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楢崎剛十郎の妻ヤス
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![]() | 脱隊事件は楢崎剛十郎を殺害することで拡大発展した。
妻ヤスさんは、山口県上関町室津で庄屋を務める小方市右衛門の次女として誕生した。 姉の名は「ツヤ」。ツヤさんは徳山市栗屋、温品(ぬくしな)良左衛門次男である兼吉(後の小方謙九郎) と結婚した。剛十郎とヤスさんとの間に3人の男児に恵まれた。 長男は、一之丞、次男鴻十郎、三男は直人である。謙九郎とツヤさんは子宝に恵まれず直人を養子に迎え小方家を継がせた。 ヤスさんと男児その後 母子とも謙九郎宅に寄寓 次男 鴻十郎 岩国市末永家養子 アメリカ留学中病死 三男 直人 小方謙九郎養子 フランスソルボンヌ大学卒業 後年母と共に横浜移住 昭和3年(1928)3月27日没 ヤス 明治39年(1906)8月6日没 享年62 |
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小方謙九郎 小方市右衛門の長女ツヤさんと謙九郎が結婚。次女ヤスさんと剛十郎が結婚。 高田屋兼松の子、兼助は久賀松野で斬首される。墓は山口県大島郡大島町久賀畑能庄にある。 菩提寺日前荘厳寺。剛十郎も同寺。寺は浄土真宗本願寺派。 倉敷事件隊士三人の法名が残る。 武家の浄土真宗は希であり、よって西村家の財力で、 大野毛利の陪臣株を購入した可能性も考えられる。 同一の例は東和町船越出身本城藩人も存在する。 なお、剛十郎の過去帳は大島郡日前荘厳寺に現存する。 謙九郎が兼(謙)吉時代のとき、隣村末武村「堀」の娘との間に一子をもうけた。 一子長じて長岡外史。謙九郎晩年外史との面談は空々しいものだったと史書は伝える。 さもありなん、堀の娘は外史を妊娠中柳井に嫁ぐ。月足らず外史誕生。離縁。外史は萩藩士長岡家の養嗣子となる。時代が外史に活動の場を与えた。外史遺言。下松笠戸島外史公園にあり。読む者の琴線に触れる。 |
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参考までに、謙九郎とツヤさんの墓は上関町室津にある。位置は 33-49-58.98N 132-07-06.42E 小方市右衛門の墓と同じ場所に二基の石塔がある。 謙九郎没年 大正2年(1913)9月12日 ツヤ没年 大正8年(1919)7月30日 墓手前に三浦悟郎の撰で顕彰碑がある。 |
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