| 追討幕府軍大砲隊にみる組織と兵員 (倉敷・浅尾暴動事件) |
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■ 当ページは次の史料(資料)による 玉島地方史 中 大田茂弥/著 忘牛庵 平成3年10月1日発行 標題は「倉敷騒動制圧のため幕軍玉島港に上陸」 1.四月公儀御軍勢御止宿 慶応2年(1866) 寅 氏は人数扣(ひかえ・控) 守安亀太郎 としているが、それ以上の出典は不明である。 前書から倉敷・浅尾騒動に派遣された幕府大砲隊の組織と兵員を抜き出したものである。 全派遣者数はこちら | |
![]() 【前装式四斤山砲】 |
幕府が購入した大砲は仏製で、前装(先込め)式施条砲。砲弾に鉛製のリベットが施され、これが施条に食い込み砲弾に回転が与えられた。 四斤砲は幕末当時の主力野戦砲で、4斤山砲の操作員は指揮者以下8人だったと伝えられている。 |
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四斤砲 specification 口径:86.5mm,重量:235kg,最大射程:2600m 信管は着発信管で散弾、榴弾などの砲弾があった。 なお、幕府による文久(1862)軍制改革によると軽野砲隊と重野砲隊が編成された。軽野砲隊は戦術的戦闘局面に使用し、重野砲隊は城郭砲台に設置した。 軽野砲は6斤砲×6座(48門)総員数384人,重野砲は12斤砲×6.5座(52門)総員数416人と伝えられている。いずれの砲も砲手は8人である。 |
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