|
当所は江戸時代の圧政のあかしとなる処刑場である。
昭和の初期まで、処刑される人々がつながれたという
松の大木があり、血刀を洗った池の跡も、本郷側に残
っている。 ここで処刑された人達で、記録により確認
できるのは次の二十八人である。
慶長十四年三月二十九日
「山代十か村の庄屋十人と農民一人」
−検地反対を訴えて斬首、本郷物川渡にさらされ
る。検地後山代の石高は三倍半となる。−
享保七年十二月二十一日
「府谷の畔頭(くろがしら)一人と農民二人」
−紙の買上げ価格、値上げを訴え斬首。−
「同日、本郷の者一人」
−舅に不幸の行いあったため斬首−
慶応二年
「第二奇兵隊、山代出身者など六人」
−脱走、倉敷騒動参加のため斬首。−
明治三年四月二十四日
「諸隊参加山代出身者七人」
−「脱隊、暴動参加のため斬首。−
右のうち、農民達のため自らの命をかけて訴え、処刑
された人々の心情を想うとき、涙なくして対処し得ない。
恵まれた時代を生きる幸せを思い、この地に果てた人々
に、深い鎮魂の祈りを捧げたい。 合掌
平成元年四月
美 和 町 教 育 委 員 会
|