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代官所警固死亡者 三島定太郎の墓 小松原芳太郎の墓 山川真喜太の墓
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| この事件により、岡山県北部津山市近郊の山間地域から猟師鉄砲隊が組織され倉敷に駆けつけた。 彼らの内幕府軍の誤射により 二人の戦死者が発生。 事件発生当時、倉敷村郷宿(ごうやど)に宿泊していた者が「丙寅(へいいん)初夏倉子城(くらしき・倉敷)日記」を書き残している。 この倉子城日記を読み下し浪士の動きと幕府の動静などを整理した。 また、余波として津山藩に収監されていた井汲唯一が自裁した。 |
佐場野三郎 玉島被捕その後 石城脱走者の人数 櫛部坂太郎余話
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第二奇兵隊士で倉敷事件に参加した若き隊士たちの末路は哀れであった。 帰還した隊士は捕らえ、彼らの出身地近くで殺害された。隊士のある母は首なき息子 の遺体を涙ながらに背負い帰宅した伝えられている。 父母や同胞(はらから)にとってこの郷土は「哀しみの山河」となった。 幕末動乱の時代に生を受け、志し高く生きようとした彼らの夢はあえなくも挫折した。 さらに追い打ちをかけるがこどく脱隊反乱の汚名を着せうち捨てた。そして誰一人香華を供える者もなく 彼らの終焉の地は草木の中に埋もれようとしている。 |
| 一、南奇兵隊の陣営に乱暴したるも国外に出でざるものは死一等を免じ流罪。 | 二、南奇兵隊の陣営に乱暴せし者に非るも国外に附随して乱暴せし者も亦同前。 | 三、南奇兵隊の陣営に乱暴しさらに国外に出で乱暴したるものは斬る。 | |
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「概ねすでに断然幕府と絶つを大局の利益と認むるも部分発動の如きは無謀の軽挙たるを以ってなり」 と史書は記す。この瞬間彼らの運命は決まった。 |