2003.7.29
バルセロナでの11日間(1)
〜まずは、びっくり! 覚悟の11日間の始まり始まり
Vocal Ensemble《EST》は、夢が叶い、2003年7月17日から28日までの11日間(日本到着までは12日間)、スペインはバルセロナでのヨーロッパカンタート参加と、各種コンサートを成功裡に終えることができました。参加は私を含めて25名。この25名の参加を巡っては、それぞれの生活に関わるたくさんの方々のご理解に包まれてのことであるだけに、まずは、多くの方々に感謝の意を申し上げたいと思います。
メンバー達は、日本とは全く違う環境の中で、日に日に頼もしく成長し、聴衆の心を深く掴み、国際的な交流を果たしてきました。何物にも代えがたい計り知れない成果を得てまいりました。
今回の旅で一番嬉しかったのは、《EST》の音楽がはっきりと国際的に高い評価を得られたことでしょう。また、ヨーロッパの合唱事情も肌で感じられ、音楽がどんな国の人間をも繋ぐという、人間としての共通の見地に立てたことでしょう。結果としての自信が、これからの活動に反映されることでしょう。
では、何回かのシリーズでお届けする、『バルセロナでの11日間』。まずは、びっくりシリーズから・・・。
キャッシュ・チェンジに見たスペイン人気質
バルセロナ空港に降り立ったのが、17日の20時頃。(7時間の時差がありますので日本は翌18日の夜中の3時ですね。)昼のように明るいことにまず驚きました。 早速、キャッシュ・チェンジです。ところがなかなか進みません。見ると、3人のうち2人は働いていません。聞くと、コンピュータが壊れているからチェンジできないというのです。残る1人も、見るからにゆっくり丁寧に仕事を進めています。おかげで、送迎バスをかなりの時間待たせてしまいました。
送迎バスの日本人ガイドさんに聞くと、「スペインではこういうことは日常茶飯事ですよ。」「ホテルでも両替はしてくれますが、細かいのがないときはしてくれません。結構そういうことが多いです。」「引ったくりが多いので、たとえば喫茶店では、荷物はひざの上に置くか、紐を持つかするべきです。」「いいところは、素朴で親切。道を尋ねると、たくさんの人が寄ってきてああだこうだと教えてくれますよ。間違ったことを教える場合もありますが・・・」
・・・・・・・いやはや。でも、確かに、そういったいい面にも触れることはできました。
バルセロナの町並み
バスで1日目のホテルへ向かう途中、日本にはない不思議な光景を目にしました。道の真ん中にベンチなどが並び、公園のようになっていて、そこで、たくさんの人々が団欒をしているのです。ガイドさんにその理由を聞くと、「バルセロナには庭付きの家がなく、Pisoと呼ばれる日本でいうマンション形式の住宅です。だから、みんな庭代わりにそこに集まり、語らうのです。」
なるほど、一戸建ての家は、11日間ついに見ることができませんでした。夜9時なのに、たくさんの人々が集いあっている姿(ご老人も多かったです)。何だか、日本にはない光景だなあ・・・と感じながら、バスに揺られていました。
お金が振り込まれていない???
一番のびっくりは、翌朝のヨーロッパカンタート事務局での手続きでのやりとり。「お金が振り込まれていないので参加できません!」の一言。振り込んだはずの参加費が届いていないというのです。しかし、プログラムには、ちゃんと《EST》の演奏する曲目も入っているし、アトリエのメンバーにも入っているのですよ。参加できないはずはないじゃないですか。それに、当日になってそんなこと普通言いますか?日本で・・・。
結局、このトラブル解決に、2時間掛かりました。全員足止めです。バルセロナ在住のギタリストである伊藤さんにこの日からガイドをお願いしたのですが、早速お世話になりました。ガイドというより、これから起こる幾多のトラブル解決係です。伊藤さんがいなかったら、この旅は成り立たなかったところです!
バスは、深夜12時と午前8時の2本だけ!!
宿舎は、バスで1時間近く離れている大学の寮が割り当てられました。遠いなあ・・・と思っているところに、「送迎のバスが深夜12時に本部から、朝8時に宿舎から出ます。」!!!
これには、あいた口が塞がりませんでした。深夜1時前に宿舎に着き、お風呂に洗濯。朝は7時には置き、準備。これを毎日強いられるのです。
実際は、早く帰れる日には、タクシーや電車を使いましたが、たいていの日はこのパターンでした。寝不足との戦いを強いられながら、メンバー達は良く頑張ったものです。
部屋が足りない! 風呂の湯が出ない!!!
予約では、私とトレーナーの加藤さんが、1人部屋で、後はツイン部屋、計25人というはずでした。1人部屋は、1室100ユーロを上乗せしての予約でした。ところが、部屋は、24人分しかありません。しかも、コンドミニアムのような5人部屋が4つに4人部屋が1つです。これは承諾できません。伊藤さんの格闘が功を奏し、何とか最後の5人が宿舎に入ったのが、深夜2時半!!!!。
しかもです。どの部屋も、お風呂(シャワー)が湯にならない! 結局、7日目くらいまで、全員が水風呂で過ごす羽目となったのです。よく、風邪を引かなかったものです。
ひったくり
何度も注意を受けていたのですが、それでもあるメンバーがやられてしまいました。何日目かの地下鉄に乗る瞬間です。出ようとする乗客の一人に、前からそれとなく両肘を掴まれ、違う一人にズボンの後ろポケットから財布を抜かれたのです。グループでの周到な一瞬の手口に、本人は唖然。でも、『すられた』と気づき、振り返ったのです。そこには、すでに遠くへ走り去っていく後姿だけが・・・・。
また、他のメンバーも、2人ほど、ポシェットのチャックが半分開けられるところまでやられました。やはり混雑した地下鉄です。バルセロナ在住のギタリストである伊藤さんにくどい位に言われていたのですが、本当に、ひったくりの多い街だということが身にしみてわかりました。
外務省の統計によると、日本人が欧州で遭った強盗や盗難など被害件数の7割がスペインで発生しており、きわめて危険。中でもバルセロナなどの大都会の繁華街で多発しているとのこと。気を付けていたからこそ、これだけで済んだのかもしれません。
やられた日の夜の最後のミーティングで、本人からみんなへ告白と注意。「でも逆らわないほうがいいです。逆らうと凶暴化することもあるということですから・・・・。」
そういえば、初日の夜から、本部会場に張り紙が。『トランクごと盗まれた人が出ました。注意を!』
文句を言わないメンバー達
その他、リハーサル時間や場所などの、次の日の予定は、その日にならないとわからないことや、出される食事の貧しさ、本番やアトリエの時間や場所がころころ変わることなど、日本ではありえないことがたくさんありました。
最後に、《EST》のメンバー達を誇りに思ったことを述べて、びっくりシリーズを終わりましょう。それは、過酷な条件やハプニングに出会っても、文句を言わずに、11日間頑張りきったことです。「どんなことがあってもいい音楽、いい体験をするんだ!」という意欲に満ちたすばらしい集団でした。いつも、誰かが、集団を支えていました。そして、ハプニングに満ちた日々を「まあ、スペインだからね」を合言葉に楽しみました。海外の大勢の方々との音楽の交流の楽しさが、過酷さやハプニングを大きく上回っていたからでしょう。
それほどに、すばらしい体験でした。それほどに、感動に満ちた日々でした。
では、日を追って、お伝えしていきましょう。
2003.8.4
バルセロナでの11日間(2)
〜日本人女声合唱団との交流
今回の旅は、ヨーロッパカンタートへの参加体験が主な目標でしたが、それ以外の音楽体験もたくさん出来ました。その一つが、7月18日の日本人女声合唱団との交流です。
朝の風景
7月18日。バルセロナ市内の(三ツ星)ホテルを出た私達25名は、わくわくしながら、カンタート会場へ向かいました。これから11日間のドラマを胸に秘めて。地下鉄エスパーニャ駅とスペイン広場。そこからまっすぐに延びる道沿いにあるFira
de Barcelonaが、カンタートの中心になる場所です。事務局と、何千人も収容できる大食堂。打ち合わせやCD・楽譜・写真販売などもここで行われました。道をまっすぐ進むと、丘の上にシンメトリーの美しいシルエットを見せるカタルーニャ美術館(昔は迎賓館だったそうです)。その手前にものすごい規模の噴水を備えた公園・・・。毎朝、毎晩、目にした忘れられない光景です。
朝9時からの受付に30分早く事務局に着いた私達は、受付が9時半に変更されたことに「エッ!」。(こんなことでいちいち驚いていては体が持たないということはこの時は全くわかりませんでしたが・・・・。)小1時間、美術館まで足を伸ばしてくつろぎました。丘の上から見る大都会バルセロナ。ここで、世界の合唱仲間と出会えるんだ!
Fira de Barcelonaに入ると、そこは様々な合唱人で賑わっていました。一昨年のドイツのコンクールで挨拶をされていた偉い方(名前が思い出せない!)から声を掛けていただきました。また、ドイツで民俗音楽コンサートに出演させてもらったときに気球に乗って(笑)司会をされていた方もいたので、早速声を掛けると、一昨年のことを彼は覚えていました。「おー、《EST》だね。今日の新聞に載っているよ。」。新聞とは、毎日発行されるカンタート機関紙のことでした。今晩のウエルカムコンサートの所に、《EST》の名前がありました。
実は、旅立つ1週間くらい前に、メールで届いた話。「ウエルカムコンサートに出演して欲しい!」。スペシャル(Show
case)コンサートだけではなく、初日のコンサートにも選ばれたのですから、うれしかったです。このコンサートで勢いを付けよう・・・と張り切ってこの日を迎えたのでした。
さて、前述のマネートラブルのため、私達は一旦ホテルに引き返し、トラブル解決を待つことになりました。その間、興味しんしんで庶民の市場に入ったり、街を散策したりしました。トマト6個で150円は安いですよね。肉は丸ごと天井からぶら下がっていて、切り売りで売っていました。
日本人女声合唱団は明るさいっぱい
そんなこんなで、2時間遅れで日本人女声合唱団とお会いできました。この合唱団は、伊藤さんが創設に関わられたものです。日本からの出張で何年間かバルセロナへ住んでいるご家族の奥様を対象に、ベートーベンの『第9』に参加することを目標に募集されたそうです。
練習場に入った途端、拍手で迎えてくださったメンバーの方々。想像してたよりお若い方々でした。みなさん30歳代だと思います。自己紹介では、「趣味はチェロです。」「フラメンコです。」などと、大変エリートな方々だと思いました。そして、非常に明るく、上品で、日本語がきれいだなあと思いました。(そしておきれい!)
「はーるの〜うら〜ら〜の・・・」と歌声を披露してくださいました。やはり、音色が非常に明るく、歌う表情は明るさに満ちていました。《EST》も3曲披露。特に、フィリピン人の方も見えたので、フィリピン民謡も演奏しました。最後に、合同で、『第9』の一部を歌いました。
《EST》の練習についての説明を求められ、私は、倍音による音の重ね方を《EST》の皆に歌ってもらいながらお話しました。倍音が聴こえるたびに、「わーっ」と言って喜んで下さいました。そう、反応があるんですね。日本にいる日本の方々よりも! これはスペインの風土が生み出しているのかもしれません。とても印象に残る時間でした。
私達との出会いは大変貴重なものだとおっしゃってくれました。「いつか《EST》のようになれれば・・・」と。しかし、数年で帰国してしまうメンバーがほとんどであるため、積み上げがなかなかできないだろうな、と伊藤さん。でも、異国の地で同じ日本人として明るく集い、声を合わせる喜びは、掛け替えのないものだと思いました。それ程に彼女らの目は輝いていました。合唱の原点を忘れそうになったときに彼女らを思い出したいものです。
最後にプレゼント交換です。日本の銘菓“おたべ”と楽譜を数冊渡しました。大変喜んでいただきました。
1週間後の州政府主催のコンサートにも聴衆として
1週間飛んで、25日の《EST》単独のコンサート。終了後、ロビーで私達を囲んでくださったのは、この合唱団の方々でした。「とても良かった。すでに日本に帰ったメンバーは来れなかった。・・・」などと話して下さいました。そうなのです。各企業、1ヶ月近い休みが取れ、帰省できるそうなのです。いいでしょう?日本で一ヶ月も休めますか?
この日のコンサートは、後述しますが、感動的なコンサートでした。「出会いのときとはまた違って、どなたもキリッとしてみえて、すばらしかった!」と、照れくさいお言葉をいただきました。
実はこのコンサート。当初の予定から、場所が変わり、時間も早まった本番だったのです。「もうたくさんの聴衆は望めないのでは?」と、不安でしょうがなかったのですが、彼女らがいろいろと宣伝に動いて下さり、たくさんの聴衆に恵まれたのです。有難かったです。おかげで、スペイン最後のコンサートを、涙涙の感動の場と出来たのですから。
あわただしい夕食・着替え・移動
話は18日に戻りましょう。ウエルカムコンサート出演の準備のため、Fira de Barcelonaに再び戻るのです。細かな移動は期間中、ほとんど地下鉄でした。あ、地下鉄の話をして置きましょう。電車の窓やプラットホームや通路に、いたるところ、落書きだらけ。そして通路では、ギターや民族楽器を奏でたり、歌ったりしている若者に時々出会いました。小銭を入れていく通行人。自動販売機は、壊れたものが多く、私も、一度、お金を入れたのに全く動かない販売機に出会いました。伊藤さん曰く。「2台に1台は壊れてるんですよ。悪い思い出できちゃいましたねぇ」・・・・。笑って済ませなきゃならないんだ・・・。このあたりから《EST》で流行りだした決まり文句。「まあまあ。ここはスペインなんだから・・・」
戻って着替えの部屋を尋ねると、事務局はバタバタしています。ま、考えに入っていなかったんでしょうね。「先に夕食を!」とか「やっぱり今から着替えを!」とか言われ、伊藤さんも食い違いにてんやわんや。結局指定された部屋は、階段の下にあるロビーを仕切ったようなところで、上から丸見え。しかも、男女一緒。もう、しょうがないですね。女性も覚悟。全員浴衣に着替えました。
食事は、見本市場のようなところに何千人分のテーブルがずらりと並び、チケットと交換にパンやサラダなどをとっていくものでした。この日の夕食は、パンとビスケットと水! ああ、楽しみの一つがまた消えていくようでした。次の日からも、簡単な食事が多かったですね。
さて、浴衣(私は指揮で動く関係上、法被でした!)で、コンサート会場に移動です。練習はこの会場で30分ほど出来ると聞いています。ま、15分ほどだろう、と覚悟。
会場は、Palau d'Esports。ここは1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場だった所で、日本人建築家・磯崎新という方の設計です。とにかくでかい! そこに特設の舞台と音響設備を組み込み、すばらしいコンサート会場となっているのです。
Palau d'Esportsでは、次の日から毎日、オープンシンギング(参加者全員で歌集を大合唱するコーナー)、それに続くコンサートなどが、催されました。《EST》は、この日だけでなく、20日のスペシャルコンサート、23日のアトリエコンサートでも、この会場にお世話になりました。
到着すると、すぐにリハーサルです。この後の様子は、次回に。
7/17-19 到着・受付・チャーチサービス
期間中お世話になった地下鉄(メトロ)の路線図
2003.8.5
バルセロナでの11日間(3)
〜ヨーロッパ・カンタート初日のウェルカムコンサート出演は、1500人を越す歓声
今朝のテレビで、小澤征爾が語っていました。「みんなで決めてやるってことも大切だけど、その前の個人がどうかってことが一番大切なんだよね。特に音楽はそうなんだけど、考えてみりゃ人生もそうでしょ。・・・・若いうちに世界を知る、世界のベテランといっしょに音楽する、世界の聴衆に触れるってことがどれほど貴重なことか、彼らは後から結果を出してきますよ。」
小澤は今、才能ある若者の発掘と、彼らに最高レベルの音楽体験をさせることに非常に意欲的です。合唱をやる私達も、志を高く持って、いい音楽、いい人生を実現したいもの。そういった観点からも、今回のバルセロナは、大きな体験でした。
では、《EST》の初めてのステージを振り返りましょう。
ウェルカムコンサートでの《EST》の『さくら』
それは、18日のウエルカムコンサートでの演奏です。このコンサートは、地元カタルーニャ地方の伝統的な舞踏および民謡『サルダーナ』のステージを軸に、デンマーク、エストニア、日本(私達です)という異国の合唱を挟みながら進行していくというものでした。開会式も兼ねているため、来賓挨拶も組み込まれます。観衆は1500人!! 広いPalau d'Esportsが、上のほうまでいっぱいです。
《EST》は、『さくら』(武満)を演奏しました。メンバー達は浴衣で、私は法被です。リハーサルで、前奏と後奏のハーモニーを決める練習を入念にやったこともあり、日本情緒を美しく音化させることに成功しました。みんなの意気込みもすごかったと思います。
極上の演奏に「やった!」と思った瞬間、ものすごい歓声が上がりました。私達に向けられた最初のメッセージです。他団体への拍手とは明らかに違っていました。《EST》のみんなは、驚きと喜びで満たされていました。そして、バルセロナでのこれからのステージに明るい希望と自信を持つことが出来た瞬間です。
コンサートが終わった直後から、たくさんの方々が、私達の所に来て、お褒めの言葉を下さったり、握手を求められたりしました。『さくら』を知っている人も多く、「アレンジが個性的ですばらしかった」と言われる方も。
トラブル続きで、宿の問題も解決していないこの時でしたが、やはり、このときの聴衆の反応が私達を幸せにしましたね。トラブルのことを全部忘れ、酔いしれることができたのでした。
カタルーニャの音楽
興味深かったのは、ステージに繰り広げられる舞踏『サルダーナ』でした。男女大勢で手をつなぎ輪を描いて踊る集団舞踏。曲はコルトと呼ばれる速い部分とリャルチスと呼ばれる緩やかな部分との交代からなり、コブラという専門の楽団の伴奏がついていました。ユーモラスな演出は笑いを誘う楽しいものでした。ただ、ストーリーのわからない私達には、長く感じられましたが・・・。民族衣装もきれいでした。
地元合唱団の演奏は、正直言ってあまり心に残らなかったです。カタルーニャの合唱事情が垣間見られたわけですが、技術面においても過渡期なのでしょうか。民謡のアレンジにももう少し工夫が見られればなあ・・・。
デンマークの合唱団はリズミカルで元気な合唱でした。エストニアの合唱団の“鳥の声”。立体的に浮き立たせた手法の興味深い作品でした。しかし、そんな中で、東洋の美を表現するような武満の音に、聴衆が喜んで下さったのは一理あったのではないでしょうか。
( あ、そうそう、エストニアの合唱団は、第12回の宝塚国際室内合唱コンクールでグランプリを獲得した、Girls'Choir
Ellerheinでした。懐かしかったですね。宝塚での彼女らの演奏に感激し、その後の《EST》のレパートリーに、トルミスやシサスクなどが加わっていったのですから。)
コンサート終了後の風景
地元合唱団から「いっしょに写真を!」とラブコール。コンサート終了後の楽屋裏は賑やかです。伊藤さんから「この合唱団は『第9』の中心になる合唱団」と紹介を受けたので、「じゃあいっしょに『第9』を歌いましょう」と呼びかけ、狭い楽屋で汗を書きながら大合唱をしました。
バスの発着所まで、歩いていくと、途中の公園とその道沿いで、噴水ショーがクライマックスに。ものすごい高さ、ヴァリエーション豊かなパフォーマンス。深夜12時近いのに、噴水に人が群がっていました。恋人達は派手に仲良くしています(とてもここには書けない・・・)。週末の夜の風景ですね。
アメリカの若者が「君が代」を歌っています。近寄っていくと「とてもいい曲だと思う。きちんと歌いたいので歌詞の読み方を書いてくれ。」と言われ、書くと、「意味を教えてくれ!」。これには参りました。とても私の語学力では説明できません。「天皇」と言っても首をかしげています。「古い歌詞で、日本人もよくわからずに歌っている」と答え、逃げました。すみませーん!
翌日はメキシコのコルドバ氏と
19日になっても、たくさんの方々が前夜の『さくら』にお褒めの言葉をかけていただきました。私にも、団員にも、あちこちで。
そんな中、19日から始まった、指揮者用アトリエでは、自己紹介で「昨日演奏した《EST》の指揮者です。」と言ったところ、「ああ〜」と指揮者達25名ほどが皆笑顔でうなづいてくれました。聴いていてくれたのですね。
そして、休憩のとき、メキシコから参加の指揮者および作曲家のJorge
Cordoba氏と仲良くなりました。彼は、「日本の“俳句”に作曲した」と、そのCDを私に差し出したのです。「日本に帰ったら聴いて欲しい。良ければ楽譜を送るから歌って欲しい。実は俳句をスペイン語に訳したものに作曲したのだが、元の日本語で歌って欲しい」と。何とも興味深い話ですが、語感が合わないだろうなあ・・・。
「なぜ俳句に?」と尋ねると、「少ない言葉で凝縮された世界を音楽で描きたかった」と答えてくれました。私は日本の文化“俳句”を誇らしく思いました。
実は今日(8月5日)CDを聴いてみました。う〜ん、完全に南米の響きなんですねえ。日本風には感じられません。これは期待しても無理なのかもしれません。1分前後の曲が7曲。詩は、Basho,Buson,Hokushi,Shiki・・・と並んでいるのですが・・・・。柴田南雄氏やマリー・シェ−ファー氏のCDを送ってあげようかなあ。
指揮者打ち合わせ=苦情処理
朝、いきなりの張り紙です。『毎日14:30分から全団体の指揮者会議をします』。それが、昼には『14:00からの変更』。相変わらずの運営です。「きっとリハーサルの時間や場所を話し合うのかな」と心構えをしていくと、様子が違います。各団体からの苦情を一括して聞こうとしているようです(英語が時々しかわからない・・・)。きっと、いろいろな生活上の苦情が受付に殺到したのでしょう。
「バスの出る時間と重なり、朝食の時間がなかった」とどこかの指揮者が訴えると、「朝食が出なかったのか、出たけど食べなかったのか、どっちだ」と同じテンションで聞き返しています。いろいろな訴えに、「Sorry」の単語は出なかったですね。これがヨーロッパ。苦情を聞く立場の自分があやまる必要はないと言うことでしょう。
「風呂に水しか出ない」と片言英語で私が言うと、「わかった。調べる。今日は無理だが明日から出るかもわからないし、出ないかもわからない。」という返事でした。腹を立ててはいけません。ここはスペイン!!
さて、19日は、朝、昼とアトリエを受講し、夕方は、飛び込みの教会ミサ体験をしました。アトリエ体験については後でまとめて述べることにし、教会ミサ体験のドラマを次回にお伝えすることにします。
2003.8.6
バルセロナでの11日間(4)
〜飛び込みの教会ミサは大成功
教会ミサをお願い・伊藤さんの努力
今回の旅において、団員の強い希望がありました。それは、「教会ミサに聖歌隊として参加したい!」。カンタート事務局にもお願いしてあったのですが、返事もなく、「じゃあ、予定の詰まっていない日に、単独でお願いして歌わせてもらおう!」などと楽観的な計画を立てていたのでした。
バルセロナ在住の伊藤さん、活躍のしどころです。19日の朝から、電話でお願いをして下さいました。昼食時にその報告です。「私がよくギターのリサイタルをお願いしてる教会に連絡を取ったんだけど、《EST》のレパートリーにレクイエムがあると言うことで断られたよ。悔しいのでもう一度電話し、アベマリアなどもあるよって言ったんだけど、いい返事がもらえないんだよね。ブストという現代作曲家だっていうと、よけい引かれちゃって・・・」
そりゃそうです。レクイエムはお葬式の音楽。また、現代音楽というと、信者さんの理解不能な音楽ではないかと思われたのでしょう。私達が持ってきた宗教曲は、レクイエム以外には、Quoniam
ad te clamabo(シュッツ)とAve Maria(ブスト)の2曲しかなかったのですが、「2曲だけでも歌わせて欲しい。もう一度頼んでくれないか?」と押しました。伊藤さん、3度目の交渉です。その結果、「じゃあ、来るだけ来てくれ」という、何とも中途半端な、しかし可能性を含んだお返事をもらったのでした。
団員に告げると、「オーディションだ! 頑張らなきゃ」と前向きです。ミサはこの日の夜です。かくして、この日の夕方、アトリエ終了の5時から、予定表にはない行動に進むことになったのです。
いざ、教会へ
まず、Fira de Barcelonaのロビーのようなところで練習しました。すぐ人だかりです。拍手をいただきました。いいですねえ、こういう瞬間は。そして、地下鉄でカタルーニャ駅へ移動。
カタルーニャ広場のグラシア通りは、バルセロナで最も賑やかなショッピング・ストリート。すごい活気でした。全身白く塗って石の像のようにポーズを決めている人達がいます。一緒に写真を撮ってチップを入れていくのでした。また、大道芸人もいました。通りの両側には、旅行ブックに載っている様なブランド店が並んでいます。
ここで、私達は自由行動(食事)です。私は、ヘルプレックスという庶民的なスーパーマーケットで、食料を買い込み、カタルーニャ広場で仲間4人で座って食べました。日差しはものすごく強く、ミネラルウォーターのペットボトルが手放せません。ところが影に入るとスーッと涼しいのです。これが日本との違いですね。クーラーのある店は少なく、暑さに慣れるしかありませんが。
さて、みんな食事を終えて集合。いざ、教会へ。そこは、賑やかな通りから狭い路地に入ってすぐでした。不思議です。一歩教会の敷地に足を踏み入れると、街の雑踏がサッと消えるのです。静かで歴史を感じる大きな石造り。しばらく皆はたたずみ、ホッと一息です。
すると、教会から、結婚式を終えたカップルと列席者が出てきました。幸運にも祝福の場に立ち会えたのです。ライスシャワーにしっかり参加させてもらいました。
聖歌隊としての参加OK!
さて、中に入って交渉です。みんなシーンとして見守っています。「Ave
verum(モーツァルト)歌えるか?」と聞かれ、「もちろん」と答えると、練習OKが出ました。
さあ、練習です。あこがれの聖堂の中で。2年前の6月、ドイツで体験したあの響きです。Ave Maria(ブスト)をしっかり歌いました。天井まで響き渡ります。「なるほど、この空間で歌うためにブストは作曲したのだ!」。作品が生き生きと命を持ったような瞬間でした。見ると、伊藤さんが泣いていました。「なんて美しい歌なんだ」と。
Ave verum(モーツァルト)は教会のオルガニストと共に練習しました。前奏が始まった瞬間、「あ、調が違う!」。皆もびっくりしたことでしょう。でも、顔に出さず、歌いきりました。高い音で朗々と。曰く「もう少し本番は遅いテンポで行きましょう」・・・・。「調は変えられますか?」と聞くと、「いいえ!」の一言でした。
でも、交渉は見事成立です。と思っていたら、もう信者さんが入ってきています。あっという間にミサ開始です。
涙の演奏 そして
教会は上から見ると建物全体が十字架のようになっていました。《EST》は十字架に付けられたイエスの左手にあたるところにスタンバイです。祭壇はイエスの頭にあたる所に、信者さんは胴体のところに座ります。オルガンもその部分の2階でしたから、私は、オルガニストの見える位置にスタンバイして、指揮をしました。つまり、私の正面に《EST》、左にオルガニスト、右の祭壇に司祭様、後ろに信者さん方です。
ミサは、信者様の朗読とお説教、奥様の先唱で進められていきます(奥様の歌はプロ級!)。合図をいただいて合唱が入ります。まず、Quoniam ad te clamabo(シュッツ)です。信者さん方が集中してくださるのがわかります。しばらくして、Ave verum(モーツァルト)、そして最後にAve Maria(ブスト)を演奏しました。《EST》何人かがAve
Mariaを歌いながらポロポロ涙をこぼしています。最年少の高校2年の団員(何を隠そう私の娘です)も。日々練習しているこれらの曲が、こんなにいい曲だとは!
1時間ほどのミサが終わりました。列席して見えたたくさんの方々が握手を求めてくれます。神様を信じる方々が感謝してくれてる!神様を信じているわけではなく歌が好きでここまで来た私達に! その申し訳なさも手伝ってか、私の目にもうっすらと涙が浮かんでいました。
伊藤さんが一冊の楽譜を持って私のところへ。「神父様が、もう一度機会があれば来て欲しいって。そして、そのときにこれを歌って欲しいって。」これには感激でしたね。歌わせてもらえるかどうかもわからない状態でこの教会に来たのに、もう一度と言う申し出・・・。実現には至りませんでしたが、ひとつのドラマのように、これからも、この教会での出来事が思い出として深く残っていくことでしょう。
さわやかな涙と笑顔。そして神様が本当にいるような空間。私達はオルガンのところに上がらせていただき、オルガニストとともに写真を撮らせていただきました。たくさんの心の贈り物をいただいたような気持ちです。教会音楽の本質を体験させていただき、感謝の気持ちでいっぱいでした。
鉄道で帰る
この後は、カンタートの行事に戻ることもなく、鉄道で早い目に宿舎に帰ろうということになりました。毎日深夜のバスでは体が持ちません。ところが宿舎の最寄の駅に着いた時、またまたハプニングが起きました。実は、宿舎までの道を駅員さんに聞こうと言っていたのですが、な、なんと、そこは無人駅!!!!
しばらく、若い団員達が四方八方宿舎を探しに走りますが、森に囲まれたシーンとした場所で、見通しが悪く、わからないまま引き返してきます。本当にしばらく立ち往生でした。幸いなことに、遠くに警備員のような服を着た人が1人。天の助け!道を教えていただき、一路宿舎へ。途中、あの人意外に誰にも会わなかったのですから、本当に不幸中のさいわいでした。
宿舎着、10時過ぎ。いつもより、3時間近くも早く休めます。この日も長かったー。でも、1日の生活パターンがやっとこの頃から見えてきましたね。
次回は、《EST》が参加したアトリエ8『Nordic
Folkloristic Music』についてです。
2003.8.8
バルセロナでの11日間(5)
〜アトリエは、素敵な指導者Jan Yngwe氏と共に
ヨーロッパ・カンタート最大のイベント『アトリエ』
4000人が集いあったヨーロッパカンタートの最大のイベントは、30近くの教室(アトリエ)に分かれ、有名な指導者の下、数日間練習し、その成果をコンサートで発表するというものです。《EST》は、『北欧の民俗音楽』のアトリエに参加。オーストリアのVoice-Bacherの皆さんや、ドイツ、フランス、ベルギー、スイス、スペイン、イスラエル、ウクライナから参加の方々と、一つの大きな合唱団を組みました。指導は、スウェーデンの指揮者Jan Yngwe氏。
また、私は、『スタディ・ツアー』という指揮者用のアトリエに参加。様々なアトリエを見学して意見交換をするというものでした。英語で苦労しましたが、世界のプロの合唱指揮者や作曲者と席を同じくする中、大変いい刺激を受け、仲良くさせていただけました。
19日に始まったアトリエ。偶然、『スタディー・ツアー』で自己紹介の後、まず出かけたアトリエが『北欧の民俗音楽』でした。そこで見たJan Yngwe氏の指導は、すばらしいものでした。
まず、その映画俳優のようなお顔立ち。そして、しっかりとした指揮法と丁寧なアプローチ。紳士的でユーモラスで楽しげで・・・・。始まって1時間も立っていないのに、合唱団の心を完全に掴んでいます。うまく行くと“Good! Thank
you!”と言って時には投げキッスのサービスです!! 女声陣はもううっとりです。(う〜ん、勉強になるなあ。投げキッス!???)
Jan Yngwe先生
彼は、オーケストラの世界的な指揮者コンクールで2位を受賞し、指揮するPro
Musica Chamber Choirを率い、すべてのヨーロッパの国々と日本での演奏旅行を果たしています。
彼は私に「《EST》は大変よく準備してきている。いいグループだ。」と言ってくださいました。うれしい! 「日本で14年位前に宝塚コンクールに出た」と言われ、ハッとしました。第6回宝塚国際室内合唱コンクールでグランプリを獲得したあの合唱団だ! 「《EST》も宝塚で活躍した!」と言うと、「仲間だ」と言って、熱く抱擁(笑)してくれました。(うっとり)
彼のバトンテクニックは、彼の音楽のすべてを表します。形が美しく、音楽の方向がはっきり示されているのです。情感もたっぷり、非常にセンスィティブです。彼が歌って示すとき、その声の美しさに、またまたうっとり。ソプラノからローベースまで、勿論ファルセットと実声を使い分けてですが、完璧に歌います。その表現は非常に細やかです。また、ピアニストとしても。発声練習は、彼の華麗なピアノに乗って、いろいろなオーケストラ曲のフレーズを楽しく歌います。それを自由に移調していきます。踊るように弾かれるピアノ伴奏に体を預けて伸び伸びと歌えば、いつの間にかいい声が出てくると言う仕掛けです。
勿論、指導は英語でしたが、言葉がわからなくて歌えないってことは全くなかったですね。練習を終えた時の《EST》の面々、みんな顔を高揚させてとっても楽しげな笑顔でしたから。「何を言ってるかわからなくても、何を言おうとしてくれてるかわかる!」とはある《EST》のメンバー談。
北欧の音楽は、とても繊細で情熱的で美しいですね。Jan先生のような指揮者と音楽を共に出来、ますますそう感じました。
頼もしかった《EST》の面々
19日の午前午後のアトリエを終えての感想は、「Jan先生、素敵!」というものばかりではありませんでした。「他の参加者で譜読みをしてきていない人がいる」「足を組んだり声を出していない人も」「Jan先生辛いよね」・・・・・ここまでなら、ただのボヤキ。ところが「いい音楽したいから《EST》で頑張る雰囲気を作っていこうよ」と、頼もしい方向に。これもJan先生の成せる業なのかもしれません。
20日は、30分近く早くアトリエの部屋に着きました。すると、トレーナーの加藤さん、ピアノに座ってJan先生の発声練習を始めます。《EST》がすぐ察して歌います。楽しい発声練習が始まりました。部屋に入ってくる他の参加者も笑顔で加わり、歌の輪は大きく広がっていきました。Jan先生も入ってこられ、感激されていました。国際的な場でのムード作を《EST》がリードしてくれました。
実は、日本で「この日は、途中でアトリエを抜けて、サルダーナを踊りに行こう!」など不埒な行程表を立てていました。観光ですね。ところが、「《EST》抜けるとこのアトリエやばいよな」と誰彼ともなく言い出し、結局、観光はなしで「Jan先生と音楽を楽しもう」ということになりました。みんな頷きます。うーん、頼もしい!
結局、5日間(21.5時間)にわたるアトリエをリードし続けた《EST》でした。他の国々の参加者達も気持ちよくついて来られたのではないでしょうか。それにしても、参加者の中には女子高校生らしい面々もいましたが、態度悪かったです。遅刻はする。代わる代わるトイレに立つ、それも先生の前を堂々と。練習では歌わず、通しで歌う(そのため細かい表現が出来ないもどかしさ)。ヨーロッパの若者はあんなのでしょうか。
『スタディ・ツアー』はおもしろくない!
私が《EST》とは違うアトリエに参加している身でありながら、何故こんなにくわしいと思います? 実は、後半は、『スタディー・ツアー』より、『北欧・・』にいた方が勉強になると思い始めたからです。
『スタディー・ツアー』では、20日は『タンゴとアルゼンチン音楽』のアトリエ、21日は『イベリアの16世紀』のアトリエ、22日は『19・20世紀のマリアの音楽』、23日は『デュリュフレのレクイエム』と回ったのですが、多くが密度の薄い練習風景でした。そして、その後、戻って議論するのですが、英語が時々わかる程度の私に聞こえてくるのは、非常に基本的なことばかり。指揮法を学ぶコーナーもありましたがイマイチ。抜け出して、『北欧・・』のアトリエでJan先生の指導を拝見しているほうが良かったのです。
考えてみると、誰でもどこへでも参加を認めるシステム。練習密度を上げることと相反する要素を感じます。いくら名のある指導者がついても、たとえば『タンゴとアルゼンチン音楽』では各パートの音取りから面倒を見たりガヤガヤと落ち着きのない参加者達に「静かにー」と言ってるようでは本領が発揮できませんよね。また、参加者が多すぎて様式感が出せない『イベリアの16世紀』、抑揚やサウンドに精神が表れて来ないままの『19・20世紀のマリアの音楽』『デュリュフレのレクイエム』・・・・。
30近くもあるアトリエですから、すばらしいアトリエもあったことを信じたいのですが・・・。その点、《EST》は本当に先生に(アトリエに)恵まれたと思います。Jan先生も、準備をきちんとしてきた《EST》に好感を持って下さいましたし、指導する方とされる方との理想的なコミュニケーションが出来ていたと思います。
加藤さん、台堂さんが・・・!
21日の午前のアトリエの最後に、Jan先生がソプラノのソロの部分を誰がするかを決めたいと言われました。《EST》の面々は、みんな加藤さんを指差しています。先生もにっこり。早速、加藤さんのソロ入りで練習してみたところ、Jan先生も参加者も全員が、歌い終えた加藤さんに大きな拍手。加藤さんの情感豊かな歌いっぷりはその後、本番まで上達し続けました。日を追うごとに疲れが取れていくような彼女に声に、私はますます大きな信頼を寄せることが出来ました。すごいです!! 団長代理の北田君曰く「インターナショナル加藤の誕生だ!」
また、デュエットの部分は、加藤さんと台堂さんに決定。台堂さんは体調を壊し、少々心配でしたが、選ばれたことで奮起し、本番は二人で絶妙のデュエットを聴かせてくれました。
そして本番まで
今、本番のCD(発売されたのです)を聴いています。いい仕上がりですね。8曲演奏したのですが、特に5曲目の加藤さんのソロの後に、会場からの熱狂的な拍手と歓声がしっかり録音されています。思い出します、23日のこと。
その日、16時からのステージリハーサル。あれ、こんなに参加者がいたっけ。要は毎日何人かが練習をサボっていたんですね。ですから、いいリハーサルにはなりません。1回通すだけしか時間も与えられていないのですから。
がっかりしながら、リハを終えて会場の外で《EST》の皆が座っていると、何とJan先生が前を通っていきます。ま、ミーハー精神で一緒に写真を撮ってもらいましたが、Jan先生の笑顔がどこか寂しそうです。去っていかれてから「Jan先生の気持ち、よくわかるなあ」と私がつぶやくと、皆も頷きます。一生懸命やってこられた指揮者にとって辛い時間です。「何とかJan先生の期待にお答えできるよう、目いっぱい歌おう!」と皆で誓い合いました。
そして本番、4つのアトリエの発表会です。我々は3番目。(私は客席でーす。)
・第1ステージ・・・Monsalvatge作品集
・第2ステージ・・・中央ヨーロッパのFolk
Music
・第3ステージ・・・北欧の民俗音楽
・第4ステージ・・・ヴォーカルポップ
第1第2ステージは、本当に日本には伝わってこない作曲家の作品が続きました。興味深かったです。Monsalvatgeは地元カタロニアの作曲家です。中央ヨーロッパとは、ブルガリア、ルーマニア、マケドニア、ギリシャを指します。文化のクロスする地方であるだけに、その歴史も複雑。さぞかし、民俗音楽を理解するにも困難が付きまとうのではないでしょうか。
さて、第3ステージです。音色が揃っています。《EST》の面々が頑張っている証でしょう。5曲目の大喝采。そして、加藤さんをJanさんがステージ上で熱く抱擁、そして両頬にキス。とても絵になる瞬間でした。その後、ますます音楽に自由度が増します。そして8曲が終わりました。やはり、大きな歓声と拍手です。こうして、達成感のあるドラマが終了しました。ありがとう、Jan先生!
第4ステージは、もう乗りのりです。200人くらいで指揮者兼ピアニスト、そしてベースにドラムです。合唱は振り付きですごい乗り。会場では、何人かの若い女性が脇へ出て踊りだしています。いいなあ・・・と思ってみていると、何と、《EST》の若手、野呂郷太君がそこに入っていくではありませんか(彼は大物だ)! でもそうしたくなるくらいの愉快なステージでした。すごい熱気でした。
そうそう、会場で聴いて見えたJan先生を見つけ、《EST》の若い女性団員が抱擁とキスをせがみに行っているではありませんか。「オイオイ、たいがいにせいよ」と言いたいところでしたが、口に付いて出てきたのは「Jan先生。わ、わたしも・・・」。絵にならない光景でした。さらに、その次にせがんだのは、私の娘でした・・・・・。ど、どんな親子や!!
こうして、楽しかったアトリエコンサートが終わりました。少々長くなりましたが、読んで頂きありがとうございました。次回は、《EST》のとっての一番大きな舞台、ショーケース・コンサートのことを書きたいと思っています。
2003.8.13
バルセロナでの11日間(6)
〜ショーケース・コンサートのすごい歓声に感激
「特にすばらしい団体・・・・」に襟を正し
ヨーロッパカンタート事務局から、「特にすばらしい数団体によるスターコンサートを催すので出演して欲しい」という依頼を受けたのは、渡欧1ヶ月ほど前だったでしょうか。そのメールに《EST》が喜んだのは言うまでもありません。同時に、曲を精選し、練習に励んだのでした。本番は21日。4日連続本番の3日目です。
幸いなことにこの日は午後のアトリエがなく、午後2時間と直前40分の練習をすることが出来ました。練習部屋も伊藤さんのご努力で確保できました。さあ、手堅くしっかり練習です。
もともと練習(音楽を皆で追求していく姿勢)が楽しくて、集まっているメンバーです。落ち着いて練習できる喜びもまた格別です。11日間で、もっとも落ち着いて練習できた至福の時間だったのです。
ものの5分ほどで集中したフレージングがかもし出され、後は乗りのいい練習でした。宗教曲の純な響きが実現できると疲れも吹っ飛びます。並びや踊りにもアレンジを加え、どうやって聴衆の心に迫るか、ゆっくりゆっくり練習できました。大切な大切なコンサート。絶対聴衆の期待にこたえるぞ!という気持ちが強く出ていましたね。
ところが、食事後の40分の練習は、なんとなくハーモニーに不安を見せる練習でした。難しいものです。昼と違う響きの悪い部屋、本番へのプレッシャー・・・いくつかの要素が重なったのでしょう。達成感が足りないまま、会場に向かうことになりました。
実はこの日は、最年少団員(もう隠す必要はなく私の娘)が、若手団員を誘って朝から、暇あるごとに同じ曲ばかり練習しています。きっとそうすることでプレッシャーを紛らわせていたのでしょう。それが、直前練習のうまく行かなかったことも手伝ってか、本番直前に「緊張する」と泣き出したのです(他にもいろんな原因があったようですが・・)。全員が余裕のない状態でしたが、何人かが取り成してくれました。この状況には本当にたくさんのメンバーに神経を使わせました。最年少団員よ、この日の借りは、何年かして若手団員が同じ状況になったときに立場変わって返して欲しい。
グッと心を決めてステージに。いよいよ、大きなステージが始まります。
記憶に残る1曲1曲
ヨーロッパ・カンタート主催のコンサートのスケジュールをここで述べておきましょう。Palau d'Esportsで行われるコンサートとしては、下記のものがあげられます。
・18日 21:00…ウェルカム・コンサート
・19日 21:00…オープニング・コンサート(カタルーニャ地方の音楽)
・20日 21:00…ナショナル・ユース・コーラス・コンサート(スイス、ドイツ、オランダ、ノルウェー)
・21日 21:00…ショーケース・コンサート(スペイン、日本、フィリピン)
・22日 21:00…レインボー(作曲コンテスト)
また、市内のたくさんの教会で、『アフタヌーンコンサート』として、各合唱団のお国の音楽が披露されます。そして、23日からは、30近いアトリエでの成果が、Palau d'Esportsを含むたくさんの教会やコンサート会場で発表されるのです。
さて、21日21:00。ショーケース・コンサートの開演です。第1ステージはCor
Madrigalというスペインの団体。カザルス以外は知らない作曲者の作品でした。Brudieu,Mompou,Serra,Homs,Talyabull,Oltra,Morera・・・うーん、未知の世界。
スペイン語と英語で司会者に紹介され、《EST》がステージに出たのは、第2ステージです。お客さんは、ウェルカム・コンサートよりは少なかったですが、それでもだんだん増え、1000人くらいにはなっていました。広いPalau d'Esportsが熱気で賑やかです。
ここで演奏した5曲は本当によく記憶に残っています。メンバーの息遣いや表情、拍手を浴びたときの笑顔、踊りの一挙一動まで。
1曲目の“レクイエムより”(ビクトリア)は、情熱的なフレージングと純正律の追求を目指しました。リピートしてからのpでの落ち着いたたたずまいを出すことに成功しました。ビクトリアが400年前に活躍した国で日本の我々がお国の方々に聴いていただいているのです。その喜びを胸に秘め、振り終えました。
すると、シーンとした会場から、私の降り終えた動作と共に、大きな拍手がパッと鳴り響いたのです。その大きさというか濃さに感激しました。この雰囲気に溶け込めばいいのだ、と皆が思っていました。
続いての“いっしょに”(木下)は、広場に男女がバラバラと立って呼びかけているというシチュエーション(オーダー)を作って演奏しました。日本語のしっとりとした情感が広がっていきます。繊細なハーモニーが透き通るように決まってくれました。終わった途端に、今度は、指笛と歓声入りの拍手。大成功です。
3曲目は、《EST》スコラーズ10名による“村の鍛冶屋”。振り付けに磨きがかかり、ユーモラスにリズミカルに決めの動作もバッチリです。するとどうでしょう。会場はすごい状態です。立って叫んで指笛吹いて大歓声です。スコラーズの面々はもう感動しています。素敵な光景でした。
4曲目は、インドネシアの愛の歌“Soleram”。ステージ上に恋人達が12組といるというシチュエーション(オーダー)を作って演奏しました。町を歩くスペイン人の恋人達に比べるとかわいらしいものでしたが、それでも、見つめあったり片寄せあったり、頑張った《EST》でした。もちろん、音楽もですが。会場もこの雰囲気を察してくれたかのような、和やかな楽しい状態でした。静かな曲でしたが、拍手はやはりエキサイティングなものでした。
さて、最後は“Pamugun”(フェリシアーノ)です。ニューバージョンの振りでステージを満たします。声にも気迫が溢れます。一つ一つの動作に会場は受けています。特に、松井氏の「ぎゃー!!」という雄叫びには、会場からも同じような叫びと歓声が起きてびっくり。日本では考えられないんですもの。終った瞬間、客席が乱れています。何と全員が立って体中で感動を喜びを表してくれているのです。あの光景は絶対忘れられません。
悪乗り《EST》は、大歓声の中、アンコールとして“赤とんぼ”を始めてしまいました。歌い始めてしばらくしてから会場はシーンとしてくれました。日本情緒でしっとりと締めくくります。さわやかな拍手が会場を満たします。そうして《EST》の演奏が終りました。
与えられた時間で、ルネサンス、邦人作品、日本のアレンジ物、南アジアのアレンジ物、南アジアの作品・・・とバラエティーに富んだプログラムを聴いていただいたのですが、忘れられないのが、その5種類(アンコールを入れて6種類)の会場の反応です。何を歌っても、その作品にふさわしい形での最高の拍手を頂いたことです。生きた、聴衆と演奏者の関係、会場とステージの関係。この理想を味わったような、とてもお金では買えない経験をしてしまった《EST》。すごい体験でした。
Jan Yngwe先生もご家族で
演奏が終ると、ラジオ放送局の方に呼ばれ、サインの依頼です(練習しておけば良かった)。また、例によってたくさんの方々が声を掛けてくれます。3年後のヨーロッパ・カンタート(ドイツ)へのお誘いも。引率の女の子は「心が泣いている」と言ってくれました。「心に来る演奏だった。ドイツの合唱団は堂々としているが心まで来ないんだ!」という聴衆も。
アトリエのJan先生には、前日、「ぜひ、聴きに来て欲しい!」と頼んであったのですが、当日朝のアトリエで、「どこで何時からだ?家族と一緒に行くつもりだ!」と言ってくれたのです。誠実な人です。本当に来てくれました。私は知らなかったのですが、前から2列目で大きく拍手をしてくれてたとか。(こういう時、背を向けてる指揮者は損だなあ。振り返ったときしかお客さんを見ることが出来ない・・・)
翌日のアトリエで早速講評を頂きました。「すばらしかった。日本と北欧とはセンスィティブな面で似ている(not
so far)」と。嬉しかったです。宝塚の繋がりもあってか、本当に親しくして頂きました。奥さんも、17歳のお嬢さんも13歳のご長男さんも、本当にチャーミングでした。
大きなコンサートでした。翌日は、教会でのアフタヌーンコンサート。まだまだ、《EST》の音楽発表の場は続きます。
2003.8.19
バルセロナでの11日間(7)
〜アフタヌーン・コンサートにレインボー。余裕も出て・・・。
朝は、ショーケース・コンサートの反響にびっくり!
7月22日の1日間をお伝えしましょう。
朝は、たくさんの方々が、私や《EST》のメンバー達に、昨夜の演奏の感想を話してくださいました。歩いていると次から次へとです。嬉しいですね、「良かった!」ということを直接演奏者をつかまえて話す習慣。どれほど勇気付けられるか。どれほど自信となることか。どれほど世界と音楽との密接なつながりを感じることか。
例えばこういう風にです。あるイギリスとポルトガルの若い指揮者が、私に声を掛けてくれました。
「《EST》はプロ合唱団か?」
(私)「いいえ、学生、主婦、会社員などで構成するアマチュア合唱団だ!」
「OH!!どの位練習するんだ?
(私)「週1回。日曜日に。」
「OH?! 週1回!? で、何時間くらい?」
(私)「3時間から、日によっては6時間。」
「OH?! 6時間!?」
いちいち目を丸くして驚いてくれるのが面白かったですね。《EST》のメンバーに報告すると、「そうそう、いっしょいっしょ」と。つまり、いろんな団員があちこちで同じやり取りをしていたのです。《笑》
さらに、イギリスとポルトガルの若い指揮者は、
「あなたはプロの指揮者か?」
(私)「いいえ、私は高校の数学の教師だ。あなた達はプロか?」
「そうだ。」
(私)「いくつの団体を振ってる?」
(イギリス)「5つだ」 (ポルトガル)「8つだ」
(私)「指揮の仕事は楽しいか?」
「(にやっとして)もちろんだ!」
さすが。ちょっとうらやましかったですね。でも、私は私。両立していくしかありません。
さて、午前中のアトリエで、Jan先生は、途中で見学に入った私をつかまえ、「これをプレゼントしよう。」と、CDを2枚差し出してくれました。昨夜の演奏のご褒美です。Jan先生指揮、Pro Musica Chamber Choirの演奏で、1枚は、マルタン作曲の「ミサ」「妖精エアリエルの5つの歌」「Ode
a la Musique」。もう1枚は、シュニトケ作曲の「合唱協奏曲」「レクイエム」。日本に帰ってから聴きましたが、フレージングに豊かな気品漂うとっても素敵な演奏でした。Jan先生が浮かんできますね。また、「自分の作曲した楽譜を送るから、《EST》で歌って欲しい」とも。感激ですね。
アフタヌーン・コンサートに向けて
この日の『アフタヌーンコンサート』は、16:00から5つの教会で、17:30から7つの教会で行われました。その一つとして、《EST》は、St.Ramon
de Penyafortという教会で、ドイツの団体とジョイントコンサートを行うのです。
前夜のショーケース・コンサートは、練習にも力が入り、かなり疲れが残っています。そこで、この日の目標として、「部分的な短い練習で本番いい演奏が出来るように持って行こう。」と朝のバスでみんなに連絡したのでした。曲も多いし、練習で神経が磨り減ってはいけないと思ったからです。そして、本番特有の溢れる思いや即興的なものを期待したくなったからです。お客さんと時間を共にしながら楽しんでいただく姿勢。これは実際にはお客さんのいる本番にしか出来ないこと。練習を少なくして、本番にそういったエネルギーを持っていこうという作戦です。
昼食時に、《EST》スコラーズの10人だけで少し練習しました。他のメンバーが10人の食事の準備をしてくれます。いい連携です。やはり、多くの人が周りに集まってきて拍手。そして、昼食後、地下鉄で移動しました。車両以外は全くクーラーのない地下鉄構内。熱風を浴びながら毎日のように地下鉄の世話になりました。暑かったなあ・・・。ミネラルウォーターのペットボトルが必需品でした。
新市街のディアゴナル駅のすぐそばのSt.Ramon
de Penyafort(ホルツ教会)へ。教会のステージで15分のみの練習。その後、教会の前の道の木陰に皆で集まって、楽譜を見て、音楽的な約束事だけミーティングをしました。そして、直前まで解散しました。みんなカフェで休んだり、散歩したりして楽しみました。屋外カフェには、アコーディオンを奏でる老人が。のどかなひと時でした。本番を前に、心が満ちていくような素敵な時間でした。余裕も出てきたんですね、やっと。
スペイン語の挨拶が受け、心に残ったアフタヌーン・コンサート
実は、当初の予定には入っていなかったのですが、「教会でどうしても宗教曲を加えたい」という団員達の意見もあり、プログラムを下記の様に変更しました。
| Tedet anima mea | ビクトリア |
| Missa Pro Defunctis より Graduare(5声) | ビクトリア |
| さくら | 武満 |
| 村の鍛冶屋 | (信長) |
| みかんの花咲く丘 | (信長) |
| 赤とんぼ | (信長) |
| Osi Osi 「愛の歌」 | フィリピン民謡 |
| Pamugun 「雀」 | Feliciano.F(フィリピン) |
また、伊藤さんのお勧めもあり、スペイン語で挨拶と曲目変更を伝えることになりました。勿論、紙にカタカナで書いていただき、抑揚だけ教えてもらって、後は、呪文の言葉を読むように練習しての本番。団員が心配する中、照れくさかったですが、会場はいっぺんに万雷の拍手。大成功でした。なんでも、スペインはフランスやドイツなどに比べて田舎なので、スペイン語でしゃべると、自国を認めてもらったようなうれしい気持ちになるのだそうです。
リハーサルでも本番でも、残響が素晴らしく、宗教曲などは、天井に吸い込まれるように響いてくれました。日本やアジアの作品の演奏には、一曲一曲に大きな拍手と歓声。見ると、前夜のショーケース・コンサートで褒めてくださった聴衆の方々のお顔もたくさん。たくさんの会場で催されているアフタヌーン・コンサートの中で、《EST》の出るコンサートに足を運んでくださり、一生懸命歓声をあげて下さっていることがとても嬉しかったです。その中には、日本から単身バルセロナ入りされている坂本かおる様のお姿も!(彼女は、合唱センターで講師をされている方です。)
Pamugunを歌い終わると、聴衆はスタンディング・オーベーションで答えてくれました。アンコールにお答えして、Ave
Maria(ブスト)を演奏しました。終了後も、いろいろな方からお声を掛けていただきました。ドイツの団体と写真も。教会と聴いていただいた方々に感謝しながら満ち足りた気持ちで外へ出たのが19時ごろ。外はまだ昼のようです。
『レインボー』とは、作曲コンクール?!
コンサートの後は、自由行動になりました。カザ・ミラ(ガウディが建設した住宅)に行ったり、デパートやレストランに行ったり、各自、思い思いの行動を取りました。そのまま、宿舎へ帰ったメンバーも多い中、私は数人でPalau d'Esportsに戻りました。21時からの『レインボー』と言う名のコンクールを聴きに行くためです。
“インターナショナル加藤”さんが、審査員としてデビューです。まず、本部で打ち合わせです。この“打ち合わせ”もイワク有りでした。実は、カンタートの2日目(19日)の朝に予定されていたのです。そのために、伊藤さんの奥様にも来て頂いて“打ち合わせ”の通訳をお願いしていたのです。(アトリエと打ち合わせが重なるため、通訳に2人必要だったのです。)わざわざ来ていただいたのに、『打ち合わせはなくなった』の紙切れが掲示板に! 奥様にすまない気持ちでしたが、「よくあること・・・」と笑って帰られたのでした。・・・・・ この日の打ち合わせも、ロビーで適当なものでした。加藤さんも「わけがわからん!」。まあ、何とかなるさ、とたかをくくって本番に臨んだのでした。
加藤さんは審査員席に。我々は少し離れた客席に。いよいよ、コンクールが始まりました。ところがです。始めの団体が4曲歌った後、審査用紙を回収されているではありませんか。どうもおかしい。後から出てくる団体の審査はしなくていいの???
わかりました。実は、これ、作曲コンクールだったのです! 始めの4曲の中でどれがいいかを決めるコンクール。後から出てくる団体は審査集計の場つなぎのゲストでした(笑)。なんともまあ、頓珍漢な審査員デビューでした。大笑いです。
で、その4曲ですが、たいした作品ではなかったですねえ。レインボーをテーマにした曲だったようですが。松下耕先生が作曲賞を受賞されたAve
Regina coelorumのような斬新な作品はなかったなあ。一応、作曲上の新しい試みが見られるには見られるのですが・・・。
そうそう、会場を後にしようとしたとき、興奮した男性に呼び止められました。「あなたはビクトリアを知っている。あなたは神を知っている。スピリットがすばらしい・・・・。」。よく聞くと、《EST》のビクトリアのレクイエムの演奏に大変感激されているのです。立て続けに、ビクトリアの生い立ちや音楽について語っているのです。言葉がわからないので聞き返すと、さらに丁寧に語ってくれます。おかげで長い時間の立ち話となりました。加藤さんが「我々はキリスト教徒ではない。しかし、演奏をお褒めいただき、大変嬉しい!」と締めてくれました。男性は「OK!」と言って、いきなり去っていかれました。いろんな方々がいるものですが、スペインで、スペインの作曲家の演奏を褒めていただけたのは嬉しいです! このお方、翌日にもお会いし、「ビクトリアについて知りたいことがあったら。ここに連絡してくれ。」と名刺を下さいました。何と高校の音楽の先生でした《笑》。
さて、最後まで残ったメンバー。タクシーで帰ることにしました。ところがタクシーが道に迷って大変でした。やっと着いたとき、料金メーター
は、通常の1.5倍以上に。「あ〜あ」と思っていると、「払えない!」と値切り倒している誰かさん(誰でしょう)。また、宿に着くと、部屋に入れないで外に座っているメンバーがいます。カードキーが急に使えなくなったというのです。結局、バルセロナから業者を呼んで直してもらったのが深夜1時とか。また、初日に解決したと思っていた例の4人部屋に5人の問題がぶり返したり、トラブル続きの夜だったようです。相変わらずお風呂は水しか出ないし・・・。でも、「ここはスペインだ!」と言い聞かせて、毎日の楽しいことを思い出せば、怒りも治まります。不思議の国スペインです。
7/22 アフタヌーンコンサート
2003.8.20
バルセロナでの11日間(8)
〜観光しながらもゲリラ演奏、その結果は?
モンセラットへ!
7月24日、《EST》も私も、この日はカンタートをおサボリ! 観光の1日を存分に楽しみました。思えば、バルセロナで《EST》は、予想を大きく上回る活躍をして来ました。ステージでの演奏に対する聴衆の反響ぶり、アトリエでの中心的な役割、少しでも時間があれば集まって練習したり、移動などの時間に追われた集団行動、そして幾多の生活上の不便さを強いられ、楽しいとは言え、羽を伸ばすこの日を待ち遠しく過ごしていたのでした。
伊藤さんのガイド付でさあ出発です。いつものバスに乗り込み、カンタータ会場へ。そこから逆行して地下鉄へ。まずエスパーニャ駅でモンセラットへの全ての乗り物と昼食がセットになったチケット(34ユーロ)を購入し、カタルーニャ鉄道でモンセラットへ向かいました。
ここで、モンセラットについて紹介しておきましょう。“のこぎり山”と言う名の通り、標高1235Mの奇怪な形をした岩山が聳え立っています。ワーグナーはオペラ『パルシファル』でこの景観を舞台背景に使い、ガウディもここを訪れては建築のインスピレーションを得たと伝えられています。山の中腹には、11世紀に起源を持つベネディクト派の修道院があります。
鉄道で1時間、登山電車で20分で、山頂駅に着いた私達は、さらにケーブルカー(フニクラ)でサン・ジュアン駅まで登ってみました。奇岩だらけの山並み、雄大です。大自然に接すると謙虚な気持ちになりますね。遊歩道を散歩しました。若いメンバー達は高いところ高いところへと走っていきます。どこにあんなエネルギーがあるのでしょう。
ケーブルカーで修道院広場に戻り、昼食。バイキング形式で、肉・魚・パスタ・パエリア・・・・。量がダイナミック! 久々のまともな料理に皆満足そうでした。修道院も見学しました。切り立った断崖を背負うように立っています。中央祭壇を見上げると、ガラスケースに入れられたラ・モレネータと呼ばれる黒いマリア像が祭られています。12世紀のものと推測される木彫りの像で、聖母のひざの上に座るイエスは19世紀の復元。マリア像の前では、花を捧げたり、ケースにキスをする人もいました。人々の信仰が今でも生きているのですね。なお、毎日のように歌声を聴かせてくれるという少年聖歌隊は、7月は夏休みだということで、聴けませんでした。唯一残念でした。
市内観光、そしてゲリラ演奏
続いてバルセロナ観光です。まず、郊外のグエル公園へ。ここで、グエル公園について紹介しておきましょう。グエルは、バルセロナを見下ろす山の手のこの地に、60戸の住宅街を造ろうと、道路整備やパブリックスペースなどの建設も含めて、ガウディに依頼をしたのでした。この宅地造成計画は、あまりにも斬新過ぎたのか一戸しか売れず大失敗に終ったのですが、その代わりバルセロナはすばらしい公共公園を手に入れたことが出来たのです。
実際には、地下鉄バイカル駅から徒歩15分くらい急な坂道をひたすら登り続けます。途中、何台かのエスカレーターが道の真ん中を走っています。ところが半分は壊れていて動きませんでした。『ここはスペイン! ぜいぜい・・・・』
中央広場を縁取る、人体から断面の形が決められたという有名なタイルのベンチに腰掛けると、ガウディの芸術に触れたような何とも優雅な気持ちでした。バルセロナ市街が一望できました。また、広場には、ギターを奏でる人や、露天商などで賑やか。私はTシャツを買いました。広場の下は、ギリシャ神殿風の柱で支えられ、ホールのよう。ある団員の希望もあり、ここで歌ってみようということになりました。
即興のゲリラ演奏会です。まず、Ave Maria(ブスト)。指揮を終えて振り返るとビックリ。そこにはたくさんの観光客が集まってきているではありませんか。そして、大きな拍手。『赤とんぼ』『村の鍛冶屋(《EST》スコラーズ)』『Pasigun』と歌い続け、お客さんもどんどん増え続けます。最後は《EST》スコラーズの演奏で『動物達のフーガ』。こういう振りのついた演奏は、本当に受けますね。大喝采で終了しました。実はD井氏の帽子を前においておいたのですが、そこにたくさんのコインが投げ込まれていきました。また、次の日の単独コンサートの宣伝にもなりました。「必ず行くよ」と手を振る方々も。幸せでした。やはり、観光の日でも、歌の欠かせない私達だったわけです。コインの中身は40.15ユーロ(6000円近く)。「このお金は寄付をします。ありがとう!」と伊藤さんに言ってもらって、お開きとなりました。
サグラダ・ファミリア大聖堂
さて、いよいよ次はサグラダ・ファミリア。バルセロナの象徴ともいえるこの大聖堂は、1882年に着工。ガウディの以後の43年の人生の全てをこの建設に費やし、未完成に終わり、今でも建設中の(完成までに50年から100年掛かるといわれている)常識はずれな建造物です。私達は地下鉄を乗り継いで移動し、サグラダ・ファミリア駅で降りました。地上に上がった途端、巨大な聖堂が目に飛び込んできます。大きすぎてカメラにも入りきらないのです。
第11回コンサートのチラシの写真にもなっているこの建物。大きいだけではなく、信じられないほどの工夫とアイデアに満ちていることがわかりました。ガウディは、建物を通して、森や宇宙を表現しようとしていたのです。完成すると18本の塔がそびえるといいます。ガウディの生前には4本、現在は8本完成しています。若いメンバー達は上までらせん状の階段で上っていくと言っています。年よりは下で休憩。私は、勿論(笑)、昇って行きました。ぐるぐると階段を上り続けます。エレベーターは時間が遅いので止まっているのです。上っても上ってもまだまだ先は長かったです。かなり上まで行きましたが途中で断念。でも、そこから見渡す町並みは素敵でした。(降りるのがまた大変でした。)
下で皆で写真を撮り、伊藤さんツアーはめでたく終了しました。
その後は、自由行動に。ほとんどのメンバーが、L'Auditoriで行われているアトリエコンサートに足を運びました。コンサートを聴くよりも、建物に入ることが目的でした。1999年にオープンしたこのホール。建築家モネオによる設計で、2300席のシンフォニックホール。最新のサウンド・テクノロジーを用いたモダンなホールで、クラシックの新名所となっています。美しいホールでした。音響も抜群。シュッツのマニフィカトを演奏していました。ああ、《EST》もここに割り振られたかったなあ。
演奏は、あまり良くなかったので、途中で抜け出てタクシーで宿舎へ向かいました。バルへ飲みに行くメンバーも多数いましたが。宿に帰ると、嬉しいことに、お、お湯が出たのです。やっと庶民の生活にありつけました。たっぷりとお風呂を楽しみました。ああ〜いい湯だなあ〜〜〜。
・・・・ついでに
以上、7月24日までのことを書いてきましたが、書き忘れていたことがいくつかありますので、ここに、整理しておきたいと思います。
●18日のウエルカム・コンサート。私達の演奏の前に、他団体の演奏やえらーい方々のあいさつが続きました。それらのあとの拍手のときに、歓声代わりに裏声で発声練習を兼ねているメンバー達。普通じゃないなって思いました。スタートから乗り乗りでしたね。
●20日の夜のナショナル・ユースのコンサートはなかなか聴き応えがありました。スイス、ドイツ、ネーデルランド、ノルウェーのユース・クワイヤによるジョイントでしたが、スイスとノルウェーがよかったです。日本で知られていない作曲家が並んでいましたが、作品は玉石混交でした。やってみたい作品もたくさん在りました。特に、ノルウェーの指揮者は、カール・ホグセット氏でした。指揮者の力を感じる演奏でした。でも、この外のコンサートは、軒並みレベルの低いものだった気がします。もっとも、《EST》も私も、あまり、他団の演奏を聴けていません。忙しくって・・・。
●23日の朝も、前日のアフタヌーン・コンサートの感想をたくさんの方々から頂戴しました。「アンコールの作曲家は?」という質問や、「“さくら”を子供達に教えている者です。録音取りました。本場の“さくら”を子供達に聴かせられます。」など。また、「“はるかな友に(磯部)”が好きです。《EST》のコンサートの後、この曲を4部合唱にアレンジしました。これがその楽譜。もらってください。」 ・・・・いろいろな方がいるものです。また、日本で音にしてみたいと思っています。
●この日の14:00くらいに、一人で、公園のベンチでお昼寝をするという至福の時間に恵まれました。ふと、隣のベンチからの視線を感じて目を開けると、ななななな、なんと、ブスト夫妻が座っています。「ビクトリアのレクイエムと“赤とんぼ”が良かったよ。フェリシアーノ(Pamugunの作曲家)は良く知っているよ。」と話が弾みました。去られたあと、今度は、スウェーデンの有名な方。(名前が出てきません。)昼寝どころではありませんでした。
7/24 モンセラット
7/24 グエル公園
7/24 サグラダファミリア
2003.8.20
バルセロナでの11日間(9)
〜最後を飾る、初の海外単独コンサートは、涙・涙・涙
“州政府主催”に喜んだものの、当日までハラハラ・・・
7月25日、は、最後の、そして、最大のコンサートを体験できました。州政府のお計らいで、初の『海外単独コンサート』が実現したのです。
バルセロナへ出かける1ヶ月半ほど前に、このお話があり、《EST》の皆は大喜びで承諾しました。レパートリーを増やし、この日を待ち望んだのでした。バルセロナに着いてからも、日程の最後ということで、この日まで気を抜くことなく、体調管理にも心配りあい、支えあってみんなで過ごして来れました。
ただ、『ここはスペイン』。例によって、この日までにまたまたハプニングがありました。
まず、突然、なんと場所の変更!!
通訳のバルセロナ在住の伊藤さんが、いろんなお知り合いにこの日のコンサートへお誘いしてくださっていたのに。突然の変更に「もう一度、連絡をし直すよ」と言ってくださったのは、大変嬉しかったのですが、カンタート事務局の対応はお粗末で誠意のないものでした。なんと、「当日、Palacio de Generalitat(変更前の場所)に、場所が変更になったことを知らせる張り紙を張っておくから、大丈夫。」と言うのです。ハァ?。新たな場所は、Casa
da mar。30分くらい離れているんですよ。間違ってPalacio de Generalitatへ行った聴衆が張り紙を見て30分かけて、Casa da marへ足を運ぶと言うのでしょうか、何の文句も言わず! それ程寛大な国民なのでしょうか。
そして、数日後、突然、なんと開演時間の変更!!
20:00開演に早まったのです。もう、交渉あるのみです。伊藤さんが体を張って。やっと、本部の数箇所に張り紙を、また当日の機関紙に変更の記事を載せていただきました。
そんなこんなで、一番やりがいのある単独コンサートでありながら、歯がゆさとハラハラで、この日を迎えることとなったのです。でも同時に、聴衆がどれだけ少なくても、そして、場所がどれほどチャチなところでも、「来て下さった一人一人に我々の精一杯の音楽をしようね」と皆で覚悟を決め、この日を迎えたのでした。
朝は、ショートアトリエ参加に始まり
ショートアトリエとは、いわば単発の講習会。この日は、4講座開かれました。《EST》は、バラバラに分かれて参加しました。私は、4つ共に少しずつお邪魔しました。
『オープン・シンギング』というアトリエにたくさんのメンバーが参加しましたね。もともと、オープン・シンギングという行事は、カンタートの一つの目玉で、毎日20:00からの45分間、メイン会場に集まった1000人以上の人で、テキストにある合唱曲を楽しくどんどん歌おうというもの。100ページを超えるテキストには、当然、歌い切れない数の合唱曲。それらを、この日のアトリエで歌いきろうと言うのです。
輪唱で体をほぐした後、アルゼンチン・タンゴに取り組んでいました。未消化のまま、今度はチェコの曲。・・・言葉の障害に《EST》のメンバーはもう笑っていましたね。
『カタルーニャ民謡』というアトリエにも《EST》のメンバーはたくさん参加していましたが、全体としての参加人数が少なく、アット・ホームな雰囲気でした。私は、ここが一番よかったと思いました。指導者の女性が、歌って踊って、カタルーニャ民謡の語り部のようです。つい、我々も、ニコニコとその世界に入っていっていました。テキストには何十曲という民謡が。このテキストは、ちょっとした財産です。
『オペラ合唱曲』の講座は、《EST》からは数人が参加していましたが、指導者が一人熱い指導で、参加者がさめている雰囲気でした。ちょっと見てて辛かったなあ。
『サルダーナ』は、踊りの講座。あの、ウエルカム・コンサートで踊っていた民族舞踏をやろうというのです。疲れを知らない《EST》の若いメンバーが楽しそうに踊っていました。
以上、発表会も何もない、気楽なアトリエをそれぞれ楽しんだ後、夜のコンサートの練習をしました。最後のコンサートということで、メンバーそれぞれの想いを乗せて、練習は盛り上がりました。気持ちがストレートに伝わる演奏でした。声も疲れを感じさせません。疲れはピークに達しているはずなのに、この生き生きした響きは何なのだろう。私はそんなサウンドに、感動しながら、指揮をしていました。
昼からは、アトリエコンサートの見学を経て会場へ
昼食を済まし、さあ、移動です。まずは、デル・マル教会で、アトリエコンサート『モンテヴェルディのヴェスプレ』を聴きました。指揮は、元キングズ・シンガーズの歌手として名を馳せたサイモン・カーリントン。500人は入る大きな教会で残響も豊かでした。pで伸ばした後の残響が非常に心に迫ります。ところがfで、言葉が早いと、力みも出るのか、飛んできません。fよりpの方がよく聴こえるとは何たる皮肉? うーん、教会での発声・音楽作りの極意を考えさせられましたね。
途中で抜け、いよいよ、コンサート会場に向かいました。地下鉄ドラサナス駅で下車。海のにおいがします。目的のCasa da marは、海に向かう通りにホテルのような建物でした。客席の数もあまり多くない多目的ホールという感じでしたが、歌ってみると、よく響きます。客席の隅々まで、メッセージ性の強い音楽が届く実感を得ました。Pamugunの最後は客席に降りていくという振り付けに。一体感を得ていただこうという目的です。
1時間ほど練習して、自由時間に。レストランに入りながら、私は、またまた呪文(笑)の時間です。アフタヌーンコンサートより長い挨拶、もちろん、スペイン語と地元カタルーニャ語で。伊藤さんのお世話になり、伊藤さんのお嬢さんの司会で、私もしゃべり、幕間にはインタビューの時間・・・と楽しい企画を考えてのことなのです。伊藤さんの娘は、スペイン語・英語・日本語の3ヶ国語で、曲目紹介をしてくれます。(彼女は、あとフランス語もぺらぺらの伊藤さん自慢の娘さんです。)
感動の本番、そして、涙
開演10分前。わあ、客席はほとんど埋まっています。ありがたいですねえ。さあ、やるぞ。みんな「最後だね」という特別な感情で満たされていました。
開演です。私達が、客席の横から入場すると、大きな拍手です。今までの聴衆とは違い、年齢層も高く、一般の方々が多く感じられました。落ち着いた室内楽コンサートのような雰囲気です。政府のお偉い方の挨拶があり、私のスペイン語とカタルーニャ語の挨拶。言ってる本人が何を言っているか把握できていないのに、開場からは、笑いが起こります。まあ、いい気分でしたね。
さて、前半ステージは、宗教曲です。
| Taedet animam meam | ビクトリア(16C) | (《EST》スコラーズ) |
| Missa Pro Defunctis より Introitus(6声) | ビクトリア |
| Missa Pro Defunctis より Graduare(5声) | ビクトリア |
| Quoniam ad te clamabo | シュッツ |
| Ave Maria | ブスト(20c) |
お客さんは、1曲1曲にうなづいて聴いてくれますが、拍手は来ません。さすがです。そして、Ave
Mariaが終ると、割れるような大拍手でした。司会者が「宗教曲は終るまで拍手をするな」と言ってくれてたようです。気持ちよく前半を終えると、みんなは、浴衣に着替えに出ていきました。私は、伊藤さんの娘さんとインタビューです。どんなやり取りをしたのだったかなあ・・・忘れちゃった。
さて、後半。浴衣姿にまず、大喝采。
| さくら | (武満) |
| 村の鍛冶屋 | (信長) | (《EST》スコラーズ) |
| みかんの花咲く丘 | (信長) |
| 赤とんぼ | (信長) |
| 「いっしょに」 | (木下) |
| Pasigin | (フィリピン民謡) |
| Soleram | (インドネシア民謡) |
| Osi Osi 「愛の歌」 | (フィリピン民謡) |
| Pamugun 「雀」 | Feliciano.F(フィリピン) |
以上、9曲を熱唱しました。1曲ずつ解説を3ヶ国語で入れてくださいました。(伊藤さんのお知り合いを始め、日本人の方々もたくさん見られました。) 1曲1曲に大きな拍手。だんだんエキサイトされていくのが目に見えます。全部を歌い終えると、会場は、1人残らず立ち上がって拍手と歓声を下さいました。たくさんのメンバーが目に涙を浮かべています。この瞬間、われわれのいままでの10日間の営みが早く回る走馬灯のようにグルグルと頭の中を回っていたのは、決して私だけではなかったでしょう。スペインでの最後の拍手は、大きかったー。
この後、州政府から、記念品贈呈。ガウディー公園の中にあった代表作のトカゲのミニチュア版でした。(この記念品は、翌日、大活躍の加藤さん宅に飾られることが全員一致で決定しました。)
お返しに、《EST》からは、子供用の法被と豪華扇子をプレゼント。客席は、その間、ずっと立って拍手でした。
そして、アンコール。
| 「別れの歌」 | 中田(信長) |
『さよなら』という言葉は、わかるみたいでしたね。歌うメンバー達も私も、目をうるうるさせながら歌いました。最後は、退場・・・と思いきや、スコラーズだけが残って、(他のメンバーは客席の横で居残って)
| 動物達のフーガ | バンキエリ |
を、大サービスのオーバーな振り付けで歌ってくれました。最後は、笑って退場です。こうして、1時間半かかったコンサートは、めでたくめでたく終了しました。ロビーでは、たくさんの地元に方々がお声を掛けていただきましたし、初日に交流した日本人女声合唱団のメンバーの方々も待っていてくれて、記念写真を撮ったり、幸せな時間でした。
その後、町に飲みに繰り出すメンバーと、アトリエコンサート(デュリュフレのレクイエム)を聴きに行くメンバーと、タクシーで帰るメンバーとに分かれました。そのときす。タクシーに乗る直前まで(乗ってからも)、加藤さんがズーっと泣いているのが印象的でした。いつも他人の体調を伺い、気遣ったり励ましたり、渇を入れたり、相談に乗ったりと、彼女の取り組みには目を見張るものがありました。スタッフで体調を崩すものが出る中、リーダーの北田氏、パートマネ代表の土井氏と共に、《EST》全体のことをいつも考えてくれた加藤さんが、感極まって泣いている。この状況は、《EST》の全メンバーに感謝の気持ちを深く起こさせるものでした。彼女はいつも本番まで、自分の音楽をグイグイ上げていきながら、他人のことにも精一杯気遣い、必ずや、団をいい方向に向かわせてくれるのです。それだけ、自分に厳しく、気を張り詰めてくれます。そして、本番が終ると、魂が抜けたようになるのです。皆が元気にはしゃぐ時に。その彼女が、今回は涙が止まらないのです。
団体は、様々なメンバーで成り立っているわけですが、団体を作り上げている欠かせないメンバーに《EST》は恵まれました。みんなそのことを心のそこで、感じていたと思います。そして、自分を反省するメンバー、彼女に近づこうと決心するメンバー、みんなの心の中は、どんなのだったでしょう。
その後、私は部屋に戻って、一人ゆっくり夜の空気に浸っていました。そろそろ寝ようかな・・・と思っていた瞬間、バーンとドアが開いて、D氏が。『向井先生、あっりがとー!!』と大きな声で。いい酔い方です。何でも、若い子を連れて(いつものことで)飲みに行ったそうな。そこで、加藤さんの涙が話題になった時に、若いメンバー達が、本当にきれいな涙を流して泣き続けたそうな。何回も何回も、話題に上がっては涙したそうな。
若いメンバー達が、《EST》を支えリードしてくれてる加藤さんのことを思い、感謝の涙をこぼしてくれたことに、土井氏も感激して、お酒も回ったそうな(笑)。その話を聞いた私も目に涙。土井氏としっかり握手をして、その後、語り明かしました。この10日間、私と土井氏と北田氏は、同じ部屋で、毎日堅苦しくない反省会をして来ました。時には『これじゃあ行かん、集団行動が出来ていない!』と怒りの反省会になったことも。若いメンバーもこの部屋を訪れ、考え方の交流をしたこともあり、とっても中身の濃い部屋でした。最後に、いい酔い方で、笑顔と涙の反省が出来、本当によかったと思いました。そんなことを思いながら、じきに寝てしまいました。
7/25-27 州政府コンサート・海・空港
2003.9.1
バルセロナでの11日間(10)
〜カンタート最終日は、何と海水浴に観光、そしてファイナルコンサート
おしゃれな海水浴場でむじゃきに!
7月26日は、いつもと違って、みんな緩んだ顔で朝食に現れました。大きな最後のコンサートを終えて、みんな様々な夜を過ごしたことと思います。M田君などは、明らかな二日酔いです。前夜はどんな風に帰ってきたかもわからない。食事も喉を通らないと言った状態でした。でも皆笑っています。“同じ釜の飯を食った仲間”(小澤征爾さんの言う)なのですから(笑)。
朝は、いつものバスでFira de Barcelona前まで行き、会場を横目で見て、地下鉄の駅へ。24日のバカンスデーと同じ行動なのですが、この日はややみんなの雰囲気も違います。そう、何もかもがこの日で最後なのです。朝の変わり映えのしない食事も、バスから見える風景も(バスから見える公園にミロが作った大きなモニュメントがあるのですが、そこを通るときに必ず、“オーソーレッミーロー!”と歌っていたのも、この日が最後となってしまいました)。朝の光を浴びるスペイン広場も、そこからまっすぐ伸びる大通りも、シンメトリーのカタルーニャ美術館も見納めです。
さて、地下鉄を乗り継いでシウダデリャ駅まで。伊藤さんの案内ですから全く安心です。私などは、もうみんなの後を着いていくだけです。「私の役割は全て終ったからねえ」と他力本願を決め込んでいます。
10分ほど歩くと、パルク・ダ・マル地区です。ここは、バルセロナオリンピックの選手村が置かれたところで、今はおしゃれなウォーターフロントとして生まれ変わっています。椰子の木が茂るプロムナードが続き、ビーチとヨットハーバーの周りにはシーフードレストランが立ち並んでいます。早速、水着に着替え、私を始めとする(!)若いメンバーは、ビーチに直行。地中海のしょっぱい水を浴びました。残りのメンバーは砂浜で休息。N田氏は「目の保養じゃあ」とニタニタ。見ると、なんと、トップレスの女性たちが!! K田氏は早速、望遠レンズで激写しておりました。私は見ないふり・・・。しかし、地中海の風に誘われて、みんな大胆に無邪気に泳いだり、ビーチでビールを飲んだり、日本ではなかなか実現しない、至福の時間でしたね。
昼食は、近くの屋外レストランへ。伊藤さんお任せの注文は、すごかった。魚・甲イカ・ムール貝・エビなどの焼き物がこれでもかというくらい出てくる。T住氏なんかは、大きなエビを20匹平らげたとか!! 大胆な料理だがおいしい! 最後に、食後酒というのが出ましたが、これがとても強い酒だったらしく、M田君の様子が気になりましたが大丈夫だったようです。強すぎて、たくさん余ってしまいました。と思いきや、H田君とT住君がちゃっかり瓶ごとかばんに入れています。ボーイさんも見てみぬ振り。いいですねえ、スペイン。
ゆったりと食事を終えると、地下鉄でジャウマ・プリメ駅へ。ここで、市場で買い物組と、カテドラル&ピカソ美術館組に分かれました。私は、後者へ。
カテドラルにピカソ美術館、観光旅行に胸躍らせて
まず向かったのはカテドラルでした。バルセロナの歴史がここから始まったという、ゴシック地区の心臓部と呼ぶにふさわしいのが、このカテドラルです。正面広場では、相変わらず、着飾った若い女性の芸人パフォーマンスが行われていました。暑くて暑くてたまらないのに、中世貴婦人のいでたちで炎天下にたっているのを見ると、お金儲けとはいえ気の毒な気持ちでした。
正面入り口の大きなファサードを潜って中に入ると、暗くて荘厳な空間が広がります。中央に聖歌壇、その周りの大理石にはバルセロナの守護聖人エウラリアの生涯が刻まれています。正面のステンドグラスの美しいこと。ため息が出るほどでした。さて、エレベーターで、塔の屋根の上まで昇れたのは感激でした。高い屋根から見下ろすバルセロナの町。ああ、この景色も見納めだなあ・・・。
続いて、ライエタナ通りから細い路地を入っていくと、アリアを歌う女性老人に出会いました。昔はそこそこの歌手だったのでしょう。今は、路地裏で歌って缶に入れてくれるお金で生活しているのでしょう。地下鉄構内のギター引きに始まり、こういう人達にたくさんであったのもバルセロナの大きな特徴でしたね。
さて、ピカソ美術館に到着。早速、仲良くなった香港の合唱指揮者と鉢合わせ。みなさん、行くところは同じなんだなあ。ピカソ美術館は、モンカダ通りにあるかつての貴族の館を利用したものです。順路に沿ってみていくと、ピカソの作風の変遷がよくわかります。まず、マラガ、ラ・コルーニャ時代の、少年とは思えないデッサン力に驚きました。『初聖体拝受』『科学と慈愛』など、伝統を完璧にマスターし、自分の考えを絵にした15〜6歳の頃の作品は素晴らしかったです。
私がもっとも面白いと思った絵は、『ラス・メニーナス』の連作でした。76歳のときに、南フランスの広大な邸宅で製作されたというこの作品、マドリッドにあるベラスケの有名な作品をモチーフにして、自らの造形表現を用い、新しい世界を作り出しています。地中海で結ばれる故国スペインへの思い、いつも変わり続ける表現の探求など、とても面白く見させていただきました。パガニーニをモチーフにリストが作曲するような、いや、プロコフィエフの古典交響曲のようなユーモラスを感じ、連なる作品を何回も往復してしっかり鑑賞しました。
観光旅行は、こうして、知的(?)に終了し、あとは、21時からのファイナルコンサートを残すのみとなりました。
本当に最後
最後の食事チケット。最後だから何か豪華なおかずは?? 期待空しく、サンドイッチ2切れ、小さなパンケーキ1個、りんご1個、ミネラルウォーター1本・・・・・・・・・・・・・はい、合言葉『ここはスペイン』
しかし、Palau d'Esportsが満員になるほどの賑やかさの中で行われたこの日のコンサートの、期待はずれ感は、忘れることの出来ないものでしょう(笑)。なんで、もっと、工夫できないの? もう、スペインの運営の方々、サービス精神ないの?
まず、アトリエ11の発表コンサート。なぜ、ファイナルにこの曲を持ってきたのでしょう。延々1時間15分(!)のオーケストラとソロと合唱の作品。ファリャの『アトランティーダ』。曲も、部分的には面白い音がしますが、1時間15分かける意図がわからない。演奏も例によって完成度が低かったですし。だいたい客に覚悟が出来てないですよ、1時間15分耐える覚悟が・・・。この曲、これから演奏されるのでしょうか。
ようやく演奏が終ると、役員挨拶(言葉がわからな〜い)、次期開催地ドイツのマインツへの旗の引継ぎへと続きました。結局大した盛り上がりのないまま、終ってしまいました。まあ、あっけなさがさびしさを呼びましたね。これで終っちゃったんだぁ・・・・という。
会場を出ると、次期開催地マインツの人達が記念鉛筆を配っていました。「マインツで会いましょう。」と言いながら。また、あちこちで、お国の歌を歌ったり、仲良くなった外国のメンバーと別れを惜しんだり。決まりきったセレモニーより、こちらの方がいいですね。やはり、歌う仲間は、心からこみ上げるもので結ばれているのです。
この日も夜の噴水がすごかったです。みんな口数少なく、それぞれの想いにふけっていました。言葉はいりません。バスに乗り込むと、同じ宿舎の、プエルトリコの方々とみんな仲良くお話をしていました。プレゼント交換も。この方々ともこれが最後。
宿舎に着きました。みんな寂しそうです。終ったのです。たくさんあったハプニングももうないと思うと、・・・・・・・・
と、思いきや、お風呂でシャワーを浴びようとすると、なんと、ハプニング!!!! 水しかでなかったぁ!!!!!
・・・・・・・・・ここはスペイン! もう文句も言えない。。。。
7/25-27 州政府コンサート・海・空港
2003.9.14
バルセロナでの11日間(11)
〜今、しみじみと思うこと
きびしい残暑が続いていますが、朝夕ほんのわずかに秋の香りを肌に感じるようになりました。バルセロナの旅を終えて1ヶ月半。旅の日記も最終回を迎えました。
さようならバルセロナ、さようなら伊藤さん
7月27日は、5時過ぎに起床。荷物をまとめて6時発の空港行きのバスに乗り込むのです。1台のバスに《EST》以外の人達もたくさん乗るらしく、他団体の荷物がバスの荷物入れにすでにいっぱいで、入りきりません。「何故バスが1台なの?!」
仕方がないので、バスの通路にスーツケースを積みます。バスの中はもう身動きできないくらいになってしまいました。さあ出発というときに、また1団体! もう荷物は、我々の上に積み上げるしかありませんでした。座席も通路も満杯のすごい状態でバスは出発。「ここはスペイン・・・考えては駄目。」ブツブツ・・・。
幸い、道がすいていたため、早く空港に着きました。ホッ。荷物を何とか降ろすと、バスは早々と去っていきました。でも、どうもおかしい。確かに空港なんだが・・・。
そのとき、K氏が慌てたように「ここは国内便だ!移動しなくちゃ!!」。バスの運ちゃんはもういません。誰にも文句を言えない国スペイン。ひたすら無言でスーツケースをゴロゴロと引きずりながら、移動しました。
待っていたのは伊藤さん。搭乗手続きをしっかりしてくださいました。伊藤さんは、もう私達にとって神様のような存在でした。その伊藤さんに感謝の気持ちを込め、空港で歌うことにしました。伊藤さんのリクエストは、『アヴェ・マリア』(ブスト)。演奏は、もう涙涙のぐちゃぐちゃなものでしたが、絶対忘れられないひと時でした。
「もうお会いできないでしょう。しかし、《EST》との出会いは私の人生で忘れられないものとなることでしょう。皆さんが奏でる音楽の持つ力、グループとしての純粋さ、まとまり・・・たくさんのことを教わった気がします。私もギターで頑張ります。日本人合唱団も頑張ります。みなさんも頑張って下さい。」
涙のお別れでした。心残りは伊藤さんのギターを聴かせていただけなかったこと。
日本へ
9時30分、バルセロナを離陸。
11時20分、パリのドゴール空港に着く。お土産、買い物タイム。
13時45分、パリを離陸。12時間半の空の旅でした。エア・フランスの飛行機は、液晶テレビが付いていて、たくさんのゲーム、映画など、飽きることなく時間を過ごせました。
日付変わって、翌28日の8時25分、関西空港に着く。11日ぶりの日本は涼しかったです。初めて知る冷夏の事実。嬉しかったのは、旧団員の山本君が出迎えてくれたことでしたね。彼は前日大阪で仕事があり、そのまま私達のために宿泊してくれたとの事。歌で結ばれた仲間のまさかの出迎えに、団員一同、笑顔でした。
空港からは、バスで。久しぶりに見る日本の風景は、、、、、落ち着きましたね。整然と機能している社会は、やはり日本が作り出した宝物かもしれません。
バスの中で、1人ずつマイクを持って11日間のことをコメントしあいました。題して“ファイナルトーキング”。実は、バルセロナでの毎朝のバスの中では、“オープントーキング”というのをやっていたのです。これは、ヨーロッパカンタートの“オープンシンギング”をもじったものでした。この日は、ファイナル。全員が語ります。
私はこういうの大好きです。普段、私の方からの発信が多いだけに、団員一人一人からの発信に耳を傾け、これからを考えるのです。
みんな、なかなか話し上手。バスの中は、笑いや頷きで賑やかでした。
11時30分、三重県津市にバスが到着。《EST》結成以来の最大のイベントがここに終了したのでした。
1ヵ月半を経て、今思うこと
夢中だった、バルセロナでの音楽を共にした生活は、私達に、すばらしい音楽家との出会い、世界中の合唱好きの仲間との交流、ヨーロッパ人の合唱スタイルの確認、《EST》の演奏に対する感動的な反応、さらにこうありたいと願うエネルギー・・・・・などなど、本当にたくさんのプレゼントを与えてくれました。
今、思うこと。それは、一言で言えば、日本を変えていきたい!! 我々の演奏の質を常に問い続け求め続けていくことはもちろんのことですが、新しい音楽、新しい演奏を目指す仲間を増やしていきたいです。同じ志を持たれる作曲家や指導者とも仲良くさせていただきながら、歌う側のみならず、聴く側の仲間も増やしていきたいと思います。
それには、理想を具体的に語り合うことが欠かせません。また、海外の演奏家との交流も続けていきたいです。
日本の合唱は、変わりつつあると思います。ただ、変わらないまま「これで良し」という指導者や、合唱人もいます。何が問題で何がいいのか、言葉にするのは大変ですし、演奏で示すのも大変です。ただ、世界を見た我々は、発信していく責任があると思います。
音楽することはこんなにも楽しいこと! 音楽を柱に据えて世界を感じ、人生を歩んでいくことはこんなにも深く豊かなこと! これからの《EST》の音楽、活動にご注目いただきたいと思います。
最後に、今月始めに届いた伊藤さんからのお便りの一部をここに掲げたいと思います。
| ・・・・・・バルセロナでは、本当に素晴らしい音楽を聴かせていただきました。こんなにまで心の感動を覚えたのは私の生涯初めてでした。近頃は、余裕をもった演奏や、思い上がった演奏ばかり聴いていたからなのでしょうか。《EST》のみなさんの表現の豊かさ、その表現を表す技術、言葉一つ一つの美しい表現・・・・・・これらすべてみなさんの音楽に対する真摯な心から出ているものと思います。・・・・・・ 私は1ヶ月の夏のバケーションで、アンダルシアのJAEN県でのんびりしておりました。朝はオリーブの木々の世話に行き、昼は近くのプールで泳いで、その後、近くのBARへビールの飲み歩き、2時ごろ昼食、休まず昼寝、夕方ギターの練習を4時間ほど、1〜2時間山本周五郎の本を読み、夜10時ごろ軽く夕食、その後は、家族・友達などとテラスに集まり、ウィスキーなど飲みまして、夜中の1,2,3時頃までペチャクチャ!十三夜、十五夜と美しい月を眺めておりました。 今日、バルセロナへ帰って参りました。・・・・・さて、9月からは、コンクール、コンサートとちょっと忙しくなってきます。第9のメンバーは第2週の月曜日から最練習です。《EST》のみなさんのすばらしい演奏を手本に、目標をより高いものにしたいと思います。・・・・・ 2〜3年後になると思いますが、私のオーガナイズで、バルセロナで《EST》のコンサートをやりたいなあと考えております。ではそれまで再会を楽しみにしています!! 向井さん、みなさん、すばらしい演奏をありがとうございました。 伊藤 茂 |
以上、連載日記の終了です。長々と読んでいただき、ありがとうございました。なお、11月8日に、『バルセロナからの贈り物』と題してコンサートを催します。一回り大きくなった《EST》の音楽をぜひ、お聴きいただきたいと思っております。