2007.11.3

台湾公演! スーパー・グッド・フレンド・コンサートの感激

 2007年10月7日、ヴォーカルアンサンブル《EST》は、台湾公演を実現しました。場所は、国家音楽庁(台北市の中正公園内)です。この《EST》の歴史に残る出来事を書いていきたいと思います。

きっかけは、宝塚

 《EST》が海外の合唱団から「コンサートをしないか?」とお誘いを受けることは、これまでも幾度かありましたが、実際に、コンサートを催すことだけを目的に海外に出かけると言う意味での、実現に漕ぎ着けたのはこれが初めてでした。

 話は、2年前の2005年夏。宝塚国際室内合唱コンクールの会場でのことです。当時の『日記風エッセイ』に私は次のように記しています。

 終わって着替えている時です。台湾メールクワイヤの指揮者の方が、楽屋へ来られ、「《EST》を台湾に招待をしたい」とお声掛けいただきました。1年に一度、台湾に海外の合唱団を招待し、コンサートや勉強会を持つという企画だそうです。「今年はポーランドとドイツの合唱団を招くので、ぜひ来年!」と。そして、《EST》のCDを手にしてニヤリ。これには、驚くやら嬉しいやら。「日時はお互いの相談で」と具体的なお話まで頂きました。

 しかし、台湾で彼らにもう一度尋ねると、実は2002年の宝塚での演奏がキッカケであったと言うことでした。現地でのインタビューをここに紹介します。話してくれたのは、台湾メールクワイヤのイェンシェンさんです。彼は、準備から運営まで活躍していただいた方です。

 「このコンサート(スーパーフレンドシップコンサート)シリーズを開催する目的は、海外の合唱団のすばらしい演奏を台湾の人に聴いてもらうためです。このコンサートは今回で第4回目になります。私達は、2002年の宝塚室内合唱コンクールでESTの演奏を聴き大変感動しました。その後インターネットなどで《EST》のことを調べるようになりました。2005年の京都シンポジウムのあった年に再び《EST》を聴き、また感動しました。そのときフォルモサ合唱団のメンバーとして宝塚コンクールに参加し、《EST》も出演されていて、お話しする機会を得ました。宝塚国際室内合唱コンクールで聴いて、東洋の合唱団なのに西洋の音楽をよく処理してる。ルネサンスなど非常に良くできているという印象をもっていました。今回《EST》の演奏会について、台湾でトップのホールを借りたというのは、《EST》の実力を認めたからです。」
 

 本当に嬉しかったです。5年越しのラブコールだったことになります。同時に、彼らの日本に向ける眼差し、研究熱心さと、夢の大きさ(台湾に世界の合唱団を招き、フェスティバルを開催したいと話してくれました)には、本当に脱帽でした。しっかり期待に応えなくちゃ! 《EST》の皆は、コンサートの実現に向けて張り合いを持って、練習を積んできました。

 彼らとの、主にメールでのやり取りで、コンサートの詳細が決まっていく過程は、本当に夢に近づく楽しい期間でした。当初は2006年の10月などを希望していましたが、《EST》のイタリアでのコンクール参加など、諸事情で、2007年10月になったのでした。メールを担当していただいた長島さん、旅行会社との折衝などの常住さん、奥田さんなどが頑張り、順調に日本を出発するところまで漕ぎ着けたのでした。

 ここで、台湾メールクワイヤのプロフィールを掲げておきます。

台北メールクワイアは、1994年成功高中合唱団のOBにより結成された男声合唱団である。2002年第2回国際合唱オリンピック(釜山)で金賞、2003年宝塚国際室内合唱コンクールで金賞、2004年第3回国際合唱オリンピック(ブレーメン)で金賞など、指揮者 唐天鳴の指導のもと台湾を代表する男声合唱団として活躍している。合唱団のロゴマークである船を引く二人の図は、船が"言葉"や"思い"、"音楽"を示し、それを仲間とともに力強く引いていこうという意志を示している。


台風でピンチに

 台湾へは、5日の金曜日に日本を発った第1陣と、6日の土曜日に日本を発つ予定だった第2陣に分かれて行きました。私は第2陣だったのですが、心配なのは、超大型台風が台湾を直撃するという予報でした。第1陣は5日に無事到着。我々も6日朝、空港のゲートの中までは順調でした。ところがです。乗る直前になって、『待機』の連絡。やはり台風が原因でした。数時間の缶詰状態の後、『欠航』の連絡。この時は皆真っ青になりました。海の向こうの第1陣も同様だったでしょう。

 いろんな動きがあり、何とか、翌日の便のキャンセル待ちに期待を賭ける事になりましたが、その便は台湾の南の方の空港行き。そこから新幹線で台北入りし、コンサート会場には開演ギリギリに着く・・・というものでした。でも、「行けないよりはいい」と言い聞かせた我々は、空港内の会議室を借りて練習し、空港に隣接するホテルを押さえました(自宅に一旦帰るメンバーも)。海の向こうの第1陣も大変不安だったようですが、そのお話は、メンバー(代表)の野田氏がHPに書いています。→N氏の部屋内(台湾旅行記)

 夜はあまり眠れませんでしたね。起きてはテレビの台風情報を見ての繰り返し。最悪の場合をいろいろ考えては祈るばかりでした。

一転! そして第1陣と

 ところが、翌朝。私達は、朝の台北行きの飛行機に、それも全員乗ることが出来ました。相談に乗っていただいていた旅行会社の人もびっくり! 考えられないことだそうです。台北メールクワイヤのスタッフの尽力です。とてつもなく大きな力が働いたようです。驚きでした!

 これで、お昼過ぎにはコンサート会場に着ける! リハーサルも何とか出来る!

 ところが、今度は、離陸時間は遅れる、着陸時は台湾空港上空で長い間旋回する(着陸許可がなかなか下りなかったのです)、着陸したら機内で待たされる(連絡バスがなかなか来なかったのです)・・・・・、すべて台風による混乱だったようですが、リハーサル時間がどんどん少なくなることに私は密かにいらいらしていました。

 3時過ぎだったでしょうか。ついに、国家音楽庁に到着。第1陣の16名が重苦しい雰囲気でステージ練習しているところに駆け寄り、感動の合流。第1陣は涙を浮かべて大喜び。そりゃそうです。16人で指揮者なしで演奏しなければいけないかも・・・という覚悟を強いられたのですから。

 台湾メールクワイヤの方々も本当に喜んでくれました。初対面の方々も沢山見えましたが、すでに同じ釜の飯を食ったような状態です。私は、即座にリハーサルを行う決意で指揮台に立ちました。


中山紀念堂駅の5番出口から、中山南路を歩いていくと、高さ30メートルの巨大な正門がそびえたっています。門の中央に書かれた文字、「大中至正」は蒋介石の好きな言葉。
この文字の真下、アーチ状の門をくぐると、広大な公園が現れます。
この敷地の総面積は25万平方メートル。
そのスケールの大きさに圧倒されてしまいます。
右側には、「國家戯劇院」(オペラハウス)、左側は、「國家音楽廳」(コンサートホール)、そして、正面には台湾民主紀念館があります。
紀念館の高さは70メートル。青い尖った屋根、白い大理石の外壁、赤い花壇の花。
これは「青天白日満地紅」といい、中華民国の国旗を表しています。


素晴らしいホールで夢中にリハーサル

 国家音楽庁は、台湾を代表するすばらしいホールだと聞いていましたが、本当にその通りでした。柴田南雄作曲のシアターピース作品『三重五章』から練習を始めたのですが、ステージに近い3階席や、パイプオルガンの近くの通路が心地良く響きます。さっそく、この2箇所で“鈴鹿馬子唄”“櫛田川舟歌”をソロ(福本氏と長島さん)で歌い、客席を練り歩きながら次々と歌い手が加わっていくということにしました。客席に奥行きがあるため、あまり後ろでは歌わないことにしました。客席も含めたホール全体が、こういったシアターピースの音空間になるわけですが、この練習で「いいホールだ。いい演奏になりそうだ!」と思えたのが、嬉しかったです。

 『ラプソディー・イン・チカマツ』(千原)の打楽器合わせにも時間を割きました。太鼓の部分は、和太鼓ではなく、中国太鼓です。でも、たたく場所の工夫によって難なく解決。太鼓の置き場所も何箇所か試し、一番声と溶け合える場所を見い出せました。担当の稲垣さんもホッとした表情。

 ホールの響きの良さは、続くルネサンス音楽のリハーサルで確かなものとなりました。広い教会のようによく鳴ってくれます。各声部の響きが遠くでよく交わります。おかげで練習は心地良いテンポでどんどん進んで行きました。もちろん、「コンサートを成功させるぞ!」というメンバー全員の気迫に支えられてです。やはり《EST》は全員で歌ってこそ《EST》なのです。(笑)

 台湾メールクワイと《EST》の合同演奏の練習も、楽しかったです。「『島唄』を合同で歌いたい!」という台湾メール側の希望によってすぐに決まった合同曲。『島唄』が選ばれたのは宝塚で我々の演奏を聴いていただいたからでしょう。総勢70名の『島唄』は、当たり前ですが、男声パートがとても充実した堂々たるものでした。私の指導で30分ほどの練習をしましたが、オブリガードのイメージに始まり、日本語の母音の特徴、言葉の意味などを説明し、後はひたすら熱い指揮。でも、みるみる一体感のある音楽に昇華されていく辺りは、さすがに台湾メールの力を感じました。台湾メールはほとんど全員が若者で、とてもフレンドリーに我々と歌ってくれました。私の日本語をさっと台湾語にしていただいた、団員の友達であると言う通訳の若者には本当にお世話になりました。

 残った時間は、楽屋で練習、そして夕食、着替え、忙しかったです。さらに私の場合は「おしゃべり原稿」も準備しました。私の言いたいことを紙に書き、通訳の方に台湾語にしてカタカナで書いていただき、それをひたすら発音練習しました。「最初の挨拶はその国の言葉で!」。これは、バルセロナで《EST》が催したコンサートの時に思ったことなのです。あの時は、付き添っていただいたバルセロナ在住の日本人ギタリストの勧めで、スペイン語で挨拶させて頂いたのです。“掴み”は大成功。あっという間にお客さんとの距離が縮まったのでした。「今日もそう行きたい!!」

 あっという間に、開場。そして、「19時半開演を10分ずらします!」と、我々に耳打ちしてくださった親切に感謝し、ぐっと気持ちを落ち着けて、これから始めるコンサートを目を閉じてイメージする私でした。メンバー達も、それぞれの方法で開演を待つひととき。気合のオーラが舞台裏に満ち、いよいよ開演となりました。

本番は、お客さんの興奮に包まれて

 さて、本番。第1ステージは、『三重五章』より。いきなり3階席からのソロ。パイプオルガンの場所からのソロ。そして、客席に広がる動く音響。シアターピース作品の持ち味をホール一杯に響かせました。お伊勢参りの着物衣装も喜ばれ、最初のステージからものすごい拍手を頂きました。会場の特質なのでしょうか。拍手もすごく響くようです。

 この拍手で、みんな喜び一杯になりました。その後の演奏の何と生き生きしていることか。指揮する私も幸せでした。本当に楽しい時間が始まりました。

 私の挨拶は、最初の一言で、受けました。多分、変な発音だったのかも。でも、笑っていただくと言うのは嬉しいことです。しばらく照れながら台湾語もどきを発し続けました。

 前半最後は、台湾メールのステージ。3曲ほど演奏されましたが、美しいサウンドに心洗われました。この団体の持ち味はサウンドの美しさです。見習うことが多いです。

 後半は、ルネサンスから、ロマン派、現代、そして、キューバの音楽を歌いきりました。

 ルネサンスの教会音楽1曲1曲にも大きな拍手が。これはちょっと・・・という気持ちもありましたが、でも、歓迎の拍手に同化し、一生懸命お辞儀をしました。ロマン派、キューバの音楽・・・・と進むごとに、拍手はエキサイトし、曲の余韻がちょっと欲しい時もすぐさま大拍手。会場全体が乗りに乗っている雰囲気でした。

 実は、半月後の三重県でのコンサートの企画のために、終演後、お客さんにインタビューをし、映像に収めたのです。そのインタビューでお客様方は次のように言ってくださっています。
 

「とても良かったです。鳥肌が立ってしまいました。12声部の曲がとても良かったです。」

「カテゴリーの異なる曲を、その特色に応じて演奏されているところがすばらしいと感じました。」


「みなさんが仲の良い家族のように見えました。合唱もすごく自然でした。」

「ルネサンス時代の作品が、特色がよく出ていて好きです。そのあとに歌ったキューバの歌も心に沁みてよかったです。」

 また、私の身内・親戚を始め、団員の関係者数名が付き添いで会場入りしていましたが、客席にいて、
「拍手がすごく熱狂的だった」
「『三重五章』から大変興味深く皆がキョロキョロしていた」
「台湾語だから分からないけど、幕間ですごく興奮してしゃべっていた」
「ホーミーのような音色が出てくる箇所では、身を乗り出して聴いていた」
などと、リアルなお客さんの様子を教えてくれました。

 アンコールのスタンディングオーべーションを受けて、1曲目は、台湾版『汽車ポッポ』。曲名を告げただけで、ワーッという歓声を頂きました。振りを付け、私は汽車になりきってステージ中を走ります。大受け。後で聴くと、「指揮者がチャーミングでとても良かった」とお客さんの意見。照れます。

 2曲目の『ふるさと』は、台湾の方々も知って見える人が多いような温かな雰囲気を感じました。

 そしてアンコール3曲目。台湾メールの方々が、ステージに加わります。『島唄』を感動的に歌い上げてくれました。いつまでも耐えないホール中に響き渡る拍手に、《EST》の野村君が翌日私に呟いた一言。「あの拍手を受け、あの時、ここで死んでもいいと本気で思いました!」

 さあ、「これで終わり!!」と思いきや、司会者が台湾語で何かしゃべっています。突然、大喝采。そして、我らのヴォイストレーナー、長島あかねさんの旦那さんが下手から登場したではありませんか。そして、旦那さんがあかねさんに、花束ならぬ“ぬいぐるみ束”を渡し、そのタイミングで、♪Happy birthday to you〜♪ と、会場全体が歌いだしたのです。何と言うサプライズでしょう。この日は、実は長島あかねさんの○○才の誕生日。《EST》の誰も気付かないままに、この計画は密かに練られていたのです。もちろん、《EST》もすぐさま、歌いました。素敵な誕生日プレゼントでしたね、あかねさん。そして、こんな粋なアイデアを本番にやってのけた台湾メールの“気持ち”に涙です。

 あっという間に感じたコンサートでしたが、実は、終演が22時。2時間半の大変長いコンサートでした。

ウェルカム・パーティー

 台風で全員揃うのが1日遅れ、たった3時間ちょっとの練習で、演奏会がこんなに盛り上がって終了するとは、誰が想像したでしょう。覚悟と集中力の賜物。メンバー達は、その奇跡に酔ったまま、パーティー会場に向かいました。

 ここからは、もう私のやることはありません。ゆっくり堪能です《笑》。ウェルカム・パーティーと名づけられたこのイベント、本当はコンサート前夜に計画されていたものでしたが、急遽、今日に変更されていました。台湾メールのメンバー達は本当に誠心誠意私達のことをもてなしてくれました。ものすごい種類の中華料理。どれもが本当に美味しかったです。小皿に取ったりジュースを準備してくれたり、一つ一つに“心”を感じます。特に、女性メンバーの心をしっかり捉えてくれていました(日本人男性も頑張ろうぜ!)。心憎い演出の数々。そして、プレゼント。すっかり楽しませていただきました。

 「10月がお誕生日の方々にプレゼントっ」。ストラップのようなものを《EST》のメンバーに渡す演出を見て分かったことは、我々が送ったメンバーリストの誕生日欄を彼らは活用されたのだな!ということ。ステージ上での長島さんへの演出もきっと・・・・。

 特に心を捉えたのは、やはり、彼らの歌のプレゼントでした。映画「ライオンキング」の中から歌って下さったのですが、その美しい男声ハーモニーの心地良さに酔いました。メンタルなハーモニー、繊細で美しいハーモニーでした。

 夜は更けていきます。いつまでも盛り上がっているわけには行かず、ここでほとんどのメンバーとはお別れ。名残惜しくお別れし、ホテルに着いたのは、午前2時でした。1時間の時差を考えると、なななんと、この日の活動時間は21時間!! よく頑張ったなあ。

台北めぐりも彼らのご好意を受けながら  

 翌日の10月8日。この日は夕方発つグループと、翌日帰ればいいグループに分かれて、それぞれが台湾メールのスタッフの方々(指揮も担当するイェンシェンさんを始めとする)に導かれての観光となりました。私は翌日組。至れり尽くせりの観光です。

国立故宮博物院 
世界四大美術館のひとつ故宮博物院。
中国歴代皇帝が収蔵したコレクションをもとに、65万点もの収蔵品を誇る中国文化の殿堂。
宋から元、明、清代までの貴重なコレクションが堪能できる。
常設展示だけでも6000点ある。

 まずは、故宮博物院。ここでは、昔のヒスイ細工の人間業とは思えない細かさに感動しました。入場口でヘッドホーンを借り、各展示物の横についているボタンを押すことで、日本語の説明がヘッドホーンから聴こえて来るのも、驚きでした。

 昼食は、おいしい中華料理。「台湾の料理はおいしいよ」と聞いていましたが、本当に美味しかったです。ただ、ホスト役に徹している台湾メールのスタッフ達は食べない! 心苦しかったです。きっと高級レストランなのでしょう。本当に彼らは我々に尽くす覚悟なんだ・・・と思いました。

 電車で淡水に移動。台湾の電車では、飲食やタバコは厳禁。罰金は5000円ほど。徹底していますね。

淡水河河口付近にある淡水は、夕陽のデートスポットとして有名です。
川べりの喫茶店のテラス席は夕方ともなるとカップルで満席になります。
MRT淡水駅から淡水老街、船着場、紅毛城までの区間がみどころです。

 淡水は、昭和30年代を思わせるようなお店が、大きな淡水河に沿って賑やかに並んでいました。同心に返って、ゲームに興じたり、長ーく伸びたソフトクリームを食べたり、よくわからない台湾のお菓子を買ったりしながら、長く続く道を歩きました。船で対岸にも渡りました。

 鶉の燻製のようなものを売っている店を興味深く眺めていると、イェンシェンさんが、「この店の前で1曲歌って下さい」とご提案。『台湾版汽車ポッポ』を歌うと店の方々に喜んでいただき、店からその燻製を頂きました。これも、彼の心憎い演出なのでしょう。サンキューです。

 士林夜市(^0^)V 
台北最大の夜市。食エリアは劍潭駅のすぐ前。
2階が駐車場の全天候型。夕方17:00から深夜1:00まで。
屋台数は201軒。初めて見る食材も多く、食いしん坊ならどれも試してみたくなるはず。
人気の屋台では行列ができている。
小物や衣料品、ゲームコーナーもある。

 夜は、希望者のみの「夜市見学」。私は、食事だけして帰るコース。もう眠くて眠くて・・・。元気な連中は、深夜まで遊んでいたのでしょう。ここも、台湾メールの各スタッフがグループごとに付き添ってくれました。私の身内3人姉妹(オバサン3人組)にも、しっかり若いエスコートが。ずい分楽しかったようです。
 
 ここで食べたラーメン。やはり美味しかったです。日本によくある真っ赤なスープの台湾ラーメンはなかったですね。あれって日本で生まれたみたいですね。

 ホテルでバタンキュー。でも楽しい1日でした。この日の写真の私は、前日までとはまるで違う府抜けた顔です。

〜台北101〜
地上101階・地下5階・高さ508メートルのこのビルは、 世界一の高層ビルとしてギネスブックにも記録されています。
また台北101ビルの展望台からの景色は多様で変化に 富んでいます。
台北市の街並み・周辺の山々・遠い淡水の風景までもが 一望できます。

 さて、翌日は、まず、台北101へ。東京タワーの約1.5倍の高さを誇る世界一のビル。しかも、1階から展望台までは40秒あまりで昇るエレベーター。台湾の威信を懸けた誇り高きビルなのでしょう。素晴らしかったです。展望台からは台北が一望でき、今回の旅の総決算となりました。

 ここでも、ホスト役に徹する彼ら。「下で待ってる」というのです。入場料がものすごく高いからでしょう。そうは行かない・・・と《EST》の面々。彼らの切符も買い、一緒に展望台へ行きました。彼らがしてくれることへのほんの少しのお返しが出来、良かったです。

 最後に、台湾手工芸館へ。お土産タイムですね。

サプライズ! そして歌と涙のお別れ 

 集合時間が守れない困ったであろう集団を上手にコントロールされ、予定通りの時間に空港まで無事送り届けてくれた彼ら。いよいよお別れです。「またいつか会いましょう。」とそれぞれが別れを惜しんでいたその時です。

 台湾メールのあるメンバーが、大きなケースを持って駆けつけてくれました。そして私達全員に、前日に帰ったメンバーの分もということで、1人1人に小箱を配ってくれたのです。「最後のプレゼントです。開けて下さい。」と言われ、我々が開けると、そこには、マグカップが。そして、そこにプリントされていたのは、コンサートの日にステージで撮って頂いた全員写真だったのです。このサプライズに、みんな涙しました。見るとイェンシェンさん達も泣いています。私はここに、国境も何もかも越えた友情がしっかり芽生えているのを確信しました。

 「お願いです。最後に1曲歌ってください。」と涙を流して言うイェンシェンさん。私達は「夢みたものは」を歌いました。団員のカズーが交通事故で死んだ時も、団員が結婚するときも、バルセロナの空港でずっと付き添ってくれた日本人ギタリストの方とお別れするときも、いつもこの歌でした。今回も、涙で歌えなかった土井ちゃん(副代表)。顔がぐちゃぐちゃになって歌うみっちゃん、奥田さん。指揮する私には、みんなの顔が、みんなの人生が垣間見えているような感覚でした。

 こうして、《EST》の台湾公演は、終わりました。メンバー一人一人に残ったもの、それは、やはり今回も音楽の恩恵でした。そして、音楽を続ける限り、世界中に、私達と深い友情で繋がってくれる人たちがいるという、強い確信でした。また、私達のまだまだ勉強中の音楽を大きな拍手で迎えてくれた聴衆の皆様方にも、ものすごい勇気をもらいました。こうやって生まれた繋がりを一生大切にして行きたいです。

 彼らの「世界の合唱団を台湾に招いて大きなフェスティバルを開催するのが夢です」とはっきりと言えることの気持ちよさ。転じて、私達は何に向って行くのかという問いかけ。台湾を始めとする東南アジアの様々な合唱団が、日本を、そして世界を視野に果敢に活動し始めています。日本の作曲家や指揮者や合唱団が向わなければならない方向が様々見えてくるようです。

 そんなことを考えている時、イェンシェンさんからメールが来ました。

Hello!!!
 
 
How are you?
I take a long rest yesterday, and I feel better.
Sorry I had a slight fever during concert, I can't do many things well at that day.
But I think you give me a beautiful night.
 
These days I receive many friends' response, they say the concert is wonderful!!
Although I think the concert we still didn't have enough money(yes...in debt).
But we think it's worthy to do.
We hope you stay in Taiwan just in Japan, try to do our best.
 
Thanks for your coming.
We'll never forget these days.
I wish we can meet again in the future.
 
Another question, you know we have a 10th anniversary concert on 11/4.
Because it's the big meaning for us, we need Mr. Masao's help.
In our program book, we invite some people to write words, like some composer, conductor, government to make a congratulation.
Mr. Masao, can you write some words to TMC?
Just like the program book(Cheng-Kung 50th anniversary book.)
You can write in Japanese, we can translate. in Chinese.
If you can, please give me by attached file before 10/19.
 
Thank you!!!
 
 
Now I plan to go to Japan in November to see your competition.
Because I'm intrested in Japan choral competition.
I went to NHK school competition in 2006.
And I hope to go to Tokyo Bunka Kaikan.
Maybe we can meet again in Tokyo.
 
 
Yen-Hsiang 

 借金までして《EST》を呼んで下さったjこと。次回の10周年コンサートに私の『挨拶文』が欲しいと言ってみえること。11月10日11日の全国大会に来られるということ・・・・。何もかもが驚くやら嬉しいやら。この、次の時代を支えていくであろう若い指揮者に、出来るだけのことをしなきゃ!と思いました。そして今、それは、「まずは全国大会での《EST》の演奏を最高のものにしたい」という決意に繋がっています。










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