模倣国家日本の縮図 危険を冒してまで訪独した潜水艦 伊52

伊52号の訪独で欲しかったドイツの技術
最新式艦船高角砲および指揮装置。
イ.高角砲3軸砲架 (ラインメタル)
ロ.照準装置,安定装置 (クライゼルゲレーテ) 以上技術提供先 東京計器(株式会社トキメック)
ハ.自動管制装置 電気装置 (S・A・M) 技術提供先 東京芝浦電気(東芝),愛知時計
ニ.計算装置 測距儀光学装置 (カールツァイス) 技術提供先 日本光学(ニコン)
水上射撃安定装置
イ.戦艦用A,B/C (クライゼルゲレーテ) 技術提供先 東京計器(株式会社トキメック)
ロ.動揺分解器 (S・A・M) 技術提供先 愛知時計
最新式艦船高角砲および指揮装置は喉から手がでるほどの装置である。 各国とも航空機が戦場の主役となったとき、この脅威に対応する装置を模索していた。
的速・距離を測定し、その計算結果の答え(近未来位置)を砲、 若しくは機銃座に伝達し受けた砲、機銃は間違いなく、機銃をその方向に自動的に向ける必要があった。 加減(足し算・引き算)は差動歯車、二次方程式はスライドレバー装置。 三次方程式は立体カムが使われ、その間のデータ受け渡しは歯車が使われた。 戦艦大和の射撃指揮装置には1万個もの歯車が使われていたという。 当然歯車と歯車には隙間が出来てしまう。その隙間はデータが正しく伝わらないことを意味する。
そして、この方式には決定的問題点があった。敵機が延々と水平飛行するのであれば、 未来位置を計算することにそんなに問題はない。 ところが頭上から急降下する爆撃には全く対応できないことだった。
米国も同じ問題を抱えていたので、当時の技術的限界を悟り、 VT信管砲弾を開発するに至った。
米軍はもう一つ、中間域口径40mm機銃(日本は試作程度)で弾幕を張って航空機の進入に備えた。

日本の兵器も工業も全て模倣から始まった
1853年(嘉永6年)6月3日黒船来航。  蒸気の力で自走する巨船(日本人にはそう見えた)と舷側に並ぶおびただしい砲列に彼我戦力の懸絶を知る。と同時に国防という現実に目覚める。
1856年(安政3年7月12日) 水戸藩、幕命により石川島造船所で西洋式軍艦を建造許可。旭日丸が誕生する。
1862年(文久2年7月4日)幕府諸藩に外国船購入の自由を認める。
やがて、小野友五郎、肥田浜五郎と国産蒸気軍艦「千代田形」の建造につながる。
1866年以降の幕末動乱も全て輸入銃での戦いであった。
1904年(明治37年)2月に勃発した日露戦争の主力野砲「三一式速射砲」も独のクルップ砲, 英のアームストロング砲を比較検討しその優秀な部分を模倣して製造した。
また、小銃は三八歩兵銃の下地となった村田銃は、仏のグラースM1874歩兵銃をを基に1880年十三年式村田銃として完成したものである。
レーダー(電探)は何とか格好がついたが性能は懸絶していた。更にどうもならなかったのが水中測的兵器(探信儀)である。 これもすべて模倣から試作した。音響探信儀開発小史はこちら
今時、大戦でもレーダーなどの先進テクノロジーは独国よりの情報に頼らざるを得なかった。 すなわち、その出発からの模倣国家は、基礎科学や工業を置き去りした見せかけの先進性であり、 独創的な創造性は絶無といってよいものであった。
米潜水艦対策について宇垣纏司令官の日誌に、
 昭和19年(1944)5月25日 タウイタウイ泊地
機動部隊附属、前衛補給の予定たりし給油艦建川丸はダバオ湾内にて敵潜の魚雷2本を受け切断沈没せり。  二艦隊司令部は対潜狩りの妙案を求めたるを以て一戦隊命令として各艦に具体案を持参すべくせり。 然るに大して策無しと聞くは遺憾なり。 出典:「戦史叢書 マリアナ沖海戦」頁394下段。
帝国海軍の潜水艦索敵兵器である聴音機は艦速が12ノット以上だと相手のスクリュー音の聴取不可能。  また潜望鏡程度の物体を捉えることの出来る電波探信儀は備わっていなかった。 かろうじて敵潜水艦を発見したときの正確な位置を探知する水中探信儀は未開発。 更に対潜攻撃兵器の威力低くい。 いずれもの装置や兵器は不備で対潜狩りの妙案を求める艦隊司令部の現状認識が甘すぎる。 すなわち米潜を撃退・撃沈するなど不可能に近かった。

攻撃優先、防御軽視の兵学校教育がぶち当たった壁であった。 潜水艦攻撃前に潜水艦を発見しなければ 攻撃できないことに考え及ばなかったことが行間に読み取れる。
潜水艦攻撃の具体策がないことを嘆く宇垣纏も問題解決できなかった。宇垣はまた、艦隊決戦至上主義者でもあった。

マリアナ沖海戦。何の役にも立たない戦艦を引きつれて、それを前衛に配置し、米機動艦隊に立ち向かおうとしたのであった。 大和らの前衛の唯一の戦果は一航艦から飛びった艦爆彗星*1 を2機撃ち落とし、 味方機が二度と編隊を組めなくしバラバラでしか米艦隊を攻撃出来なくした最大の功労者でもあった。  宇垣纏私兵特攻?しなかったら、米国最高の勲章を授与されたかも知れない。
戦艦大和の主砲の最大射程はたかだか 40Km。
艦載機作戦半径 500Km。 この空からの敵と、潜水艦などの水中からの敵を発見する兵器を持たなかった、 または造らせなかった海軍とは一体どんな組織だったのだろうか??。
*1 敵味方識別装置(IFF Identification Friend or Foe)は、電波を発射して対象に返信を要求する装置である。 電波を発射して既定の返信があれば友軍であると判別し、レーダースクリーン等に敵・味方を区別して表示する。 航空機や艦船に搭載されるレーダーの発達により、航空機は肉眼で視認できる距離よりもはるかに遠距離から、 その存在を確認できるようになった。肉眼で視認できないこところからレーダーにより航空機の存在は確認できるものの、 敵味方の識別には困難が付きまとった(肉眼で機体のマークを視認してからでは間に合わない)。  そのために、航空機に自動応答する発信機(トランスポンダ)を搭載し、電波による質問波と航空機からの応答波により、 敵味方識別を行うようになったのが敵味方識別装置の始まりである。
― IFF 日本の情況 ―
航空機搭載の識別装置として、「五式空電波識別機改1」及び「同改1甲」が試作されたが航空機に装備されることはなかった。最大の問題は、航空機関係は、空技敞が担当し、水上艦艇用は海技研が担当した。 敵味方識別装置は艦艇が照射し航空機が応答波を応答(送信)する。当然相互に連携した装置であり、 官僚的縄張り方式で開発することこそネックであった。 敗戦間近。陸上レーダーで索敵していると、 応答波があれば米機。無応答だと日本機だと電探兵は知る。 米機は自動応答する発信器を搭載していたのだ。
官僚縦割りの弊害は今日まで続く。戦後、村(農村)意識は消滅したが官僚の世界だけは村意識が続いている。
  太平洋戦争中、訪独した伊号潜水艦が5隻 (伊30、伊8、伊34、伊29、伊52) いたが、 ドイツは伊号や日本が提供した酸素魚雷などに全く興味を示さなかったという。 ドイツにとって日本は単なる先進的ノウハウ提供国の扱いだった。  最後に派遣された伊52はお粗末な電子兵器での到着は不可能であり、 これも、大西洋の真ん中でドイツ潜水艦 (U530) よりレーダー逆探知装置を受け取った。  その伊52も米空母航空機により夜間対潜用ソノブイからの信号を受け航空機から投下された音響追尾魚雷(Mk24・マ−ク24) によりにより撃沈され遠く長い航海の果てに大西洋に眠っている。
-- 5隻の訪独潜水艦 --
第一次 伊30号 艦長 遠藤忍少佐 1942年4月17日呉発。 8月5日ロリアン基地着。 同基地で防音工事処置。 10月13日シンガポール着。 独暗号機を揚陸。午後出港。触雷し沈没。期待の電探は爆発の衝撃で破壊。エリコン機銃など引き上げられるにとどまった。
1941年3月5日付、ヒットラー総統指示第24号2項。
『あらゆる手段を以て日本の国防を強化する必要がある。このため各軍司令官はドイツが得た戦訓のみならず国防経済、 技術等に関する日本の要請に対し、広範囲かつ友好的に対応しなければならない。 互恵的であることが望ましいが交渉を困難にすることは許されない。 本件に関し短期間に戦争遂行を可能ならしめるため日本の要望が当然優先される』
開戦直後はヒットラー総統のこの指示も、各兵器製造民間企業は利益供与の対価を求めた。 場合によっては高額となり、日本側も逡巡したが、1943年に入ると各方面で連合国が優勢となり、日本としては躊躇できない局面が訪れた。 ドイツが日本に求めた技術は無かったが、日本はドイツの技術に全面的に頼ろうとした。
第二次 伊8号 艦長 内野信二中佐 1943年6月1日呉発。 8月21日ブレストに入港。 10月5日ブレスト発。  12月21日呉帰港。 唯一の生還艦となった。
第三次 伊34号 艦長 入江達中佐 1943年9月13日呉発。 10月22日シンガポール着。独に提供する資源を搭載。 11月11日シンガポール発。同13日マレーシアペナン入港直前に英潜水艦 Taurus の雷撃を受け沈没。生存者14人。
第四次 伊29号 艦長 木梨鷹一中佐 1943年11月5日呉発。 同14日 シンガポール着。  必要な資源物資を搭載し 12月16日シンガポール発。 1944年3月11日ロリアン基地着。  独の敗色が濃厚なため出港を早め4月16日ロリアン発。7月14日シンガポール着。7月22日シンガポールを発し日本に向かった。 7月26日夜ルソン島北方海域で米潜3隻の挟撃を受ける。  米潜 Sawfish,Tilefish の放った魚雷4本の内3本が命中。乗員2人が救助されたにとどまった。
第五次 伊52号 艦長 宇野亀雄中佐 1944年3月10日呉発。 同21日 シンガポール着。 同23日シンガポール発ロリアンに向かった。 6月23日大西洋で独潜U-530と会同。電探逆探装置取付。 入港先調整中24日、米護衛空母 Bougue 艦載機により、ヴェルデ(Cape Verde)岬(アフリカ大陸最西端現セネガル)西方で撃沈された。
訪独潜水艦は米英の総力を挙げて、太平洋、インド洋、大西洋に張り巡らせた情報網によって 絶えず追跡し攻撃を加えた。模倣国家日本はドイツの技術により戦局打開の望みをかけていた。 訪独潜水艦は「モミ」「マツ」などと呼ばれ、海軍にあっても極秘であった。
潜水艦伊52号
伊52号は、竣工当初から輸送艦として期待され撃沈されるまで攻撃任務に一度も就いていない。 伊52号艦長 宇野亀雄中佐(海兵53期)
【独技術習得のため七人の民間技術者が乗艦】
水野一郎(日本光学・対空射撃用機械式計算機 現:ニコン)
請井保治(愛知時計・歯車技術 現:愛知時計電機)
岡田誠一(富士電気・対空射撃装置)
永尾政實(富士通信機製造・高周波真空管・レーダーの専門家 現:富士通)
萩野市太郎(東京計器製作所・ジャイロ技術 現:トキメツク)
藁谷 武(三菱重工・ディーゼルエンジン)
蒲生郷信(三菱重工・ディーゼルエンジン)
*3 危険をかえりみず訪独してまで日本側が欲しがったドイツの兵器
潜水艦レーダー、 レーダー逆探知装置、 地上レーダーウルツブルグ、 飛行機用レーダー、 夜間戦闘機用レーダーの真空管、 ベルリン型9センチ波レーダー、 敵味方識別装置(IFF)、 投下型送信機、
オシログラフ、 飛行機用無線電話装置、 ミコシ射撃装置、 KOB装置、 ラインメタル13mm自動機関銃設計図、 圧力キャビンの部品と設計図。などなど。
訪独潜水艦は5隻派遣されたが帰還潜水艦は二番艦イ8潜のみである。往復204日、1943年12月21日呉に帰着した。 大西洋の真ん中でドイツ潜水艦からレーダー逆探知装置を取り付けてもらっていた。
対する米軍は大戦末期 艦載機 F6F にAN/APS-6 機上レーダーを装備し夜間戦闘機として運用していた。沖縄戦黎明攻撃の艦爆機はこの機に遭遇すると逃げの一手しか残されていない。
砲身製造技術
イ.素材製造法 クルップ 日本製鋼
ロ.内筒互換性設計工作法 クルップ 日本製鋼
さらに、航空機,艦船,レーダー,無線機,ダイムラーベンツ魚雷艇ディーゼルエンジン
九三式酸素魚雷は無気泡,長射程30Kmを誇っていたが、 伊8号が持ち込んだこの魚雷に全くドイツは興味を示さなかった。 艦長以下は少しこの点で自信があっただけに「ガッカリ」している。 ドイツは通常の魚雷の限界を知っていた。  日本が取得したいノウハウで魚雷には自信があっただけに全く入っていない。  その音痴振りが「人間魚雷 "回天"」につながった。  ドイツも極秘にしていたが、日本人が知ったら仰天したであろう。 ドイツの開発していた魚雷は
◆TI型:ジクザグに走り命中精度を高める
◆TW型:音響追尾魚雷。
◆TZ型:有線誘導魚雷
◆T[型:スクリューの乱流(渦)を追尾する。
伊52撃沈までの時系列 昭和19年(1944)3月10日呉発
1944年4月23日シンガポール出港。 米はすでに艦長以下のスタッフ及び添乗している民間技術者の全容を把握。
1944年5月20日ころ、伊52喜望峰を越え大西洋に入る。
1944年5月末、米海軍No22・2対潜部隊,護衛空母ボーグ(Bougue)を核として5隻の駆逐艦に伊52撃沈任務を命令。
1944年6月5,6日 伊52とみられる弱いレーダー反応を感知。
1944年6月11日 潜望鏡を発見したが天候不良のため見失う。ソノブイ反応なし。
1944年6月15日 米海軍No22・2対潜部隊伊52と独潜会合地点に変進。
1944年6月23日 04:15 A航空隊アベンジャー機(三座) 15°17′N,39°5′W の海域先30哩でレーダー反応感知。
1944年6月23日 20:20 独潜U-530と予定会合地点で合流。レーダー逆探知装置取付。
  独士官1,操作員2乗組む。

1944年6月23日 20:20〜 U-530は2回にわたって敵機の接近を察知。急速潜航を繰り返し危機を脱す。
1944年6月23日 20:20〜 伊52はレーダー逆探知装置作動テストで浮上せざるをえなかった。
1944年6月23日 23:39 ボーグアベンジャー 20号機(テイラー機) 15°15′N,39°55′W レーダーに伊52を
 捉える。ベンジャー 20号機ソノブイ投下。
1944年6月23日 23:45 ボーグアベンジャー 20号機。照明弾投下。伊52艦体を暴露。
1944年6月23日 23:46 伊52急速潜航に入る。重厚長大な潜水艦に急速潜航はできなかった。
1944年6月23日 23:47 テイラー機伊52の後方に回りこみ Mk24魚雷投下。
1944年6月23日 23:50 ソノブイレシーバーで伊52の爆発音聴取。
1944年6月24日 00:28 ボーグアベンジャー 17号機発艦。
1944年6月24日 01:00 ボーグアベンジャー 17号(コードン機)。現場海域に到着。
1944年6月24日 01:54 アベンジャーコードン中尉機は Mk24魚雷投下。
1944年6月24日 02:12 潜水艦が壊れる音響をソノブイはとらえ、録音された。
1944年6月24日 13:00 駆逐艦ハバーフィルドは 伊52のものとみられる浮遊物を回収。
1944年8月5日 日独の関係者は伊52が無事であることをあきらめた。伊52は完全に消息を絶った。
『消えた潜水艦伊52 日本放送出版協会:刊 1997/8/25 発行』に詳しい。
Sono-BuoyとはSonar(ソーナー・ソナー、水中音波探知機)とBuoy(ブイ、浮標)の合成語。
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