山本五十六は名将だったというウソ 空母建艦と戦機を逸したことで完敗した海軍

1942年6月5日 − 6月7日
戦後このミッドウェイ海戦の敗戦が日本に決定的大打撃を被り、雪だるまが坂道を転がるこどく、敗戦への途をたどったという嘘がまかり通って今日に及んでいる。

1.はじめに
日米決戦が、空母機動部隊とその艦載機(制空権)が戦いを制したという事実が、 ミッドウェイの敗戦をことさら針小棒大な話とし、兵学校出身者らの敗けた免罪符のように語られている。 この海戦以降も空母保有数と艦載機数で帝国海軍は優位を保っていた。

表−1  開戦〜昭和17年(1942年) 日米の第一線空母・艦載機の変遷(米護衛空母・練習空母を除く)
 航空母艦(日本海軍)航空母艦(米国海軍) 運用可能な空母艦載機数
喪失就役現数喪失就役現数 対日比率日本米国対日比率
1941年12月 8 675.0 459490 106.8
 鳳翔、赤城、加賀、龍驤、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、[瑞鳳(潜水母艦高崎改装)、大鷹(春日丸改装)]
1942年1月 1 9 6 66.7 489 490100.2
 就航1 祥鳳(潜水母艦剣埼改装)
5月1 1 9 1 5 55.6 507 427 84.2
喪失1,祥鳳(珊瑚海海戦)翔鶴中破 就役1、隼鷹
6月4 514 80.0 255331129.8
喪失 赤城、加賀、飛龍、蒼龍。 残存空母 瑞鶴、翔鶴、瑞鳳、隼鷹、龍驤、[飛鷹]  [鳳翔]
7月1 6466.7 303331109.2
8月1 5480.0 267331124.0
9月51 3 60.0267 25595.5
 伊19潜 空母ワスプ撃沈。 サラトガ損傷。
10月512 40.0267 159 59.6
翔鶴中破南太平洋海戦空母ホーネット沈没。 エンタープライズ損傷。
11月1 62 33.3291 159 54.6
12月6 1 3 50.0291 250 85.9

昭和17年(1942年)末、その年6月のミッドウェイ海戦で空母4隻を失うも機動部隊戦力では米国を上回っている。 空母搭載機は全機亡失したものの貴重な艦載機搭乗員の損失数はたかだか110人に過ぎない。 士官学校卒業兵科士官の戦死者はたかたが12人である。生還率は77.4%である。一方米空母3隻の搭乗員戦死総数128人で日本側を上回っている。 ミッドウェイ敗戦後機動部隊(空母)再編が行われた。

表−2    昭和18年(1943)以降  日米の第一線空母・艦載機の変遷(米護衛空母・練習空母を除く)
 航空母艦(日本海軍)航空母艦(米国海軍) 運用可能な空母艦載機数
喪失就役現数喪失就役現数 対日比率日本米国対日比率
1943年1月6 14 66.7 291 280 96.2
2月6 26100.0 291 401137.8
3月 6 1 7116.7 291 431 148.1
4月 6 1 8133.3 291 522 179.4
5月 6 2 10166.7 291 643 221.0
6月 6 1 11183.3 291 673 231.3
7月6 1 12200.0 291703 241.6
8月62 14 233.3 291824 283.2
10月1 7 14 200.0 321 824 256.7
11月 7 3 17 242.9 321 1,036 322.7
12月 7 1 18 257.1 321 1,066 332.1
1944年1月18119 237.5 351 1,157 329.6
2月 8 19 237.5 351 1,157 329.6
3月1 9 19 211.1 403 1,157 287.1
4月 9 1 20 222.2 403 1,248 309.7
5月 9 1 21 233.3 403 1,339 332.3
6月3 6 21 350.0 231 1,339 579.7
8月2 8 1 22 275.0 345 1,430 414.5
9月 8 1 23 287.5 345 1,521 440.9
10月41 5 1 1 23 460.0 243 1,582 651.0
11月11 5 1 24 480.0 243 1,673 688.5
12月1 4 24 600.0 186 1,673 899.5
1945年1月 4 1 25625.0 1861,764 948.4
4月 4 1 26 650.0 186 1,855 997.3
6月 4 1 27 675.0 186 1,946 1,046.2
7月1 3 27 900.0 129 1,946 1,508.5
 喪失就役 現数喪失就役現数 対日比率日本米国対日比率
航空母艦(日本海軍)航空母艦(米国海軍)運用可能な空母艦載機数
総合計1611 3 5 2627  
注) @ 日本の空母には、護衛・輸送任務空母 大鷹、雲鷹、冲鷹、海鷹。改造空母 神鷹及び
     練習空母 鳳翔を含まない。
   A 米空母は護衛空母、大西洋配置空母 Ranger型を含まない。
   B 搭載艦載機数 日本常用機数。    出典:大元帥昭和天皇 山田 朗/著 新日本出版社 P250
表−3は1942年6月12日第一機動部隊航空甲参謀の源田実が軍令部へ出頭し航空艦隊立て直しの際、確認された機数である。この段階で空母飛鷹は就役していない。この会合で、 それぞれの戦隊の小型空母瑞鳳と龍驤は会敵の場合自隊の防御を担当させることにした。 大型空母は攻撃に専念できることになる。
表−1と比べて頂ければ米空母戦力に遜色のないことが ご理解頂けると思う。 ミッドウェイ海戦の敗北も基幹空母を失っただけで他の水上艦艇は不慮の衝突事故が要因となって撃沈された重巡三隈のみである。
表−3    ミッドウェイ作戦大敗後の機動部隊
五航戦艦名/機種艦戦 艦爆艦攻合計
瑞鶴272718 72
翔鶴272718 72
瑞鳳210 6 27
(小計)755442171
四航戦隼鷹21189 48
飛鷹21189 48
龍驤240 9 33
(小計)6636 27 129
合計14190 69 300
本表出典:戦史叢書ミッドウェイ海戦 P638,639

表−4  海軍各年保有機数
機種別:年月昭和17年12月
(1942年)
昭和19年3月
(1944年)
昭和20年8月
(1945)
戦闘機 569 1,999 2,337
艦攻・艦爆184 636 860
陸攻・陸爆510 473 594
偵察・哨戒10 10 317
輸送機 7995 58
水偵・観測309 937 535
飛行艇83 118 20
練習機6361,6712,515
合計2,380 5,9397,236
本表出典:日本海軍航空史(時事通信社)
2.1942年7月 ガダルカナル島進出前後
表−4  日米空母戦力の伸延
 空母戦力(日本海軍) 空母戦力(米国海軍)
隻 数航空機数隻 数航空機数
1942年 10月5 267 2 159
1943年 7321 14 824
1944年 6月6 231 211,339
1944年 10月5243 231,582
 ミッドウェイ海戦で正規空母四隻を失いはしたが、開戦時から一貫して空母と空母艦載機の優位は揺るがなかったが、 島嶼戦で米陸軍機の参加により、日本海軍機の優位は失われつつあった。ガダルカナル島海域では米陸軍機との戦いが展開された。 海軍機はこのとき、米陸軍機・海軍機を相手に戦い陸軍機が戦闘に参加することはなかった。
 ミッドウェイ海戦空母赤城(機動部隊旗艦)の時系列戦闘状況 こちら 
 ミッドウェイ海戦以降からの8ヶ月間米海軍は空母戦力に限り最悪の事態を迎えていた。 第二次ソロモン海戦(1942年8月24日)では龍驤を失ったが、米海軍はサラトガも損傷し戦列を離れた。 また、9月15日空母「ワスプ」が「伊19潜」によって撃沈され、続いて 南太平洋海戦(1942年10月26日)で空母「翔鶴(注1)」、軽空母 「瑞鳳」が中破したものの、米海軍はホーネットを 喪失し空母エンタープライズが中破した。 よって開戦以降四隻の正規空母を失い最悪の状態だった。 

(注1) 1942年5月8日、珊瑚海海戦で損傷した翔鶴はミッドウェイ海戦の空母4隻喪失まで呉で放置されていた。帝国海軍の戦術思想で主戦力は戦艦であり、決戦場の前路掃討(偵察任務)が航空母艦の仕事だった。 よって破れた空母は放置されていた。 理由は造船の神様扱いされた平賀譲の理論だった。
 1942年11月中旬時点で帝国海軍は瑞鶴と正規空母のそれに準ずる性能を持っていた飛鷹・隼鷹が、 そして小型ではあるが龍鳳が健在だった。翔鶴(11月15日戦列復帰)・瑞鳳(11月15日戦列復帰)も復帰し 米海軍は、エンタープライズ一隻しか作戦行動に使えなかった。
ミッドウェイ海戦空母搭載機数と戦死搭乗員実態
艦名/機種項目艦戦(零21)艦爆(99式)艦攻(97式)
赤城 搭載数18 18 27 63
搭乗員数 18 36 81135
戦死者数 4 1 2 7
戦死率22.2 2.8 2.5 5.2
加賀搭載数 18 18 27 63
搭乗員数 18 36 81 135
戦死者数 6 6 9 21
戦死率 33.0 17 1116
蒼龍搭載数 1818 18 54
搭乗員数 18 36 54108
戦死者数 4 1 5 10
戦死率22.22.8 9.3 9.3
飛龍搭載数 18 18 18 54
搭乗員数 18 36 54108
戦死者数 11 27 34 72
戦死率 61.1 75.0 63.0 66.7
合計搭載数72 72 90 234
搭乗員数 72 144 270 486
戦死者数25 35 50110
戦死率 34.7 24.3 18.5 22.6
生還者数47 109 220 376
生還率65.3 75.7 81.5 77.4
搭乗員の戦死はこの他水偵搭乗員戦死者 11人 こちらを参照。
出典 戦史叢書「ミッドウェイ海戦」 及び「記録・ミッドウェイ海戦(澤地久枝/著)」
空母の喪失は大きかったが、搭乗員の喪失は深刻ではなかった。 言い訳として日本の敗戦はミッドウェイ海戦で決まったかのように戦後多く書かれているがこの通説はウソである。 ここに掲載した数字にはは予備機とその搭乗員を全く含めていない。 それでも参戦搭乗員の8割弱は生還した。
戦史叢書「ミッドウェイ海戦」の編者も搭乗員の戦死者は把握しきれていない。理由はこの大敗を秘匿するため特殊な人事処理を行ったことによる。 現在一番詳しく信じるに足りる史料は作家澤地久枝氏の労作「記録・ミッドウェイ海戦」である。

  1942年6月12日第一機動部隊航空甲参謀源田 実と軍令部との打ち合わせで残存空母艦載機の実数として
  五航空戦隊 [瑞鶴・翔鶴・瑞鳳]、四航空戦隊 [隼鷹・飛鷹・龍驤]の搭載機数は
  艦戦(零戦) 141 艦爆 90 艦攻 69 合計 300 と報告されている。

ミッドウェイ海戦以降Imperial Navy の目論んだ短期決戦が夢と潰え、先行き不透明な出たとこ勝負の作戦を余儀なくされたことで、やはりこの海戦は大きな転機となった。 だが、たとえミッドウェイ島を占領したとしても、その先に明るい展望が開かれるものでもなかった。
そして、ミッドウェイ海戦における空母の脆弱性に関する研究会が開催されたが結論は驚くべき内容である。


第二奇兵隊取材班
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