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| 本表掲示の艦隊編成は「戦史叢書 マリアナ沖海戦」頁190と頁355,頁370を参考にして作成した。 |
| 昭和19年2月24日から5日間トラック島は米艦載機の空爆により在泊艦船及び陸上基地は破壊され絶対国防圏の一角が崩れ去ろうとしていた。 新鋭機彗星は岩国航空基地で錬成訓練を開始したがガソリン枯渇により搭乗員の訓練もままならなかつた。誰の目にも米軍の矛先はマリアナ諸島に向かうと察せられた。 ところが米潜水艦の跳梁により南方からの資源還送は絶望的情況となり内地の缶用重油も枯渇し動きが取れなくなつた。南方進出のために犬猿の仲である陸軍に泣きついた。 提供を受けた油は9万トン。 一方マリアナ島在第一航空艦隊にも新規に航空燃料が届かず、在庫を食い延ばす方法がとられ、結局偵察・哨戒などの手抜きが行われた。 |
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► 第一機動艦隊が1944年5月10日に内地からタウイタウイ泊地に進出するだけでも重油が 138,000トン
必要だったが、この時点で海軍は進出艦隊に補給する燃料 90,000 トンが不足した。 燃料について陸軍と折衝し、結果陸軍の大乗的**譲歩により頁岩油(oil shaleの一種;当時中国で産出) 100,000トンの提供(戦史叢書「マリアナ沖海戦」頁368下段)を受け急場を凌いだ。 マリアナ沖海戦全体では35万キロリットルの重油が消費されたと伝えられている。 米軍の怒濤の進撃を止める意味で絶対国防圏を設定し中部太平洋に戦機が熟しつつあった。 海軍は艦上爆撃機彗星と艦上攻撃機天山をリリースし岩国航空隊で錬成を行っていたが、ガソリンが目に見えて不足を来すようになつた。 同じく、艦艇に使用する缶用(ボイラー用)重油も枯渇した。 そこで、急遽ボルネオ島東岸沖のタウイタウイに進出し機動部隊にたっぷり燃料を補給し離着艦訓練に励む目算で進出することに決定した。 マリアナ沖海戦参加艦艇の泊地となった、タウイタウイの西、 ボルネオ島西岸にはブルネイ、東岸にはミリ・セリア油田、ルトン製油所などがあったが、 海軍が占領管理した地域はボルネオ島東側であった。 ![]() パラフィン基原油、ナフテン基原油、. 中間基原油、芳香族基原油 などがある。 蘭印(旧宗主国・オランダ)の原油は芳香族基原油である。現在の石油化学に使える軽質油(ガソリン・ケロシン)性状を多く有する。 よって、潤滑油は良質なものが取れない。硫黄分は少なく、 一時期電力会社が直燃(無精製)していた。特にタラカン原油は精製しても残留分が50%を越えてしまう。 前述したように、海軍は艦隊行動もままならないほど缶用重油の枯渇に苦しんでいた。 タラカン原油は缶用には直燃できたのでそのまま使ったものと思える。 タウイタウイは燃料の補給には好都合な位置だったが、泊地から訓練に出かけることは出来なかった。 米潜が幾重にも網を張っていた。潜水艦狩り向かった駆逐艦は次々に雷撃され沈没した。 結局新鋭機彗星・天山も離着艦訓練は全く出来なかった。 * 1944年6月6日、23:45 駆逐艦「水無月」タウイタウイ(セレベス海)南方で浮上米潜を発見。撃沈される。 * 1944年6月7日、12:30 駆逐艦「早波」タウイタウイ南方で対潜掃蕩中雷撃を受け轟沈 生存者45人。 * 1944年6月8日、駆逐艦「風雲」ダバオ湾口(ミンダナオ島)で米潜の雷撃を受け沈没。 * 1944年6月9日、22:25 駆逐艦「谷風」 タウイタウイ沖で敵潜2回の雷撃を受け轟沈 生存者126人。 注) 駆逐艦は艦隊漸減戦闘における魚雷戦の訓練を積んでいたが対潜水艦攻撃などの教本さえなく訓練を行ったこともなかった。 * タラカン原油は缶用重油の代替品となりえた。 缶用燃料だけでなく、発電機ディーゼル機関もあったから現在のA重油やB重油相当も必要だったはずである。 戦史に表れないが、各種良質な潤滑油も欠乏し機器焼損などの不具合が多発したものと考えられる。 ![]() 海軍国外精製施設占領地の燃料敞はこちら。 |
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** 大乗は本来仏教用語。大きな船に乗る意。 この場合陸海両軍は米国と戦争しており、その目的達成のため陸軍が燃料を割譲したことを指している。
企画院という国内物資を統べる役所があったが、陸海軍共、まともに手持ち資源量を報告しなかった。 国内資源保有量で、国と陸軍と海軍。軍で海軍と陸軍が戦争していた。 その手空きの時間に米国と戦争をしていたようになってしまう。 第二次世界大戦が物的資源の大消費戦争だったが、日本ではその資源をどの程度保有していたのか誰も知らなかった。 * 国民がその当たりの真相を知ったのは、戦争に敗れ、GHQよる調査報告書によらざるを得なかった。 * 南方資源の還送輸送船護衛を考慮しなかった付けがこの海戦で露呈した。 米潜水艦作戦によって、燃料は極度に逼迫した。石油の欠乏は戦略決定に制限を与え、作戦も限定的な制約を受けるようになってしまった。 軍艦には多種多様な潤滑油が必要だったはずだ。 1944年(昭和19年)ミナス油田が発見されたが、搬出のためのパイプライン敷設で敗戦をむかえている。 大戦後、ミナス原油は新生インドネシアの復興に寄与する。 ![]() |
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【マリアナ沖海戦艦隊編成】 西部太平洋の地図はこちら
主隊(GF)−−+−−大淀*1(軽巡) 聯合艦隊旗艦(全般作戦指揮)柱島在泊 第1機動艦隊−−+−本隊・第3艦隊−第1航空戦隊(甲部隊) 大鳳・翔鶴・瑞鶴(空母3) | | | | | +−−《附属》第601航空隊 | | | +−−第10戦隊 矢矧(軽巡) | | | | | +−−第10駆逐隊(秋雲・風雲・朝雲) | | | | | +−−第17駆逐隊(浦風・磯風・谷風・濱風(欠)・雪風) | | | | | +−−第61駆逐隊(秋月・初月・若月・涼月) | | | | | +−−《附》駆逐艦 霜月・五月雨 | | | +−−第2航空戦隊(乙部隊) 隼鷹・飛鷹・龍鳳(空母3) | | | +−−《附属》第652航空隊 | | | +−−戦艦長門・重巡最上 | | | +−第4駆逐隊(野分・山雲・満潮) | | | +−第27駆逐隊(時雨) | | | +−《附属》浜風・早霜・秋霜 | +−前衛・第2艦隊−+−−第1戦隊 長門・大和・武蔵(戦艦3,長門欠) | | | +−−第3戦隊 金剛・榛名(戦艦2) | | | +−−第5戦隊 妙高・羽黒(重巡2) | | | +−−第4戦隊 愛宕・高雄・摩耶・鳥海(重巡4) | | | +−−第7戦隊 熊野・鈴谷・利根・筑摩(重巡4) | | | +−−第2水雷戦隊 能代 | | | | | +−第27駆逐隊(春雨*3・五月雨・白露・時雨) | | | | | +−第31駆逐隊(長波・朝霜・岸波・沖波) | | | | | +−第32駆逐隊(玉波・早波・濱風・藤波) | | | | | +《附》島風 | | | +−−第3航空戦隊 千歳・千代田・瑞鳳(空母3) | | | +−《附属》第653航空隊 | +−−第1補給部隊 給油船4(日榮・建川*4・日邦・あづさ) | +−−第2補給部隊 給油船3(國洋・玄洋・清洋*5) 白露,清洋と衝突。白露*6沈没 | +−−第3補給部隊 給油船3(特務艦洲崎・雄鳳・興川) | +−−第4補給部隊 給油船(その他の補給艦) 司令長官・司令官・司令・各艦長はこちら |
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Imperial Navy 伝統の第1艦隊(戦艦中心)を廃止し空母部隊(第3艦隊)と戦艦・重巡部隊(第2艦隊)に
改組。航空兵力を中心にした第1機動艦隊を創設した。 今まで、Imperial Fleet の重鎮だった
戦艦大和,武蔵も空母部隊護衛*の役割が与えられた。 持てる全てをこの海戦に掛けた。
空母9隻,搭載機数439機。戦艦5,重巡11,軽巡3,駆逐艦28隻。 輸送艦・油槽船を含めた総参加艦艇77。 航空機もこれまでの零戦一一型・九九艦爆・九七艦攻に替わる零戦五二型・彗星艦爆・天山艦攻の新鋭機が投入された。 名機零戦のヒッチャカメッチャカ武装はこちら * 戦艦主役の座を滑り落とすこともならず、第3艦隊を前衛にしている。砲術科連中のガス抜きであろう。 * この体制で始めて聯合艦隊司令長官が軍艦に乗って動き回る弊害に気づく。 ► 第3艦隊指揮は第1機動艦隊司令長官兼務。第2艦隊栗田健男司令長官。 第1補給部隊護衛艦, 濱風 第2補給部隊護衛艦 秋霜・早霜 海防艦 速吸, 第3補給部隊 三水戦駆逐艦1,海防艦1,第4補給部隊 海防艦1が護衛に 当たっている。[戦史叢書 マリアナ沖海戦 P370] |
| マリアナ沖海戦 日米戦力比較 | ||||||
| 正規空母 | 軽空母 | 空母艦載機 | 基地航空機 | 戦艦 | 巡洋艦 | |
| 日本 | 5 | 4 | 439 | 1,644 | 5 | 14 |
| 米軍 | 8 | 8 | 902 | −− | 8 | 20 |
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上表は、マリアナ沖海戦の日米軍事力比較である。基地航空隊は第1航空艦隊長官 角田覚治が率いていた。 空母搭載機こそ米軍の半分だが、近在に基地航空隊が存在した。
テニアン 第62航空戦隊。 トラック 第22航空戦隊。 ケンダリー 第23航空戦隊。 ペリリュー 第26航空戦隊。
この航空隊は全く活躍することなく6月15日のサイパン島上陸前にそのほとんどが潰えた。
位置的にトラック、ケンダリー、ペリリュー基地航空隊はマリアナ近辺の海戦に貢献出来ないが、
帝国海軍は無定見に航空隊をばらまき過ぎた。 それもこれもソロモン戦の後遺症である。 勝因はあったのか 基本的になかった! 絶対量としての燃料がなかった。航続半径は18ノットで2,500浬。敵と接触したときも21ノット以上は出すな。敵追跡の基準は24ノット。決戦最大船速はできるだけ控える。 マリアナに基地を置く第一航空艦隊も備蓄燃料を食い延ばすところに追い込まれた。それにより、偵察・哨戒飛行も大きく制扼された。電子兵器の停滞と石油枯渇が戦勢に大きな影響を与えた。 この戦いの後、栗田率いる第二艦隊と小沢率いる北方艦隊に別れたのは、国内で両艦隊への石油補給能力がなかったことによる。 1.基地航空隊を含め数の上では日本軍が圧倒的に優位であった。海軍の実力から100害あって1利無しのガ島攻防戦で、空母搭乗員を 失い、その再建に無頓着で拙速な姿勢に終始し14カ月を無為に過ごした。 2.北緯14〜16°線海域では東からの貿易風で艦載機の離着艦は圧倒的に日本海軍が優位であった。 3.対潜水艦発見及び攻撃手段を持ち合わせておれば、空母大鳳、翔鶴を失うことはなかったであろう。 |
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第1機動艦隊参謀長は、後に大和沖縄特攻で第二水雷戦隊司令官となった古村啓造である。 第1航空艦隊長官(基地航空隊) 角田覚治(1944年8月戦死),参謀長 三和義勇,航空参謀 清水 洋 第2航空艦隊長官 福留 茂(ダバオ海軍乙事件,ゲリラ捕虜・海軍暗号盗難事件当事者),参謀長 杉本丑衛 あれだけの事件だったが、首を切らない海軍は世間の常識から乖離している。 その上、戦後海軍士官の親睦団体「水交会」の理事長や理事を務めた。 暗号書を盗まれ、作戦計画を盗まれ、台湾沖航空戦の戦果大捏造・虚報事件を起こし、日本の敗戦を 決定付けた第一級戦犯を首班に据える帝国海軍の連中の精神を疑う。 一航戦 空母艦長 [瑞鶴] 貝塚武男*,[翔鶴* ] 松原 博+,[大鳳* ] 菊池朝三 二航戦 空母艦長 [隼鷹] 渋谷清見,[飛鷹* ] 横井俊之,[龍鳳] 松浦 義 三航戦 空母艦長 [千歳] 岸 良幸*,[千代田] 城 英一郎+,[瑞鳳] 杉浦矩郎 |
| +印 マリアナ沖海戦で戦死。 *印 レイテ沖海戦で戦死。 *印 沈没艦。 |
| 城 |
英一郎は航空特攻が開始される1年以上前の昭和18年6月29日に特攻意見書を航空総務部に提出している。
城英一郎はレイテ海戦で小沢囮艦隊空母千代田艦長として戦死。 詳しくは Wikipedia でどうぞ |
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この海戦で 1.一航戦・二航戦に彗星艦爆(九九艦爆代替機)。 九七式艦攻の代替機として天山が戦列に加わった。 2.戦艦が海戦の主役の座を滑り落ちた。艦隊決戦・大艦巨砲主義,駆逐艦による水雷攻撃主義が終焉を迎えた。 また、マリアナ沖海戦前の昭和19年(1944)2月山崎重暉潜水艦学校長から旧態依然の潜水艦用法作戦転換の具申がなされた。 |
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その要旨 ► 戦艦中心の艦隊決戦主義を払拭 し大転換を要す。 イ.艦隊決戦に付随するために次々と変更される散開線配備は適当でない。 ロ.潜水部隊指揮統制は次が適当と認められる。 (一) 散開線配備下令後は戦線情況を詳細に刻々連絡する。 (二) 潜水部隊指揮官は、攻撃目標と攻撃時期を連絡する。 (三) 命令受領後の潜水艦艦長判断で目標を選定攻撃する。 ハ.敵の対潜兵力の増強や船舶護衛システムの完成度から、 1.潜水艦個艦の性能向上を図る。 2.同一海域での集団的使用を図る。 ニ.警戒厳重な海域においての偵察任務は、現状潜水艦の性能から過重である。 ホ.敵の機動力と対潜攻撃力の実態から、現状潜水艦の性能で敵の艦隊追跡や攻撃は無理である。 ヘ.潜水艦搭載機での敵地偵察は1回こっきりにされたい。 * マリアナ沖海戦で第6艦隊(潜水艦部隊)も多数参加した。 ![]() ► 戦前の海軍は、自らの劣勢(軍艦数)から漸減(ぜんげん)邀撃(ようげき)戦を 採用した。すなわち、潜水艦や水雷戦隊で米艦隊を減殺(げんさい)し、その上で日本近海において艦隊決戦を挑むシナリオであった。 その観点で潜水艦を運用していた。 よって先遣部隊と呼ばれていた。 |
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►その反応は * 上級司令部は、統帥をみだす書類でけしからん。 * 中央潜水艦関係者は、意見は結構だが、配布は穏当を欠く。 * 潜水艦乗りは、よくぞ云ってくれた。スッキリした。 この段階でも、上級司令部に属するバカどもは、艦隊決戦主義から脱却出来ていない。また、潜水艦の性能や 兵装、新兵器開発に無頓着な上級者に過酷な状況に置かれている乗組員の悲鳴が聞こえる。 前述したように、1944年5月だけでも潜水艦5隻が失われている。翌6月は8隻(訓練中を含むと9隻)。 |
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潜水艦はその出現の時から、艦隊決戦の付属物であった。よって軍令トップは「統帥をみだす」との認識であった。
先の太平洋戦争では、明治10年代(1880)生まれが海軍のトップ集団を形成した。ところが、
昭和10年代(1935)に入ると、航空機とエレクトロニクス技術が急速に発展し、その後の海の戦いを制した。
今、丁度戦中に生まれた(1941年〜)、現在65歳('07/09月)以上で I T使用者は25%程度だという。
最新テクノロジーの発展に適応出来ない現代老人と全く同一で、柔軟性を欠いた海軍兵学校・大学校教育に大問題が存在した。
そして、最後の最後まで鉄砲屋がのさばっていた。 帝国海軍の最後の作戦となった大和以下の沖縄突入も、 土壇場で対空(防空)駆逐艦(冬月・涼月)が加わったのも、鉄砲屋がその最後を飾るためには是が非でも沖縄にたどり着きたいという 願望の現れでもあったのであろう。 今時大戦で、鉄砲屋の真の出番は一度も起きなかった。 そしても防御兵器として兵員の中で、 クズが配置されるとした高角砲や機銃が奮闘するなかで、海軍のトップエリートとされた砲術屋の自負心は大きく 傷つけられたままだったのだ。 ►主砲射撃組織は一つのピラミッドを形成していた。 砲術長*の下に発令所長。また、指揮下に測的長,各砲塔,弾庫,火薬庫。各砲塔には主砲指揮所の機能が失われた場合に 備え、砲塔独自で射撃できる要員が配置されていた。 * 砲術長 戦艦では概ね中佐で年齢は40歳代であった。このポストを無難にこなすと大型艦の 艦長になれた。 |
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日本の潜水艦が相手(敵)を発見する兵器として装備されていたものは、潜望鏡と聴音機だけであった。その聴音機の性能も劣悪だったから
伊36潜の稲葉通宗中佐は自己防衛の独特の航行方法を編み出した。昼の18時間は潜航し2.5ノット(時速4.63Km)で聴音の触覚を15浬圏に張り巡らし
ゆるゆると前進する。この間45浬(38.34Km)程度進めるが、進めたなら、この航行区間は敵の不在が証明されたことになり、
夜間に入るとこの昼間前進した安全区間の範囲を往復し蓄電池の充電を行う。潜航時刻が近づくと前日浮上した前進点まで戻り潜行を開始し尺取り虫のように進んでゆく。
このような涙ぐましい努力を行っても安全ではなかった。浮上中に敵のレーダー波を受けるかも知れないのである。 レーダー波を受けたかどうか知る術*もないので、この涙ぐましい努力が水泡に帰す場合だって有り得た。 水上艦であれ潜水艦であれ、前大戦には見られなかったエレクトニクス兵器が戦場に出現した以上、上級司令部は真剣に検討すべきであった。 攻撃優先硬直思考から一歩も踏み出せない兵学校出身者らは、敵から身を守るなど電波探知機は埒外な話であり 考慮に値しなかった。よって日本の艦艇は荒天・夜間などにはワンサイドアタックで撃沈された。 *波長2m程度の逆探はあったがセンチ波の逆探は開発されていない。 |
[technology] 内の各 htm ファイル 沖縄突入艦から除かれていた対空駆逐艦秋月型 specification,矢矧など
旧 Imperial Navy のバカどもが最終的に行き着いたコンクリート船
巨象は虚像だったImperial Navy
マリアナ沖海戦真の敗因 (日本海軍に存在した防御軽視の大弊害)
伊52 模倣国家日本の縮図
期待と結果が無惨に食いちがった戦闘の経過
レーダーを取り外して惨敗したバカども。
水から航空ガソリンが出来ると信じたバカ。
電探の重要性を帝国海軍軍令部が真から気づいたとき
日本海軍の製作した電探 レーダー
艦上攻撃機天山 ・ 艦上爆撃機 彗星
犬の遠吠え思想だった大和搭載主砲。
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