海軍乙事件・海軍使用暗号書紛失。その関連事項

海軍は数種の暗号書を使っていたが一般暗号書で一番使われた暗号書は「海軍暗号書D」であった。この暗号書は1940年12月1日から使用された。米軍はこの戦前からこのD暗号の3割、使用頻度の高いものは9割を解読していた。 また、単独隠密行動の潜水艦は別の暗号書を使うことが潜水艦を保持している軍隊では一般的だったが、帝国海軍は暗号書に絶大な自信を持っており同一のものを使用した。 ミッドウェイ海戦の敗因もこの海軍暗号の解読だと言われているが、海戦全体を概観しても暗号解読の敗戦寄与は低い。

この敗戦の原因は源田艦隊とも呼ばれていた、艦隊航空参謀だった源田実の責任が大きい。

太平洋戦争は、開戦初期を除いて艦艇同士の砲撃戦は発生しなくなった。よしんば艦艇同士戦いであってもいち早く敵の位置を知った方が常に戦いをリードできたし有利に戦いを進めることが可能だった。 その意味で暗号解読は相手の動向と目的を知ることは出来るが、敵を早く発見することにつながる訳ではない。 レーダーはその意味で非常に有効な兵器であった。

ただし、暗号解読によって得られる利益は絶大である。すなわち敵の全容、作戦目的、兵力がわかれば、それに素早く対応できるし、なによりも負ける要素が非常に小さくなる。 歴史上の戦い(戦争)の勝敗は全て情報力に懸かっているといっても過言ではない。情報を取得する機器、すなわちカメラ一つでも時に大きな力を発揮する。その面では情報取得ということに誠に不熱心な軍隊ではあった。


■ 戦後判明したことだが、昭和17年(1942)1月20日ポートダーウィン沖で、米駆逐艦エゾールと豪砲艦3隻の包囲攻撃を受け伊124が撃沈された。伊124は機雷敷設の任務を帯びていた。その当時同艦は帰還途中事故により沈んだものとして処理された。 ところが、沈没水深が浅かったので、軍機暗号を除いて、戦術暗号(D暗号)、商船暗号書が回収された。
■ 1942年12月呂暗号書が全部隊で使用されることになった。これはD暗号が解読された可能性に対応したものではなく、ミッドウェイ海戦で重巡三隈が戦場放置され、誰もその最後を見届けなかったことによって行われた。
敵、暗号解読に利することになるガダルカナル島補給作戦に潜水艦を使用した。これらの潜水艦は、
1)昭和17年12月9日 伊3号
2)昭和18年1月29日 伊1号
伊1号の遭難に際し、暗号書漏洩を気遣った海軍当局は、航空機による爆撃等で破砕しようとしたが成功しなかった。潜航という特性を持つ潜水艦は通信手段以外に味方がその生存を確認できる方法を持ち合わせない。 よって、列強海軍は潜水艦に対する戦術暗号は、水上艦艇用暗号とは別なコードを使っていた。ところが日本海軍は同一暗号で通した。
帝国海軍は、潜水艦には特別の思い入れがあった。潜航できるということで、発見は困難との認識が作戦指導を行う者らの上から下まで蔓延していた。潜水艦は制海権や制空権に関係なく横行独歩できると信じていたのである。その根拠は以下による。

内閣情報局『週報238号』昭和16年4月30日号。太平洋問題特集「通商破壊戦と船舶保護・海軍省」以下、
最近の潜水艦や飛行機の著しい進歩は、とりわけ通商破壊戦にすばらしい威力を発揮している。 −中略− 特に潜水艦のもつ独特な性能として制空権制海権に関係なく、敵の監視を潜(くぐ)つて自由に水中を横行独歩することは敵商船にとつてこれほど恐ろしいものはない。

そこには大きな隘路があった。潜水艦を輸送船代わりに使うとすれば、やがて補給点の島嶼に達したなら浮上して揚荷しなければならない。潜航したまま魚雷発射管を使うことも出来たはずだが、それさえも陸上側と何らかの方法で連絡しなければ補給品は届かない。少なくとも浅海域での活動となることには変わりない。 何回か行う内には襲撃されることもあるはずである。その実例が伊3号,伊1号であった。まんまと暗号書を渡すことになってしまった。


1.「海軍乙事件(昭和19年(1944)3月31日)」
古賀峯一 古賀峯一連合艦隊司令長官以下、幕僚の遭難事件をいう。
彼らが持っていた「Z作戦要領関係」一件書類のコピーは米国立公文書館に保存されている。日本側による米軍攻勢分析と、Imperial Navy の問題点として戦争を継続するための燃料補給と航空戦力不足の懸念が書いてある。  なおこの事故で長官以下13人が死亡し、 福留 繁参謀長(中将)と山本祐二参謀(大佐)らは生還した。 
連合艦隊1番機 851空 機長 難波正忠大尉
役職氏名任 期
長官古賀峯一*1943/4/21〜1944/3/31
艦隊機関長上野権太*      〜1499/3/31
主席参謀柳沢蔵之助*1943/10/15〜1944/3/31
航空参謀内藤 雄*1943/4/28〜1499/3/31
航海参謀大槻俊一*1944/1/5〜1499/3/31
副官山口 肇*      〜1499/3/31
軍医柿原 饒* 
暗号長神宮 等*      〜1499/3/31
2番機 802空 機長 岡村松太郎中尉
役職氏名任 期
参謀長福留 繁1943/5/22〜1944/4/6
軍医長大久保 信*      〜1499/3/31
主計長宮本正光*1943/9/20〜1499/3/31
作戦参謀山本祐二1943/12/1〜1944/4/6
機関参謀奥本善行1943/6/15〜1944/4/1
水雷参謀小池伊逸*1942/10/1〜1499/3/31 
航空参謀小牧一郎*1944/3/5〜1499/3/31
(気象)島村信政*1943/8/15〜1499/3/31
掌通信長山形(中尉)  
 他2名搭乗 
3番機 851空 安藤敏包中尉 便乗者司令部暗号士・暗号員

 *印 殉職

パラオに向かうはずの飛行艇が飛行コース大きく外れた理由として低気圧に遭遇した。 とされているが、経度で1.5°、距離で東京と名古屋ほど外れている。
  古賀峯一GF長官と幕僚らは、大空襲を受けたパラオから ミンダナオ島ダバオ経由サイパンに向かうとして3月31日22:30頃八五一空の飛行艇(機長難波正忠大尉)に長官一行、 八〇二空機(機長岡村松太郎中尉)に参謀長が乗り組んだ。向かう途中で低気圧に遭遇。 大きく進路をそれフィリピン中部ゼブ島で両機とも遭難。
長官以下1番機全員殉職。二番機の福留 繁GF参謀長以下生存者はゲリラの捕虜となった。
それだけ外れた理由は明らかになっていない。
2番機生存者は、ゲリラの捕虜となったが、ゲリラ隊討伐の陸軍部隊とゲリラ側の交渉で討伐しないという条件で陸軍討伐隊に救出された。 参謀長一行を出迎えた山本繁一南遣艦隊参謀に対し、機密図書(作戦・暗号書)は漁民の手に渡ったが興味がなかったようだと語った。
戦史叢書「南西方面海軍作戦」頁382 で2番機の不時着時連合艦隊のZ作戦計画を入れた防水ケースが米軍の手に渡り、米潜水艦でオーストラリアに送られ、全ページが複製されたのち、 元の防水ケースに収められ、再び潜水艦によって海に流されたと記録されている。
GF参謀長がゲリラの捕虜となった以上、関係者がどのように弁解しようとも、最高機密に属する暗号情報等の漏洩を疑う必要があったので、4月18日内地に帰った福留参謀長、 山本祐二参謀が大臣官邸で事情聴取されるが、取調側のもっぱらの関心は「捕虜」になったか否かという一点だった。
<= 米国に残っているZ作戦関係書類の表紙
そして、機密書類(Z作戦要領・海軍暗号書)紛失についてこれも深く追究されなかった。
かつ参謀長がゲリラの捕虜となった責任追及も深くなされなかった。 大臣官邸で査問(1944年4月18日)出席者は海軍次官沢本頼雄、軍令部次長塚原二四三、 軍務局長岡 敬純、 軍令部第一(作戦)部長中沢 佑。捕虜の 認定があいまいで、処置に窮した。 結局ゲリラは敵性が少ないという見解、およびたとえ捕虜であったとしても短期間で実害なし。とし 機密書類・暗号書の行方は関心が薄く特に疑いを持たなかった。
参謀長以下の処遇について、左遷すると捕虜になったことがバレてしまうので 結局栄転。これほどの、失態をしながら、福留は第二航空艦隊司令長官(1944年6月15日付)となった。 それほど、当時の Imperial Navy は身内に甘く情報管理デタラメ組織*1と無責任組織だった。
実際のところ「防水ケース」に入っている機密書類が手元に無い以上、敵手に渡ったと判断すべきであろう。
身内に甘く、最低の処置しかとれなかった海軍に勝利の女神が微笑むことはなかった。
*1 2007年10月、テロ特措法で揺れる国会。 海上自衛隊が補給艦で外国艦船に補給(無料・220億円)しているが、市民団体が米艦への補給量が違う と発表(間違った補給量を福田首相が国会で答弁)した。 海自はデータの入力ミスと逃げた。 さらに、護衛艦の航海日誌は破棄したと答えている。これほどのデタラメ振りはかっての 帝国海軍を彷彿とさせる。 デタラメ文化だけは引き継いでいたのだ!
古賀峯一GF長官遭難事件 戦史叢書「南西方面海軍作戦」「マリアナ沖海戦」を参照されたい。

その後に前線から暗号が解読されているという報告がなされた。潜水艦呂41号からである。
-- 二航艦司令長官としての福留 繁 --
ときは、1944年10月、一航艦は大西瀧次郎。10月15日着任するや航空特攻を主導する。敵はレイテに上陸していた。 首相小磯国昭が「レイテは天王山」と叫んだ。 一航艦は航空特攻を始める。  二航艦は通常攻撃。マッカーサーはレイテ島タクロバンに司令部を 設置していた。 二航艦は200機以上の攻撃隊を発進させたがサーマル島の東の海域ばっかり。 結局戦局を展開する成果はなかった。 そのとき、レイテ湾には輸送船がわんさか停泊していというのに全く攻撃していない。 一航艦で航空特攻。二航艦はレイテ攻撃をなぜ実行しなかったのか。当時GFの能力は低下し全般を見合わせる能力を失しつつあった。 汚名挽回の最後のチャンスさえこの男は果たせなかった。
-- 戦後譚 --
戦後になって福留は機密書類は奪われていない。と自著(海軍の反省、出版:日本出版共同、出版年:昭和26年)に書いている。GHQ歴史課に勤務した千早正隆 (海兵58期・海大39期、連合艦隊砲術参謀)が米国保管の原本を写しとった。同じく歴史課に勤務した 大井 篤(海兵51期・海大第34期、海上護衛隊参謀)のところに現れ『君とか千早とかいうのが、機密書類を 盗まれているとか言っているそうだが、そんな事実は全くない』とねじ込んだ。  大井は盗まれたことは事実です。お帰り下さいとピシャリ。 出典:「日本海軍 戦場の教訓」頁254
この時期、彼我戦力は隔絶していたので、戦局の流れは大きく違わなかったと思えるが、 海軍の暗号書が盗まれたことを自白すれば、いくらなんでも海軍は暗号書を変更したであろう。  いやしなかったかも知れない。ドイツは例を示し暗号が解読されている事実を示したと伝えられている。  その後、 中沢 佑はレイテの大敗北後、第一航空艦隊司令部附となり、すぐに第21航空艦隊司令官となっている。

珊瑚海海戦 (1942/5/7〜8) で敵空母は大打撃を受けており、ミッドウェイに進攻しても来航することはない。 という一方的偏見に満ちた作戦計画だった。福留 繁は戦後も生き残る。
山本祐二大佐は後に、第二艦隊参謀として転出、戦艦大和沖縄特攻で戦死する。 これはある面自業自得だが、 山本祐二参謀、どんな気持ちで特攻艦隊で勤務したのだろうか?
中澤 佑
福留の後任が中澤で、海軍乙事件の査問委員の一人で当時作戦部長だった。彼が就任(1943/6/14〜1944/12/4)して以降、マリアナ沖海戦, レイテ沖海戦などで敗北が重なり、水上艦艇+陸上配備の航空艦隊との連携した作戦構築能力に 疑問符を残す作戦指導だった。アッツ島や南洋諸島では "玉砕(全滅)" が続いた。 玉砕とは、第一線の将兵の 責より、立案側(ガダルカナル島に顕著)の責任が大きい。
中澤は特攻を承認し、前線に大西滝治郎を送り込んだ。 読売新聞主筆 渡邊恒雄氏も中澤を痛烈に批判する。
乙事件〔昭和19年(1944)3月31日〕当時の軍令部
軍令部役職氏名職務
総長嶋田繁太郎統括 海軍大臣
次長塚原二四三統括補佐
第一部(作戦)中澤 佑第1課(作戦計画) 〔山本親雄〕
第2課(艦隊行動・編成)・1課長兼務
第二部(軍備)黒島亀人第3課(軍備)〔山岡三子夫〕第4課(動員)
第三部(情報,防諜)大野竹二第5課(米国調査),第6課(支那調査),第7課(ソ・欧調査)
第四部(通信,暗号)黒島亀人兼務第8課(戦史研究),第9課(通信),第10課(暗号)
この連中が海軍全体の作戦計画を練っていた。いわゆる軍部である。

出典:日本海軍史第七巻(人事) 軍令部組織任務はこちら

開戦当初黒島亀人は連合艦隊参謀だった。GF長官山本五十六の真珠湾攻撃計画について、軍令部は成算が低いと却下していたが 、黒島は奇策こそ勝利の道と軍令部を説き伏せた。人間を消耗品とした特殊兵器(後の"桜花","回天")の試案はすべて 黒島が考えた。彼の頭は常に "奇策" しかなく、科学的・正攻法的思考は全くできなかった。 すなわち、科学音痴の筆頭だったから、 当時の技術水準で可能だった人間ロケット爆弾や、九三式酸素魚雷を組み合わせた "人間魚雷回天"を造る程度の能力しかなかった。
軍令部第二部 第3課は、「軍備・艦船,航空機及び兵器選定・整備」職務であり、合理的・科学的能力が問われる部署である。
福留 繁 は、あのミッドウェイ海戦大敗北のときの軍令部作戦部長である。  敵空母来襲に備えた作戦計画を樹立していない。 独断と偏見にみちた作戦計画で前線は戦わされた。そしてあの大敗北。 自らの作戦の失敗を糊塗 するために「損害が重大」として事実を隠蔽した。 この隠蔽が、 陸軍の計画(空母艦隊潰滅を未通知)をも巻き込み 戦術の齟齬をもたらした。
ミッドウェイ作戦は第一航空艦隊を率いた「南雲忠一」のもたもたぶりも大問題だが、 敵空母艦隊の出現をまったく想定しない作戦計画にまず問題があった。
この思想が、GF全体に蔓延していた。機動艦隊指揮官の情況判断に「敵空母ノ算ナシ」がある。 とんでもない情況判断である。 現れもしない空母に対処する必要なしとしたのである。
山本祐二は連合艦隊作戦参謀だったが、ダバオ事件後第二艦隊参謀に転出する。 大和沖縄特攻で戦死。
後に連合艦隊参謀長となった草鹿龍之介は当時第一航艦隊の参謀長であったが、 この艦隊は「源田艦隊」と陰口 をささやかれるほど源田 実が取り仕切っている。現在はこの敵空母発見からの爆装転換の元凶は 正々堂々の正攻法(陸用爆弾転換出撃)源田(航空甲参謀・もたもた)を具申した結果だという。 戦後この海戦は「運命の5分間」があったと 草鹿龍之介が言い出して通説になっていたが、作家澤地房江氏は著書「ミッドウェイ海戦(S61.6.1発行・文藝春秋)で このような状況はない。と論破した。  澤地房江氏の著書以降、「運命の5分間」は完全否定されいる。
このミッドウェイの戦いは艦隊編成に大問題があった。第一航空艦隊の後方300浬を第一艦隊(GF長官・山本五十六座乗)が のこのこ追従していた。本来なら、空母群の護衛か、前衛となり索敵機で敵情偵察を実行すべきであった。
損傷した三隈 重巡三隈も悲惨だった。GFの明かなミスリードである。三隈乗組員で救助された者188人。78.8%が戦死した。
GFから反転命令を受けた、 第七戦隊栗田健男司令官(旗艦「熊野」)は旗旒信号で「我ニ続ケ」と信号したが、二番艦 「鈴谷」の艦橋で木村昌福艦長が大声で命令した。
「ワレ機械故障ト旗艦ニ信号」を命じ三隈乗員の救助を行ったとの逸話も残る。 1945年6月1日付対潜学校長。 戦後、彼を慕う部下と山口県防府市で製塩会社を興すという。
この大敗戦で軍令部総長は、軍令部第一部長中澤更迭,GF長官更迭,南雲長官更迭, 草鹿参謀長更迭,源田甲参謀配置転換(二度と作戦部に戻さない)など 信賞必罰の措置を講ずるべきだった。自らの進退(永野)を掛けて対処していたなら、あれほど不様(ぶざま)な敗戦の連続にはならなかったであろう。まだ、大海軍に人材は有り余るほどいたからである。
福留は連合艦隊参謀長になっても独断ぶりは変わらず、作戦や戦況を知らされない古賀峯一長官は若手参謀 をつかまえて「近ごろ、いくさはどうなっているのか」と尋ねている。
連合艦隊は山本五十六長官+宇垣 纏参謀長、不協和音コンビ(山本が宇垣を無視した)と、 古賀峯一長官+福留 繁参謀長の不協和音コンビ(福留が古賀を無視した)と続けて不幸に見舞われた。
暗号書ならびに重要書類を盗まれた者がこともあろうに、1944年6月15日付で第二航空艦隊司令長官に就任。第十三航空艦隊司令長官も兼務(1945/1/13)。
2.「ダバオ誤報事件(1944年9月10日)」
伝・富士川の戦い
時は、治承4年(1180年)10月20日、源氏と平家は富士川両岸で対峙した。その夜源氏武田信義 軍勢が平家の後背を衝かんと富士川の浅瀬に馬を乗り入れる。人の気配で岸辺で休んでいた水鳥が一斉に飛び立った。 この羽音にすわ源氏の大軍が攻めてきたと狼狽した平家は総崩れになったと伝えられている。 平家武者の臆病ぶりを示す合戦として広く知られている。 この時期の帝国海軍は臆病風に吹かれた平氏に似ていた。
この日08:00ころ、ミンダナオ島サランガニ警備隊は波頭のくだける白波を敵上陸用舟艇の上陸と見誤って「湾口に上陸用舟艇多数見ゆ。陸軍と協力水際にこれを撃滅せんとす」と緊急伝を発した。 陸路直距離に海軍第32特別根拠地隊司令部(陸戦指揮・大佐島村浩二)と第一航空艦隊司令部(司令官中将寺岡謹平)が展開していた。
更に09:30過ぎ頃、ダバオ海湾サマル島対岸のダバオ見張所指揮官の海軍兵曹長が直接司令部に現れ「敵の水陸両用戦車がダバオに向かってる。これは自分が確認した。」と報告。第32特根は暗号書の焼却を行うとともに撤退を開始した。  一航艦では両見張所の情報を信じてはいなかったが、水上警備隊から准士官伝令で「敵戦車上陸開始」が入った。これにより機密書類第一次処分を開始した。
13:30 『敵上陸部隊「サマル」島北西に結集しつつあり』と関係部署に打電された。
ダバオには二つの航空基地があったが一航艦司令部は航空偵察を一度も行わず周章狼狽し、陸軍も橋梁爆破の準備に入った。
15:15 ミンダナ島ダバオに敵上陸の報により連合艦隊司令官は「捷一号作戦準警戒」を発令。先遣部隊(第六艦隊)に対し中型潜水艦全力急速出撃を下令した。
15:08 マニラの南西方面部隊指揮官は、敵攻略部隊のダバオ方面来攻の邀撃作戦を意味する「D作戦」発動を発令した。
この騒ぎがおさまったのは 18:30 ころで、一航艦からの「敵上陸の気配なし」がやっと関係部署に伝わった。
このように、当時の帝国海軍は、治承4年の富士川における平氏の様相を呈していた。 情報収集能力や敵情航空偵察も行わず、出先見張所の連絡に右往左往していた。 自らの指揮下にある戦闘機一機にもダバオ海湾偵察命令さえ発していない。 風に砕ける波頭が、敵上陸用舟艇に見えた事件のお粗末さであった。

太平洋戦争取材班
E-mail   お問合せ、ご質問はこちらへ
ADDRESS *******************
Version 1.00 (C)Copyright 1999/2001

JOY Searcher   Yahoo!JAPAN   大和目次に戻る