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4月5日の段階で戦艦大和は袋のネズミだった。
大和水上特攻の燃料に深く関わった小林儀作手記抜粋全文
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| 戻る GF電令作603号 進む 沖縄突入作戦 |
| ― 昭和20年(1945)4月1日 米軍沖縄本島上陸開始 この日から6月下旬の組織的戦闘が終わるまで鉄の暴風が軍民を問わず生身の人々の上に降り注いだ。 |
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3月から始まった、沖縄師範学校、県立一、県立二、県立三中学校、県立工業学校、県立農林学校、県立水産学校、那覇市立商業学校、私立開南中学校の男子生徒らは鉄血勤皇隊として各陸軍部隊に配属された。これら1,495人の生徒で生存出来たのは146人に過ぎなかった。教職員の戦死者も判明しているだけで61人に及ぶ。
女子生徒は、沖縄師範女子部、県立第一高女、県立第二高女、県立第三高女、県立首里高女、積徳高等、昭和高女生徒らは看護隊に編成された。動員数不明の県立第三高女を除く総数363人のうち、生還した者は62人しかいない。また教職員も37人が亡くなった。 |
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今や Imperial Navy はなすすべを持たなかった。 現地第32軍は航空総攻撃を要請する電報を打ち続けたが陸海空軍はこれに応えられる戦力を構築しえなかった。この日第二神風桜花特別攻撃隊一式陸攻6機(桜花3機)が出撃。第一小隊1番機(02:21離陸*)敵機襲撃により不時着水。桜花隊員含む4人生還。 2番機電信なく未帰還。3番機エンジン不調引き返す。第二小隊1番機,敵襲回避行動中根占町(現南大隅町)芝ノ山山頂に激突。 2番機濃霧により敵艦発見できず台湾新竹基地に向かう。3番機電信なく未帰還。戦果は皆無であった。 この程度の攻撃が Imperial Navy のなし得る力でもあった。 |
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昭和19年(1944)10月1日、桜花専門部隊721航空隊発足 〃 11月12日、永野修身元帥参内し桜花攻撃予定12月 中旬と奏上 昭和20年1月17日、昭和天皇より神雷部隊に侍従武官御差遣 昭和天皇はそんなバカなことは止めろとはおっしゃらなかった。 |
| 桜花搭載時の母機最高速度343Km/h,巡航速度197Km/h(170Kt)。 米機 F6F にご馳走を与えるに似ていた。
昭和20年3月21日、神雷部隊初陣となった一式陸攻。グラマンの銃撃で右翼がちぎれた瞬間。全機(18機)撃墜される。 | |
| * グラマンF6FにAN/APS-6機上レーダーが装備され九州南部の夜間飛行は彼らの哨戒飛行の合間にしか出撃の可能性がなかった。 |
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昭和20年3月21日 08:10 偵察第11 彩雲偵察機4機発進。3番索敵線 敵発見通報。 ○早朝索敵の結果都井岬の一四五度三二〇浬附近に二群空母を発見す。敵は相当大なる損害を蒙りたるものの如く上空警戒も少なし。加ふるに天候快晴視界三〇浬、距離稍(やや)遠くなるも神雷隊には問題たらず、十八日以来、本特攻兵力の使用の機を窺ひ続け、何とかして本法に生命を与へんとしたり。今にして機を逸せば再び遠くウルシーに梓隊の遠征を余儀なくせられ、而も成功の算大ならず、如かず今神雷攻撃を行ふにはと決意し、待機中の櫻花に決行を命ず。 ○見送の為飛行場に至る。さすがに心配顔なる岡村司令を激励す。 神雷部隊は陸攻一八(櫻花搭載一六)一一三五鹿屋基地を発進せり。櫻花隊員の自鉢巻滑走中の一機に瞭然と眼に入る。成功して呉れよと祈る。然るに五十五も出る筈の掩護戦闘機は、整備完からずして三十機に過ぎず。一方索敵続行の結果は、空母三、二、二の三群集結して南西に航するを報じ、最初の考より勢力猶大なるを知る。南大東島を攻撃制圧しある報告もあり。 壕内作戦室に於て敵発見桜花発進の電波に耳をそばだてつつ待つこと久しきも、沓として声なし。今や燃料の心配をなし「敵を見ざれば南大東島へ行け」と令したるも、これ亦何等応答するなし。其の内掩護戦闘機隊の一部帰着し、悲痛なる報告を致せり。即、一四二〇頃敵艦隊との推定距離五〜六〇浬に於て、敵グラマン約五〇機の邀撃を受け空戦、撃墜数機なりしも我も亦離散し、陸攻は櫻花を捨て僅々十数分にして全滅の悲運に会せりと。鳴呼。〔宇垣纏 戦藻録〕 ※ 一式陸攻を母機とした桜花攻撃が成り立たないことを証明したが、狂気海軍は若者を徒死さす凶器となった。 |
| この日(4月1日)の特別攻撃隊 |
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〔海軍〕 第二神雷隊・桜花隊(陸攻6、桜花3) |
| * 4月1日神雷隊の攻撃について、戦史叢書沖縄方面海軍作戦頁323下段と、加藤浩/著神雷部隊始末記頁228〜は大きく違う。戦史叢書は3機の桜花が突入としている。 |
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第一大義隊(戦爆3、零戦1) 忠誠隊(彗星1) 〔陸軍〕 第20振武隊(隼1) 第23振武隊(99襲撃4) 飛行第65戦隊(隼1) 誠第17飛行隊(99襲撃2) 飛行第17戦隊(飛燕7) 誠第39飛行隊(隼6) 敵が橋頭堡を築かんとした上陸初日上にみる特攻機がパラパラと沖合の艦艇に特攻を仕掛けた。海軍第二神雷隊の如きは、飛び立ってすぐに全てが失われた。通常の航空攻撃も行われたが、これも沖合の艦船に対しての攻撃であった。
※ この日出撃した機数彗星3。天山6。瑞雲3。陸攻9。銀河4の25機にしか過ぎなかった。 この日、連合国から航行の安全が保障されていた緑十字船阿波丸が台湾海峡で米潜によって撃沈された。
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| 4月3日のことになるが、陸軍沖縄第32軍への飛行場攻撃要望の具申電に、 |
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@ 現有基地航空勢力は米軍に対抗出来ない。 A 航空機の性能は懸絶。 B 日中の正攻法による航空攻撃能力を海軍は喪失した。 C 夜間攻撃もまた現有機僅少で不可能。 D 沖縄島に対する現状海軍力での補給は不可能。 |
| すなわち、海軍はどうにもなりませんので、貴軍(第32軍)が最大限頑張れば「天一号作戦」は完遂される。と誠に手前勝手な具申を行っている。 |
| 一方沖縄攻略の米軍は膨大な兵員艦艇を動員した。 |
上陸部隊(バックナー中将指揮) 238,700人。(含予備兵力) ※中将は6月18日沖縄南部戦前で戦死。 揚陸支援部隊(タナー中将指揮/高速空母除く指揮権) 1,213隻の艦船。 上陸用舟艇(LSD/LST含む)564隻。 陸上射撃支援艦隊(デイヨー少将指揮)戦艦:10,重巡9,軽巡4,駆逐艦23。 機動部隊(ミッチャー中将指揮)空母16,戦艦8,重巡4,軽巡11,駆逐艦48,艦載機919機。 護衛空母部隊(ローリング中将指揮)空母4,戦艦2,軽巡4,駆逐艦12,艦載機244機。
― これだけの大部隊に対し大和が世界最大の巨艦で巨砲を持とうとも蟷螂の斧にも値しないであろう。― |
| 嘉手納沖に蝟集(いしゅう・沢山集まること)敵輸送船団・艦艇に対し、組織的航空攻撃は全くなされなかった。 敵が水際に集まる最大のチャンスに攻撃しない軍隊はとはなんだったのであろうか。 このことは沖縄防衛の第32軍を大きく失望させた。 大本営として沖縄をどうするのか。戦略目的が曖昧だった。敵本土上陸を引き延ばす戦略持久か航空決戦かのあいだで揺れ動く。 |
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| 沖縄読谷村チビチリガマで村民83人が集団自決する。戦爆連合約30機、鹿児島鹿屋空襲。 |
| ― 4月3日 |
この日15:00時より第二水雷戦隊旗艦矢矧において二水戦水上部隊用法についての作戦会議開催。前欄状況(前日の敵情判断)判断ニ基キ2Sd司令部ヨリ2F司令部ニ具申スルトコロアリ2F司令部亦既往ノ研究成果ト統合四日GF司令部中央ニ意見具申ニ決ス |
電令作第600号 ― 昭和20年(1945)4月3日(07:35発 受:09:16 )
発:GF長官 宛:2F長官・呉佐鎮長官・GEB/5AF,天1号作戦部隊司令・大本営海軍参謀部 【無線】 |
| GF電令作第585号ニ依ル第一遊撃部隊ノ佐世保廻航ヲ取リ止ム |
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一度は佐世保廻航を命令したものの作戦変更を強いられた。最早打つ手を失った状態だった。 その前日2日にはGF参謀長草鹿龍之介、作戦甲参謀三上作夫中佐、航空甲参謀淵田美津夫大佐らが第5航空艦隊司令部の鹿屋に到着。 3日、沖縄来攻反撃のための航空作戦について協議に入った。菊水1号作戦(航空特攻)開始を4月5日(のち6日に変更)とすることに決定。第6航空軍*も含めた図上演習を行った。 この4月3日の段階で大和が沖縄に向かうことは決定していない。 * 第6航空軍の司令部は福岡であったが陸海軍協定により1KFGB〔機動基地航空部隊(第五航空艦隊)〕指揮下に入ったので参謀副長青木喬(少将)が派遣されていた。 この日、天信電令作第39号(4月3日16:48)発令。これにより南西諸島航空総攻撃要領が示達された。
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天信電令作39号 ―
昭和20年(1945)4月3日(16:48発)
発:1KFGB〔機動基地航空部隊(5航艦)〕司令官 宛: 1KFGB,天1号作戦命令着信艦所 【無線】 |
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1.当部隊ハ沖縄方面ノ戦勢ニ鑑ミX日(五日ノ予定)ヲ期シ可動兵力ノ大部挙ゲ昼夜ニ亘リ敵攻略部隊ニ対シ連続攻撃ヲ加エ其ノ攻略企図ヲ破摧(はさい・打ち破ること)セントス 2.X日ノ作戦要領ヲ左記ノ通リ予定詳細ハ別令 (イ)陸爆夜戦隊ヲ以テ泊地付近ノ敵部隊ヲ空襲 (ロ)昼間麾下戦闘機隊ノ大部ヲ挙ゲ波状的ニ進攻シ敵邀撃(ようげき・迎え撃つ)fc(艦上戦闘機)ヲ一方ニ牽制制圧スルト共ニ偵察機ヲ以テ電探欺瞞ヲ実施好機特攻兵力(8FGB〔基地航空部隊*〕ヲ主力トス)ヲ波状的ニ推進主トシテ敵輸送船団ニ突入 (ハ)X-1日夜間 801fg 〔航空隊〕陸攻ノ一部ヲ以テ泊地付近ニ機雷ヲ敷設 3.右作戦中全貌偵察ニ依リ空母群ヲ発見セバ特攻兵力ニ依リ之ヲ猛攻撃滅 4.動作戦中夜戦攻撃隊ハ当部隊信電令作第33号ノ攻撃ヲ続行ス 5.本作戦ヲ菊水1号作戦ト呼称ス * 8FGB〔第8基地航空部隊〕第十航艦隊(前田稔・中将) 11連空,12連空,13連空麾下 |
| GF参謀長が直々前線に出かけ航空特攻開始日を決定。戦後多く特攻が志願と強弁しているが、 事前に開始日を決めても必要な志願数が未達の場合作戦は成り立たない。成り立たない可能性のある作戦を立案する参謀長の見識を疑う。特攻が志願などというのはこれをもっても大嘘。 また事前に多数の特攻隊員を確保していたとしたのなら、とんでもない非人間的、冷血漢ぞろいが海軍兵学校卒業者ということになる。 |
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この日、天皇、梅津美治郎参謀長に「現地軍は何故攻勢に出ぬか」と積極作戦を要請する。 この日、GF(連合艦隊)軍令部幕僚合同作戦打合わせ行われる。 沖縄彼我陸上戦力の状況、北、中飛行場の使用見込みなどを考察検討すると、現状をもって推移すれば、従来の各地の防衛戦と同様、戦局の挽回は至難である。仍(より)て航空部隊の全力を以て、戦局打開の一大決戦を決行する要ありとの結論に達した。 |
| ― 4月4日 |
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GF電令作第601号(09:18)によりX日(5日の予定)を期して航空攻撃命令が関係部署に配信された。
なお、04040918番電(電令作601号)による航空攻撃開始日は続く04041912番電(電令作602号)でX日を6日に改められた。 すなわち、4日には5航艦司令部鹿屋に於いてGF参謀長他、第6航空軍(陸軍)幕僚を含めた菊水1号作戦の図上演習が行われている。 三田尻沖の1YBでは次の判断がなされた。 |
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(イ)沖縄島来攻敵部隊ニ対シ航空総攻撃要領(1KFGB〔機動基地航空隊〕・菊水1号作戦)明示 (GF電令作601号 発令 0918) (ロ)前号関連2F司令部ヨリスル水上部隊用法ニ関スル意見具申延期ス |
| 3月末以来、三田尻沖に結集した艦隊で水上艦隊による対米打撃力についての議論が交わされ、いたずらに出撃しても効果は期待できない。との結論に達した。
艦隊司令部では4月3日に連合艦隊司令部への意見具申案をまとめたが、
翌4日、04040918番電(電令作第601号)により、X日を5日として航空特攻が開始される旨の電令に接し具申は延期された。
この航空攻撃開始1日延長は陸軍(第六航空軍)との共同歩調が取れなかったことによる。 |
この日18:00時 1YB(第1遊撃部隊)信令第7号が発せられた。
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1YB信令第7号 第1回戦務図上演習実施 1.開始時刻:4日14:00〜19:00 2.場 所:各艦警戒停泊ノ儘 3.実施要領:−略− (通信方法,使用海面が提示された) この会議で機密第一遊撃部隊命令作第三号別図が作成されたとも考えられる。 あるいは日吉GF司令部に残っていた作戦乙参謀の千早正隆中佐(海兵58期)の作図かも知れない。 |
| 4月4日は戦務図上演習が大和で行われた以外に特別な動きはない。事態は翌5日急に動き出す。 |
| この日、沖縄第32軍、大本営からの攻撃要請電報により7日に総攻撃を決定。沈黙を続けていた第32軍砲兵隊が上陸米軍に初めて砲火を開く。沖縄の第22・42震洋隊、残艇10隻と基地を放棄し、陸戦に移る。 |
| ― 4月5日 |
051411 発呉鎮長官 宛GF長官,1YB長官,2sd司令,第三燃料廠
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| 徳山に於ける重油搭載補給可能量四〇〇〇屯。尚精製の上7日頃一五〇〇屯補給可能。外にB重油相当量あり。 |
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4月5日事態は急に動き出す。この日の午前連合艦隊司令部での作戦会議で神重徳大佐(海兵48期)が唐突に第一遊撃部隊を沖縄に突入させる作戦案を示した。
GF参謀長(草鹿龍之介)らは菊水航空特攻作戦打合わせのため鹿屋に出張していた。この案は以前軍令部下僚内でも一度俎上にあがったが、
コンセンサスが得られぬということで立ち消えていたのだが草鹿参謀長不在の合間に豊田長官の承認を取ってしまった。神は成算は五分五分とまくし立てたという。
とはいえ、燃料枯渇の現況で燃料がなければ作戦は成り立たない。作戦乙参謀の千早正隆中佐(海兵58期)が機関参謀関政市大佐(海期38期)に問い合わせると約三〇〇〇屯しかない。
と答えた。千早正隆中佐が作戦室で海図を引き出し沖縄突入路の線引きをする間、
関政市大佐は呉に出張している機関参謀小林儀作(海期33期)に電話。相当量簿外重油があることが判明。三田尻沖結集艦艇の現有在庫量に一万五千屯積み益ことが出来る確信を得たことで豊田長官は突入の決裁を与えたという。 |
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この唐突な決定に鹿屋に出張していた三上作夫甲参謀は菊水作戦会議が終わった頃、神大佐から連絡を受け驚いたと戦史叢書沖縄方面海軍作戦 (頁631上段)に語っている。結局4月6日午後開催された1YBの作戦会議に彼らは向かうことになる。 |
| ― 運命の電令 ― |
電令作第603号 ― 昭和20年(1945)4月5日(13:59発 受:15:27)
発:GF長官 宛:1YB長官・2Sd司令・呉佐鎮長官・KFGB,・大本営海軍参謀部 【無線】 |
| 『第一遊撃部隊「大和、第二水雷隊(矢矧ヲヨビ駆逐艦六隻)」ハ、海上特攻トシテ八日黎明沖縄ニ突入ヲ 目途トシ急速出撃ヲ完成スベシ』 * この段階では、41駆逐隊冬月・涼月は含まれていない。 |
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連合艦隊が大和以下の突入作戦使用艦艇は左の組織である。駆逐艦は6隻。
41駆逐隊の駆逐艦「冬月」「涼月」は含まれていない。 この段階では瀬戸内海西部海域の出撃時刻も示されていない。 17駆逐隊 磯風艦長の前田實穂は、駆逐艦「雷」艦長だったことがある。 「雷」時代全く不人気で士気は下落したとある。 出典:敵兵を救助せよ 恵隆之介/著 2006/7発行頁286 |
電令作第604号 ― 昭和20年(1945)4月5日(14:02発 受:15:48)
発:GF長官 宛:呉鎮長官・2F長官・31S司令官 【無線】 |
| 1YB七日早朝豊後水道出撃ノ予定。 呉鎮長官ハ六日夕刻迄ニ部下艦艇航空機ヲシテ右部隊(2F)行動未掃海海面(内海西部及ビ豊後水道)ノ掃海並ニ豊後水道ノ敵潜掃蕩ヲ実施セシムベシ |
| GFは呉鎮守府長官に1YBの出撃に備えて、内海西部及び豊後水道の掃海(機雷除去)と敵潜水艦の掃蕩を命じた。 内海西部に結集した艦艇乗員は沖縄島突入が迫ってきたことを知った。 |
電令作第605号 ― 昭和20年(1945)4月5日(14:03発 受:16:00)
発:GF長官 宛:1YB 【無線】
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| 1YB指揮官ハ31Sノ駆逐艦四隻(実際は3隻)デ以テ掃蕩隊ヲ編成九州南方方面海面迄海上特攻隊ノ対潜対空警戒ニ任ゼシム可シ |
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| 《令達事項時系列》 |
電令作第603号 ― 昭和20年(1945)4月5日(13:59発 受:15:27) を三田尻沖で受けた段階において乗員は沖縄島突入命令が迫ったことを知る。
注) 電令作603号による突入駆逐艦6隻は17駆逐隊雪風・磯風・浜風,21駆逐隊初霜・朝霜・霞 2F長官(伊藤整一)は随番している駆逐艦に弾薬,燃料に係わる信号を次々に発した。 04051647 宛【31S】 左ニ依リ至急燃料ヲ移載セヨ。 花月ヨリ大和六百屯、槇・榧ヨリ(各二百屯) 04051659 宛【槇・榧】 槇・榧ハ17dgニ横付補給ノコトニ改ム。 17dg各艦ハ満載(燃料)スベシ |
電令作第607号 ― 昭和20年(1945)4月5日(発15:00 受:17:30) 発:GF長官 【無線】宛:1YB司令長官〔天1号作戦部隊〕大本営海軍部第一部長,沖特根司令,高通,第10方面軍,第32軍,第8飛行師団 |
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1.帝国海軍部隊及ビ第六航空軍ハX日(六日以降)戦力ヲ挙ゲテ沖縄周辺艦船ヲ攻撃撃滅セントス。 2.陸軍飛行第八師団ハ右ニ協力攻撃ヲ実施ス。 第三二軍ハ七日ヨリ総攻撃ヲ開始敵上陸部隊ノ掃滅ヲ 企画ス。 3.海上特攻隊ハY−1日黎明時豊後水道出撃Y日黎明時沖縄西方海面ニ突入敵水上艦艇並ニ輸送船団ヲ 攻撃撃滅スベシY日ヲ八日トス |
| 注) 「戦史叢書沖縄方面海軍作戦」で 040515:00 電を611号としているが、前後の電令から607号電の間違いと思える。 31戦隊旗艦花月の記録ではGF電令作607号としている。 |
この命令を受けた第一遊撃部隊では三田尻沖結集各艦に次の信号を発した。当隊(31戦隊欠)八日黎明沖縄島ニ突入ノ予定各隊艦ハ出撃準備完成スベシ。不要物件機密書類ハ必要ノ最小限ヲ残シ残留艦ニ移載スベシ。 GF (Gathered Fleet・連合艦隊) 燃料命令で海軍護衛隊参謀大井 篤によると、護衛隊に回される重油4,000屯カットされた。 と自著「海上護衛参謀の回想」に書いており、全艦隊で4,000屯もありうる。 |
電令作第607号、3項で具体的な命令を受領した。『海上特攻隊ハY−1日黎明時豊後水道出撃Y日黎明時沖縄西方海面ニ突入敵水上艦艇並ニ輸送船団ヲ攻撃撃滅スベシY日ヲ八日トス』
GF電令作607号で突入Y−1に、すなわち7日黎明に豊後水道を出撃せよと命じた。
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04051740 宛【大和・矢矧・朝霜・初霜】 朝霜ハ霞ニ横付補給終ツテ大和ニ。 初霜ハ矢矧ニ横付補給スベシ補給量霞満載、矢矧三百屯。 04051806(1827) 宛【大和・矢矧・朝霜・初霜】 当隊(31S欠)八日黎明沖縄島ニ突入ノ予定各隊艦ハ出撃準備ヲ完成スベシ。不要物件機密書類ハ必要ノ最小限ヲ残シ残留艦ニ移載スベシ。 04051830 宛【朝霜・初霜・槇・榧】 朝霜,初霜,槇,榧ハ他艦ヘ重油移載後徳山ニテ満載後合同スベシ。 04051830 宛【花月】 花月ハ大和ヘ重油移載後徳山ニ廻航至急燃料満載ノ上更ニ大和ヘ重油六〇〇屯ヲ移載スベシ。 燃料移載に関する時系列令達はこちら |
| 4月5日、18:30 31戦隊花月は意味深な命令を受けている。大和へ六百屯移載しなければならないが、更に徳山燃料廠で六百屯積んでこい。 それを大和へ徳山沖で移載せよ。と命令されている。実際はこの命令は実行されなかったが、この時点で四千屯以上の重油を積もうとしていたことがわかる。 最終的に搭載していた燃料はこちら。 |
04051845 宛【花月,41dg〔矢矧〕】 花月ハ魚雷二本宛至急41dg各艦ニ供給スベシ大和大発二隻使用
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| ※ Imperial navy は魚雷に特別な思い入れがあった。あのロシア艦隊に最後のトドメを差したのが水雷艇が放った魚雷であった。これ以降太平洋戦争でも、帝国海軍はこの呪縛から逃れ得ず、駆逐隊による魚雷攻撃に幻想を描き続けた。 すでに大西洋の戦いでは誘導装置の備わっていない魚雷は無用の長物になっていた。大和に随番した秋月型の駆逐艦や陽炎型の駆逐艦は米国海軍ベンソン級駆逐艦とを単純に比較すれば小口径対空機銃を除けば性能面で遥かに優れている。性能には関係ないが艦姿も優美である。 惜しむらくは対空電子兵器と対潜装備劣悪・無装備のため、戦闘の様相が航空機と潜水艦に移ったとき対応できなかった。これは造艦側の責任ではなく、用兵側の先見性のなさ、すなわちテクノロジー音痴による。すなわち、兵器は一点豪華主義では通用しない典型が帝国海軍駆逐艦に象徴される。 |
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― 31戦隊41駆逐隊 花月の記録 |
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4月5日 18:15 〜 06 02:00 マデ大和ニ重油移載(三〇〇屯) ※ 三〇〇屯は誤記か命令は六〇〇屯。 4月6日 06:00 〜 07:24 31S(花月・槇・榧)燃料搭載ノタメ徳山廻航。 錨地 徳山東突堤(当時の原油桟橋・現出光中央桟橋) 08:00 〜 11:40 マデ重油搭載(五〇〇屯),真水搭載(二.三屯) 12:35 〜 13:19 マデ 出港徳山 仮泊地(徳山湾口)岩島ノ二〇〇度二,五〇〇米 ※ 花月が大和に接近しようとしたとき、大和から燃料移載は中止。所定の位置に占位せよと命令を受けた。 |
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※功績調査部長宛二水戦機密第29号(昭和20年4月10付)で大和は31Sから600トン。21dgの朝霜からも補給を受けた。
矢矧は初霜から300トンの補給を受けた。矢矧は1,250トンで出撃しており、補給前の残量は950トンあったことがわかる。
槇,榧は17dg(磯風,雪風,浜風)にそれぞれ200トンを補給。朝霜は霞に満載させた。各駆逐隊別にみると数量に若干の齟齬があるが大筋間違っていない。
三田尻沖に結集した艦艇で徳山燃料廠廻航は朝霜,初霜,花月,槇,榧の5艦であった。 04051910 発:磯風 宛【雪風〔大和花月榧槇〕】 槇ノ雪風ニ対スル給油ハ今夜月出後ニノ事トス。
04051910 発:大和 宛【各艦】 1YB明六日 06:00 徳山沖廻航ノ予定。
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連合艦隊は4月5日15:00発電で具体的な出撃時刻と突入時刻を指定した。すなわち、
突入を8日の黎明時を 04:00 と解すれば、発令時刻から出撃まで37時間ある。
豊後水道出口(深島、沖の島線上)より沖縄島直行行程(機密第3号別図第一航路)なら嘉手納海岸沖(残波岬)まで495浬〔916Km(注1)〕。艦速20ノットで24.7時間。
22ノットで22.5時間。種子島南方海域から夜間突入となるのだ。 大本営は生還を期し得ない沖縄島突入なら燃料枯渇の現状から突入艦隊8隻で2,000トン。 で承認を与えていた。雪風クラスの燃料タンクは599トン。 よって150トンもあれば楽々沖縄に到着できる。駆逐艦6隻(注2)に各150トン。軽巡矢矧に550トン。戦艦大和に1,000トンの計算である。 注1)沖縄までの距離。深島〜大隅海峡までは直線路計算。 注2)出撃の直前まで、冬月,涼月は含まれていない。 |
電令作第610号 ― 昭和20年(1945)4月5日(発20:06 受:**:**) 発:GF長官 天1号作戦部隊 【無線】
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GF電令作第六〇一号ノX日ヲ六日トス この、04052006番電(601号)は航空攻撃開始日の変更を意味する。 |
04052000 2Sd作戦打合わせ 於旗艦矢矧。 04052110 宛【1YB】 大和2Sd各艦ハ31S各艦ヨリ不足弾薬ヲ補填シ置カレ度。 04052220〜2320 17dg 宇部沖,31S/43dg 槇より燃料搭載。 46屯。
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この日、小磯内閣総辞職。鈴木貫太郎海軍大将に組閣命令。 ソ連モロトフ外相が佐藤尚武駐ソ大使を呼び、翌21年4月に期限を迎える日ソ中立条約を延期せず破棄をすることを通告。 回天搭載潜水艦伊56号(1,950t)艦長正田啓治少佐、久米島西方で米駆逐艦ハドソンの爆雷攻撃で沈没。生存者なし。 |
通信系の確認 ― 昭和20年(1945)4月5日(発22:03 受:**:**) 発:2F参謀長 宛:沖根司令 GEB(海上護衛総司令部)長官 【無線】
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当艦隊ハ八日黎明沖縄島ニ突入ノ予定ナル処七日12:00ヨリ直接貴隊ト連絡致度 使用電波暗号書至急知ラサレ度。尚佐鎮部隊通信系7460KC終始待受シアリ沖縄島付近敵情(特ニ西方海面水上艦艇ノ動静)但シ電波輻射防衛上了解出サザル事アリ念ノ為 |
| これに対する返電 |
昭和20年(1945)4月6日(発:04:31 受:**:**)
発:沖根司令 宛:2F参謀長 配信:GF司令長官・佐鎮 【無線】
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貴機密第052203番電返 連絡電波7460KC(3730KC)。使用暗号表(アオ一四アテ六テニケ六)トス。尚463KC(中波)ヲ待受サレ度 |
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戦艦大和の第1通信室は上甲板1番副砲筒を囲むように配置されていた。前部が受信室で後部(後部副砲)が送信室である。
部屋は真半分で片方は暗号室。第1通信室の艦艇部に第2通信室がある。これは第1通信室が損傷した場合の予備室で、第2通信室に入るには分厚いアーマーが扉状になってそれが水圧使い開閉できるようになっていた。
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仕組みは日米とも同じ方式と思えるが、洋上に出た艦隊は敵の無線方位測定を避けるため、原則として電波を発しない。
作戦海域毎に陸上の通信所(中継局)に向けて関係隊艦が遠達性(注1)の低い周波数で必要事項を送信した。受けた通信所はその情報の全てを短波送信(放送)した。
受信側は作戦海域の通信所の電波を聴取する。沖縄海域は佐世保鎮守府通信系7460KC(短波)ということになる。
この通信系とは別に隊内通信系(電話)があった。当時の送信機・受信機は真空管であり、振動に対して脆弱である。更にアンテナ線を張り巡らせてあったので、機銃弾、至近弾、直撃弾でアンテナ線が破断し通信不能となっても、 とりあえず隊内通信系に使えるTM通信機(背負式・ランドセル型)が装備されていた。 この第1受信室は,対空射撃による轟音と受信機や真空管の激しい振動で戦闘中の受信は不能であった。とレイテ沖海戦のとき記録されている。 これは、第1通信室の構造上の問題(防音対策・防振対策)なのか、送受信機の問題なのか今となっては分からない。 大和の通信士だった佐藤義一は、銃弾が命中しそうもない空中線(アンテナ線)だが、これに命中し切断したと述べている。 注1 遠達性の低い電波。短波は電離層で跳ね返りながら遠隔地への送信が可能であった。超短波も同じことだが周波数が高くなるほど減衰が大きくなり、電離層反射も少なく、遠隔地だと受信不能となる。当時の海軍は超長波だと遠達性が低いと思っていた。 | |
― 昭和20年(1945)4月6日(00:01発 受:03:45) 発:GF長官GF司令官,GF司令,沖特根司令,天1号作戦部隊,〔大臣・総長〕,八飛師,南方軍,一方面軍,三二軍 【無線】 |
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帝国海軍部隊ハ陸軍ト協力空海陸ノ全力ヲ挙ゲテ沖縄島周辺ノ敵艦隊ニ対スル総攻撃ヲ決行セントス皇国ノ興廃ハ正ニ此ノ一挙ニアリ 茲ニ殊ニ海上特攻隊ヲ編成シ壮烈無比ノ突入作戦ヲ命ジタルハ帝国海軍力ヲ此ノ一戦ニ結集シ以テ光輝アル帝国海軍部隊ノ伝統ヲ発揮スルト共ニ其ノ栄光ヲ後昆(ごうこん,後世の人)ニ伝ヘントスルニ外ナラズ 各隊ハ其ノ特攻隊タルト否トヲ問ハズ愈々殊死(しゅ‐し,死を決してなすこと)奮戦敵艦隊ヲ各所ニ殲滅シ以テ皇国無窮ノ礎ヲ確立スベシ |
| 帝国海軍力ヲ此ノ一戦ニ結集 結集出来たのはわずか10隻でしかなかった。 対する米軍は、 |
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空母特別任務部隊(機動部隊・ミッチャー中将指揮) 空母16(内3隻損傷戦線離脱),戦艦8,重巡4,軽巡11,駆逐艦48,艦載機919機 戦艦特別任務部隊(陸上射撃支援艦隊・デイヨー少将指揮)戦艦:10,重巡9,軽巡4,駆逐艦23 護衛空母部隊(ローリング中将指揮)空母4,戦艦2,軽巡4,駆逐艦12,艦載機244機 |
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一撃炎上航空機,脆弱な航空母艦,貧弱なエレクトロニクス兵器,対潜兵火器。これらの改善、開発研究、装備を忘れた Imperial Navy のこれがその末路の姿であった。
また、還送輸送船の護衛を忘れたなれの果てらが空虚な言葉遊びに陶酔していた。これらの輸送船の護衛に黙々と従事した者たちを〔腐れ士官の捨て所〕と侮蔑の言葉を投げつけた。 |
| 昭和20年(1945)4月6日 |
| この日、空前の規模で航空特攻菊水一号作戦が開始された。 この日海軍だけで265人の若人が死んだ。それに陸軍第六航空軍の若人が突入した。 |
04060630 発:大和 宛【各艦】 徳山沖錨地大和岩島灯台ノ198度2浬(3.8Km) 「S」ヲ1.5Kmトス31戦隊駆逐艦花月は少尉候補生を乗せて徳山へ向かった やがて、戦艦大和外も仮泊していた三田尻沖を離れ徳山沖に向う。 |
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31戦隊 駆逐艦花月の記録 大和への燃料移載と少尉候補生の退艦など、31戦隊第43駆逐隊駆逐艦「花月」山根眞樹生航海長手記に詳しい。 表題は、 「戦艦大和沖縄海上特攻作戦余話」 平成14年9月寄稿。 現在の('08/01)リンクはこちら。 その一部を掲載すると ► 4月6日02:00時 三田尻沖大和から少尉候補生ら接舷中の花月へ移乗。 大和から中部機銃座*へ青竹滑り台で乗り組む。 矢矧の候補生は夜が明けて内火艇で花月移動。 * 秋月型駆逐艦は1本煙突。 その煙突基部後方に3連装機銃が右と左に計2基あった。 ► 06:00〜07:24 三田尻沖出港。少尉候補生を徳山へ。徳山燃料敞への回航。 少尉候補生徳山で退艦。 |
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