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| 戻る第一遊撃部隊の作戦計画 進む7日悪天候不良 突入成算有り |
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― 昭和20年(1945)4月7日(00:01発 受:03:45) 発:GF長官GF司令官,GF司令,沖特根司令,天1号作戦部隊,〔大臣・総長〕,八飛師,南方軍,一方面軍,三二軍 【無線】 |
連合艦隊司令長官激励電帝国海軍部隊ハ陸軍ト協力空海陸ノ全力ヲ挙ゲテ沖縄島周辺ノ敵艦隊ニ対スル総攻撃ヲ決行セントス皇国ノ興廃ハ正ニ此ノ一挙ニアリ 茲ニ殊ニ海上特攻隊ヲ編成シ壮烈無比ノ突入作戦ヲ命ジタルハ帝国海軍力ヲ此ノ一戦ニ結集シ以テ光輝アル帝国海軍部隊ノ伝統ヲ発揮スルト共ニ其ノ栄光ヲ後昆(ごうこん,後世の人)ニ伝ヘントスルニ外ナラズ 各隊ハ其ノ特攻隊タルト否トヲ問ハズ愈々殊死(しゅ‐し,死を決してなすこと)奮戦敵艦隊ヲ各所ニ殲滅シ以テ皇国無窮ノ礎ヲ確立スベシ |
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二水戦旗艦矢矧でこの電信を受信した。受信者は第一電信機室(艦橋基部)に配属されていた二水戦付き通信兵佐藤義一である。暗号電で解読班は電信室隣だった。
発見された大和沈没位置 日本測地系 北緯 30度43分17秒 東経 128度04分25秒。 沖縄残波岬まで予定航路だと286浬である。 どんな計算をしようとも途中でとんでもない低速に落とさない限り当初GFが意図した沖縄島到着想定時刻にはならない。 米軍は Imperial Fleet 袋のネズミ作戦を立案し、戦略爆撃機 B-29 を使用し、ある作戦を実行した。 この事実を「-- 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議 --」 事務局徳山工業高等専門学校工藤洋三教授が秘密解除された米国立公文書館の記録とレポートを発見した。 同時にそれは、日本に対する飢餓作戦*でもあった。 |
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*1945年1月25日、最高戦争指導会議は決戦非常措置要綱を策定したが、
第二条二項で、「現状ニ鑑ミ左記事項ニ関シテハ特段ノ措置ヲ講ス。 1)航揮ノ急速還送。 2)自給不能ナル南方資源ノ急速還送。 昭和20年に入って南方から帰還できた船舶は4隻のみだった。 単なる言葉遊びの作文だった。 |
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*3「大井 篤」山形県出身。海軍兵学校から海軍大学へ。昭和18年(1943)11月から終戦まで海上護衛隊総司令部参謀。海兵51期、海大34期
※大井篤著『海上護衛参謀の回想 原書房 S50/9/30発行』P226〜228 初版は「海上護衛戦」の名称で日本出版協同(株)でS28/3/5 発刊。同書では関係者が伏字となっている。 これで、特攻艦隊への燃料補給の当初案は全体で4,000トンだったことがわかる。 そうなると、大和2,000トン。矢矧450トン。駆逐艦八隻に1,500トンか?(各艦200トン程度) *4 古村啓造,マリアナ沖海戦時、第一機動艦隊(司令長官小澤治三郎)の参謀長。 |
| 大和出撃直前 重要関係電令整理 時間:時.分 | |||||
| 月日時刻 | 発 | 宛 | 内 容 | 突入 残余時間 | 方法 |
04051730 | GF長官 | 1YB | Y−1日黎明豊後水道出撃。突入Y日 04:00 | 58.30 | 無線 |
| 出撃は7日黎明時豊後水道。突入8日黎明時。 | |||||
| 04051830 | 2F長官 | 31S 花月 | 徳山で燃料搭載、それを大和へ移載せよ | 57.30 | 信号 |
04060751 | GF長官 | 1YB | 出撃時機指揮官所定 | 40.51 | 無線 |
| 0405 1730 時から0406 0751 時までの14時間強あまりにGFとの間で何が話し合われた? | |||||
| 04060827 | GF参謀長 | 1YB長官 | 燃料は二,〇〇〇屯以内 | 40.65 | 無線 |
04060956 | GF参謀長 | 1YB長官 | Y−2日夕刻豊後水道出撃 | 39.00 | 無線 |
| 結果からみるとチンタラ・チンタラ散歩気分の出撃に。 | |||||
| 突入残余時間は推定着信時刻を加味した。概ね2時間30分〜3時間加算。 | |||||
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| ※ 敵の索敵線に偶然一寸した穴が開いたとき以外に、潜水艦は接敵できなかった。また、一旦発見されると生還は期しがたかった。それでもなお執拗に潜水艦の作戦投入を行っている。 帝国海軍はある思いこみの呪縛にとらわれていた。 潜水艦は、制空権,制空権に関係なく横行独歩できると信じていたのである。 |
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― 作戦会議で示された航路 ― 【図−1】 昭和20年4月6日 13:00 於:大和,作戦会議 |
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※ 陸軍機は九州南部から飛びたっても、徳之島が往復を考えたとき飛行限界であった。ただしカタログ値は沖縄往復飛行が可能である。海軍局地戦闘機紫電改の限界は奄美大島までである。 第六航空軍は陸海軍協定により1KFGB〔機動基地航空部隊(第五航空艦隊)〕指揮下に入ったので参謀副長青木喬(少将)が派遣されていた。海軍側が陸軍機も沖縄往復が可能ではないかと詰め寄ると。あれはカタログ値とやり返している。 |
| 戦艦大和の沖縄特攻について、あまたの出版物があるが、当初のGF命令どおり大和が行動しなかったことを記述しているものは皆無だった。 筆者も公刊戦史「沖縄方面海軍作戦」をなんど開いたことだろう。 そうした折、前述した、駆逐艦「花月」山根眞樹生航海長投稿によるWebサイトを発見した。 氏のご存命を知り、厚かましくも書簡を入れた。 そして、丁重なるご返事を頂戴した。 |
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戦史叢書 「海軍沖縄方面海軍作戦」 読んでみても?? 出撃がなぜ早まったのか疑問符だらけであった。 |
電令作第607号 ― 昭和20年(1945)4月5日(発15:00 受:17:30) 発:GF長官 【無線】宛:1YB司令長官〔天1号作戦部隊〕大本営海軍部第一部長,沖特根司令,高通,第10方面軍,第32軍,第8飛行師団 |
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1.帝国海軍部隊及ビ第六航空軍ハX日(六日以降)戦力ヲ挙ゲテ沖縄周辺艦船ヲ攻撃撃滅セントス。 2.陸軍飛行第八師団ハ右ニ協力攻撃ヲ実施ス。 第三二軍ハ七日ヨリ総攻撃ヲ開始敵上陸部隊ノ掃滅ヲ 企画ス。 3.海上特攻隊ハY−1日黎明時豊後水道出撃Y日黎明時沖縄西方海面ニ突入敵水上艦艇並ニ輸送船団ヲ 攻撃撃滅スベシY日ヲ八日トス |
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普通に見ることの出来る史料から、GFは沖縄島出撃や突入は何時でももよいなどと命令していない。
だが、経過と結果はこの第一遊撃部隊は当初命令に反した出撃時刻になってしまう。
まるで米軍に私たちを沈めて下さい。私たちは死にたいのです。と初期任務を放棄した艦隊行動にみえるのだ。 残されている機密第一遊撃部隊命令作第三号別図の航路Vは、 電令作611号(06/07:51)で出撃時機指揮官所定と令する以前に提示(送信)されたと考えざるを得ない。 戦艦大和以下残存艦艇による沖縄水上特攻は戦後無謀の極みのごとく伝えられているが、第一遊撃部隊参謀たちによる出撃時刻選定は無謀に輪をかけた暴挙ではなかろうか。 すなわち、 |
| ― 航路別の航程及び所要時間 (豊後水道出口深島沖より沖縄) |
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| 電令作第607号4月5日(発15:00 受17:30)この着信前 16:47 から沖縄に向けての燃料準備に入った。 憶測仮定の話だがこの電令のとき機密第三号別図が送信されたと考えられる。すなわち大和が出撃した4月6日 15:30 頃なら沖縄到着まで 36時間30分の時間があり航路Vも成立する。 |
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4月6日 13:00 から大和で開催された作戦会議では 六日 一八〇〇 豊後水道東水道出撃 二三〇〇 都井岬ノ六六度一一浬 七日 〇三〇〇 佐多岬 一〇〇〇 31度12分N 128度15分E 二〇三〇 28度12分N 126度41分E 八日 〇四〇〇 沖縄島西方海面着 | ![]() |
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― 作戦会議で示された航路U ― 【図−3】 |
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