マリアナ沖海戦 戦闘経過及び関連事項並びに西部太平洋の地図

【図出典:太平洋海戦(佐藤和正/著) P323】
前衛には、戦艦大和と武蔵が配置されていた。 あわよくば、大艦巨砲艦隊決戦を夢見ていた。
ただこの第二艦隊は栗田健男(中将)と参謀長 小柳富次(少将)のコンビで結果的に逃げまくっている。

【図出典:戦史叢書 マリアナ沖海戦付図】
タウイタウイの海域図はこちら。
上図は本隊進撃路。 途中ギマラス(06/14 12:00)で必要な補給と補充を行った。
上図より、1944年5月27日、
@ ビアクに米軍上陸。位置から日本側はパラオ進攻の前進基地確保だという認識をした。海軍「渾作戦」発動。
マリアナに展開していた基地航空隊を急きょハルマヘラ島に移動させた。 予期に反して6月3日以降パラオ,ヤップへの空襲が行われ、海軍はこの空襲はビアク作戦の牽制と解釈したが、
A 6月11日から艦載機によるグアム,サイパン,テニアンへの猛爆が展開され、各島の基地航空機全滅に見舞われ、 6月13日朝から戦艦による艦砲射撃も加えられた。15日早朝からサイパン島への上陸作戦が敢行された。  聯合艦隊は第一次渾作戦の一時中止(6/3 20:25)と「あ」号作戦の開始を発令(6/11)した。
戦局の判断に錯誤はつきものだが、
ビアク上陸は、飛び石作戦のラバウル孤立化であった。
西カロリン諸島への上陸も、飛び石作戦の一環でラバウル補給線の遮断であった。
内南洋諸島上陸こそが本命で、米空軍戦略爆撃 B-29 の基地建設のためだった。
米海軍機動部隊で3つの時刻を使っている。 ウルシー時間=日本と同一 グアム時間=日本プラス1時間 マニラ時間=日本マイナス1時間。    東経140゜北緯35゜40' が船橋市付近である。

 期待と結果が無惨に食いちがった戦闘の経過
マリアナ沖海戦 附属航空隊錬成情況
第601空 甲部隊第一航空戦隊 空母 大鳳・翔鶴・瑞鶴  
  • 全機昼間基地作戦可能  
  • 全機昼間母艦発艦基地帰投可能  
  • 4月末まで訓練を要す。
      司令長官小澤治三郎は、着艦に失敗し殉職する者を目の当たりにし、もう 「着艦訓練」をさすな!と云ったという。 航空攻撃の後はグアム,ロタなどの陸上基地に向かわすことになる。
     ところが、単座機は、複座機搭乗の航法士の誘導により、その機に随番して帰投するので、複座機が 皆無となると自爆せざるを得なかった。
    第652空 乙部隊第二航空戦隊 空母 隼鷹・飛鷹・龍鳳  
  • 零戦隊基地兵力として使用可能数80%  
  • 九九艦爆基地兵力として使用可能数85%  
  • 戦爆機は当分訓練を必要とし5月中旬慨成  
  • 彗星,天山機材ゼロ、天山は5月中旬、彗星は5月下旬慨成
    第653空乙部隊第三航空戦隊 空母 千歳・千代田・瑞鳳  
  • 機動部隊としての作戦は困難で、第一撃のみ発艦作戦可能
     この航空隊は3月に編成したばかりであった。 錬成を燃料補給が簡単に行えるタウイタウイで 行うつもりだったが、泊地沖には米潜が待ち受け訓練できなかっし、この海戦で始めて爆装零戦が出現する。 重く鈍足となった零戦は邀撃の米戦闘機の敵にはならなかった。米側に戦闘機は逃げてばかりと 見られたが、戦闘機に二足のわらじ(爆弾攻撃と空戦制圧)を履かす作戦に無理があった。
       航空隊は第653航空隊、搭乗員153人。未帰還93人。
  • 1.1942年秋〜1943年2月7日まで戦われた南ソロモンの死闘から1944年4月までの1年2か月、航空兵力錬成を 怠ったツケをマリアナで支払わされた。 本気で航空戦力増強に取り組むのなら充分とは云えないまでもその時間はあった。
    空母搭乗パイロットの養成
    1)GF長官山本五十六がソロモンの激闘で、空母艦載機パイロットを基地航空隊につぎ込み消耗させた。
    2)米軍はパイロットの養成を1年で行った。海軍は3年必要だった。これはおそらくカリキュラムの問題だろう。
    2.第三航戦隊空母千代田艦長城 英一郎(1944/0219着任)は、航空特攻が開始される1年以上前の1943年(昭和18年)6月29日に特攻意見書を航空総務部に提出している。  城はレイテ海戦で小沢囮艦隊千代田艦長として戦死。 経歴等詳しくは Wikipedia でどうぞ
    3.城 英一郎は、その頃から、航空隊の錬成が進んでいないことを 知っていたのであろう。本来なら錬成計画を怠った Imperial Navy の首脳部に矛先を向けるべき立場の人間が人間の命を弄ぶ発言をした。
    4.1944年5月、タウイタウイ泊地沖で錬成不足の搭乗員訓練の目算だったが、米潜の跳梁で全くその機会を奪われた。  すでに、内地でも燃料不足が頭をもたげた。 南方に進出する艦隊の燃料を陸軍に貰らわなければならなくなっていた。
    マリアナ沖海戦 戦闘概要
    1.6月19日 索敵状況
     1)前方第一段索敵
      巡洋艦 高雄 1機敵を見ず。1機未帰還
       〃  愛宕 1機戦闘機と交戦自爆
       〃  熊野 1機敵戦闘機発見報告未帰還。 1機 06:40 米機部隊発見報告。無事帰還。
       〃  利根 1機 06:45 米飛行艇発見、無事帰還。
     2)前方第二段索敵
      三航戦九七艦攻13機(653航空隊)
      巡洋艦 筑摩 水偵1機 計14機で1番線50度。索敵線12〜15を偵察。 未帰還8機。
     3)前方第三段索敵
      一航戦彗星10,天山2。1番線50度。索敵線12〜15を偵察。 未帰還1機。
      巡洋艦 最上 水偵2機(10,12番線) 未帰還1機。
    2.6月19日 攻撃隊状況 「七イ」に敵発見。間合いを740Kmに保ち、
    三航戦第一次攻撃隊発進 07:25発進 攻撃目標「七イ」
    (機 種)戦爆天山零戦合計
    出撃43 7 14 64
    損害31 2 8 41
    損失率(%)72.1 28.6 57.164.1
    残存機12 56 23
    戦爆とは、零戦に250Kg爆弾を搭載させたものをいう。 パイロットの技量未熟と その鈍重さが米機の格好の餌食となってしまった。三航戦の航空参謀と653空の飛行隊長の頭をぶん殴ってやっても足りない。 また、編隊指揮官機は中尉程度だったが、こ連中だけでも訓練を十分させればよかったのだ。 部下の兵曹クラスのベテランがへたくそ中尉に従わざるを得なかった。
    三航戦第一次攻撃隊は、空母一,巡洋艦一に250Kg爆弾命中と報じたが、戦後の米との突き合わせで戦艦サウスダコタ爆弾1,重巡ミネアポリスに至近弾1。空母は攻撃を 受けていないことが判明した。
    一航戦第一次攻撃隊発進。 前路索敵隊天山2機 07:58発進。
    一航戦第一次攻撃隊発進 07:45発進 攻撃目標「七イ」
    (機 種)天山彗星零戦合計
    出撃 27 5348 128
    損害 24 413196
    損失率(%)88.9 77.4 64.675.0
    残存機3 1217 35
    上記のほか、自爆彗星1,大鳳に帰着後戦死 零戦2
    一航戦第一次攻撃隊は、攻撃隊の帰還者がなく戦果不明。指揮官機から「我突撃ス」の電報があった以降の状況は不明。 1機が戦艦インディアナの舷側に激突。2機は至近弾で空母バンカーヒルに火災を生じせしめた。

    <= 瑞鶴を飛び立とうする零戦

    この攻撃隊は、三航戦の後方に位置し、七イの地点を目指していた。よって必然的に三航戦上空を飛行することになった。 この海戦で、天山、彗星などの新鋭機が 08:45 前衛(大和・武蔵など)上空に差し掛かったとき、 味方艦艇より突然砲撃を受けた。その猛烈な砲火で数機が撃墜(彗星2機)され砲撃回避行動で編隊はバラバラとなり 二度と編隊を組むことはなく、米機動部隊を求めてバラバラに攻撃に入ったとされている。 公刊戦史「マリアナ沖海戦」に誤砲の記述があるがつまびらかでない。
    NKHテレビ 『証言記録兵士たちの戦争C 2007/10/5放映』によると、マリアナ沖海戦参加艦艇乗組員に天山・彗星などの新鋭機 情報が周知されていなかった。という。また、この海戦で零戦も爆装して飛行していた。 情報管理欠落海軍と敗戦の責任を全くとらない海軍だったと 結論付けた。 また、総合的電子戦に敗れた戦いでもあった。

    二航戦第一次攻撃隊発進 09:00 発進 攻撃目標「七イ」
    (機 種)天山戦爆零戦合計
    出撃 7 2517 49
    損害 1517
    損失率(%)14.220.0 5.914.3
    残存機6 2016 42
    09:30 命により「三イ」に変更。その途上 11:35 戦艦を含む一群を発見したが、空母群を求め進撃。 目標点 「三イ」に達したが敵を発見できなかった。11:55 目標を「七イ」に変更進撃中、12:00 米戦闘機40機以上の 攻撃を受け退避、16:25 前衛(三航戦)を経て16:25 帰投した。
    一航戦第二次攻撃隊 前路索敵彗星1 10:28 発艦。13:03 予定地点に敵を発見せず 14:50 空母隼鷹に帰着した。
    一航戦第二次攻撃隊 天山4,戦爆10,零戦4機は 10:20 発艦。10:50 戦爆隊は天山と合同。すぐに天山1,戦爆10は分離。 残った天山3は目標を発見できず 15:10 は母艦上空に帰着。母艦上に飛行機多数のため、着艦を隼鷹に変更。2機着艦。1機駆逐艦「早霜」に着水。
    別動した天山1,戦爆10は予定地点に到達したが編隊が支離滅裂となり天山1,戦爆8が未帰還となった。
    二航戦第二次攻撃隊(敵機動部隊攻撃後はグアムに着陸命令) 九九艦爆27,天山3,零戦20機。 合計40機 10:15 発進。 予定地点に 敵を見ず、グアムに向かった。 15:00 着陸前に米戦闘機30機の襲撃を受けた。
    二航戦第二次攻撃隊の損害
    自爆及び未帰還零戦14(損害率70.0%) 九九艦爆9(損害率33.3%) 天山3(損害率100.0%)を出した。

    一方、二航戦第二次攻撃隊彗星隊は、彗星9,零戦6機。 計15機は 10:30 発進。 途中彗星1機、零戦3機は遅れ全機行方不明となった。 残りの彗星6機(2機の行動不明),零戦2機(1機の行動不明)は 12:40 予定地点に達したが敵を見ず、45度方向を 索敵中 13:40 敵機動部隊を発見。攻撃を実施したが効果は不明であった。 彗星1機(指揮官機)はロタに着陸。1機はグアムに着陸した。
    二航戦第二次攻撃隊の損害
    零戦4(損害率 66.7%) 彗星5(損害率 55.6%)

    6月20日 16:15 時索敵機は米艦隊(空母2)を350浬(648km)先に発見。 17:00 米艦夜間攻撃のため一航戦は、前路索敵機天山1機、彗星2機。を発進させた。
    17:25 攻撃隊天山7機が空母瑞鶴から発進した。敵空母到達時刻は 20:00 頃と予想された。  前路索敵用天山には航空機から海上の艦隊を発見するために「空六号」の 電波探信義が搭載されていた。 ところが用兵側のバカ参謀どもはわざわざこの電探を取外させ、 魚雷を積んで出撃させた。夜にかかる攻撃が想定されながら、 夜間の索敵の目を取り外したのである。この先発3機は、エンジン不調で1機引き返し(18:25)、残りは未帰還となった。 次に発艦した攻撃隊は予定地点に達したが敵発見に至らなかった。
    3機未帰還、4機は帰着後不時着水。全く戦果はあげられなかった。

    逃げの栗田・小柳コンビ
    6月19日、第二艦隊(前衛・長官 栗田健男、参謀長 小柳富次)は、本隊の100浬(185Km)先に占位していた。戦艦大和・武蔵や 3航戦は千歳・千代田・瑞鳳(空母3)を擁していた。 第一機動艦隊小澤長官が気が付いたときには いつの間にか本隊南方にさがっていた。  翌20日、小澤は第二艦隊に反転し敵追撃を命令。これは、一航艦艦攻天山隊が現場海域に到達した頃である。 この天山隊が よたよた帰着したことを知った小澤司令部は「夜戦ノ見込ミナケレバ速ニ北西方ニ退避セヨ」と電令。 まってましたと栗田艦隊は、「敵情不明ニシテ夜戦ノ望ナキニ付北西方ニ進出(敵の反対方向・敵に背を向けた)ス」と返電。
    逃げの栗田・小柳コンビはこのとき生まれた。レイテの4カ月前のことだった。 栗田よなぜ貴様は本隊の後になったのだ!と査問していたら レイテのナゾの反転は発生しなかっただろう。 第二艦隊司令長官をガッツ西村(祥治)中将に代えていたら 戦史が少し変わったと感じるのは筆者だけか。 なんとガッツのない男に大和・武蔵を託したものである。
    天山(艦攻・3座・魚雷),彗星(艦爆・2座・爆弾)など、複座機には洋上航法をキッチリ教えられた 搭乗員が乗っていたので零戦などの単座機は、複座機と同一行動を常とした。進路が1°違うと400Km 進むと約10Kmも違うことになり、限界のある燃料を考えたら母艦を探すことなど不可能であった。 米空母艦載機の迎撃で編隊がバラバラとなりその多くの単座機が失われたのは、被撃墜もさることながら複座機とはぐれたことだった。 また、この頃製造された機体は、部品強度と組み立てが粗雑となり、航空機としての信頼性は著しく低下していた。 公刊戦史でも、「パイロットの錬度がアウトレンジ戦法に適していなかった」としているが、 あまりにも遠距離攻撃で帰還のための燃料を勘案したとき、四散した編隊の再編成が出来なかったことも敗因の大きな要因であった。
    零戦の未帰還機の多くは、複座機とはぐれたことだった。との証言はこの海戦で辛うじて生還した 数名のパイロットが『証言記録兵士たちの戦争C 2007/10/5放映』で語っている。
    フィリピンは米国の植民地だった。そこを占領した日本軍人が尊大だったことで 全土反日的雰囲気に包まれていた。 米軍は情報提供者として海岸線監視のコーストウォッチャーを育成。  マリアナ沖海戦に関してもこのウォッチャー情報が米国立公文書館に保存されている。1944年6月16日付け 報告書に「・・・・駆逐艦11、巡洋艦10、戦艦3、空母9。・・・・最後の艦艇が 124°.9’E 、 12°.34’N (サンベルナルジノ海峡付近)の地点を08:30に通過。  電波を出す以前に各種情報は米軍に筒抜けだった。
    都市住民の多くはクリスチャンで彼らに 皇居遙拝をやらすなど愚の骨頂である。

    図:【太平洋戦争16の大決戦 P95 より】
    いくら、燃料が乏しい状況でも、延々フィリピン中部サンベルナルジノ海峡(ルソン島南部とサマール島)を進むこともあるまい。 直前までGF参謀長が捕虜になり開放された場所近くでもある。 いくらタウイタウイ沖は米潜が跳梁する海域だとしても防諜上を考えたらミンダナオ島沖を通り、渾作戦部隊航路を通るべきではなかったか。
    小沢艦隊の航路選定は、先に渾作戦派遣艦隊との合流点をフィリピン東方海上としたことにある。 米軍が5月27日ビアクに上陸したことで6月10日、第二次渾作戦を発動。これが挫折し、引き続き第三次渾作戦として 大和・武蔵がこの作戦に差し向けられた。ところが、米機動艦隊がマリアナ方面に来襲しこの作戦が中止させられた。 聯合艦隊参謀らが、本来の攻撃正面はどこなのかという読み違いが大きかった。
    このマリアナ沖海戦の4カ月後編成された神風特別攻撃隊こそ「攻撃優先」「防御軽視」の 海軍戦術思想の行き着いた終末点であった。そして帝国海軍は絶対死を命令する犯罪集団と化した。 その起案者は
    英一郎は航空特攻が開始される1年以上前の昭和18年6月29日に(当時侍従武官)「特攻意見書」を航空総務部に提出している。 その内容は
    『特殊航空隊の編成』
    一、目的「ソロモン」「ニューギニア」海域の敵艦船を、飛行機の肉弾攻撃により撃滅するにあり。
    二、編成の大要
     (一)固有兵力 陸上偵察機隊
       消耗兵力 攻撃機、制限無し
       搭乗員以外最小とする。
     (二)攻撃機搭乗者は操縦者一人のみとし、決死の志願者を募集採用する。
     (三)攻撃機の機材 二五〇キロ爆弾以上を携行し得る陸上(艦上)機とし制限無し。
    三、使用基地 「ショートランド」「ニューブリテン」方面の基地を使用する。
    四、攻撃要項
     (一)偵察機により日施哨戒を行ない、敵艦船を発見次第、爆撃機を発進攻撃す。
     (二)攻撃は爆弾携行の体当たりとする。
     (三)攻撃機の誘導に、偵察機を使用することあり。
    五、指揮官 差し当たり小官を指揮官に命ぜられたし。適宜後継者に譲る。
      --- 野村實編「侍従武官城英一郎日記」 ---
    かって西欧列強の植民地(除くタイ)だった東南アジアの 国々は、戦後それなりの経済発展をとげた。だが当時米国の植民地だったフィリピンの経済は 停滞したままである。 これは、仏領インドシナと呼ばれた現在のラオス、ベトナムの共産化の中で米国の国益のために 日本では解体した大土地所有制を残したことに起因する。 そして冷戦構造がなくなるとかっての 米軍基地の全てを撤退。経済崩壊に拍車をかけた。 米国や日本の国益に翻弄された民を日本は経済援助の名の下に食い物 してはならない。 それが今時大戦で陣没した300万将兵、戦災死した国民が教えてくれた教訓であろう。
    各戦隊航空機発艦時刻機数は全て公刊戦史「マリアナ沖海戦」による。
    [technology] 内の各 htm ファイル
    沖縄突入艦から除かれていた対空駆逐艦秋月型 specification,矢矧など   旧 Imperial Navy のバカどもが最終的に行き着いたコンクリート船   巨象は虚像だったImperial Navy   マリアナ沖海戦真の敗因 (日本海軍に存在した防御軽視の大弊害)   伊52 模倣国家日本の縮図   マリアナ沖海戦参加艦艇   レーダーを取り外して惨敗したバカども。   水から航空ガソリンが出来ると信じたバカ。   電探の重要性を帝国海軍軍令部が真から気づいたとき   日本海軍の製作した電探 レーダー   艦上攻撃機天山 ・ 艦上爆撃機 彗星   犬の遠吠え思想だった大和搭載主砲

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