第二奇兵隊書記 楢 崎 剛 十 郎 の 家 系

楢 崎 剛 十 郎 の 家 系

                        +―くめ(長女)
                        |
                        |―信二郎(長男5才死去)
初代      二代    三代        |
高田屋兼松―+―九右衛門――兼松(通称市蔵)  |―さん(次女3才死去)
      |       ‖         |
      |       ‖―――――――――+―兼助(第二奇兵隊士、慶応2年5月2日、久賀松野で殉難)
      |       ‖         |
      |       きよ(文化14年生)|―兼松(三男、農兵となる)
      |                 |
      +―とみ              |―とも(三女)
               ‖               |
                ‖―――楢崎剛十郎              +―鉄之助(分家)
                ‖          ‖                  
              楢崎清之進    ‖――――― 一之丞――楢崎二郎(「楢崎剛十郎の手紙とその生涯」を出版)        

                     +――小方ヤス
                     |   (次女)
     小方市右衛門――|
                     |   (長女)
           +――小方ツヤ


                          小方謙九郎(第二奇兵隊書記 都濃郡栗屋村 温品良左衛門次男兼吉婿養子に迎える)
                            山口県熊毛郡上関町室津 四海楼(木造3階建現存)に居住。
               山口県下松市末武村庄屋
                                 堀の娘との子が後の長岡外史(スキー普及の父、航空隆盛の基礎を築く)
                                  山口県下松市笠戸島、国民宿舎「大城」手前に外史公園あり。

    注) 倉敷攻撃に加わった兼助と、楢崎剛十郎はこの家系図でみると従兄弟半にあたる。いささか考えさせられる関係である。

大島郡久賀町 楢崎剛十郎 顕彰説明板  楢崎剛十郎の遺影
 

    第二奇兵隊暴徒御処置一件

      覚       一 米弐俵 無歩引            大島郡宰判久賀村庄屋伊藤葆助            存内(ぞんじうち)、畔頭(くろがしら)半兵衛組百姓            兼吉(兼助父)                     右之者事、忰兼助第二奇兵隊暴徒の内ニて、脱走せしめ候付深く恐入、 自ら伏罪之心持ニて令剃髪、妻も及断髪謹慎憂愁ニ不勘罷居候折柄、次男 農兵中令組込候付、是ニて乍繞も御国恩を報ひ候事も可相叶と、漸に心を 慰め居候内、此度兼助立帰り被処死刑候、就ては親子之情難忍事ニ可有之 候得共、勿論至当之御所置篤と感服仕弥以誠心を励まし、次男に之教諭筋 も慎て御法令を守り、御国恩を報し兄之汚名を雪ぎ候様申諭し、心事可憐 ニ候、兼々御沙汰筋を重し心得宜敷者之由相聞候付、各別之御詮議を以前 書之通被遣之候事、  右六月八日、大島郡に申渡ス、一仕出之儀御蔵元役所に及沙汰、 注)( )内は筆者、 存内(ぞんじうち)  毛利藩の郷村支配の1単位  今であれば自治会(町内会)くらいの範囲。 畔頭(くろがしら) 〃  の末端の責任者  今であれば自治会長クラス。     この文書から、息子兼助が処刑されて、父は剃髪し母は断髪謹慎しかつ次男(家系図では四男、兼松) を農兵とし兄の汚名を雪ぐよう諭したことを顕彰し褒美をとらせたことが分かる。時系列的には6月7日 第二次長州戦争の戦端は開かれ挙国一致体制に入らざるを得ない背景下の褒美による懐柔策であろう。 また、遠島処分者など関係者の釈放は同年10月に実施された。


小方謙九郎
小方市右衛門の長女ツヤさんと謙九郎が結婚。次女ヤスさんと剛十郎が結婚。 高田屋兼松の子、兼助は久賀松野で斬首されます。墓は山口県大島郡大島町久賀畑能庄にあります。 菩提寺日前荘厳寺。剛十郎も同寺。寺は浄土真宗本願寺派。 倉敷事件隊士3人の法名が残ります。  武家の浄土真宗は希だと思います。よって西村家の財力で、 大野毛利の陪臣株を購入した可能性が考えられます。 同一の例は東和町船越出身本城藩人も存在します。  なお、剛十郎の過去帳は大島郡日前荘厳寺にあります。
謙九郎が兼吉時代のとき、隣村末武村「堀」の娘との間に一子をもうけた。 一子長じて長岡外史。謙九郎晩年外史との面談は空々しいものだったと史書は伝える。 さもありなん、堀の娘は外史を妊娠中柳井に嫁ぐ。月足らず外史誕生。やがて離縁。外史はは萩藩士長岡家の養嗣子となる。時代が外史に活動の場を与えた。外史遺言。下松笠戸島外史公園にあり。読む者の琴線に触れる。
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