2001.6.11
マルクトオーバードルフの思い出(1)
Vocal Ensemble《EST》のドイツ11日間の旅は、実り多い夢のような体験の連続でした。第7回マルクトオーバードルフ国際室内合唱コンペティションに参加し、《EST》は、“Achievement Level II - very good performance
at an international level”という賞に選ばれました。この賞は、Achievement Level I - excellent performance
at an international levelに次ぐもので、“国際的に非常に良い”と認められたわけです。また、私は、PRO MUSICA VIVA ・ MARIA STRECKER -
DAELEN - PREIS〜Conductor´s prize for the best interpretation
of a contemporary work(最優秀指揮者)という賞を思いがけなくも受賞しました。(マルクトオーバードルフ国際室内合唱コンペティション 審査結果)
ヨーロッパでの演奏は初めてでしたが、メンバー達はみんないい顔をして日本へ帰ってきました。本場の文化に触れ、世界のコーラスメンバーと仲良くなり、大勢の耳の肥えた聴衆に出会い、加えて私は世界的に名の知れた指揮者の方々とも仲良くさせていただきました。コンペティション、教会ミサ、教会コンサート、民族音楽コンサート、コーラススタジオ、クロージングコンサート、そして、毎晩のパーティー・・・・・。たくさんのイベントとそのひとつひとつに見え隠れするドラマ。このHPにしっかりと留めて置きたいと思います。
まずは、推薦していただいた洲脇先生に感謝です。先生は、仕事の都合で参加が危ぶまれたメンバーの上司に向けて、推薦状まで書いていただきました。その推薦状を持って私が直談判に行くという一幕もあったのです。幸い、非常によく理解していただき、OKを出していただきました。《EST》の中心メンバーであっただけに、この“推薦状”には、どれだけ感謝しても仕切れないのです。また、当間先生のご指導にも感謝したいと思います。最先端の響きというものをていねいに私達に教えてくださり、その御指導によって《EST》トーンに磨きがかかったのですから。さらに、「詞華抄」という名曲を生み出してくださった作曲家の鈴木輝昭先生と、先生の昨年のご指導にも。私の賞は、この「詞華抄」の解釈によるものであったからです。
私達は5月30日(水)の7時半に三重県津市を出発しました。関西空港から、スイスのチューリヒを経由し、ミュンヘンのホテルに到着したのは21時20分。時差7時間を考えると、21時間の旅でした。この日は、ここに泊まり、いよいよ、翌日からマルクトオーバードルフでの日々が始まります。
マルクトオーバードルフの思い出の画像集
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2001.6.16
マルクトオーバードルフの思い出(2)
〜オープニングセレモニーまで
チューリヒで旧メンバーと再会
マルクトオーバードルフに着くまでに、2つの町に立ち寄りました。まず、乗り継ぎのチューリヒで、私達は一旦出国し、出迎えてくれた旧メンバーの霜尾君と再開しました。彼は農業の勉強のため、1年余りスイスで研修しているのです。たくましくなった彼と、空港の前で私達は「夢みたものは」「うたをうたうとき」を歌いました。いろんな場で今までも歌ってきた愛唱曲です。悲しい時も嬉しい時もこの曲でした。今回は再開の嬉しさとすぐお別れしなければならない寂しさとが混じっていたようなとても人間的な合唱でした。彼は、田舎の小さな合唱団に入っていました。牛ともハモっているとのこと。元気で日本に帰ってきて欲しいものです。
ミュンヘンの町並みに一目ぼれ
5月31日。ミュンヘンのホテルに泊まった翌朝、14時までミュンヘン市内の自由行動となりました。みんな市内見物に、買い物にと三々五々楽しそうに散らばっていきました。
第二次世界大戦で大きな損害を受けたミュンヘンの街並みは、旧市街を中心にほぼ昔通りの姿に復元されています。まず、建物の高さが揃っています。これは、条例によって36m以下と決められているからです。屋根の色も揃っています。また、これほど緑の豊かな都市は少ないのではないでしょうか。
イーザル川のほとりのホテルから歩いて5分。ドイツ博物館に入った私は驚きました。科学技術関係の博物館として世界一の規模。建物の広さと展示物(ほとんどが機械)の巨大さにまずびっくり。ドイツの誇りを感じざるを得ませんでした。特に19世紀後半の精密機械の発達はすごい。この時代は、ドイツロマン派という、ブラームスやブルックナーを生み出した時代。彼らの音楽の背景にこのようなすごい機械文明があったのだと考えると、ロマン派の音楽をより緻密に構造的に表現しなければ・・・と思ったものでした。
ミュンヘンを歩いていると、屋外にテーブルを構えた喫茶店、季節の野菜が並ぶ露店、そして路上ライブ演奏などに出会います。タール通りを歩いていると黒人の打楽器奏者が演奏しています。ドラム缶のようなもので作ったシロホンのようなもの(なんと言う楽器でしょう?)すごい技術です。人だかりと拍手。これだけでもミュンヘン万歳です。
タクシーはほとんどがベンツ。車もドイツ車ばかりでしたが、型は日本の車と全く同じ。アメリカに見られる大きな車は見当たりません。市電はとてもオシャレ。そして、道行く人々は、みんな素敵に見えちゃいます(美男美女がいっぱい)。高校生の一団が歩いています。遠足でしょうか。あ、タバコをすってる!一瞬、高校教師という仕事を思い出しそうになりました。よく考えてみると、喫煙年齢は法律で12歳くらいとか。 あと、大きな犬を連れている人がたくさん。犬がまたおとなしい。きちんとしつけられているのでしょう。家ではきちんと番犬の役割をこなしているというからすごいですね。
書き出せばきりがありません。そろそろミュンヘンとお別れしましょう。みんな楽しそうにホテルへ帰ってきました。14時30分。バスに乗り、いよいよ目指すは、マルクトオーバードルフです。
マルクトオーバードルフとマヌエル君
マルクトオーバードルフ市は、ミュンヘンからバスで1時間余り。きれいな田園都市でした。家々はみんなかわいらしく、壁や窓、庭などにこだわりが感じられました。電柱などはないため、広々とした街並み。ごみなど一つも落ちていません。遠くには、山々。そこには牛の群れが。ちょうど、北海道の富良野のようにも感じました。「ここでこれから1週間合唱三昧なんだ」と早くも幸せな気分です。
コンペティション会場である“モデオン”に着くと、一人の若者が。8頭身のハンサムボーイ。マヌエル君です。各合唱団に1人、ボランティアの付き添いが用意され、移動から宿舎から、何もかもタイムテーブルに沿って、1週間、共に過ごしてくれるのです。これはありがたいことでした。ただし英語です。私との打ち合わせは、《EST》のメンバーの頼れる英語の先生、太田さんが欠かせない存在でした。
マヌエル君は、大学4年生。将来は保父さん希望とか。「人間とかかわる仕事が夢」と語るように、ユーモアたっぷりで、わがままな我々の要求をよく効いていただいたと思います。人間が好きでないとここまで献身的には出来ないですよ。
巨大テントで食事、学校宿舎で宿泊
打ち合わせは、口頭で簡単に行われました。これにはビックリ。日本なら、詳細の書かれたプリントを渡され綿密なる情報が一挙に知らされるのではないでしょうか。この“簡単かつ変更のよくある打ち合わせ”は、1週間その都度行われました。したがって、私達は、行事の日程はわかっていながら、それに伴う具体的な動き、たとえば、どこで着替え、どこでどのくらい練習ができるか、宿舎までのバスのあるなし等、さっぱり先が見えないまま、過ごす事となったのです。日本なら文句が出て主催者が慌てるところですが、不安がよぎる私たちに、主催者はみんな笑顔です。「明日になれば何とかなるでしょう」と。でも、不思議と「こういうのも楽しいかも」と思ってしまったんですね。これはもう文化の違いです。郷に従い楽しもう、と、すきっ腹を抱え、巨大テントに案内されました。
テントの中は、食堂、兼、飲み屋、兼、夜更けまでのライブイベントハウス兼ディスコです。なんとここでたくさんのボランティアの方々が、1週間、計6000食近くもの食事の世話をしていただくのです。私達はすべて無料でビールやワインつきの食事をいただくことになったのです。世界の合唱仲間がこのテントに集い、そこに市民も自由に出入りして交流するのです。合唱仲間同士が仲良くなるのはもちろんのこと、聴衆市民と私たちが食事しながらお話できる空間。お酒が入りますから、とにかく楽しい空間です。日がたつにつれ、オーバーヒートしていったことはご想像通りです。ボランティアの方々は結局1週間の間ずっと同じメンバーで毎食お世話をいただきました。日本で考えられるでしょうか。
マヌエル君の先導の下、宿舎へ。中学校の寄宿舎です。このコンペティションのため、1週間、学校を休みとし、空いた寄宿舎を私たちの宿泊場所に提供してくれたのです。これも、日本ではとても出来ませんよね。きれいな大きな建物です。ここで、アメリカ、ウクライナ、ハンガリー、そして私たち日本の合唱団の4団体が宿泊することになりました。部屋の指定もマニエル君が一部屋一部屋案内してくれます。時間をかけて。日本だったらプリント渡されて終わりというところでしょう。
テントはモデオンの隣にありましたが、宿舎は、歩くと20分かかります。バスが出るか出ないかは運とマヌエル君の努力次第。おかげで私達は1週間、何度もこの20分の道のりを歩き、マルクトオーバードルフ市は第2に故郷になってしまいました。
さて、オープニングセレモニーが近づいています。私達は浴衣と法被に着替えなければなりません。開始の20時が近づいています。しかし、どこで着替えるのでしょう。マニエル君が奔走しています。以下は、次回へ。
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2001.6.20
マルクトオーバードルフの思い出(3)
〜コンペティション前日
オープニングセレモニー
5月31日20:00、モデオンにて、オープニングセレモニーが始まりました。各グループは、お国の衣装で客席を占めています。《EST》は、女性は浴衣、男性は法被姿で、指定された席に座りました。司会はドイツ語と英語で進められました。これが面白い(と言っても笑っているのは言葉のわかる方々で・・・・)。ユーモアのセンス溢れる進行でした。
ステージに登場したのは、The Hanover Girl's Choir です。創立50年になろうとする女声合唱団で60名がステージに登場。国際的な活躍(CD、ラジオ、テレビ、コンサートツアーなど)をされているとのこと。日本にもコンサートツアーに来られたことがある合唱団です。その声は、やはり、すっきりとしたハーモニーの決まる方向のものでした。響きを細く鋭くまとめています。大人数であっても音楽は室内合唱的です。日本のありがちな力の合唱とは全く違います。「やはりここは本場だ・・」私は、これから始まるコンペティションを思い、わくわくしながら聴いていました。なお、この合唱団の指揮者であるGudrum Schrofel先生は、後のコーラススタジオで私たちを指導していただいた方でした。そして何と1997年の全日本合唱コンクールの審査員だったのです。
心配なことは、この会場の音響でした。余り響かない。翌日のステージリハーサルで響く工夫(立つ位置など)を考えなければ、と思いながら、演奏を聴いていました。
セレモニーの最後は、客席にいる16グループの紹介でした。司会者に紹介されるとその場に起立。すごい拍手を浴びます。聴衆全体が期待し楽しもうとしている。ひしひしと感じました。それにしても浴衣は好評。翌日の新聞にも浴衣姿の写真が大きく掲載されました。(下の新聞記事。右写真がメンバーの浴衣姿)

コンペティション前日のコンディション
オープニングセレモニーが終われば、次はいよいよ翌々日のコンペティション。それまでの調整が大切です。まず、眠れるか。私は、残念ながら、夜中の3時にパチッと目が覚めてしまいました。この現象はしばらく続きました。時差と緊張によるものでしょう。心身ともに強靭になりたいものです。
6月1日は、次のようなスケジュールを組んでいました。
・ 8:30 部屋にてパート練習
・ 9:30 寄宿舎ホールで全体練習
・11:20 モデオンでのステージ練習
この日は、14:00から、男声部門のコンペティション、20:00から、2つのコンサートが予定されていました。何とか午前中に目処をつけ、午後からはゆっくりと客席で・・・・・と考えていたのです。
朝食は、寄宿舎の食堂にて。何種類ものパン、何種類もの飲み物、何種類ものソーセージ、そして何種類ものチーズ。バイキングです。何か足りません。そう、野菜です。この朝食は、その後毎日同じメニューで続きました。それぞれがドイツの自慢の一品。ただ、野菜が・・・。3日目からは、スーパーでトマトなどを買い込んで、みんなで自己防衛に努めました。大きなトマトが1個30円足らず。安いでしょう。
練習は、なかなか思うように進みませんでした。声の立ち上がりに時間がかかリます。寄宿舎ホールはものすごい残響で細かいチェックができません。次第に勘を取り戻してきましたが時間が足りません。大舞台を前に私もみんなもナーバスになっていました。救いはモデオンのステージ練習でした。前日より、響きがいいのです。観客がいないというのも理由の一つでしょうが、それだけではありません。前日より客席が狭くなってる!客席の後ろ4分の1程の所に、板が天井までぴちっと張り巡らされているのです。そして、その板に反響していい響きになっているのです。これには感心しました。
午後の男声部門を少し聴き、私達は寄宿舎に戻りました。「もっと練習をしよう!」ということで。3時から外で練習。5時から、ホールで練習をしました。なかなかいい出来になりました。やはり、《EST》は、みんなで音楽的ないいものを時間をかけて確認していくための練習が必要なのです。この“追加練習”は、本当にかけがえのないものでした。若いメンバーが増えた過渡期の《EST》にとっては、みんなで励ましあい、音楽的なまとまりを作っていくために、たっぷりの時間が必要だったのです。以前(まだ日本にいるとき)、主催者に「練習をたっぷりしたいので会場を確保できないか?」と問い合わせたところ、「日本人ですねぇ。あさ、練習して、昼と夜は他の演奏を聞いて、おいしいビールでも飲まれて休まれてはいかが?」と返答(!)が帰ってきたのです。「そんなものかなあ」と思い、その気になってしまったのは甘かった。成熟した合唱団ではないのですから。
でも、あまりストイックにもなりたくないもの。夜は、民族音楽コンサートに出かけました。ハンガリー、ラトビア、そして日本から、アンサンブルプレイヤード。3つの団でのジョイントコンサートです。楽しかったです。松下耕先生率いるプレイヤードは、日本民謡ばかりのプログラムです。法被姿で「ウオッス!!」の掛け声でスタート。こてこての合唱に場内は拍手喝采。やはり男声合唱はエネルギーが命。あのすばらしい作品を次々と作曲されている松下先生も、気さくなお人でした。松下先生やプレイヤードの皆さんとの思い出は、また後で。
全員が揃ったのは深夜
さて、メンバーのうち、2人は、新婚旅行を兼ねています。別行動で、5月31日の夜、合流。飛行機が遅れ、電車も一本乗り遅れての到着です。もう一人は仕事の関係で、この日の深夜に到着です。やはり、飛行機が遅れ、空港からタクシーで2時間ほどかけてやってきました。女性ですので、メンバーが空港まで迎えに。
日本で当たり前になってしまった携帯電話。これって本当に必需品になってしまいましたね。ドイツでレンタル形態電話を1台借りていましたが、それでも不便でした。特に、時間どおりに合流できない時など、いろんな不安が頭をよぎります。
30名のメンバーがすべて揃いました。(実は、急性盲腸炎で1人不参加となってしまっています。)いよいよ翌日は、コンペティションです。
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2001.6.27
マルクトオーバードルフの思い出(4)
〜コンペティションは最高の出来
コンペティションのステージへ
6月2日は、コンペティションの混声の部。11団体がノミネートされていました(12団体のはずでしたが、オーストリアの団体が棄権)。出演グループを出演時刻順に、掲げましょう。
9:00 Phoenix Choir (ハンガリー)
9:30 Kammerchor Uman (ウクライナ)
10:00 Portland State University Chamber Choir (アメリカ)
10:30 休憩
11:00 Audite (フィンランド)
11:30 Vokalensemble Cantabile (ドイツ)
12:00 Vocal Ensemble "EST" (日本)
12:30 休憩
14:00 Aukappella korusu(トルコ)
14:30 Vladimir Chamber Choir (ロシア)
15:00 Ateneo de Mania College Glee Club (フィリピン)
15:30 休憩
16:00 San jose State University Choraliers (アメリカ)
16:30 Nordic Chamber Choir (ドイツ)
演奏制限時間は20〜25分。3団体ごとに30分の休憩です。ユーモラスな司会と盛大な長い拍手。日本のコンクールと比べゆったりと贅沢な時間感覚です。また、プログラムには、すべての演奏曲目の歌詞が、原語、ドイツ語訳、英語訳の3種類で掲載されています。したがって、プログラムは87ページにも及ぶりっぱなものでした。もちろん、各合唱団と指揮者のプロフィールは写真入りで1団体1ページを占めています。1週間の詳しいスケジュールなども含めて。客席にいると聴衆が歌詞に関心を持っていることが伝わってきます。日本との違いの一つでしょう。
さて、私達は、朝、寄宿舎で練習をしました。全員揃っての初めてのかけがえのない練習でした。集合するやアンサンブルトレーナーを中心に発声練習。積極的な歌いっぷりです。思えば、この日のために、一気に増えた新入団員達と共に、18曲というレパ−トリーを、臨時練習を組んでひたすら練習してきたのでした。《EST》創立以来の練習量でした。しかし、求めても求めても理想の音楽像は遠くにあり、近づけないもどかしさを感じた日々もありました。それでも、みんなで何とかここまで来ました。そしていよいよこの日。“絶対、いい演奏をするぞ”っと、気迫で、みんなひとつになっています。
マヌエル君の「リラックスリラックス」と私たちを気使うアクション。着替え兼リハーサルのための小部屋に案内されます。時間は50分。練習は正味25分くらいだったと思います。最後のチェック。緻密さを求めて、高い次元での完成度を目指して来ましたが、本番一回きりの演奏でできるかどうかの保証は誰にも出来ません。集中力を信じあうしかありません。25分間を最高のテンションで、しかも楽しむ余裕を持って臨みたい。みんなの覚悟は笑顔で表されていました。「みんなやろうな!」と。
ステージへメンバー達が出ていきます。私は一人一人に声をかけて送り出しました。舞台裏には私一人になりました。一瞬の孤独。音楽する前の一瞬の充実。平常心を確認。そして、「よし!!」。下っ腹に力を入れた瞬間、舞台では私の名を告げる大きな司会の声。そして扉が開かれ、ステージへ。大きな拍手です。本場の音楽を楽しむ方々の拍手の音は本当に暖かかった。(きっと手のひらも大きいのでしょう。)
本番はすごい集中力でした
本番の演奏曲は下の6曲でした。
1.「うた」より、“さくら” (武満)
2. Sicut cervus, Sitivit anima mea (Palestrina)
3.課題曲 S'io esca vivo (Lasso)
4.Ave Maria(Bruckner)
5.詞華抄2 (鈴木輝昭:現代合唱)
6.「おてわんみそのうた」より、“でんでれずんば”
“さくら”は、武満氏の名アレンジです。始めの4小節の pp → ff → pp の伸びやかな響きが命です。とてもうまく行きました。日本的なサウンドをたっぷり聴いていただいてのスタートです。テンポの間延びのしない、すっきりとした音楽を目指しました。それでいて深さとはかなさ、細やかさとあでやかさを音色に込めようと。最後のppも決まり、にこり。いいスタートです。
続いてルネサンス時代の作品。パレストリーナは、譜読みの簡単さに比べ、何とそこからが難しい!最後まで頭を悩ませました。本番はそつなくいい響きで演奏できましたが、この作品の本質はどこにあるのか。真髄まで行っていないような何ともスカッとしない気持ちでした。(しかし、その気持ちは、翌日、払拭されることになります。この話はまた後で!)
パレストリーナに比べ、ラッソの劇的な作品は私たちの感性にぴったりでした。みんなが大好きになった作品です。6声部のなかなかの難曲でしたが、気迫に満ちた流れのいい演奏でした。ルネサンス作品を原点としてきた《EST》の一つのいい姿を出すことが出来ました。この曲ですっかりステージ慣れした雰囲気になってきました。
ブルックナーは、本当に音の対する集中力が要ります。耳を心を研ぎ澄まし、一つ一つの音符を完璧なハーモニーで歌い進めていくのです。ロマン派はレパートリーとしては定着していませんが、音楽の放出力から行くと《EST》の持ち味になりうると信じてやってきましたが、見事に信頼にこたえてくれる演奏でした。最後まで、集中できる演奏でした。練習の苦労を考えると本当に名演だったと思います。
続いて、現代音楽。鈴木輝昭氏のこの作品は、ヘテロフォニ―、ポリフォニー、ロマン派的和声、現代的手法など、様々な要素を駆使し、不協和音も極めて和声的で官能的な美しささへ感じます。演奏もひたむきでしたが、背後に感じた聴衆のかもし出す空気は、とても暖かで集中し共感しているようでした。現代曲の演奏時に、日本ではなかなか感じることの出来ない、聴衆とのつながりを感じたのです。
さあ、最後の作品です。みんなニコっとして、雰囲気を変えます。早口言葉を題材にしたわらべ歌を三善先生流にアレンジされたとても楽しい歌、しかも、アクロバットつきです。25分間、緊張感の中で歌いつづけ、最後に大変パワーの必要なこの作品。練習では、ばてたような演奏になってしまうことが度々ありました。しかし、この曲でピシッと決まれば、必ずエキサイティングなフィナーレとなる!私もみんなも最後にかけて、精一杯この曲を歌い上げました。最後のfffも、すっきりと決まりました。
演奏は、終了しました。礼をするために客席の方を振り向こうとしました。その瞬間、ものすごい拍手です。何か叫んでいる声もします。礼をして、もう一度客席を見ると、あちこちで聴衆が立って拍手をしてくれています。すごい光景でした。ずっと、拍手の音は大きいままです。私はしばらく動けませんでした。「こんなに興奮してくれている!良かったんだ!ヨーロッパの聴衆に通じる演奏だったんだ!」
即、アメリカとポーランドから音楽祭への招待
私もメンバー達も興奮冷めやらぬ間に、着替えです。その真っ最中に、ドアがノックされました。「誰だろう?」と出て行くと、背の高いアメリカ人(みんな見上げるくらい背は高いのですが・・・)。名刺を見ると、≪International Choral Festival〜Music For The Millennium≫Artistic Director DONALD CAREY と書かれています。
なんと、音楽祭へのご招待だったのです。これは嬉しかったです。私たちの演奏を聴いて、「この団体はいい!」と思って、即、来てくれたのです。モンタナ州で、2003年7月に行われるということです。「往復飛行機代だけで、後はお金は要らない」と言ってくれてるようでした。
そこへ、割り込むように、もう一人。今度はポーランド人です。やはり見上げなければ話はできないほどです。名刺を見ると、≪Pomeranian Princes' Castle≫ Managing Director EUGENIUSZ KUS と書かれています。やはり、音楽祭へのご招待です。2002年5月に行われるそうです。
ポーランドの方は、翌々日にも、わざわざ寄宿舎まで来て、この音楽祭のことを語って行かれました。言葉の出来ない私は、本当に情けなかったです。「うれしい。ありがとう。」ばかり言っていました。あとは、頼れる英語の先生、メンバーの太田さんにお世話になりました。
「ラッソとブルックナーに涙が出た」
着替えが終わって外へ出ると、今度は、ラジオインタビューです。
「今日の演奏は良かったですか」
「はい、最高の演奏ができました。」
「このコンクール出場した目的は?」
「本場ヨーロッパの方々が私たちの音楽をどう聴いていただけるかを体験するためです。」
「日本の現代音楽を紹介する目的も合ったのではないですか?」
「その通りです。どう聴いていただきましたか。」
「よくわからなかったです。」
この返答にはちょっとがっかりでしたが、後から考えるに、わからないことは「わからない」という気質なのでしょう。ごく自然にニコニコと言われましたのですから。他にも、いろんな質問をしたときに「わからない」という返答は多かったですね。気負わず、本当のことをさらりとはっきり言う。いいなあ、と思いました。
さあ、お昼。テントは賑やかです。《EST》のステージが終わり、1時間の昼休みなのです。いろんな人々に話しかけられました。特に印象深いのは、古楽器のフルート奏者と名乗る、中年の女性の方です。1時間あまりかけてこのコンペティションを楽しみに来たと言うのです。
「ラッソとブルックナーが大変良かった。ブルックナーを聴いていたら涙が出た。」
と、大きな身振りを交えて。私はこの方を一生忘れないでしょう。嬉しかったです。
「伝統も考え方も違う東洋の私たちのブルックナーの演奏を、本場ドイツの方に心の底から共感していただけるかとても心配だっただけに、とても幸せです。」
と答えると、
「音楽を感じる心は、世界共通ですよ。」
と。
この方は、次の日のAltenstadtでの教会コンサートにも足を運んでくださったのです。なんとうれしいことでしょう。このように翌日の“教会での体験”は、コンペティションとは違った、音楽するものにとって最も幸せな体験が出来た、感動的なものでした。以下は、次回へ。
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2001.7.3
マルクトオーバードルフの思い出(5)
〜教会での演奏体験は最も幸せなひととき
6月3日は、かけがえのない日になりました。朝は、Irseeという町のKlosterkircheという教会で、私たちのためにミサを準備していただいたのです。たくさんの信者の方々が集まられた教会で、パイプオルガンのすぐそばで(つまり、上から)演奏させていただいたのです。
また、夜は、Altenstadtの St.Michael教会で、ウクライナの合唱団と共に、教会コンサートをさせていただいたのです。演奏の本当の意味をはっきりと感じることが出来、感激に涙するメンバーも。
朝は、教会ミサ
当初は、教会ミサに出席して、1曲か2曲歌わせていただくんだろうと思っていたのです。前日の朝、マヌエル君が「ミサでは何が歌える?」とたずねてきたので、モーツアルトのAve Verumを教会のオルガニストの伴奏でやりたい。後は、全部で6曲のレパートリーがある・・・」と答えたのです。「OK!」と言って、それっきり。いつものパターンです。結局、当日何を歌うのかもわからないまま、私たちは朝早くから、バスで移動です。
着いた教会は、とにかく大きい。そして、何百年という歴史の感じる古い石の建物でした。荘厳な雰囲気が漂っています。普段の馬鹿笑いもできないような・・・。みんな静かにパイプオルガンのある場所へ階段を上っていきました。見下ろすと、もう数人の信者の方々が、席に着かれています。
マヌエル君がプログラムを配ってくれました。そこには下のように書かれていました。
Pfingsten
Gestaltung: Vokalensemble "EST"
,Japan
Leitung: Herr Masao Mukai
3.Juni 2001, Irsee, 10.15 Uhr
| Einzung | Orgel | |
| Eingang | GL 245,S1+2 | Komm,Schopfer |
| Kyrie | ||
| Gloria | Chor | |
| Antwortgesang | Chor | |
| Halleluja-Vers | ||
| Credo | beten | |
| Gabenbereitung | Chor | |
| Sanctus | GL845 | Heilig,heilig,heilig |
| Agnus Dei | GL846,S3 | Gotteslamm |
| zur Kommunion | Chor | 2 Lieder |
| Danklied | Chor/Orgen | Ave verum |
| Schlusslied | GL 875,S3 | Schuldlos Geb. |
| Auszug | Orgel |
Chor と書かれた箇所が5箇所。しかも、一つは、2
Liederと記載されています。かくして、6曲全部を演奏できるのだということ、そして、この日のミサは、私たちのコーラスで進める特別なミサなのだ・・・ということがわかったのです!6曲の内訳は下の通りです。
1.Sicut cervus, Sitivit anima mea
(Palestrina)
2.Ave Maria (Janacek)
3.Ave Maria (Bieble)
4.Ave Regina coelorum (松下耕)
5. Ave Maria(Bruckner)
6.Ave verum corpus (Mozart)
パイプオルガン奏者の方と打ち合わせ、モーツアルトのAve Verumのリハーサルをしました。後は、10時15分の開始を待つばかりです。みんな、荘厳な雰囲気に飲まれて立ち尽くしています。建物全体、彫刻、絵・・・すべてが、宗教的です。張り詰める空気も、下に集まってみえる信者の方々も。その中で、私たちの演奏によって、ミサが執り行われ、信者の方々のとっての大切な時間となるんだ。そう考えると、コンサートとはまったく違った緊張感に呆然としてしまいます。きっとメンバー達も同じ思いだったことでしょう。
ミサは、パイプオルガンの大音響と共に、厳粛に始まりました。司祭の言葉はもちろんドイツ語ですのでわかりません。指揮のきっかけは、オルガニストの目配せが頼りです。そんな中、私たちは6曲の宗教曲をひたむきに演奏しました。1時間余りのミサでした。緊張と感激と我々の置かれた立場に、涙するメンバーも。後で聞くと、「私たちのようなつたない歌を申し訳なくって・・・・」と。
オルガンの演奏と共に、信者の方々が教会を出ていきます。私たちは上からそっと見ています。晴れやかな表情です。入ってこられた時の深刻な空気とは対照的です。神の存在を我々の演奏で確認されたのでしょうか。そんなことをおこがましくも思ってしまいました。宗教曲の演奏の本当の意味をつかむことが出来ました。作曲者達は、何百年の間、このために書いてきたのです。千年もの間、信者達は、教会へ来ては、建物に、彫刻に、絵に、音楽に、神の存在を確信し、祈りをささげてきたのです。この日の信者の方々も、紛れもなくその歴史を受け継いでいく方々です。その方々に私たちの音楽を聴いていただいたのです。私たちは宗教曲の演奏の本当の意味をつかむことが出来たのです!
お昼はご馳走に
ミサが終わり、案内されたのは、食堂です。教会の方々のお計らいで、昼食をご馳走になったのです。白ビールに黒ビール、焼きたてのパンに、チーズ、そして、作りたての大きなソーセージ。これがとっても美味!!ワイワイと楽しくいただきました。
最後に、お礼の意味を込めて、「おらしょ」(千原)を演奏しました。カクレキリシタンのお話を少しさせていただいて。ビールが入っていたため、音楽の出来は?でしたが、とても喜んでいただきました。とても、暖かい、すばらしい時間をいただきました。
最後に、もう一度、教会の前で、いっぱい写真をとり、Irseeを後にしました。たった数時間でしたが、一生忘れられない経験をさせていただきました。これからの音楽活動の大きな礎となるに違いない体験でした。
夜は、教会コンサートで、予期せぬ感動
夕方は、この日のメインイベントである、教会コンサートの会場に向かいました。Altenstadtの St.Michael教会は、比較的新しい教会のように思えました。今度は、聴衆の前で、つまり、祭壇に上ってのコンサートです。最高の響きです。リハ―サルからもうみんな感激です。「無理せず、自然な発声でpの表現を大切に!」と指示しながらの練習でしたが、口で言うより先に、みんなこの響きを味方に、どんどん倍音を鳴らしてくれます。教会音楽はこういう響きに包まれて歌われていたんですね。すべて納得です。嬉しい気持ちで、練習を終えました。《EST》にとって、響きのいい空間は、何にも代え難い贈り物なのです。
このコンサートは、《EST》と、ウクライナのKammerchor Uman とのジョイント形式です。《EST》は、前半40分の時間をいただき、下記のプログラムで演奏しました。
1.Ave verum corpus (Mozart)
2.Ave Maria (Janacek)
3.Ave Maria (Bieble)
4.Ave Regina coelorum (松下耕)
5. Sicut cervus, Sitivit anima mea (Palestrina)
6.「おらしょ」より、U (千原)
7. Ave Maria(Bruckner)
8.さくら(武満)
9.赤とんぼ(信長)
さあ本番です。朝と同じような感動が体中に充ちてきます。教会は、溢れんばかりの聴衆で立ち見の方もお見えでした。拍手は一切なしです。(始め、礼をしてしまい、拍手が来てしまったのですが、本来は、拍手なしですね。)静かな満ちたりた空間の中、私たちの音楽だけが高い天井まで響いていきます。みんな感動しているのがわかります。やはり、涙ぐむメンバー。私は、音楽に集中しながらも、そんなメンバー達の表情をしっかり胸に刻んでいました。私たちの音楽活動が今、この瞬間、確かに花開いている!
特に、BibleのAve Mariaは、先唱(福本君、瀬川君)や3重唱(高木さん、中村さん、稲垣さん)があるのですが、天からの響きのように聴こえ、感激しました。合唱も、響きに任せて夢心地で演奏しました。また、Sicut cervus, Sitivit anima mea
(Palestrina) も、この響きの中では、何の苦労もなく、豊かに音楽できました。
昨年、不慮の死を遂げたメンバーのことも思い出していました。この教会の高い天井の上に、彼の存在を想いながら、自分の中に溢れてくる気持ちを全身で彼に送り続けていました。
「おらしょ」の前に、英語で解説。それを司祭さんがドイツ語で教会の聴衆にお伝えしていただきました。日本の作品と言うことで、とても興味深く聴いていただきました。そして、ブルックナー。前日のコンペティションで、後から「ブルックナーの演奏に涙が出た」と話してくれた古楽器のフルート奏者と名乗る中年の女性の方が、なんとこの教会コンサートにも駆けつけてくれてるのです。本当に嬉しかったです。感謝の気持ちを込め、演奏しました。後から、喜んでいただけたのはもちろんのことです。
アンコールに用意しておいた「さくら」「赤とんぼ」が、プログラムに3ヶ国語で歌詞まですでに載っています。手違いなのですが、そこは、うまく太田さんが司会をしてくれました。和やかな雰囲気で2曲を。最後は、大きな拍手で祭壇を降りました。拍手をする方々の顔がすばらしく明るいのです。「大成功だ!」と確信が持てました。ところが、その後すわるつもりで取ってあった席が、予想外のたくさんの聴衆が詰め掛けたため、埋まっています。どこに座っていいかわからないまま、拍手と視線を浴びながら、席を探しながら一周してきてしまい、再び祭壇へ。これには、聴衆もヤンヤヤンヤの大喜びでした。結局、隅のほうへ案内され、一件落着。主催者の方々も笑っています。おおらかと言うか何と言うか・・・・すばらしい方々です。
さて、後半は、ガラッと雰囲気を変え、ウクライナの演奏です。一曲聴いただけで「すごい!」と思いました。ローベースが下のドの音(C音)をものすごい響きで支えます。あんなすごいベースは初めてでした。演奏にも、お国の宗教曲ということで、確信に満ちた姿がはっきりと表れていました。Stetsenko, Leontovitch, Tschaikowsky, Rachmaninoff, Tschesnokov, Yatlo, という作曲家が並んでいました。ロシア正教の作品がほとんどでしょうが、ドイツの聴衆は、どのように感じられたのでしょうか。最近、ローマ法王がウクライナへ行かれ、ロシア正教から非難のコメントが出されたりしています。しかし、音楽ですから、その点は聴衆に不快な印象はなかったですね。ただ、同じような曲が重々しく何曲も続き、やや、飽きてくる気がしました。20世紀の作曲家の作品も多い中、斬新さを感じることはあまりなく、お国の作曲事情かと少し幻滅しました。ただただローベースの響きにすごさを感じながら・・・。
思っても見ない感動のシーンがやってきました。ウクライナの合唱団が拍手を浴びながら会場を後にし、コンサートが終わったと思った瞬間です。聴衆がみんな立って、私たちのほうを向いて拍手を続けているのです。その拍手はだんだん大きくなっていきます。ただの惜しみない拍手ではありません。主催者側に視線を送ると、「アンコールだよ。」とボディーアクション。メンバーも、びっくり。このまま帰るわけには行かず、嬉しい悲鳴をあげながら、また祭壇に立ちました。(3度目です!) Si'o esca vivo を演奏しました。また涙を流すメンバー。この感動の演奏は、私たちの脳裏に一生残ることでしょう。
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2001.7.5
マルクトオーバードルフの思い出(6)
〜松下耕先生率いる『プレイヤード』の方々と楽しい旅行
6月3日は、前述のように、朝と夜に教会で演奏出来たのですが、昼は、ノイシュバンシュタイン城へ行くことが出来ました。楽しい旅行でした。合唱団冥利に尽きる(?)経験もしました。作曲家松下先生や、同じ日本代表の男声合唱団『アンサンブル・プレイヤード』の皆さんとずっとご一緒できたことで、楽しさは倍増されました。
バスの中は賑やかに
Irseeの教会でお昼をご馳走になり、一旦Modeonに帰るや否や、バスに松下先生と『プレイヤード』のメンバーが加わりました。2つの団合同で、ノイシュバンシュタイン城へ旅行しようというのです。(これもいきなり決定!)『プレイヤード』は、朝、Modeonの大テントで、お祭りコンサートをいくつかの合唱団とされたとか。その余勢を買って、ものすごく元気です。バスの中でも、テンション高く、何曲か歌ってくれました。我々はどちらかというと圧倒されていました。夜にコンサートが控えていることと、少々、旅の疲れも出始めていたのかもしれません。
『プレイヤード』に同行されてた、ミュンヘン在住のオペラ歌手、田中泰二さん。彼には本当にお世話になりました。バスガイド役に始まり(彼のガイドは本当に面白かったです)、ノイシュバンシュタイン城へのチケットをスムーズに取っていただいたり、お城の中でも、ずっと解説をしていただきました。おかげで、旅を何倍も楽しむことが出来ました。ドイツでの生活ぶりやご苦労など、大変いい話もしていただきました。
さて、「松下耕先生が、あんな気さくな方だとは思わなかった!」というのが、今も《EST》のメンバー達の口から共通に出る言葉です。日本の合唱界をリードされている方ですが、楽しいムードつくりもしっかりリードされていました。長身でカッコよく、たちまちミーハーな女声メンバーに囲まれていました。
ノイシュバンシュタイン城で歌った!
ディズニーがシンデレラ城のモデルにしたといわれているこのお城。19世紀に18歳でバイエルン国王に即位したルードヴィヒ2世が情熱と国費を注ぎ込み、17年の月日を費やして建てられました。断崖の上であるため、建築には困難を極めたということです。城の名はワーグナーのオペラ『ローエングリン』の白鳥伝説に由来し、名前のとおり白亜の城は中世のおとぎ話に出てくるような美しさです。場内はオペラの場面を描いた壁画で埋め尽くされています。
この旅行でも、2回歌う機会に恵まれました。一つは入場までの待ち時間です。《EST》の女性陣が、「松下先生の前で、Ave Reginaを歌おう!」と提案。松下先生は大喜びです。お城の前で、歌うことになりました。この曲は、松下先生の代表的な女声によるモテットで、海外で大変評価された作品。私たちは、喜びと緊張の混じる中、一生懸命歌いました。うらやましそうに見守る男性陣。後ろの壁に響いて多少の音響効果はありましたが、テンポはやはり速めになってしまいました。それでも、終わった瞬間、先生は体中で、拍手してくれました。作曲家の前で演奏できた喜び。しかも、場所が場所だけに、忘れられない思い出です。
もう一つは、お城の中の最も豪華な“王座の間”でのことです。田中さんのお計らいでしょう。特別にコーラスしてもいい、と許可をもらってくださったのです。《EST》は、Sicut cervus (Palestrina) の前半を演奏しましたが、お城の美しさと極上の響きに感激しての演奏です。もう最高でした。「パレストリーナは、こういうときに歌うものなのだ!」と、この日は朝昼晩と3回しみじみと思えたのです。
それにしてもみんな元気です。買い物に、写真に・・・。『プレイヤード』の方々や松下先生との写真もいっぱい取っていました。すっかり仲良くなった両団。すでに、「ジョイントコンサートをしよう」と若いメンバーの間で!これ、実現しないかなあ。
メンバーの仁階堂氏と。彼は、すごいテノールですが、一方でいくつかの合唱団の指揮もされ、日本合唱指揮者協会にも最近所属されました。このコンペティションで考えさせられることが多かったね、という話に始まり、短い時間でしたが、友情を暖めることが出来ました。「日本を我々の世代が変えていかなければ」という気持ちで一致。これからのお互いの活動を応援しながら、コンタクトを取り合っていけそうです。7月末の宝塚国際室内合唱コンクールにも彼の団体が出場するということで、彼との再会が楽しみです。
集合時間より少し早くバスの待つ所へ。そこでは、どこかのヨーロッパの合唱団が帰るところでした。お城に向かって、合唱を始めました。とても美しい合唱でした。世界中のメンバーと繋がっている。思いは同じ。私は、「ブルックナーに涙が出た」と誉めていただいたあの中年の女性の笑顔を二重写しに、この合唱団が帰っていく後姿をいつまでもぼんやりと眺めていました。
以上のような楽しい旅行を挟み、この日は、朝から晩まで、本当に密度の濃い1日でした。コンクールとは違った、コンクールを超えた音楽体験。《EST》の豊かな財産ができました。
ギリシャ人のマスターと
この日のことをもう一つ。朝昼晩と感動を味わい、このまま眠ってしまうのがなんとなく惜しいなあと思っていたら、若いメンバー2人から、「飲みに行きましょう。」と。行動派の2人。前日からいい飲み屋を探しておいたとのこと。
とにかく、着いていきました。マルクトオーバードルフの町は静かな町です。夜こっそりと3人で入った店は、ギリシャ人夫婦が経営していました。お酒の名前もさっぱりわかりません。全部ギリシャ語だったからです。何とか言うお酒と、デザートのようなものを注文しました。お酒はものすごく効き、デザートはものすごく甘かったです。ふっと合唱から離れた時間を持て、疲れも癒されていくようでした。最後に、“詞華抄”の楽譜を見せ、歌詞を読んでいただきました。(“詞華抄”の歌詞は、古代ギリシャ詩人サッフォーによるもので、古代ギリシャ語で書かれています。)サッフォーについては知らないといっていました。世界的に有名なギリシャの詩人を何故ギリシャ人が知らないんだろう・・・・。もしかしたら、古代ギリシャは今のギリシャとは民族的に関係がないため、自国の詩人という認識がないのかなあ。
今回は、レジャーの巻でした。次回は、コーラススタジオ、そして、民族コンサートについてです。では。
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2001.7.7
マルクトオーバードルフの思い出(7)
〜コーラススタジオ、そして、民族コンサート
6月4日は、朝は、コーラススタジオ、夜は、民族音楽コンサート出演。前日に引き続いて、実り多い1日でした。考えてみると、よくこなしたと思います。疲れも出てきました。同時に、もうすぐお別れだという寂しさも。世界のメンバーとも交流を深め、イベントの多彩さ以上に、この町への思い入れや友情が深まっていくのを感じる日々。幸せ飽和状態とでも言いましょうか。
コーラススタジオは、繊細な音楽作り
コーラススタジオは、San jose State University Choraliers (アメリカ)、Aukappella korusu(トルコ)、そして《EST》の3団合同で、指揮者Gudrum Schrofel先生のご指導のもと、ブラームスの四重唱曲2曲を勉強しました。
Gudrum Schrofel先生のご指導は、とてもシステマティックで、メモリが細かく、効率のいい声作りと、飽くなきブラームスへのこだわりが感じられるすばらしいものでした。私は、京都の本山先生がドイツで合唱指導法をマスターされたことを思い出しました。よく似ているのです。私自身、本山先生の指導方法を参考にしながら、日々の合唱に勤しんでいますから、Gudrum Schrofel先生がとても身近に感じられました。加えて、アイデアの広がりという点でもとても参考になりました。途中の休憩で、《EST》のメンバーが「向井先生のやり方と似ている」と言ってくれたときは、思わずニヤリ。
ブラームスの曲作りのこだわりには、やはりお国の血を感じました。歌詞のイメージを一生懸命話されていました。アゴーギク、フレージングなどへは、歌い手の理解を超えるこだわりもみられ、やりにくそうでした。特に、アメリカの男声陣は、先生の音楽性を受け入れないようなところが見られました。《EST》の男声陣は、そこに不満を抱いていました。これも、国民性でしょうか。とにかく指導者の音楽性に共感しながら表現を試みる日本人と、自分はこう表現したいということを出してしまうアメリカ人。これでは、短時間のご指導で、繊細な表現を作り上げることは出来ません。休憩時にSchrofel先生は、アメリカの合唱団の指揮者に、不満を漏らしていました。アメリカの男声陣は、「あの先生は面白くない」などと言っていたようです。思わぬ障害です。もっともっとSchrofel先生から学べたはずです。しかし、そんなご苦労も含めて、私には勉強になりました。指揮者のあるべき姿、苦悩、それを乗り越える音楽的確信・・・。いろんなものを頭に刻むことが出来ました。
Schrofel先生は、日本のコンクールを審査された時、こんなことを言われています。「もっといろいろな様式、バロック以前、バロック、ロマン派など、また日本の民謡などをバランスよく取り入れることが必要です。」「たとえいい演奏をしても、指示されたテンポと全く違っていたなら、これは間違った解釈といえます。そのような団体が1位をとるということは大きな問題です。」「楽譜に書かれたことを忠実に守り表現できていた団体、音楽的に興味深い解釈をした団体、ハーモニーに柔軟性のある団体、アゴーギクのある団体、情熱的で表現が豊かな団体に注目しました。」 これらのご意見を自分自身の精神に刻みながら、演奏者として、また演奏を評価する立場の時も、しっかりしなくちゃ、と襟を正しました。
フュッセンのノイシュバンシュタイン・ミュージカルシアター
民族音楽コンサート(Internationale Folklore-Gala)は、Aukappella korusu(トルコ)、Ateneo de Mania College Glee Club (フィリピン)、San jose State University Choraliers (アメリカ)、そして《EST》の4団体で催されました。場所はノイシュバンシュタイン・ミュージカルシアター。ドイツで一番大きなミュージカル専門の劇場で、まだ出来上がったばかりということで、私達は、わくわくしながら向かいました。前日の小旅行が楽しく思い出される中、ノイシュバンシュタイン城のすぐ近くの会場に到着しました。
確かに、すばらしい建物でしたが、ここで私達は「聞いてないよー」という場面に遭遇し、演奏前の気持ちの集中が出来なくなってしまいます。まず、舞台設営が30分押している、着替えは男女一緒の舞台裏を区切っただけの場所、そこで各団体が自由に練習・・・・・等、そういえばミュージカル歌手ならそうなるのかな、と思うような境遇が与えられたのです。これでは集中したリハーサルは出来ません。しかも、それでも気を取り直して練習しようと、浴衣・法被に着替えた後、“さくら”を歌い始めると、そばにいたフィリピンの団体がそばにやってきて「写真をとろう!」と。練習どころではありませんでした。頼みの綱のステージ練習も、30分といわれていたのに、指揮台に立った瞬間、「15分で・・・・」といとも簡単に。しかも、ものすごく広いステージにぽつんと固まって立っている感じです。音響もうまくつかめません。照明で客席も見えません。何もかも欲求不満に終わり、残された時間は、合同ステージの練習です。それも、ミュージカルの要素を入れた一つのショーのようなものにしようという意図があったようです。簡単な輪唱なのですが、《EST》とアメリカの合唱団は歩きながら歌います。トルコとフィリピンは、客席の後ろから、ステレオ効果で歌います。広い会場なので、時差がありうまくいきません。それでも、照明や舞台設営で、ショーとしては楽しく仕上がりました。しかし、歩く練習より、歌う練習に時間を使いたかったです。
本番は豪華な舞台で
本番、前半は、Aukappella korusu(トルコ)とAteneo de Mania College Glee Club(フィリピン)のステージです。私達は客席で見ることが出来ました。まず、大きなスクリーンに、トルコの風景でしょうか。そこに、天井から、気球が下りて来ます。そこには、司会者が2人乗っています。気球で世界旅行というシチュエーションです。演奏中もずっと気球はステージ上です。2人の司会者は、ずっと見えるところにいたわけです。しかも、気球はステージ上を動いています。完全にショーです。そして、幕間には、ミュージカル歌手が出て来てマイクで歌います。ま、聴衆は喜んでいましたが、なんか複雑な気持ちでした。
さて、私たちのステージですが、お互いに聴きあえない広いステージでの演奏。度胸が入りました。心臓に悪かったですが、みんな一生懸命歌いました。何といってもかけがえのないドイツでの最後の大舞台。いい演奏をしなくては!という気合の入ったステージでした。プログラムは次のとおりでした。
1.「うた」より、“さくら” (武満)
2. 詞華抄2 (鈴木輝昭:現代合唱)
3.「おてわんみそのうた」より、1,2,5 (三善)
4. 赤とんぼ (信長)
5.「五つの日本民謡」より、“ソーラン節”(三善)
民族音楽とは言えない、現代音楽の『詞華抄』ですが、拍手は大きかったです。現代的なサウンドに対する熱狂的な拍手は日本のコンサートでは味わえません。ドイツ人の耳は進んでいます。また、“赤とんぼ”に対する反応もものすごかったです。アレンジも素敵なのですが、こういう曲が受けるようです。日本的な美しさ溢れる曲。繊細な表現が生きる曲。《EST》の持ち味かもしれません。
最後の合同ステージは、私はステージ下手のところから見ていました。お客さんの姿もよく見えました。動きのあるステージは、楽しいものです。みんな得意ではなさそうでしたが、楽しくやっていました。これも、いい経験、いい思い出となりました。
照明や企画に凝りに凝ったこの日のステージ。主役がお客さんであることに徹した企画だということが、本番を終えて気付きました。企画の意図等の打ち合わせが事前にあれば、もっと落ち着いて本番を迎えられたのに・・・・・・と若干の複雑な気持ちを残したまま、会場を後にしました。しかし、写真写りはすばらしいですよ。近々、HPに公開します。
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2001.7.21
マルクトオーバードルフの思い出(8)
〜最終日は、審査発表とファイナルコンサートなど盛りだくさん
6月5日。とうとうコンペティション最終日を迎えました。この日は、スケジュールいっぱい。まずは、9時から、昨日から引き続いてのコーラススタジオ。ブラームスの仕上げです。お昼を挟み、14時から、各コーラススタジオで勉強した曲の発表会です。続いて楽しみな審査発表。17時から、1位から3位までの団体の記念演奏会。18時半から、ビュッフェでのディナー。20時半から、全団体5分ずつのファイナルコンサート。
地方での様々なコンサートを終え、たくさんの友情を育み、一回りも二回りも大きくなった世界のメンバー達がModeonに集まってきます。その熱気は、大変なものです。お祭りのような楽しさです。Modeonのロビーでは、終わったばかりのコンサートやコンクールのCDがすでに販売されています。ビデオの予約も。《EST》の演奏も、CDやビデオになって販売されています。そして、写真も、たくさん貼ってあります。ちょっとした朝市のように我先にと購入で賑わっていました。私もたくさん買いました。値段も日本の半額以下なのですもの。
審査発表
そんな中、審査発表も、お祭りの一環という雰囲気。コーラススタジオの発表会の後、午後3時、1週間かけて審査されたものがいよいよ発表です。ぎすぎすした雰囲気は全くありません。もうみんな仲間なんです。仲間の検討を称えようとみんな発表を待ち望みます。相変わらずのユーモアたっぷりの3人の司会(ドイツ語、英語、ロシア語)のもと、いろいろな方のご挨拶の後、男声部門から、発表です。
Internationales Niveau(Performance at an
international level)、Leistungsstufe III - international gut(Achievement Level III - good performance
at an international level)、 Leistungsstufe II - international sehr gut(Achievement
Level II - very good performance at an international
level)、 Leistungsstufe I - international hervorragend(Achievement
Level I - excellent performance at an international
level)の順に発表されました。つまり、「国際的な団」、「国際的にいい団」、「国際的に非常にいい団」、「国際的にすばらしい団」、です。男声部門には、5団体が参加。日本の『アンサンブル・プレイヤード』は、「国際的に非常にいい団」にランクされました。そして、3位です。松下先生もメンバーの皆さんも大喜び。私たちも自分達のことのように大きな拍手をしました。
さて、混声部門。11団体が参加。「国際的な団」に2団体、「国際的にいい団」に3団体、まだ《EST》の名前は出てきません。「国際的に非常にいい団」が発表されていきます。横には、マヌエル君が座って、言葉のわからない私のために、実況中継してくれていますが、その彼が興奮しています。《EST》が、「国際的に非常にいい団」に選ばれた瞬間です。実は、《EST》のメンバーはコーラススタジオの発表会の後、ステージの上で座ったまま(そこが指定席だったのです。)、つまり、客席にいる私とは離れたところにいたのです。マヌエル君や私と一緒に客席で喜び合いたかったことでしょう。場所が場所だけに、上品に喜びを表していました。『プレイヤード』の皆さんからも惜しみない拍手をいただきました。結局、「国際的に非常にいい団」に3団体、「国際的にすばらしい団」にも3団体選ばれました。そして、1位は、Ateneo de Mania College Glee Club (フィリピン)です。この団体の演奏は、客席で聴かせていただきましたが、お国の現代音楽で鳴り物入りのパフォーマンスを見せ、客席からはその面白さに笑い声が漏れ、演奏が終わった瞬間、すごい歓声と立ち上がっての拍手に包まれたのです。そのインパクトの強さが、そのまま、審査でも最上位に選ばれたのです。いつまでも会場は、大変な拍手です。
続いて、特別賞の発表です。いきなり、私の名前が呼ばれました。あまりの意外さに、そして、言葉があまりわからないために、マヌエルの方に「一体、何?」と聞くと、「とにかく立って拍手を受けろ!」と言っています。実は、PRO MUSICA VIVA ・ MARIA STRECKER -
DAELEN - PREIS fur beste dirigentische Leistung
zur Interpretation eines zeitgenossischen
Chorwerkes (Conductor´s prize for the
best interpretation of a contemporary work)という賞を、私が受賞したのでした。「現代音楽の解釈における最優秀指揮者賞」。これには、本当にビックリしました。「詞華抄」の演奏が評価されたのです。昨年から1年間かけて育ててきた曲です。作曲家の鈴木先生にもレッスンしていただいた曲。宝塚国際合唱コンクールでも総合1位をいただいた曲です。「本当にいい曲、いい作曲家に恵まれたなあ。そして、この曲の魅力を信じて、よくメンバーが歌ってくれたなあ。」と、感激に浸っていました。言うまでもなく、この賞は《EST》全員の賞です。
表彰式では、各団体の指揮者がステージに上がっていきます。どの国の指揮者も派手なステージマナーです。松下耕先生も国際的な雰囲気を発揮していました。私は・・・・・?? (後から、「はしゃいどったね」とメンバーに言われてしまった。) しかし、最優秀指揮者賞の表彰の時はその賞の重さをひしひしと感じました。「今度ドイツに来る時はドイツ語をしゃべることができるようにしてきてください。」と言われてしまいました。
なお、詳しい審査結果は、ここをクリックしてください。
記念演奏会
3位の団体は1曲、2位の団体は2曲、1位の団体は3曲披露されました。3位のPortland State University Chamber Choir(アメリカ)は、初めて聴きました。演奏された“Water Night”(Whitacre)は、霧がかかったようなppの美しさをバランスよくかもし出していました。絶妙のアンサンブルです。ひとりひとりの声が完全に溶け合っています。すっきりとしたアメリカの発声の理想を聴かせていました。繊細で緻密なハーモニーが永遠に続くかのような美しい演奏でした。
2位のNordic Chamber Choir(ドイツ)は、この時の演奏もさることながら、私はコンペティションの時の完璧な演奏が忘れられません。プロだと思いました。1人1人のシンガーとしての資質がものすごく高く、ノンビブラートでハーモニーを完璧に決めていきます。しかも、美しい音色です。どんな表現も破綻なく安心して浸ることのできる演奏でした。《EST》の目標となる理想の姿を見るような気がしました。
1位のAteneo de Mania College Glee Club(フィリピン)は、先ほども書きましたが、非常に積極的な聴衆を喜ばすことのできる演奏でした。Pamugun(Feliciano)、Awit ni Solomon(Estrada)の2曲は、何回聴いても、やはり大受けです。グリッサンド、手拍子、口笛、地声の叫び声、どれも半端ではなく、リズムパートはどんどん音楽を前に運んでいきます。西洋音楽の伝統から開放されたところで現代音楽を作曲しているフィリピンの作曲事情を垣間見た気がしました。西洋の曲にはない斬新さが受けたのかもしれません。
これら3つのグループのプロフィール
Ateneo de Mania College Glee Club(フィリピン)は、80年の歴史を誇る大学の合唱団。大学生とそのOBで構成されています。昨年はイタリアとスロベニアでの国際コンクールで1位受賞。世界中をコンサートツアーされています。
Nordic Chamber Choir(ドイツ)は、オーディションで選ばれた国際的な若いシンガーで構成されています。いわばセミプロ。松下先生も、自分のよく知っているギリシャの歌手がいる、と言ってみえました。5年前に結成され、たくさんのCDをリリースしています。海外コンサートもされています。
Portland State University Chamber Choir(アメリカ)は、大学の合唱団。エストニアやギリシャやスペインでのフェスティバルに参加されたり、現代アメリカ作曲家の作品のCDを出したりされています。
このように「国際的にすばらしい団」を受賞された団体は、すべて、すでに国際的なグループでした。構成メンバーも若く、毎日練習できる環境にあります。そのことを考えると、一般の、週に1度しか練習できない《EST》が、その次の賞に選ばれたことは特筆すべきことなのかもしれません。
フィンランドの巨匠エルッキ・ポホヨラ氏
夜のファイナルコンサートまでの間、いろんな方々が話し掛けてくれました。「おめでとう」「ありがとう」の連続。その中で、世界的に有名なフィンランドの指揮者エルッキ・ポホヨラとお話できたことは、一生の思い出となりました。ポホヨラ氏の著書で松原千振氏の訳された「世界をつなぐ歌の橋」(音友)は、私の愛読書ですが、ご本人に声をかけられるとは思っても見ませんでした。フィンランドの作曲家の話になりましたが、上がってしまい、どうしても“マデトヤ”の名前が出てこず、恥ずかしかったです。
アメリカの合唱団の若いメンバーとも。彼はオーケストラの指揮をタングルウッドで勉強しているとか。「マーラーが好きだ」と言っていました。何年か後に、彼の顔をテレビで見ることになるでしょうか。
フィリピンのメンバーたちが、「楽譜が欲しい」とやってきました。“赤とんぼ”と“詞華抄”です。ウクライナの方も。代わりに、Pamugun(Feliciano)、Awit ni Solomon(Estrada)の楽譜をいただきました。いつか演奏したいと思っています。
ビュッフェでのディナーは、本当に豪華でした。おいしいビールに出来上がりつつあるメンバー達もいます。しかししかし、ファイナルコンサートが待っています。本当に最後の演奏となるこの機会に、私たちが選んだ曲は「赤とんぼ」でした。
ファイナルコンサート
一般のお客さんも満員。いよいよ、最後の全団体の演奏会です。演奏順はどのように決められたのかよくわかりませんが、まずトルコの団体だったと思います。この団体を聴くのは、コンペティション、民族コンサートに続き、3度目でしたが、胸を締め付けられるような悲しい曲が多いです。今回もそうでした。トルコの歴史なのでしょうか。続いて、“プレイヤード”が演奏しています。松下先生の力強い指揮のもと、日本民謡を元気よく。どの団体も演奏が終わると客席を通って、退場するのですが、惜しみない拍手が会場いっぱいにあふれます。
《EST》の順番が回ってきました。楽しい司会の下、すごい拍手で迎えられます。にぎやかな曲が多い中、「赤とんぼ」をしんみりと歌い上げました。4番はとてもゆっくりのテンポでひたすらpp。会場は、水を打ったように静かに聴いてくれました。演奏していてとても気持ちいいですね。お祭りで興奮していても、しんみりした感情を聴衆がきちんと受け止めてくれている・・・。そして、演奏が終わると、ものすごい歓声! 最後の拍手はいつまでもいつまでも、私たちが客席を歩いて退場するまで、同じ大きさで続いていました。しばらく司会者がしゃべれなかったほどでした。こうして、感動の頂点の中、マルクトオーバードルフでのすべての演奏が無事終了したのでした。
大テントは最後の大フィーバー
ファイナルコンサートの興奮冷め遣らぬまま、たくさんのメンバーが大テントで踊りまくっています。私も汗をかきかき踊りまくりました。《EST》のみんなも、世界のコーラスメンバーも、ボランティアの方々も、町のお客さんも、狂ったように踊りつづけます。すっかり仲良くなって、大テントの中は大変な状態です。マルクトオーバードルフでの最後の夜は、理屈なしでエネルギーの限り楽しみました。言葉の壁なんて存在しません。みんな、ずっと前からの仲良しのように、同じ気持ちで存在していました。残念ながら私は途中でリタイヤして宿に帰りましたが(それでも深夜12時は超えていましたが)、この大フィーバーは一体何時まで続いたのでしょうか。
こうして、マルクトオーバードルフでの日々は、終わりました。すごい経験をしました。思っても見ない評価をいただきました。夢であった海外での演奏は、夢以上のすばらしいたくさんの贈り物を心の中にいただいて、めでたく終了しました。世界の合唱団は、もう二度と集い合うことはないでしょうが、それぞれが、未来に目を向けて、お国へ帰っていきます。(コンサートツアーに向かう団もあります。)我々は、6月6日早朝、マルクトオーバードルフのかわいい町並みを後にしました。さようなら、たくさんのすばらしい体験をさせてくれたかわいい町よ。
マルクトオーバードルフ国際室内合唱コンペティション 審査結果
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