第二奇兵隊暴徒御処置一件
覚
一 米弐俵 無歩引
大島郡宰判久賀村庄屋伊藤葆助
存内(ぞんじうち)、畔頭(くろがしら)半兵衛組百姓
兼吉(兼助父)
右之者事、忰兼助第二奇兵隊暴徒の内ニて、脱走せしめ候付深く恐入、
自ら伏罪之心持ニて令剃髪、妻も及断髪謹慎憂愁ニ不勘罷居候折柄、次男
農兵中令組込候付、是ニて乍繞も御国恩を報ひ候事も可相叶と、漸に心を
慰め居候内、此度兼助立帰り被処死刑候、就ては親子之情難忍事ニ可有之
候得共、勿論至当之御所置篤と感服仕弥以誠心を励まし、次男に之教諭筋
も慎て御法令を守り、御国恩を報し兄之汚名を雪ぎ候様申諭し、心事可憐
ニ候、兼々御沙汰筋を重し心得宜敷者之由相聞候付、各別之御詮議を以前
書之通被遣之候事、
右六月八日、大島郡に申渡ス、一仕出之儀御蔵元役所に及沙汰、
注)( )内は筆者、
存内(ぞんじうち) 毛利藩の郷村支配の1単位 今であれば自治会(町内会)くらいの範囲。
畔頭(くろがしら) 〃 の末端の責任者 今であれば自治会長クラス。
この文書から、息子兼助が処刑されて、父は剃髪し母は断髪謹慎しかつ次男(家系図では四男、兼松)
を農兵とし兄の汚名を雪ぐよう諭したことを顕彰し褒美をとらせたことが分かる。時系列的には6月7日
第二次長州戦争の戦端は開かれ挙国一致体制に入らざるを得ない背景下の褒美による懐柔策であろう。
また、遠島処分者など関係者の釈放は同年10月に実施された。