2003.6.24

福井県合唱祭に講師・指揮者として


 2003年6月22日、福井県合唱祭にお招きを受け、一泊二日の北陸への旅(笑)を終えました。中学校合同合唱団と大学一般合同合唱団の講習、および発表演奏を行わせていただき、連盟関係のたくさんの方々とも仲良くさせていただきました。

福井の中学生はすごい!

 何と言っても、福井の中学校のレベルの高さに驚きました。講習に入る前に、2つの中学校のステージ演奏を聴く事ができたのですが、整った発声と音楽への積極的な姿勢に大変好感を持ちました。特に、鯖江市中央中学校の一人一人が生き生きと音楽している姿勢には圧倒されたほどです。

 講習には、計150名ほどでしょうか。2時間の練習でとても音楽的に仕上がりました。基本がしっかりできているので、私の一言一言で、どんどん変わってくれます。リズム主体の発声練習から、曲のさびの部分に繋いでいくという方法を取りましたが、「見事!」と褒めたくなるほど、溌剌とした集中力で仕上がりました。本番の演奏では、さらに伸び伸びと講習の成果以上のものを出してくれました。振っていて爽快感に包まれ、本当に気持ちのいい、疲れが吹っ飛ぶような本番でした。

 福井県の中学生がもう大好きになりました(笑)。音色は明るくすっきりと統一され、レベルの高い一つの合唱団のようです。指導者が連携しているのでしょうか。統一したメソッドを使われているのでしょうか。いずれにせよ、寄り合い所帯とは思えないくらい、すっきりと音楽的にまとまった演奏ができたことが幸せでした。また、お目にかかりたいです。
 
一般の方々と共に


 午前中は一般の方々数十名と共に。若かりし頃大好きだった「オロロン鳥」を。なつかしく指導させていただきました。年配の方々が多かったように思いました。前半は、系統的な発声指導を心がけ、基本的なことを整理していただければと取り組みました。後半は、インテンポではない言葉の運び方からアプローチし、音楽の深いところに迫ろうとしました。音楽の揺れという側面では、ピアニストともいい交流が出来ました。

 本番は、人数も少し少なくなっちゃいました(講習が朝で、本番が夕方だったからでしょうか?)が、一生懸命演奏しました。音楽的な交流がどれほど達成されたのか、歌われたお一人お一人にお尋ねすることは出来ませんでしたが、「今年は良かった」と間接的な感想を得ることが出来、ほっとしています。


合唱祭の形

 地元三重県の他に、昨年の滋賀県、今年の福井県の合唱祭に関わることが出来ました。京都府の合唱祭の理想の姿は、全国的にも有名ですが、各県でのいろいろと工夫された形は、なかなか興味深いものです。

 今回の合唱祭では、開会式が楽しかったです。各合唱団が固まって全員客席に集合し、1グループ30秒の、その場で立っての団紹介コーナー。団員みんなで歌うところが多かったですね。司会者が何とか30秒を守ろうと苦戦する姿も面白かったです。みんながアットホームな感覚。福井県合唱祭の特徴だと感じました。

 演奏は、客席から出て、終了後はまた客席に戻ります。そして、裏番組として、中学合同、高校合同(本山先生が担当されていました。)、大学一般合同の合唱団が、別の場所で講習を受け、最後に、お披露目会・・・・。ユニークな企画ですね。感心しっぱなしでした。

私自身の形

 
 年々、他県にお招きを受けることが増えてまいりました。(8月には、福井県の合唱コンクールの審査に向かいます。) “歌うのが好き”で気軽に入った合唱の世界でしたが、いつの間にか、のめり込み、いい仲間にだんだん巡り合え、音楽の理想に向かえるようになりました。そして、講師として、審査員として、今までの経験を整理し、お伝えしていくという活動。

 責任もあり、失敗が許されない立場になってきています。ただ、絶対になくしてはいけないことがありますね。それは、楽しむこと。自分自身が今楽しんでいるか。一つ一つの仕事にやりがいを感じているか。自問したいと思います。

 私は、あくまでも現場で音楽を楽しみとして追求する個人です。生きがいとしての“楽しみ”が減ってしまってはいけません。

 ただ、今回の福井県合唱祭は、すごくやりがいのあるものでした。そして、自分の合唱団(合唱部)でまた新たな感覚で頑張れるエネルギーをもらって帰ってきました。これがあるから楽しい。楽しいからまた頑張れる。

P.S. なお、福井県出身の藤川先生が先日急にお亡くなりになられたため、『藤川先生を偲んで』という時間が持たれました。私も参加し、黙祷し、モーツアルトの“アヴェ・ヴェルム”を歌ってまいりました。ご冥福をお祈りいたします。



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2003.8.25

全日本合唱コンクール福井県大会の審査を終えて


 2003年8月24日、私は、全日本合唱コンクール福井県大会の審査員としての重責を終えました。関係者の方々の素晴らしい運営に支えられて、何とか仕事を楽しく終えることが出来、感謝したいと思います。

審査員としての決意!

 言うまでもなく、私は現場の人間。責任ある審査をするには大変な覚悟が入ります。「誠意を持って」だけでは済まされません。課題曲の計12曲の研究、そして、自由曲でどんな作品が登場しても瞬時にコメントできる力が必要です。それと、公平な審査! しかし、何を持って公平と言い切れるのか! 今まで審査される側が多かった私が、審査員に抱いてきたいろんな尊敬や疑問。立場が逆になったときに克服しなければならないことはたくさん浮かんできます。

 私が心に決めたことは、「なるべく全てを開けっぴろげにしよう」ということでした。そして、そのことは、審査発表前の講評の時間に、マイクで皆さんにお伝えしました。

 「・・・・最後に、皆さんは、審査がどういう観点で行われているか、とても関心があるのではないでしょうか。私はみなさんのそんな要望にお答えしたいので、私個人の審査観点を明らかにしたいと思います。
 ●まず、『声』という観点から全体を眺め、10点。
 ●次に、『ハーモニー』という観点から全体を見て10点。
 ●言葉の発音やDictionという観点から全体を見て10点。
 ●楽譜から何を読み取り、どう演奏に発展させているかを20点。ウエイトの大きい観点です。
 ●さらに、説得性・切実性という、音楽の魂みたいなものが感じられるかどうかに、10点を加えました。これは審査における私の個性かも知れません。
 中学は計60点、高校以上は課題曲と自由曲がありますから120点満点ですね。審査用紙に出来る限りコメントさせていただきましたが、さらに何かありましたら、メールを下さい。お役に立つことがあるかも知れません。・・・・」

 家に帰ると、早速、数通のメールが来ていました。熱心な方々に、いいお返事が出来ればと思っています。

選曲が大切

 たった一言だけ感想を述べるとしたら、『選曲がものすごく大切』。これは、同席されていた愛知県立岡崎高校の近藤先生とうなづきあいながらの感想です。曲が違ってたら、もっと魅力を発揮できるのではないだろうか?と思った団体がたくさんあったのです。同時に、曲が合唱団の魅力を引き出していると思われる演奏も。

 選んだ曲に責任をおっかぶせるだけではいけませんね。だとすると、今度は、解釈ですね。作品がどういう姿でステージに表れるべきか、その方向性を見失っては、努力の甲斐がなくなってしまいます。また、その作品を歌うにあたっての基盤が合唱団にあるかどうかも大切な要因です。

 これは、自分に言い聞かせることでもありますが、たとえば、ラテン語のルネサンス時代の宗教曲なら、言葉の抑揚やグレゴリアン・チャントの研究が大切でしょうし、指揮法も考慮しなければなりません。ロマン派後期や、現代の作品ならば、そこに至る積み上げられた歴史があるわけですから、演奏からそれを感じ取りたいものです。演奏の必然性を感じたいのです。

 もっと具体的に書いてみましょう。たとえばブスト氏の作品をどう演奏するか。ブスト氏が、昨年、次のように言われていました。「自分の作品はロマン派的な旋律線と、印象派を意識した和声を心掛けます。宗教曲のユニゾンはもちろん、グレゴリオ聖歌です。」 この言葉から、おのずと答えが出てきます。

 その点、中学校部門では、先生のご指導の賜物だとは思いますが、多くの団体から演奏の必然性を強く感じました。行き過ぎると力みになってしまうのですが、ぎりぎりのところで、力みよりは熱演でした。すごいレベルでしたね。

審査結果にほっと胸をなでおろし・・・

 さて、審査には、私と、岡崎高校の近藤恵子先生と、福井大学の安田悠子先生の3人が同席しました。人数が少ないということは責任の割合が多いということ。特にハイレベルの中学校部門は緊張しましたね。

 空けてみると、私と近藤先生はほとんど同じ。中学校部門は、私の順位と総合順位とが全く同じでした。ほっと胸を撫で下ろしました(笑)。たまたまだったのでしょう。しかし、こんなことでほっとする位、責任の重い仕事だったのです。安井先生は地元に関わられた方だけに、また、我々とは違った観点を持って見えるようでした。しかし、高校部門も、それによって荒れた審査にはならなかったです。一般は、3人とも全く同じ順位でした。

 審査するときは、自分だけ違った審査であっても、きちんと説明できるようにしようと意気込みましたが、結果を見て、ほっとするあたり、私もいわゆる“小市民”です(笑)。

 ステージ上から見る、発表直後の生徒さんや一般の方々の表情。コンクールを終えた後のわくわくした時間はどこでも同じです。和やかに無事に終りました。

 講評では、もっともっとお伝えしたいことがあったのですが、結果として、現場の営みという側面からの話に偏ってしまいました。まあ、技術的なことは、個別の講評用紙を見ていただければわかることですから・・・と割り切っての講評でした。(あ、乱筆で読めないかも・・)

 帰りの電車では、近藤先生と話が弾みました。とても素敵な先生でした。また、訪れてみたいコンクールでした。




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2003.11.1

辻正行先生にお世話になった頃のこと〜ご冥福をお祈りして


 2003年11月1日午後0時15分(本日)、かねてよりご闘病中の辻正行先生が、永眠されました。71歳でした。

私にとっての辻先生

 私の自宅に、日本合唱指揮者協会からFAXが届いたのは、その日の夕方でした。「詳細については追って・・・」と書き添えられたFAXを見て、私は、涙溢れてしまいました。

 辻先生は、私にとって大きな存在でした。今でこそ、たくさんの合唱指揮者の方々とお話も出来ますが、私が若かりし頃、プロの合唱指揮者など、雲の上の存在でした。そして、憧れの方々でした。

 そんな私が初めて辻先生とお話させていただいたのは、三重大学合唱団に客演指揮で来られていた頃。1984年です。OBとして、辻先生の送迎役を買って出たんだと思うのです。何か、先生とお話して得るものが欲しい・・・・飢えてたんですね。そしてある日、『指揮の勉強をしたい』と言う私に、始めは『東京でいろんな講座があるから』と通り一遍の紹介をされていた辻先生、私の顔がさえないのを察してくださったのでしょう、『私の家に何日か泊めてあげよう!』と言ってくれたのです。

 ちょっとした武者修行でした。5日間くらいだったと思いますが、先生のご自宅からタクシーで、辻音楽事務所を中心に、コーロ・ネスポラ、大久保混声合唱団、クロスロード・レディース・アンサンブル、クロスロード・シンガーズ、区の第九合唱団・・・と先生のお仕事にご一緒させていただいたのです。夜は、必ず、合唱団のメンバーと飲み会。これも、連れてってもらいました。3人の息子様とも交流させていただき、奥様の手料理、そしてお話もさせてもらいました。「高田三郎先生の秘伝の和声法」といって宿題まで出され、全然出来ない私を笑顔でかわいがってくれたりもしました。

 何もかもが目から鱗が落ちる体験でした。今でもその頃の辻先生の暖かな目、笑顔、話しぶり等が鮮やかに蘇ってきます。そして、アマちゃんだった私の姿も。

 時は経て、私の合唱団がコンクールなどで活動を始めると、時々会場でお会いし、「やあ、がんばってるね。」と必ず覚えてくださっていたものです。周りの方々に、「この人はねえ。昔から知ってんだけど、今や、頑張っててねえ。」等と、照れくさいくらい有難い言葉をかけてくださったものです。

 私は、その後、音楽樹では栗山先生にお世話になったり、関屋先生、黒岩先生、小泉先生、本山先生、洲脇先生、当間先生、と、迷ったときや節目となるときに、必ずお手本とし、エネルギーを頂いた指揮者の方々がおられたような気がします。そんな中で、やはり、人間的な触れ合いをあんなにしていただいた辻先生には、今でも頭が下がります。

 辻先生から得たものは、技術や音楽性を超えた、“合唱指揮者としての生き様”でした。『相手の10倍も20倍も細かい気を使いながら相手にそれを感じさせず馬鹿付き合いが出来るのを、私の、人と付き合うモットーにしている』と、述べられたことがある辻先生。きっと、大変な人生だったと思います。しかし、私のような若造(当時26歳!辻先生は52歳だったのですね!)をあそこまで面倒を見て下さった懐の深さ、やさしさには、もう言葉もないくらい感謝しています。

 辛いときは「合唱指揮やめようかなあ・・・」等と思ったりもしましたが、辻先生と歩いたあの5日間が、やっぱり励みになるんですね。そして結果的に今や、やめるどころか、ドンドンと指揮人生の深いところに向かっています。あのとき、辻先生が若い私に魂を入れてくれたのかもしれません。

合唱の未来を私達に託し・・・


 辻先生は、日本合唱指揮者協会の理事長を長期間歴任され、在職中の永眠でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は、年に数回送られてくる、指揮者協会の会報の巻頭言の辻先生のお言葉が好きでした。昨年、10月の会報の巻頭言は、『合唱がガンを治す話』と題され、ガンを告知された経過や、闘病生活の様子が、先生独特の人間的でユーモラスなタッチで書かれていました。その最後に力強く述べられていた数行をここに書き写してみたいと思います。

『・・・点滴屋さんと言われるほどの沢山のチューブをつけて歩く姿は今考えても、体一杯に受けた矢をそのままに歩き続ける武士そのものでした。しかし、この奇跡的な回復で・・・・・が果たせたのも、合唱仲間の熱い応援と励まし、コンサートに向けての気力、そして腹式呼吸が普通の人の何倍も上手に出来たことがあったからで、あらためてガン克服には合唱!と叫ばずにはいられません。
 そして、闘病に必要な気力のためには“貴方にどうしても振って欲しい”という励ましと応援です。じーっと我慢して悶々と養生するより、病院を抜け出しての練習が、メンバーの心配をよそに私には大変な力となりました。今後無理がたたって“だから言わねえこっちゃない”と馬鹿にされないように慎重なリハビリをつづけて、またまた皆さんと合唱がガンに打ち勝った喜びと全快の喜びを体一杯に旨酒を酌み交わしたいと願っています。』

 ふぅ。涙溢れてしばらく中断していました。

 “全快の喜び”は実現しなかったですが、辻先生の周りのたくさんの方々が、最後まで先生を愛されたのだと思います。人生の結末は自分で選ぶことは出来ません。しかし、人生の終止符をどう打つかは、その人の最後の意志であると思います。辻先生の人生に心から敬意を表したいと思います。

 実は、昨年11月、全日本合唱コンクール全国大会の審査発表&表彰式で、《EST》の金賞受賞に会場のメンバー達が「わーっ!!」と喜び合ったとき、すぐ斜め前に辻先生が座って見えたのです。「おめでとう」と、先生の方から手を差し出してくれました。握手する手は力強く、本当に快方に向かわれているのだと思った私でした。(痩せられてはいましたが・・)これが最後の辻先生との再会になるとは考えも出来ませんでしたが、神様が与えて下さったのかもしれません。

 今回の全国大会にも、3団体もの指揮をされると聞き、楽しみにしていました。「ただし車椅子で」という条件には少し不安を感じましたが、今日のFAXを見て、全てを察したしだいです。

 合唱の未来を私達に託し、辻先生は、私に魂を刻み込まれて、旅立たれました。苦しいときに先生との5日間が思い出された私でしたが、これからは、最後となった、全国大会での固い握手を思い出すのかも知れません。

 ご冥福を心からお祈り申し上げます。





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2004.1.1

“Tokyo Cantat”世界級の指導者と触れ合える楽しみ“


 私の所属する“21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」”が主催する、Tokyo Cantatについて、説明をしておきましょう。

21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」とは


 20世紀の合唱界は、約1000年にわたる西洋合唱音楽の歴史に学び、それを日本の文化の中に取り込んでいく時代でした。そして、21世紀はそうした世紀を踏まえて新たなものを創造し、それを日本固有の合唱音楽文化として世界へ発信していく時代です。

 “21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」”は、芸術としての合唱音楽と文化としての合唱活動の振興を目指して、1996年11月に結成されました。合唱指揮者、作曲家、詩人、ピアニスト、ヴォイストレーナー、合唱歌手など、合唱にたずさわるあらゆる人々が結集し、よりよい音楽の追求の場、世界中の人々と音楽的感動を共有できる場を目指しています。

 「音楽樹」では、Tokyo Cantat と Coro Festa を企画の2本柱として位置付けています。Tokyo Cantat においては、世界のトップレベルの合唱音楽にふれ、学び、 Coro Festa においては、より多くの人とよりよい合唱音楽を享受する場を持ち、やがては世界へ発信できる催しに高めていきたいと考えています。

 より多くの人が「音楽樹」に参加され、その幹を太くし、根をしっかりと張って、大輪の花を咲かせていくことを願ってやみません。

合唱への想いが、Tokyo Cantat へとつながっていった

 “Cantat(カンタート)”は、一定の期間に集中して合唱のためのコンサート、講習会、講演会などを行うイベントを意味する新しい言葉です。「音楽樹」は、世界合唱連合によって4年ごとに開催される「ヨーロッパカンタート」を模範として、日本における合唱音楽の浸透と文化としての合唱活動の振興を目指して“Tokyo Cantat”を企画しました。

 海外の音楽家を講師として招聘し、その講師が日本の合唱団を指揮して行うクロージングコンサートを柱に、公開リハーサルや各種セミナー、また、東京以外の地域でのサテライト・セミナーなど、多彩なプログラムが1週間にわたって開催されます。

 これらのイヴェントが、合唱にたずさわる全ての人たちにとって開かれた場となり、将来にわたる文化としての合唱活動の大きな糧となることを確信しています。


Tokyo Cantat 2001

 私が「音楽樹」の会員になって始めてのTokyo Cantatは、ドイツ行き直前のため、参加を断念しました。

 その2001年のCantatは、下記のように紹介されました。

21世紀を考えてきた私たち「音楽樹」の合唱イヴェントの在り方を問う Tokyo Cantat 2001 が、4月29日から5月6日までの8日間、力強く展開します。4つの魅力的なコンサート、充実した内容を誇るセミナー、各地に定着してきたサテライトセミナーという内容で、世界に問いかけます。

 そして全体のテーマは、「歌たちの誕生日」。

 十字架を背負って生まれた唱歌たちの運命、戦後いち早く歌うことで世の中を変えようとした「うたごえ運動」、日本の芸術的合唱作品を産みつづける東京混声合唱団の結成、地方で生まれたばかりの合唱作品、現存するレクイエムの多声部による最古の作品であるオケゲムのレクイエム、再三にわたって改訂されたフォーレのレクイエムの第1稿での演奏。

 昨年のマタイ受難曲では合唱の質の高さが大変な評判になりましたが、今年も、どのコンサートもセミナーも、二度と体験できない有意義なものになると私たちは確信しています。21世紀最初のゴールデンウィークを合唱三昧でお楽しみください。


Tokyo Cantatへ参加されたメンバーからうれしいメール

 そのCantatに、私の関わる合唱団のメンバーが、東京まで出かけて参加してくれました。その頼もしさに感謝しつつ、彼女から私への当時のメールを下に掲げて置きます。

 コンサートとセミナーに参加してきました。Aプロの「唱歌・童謡の誕生と運命」を楽しく見てきました。第1部は、開演の7,8分前からもう劇がはじまっていて、よく考えてある素敵な演出で、讃美歌から唱歌が作れた事を、歌と劇によって分かり易く構成され、動きのある合唱でコーラスも素晴らしかったです。アメリカ人の歌手レア・ガーシュテンの童謡は、とてもきれいな日本語で、心に響く歌声でした。とても感激しました。また、ホグセットクラスPart1,2に参加してきました。同時通訳の方が、みえたので助かりました。発声の基本が、とてもよくわかり、胸の位置を高く、保つ。倍音の音を聞く。i−e−a(上に・・)−aの発声。けっして、つよく声をしだしてはいけない事。あごを下へさげる。等、いつも先生に教えて頂いてることを再確認しました。Part2は、最初ストレッチをかねて発声練習をし、前日よりも声の出し方がよくわかり、身をもって体験できました。Non nobis Domine,Heilig ist der Herr などドイツ語の曲を、女性4声にわかれて指導して頂きました。難しかったですが、まわりに助けられて無事終了しました。参加してとてもよかったです。今後のコーラスに活かしていければと思います。


Tokyo Cantat 2002に参加しました

 翌年、私は、勤務先の校長のご理解を頂き、特別休暇を頂き、Tokyo cantat2002に参加してきました。(.
『TOKYOカンタート2002』に参加(02/5/4)参照
 ここでは、当時参加したセミナー『ブスト・クラス2〜ブストの世界』の様子を紹介しておきます。

 今、人気のブスト作品について、作曲者自身が直接語る講座でした。メモを頼りに、彼の話したことを再現してみます。

 「私は医者です。午前は、患者の世話をし、午後は自分の世話をします。自分の世話とは、つまり合唱作品を書くことです。職業作曲家ではないので期限などなく、非常に自由にやっています。
小さいころは、教会で歌っていましたが、父親によくたたかれました。もう歌いたくないよー・・・と泣いていました。中学校はミッション系でした。やはりよくたたかれました。そういう時代だったんです。14歳でロックンロールのバンドを組み、ベースギターを弾きました。バイアドリッド(マドリッドの北部)にある大学に入り、初期の作品を書きました。フランコ政権だったのでプロテスタント音楽です。きちがいのような時代でした。“ジーザス・クライシス♪”の時代です。
大学の合唱団に誘われましたが、ぶたれた頃を思いだし、断りました(笑)。でも、テナーが足りないと懇願され、入りました。奥さんになる人を見つけました。世界中の合唱団というところはこういう幸せなことが起こるところかもしれません、伝染病のように(笑)。6年間、毎日練習があり、おんなじ歌ばかり歌い、ピンポンを始め、毎日コーヒーを飲む生活。旅行もたくさんしました。
バスク人の合唱団もあり、誘われて入りました。指導者になってくれと言われました。父は、金を出しているのは医者になるためだぞ、と怒っていました。楽譜を買うお金もなかったのですが、仲間がお金を少しずつ出してくれたりしました。混声合唱団も作りましたが、サッカーが始まると帰ってしまい、練習になりませんでした。男というものは全く・・・。そこで、20人の女声合唱団を作り7年くらい指導しました。
私の音楽は、2度、4度、長7度、9度、11度、13度の音の積み重ねを基本としています。色彩感の違いを工夫しているのです。響きは、ロマンティックな面と印象派的な面を持ちます。メロディーはロマンティックで、和声面は印象派的です。・・・・・・・・」

 そして、若い時代の作品と、現在の新しい作品をテープで聴かせていただきました。若い時代の作品(前述の女声合唱団が歌いコンクールで優勝)は大掛かりで前衛的、現在のは、シンプルで歌いやすい作品でした。ある時期、自分はシンプルでわかりやすい作品しか書かないと決めたということです。

 Tokyo Cantatの委嘱作品“Basque Magnificat”の解説もしていただきました。楽譜の54小節目からは、バスクの踊りのリズムで、愛の歌、5拍子の踊りであるということ。218小節目からは、バスク語のテキストで、『マリア様、私はあなたが大好きです。導いてください。』という意味であること。この曲は、クロージングコンサートで演奏されたのですが、私はその日まで滞在することができなかったため、聴くことができていません(無念!)。

 最後に、Ave Maria (ブスト)を氏自身の指揮で、受講者全員で歌いました。素敵な時間でした。


今年はサテライトセミナーを三重県で

 さて、2003年は、《EST》を率いて、参加し、大変有意義だったことは、日記風エッセイでご覧下さい。(68.Tokyo Cantat 2003に出演! すごい反響でした!(03/5/10)、37.『Tokyo Cantat 2003』を満喫(03/5/5

 そして、2004年。今年は、地元三重県でサテライトセミナーを催します。サテライトセミナーは、Tokyo Cantatの地方版とも言うべく、海外からの講師を地方に派遣し、講習会を開くという企画です。来る5月1日に開催します。詳しくは、三重県合唱連盟のHPをご覧下さい。

 地元、三重県合唱連盟に、このイベントを紹介し、やっと、催せることになりました。三重という地方が、世界の最先端に触れ、よりスタンダードな合唱文化が生まれていけば、と思います。

 たくさんの合唱を愛する皆様の、受講者としての、また、聴講者としての、そして、最後の発表会の聴衆としてのご参加をお待ちしています。




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2004.2.5

いい合唱団、いい演奏とは?


 2004年は、審査員としての活動が、県外で4回ほど入っています。責任のある意義深い活動であると、私を審査員に選んで下さった方々に感謝しています。一生懸命審査させていただくためにも、ここで、私の考える“いい合唱団”“いい演奏”というものを整理しておきたいと思います。

“いい合唱団”とは


 ドイツやスペインで間近に接したサウンド、納得の行く講習、聴衆の反応・・・・。私を変えたたくさんの体験が頭をよぎります。そして「日本もあの方向にいけばいいなあ」という想い。今の私を支えているのは、これなんですね。

 ヨーロッパで聴いたいい合唱団のサウンドは、透明で明るく、ナチュラルでピュア。決して力んで迫力を出すことなく、響きと倍音でホールを鳴らします。節のような癖のある声を出すのではなく、求める音楽像に実直に向き合い、体を預けて音色を作っていきます。ですから、歌いながら音程やハーモニーを客観的に見つめられるのです。従って、非常に音程がよく、ハーモニーも美しく決まります。聴く側もすっきりした爽快感に包まれるのです。

 講習会では、体の力を抜くこと、ファルセットからの発声、リズムの捉え方などの基礎の上に、お互いの音を聴く事、歌詞のイントネーション、ハーモニーを大切に作ることなどを細かく学びました。

 聴衆は、とにかく敏感に反応します。拍手の大きさ、スタンディングオーベーションなどで、演奏のよしあしがはっきりします。勿論、審査員も聴衆も同じ判断基準。聴衆が興奮するような演奏には、高得点が付きます。

 このようなことから、“いい合唱団”の備えている要素が浮かび上がります。すっきりとしたサウンドを持っている合唱団、音楽に実直に向かう姿の表れている合唱団、聴きあう姿勢によって音程とハーモニーが安定している合唱団、リズムに敏感な合唱団、聴衆が興奮する合唱団・・・。

“いい演奏”とは

 では、“いい演奏”とは何でしょうか。一言で言えば、作品の理想像に近づいた再現ということになるのでしょう。作品がどういう演奏を求めているか(また、どういう演奏を求めていないか)がしっかりと打ち出され、その像に向かって誠意あるアプローチをされている姿に、聴衆は感動します。

 作品の伝えたい音空間なりメッセージなりに、演奏者の心が同化し、演奏者の発する音空間やメッセージに聴衆の心も同化する。そんな演奏に巡り合いたいものです。

 作品は、紙に書かれたものに過ぎません。それを“演奏”という生きたものとして蘇らせる時、どんな姿になるかは、千差万別。演奏の1回性ということを考えると、スリリングな気持ちになります。

では、どう審査するか

 こうやって、述べてくると、いざ、自分がどう審査をするのかということを考えざるを得なくなります。聴衆でいられたら幸せなのに・・・。

 やはり、審査に課せられるのは、公平性、論理性、客観性です。ただし、それらは、“私の信じる音楽”というフィルターを通ったものであるはずです。そこに、審査の個性というものが存在します。

 その個性を大いに発揮し、思い切った審査をして来ようと思います。

 観点は大きく分けて2つ。それは“いい合唱団”“いい演奏”。

“いい合唱団”という観点から・・・。
 ・ナチュラルなサウンドを有しているか。
 ・美しい音程とハーモニーを作り出せているか。
 ・豊かなリズム感が備わっているか。(言葉の持つリズムも)

“いい演奏”という観点から・・・。
 ・楽譜から何を読み取り、どう演奏に発展させているか。
 ・説得性・切実性という、音楽の魂のようなものを感じとれるか。

 紛れもなく、コンクールに参加されるグループは、一生懸命練習を積んでステージに上られるはず。その努力は、私が現場の真っ只中にいる人間ですから、よく分かります。痛いほど。その方々のためにも、誠心誠意、審査をさせていただこうと心に決めています。

 松江音楽協会から、2月8日の、第15回松江プラバ室内合唱コンクールへお邪魔させていただくのに必要な、列車チケットと丁寧なお手紙が届きました。襟を正して臨んで来たいと改めて思います。(松江は雪かなあ・・・)




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2004.2.10

松江プラバ室内合唱コンクールの審査(1)



 2004年2月8日は、審査員としての大変充実した一日でした。おそらく、市町村が主催する合唱コンクールは、宝塚市と松江市だけなのではないでしょうか。そして、プラバホールの響きの良かったことと、「中学校の部」のすばらしかったこと!! 松江の方々との交流も楽しかったです。

24年ぶりの松江


 前日の朝、8時前に三重県の松阪市にある自宅を出発。14時には松江市入りする予定でした。ところが、松阪から乗った『快速みえ』が5分遅れで名古屋着。このため、乗り継ぎがうまく行かなくなり、結局、15時10分に松江に着きました。打ち合わせの19時には余裕の到着でしたが、こういう依頼には、絶対ギリギリのスケジュールを組んではいけませんね。

 さて、ホテルに荷物を置いて、松江城をぶらぶら歩いてみました。思い出します。24年前の3月、大学の卒業前に萩、松江、鳥取、城之崎などを一人旅したことを。あの頃とは違った感性でいる自分。お城やお堀に沿って歩いていると、何か歴史の中に包まれていく爽快感がありました。天守閣はそのまま残っているんですね。雪がちらつく寒さに震えながらも、立ち止まって見上げたり、手を伸ばして触ったり、日本人としての自分に繋がるルーツを体感するような気持ちでした。

 お堀の外をゆっくり歩いていると、合唱の名門、松江北高校が見えるではありませんか。血が騒ぎます。やはり私は合唱人。思わず、足が校門に向いてしまいました。事務所で尋ねると、すぐに、合唱部を指導されている石橋先生を呼んで下さいました。石橋先生とは、これまで全国大会会場の指揮者着がえ室でちょっとおしゃべりさせていただく位でしたが、こういう「ひょっこり」に喜んでいただきました。さすがに、立場上、練習を見させていただくお願いは出来ませんでしたが、翌日の夜にお話しようという約束が出来ました。

 石橋先生に、おいしいお蕎麦屋さんを教えていただいたのですが、見つからず、その後、お堀沿いの、古いお家がギャラリー喫茶になっている『環』というお店で一服しました。ゆったり一人旅を満喫・・・。

打ち合わせで初めて知った松江プラバ室内合唱コンクールのすごさ

 夜の打ち合わせ。「宝塚国際室内合唱コンクールをモデルにした・・・」との説明どおり、コンクールのシステム、運営の素晴らしさを感じました。また、心のこもった接待にも。

 8〜20人のグループで指揮者の有無は自由。中学の部は8分、女声・男声・混声の部は10分以内。各部門金・銀・銅賞を原則1団体に授与。全部門総合1位に最優秀賞、2〜3位に優秀賞を授与。審査は、1位から最下位まで各審査員が決め、新増沢方式で総合順位を決定。各審査員の順位はロビーに即張り出し。コメントを各団体に書く。・・・・・・これは凄い。県合唱連盟がこの時期主催する“アンサンブルコンテスト”のようなものではないことがだんだん分かってきました。

 そして、配られたプログラム。曲目を見てまたまた「凄い」と思いました。今から思えば恥ずかしい質問をしてしまいました。「中学校の部にも大変専門的な難しい曲が並んでいますが、かなり、演奏レベルも高いのでしょうか?」 この質問に、「はい!全国一です!」とお答えが帰ってきたから凄い。そうこうする間に、その中学校の部の講評係りが私に決まってしまい、いささか緊張。「いい審査ができるかなあ」と不安な気持ちでした。

 楽しみにしていた信長貴富氏が、飛行機の遅れが原因で20時に到着。後半は、お酒も入り楽しい懇親会になりました。実は、「ぜひ信長氏に!」とミーハーな《EST》のメンバーにサインを頼まれてきたのです。私も、彼の作曲家としての思いや、未出版の楽譜情報など、たくさんお話を聞くことが出来、楽しかったです。とても気さくで、いたずらっぽい笑顔とマニアックなしぐさの、ひげの素敵な紳士でした(失礼)。あっと言う間に懇親会(あ、打ち合わせ会だった)もお開き。あつかましい私は、その後、信長氏の部屋に入り、しばらくお話させていただきました。もちろん、サインも。彼の作品のコピーや初演のCD(わざわざ私のために録音してきてくださったのです)を頂きました。感謝感激です。

 こうして、前日から、楽しい時間を過ごすことが出来ました。翌日はいよいよ審査です。審査員は、他に、河添達也氏(島根大学助教授)、白石由美子氏(声楽家)、中村芳弘氏(合唱指揮者)、計5人です。

第15回松江プラバ室内合唱コンクール審査結果




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2004.2.11

松江プラバ室内合唱コンクールの審査(2)



「全国一」といわれるにふさわしい中学校の部

 午前中は、中学校の部を審査させていただきました。前日の夜、主催者が「中学のレベルは全国一です」と言われたとおり、凄いレベルでした。

 11団体出場。その中で私が最も感動したのは、出雲市立第一中学校合唱部1年生でした。審査の観点を下記の5つに分けて、その合計点で順位を決めていったのですが、この団体には、結果的に@ABDに全部門最も高い点数をつけたことになります。1年生チームだったということに後から気付き、またまた驚きでした。

“いい合唱団”という観点から・・・。
 @ナチュラルなサウンドを有しているか。
 A美しい音程とハーモニーを作り出せているか。
 B豊かなリズム感が備わっているか。(言葉の持つリズムも)

“いい演奏”という観点から・・・。
 C楽譜から何を読み取り、どう演奏に発展させているか。
 D説得性・切実性という、音楽の魂のようなものを感じとれうか。

 間宮氏の「ずいずいずっころばし」「烏かねもん勘三郎」、鈴木氏の「Five Songs of Nonsense T・V」を演奏されましたが、高音から低音までナチュラルなサウンドのため、難曲を難曲と感じさせない爽やかさ、華やかさで満ち溢れていました。すべての観点で驚くべき力を発揮され、演奏の推進力にもただただ感動するばかりでした。サウンドの色付けの個性が出来てくれば、もう大人の合唱となるのでしょうが、今回のようなピュアな明るい輝きは、このままでいい気もします。

 私が、順位を確定するに当たってこの日最も困ったのは、中学校の部の2位〜4位を決めことでした。同点と1点差で3つの団体が並んでいるのです。

 大社町立大社中学校合唱部は、バルドシュの「Cantemus」、コチャールの「鐘の音」「冬」を演奏されました。豊かなリズム感を内包し、マジャール語の語感を生き生きと表現していました。BDにおいて、出雲市立第一中学校合唱部1年生に並ぶ最も高い点数が付きます。

 島根大学教育学部付属中学校コーラス部
は、松下氏の「わたしと小鳥とすず」から“草原の夜”、コダーイの「天使と羊飼い」を。最も感心したのは、1曲目の日本語の扱い方でした。言葉の抑揚を音楽的に丁寧に美しく表現され、詩が心に染み入ってきました。「天使と羊飼い」は訳詩で演奏されたのですが、マジャール語で歌われれば、言葉と音楽の一体感がステージ一杯に溢れ出たのではないでしょうか。

 出雲市立第一中学校合唱部2年生
は、@において、出雲市立第一中学校合唱部1年生に並ぶ最も高い点数が付きました。少し、深めのすばらしいサウンドです。ブリテンの「A Ceremony of Carols T・U・V・Y」をすばらしい発音で歌われました。グレゴリア聖歌特有の音律やアルシス・テイシスに迫られれば、本場の聖歌隊のような魅力が出てくることでしょう。また、ナチュラルな理想的なサウンドは、純正律を作るのに最適。アカペラで純正律を聴かせていただきたかったです。

 私は、ずいぶん悩みながらも、最後は、Dで決めようと思いました。同点や1点差の場合は、切実な魂を感じる演奏、心の奥深くまで作品の持つ想いの伝わる演奏を上位に位置づけたのです。

1位、出雲市立第一中学校合唱部1年生    (結果は2位・銀賞)
2位、大社町立大社中学校合唱部       (結果は4位・銅賞)
3位、島根大学教育学部付属中学校コーラス部 (結果は1位・金賞)
4位、出雲市立第一中学校合唱部2年生    (
結果は3位・銀賞)

 この4団体は、間違いなく、全国的に最高のレベルでしょう。いい演奏を聴かせていただきました。

女声合唱の部は、Pure Blueberryのサウンドに感激

 11団体参加の女声合唱の部。様々な個性を内包する団体が続きましたが、「これだ!」と感激したのは、最後に演奏された
Pure Blueberryでした。コチャールの「Salve Regina」、ブストの「Ave Maria gratia plena」、オルバンの「Lauda Sion」を演奏。ヨーロッパの聖歌隊を思わせるピュアな音色、美しいハーモニー。オルバンのおしゃれなリズムも実現されていました。@Bに全部門の最高点(出雲市立第一中学校合唱部1年生と同じ)が付きました。大人になるにつれ、ピュアな音色が保てなくなる傾向がありますが、この若い団体の未来に音色の維持と、さらに深い音楽性を期待します。

 出雲北陵高等学校合唱部の説得力ある音楽にも感心しました。響き、ハーモニー共に、荒削りではありますが、ダイナミックです。ラターの「Nativity Carol」、オルバンの「Mundi Renovatio」を演奏。ぐいぐいと聴き手を引っ張っていく力を感じました。

1位、Pure Blueberry            (結果は1位・金賞)
2位、出雲北陵高等学校合唱部        (結果は2位・銀賞)

 男声合唱の部には、高得点こそ付かなかったのですが、男声合唱団FREIE KUNSTの難曲に真摯に取り組まれる姿に心動きました。鈴木氏の「Feria Sexta T・U・V」。委嘱作品であるとのことですが、これからどのように音楽つくりをされていくのかが、楽しみです。またどこかで聴きたい気持ちです。

盲学校のコーラスに涙

 審査を忘れ、感動に鉛筆を持った手が動かなくなりました。島根県盲学校の演奏です。先生と生徒がステージに並びます。指揮者はいますが、目に障害を持つ生徒さん達は、いっしょに歌われる先生方にそっと体を押されて歌い始めます。後は、呼吸を耳を頼りに合わせていきます。木下さんの「おんがく」と、新実氏の「卒業」。私は、「おんがく」の始めの歌詞に目が潤んでしまいました。

    かみさまだったら
    みえるのかしら

    みみを ふさいで
    おんがくを ながめていたい
    ・・・・・・・

 15年間、このコンクールに出続けられているとのこと。これからも、「ずーっと歌い続けてください」とコメントの最後に書添えておきました。

 さて、その混声部門ですが、入賞はすべて高校生のグループ。若いエネルギー全快でした。私が1位に入れたのは、Chor Gust。ホルストの「Six Choral Folk Songs」から3曲。声はやや硬質ですが、とにかくハーモニーが知性的に決まります。男声の支えに起因しているのでしょう。Aに最高点が付きました。

 2位にランクさせていただいたYAMACHORUSは、信長氏の「無伴奏混声合唱のための7つの子どもうた」より3曲。声のよさと曲の掘り下げが抜群でした。Cに唯一の最高点を付けました。

 チャイパンズ
の、「Gloria Patri」より(シサスク)、Minuetsの「Tres Motetes」より(ブスト)、のような新たな響きに取り組まれたのは、指揮が石橋先生ですから、きっと松江北高校合唱部でしょう(Chor Gustも)。また、木下さんの心温まるコーラスを聴かせてくださった浜田高校混声合唱団、松江東高校合唱部など、楽しい部門でした。

最優秀賞と優秀賞

 全部の審査が終って、最後に決めた2つの賞。

 私は、全部を通して、同じ観点で点数化しましたから、簡単です。一番点数の高かったのが出雲市立第一中学校合唱部1年生。以下、Pure BlueberryChor Gustと続きます。

 他の審査員の方々は大変悩まれていましたが、結局、5人の総合では、最優秀賞が、島根大学教育学部付属中学校コーラス部、優秀賞が、出雲市立第一中学校合唱部1年生Pure Blueberryに決まりました。他に、出雲市立第一中学校合唱部2年生も候補に顔を出し、改めて、中学校の部の驚異のレベルを確認しあったのでした。

 表彰式は、いずこも同じで、盛り上がりました。私の講評も何とか丁寧に出来ました。島根の若いシンガー達は、お行儀がいいですね。整然と式が進行していました。賞状の受け渡しでの小さなハプニングがまた微笑ましかったです。

 審査員室入りから丁度9時間。あっという間に感じるほど、充実した時間でした。晴れて自由のみに・・・。と思いきや、石橋先生登場。「ホテルで待っててください。捕まえに行きますので。」

 かくして、松江の夜の楽しい会がこの後始まったのでした。(続く。)


第15回松江プラバ室内合唱コンクール審査結果




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2004.2.27

松江プラバ室内合唱コンクールの審査(3)



 松江音楽協会や島根県合唱連盟の方々にお世話になったあの日から、20日が過ぎようとしています。

 松江城にちらついていた雪、プラバホールに響く倍音、おいしかった“のどぐろ”の煮付けに地酒・・・・いろいろな思い出がもう遠い昔のようです。日々の現場が忙しいからでしょう。しかし、書き留めておきたいことがあります。

 コンクール終了後、ホテルに、石橋先生の“お迎え”。おいしいお店に連れて行ってもらいました。そこには、 先生を始めとする合唱指揮者の方々が。熱く語り合う会でした。混ぜてもらった私も、楽しくおしゃべりさせていただきました。

 島根県の合唱界は、指導者に大変恵まれているということがわかりました。そして、それは、島根教育大学の特設音楽科の成果であること、古くは、あの栗山文昭先生、さらに現在も地元で大活躍の勝部先生、そして、そのご子息さまや教え子に当たる方々が勝部先生の情熱を受け継いで、各高校、中学で、合唱指導をしてみえること等など、「なるほど!」と感心させられたのです。

 勝部先生を囲んだひと時は、同窓会でもあり、未来を語る会でもありました。私は、勝部先生の蒔かれた種が、しっかりと芽を出し、島根の合唱という樹木に育っている事実を目の当たりにしたのでした。

 飲む席ですから、言われることもきついですし、冗談もきつかった(笑)ですが、こういう場から次への確かなエネルギーが生まれてくるんだと感じていました。さわやかで心通う夜を過ごさせていただき、嬉しかったです。

 私は、どちらかというと地元意識を取り払ったところから、今の活動の基盤を築いてきました。だからこそ、日本を代表されるような方々とも、思い切って仲良くさせていただけたんだとは思います。そこから世界への道も開けました。でも、地元にしっかりと誇りを持ち、お互いが心開きあえる指導者達、それぞれが大変高い志を持ちながら協同していける島根の地に、ある意味、うらやましく思ってしまったのです。私の求めているような場がここにある。そんな気がしたのでした。

 多分、勝部先生の長い年月をかけた情熱が、教え子という指導者をたくさん生み出したのでしょう。その方々に囲まれて、お酒をおいしそうに飲まれている姿に、「いいなあ。幸せだろうなあ」と思ったのでした。

 島根の中学生、高校生達は、たくさんのいい指導者達に恵まれていると思います。指導者同士が切磋琢磨し、中央や関西から著名な講師の先生方がどんどん関わられる環境。これで、いい演奏が生まれないわけがありません。

 地方の理想的なあり方に出会い、目を開かれて帰って参りました。また、訪れてみたい島根県です。




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2004.4.20

愛知県ヴォーカルアンサンブルコンテストの審査



 2004年4月18日、愛知県の電気文化会館ザ・コンサートホールで催された『第11回
愛知県ヴォーカルアンサンブルコンテスト』で、私は審査の重責を担いました。新実真琴先生(声楽家)、小沢優子先生(評論家)とご一緒させていただきました。主催者の県合唱連盟の方々には大変お世話になりました。

アンサンブルの理想とは

 アンサンブルの理想とは何でしょうか。アンサンブルに関わる、特に中高生達への教育的な効果とは?

 私は、≪中学校の部≫の講評にあたりましたので、特にそういった視点を考えながら審査にあたりました。

 私が文句なしの最高点をつけた桜山中学校MAYBE★Auは、松下耕作曲「紀の国のこどもうた」のシリーズから2曲。私の5つの審査観点(声・ハーモニー・リズム・譜読み・伝達)の全てに高い点をつけました。低声に時々地声が混じるものの、全体としては、とても感動的なものでした。均質な声作りがされており、その声は、強く出しても美しい種類のものでした。したがって、明るくクリアーでダイナミックスもつき、生き生きと聴かせてくれました。聴き手がわくわくするような思い切った演奏でした。金賞を獲得しました。

 私が2位となる点数をつけたウインズ(名古屋市立牧の池中学校)は、唯一の混声でしたが、男声の柔らかで情感豊かな表現に感心しました。全体として、ややビブラートがあるものの、5つの観点にマイナス面がなく、曲の構成感も良く、聴衆の心の深いところに届く演奏でした。「大きな古時計」を歌ったのですが、こういう技術的に易しい作品でも十分にコンクールで評価されるのだということを示してくれましたね。心のこもったp、自然な膨らみ、丁寧なフレージングなどなど、とても幸せな気持ちになれました。金賞を獲得です。

 惜しくも銀賞だったC・M・P(名古屋市立あずま中学校)と
スワン名古屋市立牧の池中学校)にも、私は金賞に値する高い得点をつけました(同点の3位)。4人という少人数で「赤とんぼ」と「Now is the month of Maying」(モーリー)を歌いきったC・M・Pに、1人1パートのアンサンブルの理想を強く感じました。高く評価したのが私だけだったのがすごく残念。一人一人が歌い手として独立しており、しかも頭声に統一されていて音程も驚くほどいいのです。大人でも1パート1人では難しいのに! ビブラートをもう少し押さえ、フレーズを長く捉えることが出来ればさらに言うことなしでした。しかし、このグループ、絶対金賞に値します。

 スワンは、今気付きましたが、ウインズと同じ学校、同じ指導者なのですね。柔らかな声と美しいハーモニーが心に染みました。ちょっとビブラートが気になりますが、とてもいいアンサンブルでした。「ゆうやけこやけ」をやはり易しいアレンジで演奏されましたが、どの観点から見ても高い評価が出来ました。結果は、銀賞でした。

 全部で19団体。最も参加の多い≪中学校の部≫でしたが、4部門中最も集中して聴くことができました。

 「楽しかったですかぁ?」 私が講評で、中学生に向かって始めに発した言葉です。会場の中学生達、「はぁい」と元気に答えてくれました。愛知の歌い手の皆さん、みんな元気でしたね。午後の、≪高校3年の部≫でも同様の印象。審査発表に大きな歓声を上げ、奔放です。都会っ子なのですね?

 この日に向かう練習が楽しかったか、そして、自分がどう変わったか。自分の歌が好きになり、隣の人の歌も、またその隣の人の歌も好きになり、結果として、お互いを「なるほどなあ」と尊重し合い、同時に高まっていく。そんな姿が、アンサンブルの理想の姿だと思います。自分の歌と他人の歌が、お互いが生かされながら、溶け合って一つの演奏に昇華されていく過程は、絶対楽しいもの。中学生達の毎日のそんな姿を支援していく指導者の努力が最も大切です。

 アンサンブルに適した声作りの必要性も、そこから見えてきます。ニュートラルで倍音のたくさん含んだ響きを実現させて欲しいものです。そうすればその声を使って、伸び伸びといいアンサンブルに向かえます。逆に、声の方向がお互いに違えば、遠慮しながら合わせなければなりません。または、交わらないまま歪な演奏になってしまいます。

 私の審査基準は、そういった“理想のアンサンブルに向かっているか”という問いかけに起因しています。合唱コンクールではなく、アンサンブルコンテストなのですから。ただ、他のお二人の審査基準は、私とは違っていましたねー。話し合いも、どこか噛み合いませんでした。理事長の長谷先生は、「いろんな分野からの審査員をお願いしているので、審査は割れるのを覚悟しています」とおっしゃっていましたが・・・。

アカペラコーラスの楽しさ

 続く≪高校3年の部≫は、12団体の参加でしたが、そのうちの7団体がポピュラーコーラスでした。いわゆる“アカペラコーラス”です。私も2種類の審査基準で応戦です。ただ、ミキシングが必要なアレンジ物は、やはり、ボイパやベースの音量がどうしても足らず、おとなしく聴こえてしまいますね。審査ではそのあたりは割り引きましたが。

 私が最高点を入れたおとめぐさ
(聖霊高校)は、1人1人が美しい声の音楽性高い演奏でした。「平和のための祈り」、「野ばら」を堂々と。金賞を獲得。

 アカペラコーラスで唯一金賞を獲得したグループは、私も次に高い得点(2位)を入れた、岡ココア(県立岡崎高校)でした。「The longest time」(ビリー・ジョエル)を演奏。たぶん“耳コピ”したのでしょう。手書きの楽譜が添えられていましたから。遊びに徹しながらも、音律を確実に決めてゆく堅実なものでした。

 アカペラですごかったのは、≪混声の部≫に出場のプチゴスA(トヨタ自動車)でした。「One more day」を歌われましたが、何がすごいって、3名の男声。もう、体当たり。これでもかこれでもかと訴えかけてきます。そのやりきった姿に感動してしまったのです。熱いハート溢れるすごい演奏でした。もう、審査基準を忘れ、ほれぼれ。いいですね、こういうの。

 アカペラコーラスのすばらしさというのは、音律やリズムの正確さに加え、どれだけ楽しませるかにかかっています。そのためのパフォーマンスや、常識を覆すような歌いっぷりを感じたかったのです。クラシックとは全く違った基準で聴かせていただきました。

総合1位は豊田市少年少女合唱団シニアグレイス

 このグループは、飛びぬけて安定していました。≪同声合唱の部≫で金賞、そして4部門総合1位を獲得しました。私も、1位になる高得点をつけました。

 日本古謡の「さくらさくら」(若松正司編曲)とサウンドオブミュージックの「Preludium」を演奏してくれましたが、第一声から、豊かな響き。どのパートも均一な音色。そして、アゴーギクの繊細で大胆なこと! 随分歌いこまれているのでしょう。全く破綻をきたさず、聴き手を集中させる演奏でした。各パートの声が均一で倍音も美しく、ホールが鳴っていました。海外でも活躍されているのでしょうか。すばらしいグループでした。きっとすばらしい指導者の下、小さいときから一途に練習してこられたのでしょうね。

 日本では、小さい頃から同じ指導者で育てられるというのは稀ですね。海外では、ハンガリーのプロムジカや、イスラエルのモランのように、少年少女時代から同じ(優秀な)指導者の下で育てられた結果、世界的なグループに成長しているケースがたくさんあります。それらは、当然、音色が全く均一で個性的です。指導者の音楽性や愛情に満ち満ちています。

 そういった理想のグループが頭をよぎる位、いいアンサンブルでした。おめでとうございました。

 全57グループを聴き終え、閉会は19時40分。もう耳は飽和状態でしたが、アンサンブルの醍醐味についてしっかりと頭の整理が出来た一日でした。




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2004.5.2

『TOKYO CANTAT2004 サテライト・セミナーin三重』を終えて



 2004年5月1日、津リージョンプラザ(三重県)で催されたTOKYO CANTAT2004 サテライト・セミナーin三重』。エルヴィン・オルトナー氏を講師にお招きしての講習会は、三重県合唱連盟の運営で、成功裡に終りました。「“音楽樹”の一大イベントであるこの行事を地元三重県で!」という私の願いを、このような形で受け止めて頂き、立派に終えていただいた連盟の方々に感謝の意を表すと共に、参加された方々が、この日得られたものを今後どのように発展させていかれるか、楽しみです。

提案

 私が“音楽樹”の理念に共感し、会員になって何年になるのでしょうか。当初は、この時期(ゴールデンウィーク)に一週間催されるTokyo Cantatへの参加が、私にとっての喜びでした。その後、《EST》と共にドイツやスペインでの経験も経て、「世界のスタンダードな形に近づきたい。演奏者も聴き手も!」と強く思うようになりました。地元で演奏活動を続ける限り、地元をほっておけない気持ちも。そこで、講師を地方にお招きする“サテライトセミナー”の提案を考えたのです。世界の一流の指導者を地元にお招きし、ヨーッロッパの伝統を踏まえたご指導をしていただこうと。

 県合唱連盟の総会での提案は、一度は、「全国大会と重なるからできない」と、受け入れられませんでしたが、「次年度については前向きに」と理事長が約束していただきました。そして、今回の催しとなったのです。

オルトナー先生のご指導

 セミナーの形式は、3つのモデル合唱団の1時間半ずつの公開レッスン、聴講者を含む全員でのレッスン(1時間)、3つの合唱団の発表会といったものでした。13:00から20:30までの全力投球のオルトナー先生には、音楽への並々ならぬ情熱を感じました。

 背の高さにまず圧倒され、次に、大変派手なボディーアクション、そして、ユーモアの精神・・・・・受講される合唱団の方々は、オルトナー・ワールドにたちまち引き込まれていきます。肝心な音楽指導は、大変繊細で論理的、そして、体当たりでした。熱のこもったドイツ語での指導に、通訳の方がついていけないくらい。時間を忘れるほどでした。

 3つのモデル合唱団のそれぞれの特徴をすばやく察しられ、それぞれに合った指導をされていたのも感心しました。そして、肝心の音楽の指導は、元があるというか、伝統に根ざした確固たるものでした。7月に島根県での大きな講習会を抱えている私にとって、彼の指導は、すべて大変勉強になったのでした。

 《EST》も、モデル合唱団でした。詳しい様子を別のページに記したいと思います。

きっかけを大切に

 参加者は、モデル合唱団の他には、高校生、県外の大学生、一般の合唱団の方々等がちらほら・・・・、少なかったですね。こういうイベントがいかに大切で、いかにいい合唱を志すために不可欠か、まだまだ、多くの合唱人には理解されていないのでしょうか。三重県の現実です。

 また、終了後、理事長に「来年以降も継続を」とお頼みしましたが、「一部の参加者だけの行事だということで文句が出てくるだろう。来年は無理。」とショックな答弁。やはり、他県でされているように、会員が有志をつのって継続していくしかないのかなあ・・・と憂鬱な気持ちです。謝礼などの金銭上のリスクを伴ってしまうので、簡単な事ではないからです。

 しかし、参加された方々には、TOKYO CANTAT全体のプログラム(全128ページ!!)が配布されました。このプログラムを見て、「東京のに参加しに行ってみよう!」と思われる方々がたくさん出てくるといいですね。私が東京で感動したのは、講師の素晴らしさや、イベントの華やかさだけではなく、会員を初めとする参加者達が目を輝かせて合唱の未来と向き合っている姿が、はっきり感じられたことなのです。

 オルトナー先生は、全力でご指導されて、東京に向かわれました。種を巻かれて。受講された方々は、その種を育て、花開かせる責任があると考えて欲しいです。そうして、みんなの意識が高まって、地元の合唱を、世界に通じる、市民権を得た文化にしていきたいものです。今回の“きっかけ”を多くの方々が大切に育てられんことを願っています。




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