| 1.経営感覚 | 戦争も企業経営と一緒で、貸借対照表の世界です。この感覚がまるでありませんでした。
損益分岐点を全く考えていた節が見いだせません。常に自らが変化し環境に対応しなければなりませんがそのようなそのような片鱗すらみえません。 またアメリカと戦争するからには、米本土に上陸しワシントンに乗り込まなければなりませんがそのような実力は海軍にも、
ましてや陸軍にもありませんでした。 |
| 2.情報管理 | 重要な海軍作戦要領も敵手に渡しています。当然暗号書も米軍の手に。 当事者の査問委員会もお粗末。結局栄転。
陸軍暗号は最後まで解読されていません。 戦後その当事者は海軍士官の親睦団体「水交会(財団法人・水交社)」の理事長に納まりました。 国民をコケにしています。 当時の同盟国ドイツから暗号が解読されているようだという情報や味方潜水艦から同様な具申がされていますが無視してしまいます。 |
| 3.技術音痴 | まるでそっくり無くなっています。 感覚的には江戸時代のまま米軍と戦っています。
彼らは、精神力と大和魂は物質文明に勝つ。と根拠無き精神論と神風が吹くと神頼みしていました。
それが海軍の、いや兵学校教育の全てでした。そのあげく命あふるる若者を神風と称して死ぬことを命じてしまいます。
医療(軍医)と経理(主計)は軍隊の中で特殊能力が必要だと思いますが、
機関科を別学校で教えたことが兵科出身者をテクノロジー(技術)音痴にしたのでしょう。軍艦の中で3分の1が機関科員でした。高角砲や機銃配置者を鉄砲屋のクズと呼んで蔑んでいました。その大砲(主砲)が活躍する場は太平洋戦域で絶無でした。兵学校出身者は変わる時代に変わらぬ思考で戦いを挑んでいました。
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4.責任転嫁 |
1) レーダーと工業力差で負けた。と言い張ります。 どちらも兵学校出身者の責任ではありません。
我々は頑張ったが、技術者と民間の工業力が無かった。と言い張るのです。 現場からは燃えない丈夫な飛行機をと血を吐く思いの戦闘詳報が届きます。 これらを黙殺しますが絶対死の特攻兵器(回天・桜花)はすぐ製造し、かつ訓練施設も造っています。 |
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2) 電波を出すことさえ禁じたので、レーダー開発技術者を軍艦に乗せませんでした。 |
3) 工業力差。 幾分的はずれです。 ガダルカナル戦の6ヵ月で海軍航空機 932 機。搭乗員 2,362 人失いました。
米海軍の航空機で日本機との空中戦での喪失は 1941〜1942年 266機。1943年 233機。 1944年 146機。 37ヵ月で 645機の損失です。 日本は製造する端から失い、
米軍は航空機のストックが増えるばかりでした。 前線は敵の飛行機のように燃えない機体を熱望しますが、源田実が封じ込めます。
最後までガソリンドラム缶にプロペラを付けた航空機の製造をやめませんでした。 結局海軍は敗戦までに航空機 25,609 機を喪失しました。そんな人間が新生航空自衛隊の幕僚長や参議院議員になります。
国民を愚弄しています。恥知らずの典型的人間でした。
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5.兵站欠落 | 資源還送の護衛艦がたったの四隻で戦争に突入しました。 この分野に兵学校出身者は配置しません。
商船大学校、商船学校生徒を特務士官として護衛艦艇に乗せました。 彼らが一番勇敢に戦っています。 ろくな対潜兵器、対空火器も無いのによく敢闘しています。
それこそ必死に日本の生命線。シーレーンを守ろうとしました。
一部正規の兵学校出身者を配置しましたが、彼らを「腐れ士官の捨て所」とバカにしたあげくの果てが、
エリート兵学校出身者??が乗っている軍艦さえ動かす重油が無くなりました。
それでも、大艦巨砲がいつか驕敵連合軍に勝と最後まで信じていました。
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6.大言壮語 | 威張って声の大きな輩が戦争を引っ張りました。
そのくせ、艦隊戦では逃げまくりました。レイテ沖海戦での第十水雷戦隊はその典型です。 命中していない魚雷は全て命中。轟沈、轟沈と戦果は大嘘。 勝った! 勝った!の連続でした。
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7.卑怯未練 | マリアナ沖海戦でも体制的には有利でした。気が付いたら前衛に配置されていた戦艦大和などは真っ先に逃げていました。 戦争終盤に入ると
航空特攻を開始しますが、兵学校出身者は少数で、多くは兵や兵曹クラス・予備学生(民間大学)でした。
1943年10月1日、学徒出陣を決め、学業半ばで陸軍か海軍に放り込み最下級将校の大量養成を行ったが、その真意は
来るべき特攻作戦への使い捨て人員確保だったと勘ぐらざるを得ません。
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8.バカの一つ覚え |
戦争が航空機の戦いになっても彼らは、砲術科、航海科、水雷科、通信科、特務科そして機関科、軍医科、
主計科のみで、航空科という科は存在しません。 科の長。例えば砲術長(士)などは叩き上げて昇進したものはなれませんでした。
また、軍令承行(権)というおかしな制度もありました。着任したばかりの少尉候補生と、機関科大尉が生き残ったとします。
指揮権は少尉候補生にありました。 もちろん機関中佐が生き残っても同じです。
だから、予科練出身の若者を消耗品(特攻)にすることが出来ました。 なにしろ兵学校に飛行科という科は存在しないのですから心は痛みません。
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9.嘘の塊り |
1) 1942年(昭和17年)6月初旬。ミッドウエー海戦で空母四隻を失ったことが、今時大戦の帰趨を制した。と
多くの戦史、史書が論じます。空母戦力は1943年(昭和18)年1月までは優勢若しくは拮抗していました。
ところが、この貴重な空母艦載機搭乗員をラバウルに揚げ、ガダルカナル島消耗戦で失ってしまったのです。
効率的な搭乗員訓練システムが未構築だったので、航空母艦を戦力として有効に活用出来なくなったのです。
2) 戦史叢書「沖縄方面海軍作戦」 先の戦争を総括し、
次に備える目的で戦後の国家が公刊戦史作成事業に着手しました。膨大な書物が図書館にあります。 戦艦大和が命令に背き航行したこと。
沈没位置が大きく違うこと。などなど恣意的に嘘の上塗りをしたと勘ぐらざるをえません。
昨年お亡くなりになった作家城山三郎さん(当時16歳)、大竹三井ポリケミカルの場所に大竹海兵団がありました。そこでいきなり、
伏竜という潜水して棒機雷で自爆する隊員に指名されます。ところが、あの膨大な戦史叢書に「伏竜」は片言隻語掲載されていません。
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