マリアナ沖海戦各艦隊・戦隊 長官・司令官・参謀人名
第1機動艦隊 本隊・第3艦隊 第1航空戦隊(甲部隊) 艦隊司令部直率。
長官 小澤治三郎(中将)・参謀長 古村啓造(大佐) ・参謀 大前敏一(大佐)・青木 武(中佐)・有馬高泰(中佐)
石黒 進(中佐)・辻本 敦(少佐)・田中正臣(少佐)・石田外喜夫(少佐)・参謀副官 山下雅夫(少佐)
艦隊機関長 鈴木 師(大佐)・主計長 堀 直江(主計大佐)・軍医長 中野義雄(医大佐)

前衛・第2艦隊(第1機動艦隊麾下)
長官 栗田健男(中将)・参謀長 小柳富次(少将)・参謀 志岐常雄(大佐)・添田啓次郎(中佐)・宮本鷹雄(中佐)
森 卓次(中佐)・八塚 清(中佐)・大迫隼夫(中佐)・大谷富之助(少佐)

この艦隊は前衛にいるはずだった。本隊(第3艦隊)への位置情報を伝えなかった。一時期第二艦隊は行方不明となる。本隊が第二艦隊の位置を把握したときには本来想定した位置より遙かに後方であった。 逃げたのあろう。この長官,参謀長コンビでレイテ沖の戦い臨んだ。勝敗以前の問題が内在していると感じるのは筆者だけか?
栗田はミッドウェイ海戦でも反転命令が出ると「我ニ続ケ」という旗旒信号を掲げ逃げている。
結局重巡三隈は戦場に置き去りにされた。
支援隊
第7戦隊 重巡三隈、最上、熊野、鈴谷 第8駆逐隊
1945年4月6日、戦艦大和沖縄水上特攻 第二艦隊参謀に転出した宮本鷹雄は数少ない生存者となった。

レイテ沖海戦の状況を戦後聞こうとして
昭和53年(財)水交会は「水交座談会」を開催し、 戦時中の先輩諸提督の貴重な経験談を聞くことにしました。 その時栗田長官に依頼しましたが、出席されませんでした。 代わりに栗田艦隊の小柳参謀長に当時の話を聞いた際、
「… 友軍からの情報、敵の状況、全く不明であり、もし突入すれば犬死である …」という意味の話がありました。  英ネルソン提督は有名な次の言葉を残しています。「… 敵情不明の時は、敵艦に横付けせよ …」と。
御苑会 200回記念講演記録より
レイテ沖海戦時栗田艦隊参謀長だった小柳富次の話からおおむね海軍兵学校の教育内容を知ることができる。
当時の水交会会長は機関科40期卒業の木山正義である。氏は平成20年(2008)6月逝去。ご冥福を祈りたい。
ただし、氏が徳山海軍燃料廠史著述者脇英夫氏に答えた内容と平成11年に海上幕僚監部での講話内容は大きく異なる。
第3艦隊隷下・第2航空戦隊(乙部隊) (隼鷹・飛鷹・龍鳳)
司令官 城島高次(少将)・参謀 寺崎隆治(大佐)・奥宮正武(少佐)
隼鷹艦長 渋谷清見,飛鷹艦長 横井俊之,龍鳳艦長 松浦 義
軍令部次長であった小澤治三郎は大和水上特攻に反対している。 Imperial Navy で常に前戦にあった。 「あ号作戦」すなわちマリアナ沖海戦でアウトレンジ戦法を考えた。 搭乗員の技量と米海軍の対空防御の前に潰えた作戦ではあったが、その責任の全てを 彼の責にするのは酷である。
新鋭機天山(艦攻)。彗星(艦爆)が配備された。 米海軍艦載機で劣るのは防御構造と不燃化対策であり、速度・航続距離など遜色はなく航続距離は遙かに大きかった。 これらを 岩国航空隊で訓練していたが、訓練用の燃料が不如意となりろくな訓練が出来なくなっていた。 もちろん、空母での離着艦訓練は艦隊用燃料が枯渇し全く訓練出来なかった。 これら各種燃料の枯渇は前戦で戦っていた小澤治三郎の責任ではない。 そこで次善の策として燃料補給が易いタウイタウイに進出することとなった。 このタウイタウイ進出でさえ陸軍から艦艇燃料を融通して貰えなかったら出撃できないほど凋落したいた。
タウイタウイで艦載機の訓練が行えるはずであった。ところがいざ泊地から出ようとすると米潜水艦の格好の標的となり訓練さえ出来なかった。 歴史にもしもはないが、彼をもう3年早く第一機動部隊の司令長官に据えていたらミッドウェイ海戦の惨敗は起きなかったものと思える。
戦後も大和水上特攻も「許可を与えた自分にある」と一切の弁明をしていない。 文字通り不運の提督である。
第3艦隊隷下・第10戦隊 旗艦 軽巡矢矧
司令官 木村 進(少将)・参謀 南 六右衛門(中佐)
第10戦隊所属 第10駆逐隊(秋雲・風雲・朝雲)・第17駆逐隊(浦風・磯風・谷風・濱風(欠)・雪風)
第61駆逐隊(秋月・初月・若月・涼月)《附属》駆逐艦 霜月・五月雨
矢矧艦長 吉村眞武
秋雲艦長 入戸野篶生・風雲艦長 橋本金松・朝雲艦長 柴山一雄
浦風艦長 横田保輝・磯風艦長 前田實穂・谷風艦長 -------・雪風艦長 寺内正道
秋月艦長 緒方友兄・初月艦長 田口正一・若月艦長 鈴木保厚・涼月艦長 杉谷永秀

甲部隊第一航空戦隊 第601空 空母 大鳳・翔鶴・瑞鶴
隊長 入江俊家(中佐)
乙部隊第二航空戦隊 第652空 空母 隼鷹・飛鷹・龍鳳
隊長 鈴木正一(中佐)
乙部隊第三航空戦隊 第653空 空母 千歳・千代田・瑞鳳
隊長 木村軍治(中佐)
これら航空隊の錬成状況はこちら

第1航空艦隊(基地航空隊・所在地テニアン
長官 角田覚次*(中将)・参謀長 三和義勇*(大佐)・参謀 清水 洋*(中佐)・安倍義人*(少佐)
庄司長正*(少佐)・内田友志-(中佐)・松浦五郎-(中佐)・平本道隆-(中佐)
参謀兼副官 大森潤一*(中佐)・副官 吉野義雄-(主計中佐)・司令部付 室川武能*(少佐)
テニアン制圧を目論む米国は、1944年6月11日〜24日、第58機動部隊と戦艦群の空砲爆を受け、7月24日に米海兵隊が上陸。 1944年8月1日18:05 米海兵隊は、テニアン島占領を宣言。一航艦長官角田覚次の戦死認定は8月2日。氏名の後 "*" 印は同じく8月2日死亡認定者。 事実上この基地航空隊は潰滅する。その後テニアン島は戦略爆撃機B-29の基地となる。 人類最初の原子爆弾投下機も同基地より広島に向かった。
ちなみに7月21日に米軍がグアム島に上陸。テニアン島とグアム島の中程にあるロタ島には、米軍が上陸占領しなかった。
氏名の後 "-" 印は、死亡なのか異動なのか確認できなかった。
麾下
第61航空戦隊 司令官 上野敬三(少将)・参謀 伊藤泰介(中佐)
一航艦から独立、第61航空戦隊新設(1944年5月15日)
第22航空戦隊 司令官 澄川道男(少将)・参謀 花本清登(中佐)
第23航空戦隊 司令官 伊藤良秋(少将)・参謀 河本廣中(中佐)
第26航空戦隊 司令官 有馬正文(少将)・参謀 吉岡忠一(少佐)
一航艦附属第1021空司令(05/20) 粟野原仁志(中佐)
角田覚次率いる島嶼航空隊は米空襲の前に壊滅した。すなわち偵察,情報収集,警戒いずれも失格である。これほど無能な指揮振りを他に知らない。
1944月6月19日マリアナ沖海戦劈頭前衛第2艦隊は主隊前100浬(185Km)先に占位していた。 一航戦第一次攻撃隊は 08:45 味方前衛隊(第2艦隊)の上空を通過。 その際、味方艦艇より砲撃を受け、彗星2機が撃墜された。 日頃は当たりもしない対空砲火がこのときは命中し、編隊は散り散りとなりそのまま進撃した。 その結果一航戦第一次攻撃隊は全機未帰還となってしまった。
一方、大和座乗第1戦隊宇垣纏司令官の所感はこちら   海戦の概況はこちら
第2艦隊隷下・第1戦隊 (戦艦大和・武蔵)
司令官 宇垣 纏(中将)・参謀 野田六郎(中佐)・末松虎夫(少佐)
大和艦長 森下信衛・武蔵艦長 朝倉豊治

第2艦隊隷下・第3戦隊 (金剛・榛名)
司令官 鈴木義尾(中将)・参謀 杉 富馬(中佐)
金剛艦長 島崎利雄・榛名艦長 重永主計

第2艦隊隷下・第5戦隊 (妙高・羽黒)
司令官 橋本信太郎・参謀 中尾熊太郎(中佐)
妙高艦長 石原 聿・羽黒艦長 杉浦嘉十

第2艦隊隷下・第7戦隊 (熊野・鈴谷・利根・筑摩)
司令官 白石萬隆(少将)・参謀 西川 亨(中佐)
熊野艦長 人見錚一郎・鈴谷艦長 高橋雄次・利根艦長 黛 治夫・筑摩艦長 則満宰睦

第2艦隊隷下・第3航空戦隊 (千歳・千代田・瑞鳳)
司令官 大林末雄(少将)・参謀 井口兼雄(中佐)
千歳艦長 岸 良幸・千代田艦長 城 英一郎・瑞鳳艦長 杉浦矩郎

第2艦隊隷下・第2水雷戦隊 (能代)
司令官 早川幹夫(少将)・参謀 松原滝三郎(中佐)
第27駆逐隊(春雨・五月雨・白露・時雨),第31駆逐隊(長波・朝霜・岸波・沖波)
第32駆逐隊(玉波・早波・濱風・藤波),《附》島風
能代艦長 梶原李義
春雨艦長 富田敏彦・五月雨艦長 西村徳太・白露艦長 -------・時雨艦長 西野 繁
長波艦長 飛田 清・朝霜艦長 杉浦與四郎・岸波艦長 三船俊郎・沖波艦長 牧野 坦
玉波艦長 青木久治(千本木一三四)・早波艦長 清水逸郎・濱風艦長 前川萬衛・藤波艦長 松崎辰治
島風艦長 上井 宏

第二奇兵隊取材班
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