2000.6.16

JCDA日本合唱指揮者協会の機関紙「CONTAKT」




 JCDA日本合唱指揮者協会は、年に3〜4回の機関紙発行を行っています。“コンタクト”と名づけられたこの雑誌は、役員の挨拶に続き、リポート・コーナー、事業報告、事務局からのお知らせ、新譜お薦め情報、後援演奏会のお知らせ、事業案内、新入会員紹介・・・・等が掲載され、後は、いろんな会員のレポートという構成になっています。合唱界の様々な情報や、有識者や作曲家、そして指揮者の方々のお考えが、身近に感じられ、いつも楽しみに、届くのを待っています。そんな“コンタクト”に、私のレポートが載ることになりました。下記に、ご紹介します。

各地の便り

 私は、三重県で活動している、Vocal EnsembleEST》の音楽監督をしております。個性的なアンサンブルグループを目指して8年。なんとか、軌道に乗ってまいりました。「ルネサンス時代の音楽を原点に、世界中の音楽を歌いつづけよう」を合言葉に、毎年テーマを決め、自主コンサートを開催し、また、宝塚国際室内合唱コンクール出場を続けています。

 幸運な事に、海外の団体ともジョイントコンサートを何回かする事が出来ました。また、協会暦コンサート(合唱指揮者協会主催)や、東京カンタートのサテライトセミナー(音楽樹主催)にも参加させていただき、たくさんの刺激を受けました。

 地方で活動する合唱団の成長に欠かせないものは、何でしょうか。私は、やはり、毎年、いろんな刺激を受けつづけることだと思います。2つ目には、指揮者自身が毎年新しくなりつづける事。そして、最後は、聴衆に対する、また、初心者に対する眼差しを持ちつづけることでしょうか。

 特別編成合唱団を組み、グアムでコンサートを催しました。聴衆の熱狂振りは、一生忘れられない体験となりました。7月には、グアムのアカペラグループが来日し、《EST》とのジョイントコンサートが決まっています。

最近、小さな町への演奏旅行を行いました。素朴な歓迎振りが、大変楽しい思い出となりました。定期コンサートの再演をしたわけですが、演奏の新たな可能性を発見でき、実り深い体験でした。

 日々の活動では、マイクを持ってのアカペラコーラスや少人数グループでのマドリガルなども取り入れ、楽しんでいます。打って変わって、世界に発信する日本の現代合唱への取り組みなど、新たなレパートリー作りにも励んでおります。なるべく、バランスよく貪欲に・・・・・。その延長線上に、海外演奏を置いて、夢は膨らみます。

 協会員の皆様のご活躍ぶりは、本当に励みになります。見えてなかったものが見え、ばらばらだったものが整理できつつあります。地に足つけて、合唱を考えられるようになりました。

縁あって、私とともに合唱をしているメンバーのためにも、コンサートを楽しみにしてくださってる聴衆のためにも、そして、未来の合唱文化のためにも、こつこつと、私自身の積み上げが必要です。勉強する気持ちを絶やさず、日々精進したいと思っております。

P.S.私のHPに訪れてください。http://www.d4.dion.ne.jp/~masao-m/index.htm

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2000.7.4

鈴木輝昭先生をお迎えして




 7月2日は、Vocal Ensemble 《EST》にとって、記念すべき日でした。鈴木輝昭先生をお迎えしての練習は、素晴らしい刺激となり、自信にもなりました。今回は、そのレッスンの内容を、録音を元に、なるべく忠実にレポートします。曲は、「詩華抄」の2曲目。楽譜を見ながら、読んでいただけたら幸いです。

ご指導

 まず、1回通しました。その後。

S「予想はしておりましたが、大変な求心力のある演奏でした。持続し、向っていく力のとても濃い演奏でした。ここまで、しっかりとやってくださり、とてもありがたく思います。訴えかける力も優れていると思います。音もしっかりとはまっているし。ただ、一番この曲で伝えたいのは、音の感触・肌触りといったものを這って行くようにじわじわと伝えたいのです。今の演奏は、全体を通して、全開気味なのです。だから、作品の中での起伏が相殺しあっているのです。それは、とてももったいないことなので、引いた表現が必要なのです。旋律のメリスマとか、ルネサンス唱法を取り入れて結構です。同じ旋律が、ヘテロフォニックに進んでいくのですが、それぞれのパートの歌いまわしが、もっとルネサンス式で、もっとレガートであって、メロディーラインがきめ細かくありたい。装飾音符や5連符など、それぞれ違った表現をしたいものです。テンポが速いと、うまくいかないのではないかと思います。」

各パート別に、1ページ目を演奏。

S「お互い、聴き合ってチェックしていく方法を時間をとってやられるといいと思います。この曲は、出だしの数小節で完全な遠近法を作っていかなければなりません。色彩感も必要ですが、ストイックなものとの鬩ぎ合いが大切です。最初のハーモニーに、例えばエロチシズムの濃いものを表現しておいて、一旦それを遠くの方にやってしまうんです。そして、遠くから、かなり禁欲的なものが、少しずつ近づいてくる。したがって、p、mpに、徹しなければいけないですね。2ページ目(15ページ)のテノールのクレシェンドで、初めて聴衆は、違うものに触れるのです。このクレシェンドが、極めて新鮮に聴こえるように仕掛けていかなければならない。装飾音符がきつかったり、装飾音符の前のクレッシェンドがきついと、後半のドラマが生きなくなってしまう。気もちの上でしっかり蓄えておいて、表面には、あまり出さないで。一番難しいところだと思いますけど。」

男声、女声別に、1ページ目(14ページ)を。

S「とてもいい感じです。pとmpの差をつけましょう。ナーバスになりすぎて、装飾音符そのものの存在感がなくならないよう。男声の出の“エー”は、もっと裏(響き)のトーンで柔らかく。女声は良かったので、だから、アルトのクレシェンドが、すごく存在感がありましたよね。」

4小節目から、全員で。

S「空気が澄んで来ましたよ。大変いい音になってきました。クレシェンドは、ぎりぎりまで行きたいですね。」

もう一度、演奏。

S「3番に向っての動きが大変良くなりました。ここでちょっと欲張って、32分音符をきつくない音楽的な処理をして、目立たせて見ましょう。32分音符の1つ目を少し歌いこむような形で処理してみましょう。一回ここで、形が少し見えて、ロングトーンのクレシェンドに持っていければ、より完璧ですね。」

S「3番にはいると旋法が変ります。それまで、自然短音階だったのが、ディリア旋法の変形に変るのです。瞬間的に、明るくなるのです。お一人お一人が意識すると変ります。光が差すように。テノールのGisが斬りこみ隊長です。Fis〜Aisの距離を多めに、調3度的に取るといい。アルトも。少しゆっくり目に“聴かせて”進むと良いですね。」

15ページを演奏。

S「そうです。意識すると全く聴こえ方が変りますよね。すばらしい。男声、クレシェンドでビブラートがかかってしまい、女声の質感とやや隔たりが出ています。ストレートな声で行きましょう。」

16ページの3和音で、クレシェンドの練習。

S「これが出来て、5番まで持っていけばいい。クレシェンドの配分を1人1人がしっかりと持ちましょう。くれぐれも、出は、わからないようにして、クレシェンドの最後でグッと出てくる。混沌の中から出てくるイメージです。」

S「一番最初に戻りましょう。1小節目、長三和音第2展開形を男声に使ってあるのは、豊穣な人間的な響きを目指しているからです。最初の3小節で1つの音楽。ここで、満たして、スーっと去っていくといいですね。アルトがppまで、ディミヌエンドです。」

最初の3小節、演奏。

S「息がきゅうくつかな。Hは、はいってないけど、息の音で膨らんでゆくといい。」

もう一度演奏。

S「今までの中で、一番良かったです。歌う1拍前の準備がもう一呼吸あった方がいい。まだ、ストレートすぎます。アルトのクレシェンドは、クリスタルなイメージで突き抜けて。テノールの“エー”の出、もう少し、ぼやけて。最初の3小節で、聴衆の心を捕らえるかどうかの勝負ですよね。」

最初から、22ページまで、演奏。

S「最初の3小節、すばらしい。17ページになってからは、全体にもう少し大きくなって、自然に5番日は入れると良い。5:2連音符を、明確に。5番のフォルテは、水が表面張力をやぶってあふれ出るような流動的な物に。18ページの3連音符はきつくならず、前のページよりももっとレガートにしたい。ここを頂点にして、水が流れ落ちてくるのですから。下るのも、減衰し、解体する時の揺り返しのように。38小節も、47小節も。音楽的にうまく処理し、振幅を。」

16ページから演奏。

S「(拍手)いいですね。1回で変っちゃうんですね。すごい!5番のまえは、もう少し、大胆に作っておくといいです。テノールの3連符とか。フォルテッシモは、大変素晴らしかったです。37小節目の男声だけが残る時に、レガートでよろしくお願いします。階段のようにならないで。38小節目のクレシェンドもレガートで。」

18ページ、男声だけで。

S「いいですね。やはり、3和音の第2展開形ですので、豊かに豊かに、感じて歌えばいいです。豊かな土壌に結びつくイメージです。ゆっくり時間を取って、気持ちを切り替えて、6番に行けばいいです。6番は、極めて音で勝負したいです。クリアーに響かせる。充分に1音1音を踏みしめながら行って欲しい。アルトとテノールの旋律を合体させたことで、いい音を追及できると思います。8番は、はかない感じであって、9番で突然、瞬間的に昇っちゃうのです。前半と、起伏のあり方が全く違うのです。」

6番から演奏。

S「7番のソプラノは新鮮に透き通るように入ってください。mpだから、緊張しなくていいです。8番の男声は、横につぶれず、柔らかいmfで。dry−と発音した後で、抜いて、きれいに。」

S「9番へはim tempoで、瞬間ブレスで入りましょう。その前のクレッシェンド、幅広く。」

8番から演奏。

S「とてもいいですよ。すっきりし、山が55小節にくることがとても明確になりました。53小節目は、山に行く経過地点だと考えましょう。とてもよかったです。10番の手前のグリッサンドは、その前でクレッシェンドをせずに。燃え尽きたように表現しましょう。果てたように。男声は、その後、すぐfになりますが、少しあいまいに、閉じたり開いたりするようなイメージで、10番の1小節目までのうねりを1つのうねりと捕らえてください。」

S「63小節目、gly-からは、極めて器楽的に。解体していく流れの中で異分子をたたきつけるようなところです。テーマに新鮮に戻るための大きなアウフタクト的構造です。音楽には、予期せぬ事件が必要なのです。このことをベートーベンに私は学んでます。・・・・非日常なのです。」

63小節目を演奏。

S「kyは、2拍目の頭に近い、少し後ろの方で、捕らえてください。a-とma-のパートは、もっと堅い目に発音しましょう。a-は少し喉で引っかかるようにセクシーに。ビックリした時に出すaです。mは、よく準備して。ゆっくり目のテンポでいいです。

63小節目を演奏。

S「だいぶ良くなってきた。これ、決まるとカッコいいですよ。男声は、属7の普通の和声です。」

何度か、63小節目を演奏。

S「(拍手)すばらしい。すばらしい。いいですねえ。」

63小節目から最後までを演奏。

S「11番、やはり、遠くから。12番のテノールで、やっと、近くにいるんだよ、という感じです。頂点は、ポコクレシェンドからmfのところ。アウフタクトの装飾音符はぎりぎりの直前にいれた方が効果が出ます。オンザビートの装飾音符は、柔らかでいいです。音色が少し暗いので、特にソプラノ、テノールはみずみずしく明るめに歌ってください。

9番から演奏。

S「うん、すばらしい、すばらしい。(拍手)」

作曲家をお迎えするということ

 その後、メンバーからのいろいろな質問に、鈴木先生は、丁寧にお答え頂き、私たちは、とってもリッチな時間を過ごしました。作曲家としての夢や憧れ、作曲のスタンス、生む苦しみと喜び、“詞華抄”の作曲まるひ話(?)などなど。そして、鈴木先生の方から、「最後に僕に指揮をさせてください。」これには、みんな感激し、一生懸命歌いました。感激しすぎたのか、演奏の方は、・・・・・・・・でしたが、かけがえのない体験でした。他の曲も聴いていただいたりしました。本当に、打ち溶け合え、心通じ合えた温かい時間でした。

 今年は、《EST》の新たなレパートリー作りの年。世界に持っていける日本の現代室内合唱曲ということで、“詞華抄”を選んだわけです。私たちとともに現在を生きている作曲家。その作曲家とともに音楽できたことで、解釈にも確信が持て、本物に近づけたという自信も生まれました。本当は、たとえばモーツァルトをやるときは、モーツァルトに来てもらいたいわけですが、そうは行かないから、いろいろな人が書いている様式論や、演奏法に学ぶわけです。逆に、現代音楽は難解だと言いますが、本人に来ていただけるわけですから、こんな明解なことはありません。

 考えてみるに、やはり、同じ時代の同じ空気を吸っている作曲家のいい作品をやるべきですね。そして、その作品から、、音楽の現代につながる歴史性を感じ、未来に託す夢を歌う。そのことで、私たちの時間的・空間的な視座を確認し、生きることの意味を掘り下げていく。・・・・・・ この日の、鈴木先生とのひと時は、笑いあり、サイン攻めありの、和やかな時間でしたが、振り返ってみて、かけがえのない時間であったことに、今、みんな気付いているのではないでしょうか。

最後の御挨拶

S「さんざん、細かいことを言いましたけど、“詞華抄”をこれほどの水準で歌ってくださるというのは、本当にこれはお世辞抜きで僕は大変ありがたく思っております。みなさん、本当にご自分達の実力に自信を持っていいと思います。ぜひ、誇りに思って歌っていただきたいと思います。これからも、充実したお付き合いが、また出来ればいいなあと、私は、思っています。(みんなの歓声) ありがとうございました。(鳴り止まぬ拍手)




コンクール直前合宿の画像




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2000.7.11

Kazuへ



 君が死んだ。

 僕がそのことを知ったのは、帰宅直前の車の中だった。携帯電話から、団員の泣きじゃくる声。僕は、何度も「えっ!」と、聞き返し、その度に、泣き声が増した。信じられなかった。その後、立て続けに団員からTELがあり、「本当のことかもしれない」という胸騒ぎが耐えられないほど大きくなっていった。
 
 だって、前の日の夜、君は、僕の隣で、満足そうに笑っていたよな。あれは、三重大学合唱団の指導をしている時だった。いい音が鳴った。君の欲しい音が鳴った。あの時は、みんな楽しそうだったよね。特に、男声だけの練習で、取って置きの上達法に、みんな笑い転げ、Sんき君なんか、「向井先生のキャラじゃない」とか言って、それでも、すごくいい響きになって、全体で合わせるときに、女性陣が、感動してた。いい練習が出来て、いい気持ちで、僕は帰った。まさか、あのときの君の笑顔が、僕との最後だとは、夢にも思わなかったし、2人で作ったあの響きが君の聴いた最後の響きになるなんて・・・・・。そういえば、練習後に、「食事、いきましょか」って、誘ってくれたよね。断らずに、いろいろとおしゃべりしたかったな。「また《EST》のときに」が、本当に、君への最後の言葉になっちゃったよ。

 お通夜の時間と場所の連絡が来た。もう覚悟しなければいけない、と思った。君のHPを見た。夜明け前の3:57分に啓示版の壁紙を変えたんだよね。今もHPを開いてみると、君の心のように、青い壁紙。そこに、たくさんの人から、君にメッセージが届き続けている。覚悟しなければいけないけど、どう納得すればいいのか。納得など出来るものか。でも、逃げるわけにも行かない、と思った。しっかりしなければ。《EST》や三重大のメンバーのためにも、この事実を真正面から受けるしかない、と。

 君は、《EST》で、僕の練習を吸収しようと必死だったね。特に最近は、目の色が違ってた。「僕にとってESTは『発見』の宝庫です。いろんなアプローチの仕方、今まで自分の知らなかったことがバンバンやってくる。」と、掲示板に書いていたね。君の存在が、僕にとって、どれほど頼もしく、そして楽しかったか。そんな話を一度ゆっくりしたかったな。金沢のコーラスワークショップ、宝塚の国際コンクール、全日本合唱コンクール、スロヴァキア5重奏団との共演、宮崎のアカペラコーラスフェスティバル、《EST》定期演奏会、熊野公演、そして、合唱セミナーinみえの実行委員・・・・・・。《EST》で僕と一緒に音楽をした1年半。君にとって、人生最大の実りある時代だったのではないか。

 お通夜では、あれほど覚悟したはずなのに、君の写真を見たら、泣いちゃった。焼香のときには、君にいつも口癖のように言っていた「がんばれよ」という言葉をつぶやいてしまったよ。もうがんばれないのに・・・と、思ったら、また泣けてきたよ。でも、後は、君を、君の死を、君からのメッセージを、真正面から精一杯受け止めたつもりだ。

 僕は、《EST》の音楽監督だ。メンバー1人1人の悲しみ、ショックも全部受け止めよう・・・・と覚悟した。そして、《EST》の奏でる音楽に、命を吹き込もう・・・と。

 “私たちは、無力ではない。私たちは、音楽に命を吹き込む力を宿しているのです。”

 
お葬式の翌日からの合宿は、君がいたら、またまた感動してくれるようなすばらしい合宿だったよ。夜のミーティングでは、君のことをみんなが考えたよ。鈴木輝昭氏とのひと時も、よかったしね。最後は、『夢みたものは』を歌ってお開きにしたんだけど、歌い終わったら、みんな同じことを考えてたよ。きっと、君のところまで届いたよな。

 きりがないので、最後に、僕の決心を伝えるね。君の死によって、僕の体の中に残ったものを、暖めて行きたいと思う。それが、僕の音楽となり、指揮によって、みんなに伝わり、みんなが「そうだ」と思って表現した時、その演奏は、君のいるところまで届く、最高のものになると信じるよ。《EST》のこれからの音楽は、いつも君の命が宿っている。君は、いつも僕達の演奏の中にいるんだ。言葉で伝えきれないことを、頭で整理できないことを、音楽に託すよ。君の発見の宝庫だった音楽に!

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2000.7.22

『国際合唱フェスティバル Native Tongue & Vocal Ensemble《EST》』の開催




 グアムのアカペラコーラスグループ、Native Tongueを三重県にお招きし、Vocal Ensemble 《EST》とのジョイントコンサート形式で催した、楽しい音楽会は、たくさんの関係者のご好意の下、感激のコンサートとなりました。

 環太平洋協会の横井さんからお話を頂いたのが昨年の11月でした。7月14日という提案に、宝塚国際室内合唱コンクールの2週間前であることなどから、あわただしいのではないかと、私にもメンバーにも不安がありましたが、熱意に押され、OKしました。
 あれから8ヶ月。結果としては、『楽しかった』『コンクール前にいいステップになった』『合唱の多彩な魅力を伝えられた』などのメンバーからの声を聞くに付け、やってよかったと思っています。話が発展して、3月にグアムへの演奏旅行も実現しました。井村屋製菓さんの多大なるご援助もいただくことが出来ました。そして何よりも、海外のアカペラコーラスグループとの楽しい交流は、大変な刺激となり、これからの音楽つくりに深く影響するものと思います。本当に、かけがえのない経験でした。改めて、横井さんをはじめ、関係の方々に、この場を借りて、御礼を申し上げます。

 Native Tongue のステージ

  改めて、Nativeの紹介をしておきましょう。

1993年に、音楽監督ランドール・ジョンソン博士により結成。以来、グアムの最も活動的な合唱団(アカペラグループ)として、活動。これまでに、スペイン、パラオ、フィリピン、日本などでコンサートを催す。音楽能力だけでなく、ステージ適性、人柄などで選ばれるオーディションに合格した10人のグアムの大学生のメンバーからなる。(現在は大学を卒業しているメンバーも多い。)現在、2枚のCDが出され、発売以来人気を保ち続けている。

 今回も、グアムで演奏されたような、ビートルズ等のポピュラーソングのアレンジものがたくさん歌われました。ジョンソン先生の小気味良い語りでつなぎながら、とにかく、歌って踊って。会場は、手拍子と歓声、興奮の渦に包まれていました。今回は、ホームステイでつなぎながら、東京、笠岡、津、そして静岡でコンサートを催されるとか。24日には、NHKのテレビ番組にも出演されるとか。グアムより暑いのではないかと思われるくらいの、へたばりそうなこの気候の中、強行スケジュールを物ともしない、テンションの高いステージでした。まず、一糸乱れぬリズム感がすごい。加えて、独特のアレンジによるハーモニーの決めがすごい。サーカスのような演奏振りです。と思えば、サザンの『いとしのエリー』をppでしっとりと聴かす。心憎いパフォーマンス。ユーモラスな演出。どれをとっても、楽しく、興奮させられました。

 とっておきの企画も大成功でした。この企画、3月のグアム公演の打ち上げの時にお酒の勢いで決まったのですが、《EST》の加藤さんが加わってのパフォーマンス演奏です。Chili Con Carne というリズミカルな楽しい曲なのですが、この曲、時々、ぱっと沈黙になり、その瞬間、タイミングよく合いの手が入るのです。合いの手は、例えば、『井村やさんありがとう』とか、『お帰りはカステーラ』など、即興でユーモラスにつぶやくのです。会場は笑いと拍手でした。ビックリしたのは、加藤さんのすごさです。3月の打ち上げでは、突然引っ張られての出し物でしたから、合いの手だけしか入れられなかったのですが、なんとこの日は、1曲通しで、全部歌いきっているではありませんか。超スピードのリズムの複雑なChili Con Carneをしかも暗譜で、彼らと息遣いをぴったり合わせ、本当に熱演でした。ずいぶん練習もされたことでしょう。彼女でなくては絶対成功しない企画だったと思います。

オープニングのWelcome Chorus

 さて、 “Native Tongue” をコンサートの中でどうお迎えしようか、という企画が
オープニングのWelcome Chorusでした。“Native Tongue”は、客席の一番前にスタンバイしていただき、開演と同時に、たくさんの有志の方々による即席合唱団によるコーラスでお迎えしたのです。

 このコーラス、本番すごかったですよ。なんせ、夕方の30分のリハーサルと、それにも出られなかった方々は、開演前のテンポなどの打ち合わせのみで、ぶっつけ本番だったのです。
企画の段階からそのことを予想もし、チラシにも説明を載せたのですが、メンバーの中には、4月に熊野市で共演した合唱団の方々も見えました。3時間かけて熊野からきていただいたのだと思うと、感激でした。また、グアム公演でステージをともにした岡山県の大学生M君の姿も。バイクで、早朝に岡山を出発したそうです。また、宝塚市から有給休暇を取って駆けつけてくれた元団長のT氏。嬉しかったですねえ。20年ぶりにステージに立たれるという方も見えました。いくつものドラマが・・・・・。「ソーラン節」「大地讃頌」と、リハ−サルとは全く違う燃える演奏でした。しかも、指揮にぴったりとついてきてくださいました。練習に練習を積んでステージに乗せるのとは全く反対のやり方でしたが、こういうコーラスもあるんですよね。内面の質の高い演奏だったと思います。 “Native Tongue” のメンバーからも、歓声と大きな拍手をいただきました。

アトラクションステージ

 このコンサートは、休憩を入れずに、インタビューとアトラクションステージでつなぎました。興奮したムードで最後まで一気に行ってしまおうという企画です。

 アトラクションは、「グアム公演の感動をもう一度」ということで、子供たちのコーラスと、私を含む《EST》のメンバー等(口笛は三重大のMさん)8人によるマイクを使ったアカペラコーラス。子供たちは、グアムで自信をつけたのか、立派なものでした。振り付けも堂に行ったもので、大きな拍手を受け、大成功。

 続いてのアカペラコーラスは、“Native Tongue” の前で、照れくさい気持ちで歌いましたが、そこはさすがにアメリカ人です。惜しみない拍手と歓声をいただきました。アカペラコーラスって面白いですよ。最近、全国的にはやっているのもわかる気がします。ベースのリズムヴォーカルなんて本当に面白いですね。ただ、きちんとバランスよくハーモニーするというのは、そうたやすくはありませんね。

《EST》のステージ

 アコール《EST》というグループ名を持つ、《EST》の女声陣は、高嶋みどり&松下耕作品で、ステージに上がりました。オープニングのWelcome Chorusのすぐ後でしたから、雰囲気がガラッと変わり、小編成の繊細なハーモニーと現代的なリズムを聴いて頂けたのではないかと思います。

 《EST》全員で演奏したのは、ルネサンスの楽しいマドリガルと鈴木輝昭作品『詞華抄』でした。マドリガルを歌い終わると、Nativeのみなさんから歓声。ルネサンス時代の歌の後に歓声なんて、めったにないですよね。『詞華抄』は、ジョンソン先生が後から真面目に「よかった」とお褒めいただきました。「コンクールでもきっといい演奏ができる。すごい。すごい。あなたの指揮も大変力強い。曲の内容がわからなくても、指揮を見てると音楽がわかる!」とまで、後の打ち上げでも、何度も言っていただきました。ものすごく嬉しかったです。


 実際のところ、平日の夜の演奏会は、覚悟がいります。仕事の都合がつかずにメンバーが欠けたり、本番ぎりぎりになって駆けつけるメンバーが。これは、避けられないことなのですが、それだけに、本番へのテンションの上げ方など、メンバー1人1人が問われます。しかし、乗り越えていかなければならないと思います。覚悟のいるステージを乗り切る力をつけていくことは大きな意味があります。そういった意味からすると、十分とはいえないにしろ、予想よりかなりいい演奏ができたと思います。本番で絶対いい演奏をするぞ、といった意志の強さを感じることが出来ました。頼もしいです。

合同演奏と全員合唱

 最後のステージは合同演奏を企画。“Native Tongue” と、《EST》 が同じステージに立つなんて、普通では考えられないのですが、そこは、グアムで育てた友情(?)。快くOKしていただきました。
 
 1曲目は、『ソーラン節』。グアムのようには、客席は盛り上がらなかったですが(やはり国民性)、楽しんでいただいたのでは?

 続いて“Native Tongue” & Miss 加藤” による、『ふるさと』。トライトーンのアレンジによるこの曲、マイクなしでしっとりと歌われました。残響効果たっぷりの三重県文化会館大ホールならではの響きのいい演奏でした。
 

 そして、ラストは、源田さんのアレンジによる『ふるさと』をお客さんとともに。子供たちの大きな声も聴こえてきます。国やジャンル、世代を超えた歌声は、私たちの心の中に、永く残っていくことでしょう。こうして、カーテンコールを経て、惜しみない拍手の中、コンサートは、いいムードで終了しました。

 と、思いきや、メンバー達は、ステージから、ロビーへ。お土産のカステラを、帰っていくお客様に配るためです。井村屋製菓さんのご好意で、入場無料、しかも大きなカステラをおみやげに。お客様方は、とってもリッチな気持ちで帰られたことでしょう。

打ち上げは最高の盛り上がり

 さあ、打ち上げです。広い会場(第1リハーサル室)には、演奏者だけでなく、子供たちのご家族の方々、ホームステイの受入家族の方々、井村屋製菓の方々、環太平洋協会の方々、そして、メンバーの友人や一般の方々の飛び入り参加などなど、たくさんの参加があり、最高に盛り上がりました。その中で、《EST》と“Native Tongue” が、交互に歌います。それを見ていた子供たちが、「自分達も歌いたい」と、ステージの再演を。それを見ていた“Native Tongue”が、いっしょに振り付けを真似ます。また、私の指揮の真似をジョンソン先生が。最後は、“Native Tongue”が『汽車ポッポ』を歌います。2番に入ったときに、みんなが汽車になって繋がり合って、打ち上げ参加者全員が、長−い汽車になって走っていました。打ち上げも全部、井村屋製菓さんのお世話になりました。

新しいコンサート 

 こうして、午後10時前に、盛り上がったまま、時間切れお開きとなりました。いやあ、面白かったですね。コンサートの当日までは、いろいろと問題もあり、マネージャーのIさんなど、頭を痛めていましたが、《EST》だけでは、経験できないような興奮のコンサートを催すことができました。コーラスの多彩な楽しみ方、多様な魅力というものを私たち自身も、そしてお客様も、感じることのできるコンサートだったと思います。

 既成観念にとらわれない新しいコンサートを目指していきたいと思っている私にとっては、ひとつの実験でした。Welcome Chorusなどの試みも、その一つです。わくわくするような、意外性のある企画が出来、満足しています。これからも、今回のまねをするわけではないにしろ、いつも新しい感覚でいたいと思っています。もちろん、音楽そのものに対しても。

「命をかけてるのがわかったよ」

 最後に、この日大活躍だった、加藤さん曰く。

 「“Native Tongue”といっしょに、Chili Con Carneを歌った経験は自分にとっていい経験となった。ステージで演奏する“Native Tongue”の息遣いを真近に感じ、ビックリした。この人たちは本気でやってる、命がけでやってる、と思った。客席へは、この人たちがかもし出す楽しさが伝わるだろうけど、中で歌っていると、命をかけてギリギリのところでやってるという迫力みたいなものが確かにあった。恐いくらいに。《EST》の音楽も、自分のピアノも、室内楽も、そこまでいきたいと思う。」


アルバム




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2000.8.5

第17回宝塚国際室内合唱コンクールで総合1位・総合3位を受賞




 Vocal Ensemble 《EST》は、去る7月29日に兵庫県宝塚市で行われた第17回宝塚国際室内合唱コンクールに2チーム出場。“《EST》シンガ―ズ”は、総合第1位・兵庫県知事賞(国内団体第1位)・混声部門金賞を、また、“アコール《EST》”は、総合第3位・女声部門金賞を受賞しました。翌日の30日には、入賞団体記念演奏会に出演。30分近くのステージを無事歌いきり、帰って参りました。私と《EST》にとって、まさに、手ごたえのある喜びの2日間でした。

 審査発表

 ずは、喜びの審査発表と受賞式の模様を、再現しておきましょう。

 予定より、15分遅れた17時35分に、まず審査総評が行われました。ニュージーランドの指揮者でもあり作曲家でもあるデイビッド・ハミルトン氏が、通訳付きで、話されました。始めに日本の猛暑をユーモラスに表現された事は覚えていますが、あとのことはあまり思い出せません。最後に、「個人的には、“アンサンブル・ビクトリア”の演奏がとてもいいと思った。」とおっしゃられていたのが、印象に残っていますが。

 実は、講評を落ち着いて聞ける状態ではなかったのです。“《EST》シンガーズ”の演奏で、大きなミスをしでかしてしまい、私もメンバーも、そのことで「いい評価が得られないのではないか」と心配でたまらなかったのです。「明日の演奏会に出られるのは、多分、女声だけや。」と、投げやりなひそひそ話とため息。悔やんでも始まらず、ひたすら祈る気持ちで審査発表を待っていたのです。

 始めに女声部門の審査発表です。
「金賞!“アコール《EST》”!」。
 一番最初に私たちの団体名が会場に響き、次の瞬間、「キャー!」という歓声が上がりました。いつまでも大騒ぎの我々に、「どうぞ、表彰の準備に、移動してください。」とアナウンスの声。女声メンバー16人と私は、ステージ下手に向いました。涙を流し、抱き合って喜び合うメンバー達。下手でも、大騒ぎの私たちに、「静かに」と係りの方々にそっとたしなめられるほどでした。このコンクールは、なんと、出演メンバー全員が、ステージ上で表彰されるのです。室内合唱は、1人1人の確かな技術と繊細な協調性でもって、作り上げられていくものであるだけに、この、『全員表彰制』は、とても的を得た素敵な方法だと思います。

 さて、喜びは、少しお預けです。気になるのは、混声部門。きっと、客席に残された男声陣は、気が気でなかったことでしょう。私と女声陣は、下手から、息を潜めて、続いている発表に耳を澄まします。
「続いて混声部門の発表です。金賞!“《EST》シンガーズ”!」。
 またも、一番最初に私たちの団体名が会場に響き、次の瞬間、下手の女声陣が大きな歓声を上げ、飛び上がって喜んでいます。係りの方もあきらめています。きっと、会場には、男声陣の「ウォー」という声があがっていたのでしょう。私は、「まさか」という気持ちとホッとした気持ちで涙ぐんでいました。ミスを減点するよりも、良かった部分を買っていただいたのだ・・・・と、審査の先生方に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 金銀銅の発表が終わり、各賞の発表が始まりました。まずは、国内団体総合1位である兵庫県知事賞です。
“《EST》シンガーズ”!」。
なんとうれしいことでしょう。もう、メンバーの反応は、おわかりだと思います。こうして、総合1〜3位の発表を残し、表彰式に入りました。

 “アコール《EST》”が、ステージに出ます。みんなの推薦で、練習責任者の加藤さんが、賞状をいただきに前へ出ます。続いて9人の審査の先生方が私たち全員に金メダルをかけに来てくださります。これ、うれしいですね。1人1人が先生方と握手。そうして、上手へ。こんな調子で、1団体ずつの表彰式が続いていきます。上手へ移動した私たちのうち、12人は、“《EST》シンガーズ”の表彰のために、すぐ下手へ移動です。顔をくしゃくしゃにした男性達が待っています。喜びをもう一度確認しあって、さあ、ステージへ。団長の鈴木君とマネージャーの稲垣さんが賞状と知事賞の楯をいただきに前へ出ます。メダルは、今度は実行委員会の方々から、1人1人いただきました。

 表彰を終え、参加者がすべて客席に戻った後、総合1〜3位の発表が行われました。
「総合1位!“《EST》シンガーズ”!」。
これには、みんな、声が出なかったですね。驚きの方が大きかったです。あまりにも大きな賞、あまりにも予想外の展開・・・・。1人1人が胸の中で、グッと噛みしめていたのかもしれません。
「総合3位!“アコール《EST》”!
このときの歓声は、またすごかったです。表彰台には、鈴木君、稲垣さん、加藤さん、そして私が上りました。楯と賞金(1位50万円、3位10万円)を頂き、客席に向ってポーズ。その喜びの姿は、デジカメでしっかり捉えられました。こうして、夢のような表彰式は終わったのでした。

コンクールでの演奏

 コンクールは、10時に始まりました。女声部門、男声部門、混声部門の順に進んでいきます。出演団体はタイムテーブルに従って、集合、着替え、リハーサル、本番、写真、・・・・・と進んでいくわけです。本番に最高の演奏ができるよう、私たちは、朝からの計画をしっかり立てて、この日を迎えました。コンクール出場は、7年目ということもあり、みんな落ち着いています。それでも、朝の練習は、体が起きていないこともあり、いいサウンドを出すのは困難でした。ただ、本番に向けての気持ちの盛り上げ方が頼もしい。集中力と前向きな緊張感が、リハーサルから本番に向け、見る見るうちに私たちの体に蓄積されていきます。

 そして“アコール《EST》”の本番。ベガホールのすばらしい響きに包まれ、練習で成し得た表現と、それ以上の本番ならではの表現が、演奏として実現されていきました。複雑なリズムと長い音符の旋律の絡みが少し崩れかかる部分が1つありましたが、他の音楽的な難所は、すべて理想的な形で表現できたように思います。演奏後、客席で聴いていた男声陣からは、「練習の一番いいときよりはるかに良かった。最後の曲は、少し、広がりすぎたかも・・・」と、アドバイス。このアドバイスが、午後の“《EST》シンガーズ”の演奏に生かされていくのです。

 昼食と“《EST》シンガーズ”の最後の練習は、近くの旅館をお借りして。午前中に満足な演奏が出来たことで、みんなリラックスした時間を過ごせました。合唱をしてて幸せを感じるひとこまです。この調子ならいい本番になるぞ。

 ところが、本番。予期せぬミスが出てしまったのです。ヘテロフォニ−という手法でかかれている、旋律の複雑な絡みのところで
、1つの旋律がずれてしまったのです。そのために絡みがうまく機能しないまましばらく進んでしまったのです。作曲家からすれば致命的なミスと言われることでしょう。ただ、一番複雑な箇所だけに、聴衆には意識されなかったようですが。私は、その時、何とか戻そうと、指揮でいろいろと試みてみましたが、しばらくはうまくいきませんでした。みんなにとっても、苦しい時間だったと思います。元に戻ってからは、とにかく残された演奏を最善を尽くすことに、私もみんなも集中できたと思います。いやあ、恐ろしいですね。難曲ですから、練習中もいろいろな事故(ミス)が起こりました。そこは、チェックし、指揮にも反映させ、同じミスが起こらないように心掛けてきました。今回のミスは、練習中に起こったことがなく、全く安心して、他の旋律に指示を与えていればいいところだったのです。いや、そう思っていたこと自体が恥ずかしいです。すべてを予測し、練習中に解決策を見いだしていなかった私の責任です。絡みを聴き取りながら自分の旋律を歌っていく練習をもっとしておくべきでした。

 全体としては、とてもいい演奏でした。マドリガルも迷いなくすっきりと演奏できました。各パートのバランスもとても良かったと思います。鈴木先生の世界へもかなり迫っていたと思います。ミスはミスとして反省すると同時に、初めて取り組んだ現代的な作品がここまで消化できたことは、評価しておきたいと思います。

パーティー

 このコンクールの大きな楽しみは、審査の先生方や、海外からの参加団体を含む、たくさんの参加者で催されるパーティーです。

 特に、昨年は楽しかったです。スウェーデンから来日した若々しい男声合唱団
http://www.svanholmsingers.nu.“Svanholm Singers”の圧倒的な演奏とカッコいい容姿に、日本の女性は、みんなうっとり。また、ハンガリーの女声合唱団が歌うコダーイには、《EST》の男声陣は、「生コダーイ、生コダーイ!」と叫びながら、なぜか近くへ殺到。また、どれだけお酒が入っていても、ハーモニーが崩れないイギリスの混声合唱団が奏でるマドリガルの数々。台湾の男声合唱団の台湾民謡の踊りのパフォーマンス・・・・・。次から次へと歌の途切れない、とても華やかなパーティーでした。ただ、残念だったことは、《EST》の持ち歌として、パーティーの時に、歌えるような日本の歌を用意してこなかったことでした。海外の作品に重点を置きすぎ、お国の誇れる歌を披露できなかったのです。

 今年は、用意してきました。“ソーラン節”です。グアムでのコンサートの時もアンコールまで頂いて盛り上がったこの曲。ご指名があったら、力いっぱい歌おうとみんなで練習してきました。ご指名はありました。《EST》による、パーティーの場での初めての演奏です。会場からは、手拍子が起こりました。歌い終えると、司会者から「もう一曲」のサイン。そこで、私は次のように提案しました。団員から「ぜひ提案して欲しい」と、頼まれ、私自身も面白い企画だと思っていたことです。
「“http://homepage3.nifty.com/Ensemble-VICTORIA
The Ensemble VICTORIA”さんとマドリガルを共演したいのですが、こちらへ出て来ていただけませんか。」
この団体は、ルネサンス時代の曲をしっかり研究されている8人のグループで、コンクールの演奏も、とても楽しく聴かせて頂きました。言葉への共感、リュートを囲んでのアンサンブルするムード、ポリフォニーの描き方など、特筆できる演奏だったと思います。 かくして、共演は実現しました。マレンツォの“Scendi dal Paradiso”の楽しい合同演奏でした。私が指揮したために、“アンサンブル・ヴィクトリア”の表現とは、多分、程遠く違うものだったと思います。この場をお借りして、あやまります。ただ、企画としては、大変喜んでいただきました。「総合1位2位3位の合同演奏だったわけです。拍手−−−!」と、司会の方に最後まで盛り上げていただきました。

 最後に、台湾の“チャングン室内合唱団”のパフォーマンスで、参加者全員が手をつなぎ合って踊りました。短い時間でしたが、いろいろな人と、お話もでき、実りあるひと時でした。

KAZU
にも金メダル

 パーティーで、《EST》がソーラン節を歌うときに、審査委員長を務められた林先生から、次のような紹介がありました。
「《EST》のメンバーであった1人が、最近、交通事故で亡くなったそうです。いっしょにこのコンクールを目指して頑張ってこられたそうです。そこで、委員会で話し合い、彼への金メダルを用意しました。」

 このお計らいには、感激しました。思えば、彼の突然の死は合宿の直前でした。合宿では、「彼も一緒に歌っているんだ」を合言葉のようにし、何度も、涙を流しながら練習をしました。そして、受賞した総合1位。「きっと、Kazuの力だよ。」と、表彰式のときも言い合っていたのです。メンバーの誰かが、主催者側にお願いをしたのでしょう。それをきちんとした形で実現に持っていかれた審査員の方々に、本当に感謝します。

 金メダルは、私が代理で受け取りました。司会者からマイクを向けられ、Kazuのことをしゃべりました。最後に、「個人的なことなのに、聞いていただき、ありがとうございました。このようなお計らいを頂き、メンバー全員、大変感激しています。」と言い、メンバーの方を振り返ると、何人かが、涙を流しているのが見えました。彼が獲得した金メダルを胸に、私は、思いっきり、ソーラン節を指揮し、メンバー達は、思いっきり歌い、会場からは、思いっきり大きな手拍子が帰ってきました。一生忘れられないシチュエーションが、また一つ、増えたのでした。

入賞団体記念演奏会


 さて、このコンクールの最大の特徴は、翌日の入賞団体記念演奏会です。金賞団体と、銀賞の上位の団体による3時間程のコンサート。会場の雰囲気もコンクールとは全く違う、温かいものです。、順位に一喜一憂するだけのコンクールにはしない、という意図が十分に感じられる、とても実りある企画だと思います。欧米のコンクールでは常識となっています。温かいコンクール、国内国外を問わず合唱団同士が仲良くなれるコンクールです。

 この演奏会では、コンクールで歌った曲以外のレパートリーが必要となってきます。普段の合唱団の音楽性が問われるだけに、演奏する方としては、なかなか厳しいものがあります。《EST》は、30分近くのステージをいただきました。しかも、ラストステージです。コンクールよりもさらにいい演奏をしたい!あのミスだけはしたくない!リラックスして歌いたい!メンバーは、それぞれに演奏会への抱負を描いていたことと思います。

 深夜、私がホテルの通路に出ると、一室から歌声が聴こえてきます。1人で練習しているのです。また、何人かで集まってアンサンブルをしたというメンバー達もいたようです。こういう一面が《EST》を支えているのだ、と思うと、頼もしい気持ちでいっぱいになります。

 演奏会当日も、朝から練習を始めたのですが、どうもうまくいきません。微妙な体調や精神的充実度などが影響するだけに、むずかしいものがありました。「謙虚に音楽を見直し、繊細な表現を!」と、厳しくお互いを律し、ステージリハーサルに向いました。ステージリハは、いい出来でした。何と言っても、ベガホール。本当に歌いやすい。邪念をスーっと取り払ってくれるような響きです。「これで大丈夫!」みんな、演奏にかける充実した気持ちを作ることが出来たリハーサルでした。

 演奏会は、始まりました。州脇先生の司会の下、インタビューを交えて楽しく進んでいきます。歌い終わって楽屋へ戻ってくるグループとも、打ち溶け合ってお話が出来ます。言葉の通じない方々とも・・・・。私は、客席で、“アンサンブル・ヴィクトリア”のステージに感銘を受けました。マドリガルをあれほど楽しく伝えてくれる演奏は、めったにありません。ステージの動き、歌詞に即したジェスチャーなど、すべてが音楽的でした。リュートとのバランスも、コンクールの時よりもいっそう良く、上品なあの時代の市民の姿をよく再現していました。客席の方々も、ニコニコした、穏やかな雰囲気でした。《EST》の音楽会にもこういったアンサンブルステージを取り入れていますが、この日の彼らの演奏を見習えれば、と思っています。

 《EST》のステージも、いいテンションで、最後まで歌いきれたと思います。本番にかける集中力というものが、ものすごく育ってきたように思います。時代様式、テキストなどによる音色や表現の違いも自然に出せるようになったと思います。この日の30分近くの演奏は、奇をてらったものは少しもなかったのですが、《EST》の歴史に残る、とても充実したものだったと思います。

徐 天輝氏(台湾)と

 さて、楽しみの一つに、海外の指揮者の方々といろいろお話ができることが上げられます。今回は、お2人の方とお話ができました。

 徐天輝氏は、台湾の“チャングン室内合唱団”の指揮者です。彼との出会いは、3年前。三重県で、《EST》とジョイントコンサートをして頂いた時から、仲良くして頂いています(国際合唱フェスティバル)。今回は、パーティーの後、エレベーターのところで偶然会い、そのまま、「飲みに行こう」とお誘いを受けました。

 彼は、チャングン室内合唱団を始めとする計4つの合唱団の指揮者、大学の教授、台湾合唱指揮者協会理事長、国内コンクールの審査員など、たくさんの肩書きを持たれています。その上、チャングン室内合唱団は、カナダ、イギリスなどでも評価が高いのです。ところが、彼は、ものすごく庶民的というか、ユーモラスで、愛すべきお人柄です。いつも楽しくてしょうがないと言う表情で、かなりお上手な日本語でサービス精神も満点です。僕は、もう大好きになってしまいました。

 「あー、《EST》ね。三重ね。また、呼んで欲しいよ。旅費の心配はいらないから。あそこの会場、ナンバー1ね。広いし。」
これが、再会の第一声でした。その後、いろいろな話をしましたが、へーっと思ったのは、合唱団の運営でした。チャングンというのは、プラスティック製品販売とホテル経営と学校経営などをしている、いわゆる財閥なのです。そして合唱団は、たくさんの補助金で運営されているということなのです。うらやましい話です。

 また、チャングン室内合唱団のメンバーの入れ替わりについて頭をいためてみえました。3年前に三重県にお越しいただいたときのメンバーはもう3人しか残っていないそうです。あの時はすごいソプラノのソリストがいましたが、彼女もアメリカへ嫁いでいった、と寂しげに。ほとんどが大学生だということで、経験不足だといってみえました。メンバーの定着の難しさと言う点では、どこも同じなのでしょうか。台湾合唱指揮者協会は、100名以上の会員がいるそうです。私の所属している日本合唱指揮者協会は200名弱。人口比から考えると、台湾は非常に合唱がさかんということになります。

 「ぜひ、台湾で演奏して欲しい。旅費以外は全部こちらで持つから。旅費も台湾の飛行機使えば1万1千円で済むよ。」とありがたいお話までいただきました。


Ro,Ki Wan氏(韓国)と

 スーウォン女声合唱団の指揮者をされているRoさんとは、記念演奏会の直前、楽屋でお話しました。まじめな真摯な方でした。「《EST》はプロなのか?」に始まり、たくさんの質問をされましたが、お答えするたびに、ハーっと驚いてみえました。私たちが歌った曲の楽譜をいただきたいと言われ、一部づつ差し上げました。スーウォン女声合唱団の発声は、響きのポジションがきちんと上にあるのでとても美しく上品に聴こえます。声作りについてアドバイスをいただきました。日本の合唱団にいろいろと学ぶことが多い、と言ってみえました。とにかく真面目なお方でした。彼は、公務員で、仕事は合唱指揮だそうです。各地方自治体に、合唱指揮者と言う公務員がいるそうです。また、プロの合唱団も各地方自治体にあるそうです。しかし、レベルはいろいろだそうです。これらのことには、私がハーっと驚いてしまいました。

 「2002年に合唱のワールドカップを韓国で行う。ヨーロッパからもたくさんの合唱団が参加する。ぜひ《EST》も参加されたい。」と、お誘いを受けました。

David Hamilton 氏(ニュウジ―ランド)と

 審査委員長を務められた、ハミルトン氏とは、パーティーの時に、お話ができました。何を聴いても、にこにことお褒めの言葉を頂くばかりでした。少し当てが外れたような気持ちでした。

 その夜、ホテルが同じだった本山先生と、彼の部屋でお話をしていると、コンコンとノックの音。ハミルトン氏ではありませんか。僕を訪ねてきてくれたのです。そして、楽譜を置いていかれました。そう、彼は作曲家でもあるのです。「On a Summer Night」「Lux Aeterna」「Got a Home in That Rock」「My Master hath a Garden」「Song for a Young Country」の4冊。どれも、難しいものではありません。また、歌ってみたいと思います。

そういえば、過去に、スペインのブスト氏、ノルウェーの二ーステッド氏からも、楽譜を頂いていました。ニーステッド氏から頂いた曲は、後にレパートリーに入れました(第6回コンサート)。宝塚コンクールでも演奏し、総合2位をいただいたことがありました。ブスト氏の曲は、もらいっぱなしですが、今年、“女声合唱団横浜アカデミー”が演奏し、銀賞を受賞されていました。今、私たちと生を共にしている作曲家です。大切に歌いつないでいきたい気持ちです。

新しい仲間

 たくさんの新しい仲間ができた2日間でもありました。横のつながりはうれしいもの。HPやメールによるお付き合いも増えてきました。これからのお互いの活動を応援し合えるとても貴重な仲間です。

 “
Medieval Voice” さんとは、昨年11月に「演〜スロヴァキア弦楽五重奏団と《EST》の仲間たち」という特別コンサートに、力を貸して頂いて以来の再会でした。また、“あふみヴォーカルアンサンブル”さんは、いつも客席から応援を頂いています。今回はhttp://homepage3.nifty.com/Ensemble-VICTORIAThe Ensemble VICTORIAさんとパーティーや記念演奏会でステージを共にし、大変親しくないリました。“アンサンブル・ラ・スペランツァ”の指揮者の方は、3年前にソリストとして《EST》にお招きした方でした。意外な再会にビックリ。なぜか記念写真にも入っちゃいました。“Ensemble Daffodil”の指揮者の寺尾先生は、大阪教育大の教授をされていますが、去年のコンクール後、楽譜やCDを頂いたり文通をしたり、仲良くさせていただいています。今年は、更衣室での再会でした。また、団員の中に、私の勤務校の合唱部のOBがいました。掲示板仲間です。“合唱団はるまち”に、なんと大学の時にいっしょに歌っていた後輩を発見。彼は、“グリーンウッドハーモニー”の団員でもあり、いろいろな話に花が咲きました。“創価学会関西男声合唱団”には、かつて指揮法のレッスンをいっしょに受けた仲間が。“合唱団まい”のみなさんとは、いつも笑顔で。

 今回、感激したのは、三重県の高校生3人組が来てたことです。声をかけられビックリ。熱心な彼らは、きっとこれから大きく育っていくことでしょう。若い人たちと共に、どんどん合唱の和を(輪を)広げていきたいですね。

待たれる欧米のグループ

 こうして、手ごたえのある喜びの2日間は、終わりました。ただ一つ、今年残念だったのは、欧米のグループの相次ぐキャンセルです。経済的事情ですから、仕方ないのですが、宝塚財団としても、旅費の半分は出すということで、たくさんのグループに参加されやすいような配慮をしているということです。今回は、リトアニアとルーマニアのの合唱団がキャンセルされたらしいのですが、日下部先生曰く、「自前の渡航費がない、というわけだが、東欧圏の貧しさが推し量られる。何とかしてあげたいと思う。1グループ200万円くらいの費用を、出してくれるスポンサーはないものか。」

 来年は期待したいですね。先ほども述べたように、本場の合唱団の存在感と言うものを味わいたいです。合唱観のようなものが、がらりと変わります。「これこそ、アンサンブルだ」というものを自然に見せてくれます。大きなオミヤゲになるんです。私たちが目標とする・・・。

 ただ、今年のような年は、アジアの合唱団でもっと盛り上げるべきだったですね。記念演奏会の演奏レベル、コンサート形態など、もっと、楽しくなる工夫ができたかもしれません。合唱は、お勉強ではなく、生きていくのに当たり前のように必要で、楽しいもの。命を感じあえるもの。人類すべてを根源的に結びつけるもの。そんなことを参加者も聴衆も感じあえるようなコンサートをしてみたいですね。



結果はこちら!!→http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/culture/ticc/ticc.htm

アルバムはこちら!!→
第17回宝塚国際室内合唱コンクール本選(女声・混声の部)

向井正雄のホームへ




2000.8.29

H.Noda氏の東欧旅行記




 H.Noda氏は、滋賀から通う、《EST》の創立メンバーの一人(テナー)。私とは、大学時代の団長と正指揮者の間柄でした。そのNoda氏が、この夏、東欧を旅行。以下、その旅行記です。なお、この旅行記は、HPの掲示板に書き込みされたものを、仲間からの[返信]も含め、複写しました。

 東欧旅行記1<ワルシャワ> 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/18(Fri) 00:41:57 No.221 [返信]  
 これから何回かに分けて東欧旅行記を書こうと思う。第1回はワルシャワの巻。
 ワルシャワは第二次大戦の末期のドイツ軍との市街戦で、ほとんどの建物が跡形もなく破壊された。それを戦後ワルシャワ市民が写真や絵、記憶を頼りに「壁のひび1本まで」元通りに復元したのだという。確かに旧市街広場からクラクフ郊外通りに沿ってゴシックやバロック調の建物が建ち並び、まるで中世の町並みだ(世界遺産)。日本では古い建物を壊して無機質のコンクリートのビルを建てたり、各人がバラバラの形の建物を勝手に建てたりするが、ヨーロッパでは住民一人一人に「美しい町並みを残そう」という町づくりの思想が徹底しているように思う。
 ポーランド出身の過去の有名人と言えばまずショパン、そしてキュリー夫人らであろうか。クラクフ郊外通りに面した聖十字架教会の石柱の中にはショパンの心臓が埋め込まれており、近くにショパンが住んでいた家も残されていた。さらに旧市街の北にあるキュリー夫人の生家にも足をのばした。ショパンが生まれたのはワルシャワから50キロほど離れたジェラゾバ・ボーラで、生家が博物館として残されていた。ショパンの生家で行われた地元ピアニストによるショパンのミニコンサートを楽しませてもらった。
 ワルシャワはプラハ・ウィーン・ブタペストなどと違って日本人の一般的な観光コースからはずれているので、日本人は比較的少ない。ポーランドは東欧諸国の中では経済状態の比較的ましな国らしいが、それでも経済状態は悪く、観光地には必ず物乞いがおり、スリや置き引きも多いと聞く。物価は安く、通過はズオティで1ズオティ=約25円くらい。T/Cはほとんど使えなかった。


東欧旅行記2<クラクフ> 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/18(Fri) 22:42:30 No.233 [返信]  
 クラクフは1596年に首都がワルシャワに遷都されるまでポーランド王国の首都だった所で、ポーランドではめずらしく第二次大戦の戦災を免れ、中世の町並みがそのまま現在まで残されている町だ(世界遺産)。ビスワ川沿いの丘の上には壮大なバベル城がそびえ、城内の大聖堂や旧王宮の壮大さや華麗さは目を見張るばかりだ。また中央市場広場を中心とした旧市街は本当に美しく、世界遺産に登録されたのもうなずける。9割以上がカトリックという国にふさわしくいたる所に教会があり、町の広場や辻々では音楽学生らしい若者がバイオリンやフルートを奏でていた。生活の中に音楽が息づいている町だ。また旧市街にあるチャルトリスキ美術館でレオナルド・ダ・ビンチの「白貂を抱く貴婦人」を鑑賞できたのも収穫だった。
 クラクフから13キロほどの小さな町ベリチカには、世界有数の大規模な岩塩採掘坑があり、中には採掘坑夫が仕事の合間に彫刻した岩塩の彫像や採掘跡の巨大な空間を利用した礼拝堂などがあり、目を楽しませてくれた(これも世界遺産)。
 次回はアウシュビッツについて書く予定

東欧旅行記3<アウシュビッツ・ビルケナウ> 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/20(Sun) 00:38:39 No.242 [返信]  

 クラクフの西54キロの所にあるオシフィエンチム(ドイツ名アウシュビッツ)にあの悪名高きアウシュビッツ強制収容所跡が博物館として残されている。ここでは第二次大戦中ユダヤ人や反ナチス活動家など150万人以上の人が殺害されたという。入り口のゲートには「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という有名なスローガンが掲げられていた。周りは二重の有刺鉄線(当時は電流が流れていた)で囲まれ、高い監視塔が建っていた。内部に入ると28の収容棟内にナチスの蛮行の証拠や当時の様子を物語る資料が展示されていた。収容者から取り上げた靴・鞄・眼鏡・義足等の巨大な山。別の部屋にはガス室で使用した毒ガスの入っていた空き缶の膨大な山。どれもがここで何が行われたかを物語っている。銃殺に使われた壁には今も花が供えられていた。さらに収容所の一角には悪名高きガス室と、ガス室で殺した人達を焼いた焼却炉も残っていた。見ていて気分の悪くなるような物ばかりだが、戦争の真実として直視しなければいけないと思う。なぜならナチスドイツの同盟国として私達の国日本も中国や朝鮮で同じようなことをしたのだから。戦争の実態をきちんとつかむためには、被害の実態だけでなく、加害の実態にも目を向けなければならない。二度とあのような戦争を起こさないためにも。
 アウシュビッツの見学後、2キロほど離れたビルケナウ(第2アウシュビッツ)強制収容所跡に向かう。ここはアウシュビッツよりさらに広大で300棟以上の収容棟が立ち並んでいたという(ナチスが終戦直前に証拠隠滅のため焼き払ったので、今は一部の建物しか残っていない)。アウシュビッツと違ってバラックなので冬は寒く、生活条件のさらに厳しい収容所で、多くの死者を出した。映画などでよく出てくる鉄道引き込み線がある門が今も残っている。


東欧旅行記4<ベルリン・ポツダム・ドレスデン> 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/20(Sun) 23:12:03 No.245 [返信]  

 ドイツはペルリン・ポツダム・ドレスデンだけの駆け足の旅行になった。ベルリンは統一ドイツの首都移転で各地で工事が行われていた。ベルリンの壁は取り払われて久しいが、一部に(観光用に?)残されていた。東西冷戦の象徴だった壁を目の当たりにすると、やはりいろいろ考えてしまう。統一ドイツの象徴ブランデンブルグ門を東側から西側へ通り抜けてみる。昔はここを自由に通ることができなかったと思うと、やはり感慨深い。戦争の悲惨さを後世に伝えるため破壊されたままの外観で残されているカイザー・ウィルヘルム記念教会を車窓に見、ゼウスの大祭壇で有名なペルガモン博物館を見学してからポツダムへ
 ポツダムではポツダム会談の行われたツェチリエンホフ宮殿(宮殿というより別荘)を見学。なんということはない建物だが、ここで日本の運命を決める会議が行われたと思うと感慨深い。フリードリヒ大王が建てたサンスーシー宮殿を見学してからドレスデンへ。
 「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれた文化都市ドレスデンは、第二次大戦中の連合国軍の空襲で一夜にして徹底的に破壊された。現在の建物は戦後再建された物であり、修復は今も続いている。自国の文化遺産を守ろうとする熱い意志を感じる。ドイツバロック建築の傑作ツィンガー宮殿、ルネサンス様式のアルテ・マイスター絵画館など素晴らしい建物群が見事に再建されている。絵画館の有名なラファエロの「システィーナのマドンナ」をはじめボッティチェリ・レンブラントなどの見事な絵画コレクションにも感動した。
 ドイツは昔から移民を多く受け入れてきた国で、町を歩いていると、トルコ系の人々、黒人、ジプシー(ロマというべきか)や東洋系の人々などいろいろな民族の人々に出会う。物価は日本と同じように高い。通貨はドイツマルクで、1マルク=約55円くらい.

東欧旅行記5<プラハ> 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/21(Mon) 23:51:34 No.256 [返信]  
 今回の旅行で最も印象に残った都市を一つ上げるとすればプラハだ。プラハはとにかく美しい。戦争の被害をあまり受けていない町並みには、ロマネスク・ゴシック・ルネサンス・バロック・アールヌーボーなど中世以来のあらゆる建築様式を見ることができ、「ヨーロッパで最も中世を感じさせる町」と言われるのもうなずける。まず、モルダウ(ヴルタバ)川西岸にそびえるプラハ城の壮大さに圧倒された。城壁に囲まれた広大な敷地には99mの二つの尖塔を持つゴシック様式の聖ビート教会大聖堂、旧王宮、ロマネスク様式の聖イジー教会など見事な建物群が立ち並ぶ。プラハ城から旧市街を見下ろすと中世そのままの町並みの中にたくさんの塔が林立しており、まさに「百塔の町」だ。プラハ城の坂を下り、プラハ最古の石橋「カレル橋」(この橋でトム・クルーズがミッション・イン・ポッシブルのロケをしたという。)をわたって旧市街に入ると、どこを見ても美しい町並みが続く。特に旧市街広場のにぎわいはすごい。中でも広場に面した旧市庁舎塔のからくり時計(毎時0分にからくり人形が動く)前は時間が近づくと黒山の人だかりだ。僕は向かいのカフェの2階でコーヒーを飲みながらゆっくり見物させてもらった。次に旧市街を抜けてプラハ一の繁華街バーツラフ広場に出てみた。ここは有名な「プラハの春(ドプチェク第一書記がおし進めたチェコの自由化政策)」に対するソ連の軍事介入の舞台となったところだ。
 またプラハは音楽の都としても有名だ。スメタナやドボルザークを輩出した都市であり、晩年のモーツァルトが滞在して「ドン・ジョバンニ」を作曲した地でもある。モルダウ沿いのスメタナ博物館では自筆譜や貴重な資料を見ることができた。また町のあちこちで通行人に小さいビラを配る若者にたくさん出会った。日本で街頭の小さいビラといったらいかがわしい店の宣伝がほとんどだが、配られているビラを見ると「モーツァルトのレクイエムの演奏会」や「ドン・ジョバンニの人形劇」のお誘いのビラなのだ。クラシック音楽が生活に根付いているヨーロッパならではの光景だ。
 チェコでもう一つ感心したのはビールのうまさだ。特にプラハの「ウ・クレフ」という店で飲んだ黒ビールの味は忘れられない。またプラハから車で2時間半ほどのチェスケー・ブデヨビツェという町でつくっているブデヨビツキー(ドイツ名ブドバイザー)・ブドバルというビールもなかなかうまかった。(アメリカのバドワイザーのルーツらしい。)チェコは物価が安いのでビールも安い。通貨はコルナで、1コルナ=約3円くらい。
             Re: 東欧旅行記5<プラハ> H.Noda - 2000/08/23(Wed) 00:10:07 No.264 
                      ウーン、建物の中の物音の響きねぇ…。何せ僕たちの行った所はどこも観光客であふれていたので…。教会はどこも天井が          非常に高いのでよく響くと思う。ちょうど教会のお祈りの時間に出くわしたことがあったけど、マイクなどなくても牧師さんの声はよく      通っていた。これならさぞ倍音もよく聞こえるに違いないと思った。
        響きについてあまり大したことはかけません。ごめんなさい。
       PS.チェコのビアホールの名前が違ってました。正しくは「ウ・フレク」(時計という意味)です。


東欧旅行記6<ウィーン> 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/22(Tue) 23:54:52 No.263 [返信]  

 今回の旅行ではチェコからハンガリーへ行く途中に少し立ち寄ったという形なので、ウィーンは半日ほどの駆け足の旅になってしまった。機会があれば、もう一度ゆっくり訪問してみたいと思う。冷戦が終結し、EUも拡大している現在、ヨーロッパ諸国の国境はあってないような物に変わりつつある。私達は飛行機でポーランドに入り、鉄道でドイツへ移動してからバスでチェコ・ウィーン・ハンガリーと移動したが、どこも国境はパスポートをちらっと見るだけで簡単に通してくれる。(チェコ国境付近の道端に立つ売春婦の多さには驚いたが。)簡単に通れるということは中・東欧諸国には外国人があふれているということだ。確かにウィーン市内でもいろいろな民族の人達を見ることができた。
 限られた時間だったのでゆっくり見学したのはシェーンブルン宮殿だけだった。この宮殿はハプスブルグ家がフランスのブルボン家のベルサイユに対抗して建てた物で、その内部の豪華さには目を見張るものがある。また庭園も素晴らしいが、それでもベルサイユの庭園の三分の一の規模だという。また、音楽の都らしく市内には、ヨハン・シュトラウス、ベートーベン、モーツァルトなどたくさんの音楽家の銅像が立っていた。機会があれば有名なシュテファン寺院の内部もゆっくり見てみたいし、オペラ座でオペラ鑑賞もしてみたい。また、ベルベデーレ宮殿絵画館のクリムトの絵や美術史博物館のルーベンス・ブリューゲル・ベラスケスらの作品もゆっくり見てみたかった。
 さて中・東欧の食事は味がきつすぎることもなく食べやすいが(ハンガリーはパプリカがきいていて少し辛い)、ワンパターンなので飽きてしまう。主食はジャガイモで必ず付く。メインはビーフかポークかチキンか魚がローテーションするだけ。野菜がほとんどない。付いても生野菜ではなくキャベツや赤カブの千切りの酢漬け(ザワークラフト)か酢漬けを炒めた物だ。こんなのばかりが続くと日本食が恋しくなる。ウィーンの物価はドイツと同じく高い。1オーストリア・シリング=約7円くらい。


東欧旅行記7<ブダペスト> 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/24(Thu) 00:21:44 No.271 [返信]  

 「ドナウの真珠」と呼ばれるブダペストは、ドナウ西岸の丘陵地帯ブダ(王宮のあった町)と東岸のペスト(商業を中心に発達した町)が1873年に合併してできた町だ。有名なくさり橋によって1849年に初めて一つに結ばれたのだ。ブダ側の丘には王宮をはじめ、マチャーシュ教会、漁夫の砦など中世の面影を残す美しい建物群が立ち並んでいる。(ブダペストも第二次大戦で大きな被害を受けたので、これらの建物は修復した物)この王宮の丘から眼下を見下ろすと、雄大なドナウ川とそれに架かる美しい橋々、川向こうに広がるペストの町並みが美しい。くさり橋をわたってペスト側に入ると、川沿いのネオ・ゴシック様式の壮麗な国会議事堂や聖イシュトバン大聖堂が美しい姿を見せる。しかし何と言っても素晴らしいのはブダペストの夜景だ。夜ドナウ川を船でクルージングしたが、ライトアップされたくさり橋や王宮・国会議事堂などが昼間以上に美しかった。
 ハンガリーのレストランで食事をしていると、ジプシーの人達がやってきて民族楽器の演奏を聞かせてくれる。(もちろんチップを求めてやってくるのだが。)バイオリン・アコーディオン・クラリネット・コントラバス・ティンバロン(ピアノのように弦を張ったものを木琴のばちのような物で直接たたいて音を出す民族楽器)などによる合奏だ。時々アクロバットのような早弾きを聞かせてくれるが、その技術は半端じゃない。
 東欧の国々はソ連の崩壊とともに民主化されたが、経済的に困難な状況を抱えている。市場経済への移行で商品はあふれるほど豊かになったが、元国営企業のあついぐ倒産等で失業者は増大し、インフレも進んでいる。社会主義時代には最低限の生活だけは保障されていたが、今はそれもない。だから一般の人達は正業だけで食べていくのは不可能だという。奥さんが働くのは当たり前、公務員がアルバイトするのは当たり前、子供も高校生くらいからみんな家のためにアルバイトをするのだという。そういえば街頭で盛んに絵はがきを売っている高校生くらいの娘さんがたくさんいたっけ。ハンガリーでも日本人観光客は恰好の獲物なので、日本人だと見ると商品を手に「しぇんえん、しぇんえん」と声をかけてくる。スリや置き引きの被害に遭うのも日本人とアメリカ人が多いという。これから東欧の国々はどうなっていくのだろうか。ハンガリーの通貨はフォリント。1フォリント=約0.4円くらい。

東欧旅行記を終えて 投稿者:H.Noda 投稿日:2000/08/24(Thu) 23:23:08 No.278 [返信]  

 7回にわたって東欧旅行記を書かせてもらいました。読んでいただいた方、どうもありがとうございました。初めての海外旅行だったのですが、海外旅行が癖になりそうでこわい?です。異文化に触れるということは、ほんとうに得る物が大きいと思います。(特に何もしなくても、その国の空気を吸っているだけでも何かしら得る物があるように思います。)もちろん異文化を知るということは、そのことを通して日本を知るということにほかなりません。私達は将来海外での演奏を目指していますが、日本人が西洋音楽に取り組む意味はどこにあるのか。合唱を通して世界に発信すべき「日本」とは何なのか。今回の旅行を振り返りながら、少し考えてみたいと思っています。


旅行記有り難うございます。 Papa - 2000/08/29(Tue) 00:20:25 No.292 

Nodaさんへ
旅行記連載有り難うございました。私も海外旅行にはまった口で、「馬」と「楽器、歌」がキーワードになり、中国、タイ、モンゴル、ウズベキスタンと色々出かけました。僕が行った国のそのまた西に
Nodaさんの行った国があるのだな、と思って読んでいました。
(まだ、インド、中東、バルカンを埋めなければいけないのだけれど)「合唱を通じて発信すべき日本」というのはなかなか難しい命題です。間を埋めるほどに日本は「アジアの特異点」のような気がする今日この頃です。
有り難うございました。



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2000.8.23
県コンクールを終えた今

 Vocal Ensemble 《EST》は、2000年8月20日、三重県文化会館で催された『第40回三重県合唱コンクール』において、全日本合唱連盟理事長賞(総合1位)、一般A部門金賞を受賞し、県代表に選ばれました。9月24日に催される『中部(7県)合唱コンクール』に参加できることとなりました。ソプラノのメンバーが4名ほど、諸事情で出演を断念されましたが、後のメンバーで、何とかいい演奏ができたように思います。

 審査員の先生方からは、次のようなメッセージをいただきました。

伊藤光子先生(合唱指揮者)
<課題曲>
 豊かでたっぷりの音楽。すばらしい。最後のハーモニー、少々、ビブラートがあるので、もう少し整理されたらいかがでしょう。
<自由曲> 
 大変な曲を取り上げられましたね各パート、技術的にも本当に力がありますね。今後がとても楽しみです。素敵なステージをありがとう。

神田詩朗先生(声楽家)
 涌き出るような歌声に、ずいぶんと声楽的な技術を積まれた合唱団であることがわかります。多彩なプログラムの組み立てにも妙があり、各パートの起伏に富んだ表現力に感心しました。

柘植洋子先生(合唱指揮者)
<課題曲>
 和声、Bellaの発声、知的な言葉へのアプローチなど、高校大学には真似の出来ない、大人の合唱を楽しませていただきました。女声の厚みに対して男声(特にテナー)が薄い気がしますが、ホールによって、曲によって、形態を変えていらっしゃいますか?
<自由曲> 
 やはり、男声のピッチが気になる部分があります。A、HPhreのF。この曲を聴いたのは二度目ですが、前回とは違った感じに聴こえました。《EST》は、MIWOの方向を向いて見えるのでしょうか。何を目指していらっしゃいますか。多治見は、演奏から演目からその主張がはっきりわかるものでありたいと思っています。他にない《EST》をおつくりください。ありがとうございました。

錦かよ子先生(作曲家)
<課題曲>
 はじめて、安心して聴かせていただきました。音楽がちゃんとありました。すべて美しい。
<自由曲>

 とても美しい。ロングトーンの美しさを改めて感じました。合唱というのは何なのかを考えながら聴きました。

畑 義文先生(声楽家)

 Ausgezeichnet!!

一つの正解に向かう

 ロッシーニとマレンツォと鈴木輝昭。様式も手法も違う3つの作品を“愛”という根源的なテーマの元に有機的に結び、一つの独特の時空を作りたい。多彩で、かつ、筋の通った主張をしようと、これまで練習を積んできました。本番の演奏も、ロッシーニは2回目、マレンツィオは5回目、鈴木作品は4回目でしたが、聴衆の皆様にお聞きすると、それぞれのステージに、それぞれ違った印象を受けられているようです。確かに、音楽は、時間の芸術であり、繰り返し演奏しても、全く同じ演奏をすることは不可能です。

 しかし、突き詰めた音楽の在り様は、ただ一つであるはずだと、私は思っています。こんな方法もある、あんな方法もある・・・と考えている間は、まだまだ本質にたどり着いていないのです。音楽に正解の姿はただ一つあるのです。その姿を探し出すために、本当の音楽家は、様々な営みを続けていくのだと思います。

 実際、何度も同じ曲で本番を踏めるという価値はここにあり、コンクールという場を利用する利点もここにあります。それぞれの演奏が結果的に違っていたとしても、それらの演奏が、ただ一つの究極の姿(正解)に向かっているかどうかが大切なのです。

 では、私は、ただ一つの正解を果たして探し出せているだろうか。このことを自問し、楽譜をもう一度、新鮮な気持ちで見直す必要があります。演奏する曲と関連付けながら、広く物事を捉えなおす必要があります。その中で、自分の中に改めて満ちてくるものを信じ、それを咀嚼し、表現する必然性にたどり着きたい。それは、私のものの考え方、もっと言えば生き様にもつながるものであるはずです。

 県コンクールを終えた今、改めて、3曲のそれぞれの姿と、3曲通しての時空の姿を再確認したいと思います。そして、《EST》のかけがえのない仲間と、新たな出会いをしたいと思っています。






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