幕末幕府・諸藩輸入艦船一覧及びスペックならびにトピック
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出典は全て幕末貿易史による。 著者:山口和雄 発行:中央公論社 出版:S18.10.25 贈呈・贈与は幕艦「観光」と「蟠龍」。輸入船舶は24藩76隻。幕府はダントツで32隻輸入。 贈与2隻を含め34隻保有していた。 当時の日本に国産を除く総隻数は110隻に及ぶ。老中阿部正弘の軍事リアリズムに 西南諸藩は素早く反応したことがわかる。薩摩は自らが貿易立国をめざしていた。開港場を幕府が掌握することに 強く反発。これが倒幕路線に繋がる背景と思える。 徳川御三家の尾張、紀伊にしても財政的に苦しかったのか? テクノロジー音痴だったのか? 国防意識がなかったのか 両家で4隻の保有にとどまる。水戸に至っては購入もしていない。 注)萬年丸について、安芸藩と薩摩藩で重複。芸藩に売却された。 注)薩摩藩 桜島丸は長州に売却。乙丑丸となる。 注)伊予大洲藩の伊呂波丸は薩摩藩安行丸である。 |
| 南部藩 船舶 | 仙台藩 船舶 | 幕府 軍艦
幕府 船舶 |
尾州藩 船舶 | 紀州藩 船舶 |
越前藩 船舶 | |
加賀藩 船舶 |
松江藩 船舶 |
津藩 船舶 | 徳島藩 船舶 | 土佐藩 船舶 | 松山藩 船舶 | |
| 宇和島藩船舶 | 大洲藩 船舶 |
高梁藩 船舶 | 廣島藩 船舶 |
長州藩 船舶 |
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| 小倉藩 船舶 | 福岡藩 船舶 |
佐賀藩 船舶 |
小城藩 船舶 | 熊本藩 船舶 | 久留米藩船舶 | 薩摩藩 船舶 |
印 トピックス有り |
| 長さ、幅単位:m |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 南部船舶 | 廣運丸 | ウワトルウイッチ | バルク | 木 | 帆船 | 長37.8 幅6.6 |
236 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 仙台船舶 | 有功丸 | ハヨーマル | 蒸気内車 | 鉄 | 不詳 | 不詳 不詳 |
不詳 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 幕府軍艦 | 観光 | スームビング | 蒸気外車 | 6 門 | 150 | 長52.2 幅9.0 |
不明 | 和蘭 | 咸臨 | ジエツパン | 蒸気内車 | 12 門 | 100 | 長49.5 幅7.2 |
不明 | 和蘭 | 蟠龍 | エンペラー | 蒸気内車 | 4 門 | 60 | 長44.4 幅6.3 |
不明 | 英国 | 朝陽 | エ ド | 蒸気内車 | 12 門 | 100 | 長48.6 幅7.2 |
不明 | 和蘭 | 富士 | フジヤマ | 蒸気内車 | 12 門 | 350 | 長55.8 幅9.9 |
1,000 | 米国 | 回天 | イーグル | 蒸気外車 | 11 門 | 400 | 長68.4 幅10.5 |
750 | 普国(ドイツ) | 開陽 | ---- | 蒸気内車 | 26 門 | 400 | 不詳 | 不明 | 和蘭 | ---- | カガノカミ | 蒸気内車 | 6 門 | 280 | 長54.0 幅9.0 |
530 | 米国 | ---- | ストーンウヲール | 蒸気内車 装鉄 | 4 門 | 500 | 長58.8 幅9.6 |
700 | 仏国・米国 |
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観 光 安政2年(1855)和蘭から寄贈される。実はこの艦こそ海軍伝習事始めの艦である。その前、嘉永5年(1852)長崎 来泊中に、福岡藩・佐賀藩士らに汽船の取り扱いなどを拾得させた。 本格的な海軍伝習は安政2年(1855)秋、和蘭(オランダ)より派遣されたペルス・ライケン中佐(同艦艦長)以下 の海軍軍人が教師団である。 ただし、民間にも大船建造(1853/09)・外国船購入を許可するのは文久2年(1861)になってからである。 大消費都市江戸への上方(大坂)から和船による輸送は年間1万数千隻にも及んだが、それはまた多くの遭難船を 排出した海難大国でもあった。毎年千人もの船乗りの命が失われた。 開 陽 和蘭(オランダ)に幕府が直接発注。榎本武揚らが日本まで回航。 幕府は三隻の軍艦を米国に注文し手付け金まで払ったが、南北戦争により契約の履行が困難となった。 そこで、あらためて和蘭に発注。1865年に進水。1866年に和蘭を出航。 喜望峰を回り翌1867年(慶応3年)春、日本に到着した。速力は9ノットと伝えられている。 姉妹艦船 幕府 咸臨・朝陽と佐賀藩 電流丸は姉妹船。一般的知見として625屯と云われている。 咸臨の回航は、【リッダー・ホイセン・フォン・カッテンダイケ(蘭)】 (Willem Johan Cornelis Ridder Huijssen van Kattendijke、1816年 - 1866年)によってなされた。 カッテンディーケとも表記される。幕末に徳川幕府が発注した 軍艦ヤーパン号(後の咸臨)は安政4年(1857)9月21日長崎に到着した。 咸臨 訪米 万延元年(1860)1月13日に浦賀出航。2月26日(陽暦 3/17)13時サンフランシスコに投錨。 嘉永6年(1853)6月3日米艦4隻浦賀に来航。 安政2年(1855)10月24日、長崎海軍伝習所開設 され初めて外洋航海術や外燃機関について学び、わずか四春秋後、航海38日にして、太平洋を渡りきった先人の困苦に敬意を 表したい。 時代的にどうにもならないが先進的学問が全ての人に開放されなかった点である。 蟠龍艦長 浜口興右衛門 安政5年(1858)英ビクトリア女王から幕府に寄贈。帝国海軍で艦名を雷電とされた。 咸臨 訪米の艦長は勝海舟が膾炙しているが、実質的には浜口興右衛門だった。出自:八丈島樫立村。11才のとき浦賀奉行浜口久左衛門の養子となる。長じ 長崎海軍伝習生徒となった。 小野友五郎と同様マルチ人間で、帰朝後蟠龍艦長を務める。揺籃期の日本海軍のテクノクラートの一人である。 ストーンウヲールの生い立ち 米南北戦争時、工業力に劣る南軍がフランスに砲艦二隻とコルベット艦四隻を発注したが、後者は完成せず、 前者の一艦が完成。 ストーンウヲールと命名された由来は南軍の将ジャクソンのニックネームである。 ところが、仏国政府は南軍への引渡を許可しなかった。そこで、この艦はスウェーデンに売ったことし 砲艦スフィンクス(建造時の南軍の仮名)は、スウェーデン軍艦ステールコツデルとなった。次いでデンマーク が買って、艦名がオリデンとなった。そして、コペンハーゲンで初めて南軍の管理下に入ることになる。 大西洋を渡りキューバのバハマ港に入るや南軍の降伏を知らされる。曲折の末、米国北軍政府の軍港に入渠した。新米国海軍は この艦の性能を調査し、海軍艦として不適当との烙印を押した。理由は航洋性に劣ること。備砲の大きさ、数、 配置などが海軍の基準に合わず、機関部も故障していたことが挙げられている。 かくて、この艦は徳川幕府に売却されることとなった。 幕府がアメリカに発注していたストーンウヲールは南米南端マジェラン海峡を通り慶応4年(1868)4月2日に江戸湾に入った。 同艦が日本に到着したとき、すでに大政奉還(1867/11/9)され、受注先は崩壊していた。 鳥羽・伏見の戦い以降局外中立を約束していた米国を初めとする列強は新政府への同艦の引渡を逡巡したが 11月15日開陽が江刺沖で座礁・沈没すると知るや、米国は新政府に同艦を引渡し「甲鉄」の誕生となった。 ストーンウヲールの製造国は仏、購入先が米国である。 後日談だが、明治2年(1869)3月25日早朝、宮古湾に停泊していた「甲鉄」を拿捕するため「回天」が接舷を 試みたが外輪が邪魔で接舷ならず捕獲は失敗に帰している。 富 士 慶応2年(1866)6月7日、第二次長州戦争は同艦の砲撃により開始された。初弾は室津半島に、 続いて屋代島(大島郡)南岸を砲撃。東端同島油宇では農婦一人死亡。 新政府では練習艦として 明治29年(1896)まで使われた。 カガノカミ 慶応4年(1868)5月6日、幕末の武器商人スネル乗船の該艦は横浜から武器を積載して粟島に着船。 粟島より米沢藩の手によって、荒川河口の海老江に運搬されやがて越後下関の渡辺三左衛門宅に搬入された。 以下、米沢藩甘粕備後北越日誌5月15日条に「横浜にて御買入の舶来ミニー銃二千挺、元込七連発銃二百五十挺 、その外弾薬、雷管諸武器尽く当地(越後下関)へ着、一昨日より既に海老江より荷揚げして、渡辺が蔵に納め 置く由」。以上の報告を記載している。 榎本艦隊江戸湾脱走 慶応4年(1868)8月20日(19日、夜説あり)未明、品川沖を抜錨した艦船は 【軍艦】 開陽 咸臨 回天 蟠龍 千代田形。の五艦。 千代田形は慶応2年(1866)に竣工した 国産第一号の蒸気機関船であった。安政訪米使船乗組士官であった小野友五郎、肥田浜五郎らに よって建艦された。 なお当初見積もりでは二〇隻造る計画だったがこの一隻のみ進水した。 【千代田形】スペック 長 97呎(29.56m) 幅 16呎(4.88m) 兵装 30听(ポンド) 砲1。 6听(ポンド)砲 2。 馬力 60馬力と伝えられている。 【船舶】 長鯨丸 美加保丸(美嘉保) 神速丸。の三船。 だが、21日夕刻、銚子沖に達したとき暴風雨に襲われる。 この同刻会津白虎隊は戸の口原に布陣していた。 二世代前の旧式銃を手にして・・・・。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 幕府船舶 | 鵬翔丸 | カタリナテレシヤ | バルク | 木 | −− | 長36.0 幅7.5 |
340 | 英国 | 千秋丸 | デニール エブストル |
バルク | 木 | −− | 不詳 | 263 | 米国 | 健須丸 | アルテヤ | バルク | 木 | −− | 不詳 | 378 | 米国 | 千歳丸 | アルミステス | バルク | 木 | −− | 不詳 | 256 | 英国 | 順動丸 | ジンキー | 蒸気外車 | 鉄 | 360 | 長72.0 幅8.1 |
405 | 英国 | 昌光丸 | ナンキン | 蒸気内車 | 鉄 | 50 | 不詳 | 81 | 英国 | 長崎丸一番 | ビクトリヤ | 蒸気外車 | 鉄 | 60 | 不詳 | 94 | 英国 | 協鄰丸 | ジンキー | 蒸気外車 | 木 | 90 | 不詳 | 361 | 米国 | 長崎丸 | シアルツアル リスフヲルブ |
蒸気外車 | 木 | 60 | 不詳 | 138 | 英国 | 太平丸 | ライモン | 蒸気外車 | 鉄 | 355 | 長36.8 幅 不明 |
370 | 英国 | 長崎丸二番 | ジョンリー | 蒸気内車 | 鉄 | 120 | 長56.1 幅7.5 |
341 | 英国 | エリシールラス | 蒸気内車 | 鉄 | 25 | 不詳 不詳 |
85 | 英国 | 翔鶴丸 | ヤンチー | 蒸気外車 | 木 | 350 | 長59.4 幅7.2 |
350 | 米国 | 神速丸 | メテヨ | 蒸気内車 | 木 | 45〜90 | 長39.0 幅4.8 |
250 | 米国 | 黒龍丸 | コムシング | 蒸気内車 | 木 | 100 | 長51.3 幅7.8 |
不詳 | 米国 | 大江丸 | ターキャン | 蒸気内車 | 木 | 120 | 長48.6 幅7.8 |
不詳 | 米国 | 美加保丸 | ブニンデンボーグ | バルク | 木 | 長52.2 幅9.9 |
800 | 普国 | 鶴港丸 | マツテツリユス | バルク | 木 | 長35.4 幅8.1 |
358 | 米国 | 龍翔丸 | マルクリー | 蒸気内車 | 鉄 | 35 | 長27.9 幅4.5 |
66 | 英国 | 長鯨丸 | ドムバルトン | 蒸気外車 | 鉄 | 300 | 長75.0 幅10.8 |
996 | 英国 | 奇捷丸 | タバンニヨー | 蒸気内車 | 鉄 | 150 | 長66.3 幅9.0 |
517 | 英国 | ケストル | 蒸気内車 | 木 | 40 | 長36.9 幅6.3 |
161 | 英国 | 行速丸 | フイセン | 蒸気外車 | 木 | 250 | 長48.6 幅8.1 |
不詳 | 米国 | 千歳丸 | ラウアリ | バルク | 木 | 長41.4 幅7.5 |
323 | 英国 | 飛龍丸 | プローミス | 蒸気内車 | 木 | 90 | 長47.7 幅9.0 |
不詳 | 米国 |
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バルク バルクキャリアの短縮。 すなわちバラ積みの貨物船
鵬翔丸(ほうしょう) 日本人による洋式帆船外洋航海の1号船となった。 長崎海軍伝習所2期生徒らによって安政5年(1858)6月、鹿児島錦江湾入り口山川港より鵬翔丸を操り 一挙に外洋帆走を行い6日間で江戸湾に到着した。メンバーは伊沢謹吾(後の海軍奉行)や榎本釜次郎(武揚)らであった。 時期的には、安政の大獄が吹き荒れる前年であった。 熱い思いの青年たちと、老獪な政治家の暗闘が始まろうとしていた。 彼らの活躍を支えた人物として岩瀬忠震(日米修好条約締結・目付)や永井尚志(外国奉行)を忘れてはならない。 同人らは将軍継嗣問題で一橋派と目され失脚する。 やがて大獄の黒雲が日本を覆った。 千歳丸(ちとせまる) 文久2年(1862)貿易船として長崎会所調役沼間平六を頭に一行五十一人を上海に派遣している。 第二次長州戦役 第二次長州戦役(1866/06/07〜)に軍艦 富士、船舶 翔鶴丸・大江丸・朝日(旭日)丸の派遣が諸記録に確認できる。旭日丸は水戸藩船籍で国産。 順動丸 順動丸は、榎本艦隊に属し、北越戦線支援のため回航され新潟寺泊において長州丁卯丸(船将河野又十郎)、 薩摩乾行丸(船将北郷主水)に挟撃され 海岸に逃げ座礁・自焼(1868/05/24) 応砲僅か二発と記録されている。これにより、東北・北越諸藩の制海権が失われた。 長崎丸・大江丸 慶応4年6月中旬、新政府軍平潟上陸の報が伝わるや、仙台藩は6月28日、参政富田小五郎が 歩兵一大隊を率い小名浜の東方約4.8Kmの中之作港に到着。兵員を揚陸させ、二船は平潟へ 砲撃を加えた。 (出:いわき市史) |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 尾州船舶 | 神力丸 | ワンデレン | スクーナー | 木 | 帆船 | 不詳 不詳 |
150 | 英国 |
| スクーナー 帆船の帆の一形態。 縦帆のこと。 操作が簡単で少人数で運用出来る。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 紀州船舶 | 明光丸 | バハマ | 蒸気内車 | 鉄 | 150 | 長75.6 幅10.8 |
887 | 英国 | 不詳 | ネボール | 蒸気内車 | 鉄 | 200 | 長73.2 幅9.0 |
541 | 英国 | 到遠丸 | 不詳 | バルク | 木 | 帆船 | 長40.5 幅8.1 |
不詳 | 不詳 |
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明光丸 日本最初の蒸気船同士の海難事故を起こした。 大洲藩「伊呂波丸」の項参照。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 越前船舶 | 黒龍丸 | コムシン | 蒸気内車 | 木 | 100 | 長51.3 幅7.8 |
不詳 | 米国 | 富有丸 | ベルリン | スクーナー | 木 | 帆船 | 長38.7 幅7.8 |
207 | 米国 | 不詳 | フアリツタ | バルク | 木 | 帆船 | 長48.3 幅9.0 |
383 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 加賀船舶 | 錫懐丸 | シテイ ヲフバンゴー |
蒸気内車 | 鉄 | 75 | 長48.6 幅7.2 |
241 | 英国 | 李百里 | シア ハライバルク |
蒸気内車 | 鉄 | 110 | 長61.2 幅9.0 |
541 | 英国 | 啓明丸 | スタール | スクーナー | 木 | 帆船 | 長32.4 幅7.2 |
不詳 | 英国 | 駿 明 | ウエルダリ | スクーナー | 木 | 帆船 | 長32.7 幅6.9 |
158 | 英国 |
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錫懐丸(しゃっかい) 慶応4年(1868)7月25日に実行された、日本最初の敵前上陸を新政府軍の艦船として 新潟阿賀野川東岸太夫浜への兵員輸送作戦に使われた。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 出雲船舶 松江藩 |
八雲丸一番 | ガーゼリ | 蒸気内車 | 鉄 | 80 | 長54.0 幅8.1 |
337 | 米国 | 八雲丸二番 | トーウテイ | 蒸気内車 | 木 | 60 | 長45.0 幅8.1 |
167 | 米国 |
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八雲丸一番 慶応2年(1866)1月29日付けで幕府が借り上げている。 同年2月20日(2月7日の記載もある)、長州戦争のため、大坂より幕府吏員、及び兵士を広島に七往復し輸送。 同年4月12日、第二奇兵隊脱隊隊士による倉敷代官所襲撃事件において幕兵を玉島まで輸送。15日 隊士退散により同港より広島に回航。 同年6月11日、第二次長州戦争に際し、富士山丸、翔鶴丸、朝日(旭・水戸藩)丸、傭船八雲丸(松江藩)、久賀を砲撃。続いて幕兵が久賀に上陸。 翔鶴丸、朝日(旭)丸、八雲丸が久賀沖に留まってるところを14日 払暁、長州高杉晋作搭乗の丙寅丸に奇襲される。記録に、富士山丸、翔鶴丸、朝日(旭日)丸、用船八雲丸等を急襲。 ただし、損害の記録は(戦術的失敗)ない。だが、久賀沖停泊船に動揺が走り、陸上でも長州兵の攻撃(17日)を受け大島郡から撤退した。(戦略的勝利) 参考資料 日本の歴史10月号(1984年第437号)日本歴史学会編 吉川弘文館。松江藩海軍歴史年譜。いずれも松江県立図書館。 八雲丸二番 八雲丸二番とされているスペックが貿易史と松江郷土館に展示してある八雲丸絵図で違いがある。 残存絵図 長26間1尺(47.1m) 幅4間2尺(7.8m) 文久二戌冬肥前長崎ニテ求メ同三年雲州ヘ着船ス。 とある。原名はいずれも同一であり当然購入藩の記録が正しいとみるべきで、貿易史著者の山口和雄氏 の出典は何によるのであろうか?。絵図の同船は2本マスト、スクーナー形帆で中央やや 後部に高い煙突が描かれてる。(松江郷土館展示) 両船とも文久2年(1862)11月15日に長崎で購入。文久3年(1863)2月2日中海に面した大井沖(松江城東方約7Km)を定繋の 地として定められた。 慶応2年6月、第二次長州戦争石州口。長州軍の猛攻に耐えられず浜田藩主一同は 海路漁船で脱出を図ったが漂流。たまたま通りかかった八雲丸二番に救助される。(1866/07/18) |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 津 船舶 | 不詳 | ビーデル ランデルク |
蒸気内車 | 鉄 | 80 | 長46.8 幅6.9 |
250 | 米国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 阿波船舶 徳島藩 |
乾元丸 | シントロイス | 蒸気内車 | 木 | 90 | 不詳 不詳 |
1500 | 米国 |
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土佐藩船舶名 誰が船名を決めたのか、全て源氏物語からの命名という。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 土佐船舶 | 南海丸 | サンハイ | 蒸気内車 | 鉄 | 100 | 長55.8 幅9.0 |
412 | 英国 | 胡蝶丸 | フーキーン | 蒸気外車 | 鉄 | 150 | 長42.9 幅8.1 |
146 | 英国 | 夕 顔 | スーインリ | 蒸気内車 | 鉄 | 150 | 長64.8 幅8.1 |
659 | 英国 | 横 笛 | セイボルン | スクーナー | 木 | 帆船 | 長34.8 幅8.4 |
265 | 英国 | 羽 衣 | カワヒルチーマ | スクーナー | 木 | 帆船 | 長34.2 幅6.0 |
186 | 英国 | 南海船 | ナンカイ | 蒸気内車 | 木 | 25 | 長25.2 幅6.0 |
140 | 英国 | 乙 女 | ヲーサカ | バルク | 木 | 帆船 | 長39.0 幅8.4 |
386 | 米国 | 蜻 蛉 | スパンキー | 蒸気内車 | 鉄 | 不詳 | 不詳 不詳 |
不詳 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 松山船舶 | 小芙蓉丸 | チウサン | 蒸気内車 | 鉄 | 80 | 長57.0 幅8.4 |
434 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 宇和島船舶 | 天保禄 | ペムプロック | 蒸気内車 | 鉄 | 60 | 長39.6 幅6.9 |
243 | 英国 | 開産丸 | アルマー | スクーナー | 木 | 帆船 | 長27.0 幅6.9 |
131 | 米国 | 祥瑞丸 | エリシールラス | 蒸気内車 | 鉄 | 25 | 長25.2 幅5.4 |
67 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 大洲船舶 | 伊呂波丸 | サーラ | 蒸気内車 | 鉄 | 45 | 長54.0 幅5.4 |
160 | 英国 |
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大洲藩 伊予大洲藩。藩主は加藤姓。現在の伊予市。当初伊呂波丸は薩摩藩購入船であった。後、坂本龍馬が大洲藩より 借受け運行。慶応3年(1867)4月23日夜半、備中鞆の浦近海で、紀州和歌山藩船・明光丸と衝突し沈没。 日本最初の双方蒸気船衝突事故となった。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 高梁船舶 | 快風丸 | ゴーウルノルワラス | スクーナー | 木 | 帆船 | 長32.4 幅7.2 |
180 | 米国 |
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高梁 伊予松山藩と備中松山(板倉)藩と藩名が同一のため板倉松山を便宜上後年の高梁藩名とした。 明治元年(1868)9月25日、新政府軍務官より福山藩に対し玉島繋船の同船の諸元の調査指示が なされている。 注)慶応4年(1868)は9月7日まで。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 安芸船舶 広島藩 |
震天丸 | リヨン | 蒸気内車 | 鉄 | 80 | 長45.0 幅6.3 |
181 | 英国 | 達観丸 | バルク | 木 | 帆船 | 長32.4 幅9.0 |
不詳 | 蘭国 | 萬年丸 | キンリン | 蒸気内車 | 鉄 | 不詳 | 不詳 不詳 |
270 | 英国 | 豊安丸 | ジアッパン | 蒸気外車 | 鉄 | 126 | 長62.4 幅7.5 |
473 | 英国 |
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萬年丸 薩摩藩から購入。慶応2年(1866)年5月。 慶応4年(1868)7月25日に実行された、日本最初の敵前上陸を新政府軍の艦船として 新潟阿賀野川東岸太夫浜への兵員・糧食輸送作戦に使われた。 |
| 諸 藩 名 | <船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 長州船舶 | 丙辰丸 | 帆船 | 木 | −− | 長24.3 不詳 |
不詳 | 萩小畑 | 庚申丸 | 蒸気内車 | 鉄 | 不詳 | 不詳 不詳 |
不詳 | 英国 | 壬戌丸 | ランスフィールド | 蒸気内車 | 鉄 | 300 | 不詳 不詳 |
448 | 英国 | 癸亥丸 | ランリック | 帆船 | 木 | −− | 不詳 不詳 |
283 | 英国 | 丙寅丸 | テントウ | 蒸気内車 | 鉄 | 30 | 長36.9 幅4.5 |
94 | 英国 | 丁卯丸 | ヒング | 蒸気内車 | 不詳 | 不詳 | 不詳 不詳 |
不詳 | 英国 | 乙丑丸 | ユニオン | 蒸気内車 | 木 | 70 | 長45.6 幅6.6 |
300 | 英国 |
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幕末貿易史の筆者山口和雄氏は壬戌丸(じんじゅつ・ランスフィールド)を千戌丸としている。誤植か記述違いのどちらかと思える。
文久3年(1863)5月10日以降の関門海峡通過外国艦船砲撃事件の報復として米国海防艦ワイオミングの
報復砲撃(1863/07/16)で庚申丸、壬戌丸は砲撃を受け沈没。癸亥丸は大破損傷している。ワ号も死者4、重傷2、軽傷2を
出した。
丁卯丸(ちょうう) 慶応4年(1868)7月25日に実行された、日本最初の敵前上陸を新政府軍の艦船として 新潟阿賀野川東岸太夫浜への兵員輸送作戦に使われた。なお、前日には榎本艦隊所属船順動丸と新潟寺泊において 薩摩乾行丸と共同行動をとり交戦。順動を自焼に追い込んだ。 桜島丸から乙丑丸へ 慶応2年(1866)、年初の薩長盟約の一環として桜島丸の売却を合意。長州では乙丑丸と改称。 幕末貿易史(著:山口和雄)で、薩摩船籍の桜島丸と長州船籍となった乙丑丸では、幅で2尺(60cm) 幅4尺(1.2m)、トン数で95tの 違いがある。 乙丑丸(おっちゅう) 薩摩船太極丸の項に関連あり。そちらを参照。 船籍は長州だが運行は亀山社中が行っている。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 小倉船舶 | 飛龍丸 | プローミス | 蒸気内車 | 木 | 90 | 長47.7 幅9.0 |
不詳 | 米国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 筑前船舶 福岡藩 |
日下丸 | シ、ユ、チルトン | バルク | 木 | 帆船 | 不詳 不詳 |
448 | 米国 | 大鵬丸 | コロンビア | 蒸気外車 | 木 | 280 | 長57.9 幅8.7 |
777 | 米国 | 環濤丸 | エレゲン | 蒸気内車 | 鉄 | 120 | 長65.7 幅8.7 |
554 | 英国 | 蒼隼丸 | エンピロル | 蒸気外車 | 鉄 | 90/TD> | 長39.9 幅7.8 |
205 | 英国 |
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大鵬丸(たいほう) 慶応4年(1868)7月25日に実行された、日本最初の敵前上陸を新政府軍の艦船として 新潟阿賀野川東岸太夫浜への兵員輸送作戦に使われた。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 肥前船舶 佐賀藩 |
電流丸 | ナカサキ | 蒸気内車 | 木 | 100 | 長48.6 幅8.1 |
不詳 | 蘭国 | 甲子丸 | カテージ | 蒸気内車 | 鉄 | 240 | 長51.6 幅不詳 |
500 | 英国 | 皐月丸 | エド | 蒸気内車 | 鉄 | 80 | 長51.3 幅8.1 |
370 | 英国 | 孟春丸 | イウゼニー | 蒸気内車 | 木 | 140 | 長39.6 幅7.2 |
299 | 英国 |
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姉妹艦船 幕府 咸臨・朝陽と佐賀藩 電流丸は姉妹船。一般的知見として625屯と云われている。 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 小城船舶 肥前分家 |
大木丸 | ドルヒン | バルク | 木 | 帆船 | 長37.8 幅7.2 |
396 | 米国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 肥後船舶 熊本藩 |
萬里丸 | コスモポライト | 蒸気内車 | 木 | 120 | 長72.0 幅9.0 |
447 | 仏国 | 凌雲丸 | ガラナータ | 蒸気内車 | 鉄 | 160 | 長54.0 幅9.0 |
350 | 英国 | 奮迅丸 | フエーリー | 蒸気内車 | 鉄 | 20 | 長28.5 幅3.9 |
50 | 英国 | 泰運丸 | コレア | バルク | 木 | 帆船 | 長42.0 幅7.5 |
487 | 英国 | 神風丸 | カゴシマ | バルク | 木 | 帆船 | 長45.0 幅7.2 |
365 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 久留米 船 舶 |
雄飛丸 | サトウ | 蒸気内車 | 鉄 | 60 | 長45.0 幅6.3 |
250 | 英国 | 玄鳥丸 | スワルロー | スクーナー | 木 | 帆船 | 長23.7 幅4.8 |
107 | 米国 | 晨風丸 | マルチンウワイト | 蒸気内車 | 木 | 100 | 長33.9 幅6.0 |
100 | 英国 | 翔風丸 | メリジエーン | スクーナー | 木 | 帆船 | 長29.4 幅6.6 |
140 | 英国 | 遼鶴丸 | タイシヤン | スクーナー | 木 | 帆船 | 長25.2 幅6.0 |
190 | 英国 | 神雀丸 | チエーナ | 蒸気内車 | 鉄 | 8 | 長13.5 幅2.1 |
不詳 | 英国 |
| 諸 藩 名 | 船 名 | 原 名 | 船 形 | 船 質 | 馬 力 | 幅 長 | 屯 数 | 製造国 |
| 薩摩船舶 | 天祐丸 | イングランド | 蒸気内車 | 鉄 | 100 | 不詳 不詳 |
746 | 英国 | 永平丸 | フイリーコロス | 蒸気内車 | 鉄 | 300 | 不詳 不詳 |
447 | 英国 | 白鳳丸 | コンテスト | 蒸気内車 | 鉄 | 120 | 不詳 不詳 |
532 | 米国 | 安行丸 | サーラ | 蒸気内車 | 鉄 | 45 | 長54.0 幅5.4 |
160 | 英国 | 平運丸 | スコツトランド | 蒸気内車 | 鉄 | 150 | 長64.5 幅9.9 |
750 | 英国 | 胡蝶丸 | ホーキン | 蒸気外車 | 鉄 | 150 | 長42.9 幅7.8 |
146 | 英国 | 翔鳳丸 | ロチユス | 蒸気内車 | 鉄 | 不詳 | 不詳 不詳 |
461 | 英国 | 青鷹丸 | サー ジョジグレイ |
蒸気内車 | 鉄 | 90 | 不詳 不詳 |
492 | 独国? | 乾行丸 | ストルク | 蒸気内車 | 木 | 不詳 | 不詳 不詳 |
164 | 英国 | 豊瑞丸 | ノムプルウアン | 蒸気外車 | 鉄 | 150 | 長61.2 幅7.2 |
146 | 英国 | 龍田丸 | ハントルス | バルク | 木 | 帆船 | 長31.5 幅5.4 |
383 | 米国 | 開聞丸 | フイヲラ | 蒸気内車 | 鉄 | 不詳 | 不詳 不詳 |
684 | 英国 | 萬年丸 | キンリン | 蒸気内車 | 鉄 | 不詳 | 不詳 不詳 |
270 | 英国 | 三国丸 | ゼーラル | 蒸気内車 | 鉄 | 110 | 長53.1 幅6.3 |
410 | 英国 | 桜島丸 | ユニヲン | 蒸気内車 | 鉄 | 70 | 長45.0 幅5.4 |
205 | 英国 | 太極丸 | ウイルウエイフ | スクーナー | 木 | 帆船 | 不詳 不詳 |
不詳 | 英国 | 春日丸 | キヤンスー | 蒸気外車 | 木 | 300 | 長73.8 幅8.7 |
1015 | 英国 |
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