姓  名 所属部隊 出 身 地 享 年
澄田太兵衛第一銃隊熊毛郡田布施町麻郷−−
砂本松吉第二銃隊下松市米川下谷25
検断 藤井関次郎 後見 市川忠平
 
 防長風土注進案 挿図(三田尻村 荒図) 防長風土注進案 挿図(三田尻村 荒図)

 防長風土注進案には珍しく挿図がある。天保12年(1841)一説には近藤 芳樹編といわれている三田尻宰判関係は数ある注進案の中でもその資料性が高く評価されているという。
 鞠府松原や桑山裏の大師堂がきっちり描かれている。荒図では「才ノ松」とされているがこれは当て字で 本来なら「道祖松(さいのまつ)」としなければならない。鞠府松原に下る道は「ひや土手」と呼ばれ 戦前(1945)までは狐が出るほどの寂しいところであったという。現在は都市化が進み昔日の面影は完全 に失せてしまった。

 

現在の道祖松風景
【現在の道祖松風景】

 砂本松吉は下松市下谷の実家に帰り着いたところを逮捕された。 彼の斬首は、5月10日(06.22 金)山代宰判秋掛村(引地峠) で行うことにし護送したが、すでに秋掛での斬首は終了していた。 そのために久米村目明源吉倅松蔵に山口まで護送するように命じている記録が5月11日付で残る。

 一方澄田太兵衛の消息はまるで判明しない。倉敷からどのグループに所属し 防府市まで連れてこられたのであろうか?
 砂本松吉は下松市米川妙光寺の過去帳に「青山良松信士」の戒名が残る。

自宅に残る砂元松吉の位牌
藤井松吉の墓
  防長風土注進案三田尻宰判 [才ノ松] の記述

  最上図でお分かりのように「才ノ松」だけ緑色に着色してあるが本文中では
  阿弥陀堂 御根帳無之  正福寺抱
  本尊 阿弥陀如来
  堂敷 壱畝拾五歩 年貢地
  寮  茅葺四間梁二桁行四間半
  とそっけない。


藤井(砂本)松吉墓  GPS 34-04-46,4 N 131-52-28,6 E



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第二奇兵隊取材班
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