当初沖縄突入艦から除かれていた対空(防空)駆逐艦秋月型
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攻撃優先、防御軽視の日本海軍にあって、現在のわれわれが普通に使用している防空駆逐艦という呼称を禁じていた。 呼び方は対空駆逐艦。 その秋月型駆逐艦の対空高角砲は当時の世界水準の性能を誇っていた。問題は、米艦艇の普通装備であった対空射撃用電探が無かったことである。 よって秒速100m以上で進む航空機に命中させることは不可能に近かった。
中部機銃座の後方に魚雷発射管を設置した。当初このような装備を取り付ける予定はなかったが、用兵側の強い要求により設置した。 すなわち、この設置により当該駆逐艦の使用法があいまいなものとなる。
「防御」という言葉さえ禁句だった海軍にあって、この駆逐艦は「対空駆逐艦」と呼ばせていた。 「防空」などと云えばおそらく誰一人この駆逐艦に乗る者(本心は乗りたくても男の面子で)はいなかったことであろう。
航空機が戦場の主役になった戦争で、駆逐艦は63隻建造されたが対空駆逐艦は12隻にとどまった。  同艦型12隻、全て太平洋戦争に入って完成した。
1945年4月5日時点で、冬月,涼月(第41駆逐隊 司令;吉田正義)の二艦は突入艦隊に含まれていなかった。
4月6日第二艦隊はGFに意見具申し入れられた。 戦闘に入ると二水戦麾下でなく、第二艦隊直率となっている。
沖縄突入艦隊に含めなかった理由は?
それは、連装高角砲四基搭載の対空(防空)駆逐艦だったからである。攻撃優先の Imperial Navy の参謀らにとって、 この対空(防空)駆逐艦はその名のとおり「防御兵器」の部類で、大和以下の突入艦隊の最終目的は、 攻撃優先の沖縄島海岸擱座「主砲」撃ちまくりであり、Imperial Fleet名誉の上にも、 その土壇場で守りの兵器を使うなど有終の美に水差す以外のなにものでもなかった。と参謀らは考えたに違いない。
左図で戦争に入り、入った途端右図となった。 それでも、彼らは左図の考えを捨てなかった。
三田尻沖に結集した残存 Imperial Fleet の首脳部は、上空直掩航空部隊がない水上艦隊の沖縄 到着など絶対不可能という結論になった。 また、大和主砲三式対空弾で敵機を撃墜するなど、 これまた不可能に近いという評価でもあった。
Imperial Navy でエリート中のエリートされた砲術科員も、大艦巨砲は過去のものであり、 主砲旋回,俯迎指向*1が航空機の機速に追従できないことを知っていたので反論できもしなかった。  そこで当初GFは沖縄突入に組み入れてもいなかった「守りの兵器」対空(防空)駆逐艦2隻を第二艦隊首脳部は引きつれて行く結論に到達してしまったと考えられる。  この第二艦隊の意見具申に対して反論できなかったGFは出撃の朝、艦隊側の具申を受け入れざるを得なかった。  あの大艦巨砲攻撃優先思想を放棄した一幕でもあった。
米艦載機も、冬月、涼月の対空弾幕に少しは恐れをなしたのか、奇跡の海から2艦とも生還*2した。ただし冬月は艦艇通過した航空魚雷を記録している。戦いは運不運の連続である。単に冬月は幸運艦だっただけ。

駆逐艦[秋月型(対空・防空)]specification
長さ 134.0m 幅 11.6m 吃水 4.15m 排水量 3,470t 速力 33.0kt 出力 52,000馬力
主要兵装 九八式10cm連装高角砲×4基 射撃速度15発/分 初速 890m/秒 最大射程14,000m
       最大射高目盛11,000m 砲員11人  高角砲俯迎角度 +90°〜−10°
       砲身製造数は169本にとどまった。
       九六式25mm三連装機銃×7基 射撃速度220発/分(1銃当たり) 初速900m/秒 最大射高5,250m
       旋回速度 15°54'/秒,俯迎速度 11°40'/秒
       最大俯迎角度 +80°〜−15° 砲架重量1,800kg
       九六式25mm単装機銃×12基(冬月) 九六式25mm単装機銃×7基(涼月・花月)
       15発入り弾倉。機銃上方給弾。連装銃は常に1銃発射
       この九六式25mm機銃は仏ホチキス社(保社)より製造権を購入した。
       九三式魚雷発射管 4連装×1基。(中部機銃座の後方に装備)
駆逐艦秋月
高角砲要目は資料によって若干違う。「日本海軍史 巻七」に海軍全兵器の諸元掲載あり。

艦載、航空機搭載機銃のいずれも海軍が独自で開発した機銃はなく、外国製を購入し、またはパテントを購入した。 それを国内で模倣し製造。 国内製造の主力は豊川工廠機銃部及び横須賀工廠とし、一部を日本製鋼所・ 愛知時計・寿重工で生産した。 銃弾も両工廠と大日本兵器・畑兵器の二社で製造。
機銃の撃発は、単銃は引金,連装はフットペダル,連装銃には前面に防弾板を取り付けたものもある。
大和,武蔵の三連装機銃は操作員保護で爆風除盾が施されている。大和最終改装で24基。
 不思議なのは、米艦にみられる二連装二基がワンセットの四連装機銃をなぜ作らなかったのだろうか?。
二連装又は三連装機銃2基,あるいは3基を1台の九五式機銃射撃指揮装置で制御した。
残されている機銃イラストで、三連装機銃の射手は左席。二連装は右である。 どんなメリットがあって射手席が違うのか。?
艦載用九三式13mm機銃も ホチキス社 より現品を購入し模倣した。兵器要目で「保社」とあるのはホチキス社のことである。
機銃射撃指揮装置について
霞砲術長だった三浦 節氏はその著書「私観大東亜戦争(元就出版社/2008.1)」で射撃指揮装置を使った訓練射撃をしていない。おそらく駆逐艦搭載25mm機銃に射撃指揮装置はまったく設置されず、目算と勘にたよった射撃になったと考えられる。 大和水上特攻で雲霞のごとく飛来した米機の撃墜が10機程度だったことを思えば戦艦大和搭載の三連装機銃も指揮装置があったのか疑わしい。

No 艦名 竣工年月日 建造場所  摘 要
1秋月1942/06/13舞鶴1944/10/25 レイテ沖海戦 エンガノ岬沖で空襲沈没
2照月1942/08/31長崎1942/12/11 ソロモン海戦 サボ島沖で魚雷艇の攻撃で沈没
3涼月1942/12/29長崎大和沖縄特攻で41駆逐隊に属し生還
4初月1942/12/29舞鶴1944/10/25 レイテ沖海戦 エンガノ岬沖で被弾沈没
5新月1943/03/31長崎1943/07/06 ソロモン諸島西部クラ湾で米艦隊と交戦被弾沈没
6若月1943/05/31長崎1945/11/11 オルモック湾で米機の爆撃で沈没
7霜月1944/03/31長崎1945/11/25 アナンバス諸島(イントネシア)で米潜の攻撃により沈没
8冬月1944/12/29舞鶴大和沖縄特攻で41駆逐隊に属し生還
9花月1944/12/26舞鶴大和沖縄特攻31戦隊43駆逐隊に属し途中解隊。

平生沖で終戦。前日の光海軍工廠へのB29の爆撃を望見。
10春月1944/12/28佐世保完成時期遅し、活躍なく終戦時呉
11宵月1945/01/31浦賀完成時期遅し、終戦時東能美島に繋留
12夏月1945/04/08佐世保1945/06/16 六連島で触雷。門司に繋留終戦
花月 大和沖縄特攻に際し搭載燃料600トン移載。移載作業終了の1945年4月6日 02:00 三日前大和任官の

少尉候補生ら大和から中部機銃座へ青竹の滑り台で移乗した。


竹や材木も多量に各軍艦に積み込まれていた。艦体破損口などの防水補助材として使用した。
駆逐艦 冬月 艦橋櫓檣(ろしょう)には二号一型改の電探装備  開発した電探はこちら

駆逐艦冬月
生還 駆逐艦[初春型](初霜)specification
長さ 103.0m 幅 10.0m 吃水 3.03m 排水量 1,680t 速力 36.5kt 出力 42,000馬力
主要兵装 12.7cm連装砲×2基[B型改二] 射撃速度4.4発/分 初速890m/秒 最大射程22,700m
       最大射高16,000m 砲員16人  12.7cm単砲×1基
       主砲俯迎角度 +75°〜−7° 砲塔重量32トン
       対空射撃に使えそうだが、弾薬装填の際、俯迎角を10°にする必要があった。
       九六式25mm二連装機銃×1基 九六式25mm三連装機銃×3基
       機銃弾搭載量1銃当たり2,000発,内訳は通常弾1,520発,曳痕弾480発
       初期装備は、九〇式魚雷発射管 3連装×2基。後に九三式魚雷開発とともに発射管も変更されたと
       考えられる。 同艦型4隻、1933年〜34年にかけて佐世保と浦賀で建造された。
沖縄特攻生還 駆逐艦
第17駆逐隊(司令:新谷喜一 1944/12〜1945/04) 雪風(艦長:寺内正道 1943/12〜1945/06)
第21駆逐隊(司令:小滝久雄 1945/03〜1945/05) 初霜(艦長:酒匂雅三 1944/08〜 )
第41駆逐隊(司令:吉田正義 1945/03〜 ) 防空駆逐艦冬月(艦長:山名寛雄 1945/03〜 )
                            防空駆逐艦涼月(艦長:平山敏夫 1945/03〜1945/05)

中間域対空砲なし
  前述したように、秋月型駆逐艦に搭載した九八式10cm連装高角砲は、通常駆逐艦の主砲12.7cm連装砲(B型改二)に 比し圧倒的発射弾数(4倍程度/1門)があった。米軍はこの対空(防空)駆逐艦には近づくなと指示していた。
よって、米艦載機の攻撃が冬月、涼月に限って散発的になったと考えられる。 これも前述したように、駆逐艦の主砲迎角は75°もあったので対空射撃に対応できるが、発射弾数が最大毎分4発程度である。 理由は、砲を一旦水平程度(10゚)に戻し弾薬を込める。
そして敵機の迎角まで戻す。それが1秒で迎角5度,旋回は1秒で11度。 迎角60度に戻すと12秒必要だ。時速 400Km の航空機はその間、1,333m 移動する。 君がもし、射撃責任者の砲術長だったら、敵機を撃ち続けるか?? アホらしくなってやめてしまうだろう。  おそらく、測的所も急降下爆撃には追従できずサジを投げるだろう。
よって、普通に考えたら毎分2発程度であろう。それも目標を狙うというより、当たるも八卦の程度と考えられる。
型名 艦名 連装 砲塔数 砲数 1分/発 弾数
不知火型磯風*248216
雪風2 4 8 216
浜風*2 4 8 216
夕雲型朝霜*2 3 6 212
初春型初霜2 4 8 216
満潮型*2 4 8 216
* 印 沈没艦 92
これら水雷戦目的駆逐艦は対空攻撃に対して無力であった。 この射撃も最大限努力しての 発射弾数であり、高速の航空機が反対舷に飛び去ると追従できるはずもなかった。 また対空射撃指揮装置は電探に連動した装置はない。
 開発されていたレーダーはこちら。

一方、米軍は航空機の戦いとなったこで柔軟に対応し、駆逐艦や巡洋艦は陸上・航空両用砲を 搭載した。毎分20発程度の発射弾数である。米と同程度の弾幕を張るとしたら、日本海軍は4倍程度 主砲を増やさなければならない。
これも不思議だが、遠距離対空砲(発射弾数少ない・射程(14km)と近距離25mm機銃(4発/秒・有効射程1.5Km・最大射程2.5Km)だけで 中間砲(5〜10Km程度)に相当するものがない。 もし米軍がそれを知ったら、接敵位置を5Km程度に保って(まず対空砲で撃墜されない)攻撃進入隊形を 整え、一気に突入すればよい。
航空機の時速が400Kmだとしても目標艦まで距離4Kmだと36秒で到達する。
米軍の対空ボーフォース(Bofors)40mm 機関砲(120発/分・1門)に相当する機関砲が存在しない。 米艦には、2連装×2基計4連装機銃がハリネズミように連立している。 近距離は12.7〜28mm機銃。 近・中・遠 の対空弾幕を特攻機は、かいくぐる必要があった。   米軍データに見る対空火器判定。
阿賀野型巡洋艦に搭載された8cm連装高角砲が中間射程だが機関砲ではない。
米空母機動部隊の防空火器
艦隊の防空輪形陣を形成したのは米海軍が先だった。陣中央に空母を配置しその周囲に戦艦を含む護衛艦を配置。対空火砲は遠,中,近に対応する火器を装備した。
3,000m超範囲 5インチ(127mm) Mk10 連装両用砲。砲弾はVT信管付き
3,000m〜1,500m ボフォース40mm 2連装2基 1機銃台
1,600m以下 エリコンSS(Mk.IV)20mm機銃
攻撃してくる日本機に対して致命的打撃を与えたのが戦闘航空哨戒と、その頭脳となるCIC(戦闘情報センター)である。 刻々と移動する敵味方の航空機を透明なボードに書き込み戦闘機統制指揮官が戦闘機隊を無線電話で誘導するというものであった。

20mm Mk.IV(エリコンSS)
Vickers(英)40mm機銃を「毘式40mm 初速600m」として 横須賀海軍工廠で製造した。単装・二連装機銃が存在した。
また Bofors(スエーデン)40mm機銃を五式として試作している。なおこの機銃を一番多用したのは米海軍だった。
米軍は、M2、12.7mm機銃を銃弾も含めてAN規格とし、陸軍、海軍、海兵隊、 沿岸警備隊も全く同一機銃を使わせた。発射速度:400〜600発/分,初速:890m/秒,有効射程:1,000m。 日本は、同一口径だとしても、陸軍は陸軍規格、海軍は海軍の規格でそれぞれ機銃や薬莢・弾丸を 製造したので、同一口径でも使用出来なかった。 

応射する20mmエリコンSS(Mk.IV)
  米軍は、遠距離対空射撃5インチ両用砲。
中距離 Bofors40mm 機銃 2連装2基 1機銃台。
近距離 M2 12.7mm単装機銃で対応した。
この画像の応射角度は30°程度である。目標の距離500m だとすると特攻機の高度は270m の計算となる。
特攻機機速500Km 距離500m 目標到達 3.6秒 この3基の機銃だけでも到達まで70発程度の銃弾を浴びる。 輪形陣の対空射撃はこちら
開戦当初の海防艦実態はこちら
帝国海軍は有効な射撃指揮装置を持たなかった。
長駆伊号潜水艦をドイツに派遣し同装置を得ようとしたが成功しなかった。
米軍装備M2、12.7mm機銃は単装で銃手一人で操作した。一方帝国海軍の25mm 連装機銃は機銃統制指揮官(砲台長)の指示で旋回手が機銃座の旋回を射撃手が銃口の上げ下げ(俯迎)を行った。 直接機銃を操作する二人の呼吸が合わなかったら射撃しても無意味である。 近距離高速で移動する航空機に連装機銃の追従は不可能であろう。 雷撃機の魚雷投下は概ね 1,000m である。大和のハリネズミほどの機銃でも撃墜機数が 10 機程度であり、連装・三連装機銃が対空射撃に貢献しなかったことがわかるであろう。 ちなみに、連装機銃は砲台長を含め7人。三連装機では9人で1銃座を操作した。
軽巡洋艦矢矧 
軽巡洋艦[矢矧]specification
矢矧 Yahagi (昭14)佐世保工廠 1941.11.11着工 1942.10.25進水 1943.12.29完成 二等巡洋艦
排水量基準 6,652t, 公試7590t, 満載 8,534t, 長さ垂線間長 162m, 水線長172m, 全長 174.1m
全幅15.2m, 喫水5.63m, 機関4軸減速タービン, 機缶6, 100,000shp, 燃料重油 1405t, 速力35ノット
装甲 水線帯 55mm (機関部), 50mm (弾薬庫), 甲板 20mm, 砲塔 25mm
爆雷16発, 航空機 二機
主要兵装 五〇口径四一式15.24cm連装砲×3基, 射撃速度1発/約10秒, 初速850m/秒, 最大射程21,000m
       主砲俯迎角度 +55°〜−5°, 弾量45.36kg, 砲塔重量72トン
       旋回速度 6°/秒, 俯迎速度 10°/秒
       主砲は対空射撃に使えない。弾薬装填の際、俯迎角を10°にする必要があった。
       九八式八糎連装高角砲A型×2基
       俯迎角度 +90°〜−10° 重量9.5トン 砲員8人
       旋回速度 10.7°/秒 俯迎速度 16°/秒 射撃速度 25発/分
       初速 900m/秒 弾量 5.5kg 最大射高 9,100m
       九六式25mm三連装機銃×10基, 俯迎角度 +85°〜−10°, 重量2,825Kg
       射撃速度220発/分, 初速900m/秒, 最大射程5,250m
       九六式25mm単装機銃×28基, 俯迎角度 +85°〜−15°, 重量250Kg
       射撃速度150発/分 初速900m/秒 最大射程5,250m
       * 銃はむき出しであり銃手防御構造なし。
       九二式魚雷発射管(61cm) 4連装×2基 * 最後までこの装置だったのか不明である。やがて九三式
      1型が開発された。やがて射程縮小型の九三式3型と九七式なども製造された。

      米艦載機の攻撃で、魚雷数本をうけ航行不能、炎上。魚雷7本、爆弾12発を受けたともいう。
      乗員約950名のうち戦死446名。戦傷132名。大和より僅かに早く沈没したが、多くの生存者の割には
      大和ほど詳しい状況は伝えられていない。戦史は消されたか??   矢矧生還者の語る真実。
海軍が使用した、若しくは開発した兵器について、「日本海軍史 巻七」に詳しい。
[technology] 内の各 htm ファイル
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