玖珂郡本郷村史第一巻 付録 明治弐拾参年弐月調
 玖珂郡本郷村誌 頁289を紹介する。


「毛利氏第二奇兵隊ヲ組織シ総監林平七(元老員院議官ナリ林半七の間違いか
其他ノ指揮官ヲ置キ兵士ヲ統括指揮セシカ同小隊司令士立石孫一郎ナルモノ
(元備中ノ浪士ナリ)己カ旧怨ヲ晴サンガ為メ兵士を欺罔シテ櫻井軍鬼引頭平吉等ト
共ニ備中倉敷ノ城下ニ乱入シ藩士ヲ殺害シ実弟ヲ脱監セシニ藩主大ニ怒リ幕府ニ注進シ
テ官兵ヲ以テ撃破脱隊兵身ヲ容ルニ地ナク帰国セシヲ捕ヘ其内玖珂郡及ヒ熊毛郡ノ人
片山藤蔵外五名ヲ当地ヘ護送シテ之ヲ誅ス。干時慶応二年五月十日ナリ刑札ニ曰立石
孫一郎ニ一味シ過ル五日夜同隊屯口処ニ砲発シ書記役楢崎柳三ヲ殺害シ剰ヘ他国ニ於
テ乱暴ノ処業之レアリ之レニ依リ刑罪セシムルモノナリ」

 以上の様な記録がある。まず人名の間違いについて正す。
 林平七は、軍監であった林半七の間違いと思える。 世良修蔵の謹慎処分のため赴任。
 櫻井軍鬼(ぐんき)は、櫻井軍記である。 大島郡東和町伊保田出身。
 楢崎柳三(りゅうぞう)は楢崎剛十郎で、楢崎(有田)隆蔵(りゅうぞう)と名乗っていた。

 誤謬かも知れないが面白い記述として「実弟ヲ脱監セシニ」とあり倉敷の牢に収監
されていた坂田屋礼介(助)が頭に浮かぶ。
 私見だが穿った見方をすると山口県内の史書は全て「義兄」となっているのにここ
では「実弟」となっている。参加隊士には礼介(助)と立石孫一郎は兄弟のように見
えたと伝えらる年齢は孫一郎より上で当然「兄」でなければならない。
 帰還隊士で14才以下の若年者は釈放されたので彼らには礼介が「兄」と写ったはずであり、
礼介は浅尾撤退時に重傷により介錯された。そこで「実弟(兄)」説を唱えると
事実と違うことがすぐ素人目にも証明できてしまう。
 義兄の釈放であれば代官所の収監者名簿を探しだし証明するようになり素人では不
可能となってしまう。そのような事情から「義兄」説をねつ造したのかも知れない。


 この件について、
 1.「実弟」が印刷時の間違いなのか。 2.この記述の原本は何か。  3.原本は閲覧可能なのか。
 の三点ついて本郷村教育委員会に問合わせ中です。(00.08.24)

 平成12年(2000)8月28日、 本郷村教育委員会より回答を頂きました。間違いなく「実弟」と あり、
村史作成のための原本は閲覧可能ということですから、近々本郷村教育委員会を訪れ写真を提供します。

 平成12年(2000)10月10日、本郷村教育委員会の森本氏を訪ね、明治弐拾参年弐月調 の本郷村が保存している原本について閲覧させて頂きました。原本の原本は、山口県文書館、及び 山口県岩国市徴古館保存との奥付きがあり、それに基づいていることが判明しました。
 結論は印刷の間違いではありませんでした。下の写真を参照願います。
本郷村史。本郷村側原本部分

 この点について、これ以上の追跡は意味がないので止めます。問題は、この時点でも(明治23年) 記録者が注釈も付けず、立石孫一郎が「己カ旧怨」「晴サンガ為メ」としている 点です。旧怨を晴すために付き従った無辜の兵士(隊士)を殺害する理由はどこにも なくなってしまうと考えるのは私一人の勝手な解釈でしょうか?。あまりにも為政者の作為を 感じてしまいます。
彼立石を極悪人にすればするほどその矛盾点を露呈してしまいます。

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