牧師の小部屋



2005年11月 3日 韓国ツアーの時、
ソウルのホテルのロビーにて。

大分カルバリチャーチ牧師橋本守の小部屋です。
このページには、折に触れて、わたしのエッセーを掲載していきます。
どうぞ、よろしくお入りください。




2006年9月5日 「ギリシャ&ルーマニア宣教旅行記」E
アテネに戻った私たちに、ルーマニアの牧師たちがその夜、おもてなしをして下さるということであった。
その前に二人の方にいやしの祈りをしてほしいということで尋ねていった。
一人は、姉妹たちのリーダーになる方で、長血を患っていた。
大川師が、彼女のために祈った。後で彼女がいやされた事を川井師から聞いた。
もう一人は男性の兄弟で、交通事故から下半身が完全に麻痺し、車イスの生活であった。大川師が御言葉からいやしの信仰を語ったが、彼のうちに信仰がないと見て取って、いやしの祈りはしなかった。-賢明- 
中嶋師のいやしの祈りを見ていた私には、別の考えがあって、
祈っていくうちに信仰が与えられればと思い、
「先生、今度は私に祈らせて下さいますか」と言って、祈りのパターンを色々試みた。そして「立ってみてくれますか」と問うと、「立てません」であった。
彼がいやされたとは、まだ聞いていない。これだけは、心残りで、宿題をし残したようである。
いよいよ大川師との別れである。
1月24日、午前3時ごろには大川師は帰国のためにホテルを発った。
部屋を出る前、私のために祈って下さったが、私はベッドの中で朦朧としていた。
私のほうは、その日の午後3時40分にアテネ空港出発である。
ヨネル兄一家が私たち一行(川井師御夫妻と)を空港まで送ってくれた。
いよいよヨーロッパである。心少しときめかしながらハンガリーのブダペストに午後5時30分到着した。
24日と25日の二日は、ブダペストの町の観光であった。
ドナウ川沿いにライトアップされた美しいカトリック教会や王宮を見て周った。
翌日も、ドナウ川に行ったが、対岸の建物のシルエットがとても美しく印象に残った。ドナウ川には氷が流れていた。
の日のお昼は、日本人の経営するレストランに行き、さぬきうどんを食べた。
上原さんといって「ありがとう」がレストラン名である。
そのご家族が救われるように祈っていると川井師。そこで一息ついて、大きなショッピングモールへ。
夕方、ルーマニアへ旅立つ列車に乗り込む。
プラットホームが低く、荷物を持ち上げるのに苦労した。
ヨーロッパの車窓から風情をたのしみながら、夕日が沈むまで景色を眺めた。
しかし、列車はあまり心地よいものではなかった。夜中、いよいよルーマニアの国境を越えた。

アテネ空港にあるギリシャ     ハンガリーの王宮       ドナウ川の湖畔で    ルーマニア行きの列車の前で
正教の会堂の中で





2006年8月10日「ギリシャ&ルーマニア宣教旅行紀」 D
 クレタ島へ向かうフェリーは、大分と関西を結ぶ関西汽船のサンフラワー号を一回りも大きくした大型フェリーである。乗船してアテネの港を出港したが、なかなか楽しい気分になるものである。船の食事も美味しかった。
 早朝5:30にクレタ島のレティムに到着する。クレタのルーマニア教会の指導的立場にいるダニエルさんが迎えにきていた。彼の家へ招かれ、そこで朝食をいただく。盛大なおもてなしであった。食卓を囲み、若者達と言葉のやりとりをして簡単なルーマニア語を少し学習した。
 このクレタ伝道は、昨年大川師がクレタの一人の青年と約束をして実現したものであった。約束どおり実行される大川師の誠実な人柄がすばらしい。
 ところが、いつ伝道に行くのであろうかと思っている間に夕方の集会を迎えることになった。
 会場は、ギリシャ人の教会堂を借りてするということで、1時間余りの運転でその教会に着いた。集会が始まろうとしているのに、集まってくる人は、ほんの数名である。最終的には、アテネからのメンバーを除いて10名そこそこであったと思う。伝道集会ではなく、クリスチャンの聖会みたいになった。
 「せっかく日本から来たのに」内心失望した。後で聞くと色々人事の変更があり、伝道集会を持つ準備が出来なかったようである。しかし、集会には聖霊が豊かに臨み、大川師の力強いメッセージに主が働いて下さった。いやしの招きに二人の方が応じて前に出られた。一人は、ギリシャ人の男性で、1才の男の子が毒を飲んで医者に行ったが、その子が助かるよう祈って欲しいということであった。もう一人の方は、老姉妹で、10数年咳が出て賛美が歌えないので祈って欲しいということであった。この2件とも見事にいやされたのである。この奇跡のいやしの出来事は、私達にとって本当に慰めとなった。主の大きな恵みである。
 聖日の礼拝を終えて帰りのフェリーに乗るのであるが、風が強いなか、かろうじて出港することが出来た。
大川師と川井師、「我々は、パウロのように使徒行伝を体験することになるのだ」と。大型フェリーなのにかなりの揺れであった。パウロの難船を少しは実感したことであった。
こうしてクレタ島への伝道を終えて無事早朝にアテネの港に着いた。




 2006年7月3日  「ギリシャ&ルーマニア宣教旅行」 C
1月20日の金曜日、朝6時起床した。この日は、川井師御夫妻が私たちをアテネのアクロポリスへ観光案内をして下さった。アテネを象徴する場所である。アテネオリンピックでは、何度もテレビに映し出されていた。私にとってはそこに行くはずもない、遠く感じる場所であった。しかし、現実に足を踏み入れたのだ。ついにギリシャまで来たか、実感した場所でもある。
様々な偶像と神殿があるが、一番大きいのがパルテノン神殿という。正に天然の要塞の上に神々が祭られているといって良い。廃墟の遺物の中には、当時のキリスト教を思わせる十字架や様々な模様なるものがあった。
川井師の説明では、このパルテノン神殿の内側にもう一つ壁が作られ、そこを教会堂として主イエス様への礼拝が捧げられていたであろうということであった。偶像のお宮が、教会堂になったという訳である。そうだとすると、迫害を耐え抜いて大きく成長していった当時のキリスト教の勢いを感じたのだった。もし、日本にリバイバルが起ったなら、このような現象が起りうるだろう。さしずめ、パチンコ屋が教会になるなら痛快である。
さて、降りていったところに、アレオパゴスの評議所の跡がある。パウロがそこで、アテネの人々に福音を語った場所である。大きな岩が小高く盛り上がっていて、そこでパウロが説教をしたであろうというのである。上って見ると結構高く感じた。おそらく人々が群れをなして集まったであろうと思われる広場を眼下に見下ろすと、左方斜め上方に神殿が見えた。
「神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。」(使徒17:24)と、指差しながらパウロは語ったであろうと、川井師の言葉。
なるほど、何と大胆なパウロの宣教だろう。さっそく、そのポーズをとってデジカメに。丘を降りたところに様々な店があって、しばらくショッピングを楽しんだ。アテネの中心街にあるデパートなどでも、ショッピングを楽しんだ。これも、旅のなくてはならない楽しみである。
その日の夕方、8時ごろ、大型フェリーに乗り込んでクレタ島へ出発した。十数名のオモニアの若きの福音の戦士たちが集まった。クレタへ伝道に行くのである。何ともたくましい伝道チームであろう。京都時代の昔を思い出す。



 2006年4月19日  「ギリシャ&ルーマニア宣教旅行」 B
 ギリシャ正教の会堂の中の聖画、これを「イコン」と言うのでしょう。もし間違っていたら失礼。
 さて、旧コリントの遺跡だが、すぐ側には高い山があって、コリントの町を見下ろしている。頂上には、要塞の跡がある。そのコリントの廃墟に、足を踏み入れた。
 使徒時代のパウロが足を踏み入れた同じ町に、私も足を踏み入れたのだ。タイムスリップして、当時のパウロと同じ気持ちを持てるようにその廃墟を、川井師の説明を聞きながら周った。大きな神殿があり、偶像はおびただしく、まことに不品行に満ちた町であったことがうかがえる。当時で、60万人はいたであろう町だから、この世の繁栄に満ちていたであろう。
パウロが、「わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった」(Tコリント2:3)と言った気持ちが、この私にも伝わるのであった。そういうパウロに神は、「恐れるな。語り続けよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」(使徒18:9・10)と語り励ましたのだ。大きな教会の跡があった。
あらためてパウロは、異教の人々に伝道をしたのだという事を確認したのだった。当時のコリントの町は、現在の日本にも似ていると思う。さすれば神は、この日本の魂を愛して、豊かに救いの業を成してくださるに違いない。「主よ、パウロのような聖霊の力と油注ぎを、この私にも与え給え」その祈りを込めて、コリントの廃墟を後にした。
帰りの途中、食堂に入った。ギリシャ語では、食堂の事を「タベルナ」と発音するという。我々日本人が聞けば、何ともおかしなジョークになる。「タベルナ」なら、少しの量がよいかなと思ったが、出された料理は結構盛りだくさんであった。多少口にあわないかなとの思いはしたが、それでも食せないことはなかったので一生懸命口に入れた。が、如何せんお腹にも限界があった。しかし、大川師と川井師は、結構おいしそうに食していた。
アテネに帰り、その夜はオモニアのルーマニアペンテコステ教会の集会に出席した。これこそペンテコステ。水を得た魚のように元気が与えられ、霊的にも肉体的にも回復し、新しい力が与えられ感謝であった。大川師の油注がれた力強いメッセージの前に、30分ほど前座を務めさせて頂いてこれもまことに感謝であった。

コりントの廃墟の入り口 首なしの偶像      コリントの教会の跡   川井師御夫妻







2006年3月24日 3月のメッセージ「神の声を聞く」
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの
国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」    
                       (詩篇46:10)

 トリノ冬季オリンピックが終わりました。
日本のメダルは、女子フィギュアで荒川選手の金メダルが唯一のメダルでした。
ショートプログラムでは3位につけていましたが、フリーでついに金メダルを獲得
したのです。朝のテレビニュースで、そのことが分かりました。
他の有力な選手がいる中で、素晴らしい見事な金メダルでした。
待ちに待った待望のメダル、それも金メダルです。
録画を見ましたら、本当に素晴らしい、文句なしの演技でした。
涙が出てきて仕方がありません。
表彰式で、国旗の日の丸が揚がるのを見て、また涙です。
大きな喜びと感動を日本中に与えて下さいました。
その荒川選手ですが、自分の番が来るまで、彼女はヘッドホーンをしていて、
フィギュアで演じる曲を聴いていました。
それは、他の選手の演技や観客の声援に気を取られることのないよう、
自分の演技に集中できるように、冷静さを保っていたというのです。
このことは、私達の日常生活にも当てはめることが出来ると思います。
様々な中傷や否定的な声を聞きますと、私たちは平安を失います。
また、色んな悪い出来事などが身の回りに起りますと、それに捕われ、
振り回されて、自分を見失うことが度々あるのではないでしょうか。
そういう時は、外野の様々な声や出来事に耳を塞ぎ、
ただ神の声に耳を傾けていこうではありませんか。
「忙しい」という言葉は、「心」を「亡ぼす」ことになります。
あなたの人生、立ち止まって、上を見上げる時が必要でしょう。
聖書は、「静まって」とあります。
それは、何も行動しないで、更には、自分に死んでという意味があります。
そうして、真の神に思いを馳せ、ただ神の御声に耳を傾けるのです。
神の御心は何であろうかと、耳を傾けるのです。
そうしていくと、騒いでいた心に平安がやってきます。
主から素晴らしい答えがやってくるでしょう。
神の御心が見えてくるでしょう。
本当に何をしなければならないかが、分かってくるでしょう。
何よりも、神はあなたと交わりたいと願っているのです。
神は愛ですから、この神と交わり、神の御声を聞くことによって、
あなたも人生の金メダリストになろうではありませんか。



2006年3月15日(水)  「ギリシャ&ルーマニア宣教旅行」 A
  アテネ市の中には、三つの山というか丘がある。その一つが、リキャビトスと言って、一番高い丘である。一周にアテネ市内を見下ろせる。頂上には、ギリシャ正教の教会がある。
 教会堂の中の壁画には、聖書の物語が、正にそのままに描かれている。これが、オーソドックスの教会の特徴であると、川井師の説明。考えて見るに、本当に聖書的、福音的である。今は、形骸化しているが、昔は福音そのものが語られていたであろうと思われる。正面の祭壇の上の天井には、聖霊降臨の絵が描かれていた。「これはめずらしく、ここだけにあるものですよ」と、川井師の説明であった。
 そうするならば、当時は、本当に素晴らしいペンテコステの教会が多かったに違いないと思った。パウロの伝道も、決して無駄ではなったと言える。
 ヨネル兄の案内で、この一つの観光を終えて、その夜は、ルーマニア人のバプテスト教会に行った。週の半ばの集会であったが、結構集まっていた。その夜は、大川師のメッセージで、私は、最初の挨拶をさせて頂いた。
 ギリシャ人のバプテスト教会を借りて、出稼ぎに来ているルーマニア人のバプテストの信者たちが、そこで礼拝をしているのであった。ところが、肝心のギリシャ人のクリスチャンが減少し、ルーマニア人のクリスチャンが増えているという。その会堂を売り出す計画があり、ルーマニアの教会がそれを購入する話が出ているということですよ、川井師。
 次の日、ヨネル兄に代わって、バシレ兄が車で我々を観光に案内してくれた。28才、独身の若い兄弟である。私の息子と同じ年なので、アテネの私の息子ということになった。
 案内してくれた所が、コリント。ハイウエイを飛ばしてコリントへ。いや〜、私にとってこれはホントうれしかったですねー。コリントまで観光出来るとは思ってもいなかったから。
 アドリヤ海とエーゲ海を結ぶ運河に来た時は、「今日は、運がいい、ウンガいい」と、その言葉を連発しながら写真を撮った。現在のコリントの町の中を通って、昔の廃墟のコリントへ行った。昔のコリントは、港町と考えていた私は間違っていたことに気づいた。西側の海から東側の海へ、荷物を運ぶその中継地点の中心となる町であったという。川井師の銘ガイドを聞きながら、パウロの伝道に思いを馳せ、その廃墟を見て周った。  


 リキャビトスの頂上にある   ギリシャ正教の会堂の中    リキャビトスからアテネ市街      
ギリシャ正教の教会。                           を見下ろす。
                                        

アテネ市にあるルーマニア  コリントの運河
のバプテスト教会。



2006年 2月6日(月)  「ギリシャとルーマニアの宣教旅行」 @
 しばらくこのコーナーに、「ギリシャ&ルーマニア宣教旅行記」を書いてみようと思う。

 かねてより、高知の大川師の宣教旅行について行ってみたいと思っていたが、
今回実現し感謝であった。
昨年4月に、ルーマニアへの宣教師、川井勝太郎師が大分へ来られた時、「来
年は、大川先生がクレタ島へ伝道に行かれるんですよ」と、私に語られた。
その時つい思わず「私も行ってみたいですね」と言ったことから話が弾み、こうし
てこの宣教旅行が実現した。
同じ教団では、京都福音教会の小平師ご夫妻と信徒の方々がすでに2回行っ
ている。
旅行の手配はすべて大川師がして下さって、私は随分楽をした。
初めてのヨーロッパへの旅であった。KLMオランダ航空で関空を出発し、アム
ステルダムを経由して、ギリシャのアテネに夜中の0時半ごろ到着した。
飛行機の中では時々腰が痛くなったが、普段の運動不足を実感した。
空港には、宣教師の川井師とヨネル兄(アテネにいるルーマニアの信仰熱心な
兄弟)と可愛い4才の女の子が我々を迎えに来ていた。
その朝は、ヨネル兄のお家で食事をいただいた。
このヨネル兄だが、アテネにおけるルーマニアのペンテコステ教会であるオモニ
ア教会の役員をしている兄弟である。建築の塗装関係の仕事をしており、彼はそ
の経営者である。幾人か雇っているようだが、教会が必要な時には仕事も捧げ
て、主の為に働くのである。
その夫婦には、4才、2才、0才の女の子がいる。奥さんはもう一人妊娠中である。
ヴィオリカさんという。大きなお腹をかかえながら、我々のために、おいしい料理を
作ってくれた。
見ていた私は「大変だなあ」と思ったが、そう問うと首を横に振って、主の為に出来
ることは自分にとって当然で、幸せな事だと言う。まあ、何とたくましい姉妹であろう
かと、関心した。そのヨネルさん29才で、奥さんは28才ある。
ご自分の車で、我々をアテネの観光に連れて行ってくれた。

アテネの路地。両側には車がビ ヨネルさんのお家。彼の部屋。  左端が川井夫人、中央がヨネル
ッシリ駐車。             オーディオ・音響関係の機材で  さん夫妻と赤ちゃん。大川師と
                    一杯。教会の為本人が買い揃  右端が私。
                    えた物。伝道の時にはマイク・
                    スピーカー等、たくさんの機材を車
                    に積んで出かける。



2006年元旦  「2006年の期待」
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
昨年の暮れに出版しました「田舎(カントリー)牧師」の本、
様々な反響があり、感想が寄せられてきています。
「とにかく面白い。一気に読み終えました」。
「ぜひ、続カントリー牧師を」。
「ちょっと読もうと思ったら止まらなくて、一晩で読み終えました」など、
読者の声が寄せられています。
中には長年伝道してきていても、戦いの中にある牧師から、
「先生、目が覚めました。伝道頑張ります」と。
こういう声を聞きますと、ホントに嬉しいですね。こちらも涙が出ます。

今年こそは、日本の時。主が、リバイバルを起こしてくださるようにと
切に祈り求める時でしょう。
今朝の元旦礼拝は、イザヤ書30:18〜24からのメッセージ。
「主は、必ず私たちを祝福し、必ず、私たちを用いてくださる。
私達の呼ばわる声に応じて、必ず恵みを施し、答えてくださる。
蒔いた種に雨を注いで、地の産物を豊かに刈り取らせてくださる」。
こういう内容のメッセージです。
聖霊の、主の豊かな臨在ある元旦礼拝でした。
今年は、大いに期待できそうです。
飢え渇きを持って!
今年も、皆様の上に神の豊かなご祝福をお祈り申し上げます。



2005年12月5日(月)  「田舎(カントリー)牧師」の出版
 ついに「カントリー牧師」を出版しました。
2002年の宣教30周年記念の時に、その一つの事業として
この本を出版する予定でしたが、諸般の事情から出来なくなっていたのです。
しかし、ついに本が出来上がりました。
出版社は、プレイズ出版。
出来上がった本を、しばらく手にして眺めたり、さすったり、
ペラペラとページをめくったり、まー何と言いましょうか、
こういうものでしょうなあ〜。
信徒全員にプレゼント。しかし、伝道のために最低1冊は購入してもらうことに。
ある牧師夫人からは、「もう一晩で、いっきに読み終えました」と。
何だか気恥ずかしいことですが、しかし、読者の方々の信仰の励みとなるなら
感謝です。主の栄光の為に用いられることを祈ります。
1冊;1500円(1冊1500円+送料・10冊以上送料は無料)
お求めの方は、こちらのメールをご利用下さると感謝です。



2005年11月23日(祝日) 「恵みの韓国ツアー」
11月2〜4日。9名のメンバーで、韓国ソウルへ。
まあハプニング続きと、感動の旅でした。
4才の女の子も、お母さんと初めての旅でしたよ。
もう、ハイテンション。
運転手つきのレンターカーで3日の日は、まる一日、教会や観光、お買物と
移動しました。その車の中で、大きな声で、「主にハレルヤ、ハレルヤ・・・」
と大きな声で歌うんですなー。
とにかく、愛する兄弟姉妹とず〜っと一緒に行動するので
いつもより、うーーんと親しくなって、ホント、まあ楽しい旅となりましたねー。
韓国は、リバイバルの国、日本も早くリバイバルが来ますように。
祈りつつ日本に帰った旅でした。
前後になりました。
李相烈師の聖会では、主の豊かな恵み、臨在ありました。
遠くは、岩手県からの参加がありましたよ。
とくに、カトリックからの参加者が多くて、不思議でした。
世の終わりには、神様は、カトリックのクリスチャンにも、飢え渇いて求める人には
聖霊を注いで下さるのだと思いました。
個人的には、これまた大きな預言を頂きました。
2006年から、リバイバルの炎が降る。
いやー、ホントにそうなって欲しいものですよ。
でも、この11月から不思議と色々な方が教会に来るようになりました。
いそがしくなっています。主に感謝!



2005年10月17日  「近づく李相烈師によるセミナー」
 10月25・26・27日。
別府にあるFGイエスキリスト教会(牧師;永野師)と、
大分カルバリチャーチとの共催のセミナーです。
各地に案内を出したのですが、かなりの反響を呼んでいます。
遠くは、仙台市からもあるんですなー。
すっごい飢え渇きですよ。
つい、今の自分はどうかな〜と、反省させられます。
中には、個人預言をしてもらえることに期待している人もいます。
今週はみんなと一週間、連鎖断食祈祷です。
とにかく、李師は火付け役。我々が燃えなくては、この地域の
リバイバルは起きない。主イエス様に期待して!!



2005年10月14日 「瀬戸内セミナー」
 10月4・5日。ここは瀬戸内海です。
岡山県の小島のリゾートホテルにて、教団の教職セミナーがありました。
題して、「瀬戸内セミナー」です。(自分のかってな呼び方で)
教会の現場から、しばらく離れてリラックスできました。
遠くには、瀬戸大橋が見えるのです。
時としてこのような機会を持つことは、牧会者にとって大切な事ですね。
各地より集って来られた先生方との交わり、ホント励まされます。
セミナーは「聖霊の賜物とその管理」でした。
小牧者で学んだ所から、私が先生方に紹介しました。
自分自身が、恵まれました。
このセミナーの後、山陽町の教会の牧師に会いに行きました。
小さな町ですが、ちょっとしたリバイバルが起っているというので
その教会を訪ねたのです。
N牧師を通して、顕著な神のいやしのみ業が現れているということです。
交わりの後、さっそく息子と家内と私と祈ってもらいました。
息子のいやしは、すぐに現れなかったのですが、家内の場合は、
不自由であった薬指が真っ直ぐに曲げ伸ばしができました。
今まで、いやしがなかった訳ではありません。
しかし、もっとすばらしい神の奇跡が現れてほしいのです。
そのことを切に願いながら、大分への帰途につきました。
        

      
          教団理事の先生方と一緒に




2005年8月22日(月)  「素晴らしかった夏期聖会」
 今年は、九州で初めて夏期聖会を行った。
大分県の湯布院である。いつもは250名ほどの集まりに
なるのだが、九州ですと150名が集まれば良い方だと考えた。
我々、委員会のメンバーも九州の先生方である。
準備もうまくいくかなと心配になったが、主が祝福して下さって
うまくいきました。
まあ〜結構しんどかったが、すべて主の助けがあってハレルヤである。
参加人数は、およそ180名ほどにまでなった。
これはほんと感謝である。
ホテルは「七色の風」。
温泉はあるは、ロケーションは抜群で、料理は今までで最高の料理。
聖会での西田師のメッセージにも、
本音で語る師のメッセージにみなアーメン。
とにかくみんなに喜んで頂けて感謝である。
川柳を2句。
 「温泉と 聖霊にひたる 夏期聖会」
 「ホットスパ メッセージにも ホットする」



2005年 7月 6日(水) 「ティーンエイジャーの救い」(7月号月報より)
 このところ10代の高校生の事件、それも最悪の殺人事件がニュースで
取り上げられ、まことに心痛む出来事です。
まるで連鎖反応をしたように事件が出てきます。
どんなに法律を厳しくしたとしても、
おかまいなく凶悪な事件は減ることがありません。
10代の若者たちの事件が多いことは、
どうしたことであろうかと考えされられます。
一つは、テレビゲームやインターネットの普及(これらが悪いとは言いませんが)
に原因があるのではと思います。
悪の誘惑をもたらす内容のものがたくさんあり、
無防備の子どもたちの心に次から次へ容赦なく侵入していきます。
多くの子どもたちの心が、知らず知らずのうちに汚されていっているのです。
また、昔と違って子ども同志の遊びも少なくなり、
人とのコミュニケーションが持てなくなってきている若者が増えてきています。
教会の、若者を対象にした伝道活動で、「ミニチャペルカフェ」があります。
この前、久しぶりに高校生がきました。
私にとって、どのように話してよいのか一瞬戸惑いました。
いかに若い高校生に触れてくることの少なかったことでしょう。
これではいけない。もっと中高生にも目を向けて、彼らを愛し、
キリストの福音を伝えていかなければならない、そう強く思わされたことです。
将来の夢も希望もなく、自分に自信がなく空しくさ迷っている若者が
いかに多くいることでしょう。
神はかかる若者たちにも、愛の目を注いでおられると信じます。
無限の可能性を秘めている若者たち。
もし彼らが、彼らを愛しておられるキリストの愛を知って、
生けるまことの神に立ち返ることが出来るなら、
彼らの中にある素晴らしい力が、きっと輝きだすことだろうと信じます。
教会として何か出来ないものだろうかと、主の前に求めていかなくては。
そう言えば、私のキリストとの出会いは高校生の時、
聖書をもらったときに始まりました。
何とかして、少しでも聖書に触れる機会を与えたいものであります。



2005年6月11日(木)  「魚釣り」
 今週の月曜日、久しぶりに魚釣りに出かけた。
天気も良く、大潮である。午後から出かけた。
佐賀関の突端の灯台の下のほうにある海岸である。
友人のN牧師が、時々そこに釣りに行くというので、私には初めてであったが
その海岸に行ってみた。
山を降りなければならない。ちょっとだろうと思いきや、結構な坂道であった。
重たい釣り道具一式を背負って降りたのであるが、帰りは、大変だろうと思った。
海岸へ降りると、まさに素晴らしい釣り場があった。
岩場に立って竿を投げる、これだけでも気分は最高。
ピクピクとうきが動いたので、竿をしゃくると、グットと魚がかかった。
次にグーっと糸が引かれ、竿が弓なりにしなった。
「よしっ、大物だ」
強い締め込みの中、慎重に糸を手繰った。
30センチ弱の大きな「ハゲ」であった。
さいさき良く、次を勢い込んだが後は「ベラ」ばかりであった。
夕方になると大物(狙いは「クロ」である)が期待できるが、
潮の流れが速くなり、喰いはピタッと止まった。
釣りを諦め、帰りについたが何とまた坂道を登らなければならない。
重い荷物を背負って、ホント死ぬ思いがするほどきつかった。
「二度とここにはきまい」と思いながら坂道を上がったが、
分かれ道のところで、別の方角から上って来た釣り人とばったり。
彼は手ぶらであった。もっと大物の魚(ぶり)釣りであるが、釣りそこねたそうだ。
彼の両親はクリスチャンだが自分は親不孝物で、親から勘当されて
今大分で暮らしていると言う。
私は牧師だが、教会にいらっしゃいと言って名刺を渡した。
思わぬ出会いが与えられ、神に感謝した。
ここしばらく1週間ほど、足腰が痛くて歩くのもヒョコヒョコである。



2005年 5月16日(月) 「主イエスの奇跡は今もある」
「レインボウホール」。 8000人収容できるホールである。
名古屋で、ベニー・ヒン・ミラクルラリーがあった。
13,14日と二日間。妻と共に、これに参加した。
一日目は、4500人ほど。しかし主が働いて、多くの未信者の方が
信仰を決心した。そして、たくさんの癒される者が起こされた。
主の強い臨在があり、ベニー・ヒン師のミニストリーによって驚くほどの
奇跡が起った。ちなみにこの私も、喉の痛みがスッと癒されたのだ。
二日目は、6000人の参加ありと、後ろの2000席は、黒いカバーが被せてあった。
しかしまもなくそれも取り外されて、8000席が満席となったのである。
更に強烈な主の臨在が来た。
聖歌隊の素晴らしい賛美もあり、まさに賛美に酔いしれた。
主の力強い油注ぎの中で、顕著な奇跡も起り、多くの方が癒しを受けた。
ベッドがたためられ、車椅子が必要でなくなり、目が見え、耳が聞こえ、
癌の病が癒され、数々の奇跡が目の前で起った。
ベニー・ヒン師は、「日本のリバイバルのためにテレビ伝道する」と宣言した。
神の奇跡を、茶の間で目にするなら、多くの日本人の神に対する意識が
変わってくるであろう。実に大きなチャレンジである。
ベニー・ヒン師だけではない、神は、求める我々日本人にも日本の教会にも、
豊かに働いて、同じ、いやまたそれ以上の奇跡を現してくださると信じる。
車に乗って、日曜日の礼拝に間に合うように午前4:30に教会に着いた。
疲れも感じないほど油注ぎを覚え、ペンテコステ礼拝と午後の聖霊待望会に
豊かな恵みが注がれた。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、いつまでも変わらない」
日本にリバイバルが来るように!
神は、決して日本を見放すことはない。
そのためには、更に飢え渇き祈って主を求めるべしである。

                           



2005年 4月25日 「キリシタン殉教遺跡巡り」
4月の22日。市内の各教会の教職者たち、別府から1人の牧師の参加、計17名で
キリシタンの殉教遺跡巡りに行った。
マイクロバスを借りたんだが、大型免許所持者は、私ともう1人の二人だけ。
ほとんど私が運転させて頂いて、丸一日の行程で県南の方を巡ったのだが、
ほんと楽しかった。
自分ではあちこち見ていたつもりだったが、結構知らないところが多くあった。
田んぼや畑の畦道など、随分狭い道を通りもしたが無事運転できた。
キリシタンの墓地、隠れての礼拝場所、殉教の血を流された場所等、見て回った。
記録には、ある宣教師が入ってきて、2ヶ月で170名の受洗者があったという。
当時、大変な勢いでキリシタンが増えていったのが分る。
しかし、江戸幕府の政策で迫害が始まったのだ。
多くの転ぶ者(信仰を捨てる)が出たけれども、また、たくさんの殉教者もで出た。
宇目町にある「るいさの墓」は、九州で一番大きな墓と言う。
よく調べている婦人の牧師S先生、みんなに詳しく説明してくれた。
当時の信仰者たちは、まことにキリストに対する信仰が厚く、
純粋なものであることがよく分かった。
お寺の檀家制度は、徳川幕府のキリシタン迫害のための悪制であって、
それが今日まで続いているのだ。
先祖は、仏教仏教というけれども、過去の歴史を紐解くとこのようなカラクリが
あったことが分るはず。
もし、このような悲惨な迫害がなければ、今頃日本はキリスト教国になっていただろう。
祈り、宣言した。「殉教の血は決して無駄になる事はない」と。
大いなるリバイバルが、この地に必ず訪れることを信じる者である。


説明するS師 三重町の隠れ礼拝  野津町にあるキリシタン墓地と礼拝場所   12使徒になぞらえるシモンの
場所かなりの急勾配の所                                      墓地で参加者一同



2005年4月8日  「ローマ法王ヨハネパウロU世の死」
カトリックの頂点いる法王ヨハネ・パウロU世が、亡くなられた。
この法王は、心の広い方で、カトリックを斬新的に改革し、
世界の平和のために尽くして来られた。
それゆえ、カトリック教会の中にも、聖霊刷新運動が広がり、
その共同体も生れて世界各地に広がっている。
カトリック信者の中に、聖霊を体験し、イエス様の素晴らしい恵みを
受けている人々が多く増えてきているのである。
まあ、おとなしいシスターたちが、聖霊に満たされて踊ったりするのですよ。
もちろん、いやしやしるしや奇跡も体験するのですよ。
日本でも、そういう人たちがいますが、まだまだ少数だ。
隠れキリシタンのように、飢え渇いて求めている。
今度、新しく法王に選出される人は、どういう人であろうか。
密室で選出なされるそうだが、それをコンクラーベという。
3分の2以上の獲得者がなれるそうだが、それまでコンクラベ(根比べ)になりそう。
聖書の黙示録に、大淫婦の出現があるが、
そのようなたぐいの人が選ばれでもすれば、困り者である。
カトリックの中でも、迫害が始まるやも知れぬ。
世の終わりが、刻一刻と近づいていると言わざるを得ない。

プロテスタントにおいては、京都府のある教会の牧師の不祥事が明るみに出た。
何と情けないことだ。イエス様の御名が汚される。
その近くにいる友人の牧師に聞いてみたが、
以前からそのような噂が絶えなかったと。
神は、隠れた悪を明るみに出される。
よほどしっかりした悔い改めがされて、行いが改められない限り、
二度と牧師としての務めはできない。
牧師がふるわれ、教会がふるわれる。
いや、神がきよめられるのだ。
サタンの誘惑・試みに気をつけ、へりくだり、身を正して主に仕えよう。
主が、まことのリバイバルを教会に、この日本に起こしてくださるように。



2005年3月16日  「啓蟄の季節」
3月、もう春なんですけどねえ。
まだまだ寒い日があります。
この時期は啓蟄といって、土の中から虫が這い出るのです。
春の季語です。
春一番というのもありますが、春二番、三番とその都度
暖かくなって、花満開の季節となるのですね。
人生の試練や戦いはつきものですが、
しかしそれは確実に春の祝福を告げるものです。
神様にある人生は、失望に終わることがないのです。
今年になって、父が89歳で天に召され、家内の母が、95歳で
また天に召され、教会も色々戦いがあります。
しかし、ある聖会で神様から素晴らしい預言を頂きました。
「主が教会にリバイバルを下さる」と。
試練を耐え忍びつつ、忠実に主に従うことは祝福ですね。
神様からの祝福が必ずあるのです。
今年は、今までにない主イエスの御業に期待が膨らみます。



2005年 3月 3日(木)
 今日は、お雛様。
我が家のお雛様は、ただ一人、妻です。
この前いや先月、バレンタインで本チョコいただいたですね。
まあ、おいしかったですよ。
こころなしか、もらう箱が小さくなってきているようだけど。
かっては山のようにあったチョコも、この頃は寂しくなりました。
この3月はお返しのホワイトデーですな。
まあ、少なくて経済的ですが、
かっての嬉しい悲鳴はどこへやらです。
まあ男性っていうものは、たくさんの女性から愛されるのは
悪い気がしません
だから神様は厳しく、「自分の体のように、妻を愛しなさい」
と、厳しく戒めているのでしょう。
今年の3月は、受難週が20日から。復活(イースター)が27日。
27日の礼拝は、「復活の主にふれる聖会」という特別礼拝です。
まことに一人一人が、生けるキリストにしっかりふれる、出会う、
体験する、そのような感動溢れる礼拝となることを願います。



2004年2月16日(水)  「父の死」
 今年2月1日、 89歳で父は天に召された。
倒れてから、3回病院で付き添った。
弟夫婦が両親を見てくれていて、感謝している。
最初に見舞いに行った時、お祈りの後、
「お父さん、イエス様を信じますか?」と質問すると、
「ハイ」と答えた。(いつもは、オー、オーと答える父が)
「アーメンですか?」と問うと。「アーメン」と大きな返事が返ってきた。
うれしかったので思わず、「ハレルヤ!」と言ってしまった。
すると父も、「ハレルヤ!」と答えたのであった。
それを聞いていた弟が驚いて、
「兄貴、ハレルヤ!と言ったなー」と、私に言って来た。
葬儀は、田舎のことで残念ながら仏式になったが、
火葬に付す前に、火葬前式を私にさせもらうことにお願いした。
和尚には、遠慮してもらいたかったが、読経の後に私の出番となった。
ほんとやりにくかったが、皆に司式第を配り、最初の祈りを捧げ、
「驚くばかりの恵み」(アメイジンググレイス)の聖歌を歌いだすと、
皆の目に涙が流れ出していた。
父について、また、信仰を持って天に召されたこと、天国での再会の希望、
そして、聖書の救いの御言葉を語った。12,3分の式だったと思う。
主の臨在があった。
父は、かなり昔、渡船業をしていた。
その時の出港の合図に、ほら貝を吹いていた。
そのほら貝が何とあったのだ。まことこれは神の導き、
火葬に付す前、そのほら貝を吹いたのだ。
父の、天国への旅立ちの合図である。
家内に言わせると、「ほんとに感動の瞬間だった」と。
長女の夫、義兄曰く、
「和尚の時は涙は出なかったが、あなたの時は、涙が出て止まらなかった」と。
30数名の家族、親戚皆が感動されたようだ。
今思えば、かえって比較宗教みたいになって、
イエス・キリストの御名が崇められたと思う。
教団の先生、信徒の方数名、朝早くからの火葬前式に来て、
また午後の葬儀にも、慰めを持って来て下さった先生方、信徒たちに
感謝をする。



2005年1月15日(土) 「光ファンタジーの締めくくり」
 昨年12月18日、大分遊歩公園にて「大分光ファンタジー」があり、
その中で一組の結婚式を司式した。美しいイルミネーションの中で感動したものであったが、
そこにクリスマスツリーのもみの木があって、
願い事を書いたリボンをその木に結ぶのであった。
「あなたの願いを叶える愛のクリスマスツリー」なんですね。
そして、そのための祈りを、私にしてほしいということでした。
年が明けて14日(金)の日に、その特別な祈りの時がやってきたのだ。
空は曇って結構寒かったね。
関係者の方が、10名ほど集まり、地元の新聞記者もいる中、祈りを始めた。
聖書を、詩篇からと、ヤベツの祈りと、ヨハネ伝からと朗読した。
「かなう」という字は「口」に「十字架」で、「叶う」という字であることで、
福音を語り、木に向かって祈りをした。  色んな祈りがあったですね。
「宝くじがあたるように」「怪我が早く治るように」「いつまでも元気でおれるように」
「無事出産ができるように」「世界が平和であるように」「ステキな出会いがあるように」と様々。
約7000のリボンが結んであるという。
大きな声で、真剣に、主イエスの御名によって祈った。
この様子が、今朝(15日)の朝刊に記事となって掲載された。ハレルヤですな。
少しでも、主イエスの証になるなら感謝である。
こうして、昨年の暮れに始まった「大分光ファンタジー」の一環が締めくくられた。
ある出会いから、神が不思議にこのように導かれ、感謝する。
       
       2005.1.15  大分合同新聞  朝刊




2005年1月1日元旦   「新年のあいさつ」
皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

昨年の暮れには、占い師の細木数子が、大分・別府に
M8クラスの地震が来る、と預言したと言う。
これが当らなかったら、自分は引退すると。
私たちは、これを聞いてとりなしの祈りをした。
震度1も起らないようにと。そして、何事もなかったのだ。
しかし、スマトラ島沖で、超巨大地震が起った。かってないほどのものだ。
死者10万人を越えると言う。
さっそく、キリスト教関係のワールドビジョンから、
このための義援金の依頼が来た。
私たちは、このために祈っているが、また義援金を少しでも多く捧げて行きたい。
2004年の年末に、このような巨大地震が起ったことで神に祈っていると、
2005年を迎える人類に対して、神からの警鐘だと示された。
日本列島も、何処においてもこのような巨大な地震が起ってもおかしくはない。
世の終わりにおける神の預言が、一つ一つ成就している。
目を覚まし、まことの神に立ち返るときが来ている。
占いでは解決できない問題でも、キリストには、いやしと奇跡と救いの力がある。
この2005年の新しい年、あなたに豊かな神の救いと祝福があるように。





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