元山航空隊司令青木泰二郎はミッドウェイ海戦空母赤城の艦長だった。
聯合艦隊の総力を傾注した作戦の蹉跌。情報軽視

参考までにミッドウェイ海戦(1942年6月) 空母赤城の戦闘概況   当時の軍令部作戦部長はこちら
■ この作戦の主役・脇役の司令部幹部はこちら    表記時刻はミッドウェイ標準時。日本標準時は+3時間。
4日
16:31 赤城戦闘機3機発進。 巡洋艦利根より緊急信号方位260゜敵機10機認む。
16:54 敵機見失い 赤城戦闘機収容。
5日
01:30 赤城索敵機1機発進。
01:42 各空母4隻より発艦した戦爆艦攻108機ミッドウェイ島に向かう。
02:00第四索敵線担当利根偵察機発進時間30分遅れで発進。
04:00米空母ホーネット59機。日空母攻撃のため発進開始
04:06米空母エンタープライズ、第一波攻撃33機発進
04:10 敵雷撃機2隊に分進するを認む。 赤城戦闘機3機発進。
04:12 赤城敵機魚雷発射認む。 面舵で回避。 敵機銃掃射により両舷送信用空中線切断。左舷使用不能
04:15 第一航空戦隊(赤城・加賀)「第二次攻撃隊本日実施 待機攻撃機爆装ニ換ヘ」
04:20 赤城戦闘機1収容。
04:28 発:利根4号機 宛:機動部隊 「敵ラシキモノ10隻見ユ。ミッドウェイ方位10゜距離240浬」
04:28米空母エンタープライズ、第二波攻撃24機発進
04:36 赤城戦闘機4収容。
04:38 味方攻撃隊帰投するを認む
04:45 発:機動部隊司令長官 宛:機動部隊 「敵艦隊攻撃準備攻撃機雷装其ノ儘」
04:47 発:機動部隊司令長官 宛:利根4号機 「艦種確メ接触セヨ」
05:00 発:機動部隊司令長官 宛:利根4号機 「艦種知セ」
05:08 赤城戦闘機3機発艦
05:09 発:利根4号機 宛:機動部隊司令長官 「敵巡洋艦5 駆逐艦5」見ユ
05:10 赤城飛龍に爆弾命中するを認む
05:11 発:利根4号機 04:28 の電文機動部隊司令長官に届く。 利根機無電発信から43分後となる。
戦史叢書はこの様に記述するが、利根4号機の電報が 05:11 に司令部に届いたとすると 04:45 「敵艦隊攻撃準備攻撃機雷装其ノ儘」 発令の意味が不明である。 敵情が届かないとき雷撃の準備をさせるわけがない。 利根4号機 04:28 「敵ラシキモノ10隻見ユ」 この発令直前に司令部に届いたのであろう。
それでなかったら、04:47 発:機動部隊司令長官 宛:利根4号機 「艦種確メ接触セヨ」は宙に浮く。04:28 の電文を知ったから、04:47 「艦種確メ接触セヨ」となったはずだ。
作家の澤地久枝氏がミッドウェイ海戦に関する座談会で奥宮正武(海兵58期・S5/11卒・戦記作家)氏とのやりとりで、
奥宮公刊戦史といっても間違ったところ、正確でないところがいっぱいある。公刊戦史は資料であって史料ではない。と言い切っている。
奥宮正武は海軍の航空特攻について擁護弁明している。 是々非々の態度が皆無である。 公刊戦史でも人間が行う作業であるから間違いがあって当然と思う。 だがあれが(公刊戦史)が単なる参考資料なら、戦後生まれの国民は何を信じてよいのか分からなくなる。 公刊戦史は国家事業としての戦史記録なのだ。
筆者の結論:旧海軍関係者が記述した戦記は作者の人間性から真実かウソの固まりか判断せよ!
奥宮は第4航空戦隊(空母龍驤・隼鷹)参謀北方部隊航空参謀として参加。戦後航空自衛隊に入る。
05:20 発:利根4号機 宛:機動部隊司令長官 「敵ハソノ後方ニ空母ラシキモノ1隻伴ウ」

当時の海軍は鈍感で偵察専用艦上機を保持していない。彩雲艦上偵察機戦線投入は1944/6月からである。
05:30 発:機動部隊司令長官 宛:機動部隊(赤城・加賀・蒼龍・飛龍) 「艦爆隊二次攻撃準備250s爆弾揚弾」 
05:32 赤城戦闘機4機発進
05:37 赤城第一次攻撃隊収容開始
05:38米空母ヨークタウン、第一波艦爆隊18機発進
05:39 赤城左10゜高角2゜に敵雷撃機を認め収容中止最大戦速面舵一杯

05:30 機動部隊の艦爆機に対して「艦爆隊二次攻撃準備250s爆弾揚弾」は、二航戦飛龍・蒼龍に出された命令と解するべきである。なぜなら赤城・加賀の艦爆機はミッドウェイ島爆撃で出払っている。
04:28 利根機より「敵空母見ユ」の電信を受け 05:40 頃、第二航空戦隊山口少将指揮下空母飛龍・蒼龍艦上に艦爆各艦(2隻)18機。合計36機が発進の下令を待っていた。山口少将は駆逐艦野分を中継し南雲機動部隊司令長官に「直ちに攻撃隊発進の要ありと認む」と上申。
公刊戦史最大のナゾは、04:45 機動部隊宛に発信された「敵艦隊攻撃準備攻撃機雷装其ノ儘」この電報である。どのような情報の下にこの電令が発せられたのか? 公刊戦史は何も語っていない。

05:55 発:機動部隊司令長官 宛:機動部隊 航空機の「収容終ワラバ一旦北ニ向へ機動部隊ヲ捕捉殲滅セントス」
機動部隊着信 06:13
05:55 発:機動部隊司令長官 宛:聯合艦隊司令長官 「午前5時敵空母1巡洋艦5駆逐艦5ヲAF10゜240浬ニ認メコレニ向フ」
機動部隊着信 06:30
05:59 艦爆全機収容
06:05米空母ヨークタウン、第二波攻撃隊19機発進
06:15米空母ホーネット爆撃隊21機。日本艦隊捕捉ならず帰還
06:18 ミッドウェイ攻撃隊帰還全機収容

06:20 第二航空戦隊艦爆36機への出撃命令は届いていない。利根4号機敵空母発見(05:20)の報告から1時間経過している。 また赤城は 05:39 に敵雷撃機を認めている。雷撃機は空母所属機が来襲したものと察するべきである。
06:18 遅きに失しているが、攻撃隊全機帰還した直後から二航戦飛龍・蒼龍の艦爆機と艦戦ほぼ全機を第一次敵機動部隊攻撃に発進させるべきであった。

06:23 赤城右122゜角度0.5゜距離40,000m に敵機18を認む
06:25米空母ホーネット雷撃隊15機全滅
06:32 赤城戦闘機5発艦
06:37 利根4号機 「我燃料不足接触ヲ止メ帰投ス」
06:40 赤城左140゜角度1゜距離40,000m に雷撃機14機認む
06:42 (赤城) 味方戦闘機により右方雷撃機全部撃墜されたるを認む
06:45米空母エンタープライズ雷撃隊14機中11機喪失
06:52米空母エンタープライズ戦闘機隊、日本艦隊発見。燃料不足で引き返す
06:58 発:第八戦隊 宛:第八戦隊所属機 「敵14機二隊に分かれ味方上空主として第一航空戦隊に向かう」 一部加賀に対し雷撃。加賀これを回避。
07:22発:機動部隊長官 宛:一航戦・二航戦母艦 艦隊上空直衛のため「艦戦ハ準備デキ次第発艦セヨ」

07:22 上空直衛機発艦セヨの命を受けた一航戦空母赤城は直ちにゼロ戦一機を発艦させた。
07:24 第一航空戦隊(赤城・加賀)は運命のその時を迎える。 第一航空艦隊参謀長だった草鹿龍之介が運命の5分間という事態はどこにも現れない。  利根4号機による空母発見の20分後(05:40)に第二航空戦隊は攻撃機を準備し指示を待っていた。
その前段 04:10 赤城はすでに敵雷撃機を認め迎撃の戦闘機3を発進させている。  当然この時刻に敵にその姿を視認されており、各航空戦隊に対して 04:45 「敵艦隊攻撃準備攻撃機雷装其ノ儘」の命令も出された。 その35分後(05:20)利根4号機から空母発見の報が入っている。  戦後云われているように、陸上攻撃用の爆弾を艦船攻撃用の爆弾に転換したなど、敵空母攻撃が遅れたように戦史叢書も記述するがそれは爆撃機(艦爆)の話であって、雷撃用の攻撃機(艦攻)の話ではない。
05:37 ミッドウェイ島爆撃の艦爆や戦闘機が航空戦隊の上空に帰還を始めたが、上空に暫し待機させ手持ちの駒(少なくとも、飛龍・蒼龍の艦爆機)を発進させるべきであった。 公刊戦史の内容は入り組み複雑だが少なくとも時系列的に整理だけは出来る。 ただ読んでいても、その電令はどのような情報に基づき発信されたのか判然としない。 戦後機動部隊草鹿参謀長がいう運命の5分間はどこにもないことだけは確かである。

米側時系列記録時刻
04:06No 16 任務部隊空母エンタープライズ艦爆33機(マクラスキー隊)発進
06:55 マクラスキー隊 駆逐艦嵐(第10戦隊第4駆逐隊)の航跡を発見。その後を追う
駆逐艦嵐は警戒部隊に所属した。指揮官木村 進の下で第10戦隊に所属。旗艦は軽巡長良
07:05 マクラスキー隊 日本艦隊発見。
07:22 マクラスキー隊 まず加賀を襲撃
07:26 マクラスキー隊 赤城に急降下開始     マクラスキー隊 33機の内 17機喪失 喪失率 51.5
07:40 待機中の飛龍艦爆18、艦戦6 敵空母を求め発進。
  機動部隊の指揮能力が喪失した直後。第二航空戦隊でただ一隻残った飛龍は 05:40 出撃準備完了していた艦攻 18機を発進させた。 この時刻は淵田・奥宮共著「ミッドウェイ」の記述であり公刊戦史に記載はない。
この07:40 に指揮権先任の原則からみて第二戦隊山口多聞より先任である支援部隊第八戦隊阿部弘毅は、まだなにも命じていない。 軍隊にあって越権行為は軍法会議にかけられる。
被爆した空母赤城とその後
07:42 赤城舵故障両舷停止 「総員防火配置に付ケ」   消防ポンプが故障水放射不能
格納甲板で爆発したたった1(2)発の爆弾により被爆から16分後には全機関が停止した。
07:45 赤城司令部移乗のため駆逐艦野分接近

被爆から僅か21分後に司令部は逃げ出さざるを得なかった。 艦艇に致命的打撃を与えることのある航空魚雷は1発も命中していない。 そして生還した乗組員は空母の脆弱性を声を大にして叫び、艦政本部もその必要性を痛感したが、運用する聯合艦隊司令長官山本五十六は改善をさせなかった。

07:46赤城長官以下司令部職員駆逐艦野分移乗開始
07:50機動部隊長官指揮不能のこの間隙を突いて第二航空戦隊(飛龍)に敵空母攻撃の命令が出された。
山口多聞が敵空母攻撃を上申した時より2時間10分も過ぎていた。
* 戦史叢書ミッドウェイ海戦 P336 07:57 飛龍第一次攻撃隊(隊長小林道雄) 艦爆18 艦戦 6 計24
* 戦史叢書ミッドウェイ海戦 P337 飛龍第一次攻撃隊(隊長小林道雄) 艦爆18 艦戦 6(5) 計23(22)
 この第一次攻撃隊の内、艦戦 2 引き返す。  ( ) 内は戦史叢書で頁によって違う機数を示した。
07:54*1筑摩 飛龍(第一次攻撃隊・小林道雄指揮)より敵空母攻撃隊機発進を視認。
07:58*2飛龍(第一次攻撃隊・小林道雄指揮 艦爆18 艦戦6[5] )敵空母攻に発進。
艦戦の( )内の数字は戦史叢書ミッドウェイ作戦の P336下段では6機。次頁P337では5機。 このようなどちらかが違う記述は他の公刊戦史でも多く認められる。 エンジン故障で1機引き返したのか?
日米双方の時系列記録時刻
07:50 発:第八戦隊 宛:第二航空戦隊 「敵空母ヲ攻撃セヨ」   通信方法 無線
07:50 発:第二航空戦隊 宛:第八戦隊 「全機今ヨリ発進敵空母ヲ撃滅セントス」  通信方法 発光信号
記録は同時である。よって航空戦の指揮を山口多聞が執ったように伝えられる要因となった。
この第八戦隊(阿部弘毅司令官)の無線発信は戦史叢書作者による捏造の疑いがある。 2航戦山口多聞より機動部隊支援隊だった阿部弘毅が先任にあたる。 先任指揮が軍隊の大前提であり、指揮権無視を山口多聞が行った事になれば、海軍の歴史に汚点を残すことになる。
07:54 「筑摩飛龍一次攻撃隊発進」 を記録。
07:58 発:空母飛龍 宛:利根 「全機今ヨリ発進敵空母ヲ撃滅セントス」  通信方法 旗旒信号
08:09 発:空母飛龍 宛:各 「発見セシ敵空母ヲ撃滅セントス」  通信方法 発光信号
この第一機動部隊であればその指揮先任順位は、支援部隊第八戦隊阿部弘毅。 世情多くこの海戦の航空戦指揮を第二航空戦隊司令官の山口多聞が執ったごとく伝えられているが、筑摩の記録が正しければ、指揮権先任の原則は守られている。 
第二航空戦隊司令官山口多聞航空戦指揮を執った。という話は当時第八戦隊参謀の土井美二の戦後の回想で先入観なく戦史を読むと 利根が記録している 07:58 発:空母飛龍 「全機今ヨリ発進敵空母ヲ撃滅セントス」 の旗旒信号である。 。
06:38 筑摩、利根偵察4号機と交代させるため筑摩5号機を射出。
07:00 発:蒼龍偵察機 宛:第一機動部隊  利根4号機、敵空母発見の位置に進出したが 「敵を見ズ。我レミッドウェイ島ヨリノ方位20゚ 距離240浬」
07:45 発:筑摩5号機 宛:第一機動部隊  「更ニ敵巡洋艦5、駆逐艦5見ユ基点ヨリノ方位10゚ 130浬」
筑摩5号の「更二」は同機の1番電であるが先に空母を発見していた証左と戦史叢書編者は指摘している。 筆者は、この「更二」は利根4号が発見した艦艇以外にということであると考える。 その後も筑摩5号機は重要な情報を次々発信している。  いずれにしても、100浬そこそこのところに米機動部隊は遊弋していた。
08:00 ホーネット艦爆ジョンソン隊日本艦隊発見できず、搭載爆弾海上投棄
08:49 ヨークタウン日本機接近を察知。艦戦 12発進。 他空母艦戦 16応援
09:00 ヨークタウン飛龍艦爆隊の攻撃を受く。爆弾1命中。
飛龍艦爆18、艦戦6(5) で敵艦戦28機の中に突入したことになる。
08:00赤城機関科との連絡不能
08:20赤城艦長青木泰二郎以下艦橋より飛行甲板前部に移る
08:30赤城搭乗員負傷者駆逐艦に移乗を命ず
08:35赤城格納庫内魚雷・爆弾連鎖誘爆。飛行甲板の火災猛烈を極む
08:50赤城機関長前部錨甲板に来たり。機関科概況を報告
09:03赤城自然に航進を起こし右回りに回頭す
09:06*3飛龍第二次攻撃隊発進(敵空母ニ向ウ)
09:10頃、飛龍攻撃隊敵空母1攻撃。攻撃隊被害大。味方より90浬
09:13赤城右航進に関し秋山機関大尉をして機関科に連絡せしめたるところ、機関科指揮所全滅を報ず
09:15(電) 発:機動部隊長官 宛:司令官 「昼戦ヲ以テ敵ヲ攻撃セントス集レ」
09:25(光) 発:機動部隊長官 宛:司令官 「昼戦ヲ以テ敵ヲ攻撃セントス集レ」
09:37発:飛龍飛行隊 宛:機動部隊長官 「我敵空母ヲ爆撃ス」
10:31*4飛龍第二次攻撃友永丈市隊発進。 飛龍1次攻撃隊収容 偵察機情報敵空母3
  飛龍第二次攻撃出撃 艦攻 9 艦戦 3 未帰還艦攻 5 艦戦 2
  ちなみに第一次攻撃隊の未帰還艦爆13(18) 艦戦3(5〜6)
  括弧内は出撃機数。艦戦実出撃数は不明よって5機もしくは6機。艦爆はたった5機しか帰還できなかった。
  友永丈市も未帰還戦死している。 これらの勇士に哀悼の誠を捧げる。
10:38赤城ご真影を駆逐艦野分に奉遷す
10:50赤城行脚止まる
12:00赤城格納庫内の誘爆前部格納庫床板を破壊。前部中甲板大火災
13:00赤城搭乗残員全員駆逐艦に移乗
13:30赤城後部との連絡再び可能となる
14:05敵機飛龍爆撃。 飛龍火災発生
16:15赤城機関長。自力航行不可能を報告
16:25赤城総員集合。総員退去に関し艦長訓辞。 赤城艦長青木泰二郎。 のち、元山航空隊司令
17:00赤城乗員駆逐艦嵐・野分に移乗開始
17:30赤城艦長・副長駆逐艦嵐に移乗
19:25発:聯合艦隊 宛:赤城 処分待てを令す
21:15GF機密電303番。 事実上のミッドウェイ攻略作戦中止令発信
24:00発:第四駆逐隊司令 宛:聯合艦隊長官 赤城の状況について「尚燃ヘツツアリ、沈没ノ虞(おそれ)アリ」
6日
01:50発:聯合艦隊長官 赤城魚雷による処分を命ず
02:00赤城 第四駆逐隊4隻の魚雷にて処分。 第四駆逐隊司令有賀幸作。  のち、戦艦大和艦長

05:20 利根4号機 敵空母発見時における空母艦載機の実態
表−1  ミッドウェイ島攻撃隊出撃機数
艦名/機種艦攻艦爆艦戦
飛龍18 0 9 27
蒼龍18 0 9 27
赤城0 18 9 27
加賀0 18 9 27
36 36 36 108
戦史叢書 ミッドウェイ海戦 P295〜297
表−2  各空母残存機数
艦名/機種艦攻艦爆艦戦
飛龍0189 27
蒼龍0189 27
赤城170 9 26
加賀260 9 35
43 36 36115
戦史叢書 ミッドウェイ海戦 P297
戦史叢書 「ミッドウェイ海戦」 で一航戦、二航戦の搭載総機数234 機で
表−1、表−2を合算しても 11 機差異がある。 この11機は故障機かもしれない。 だだ予備機も搭載していたはずで単なる間違いか?
島爆撃攻撃に参加しなかった艦戦(ゼロ戦)は全て艦上に留まってはいない。適宜上空直衛にあたっていた。
魔の五分間のウソ!
ミッドウェイ海戦で利根4号機情報により兵装転換(魚雷〜陸上爆弾〜魚雷)で手間取り航空機の出撃が遅れた要因だったと広く人口に膾炙しているが、それは赤城・加賀の話で飛龍・蒼龍の話ではない。 艦攻は魚雷攻撃も爆弾攻撃可能だったが、艦爆は魚雷攻撃には使えない。よって飛龍・蒼龍に兵装転換の混乱は発生しなかった。
05:40 頃、第二航空戦隊(飛龍・蒼龍)司令官山口多聞より艦爆各艦 18 機出撃許可の具申がなされた。 艦戦はミッドウェイ島爆撃の征空隊として半数が出撃し半数(表−2)が残っていた。 第一航空戦隊(赤城・加賀)には艦攻合計 43 機が残っている。戦闘機も当然両艦で 18 機残っているはずである。 戦史叢書「ミッドウェイ作戦」でも蒼龍被爆後飛龍の残存全機が出撃している。よって表−1、表−2の飛龍残存機は正しい。
米側は南雲機動部隊の位置を正確には知っていない。 08:00 にホーネット隊は南雲隊を発見できず爆弾を海上投棄している。 米空母は味方より100浬先程度であり、蒼龍・飛龍の艦爆隊全機(36)の破壊力は大きかったはずであり、米直衛機の機数も少なかったはずだ。 理由は米側も南雲部隊攻撃のため艦戦隊を発進させている。
その時南雲機動部隊司令部ではどのような情況だったのか?。 少し時間を戻して命令をみると
04:15 宛:第一航空戦隊(赤城・加賀)「第二次攻撃隊本日実施 待機攻撃機爆装ニ換ヘ」
04:45 発:機動部隊司令長官 宛:機動部隊 「敵艦隊攻撃準備攻撃機雷装其ノ儘」
一航戦に関しては艦攻計43機に対して艦船用爆弾から陸用爆弾への転換が行われたであろう。 だが04:45 全空母に対して 「雷装そのまま」と命令されているから赤城も加賀も艦攻計 43 機の装備転換が行われたと解すべきで飛龍、蒼龍の艦攻は出払って不在である。  また上空直衛戦闘機も入れ替わり立ち替わり半数程度の上空直衛だった。 直衛機の最大発進は06:32 赤城戦闘機5である。 ミッドウェイ海戦でこの兵装転換が大混乱を引き起こしたとされたが、たかだか30分間の作業で全艦爆の転換が終わったとも思えない。
その時空母旗艦赤城司令部では
機動部隊草鹿参謀長が航空甲参謀源田実に「どう対処すべきか」と聞いたとされている。
源田は 戦史叢書「ミッドウェイ海戦」 頁290で
敵はまだ遠距離で来襲にはもう少し時間があるはずだ。 よってミッドウェイ島攻撃隊を収容して陣容を整えて敵空母を攻撃すべしと進言。
戦闘は拙速を旨とする。 飛龍・蒼龍の艦爆 36 機の破壊力は大きかったはずだ。 艦戦は合計 36 機残っている。半数を攻撃隊に差し向ければよい。 やがて、ミッドウェイ攻撃隊が帰還するはずだ。 被撃墜や故障、損傷などを勘案しても半数は更に攻撃に差し向けられるはずである。
また、航空関係者は、航空戦の特徴として、守勢防御はむずかしく、攻撃によって敵機の発進を押さえることが最も効果的な防御手段であるとみていた。
「戦史叢書 ミッドウェイ海戦」 頁422 と戦史編者は書くが、肝心の機動部隊航空参謀の源田はゆっくり攻撃すべきと思っていたのである。
ところがところが、この戦史叢書編者は同書頁427 で今度は逆の意味に取れることを書いている。それは、「わが海軍は全攻撃力を結集して一挙に敵を撃滅するという用兵思想が強かった」 と書いているのだ。  頁422 では臨機速攻ともとれる表現をし頁427 はこれと逆の表現を行っている。 このように訳の分からんグチャグチャが兵学校出身者なのだろう。 読んでいる小生の頭がグチャグチャになってしまった。
航空特攻を主導的に進めた源田実は戦後、ミッドウェイ海戦の大敗北の要因となった第二航空戦隊山口多聞司令官の直ちに艦爆・艦攻発進の具申を退けた理由として
「図上演習やら兵棋ならば、文句なしに第二次攻撃隊を優先させたであろう。しかし、実戦では机上のコマを動かすのとわけが違う。血の通った戦友を動かしているのである。 ・・・・・・・長い間、苦楽を共にしてきた戦友達に『燃料がなくなったら、不時着水して、駆逐艦にでも助けてもらえ』という気持ちには、どうしてもなれなかった」。
血の通った戦友を死刑台のエレベーターに乗せた男がよくもしゃーしゃーとまたぬけぬけとしゃべっている

偵察利根4号機は戦史叢書で悪役となっている。予定発進時刻に30分も遅延した。更に敵発見の報告位置が違うなど散々である。 この海戦での最大の戦犯偵察機は筑摩4号機(黒田大尉)である。第五索敵線担当だった。同機は発進して一時間後の 03:00 頃に米機動部隊の上空を飛んでいる。なぜ発見できなかったのか? それは雲の上を飛んだからである。 味方の天候記録でも風速も弱く晴れである。 雨を降らす乱層雲は見あたらない。  一部層雲が発生していたのであろう。雲底は1,000m 程度だからその下を飛べばよかった。

確かに利根4号機(甘利洋司一等飛行兵曹)は発進時間が30分遅れた。 遅れは彼の責任ではない。 怪我の功名で索敵線の先端まで行かずに引き返し 04:28 敵発見を報じた。 戦史叢書ミッドウェイ海戦で多く頁をさいて非難轟々の感がある。敵発見位置が違うだの、飛行作図が違うだの散々である。 確かに位置報告は違ったが司令部で利根が担当する予定索敵線を見れば、利根4号機の 報告にずれがあることを発見できたはずである。 戦史叢書編者も P308 で「受信者はその艦位(敵)に疑問を持つべきであった」 としている。筆者も当然と思う。 すなわち全く緊張感なしに戦いを行っている。
05:40 第二航空戦隊艦爆 36 機に発進を命じていたら、恐らく空母4隻喪失は起きなかったであろう。
ミッドウェイ海戦における日米搭乗員の戦死はこちら。 詳しくは澤地久枝:著 「記録:ミッドウェイ海戦」を参照されたい。 戦史叢書「ミッドウェイ海戦」の不正確さに気付くはずだ。  空母別搭載機数・機種別戦死者数はこちら
*1、2 筑摩戦闘詳報と戦史叢書「ミッドウェイ海戦」では時間4分の差がある。
*3 09:06 機動部隊戦闘詳報の飛龍第二次攻撃隊発艦時刻
*4 10:31 戦史叢書「ミッドウェイ海戦」の飛龍第二次攻撃隊発艦時刻

ミッドウェイ海戦 乗組員戦死者戦史叢書
戦死者数
艦船名乗組員兵科搭乗員飛行科
搭乗員
合計
赤城26016267221
加賀790516811800
蒼龍701010711718
飛龍320666392416
三隈69513700648
最上91 0292 
筑摩0 033
利根0 112
谷風11 0011
朝潮21 0021
荒潮35 0035
1 001
風雲1 001
あけぼの丸10 00 10
合計2,936141073,057
印沈没艦  出典:澤地久枝著 「記録・ミッドウェー海戦」
  あけぼの丸は6月4日ミッドウェー基地航空隊航空機の魚雷攻撃で被爆。
  戦史叢書ミッドウェー海戦  空母4隻搭乗員110人の機種別戦死者

兵科搭乗員の内訳
艦名/機種艦戦艦爆艦攻水偵
赤城1 0001
加賀01 4 05
飛龍13 2 06
三隈0001 1
利根0001 1
2 4 6 2 14
出典:澤地久枝著 「記録・ミッドウェー海戦」
旧海軍関係戦史叢書で妾の連れ子のような心境になることがある。 例えば海上護衛に従事した海軍将兵の士官に多く准士官とか特務士官という記述がある。 明らかに兵学校出身者とその方たちとは出自が違うことを暗示しているように感じる。 また、何か都合の悪いことを書いていないようにも感じる。 それは、小生が妾の連れ子の性(さが)だろう。

ミッドウェイ海戦喪失五艦艦長
  • 空母加賀艦長 岡田次作大佐(ミッドウェイで戦死)
  • 空母蒼龍艦長 柳本柳作大佐(ミッドウェイで戦死)
  • 空母飛龍艦長 加来止男大佐(ミッドウェイで戦死)
  • 巡洋艦三隈艦長 崎山釈夫大佐(ミッドウェイで戦死)
  • 空母赤城 艦長 青木泰二郎駆逐艦嵐に移乗生還。
      生還したのは赤城艦長青木泰二郎だけである。 終戦間際元山空司令だったがここでもいち早く逃げ出した。
  • ■ 米側の戦死人員
    戦死者総数 362人。 内、搭乗員戦死 208人。 内、ミッドウェイ基地 8人。
  • 内、ミッドウェイ基地海兵隊 49人。  内、ミッドウェイ基地陸軍航空 37人。  内、ハワイ基地陸軍航空 11人。
    航空母艦搭乗員戦死者数
  • ヨークタウン 31人
  • ホーネット 53人
  • エンタープライズ 44人
    空母搭乗員戦死総数 128人
      空母搭乗員の戦死も米側が若干上まわった。
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    日米双方戦死者合計 3,419

    ミッドウェイ海戦における空母の脆弱性等の研究会が開催されたが結論は驚くべき内容である。
    空母被弾位置
    赤城 左舷前部至近弾1。中央昇降機後部1。 左舷後部1。
    加賀 至近弾 左舷中央部3。右舷中後部2。 艦首中央部1。 右舷艦橋前部1。 艦央部1。 右舷中後部1。
    蒼龍 前部昇降機1。中央昇降機左前部1。後部昇降機左前部1。

    ミッドウェイ海戦後の両国空母戦力はこちら



  • 第二奇兵隊取材班
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