主砲

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