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| 鎮魂 戦艦大和 |
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生け贄を選べ!久坂玄瑞 | 櫛部坂太郎逮捕 | 下津井の銃声 |
尊攘激派三宅高幸 の連島西之浦に上陸 坂田屋礼助 今橋事件 新録派閥抗争か?
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第二次長州戦争直前に発生した第二奇兵隊脱隊兵らによる倉敷・浅尾暴動事件の山口県側の記録は消された歴史に等しい程少ない。理由の最たるものは、事件が地元で起きたものではなく岡山県(備中)で戦われたことに尽きるだろう。まとまったものとして、
第二奇兵隊暴徒御処置一件 乾・坤(山口県文書館蔵)これは、主として逮捕処刑記録である。 倉敷暴動其外(山口県文書館蔵)備中側の記録で脱隊兵らの逮捕や蒔田藩陣屋での死亡者などの記録が主である。 第二奇兵隊記録(山口県文書館蔵)事件の発生から、脱隊のリーダー立石、引頭の闘死や自決を簡潔に記した記録である。
第二奇兵隊士が倉敷や総社でどのような行動をしたのか、当時の山口県側(長州藩)の記録は全く存在しないし、 山口県地方史研究(山口県地方史学会)にもこの事件に触れたものはたった一編の小論が存在するのみである。 |
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代官所警固死亡者 三島定太郎の墓 小松原芳太郎の墓 山川真喜太の墓
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| この事件により、岡山県北部津山市近郊の山間地域から猟師鉄砲隊が組織され倉敷に駆けつけた。 彼らの内幕府軍の誤射により 二人の戦死者が発生。 事件発生当時、倉敷村郷宿(ごうしゅく)に宿泊していた者が「丙寅(へいいん)初夏倉子城(くらしき・倉敷)日記」を書き残している。 この倉子城日記を読み下し浪士の動きと幕府の動静などを整理した。 また、余波として津山藩に収監されていた井汲唯一が自裁した。 |
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第二奇兵隊士で倉敷事件に参加した若き隊士たちの末路は哀れであった。 帰還した隊士は捕らえ、彼らの出身地近くで殺害された。隊士のある母は首なき息子 の遺体を涙ながらに背負い帰宅した伝えられている。 父母や同胞(はらから)にとってこの郷土は「哀しみの山河」となった。 幕末動乱の時代に生を受け、志し高く生きようとした彼らの夢はあえなくも挫折した。 さらに追い打ちをかけるがごとく脱隊反乱の汚名を着せうち捨てた。そして誰一人香華を供える者もなく 彼らの終焉の地は草木の中に埋もれようとしている。 |
| 一、南奇兵隊の陣営に乱暴したるも国外に出でざるものは死一等を免じ流罪。 | 二、南奇兵隊の陣営に乱暴せし者に非るも国外に附随して乱暴せし者も亦同前。 | 三、南奇兵隊の陣営に乱暴しさらに国外に出で乱暴したるものは斬る。 | |
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「概ねすでに断然幕府と絶つを大局の利益と認むるも部分発動の如きは無謀の軽挙たるを以てなり」 と史書は記す。この瞬間彼らの運命は決まった。 |