体験談コーナー

「試練の後の祝福された退職」 N姉
 平成17年3月31日付けをもって、長年勤めた会社を定年退職いたしました。38年間、我ながらよく勤められたと驚くとともに、すべては主に守られたからこそと、改めて主に感謝致します。
 会社は、仕事の場です。日々、戦争です。何度くじけそうになったことでしょう。でもそれは、誰もが一度は経験することだと思います。
 私にとって本当の試練がきたのは、平成15年4月からの1年間でした。その前の年までは、FP(ファイナンシャルプランナー)として主に企業を訪問し、社長や社員を対象にした仕事で、実に生き生きと楽しく仕事をした3年間でした。
 平成15年4月、担当が変わり、その後の1年間は苦痛と言えるものでした。
パソコンは日常業務として使用していましたが、エクセルを使っての資料作りは初めてのことで全く分らず、会議・ミーティング・研修に追われ、その度に親子ほどの年の差がある若いスタッフに教えてもらわなければ、一人で何も出来ない状態で、本当に情けない毎日でした。こんな屈辱を味わったのは入社以来はじめてのことで、自分の無能さをいやというほど痛感致しました。
 考えてみると入社以来、上司、先輩に恵まれ順調にこられ、役付に登用され、それなりにやってこれたのは、すべて主の働きがあったからです。それをどこか自分の力でやっているという思い上がりがあり、高慢になっていました。
「私には何の力も無く、頼るべきお方は主のみ」と、そのことを教えて下さる試練としてこの1年間が与えられました。
この試練がないまま退職を迎えていたら、私は自分の高慢に気付くことなく、会社生活を終わっていたことでしょう。
"神のなさることは、すべて時にかなって美しい"(伝道の書3:11)
本当に不安な日々でした。教会にいると平安を覚え、教会だけが心安らぐ場となりました。早朝来て真剣に主に祈り求めることも、何度かありました。
"わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。それだから、キリストの力がわたしに宿るようにむしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう"(Uコリント12:9)
私はむしろ自分の弱さを認めていき、主が働いてくださることに感謝しました。へりくだる時に、主は引き上げて下さいます。
翌年、担当業務が変わり、最後の1年間は、毎日が楽しくて仕方がないほどでした。主が祝福して下さり、私の係りを一番元気があり、まとまりがあり、他の係りからも羨ましがられるほど楽しい係りにして下さり、社内誌の取材があるほど素晴らしい成果も出ました。
会社からは何度も、退職を1年延長するように依頼されましたが、意思を変えることなく3月末の退職とさせて頂きました。にもかかわらず、盛大な送別会を何度もして頂き労をねぎらってくれました。本当に満足しきって退職することが出来ました。主は、試練を通して更に大いなる恵みを与えて下さったのです。
 私は困難に直面した時、いつも思い出すみ言葉があります。
"恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。" (イザヤ41:10)
 試練の後の祝福された退職。まことに主の恵みを感謝し、心から賛美し、栄光を主にお返しします。

「主のみ手に導かれて」 主婦Yさん
 主を信じます。声高く賛美致します。
私はその頃、東京の稲城市に住んでいました。リチャードと娘は、高速道を車で走っても1時間余りかかる少し遠いところに住んでいました。日曜日になると、私の家の近くの教会を探して、見つけた教会に3人で入ってその教会の信者の人たちと礼拝をしました。
 次の日曜日も、また別の教会を探してそこの教会で礼拝をしました。私は、牧師のお話しを聞いても、賛美歌を聞いてもわからなくて、疲れて欠伸が出てくるような有様でした。それでも行きたくないとは思いませんでした。
 そして2年と6ヶ月が過ぎました。リチャードと娘はハワイに住む事になって、行ってしまいました。その頃、日本ではハワイ旅行ブームで我もわれもというような騒ぎでした。
 1年位したら娘の生活も落ち着くと思えるから、私も一度ハワイに行ってみようとその時は思いました。それから3ヶ月が過ぎたある日、急にハワイに行きたいと思いました。その思いがなぜなのか分かりません。パスポートとビザ・航空チケットと急いで揃えました。
ホノルル空港に何日の何時に着くから迎えに来てと、娘に手紙を出しました。そしてホノルル空港の出口にリチャードと娘が来ていました。どうして急に来ることになったのと娘に言われましたが、自分でも分からないので何とも言えませんでした。
 娘の家には、沖縄の石垣島からハワイの大学に通っている女の子が4人同居していました。その子達は、クリスチャンで教会に奉仕していました。私はその教会に行く事になりました。それから3ヶ月が過ぎました。ある日、礼拝の終わりの賛美の時、急に頭がボーとなって涙がぼろぼろ出てきて賛美の声が遠くなって、椅子に掛けたのはかすかに覚えていたのですが、その後分からなくなりました。気がついたら同居している4人の女の子達に囲まれていました。誰も何も言いませんでした。周りの信者の方達は、ケーキに紅茶でおしゃべりしていました。                 
私は牧師に洗礼をお願いしました。牧師と二人きりでお話し、後何日に洗礼式をしましょうと言って下さいました。
 ワイキキの西の方に、アラモアナという海岸があります。波は静かなのですが、2mと入ると海水が私の肩が隠れるように急に深くなっている海の中に入って、洗礼をして頂きました。その後、4・5日で、日本に帰ってきました。
 日本の帰って2ヶ月位過ぎた頃、私は自分が変わっていることに気がつきました。
 少しまごまごしている人を見ると、何でもうちょっときちんと出来ないのかしらと思うような思い上がった馬鹿者でした。そんな時、何処からか声が聞こえて、ではあなたはどうなのと言われて恥ずかしくなりました。人は誰でも生まれてくる時、それぞれにその人らしい色々なものを授かって生まれてくるのではないでしょうか。愚かに見える人でも、他の人の持っていない優れたところがるのではないでしょうか。ある時は腹立たしい事に出合うと心が荒立って、相手を憎み、意地悪な思いが湧いてきます。そんな時、それはいけないよ、と諭して下さる方が居てくださいます。また、人前に出た時など、馬鹿にされたくないと思い、少しでもよく見られたいと爪先立って背伸びするような愚か者でした。
 良くも悪しくも、在りのままに見ていて下さると思うようになりました。生きてゆくのがとても楽になりました。愚かな私ですが、私の全てを受け入れて見ていて下さる方がいて下さいます。
 素直に、そして安らかで静かな日々を送ることが出来るようになりました。
 心から感謝のお祈りをしながら幸せな毎日を送っております。ハレルヤ!

「主の不思議な導き」 20代OL Mさん
 今回、私は今までにない経験をしました。それは4ヶ月前、2年間勤めた御茶屋の仕事、ここは子供を1人で育てていくには十分な程の生活が出来る所でしたが、訳あって辞めてしまいました。
 そしてその後、仕事を探しても、不景気で自分の要望に合う仕事がなく、仕方なく日曜日出勤の仕事をするようになりました。教会には、夕拝に出席しました。でもなかなかきつくて大変でした。
 働き始めて3ヶ月目、仕事も慣れた頃お店が無くなると言われ、あせりました。暇を見つけては、仕事を探しに出かけました。今度は日曜日休みの所で、資格を問わず、子供を夕方迎えに行けてという条件を付けて祈り、面接を受けて行きましたが、最後の面接した会社が、娘の通っている保育園の目の前で、条件も良かったので、必死に祈りました。(でも、半分は諦めかけていました。)
 母親は、私のこのために断食をして必死に祈ってくれました。また、ヘンリー・グルーバー先生も、私のため祈って下さいました。
 そうした時、不思議なことに採用が決まったのです。しかも、グルーバー先生が祈って下さった通りにです。
 本当にこれは、神様のお働きだと思いました。主が、お祈りに答えてくださり感謝します。
 今は入ったばかりで、仕事や人間関係が色々と大変ですけど、神様が与えて下さった仕事なので、必死に祈り、頑張ろうと思います。

「主の御心にふれて」 30代 Fさん
 四月になり、主に与えてもらった臨時の仕事を終えて、新しい職場のために祈る日々が始まりました。条件をそろえて祈れば必ず与えられると、それがなかなか決まりません。
 ある日、知人に勧められた職場だけが選択肢として残りました。しかし、そこは日曜日が休みでない職場で、行ってよいものか悩みました。そうした中、宇目のセルで、主の御言葉「わたしはまた、神に対してまた人に対して、良心に責められることのないように常に努めています。」(使徒24:16)により、主に対する態度、どのように生きているのかを問われました。
 就職活動の中で第一は、聖日礼拝を守れる職場を与えて下さるように祈るべきでした。また、牧師先生やのり子先生に、今の状態をゼロにして、主に祈って御心を待つ事だとアドバイスを頂き、日曜日が休日の職場を求めて祈る事にしました。
 ところが、改めた思いを実行に移せず、知人の勧めを断れずにずるずると過ごす日々でした。
 そんなある日に、知人から面接日を決めたいと連絡があり、「一度、話を聞くだけでもよいのでは。」の言葉に、「主よ、ごめんなさい。」と思いつつ、面接を決めてしまったのです。
 ところが、その夜なかなか寝付けず、深夜に激しい腰の痛みに襲われました。その痛みは、かって日曜日に休日でない職場で、腰を痛め苦しんだ時の痛みと同じで、自分の愚かさに気付かされました。
 第一条件が、日曜礼拝が守れる場所であるはずなのに、給料や体裁の良さが優先されていたのです。
 このような形で身をもって示さないと、主イエス様は、私の真の改めができないと判断され、働いて下さったのだと悟りました。
 翌朝、きっぱりと断り祈りました。そうすると、不思議と腰の痛みは消え、また、その夕方には条件に合った就職の話がきたのです。
 しかし、短期の臨時で喜べずに、長く働ける場所を望んでいた私には、複雑な気持ちでなりませんでした。 しかし、この体験は偶然ではない!これこそ主の導きであると確信しました。
 今の私には、長く勤める事ができる職場など関係なく、日曜礼拝と体を守れる事が条件であれば、後は、主がすべてを満たして下さるとの思いが与えられ、喜びへと変えられました。
 この体験を通して、主に完全にゆだねきる事は、気持ちが軽く楽に過ごせる事を実感しました。
 完全に捨てきれない欲に惑わされ、自分を悩ませ、主との壁となっていたのを思わされます。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべてそえて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
 主と共に歩んで行けば、主が、必要なものを添えて与えて下さるのだと。
今は、次にどんな恵みが与えられるのか、期待して祈る日々です。主に感謝します。
「洗礼を受けた喜び」 中1・小4K姉妹
    中1・Kさん(姉)
 わたしは、いもうとと一緒に復活祭の日に洗礼を受けることができました。
 それまで、お父さんに反対されていました。わたしは、毎日お祈りを続けましたが、お父さんの気持ちは変わることがありませんでした。
 でも、イエス様はお父さんを使って、わたしをためしていたのかもしれないなーと思います。
 洗礼式の日も、いろいろとハプングもおこりましたが、お父さんも許してくれて洗礼を受けることができました。とってもうれしかったです。
 水の中に入った瞬間が、今でも忘れられません。
 これから、中学校の部活でいそがしくなるけど、いつもイエス様から目をはなさずに楽しい中学生生活をおくりたいと思います。

   小学4・Kさん(妹)
 わたしは、洗礼を受けてから、学校で教会のことを話すようになりました。
きっと洗礼を受けたから教会のことを言える自分になったんだと思いました。
 次に、わたしは洗礼を受けてから毎日が楽しくなりました。前はちょっとしたことで落ちこんでいたけど、イエス様がわたしを強い人間に新しくつくってくれたんだと思いました。 
 さいごにわたしは、にがてなけん玉がちょっとだけうまくなったことです。ずうっとやらなかったけど、洗礼を受けてだんだんけん玉をやっていきました。そしたら、だんだんうまくなりました。
 わたしは、イエス様を信じて洗礼を受けてからこんなにかわったから、イエス様におおごえで「イエス様、ありがとう!」といいたいです。
「本当に必要なもの」 30代女性
 私は以前は自分の持っている何かで人を引き止めておこうとする傾向がありました。親に対しては、従順でいい子、勉強や手伝いをよくする子ということで愛情や関心を得ようとしました。友だちに対しては、何かをあげる、貸してあげる、また誰も弾けないピアノで注意を引こうとしました。先生に対してはまじめで勉強熱心、何時間勉強したというのがいつも私の誇りでした。愛されるというよりは、誉められる、称賛されることを求めていました。それが私に満足を与えてくれると思っていたのです。しかし、それら全てのものを失うことになりました。なぜなら、もともと無理をしていたからです。私は自分が他の人より劣っている全てのことがとても気になり、絶え間ない緊張で病気になりました。そして何年も経ってからイエス様を知りました。その頃には病気それ自体が私の性格であり、私だと思っていました。個性や性格や人格などないようなものでした。しかし、神様はそのままの私を愛して下さっているというのです。はじめは全くわかりませんでした。しかし色んなことを通して、神様は何度も何度も教えて下さいました。そして、神様の前では愛されるために何かを持って行かなくてもよいということ、持って行ってはいけないということを知りました。ただ私が行けばいいのです。私は初めて満足だ、幸せだという感覚を体験しました。イエス様を信じて洗礼を受けた時、罪が赦され、永遠に神様の愛の中で守られて生きて行ける救いがはっきりとわかり、喜びに満たされました。
 救われてからも色んなことで「あ〜、これさえあれば」という考えがよぎります。でも本当は、神様の愛がどんなに私にとって十分であるかということをすっかり忘れてしまっているのです。もしそれがあるならば、どんな時にも満ち足り、生きる勇気が与えられることを知るのです。
「自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。」
                                     聖書
「教会に導かれて」  Iさん
 妻と離婚し、名古屋より博多に来て何年たったのか、年月も忘れていました。
 この時私は、いつ死んでもよいと思っていました。
 大分駅裏の山の中で自殺を図りましたが、でも死ねませんでした。気がついたら、病院のベッドの上でした。
 その後、大分駅の待合所で寝泊りするようになりました。
 ある朝、お金も無く、食べるものも無く、当ても無く、大分川の方へと歩いて行き、教会のある場所を聞きたどり着いたのが、大分カルバリチャーチでした。
 当日は、牧師先生が不在で、一人の信徒の方から、「日曜日、礼拝に出るように」と言われ、日曜日に礼拝に出席しました。
 私が、十字架の方を見ると、イエス様がほほえんでおられ、私は最後の賛美歌まで歌えませんでした。
 その頃、大分駅の待合所に寝泊りしていましたが、左足の関節が痛くて曲がらなく、正座も出来ない状態で、大分駅と教会を往復するものつらい日々でした。
 でも、木曜日のリバイバル祈祷会と日曜日の聖日礼拝には毎週楽しみに通っておりました。そして、左足の痛みのため思い切って橋本牧師先生にお祈りをお願い致しました。
 お祈りの時間が終わり、帰ろうと思い立ち上がったところ、左足の関節が全く痛くなく、不思議なくらい無痛の状態になりました。神様のいやしを感謝します。
 ルンルン気分で駅まで帰りました。あくる朝、目が覚めこわごわと立ち上がりトイレに行きましたが、足の痛みは全く無く、その日以来、足の痛みは気にしなくなりました。
 ある日、牧師先生に呼ばれ、洗礼を受けるように言われました。教会に来てまだ2ヵ月位で半信半疑でしたが、自分に言い聞かせ、今までより以上お祈りしなければと思いました。
ホームレスになるまでは、ギャンブル好きでした。でもギャンブルより手も足も洗います。
 6月6日に洗礼を受けて以来、私はクリスチャンになりました。
 私はホームレスでした。しかしここまで良くして頂いたお礼に、今度は私がお礼をする時です。
 私はイエス様に祈り祈り、祈り続けます。
「イエス様を信じて」 Kさん(女性)
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。
                         (第2コリント5:17)
 私は、イエス様を信じて10年になります。教会に行くきっかけは高校の時の先輩に誘われたからです。
 小さい頃、小児麻痺にかかって体に障害を持つようになり、また、特別な取り得もない私は、自信もなく将来に対しても不安でした。
 今、和裁をしていますが、自分より後から習った人に先を越されたり、思うように縫えない時などは、不安やあせりを覚えました。
 せめてもの楽しみにと、友人とよく食事に行ったり、お酒を飲んだり、欲しい物を買ったりしていました。その時はそれが楽しくもあり満足した気分になりますが、心のどこかで空しく、不安でした。この楽しみがなくなったら、次は何をしようかと「楽しさ」だけを拠り所としていました。だからいつも「何かよいものはないかな」と満たされない思いで一杯でした。
 仕事で失敗したり、人間関係がうまく行かなかったりすると「自分はやっぱりダメなんだな」と自己嫌悪に落ち入り、周りの人を見ては羨み妬んだりしました。
 イエス様を信じて、聖書を読んでいくうちに「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。」という御言葉が、目にはっきりと飛び込んで来ました。
 妬む心や、人を憎む心で一杯のそして大きな罪を犯してきた私のために、イエス様が十字架にかかって下さった事を確信する事が出来、イエス様の限りない愛を感じ、涙があふれて来ました。人を羨み、妬み、傷つけてきた私ですけれど、神様はゆるし愛して下さっている事を知って心が平安で満たされました。寂しさや不安から解放されました。
 今は、「何か良い事だけ」を求める空しい生活ではなく、何に対しても物事を前向きに受け入れる事が出来るようになりました。和裁の仕事でいやな縫い物でも、私にとっては良い物も悪い物も全てが必要な事だと思い、感謝して仕事をする事が出来るようになりました。
 仕事の失敗、人間関係の失敗があっても、以前のように自己嫌悪に落ち入ることもなくなって来ました。
 私をゆるし、愛し、受け入れて下さっているお方が、いつも私と一緒にいて下さっていると思うと、心の重荷が取れます。 
 私の内にある平安と希望と喜びと愛。それは、私の内におられるイエス・キリストです。このイエス様を信じて、私の人生が大きく変えられました事を感謝致します。
「キリストに導かれて」 会社員Mさん
 私が初めてキリスト教と出合ったのは、今までの人生で最も苦しかった高校生の頃でした。
 毎晩、遅くまで受験勉強をしていて、合間にキリスト教ラジオ放送FEBCを聞いて心をひかれ、やがてFEBCに手紙を出して地元の教会を紹介してもらい、通うようになりました。しかし、高校の頃はキリストを受け入れて、洗礼を受けるまでには至りませんでした。
 悩み多く、受験勉強だけで何の想い出のない高校生活でしたが、小さな信仰だけを支えに何とか目標の大学に合格できました。でも、広島で大学生活を始めると、苦しい時の事を忘れて神様から心が離れ、勝手気ままな暮らしをするようになりました。
 そんな矢先のある日、大分の母から「入院していた父の病状が急変したので帰れ」、という電話がありました。
 大分に帰って病院に行くと、父が痩せ細り弱っているのを見て、すごく動揺しました。病院から実家に帰り、久しく祈っていなかったのですが、神様に真剣に初めて泣いて祈りました。そして、キリストを受け入れました。
 その時、伏して祈っている私の前に神様が居られるように強く感じ、驚きました。
 父は、私がキリストを信じたことを知った数日後に亡くなりました。父の死はとても悲しかったのですが、この数日間、私は神様と共にいる喜びを感じていました。
 しかし、父の葬儀が終り、広島に帰ると、元の気ままな生活に戻ってしまいました。
 その後、大学は留年を重ね中退。仕事を転々としていく中、御利益目的で創価学会に入り、忙しく活動しましたが、不況で仕事を失い、何も御利益がなかった事に気づき、それも辞めて大分に帰りました。
 高校生の頃、聖書を学んでいた頃は何となくキリストを自分の味方だと感じることができなかったのですが、仕事も友人も失い将来も全く見えない、すごく惨めな気持ちになっていたその時、イエス様だけは自分の味方でいてくれるように感じ、祈るようになりました。
 そして今は大分で、不況の中、今までで一番条件のよい仕事に恵まれ、全てが好転しつつあります。
 振り返ると、私は苦しい時は神様に寄り頼むけど、良くなると離れて行き詰ることの繰り返しだったと思います。
 今後は、いつも神様に寄り頼んで、祝福された人生を歩みたいと思います。
 
 「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」
                              (第2コリント5:17)
「わたしはあなたと共にいる」 20代Nさん
 初めてイエス様に出会ったのは、小学生の時でした。2年生の時、母に代わって私を世話してくれていた伯母が脳出血で亡くなり、間もなく両親が別居することになりました。
 とまどいと寂しさを感じながら過ごしていたある日、図書館で一冊の本を読んで、「恐れるな。私はあなたと共にいる」という言葉を見つけたのです。
 自分に向かって直接語りかけてくるような気がして、とても不思議でした。
 やがて、大分に住んでいた叔母が日田に来てくれ、同居して私の世話や家事をしてくれることになりました。
 叔母は熱心なクリスチャンで、週末には必ず日田から2時間半かけて大分へ帰り、教会へ行くのでした。
 私は叔母になついていたので、時々一緒に教会に行くようになり、あの時の不思議な言葉が聖書の言葉で、ただ一人の神様が語られた言葉だと教えられたのです。
 それ以来、私に話しかけて下さった神様を信じるようになり、4年生の時に洗礼を受けました。しかし、自分から神様を求めて聖書を読んだり、お祈りすることは少なく、中高生時代はマンガを読んだり描いたりすることに夢中になって過ごしていました。
 プロとしてデビューすることを夢見るほど、マンガにのめり込んだものです。けれども、ひとつの作品も完成することができず、悩みました。私はマンガの中で、友情や恋愛や夢を描きたいと思っていました。しかし、それらは私自身が現実に得たいと願いながら得られずにいるものばかりでした。それをマンガとして描くことさえできない、空しい自分を認める他なかったのです。
 その頃は、月一度の日田集会で聖書のメッセージに触れ、イエス様を信じる気持ちを保っていたものの、まだまだ抵抗や偏見があって、真剣にイエス様を求めることができずにいました。
 N大学入学をきっかけに、福岡の教会で毎週礼拝を守るようになり、礼拝の中で本当にイエス様は生きておられる、ということが分かり感動しました。そうした中で偏見も消えていき、自分からイエス様を求めるようになりました。すると、イエス様は待っていたかのように、私に触れて下さったのです。それは、聖霊に満たされるという体験でした。
 イエス様に愛されていることを心底実感することができました。
 イエス様は、こんな大きな愛を与えるために十字架にて死なれ、三日目に甦って下さったのです。
 イエス様の愛の大きさが分かった時、私がマンガの中で描こうとして求めていた以上の人生を、イエス様が私のために描いて下さっていることを知るようになりました。
 心からイエス様に感謝します。これからもイエス様と共に歩き続けることができることを感謝します。
「過食症が取り除かれて」 20代Sさん
 なぜ過食症が良くなったのか、お証し致します。
 私は、イエス様を礼拝することを通して、イエス様が心一杯に喜びと満足感を与えて下さることを知りました。
 本当に、イエス様の与えて下さる心の満たしは素晴らしいもので、それなしでは、どんなものも虚しく、耐えられないほどです。
 心の虚しさを過食で補おうとしたことは何度も。でも満足どころか、沢山のお金を無駄にし、一緒に生活している人への罪悪感と後ろめたさから来る不和、一番最悪なことは、それをしてしまった時には、あの素晴らしいイエス様の恵みを受けるのに大変苦労するということでした。
 そこで、いい加減に賢くならねばと気付き、色々なことで虚しくなった時に、今度は過食でではなく、イエス様に心と思いを向けるようにしていきました。
 そうすると、ハッピーになり、問題が問題でなくなり、今度はその問題をイエス様と一緒に乗り越えていく素晴らしい体験をするようになりました。
 “・・・もう一度、もう一度体験したい・・・”
 そうしていくうちに、病気は自然に取れていきました。
 私も、他の人と同じ様に様々なことを試し、努力してきました。薬や病院へ行ったり、漢方薬を飲んだり、色々しましたが、どれも一時的で効果がなく、結局また過食に溺れ、落ちこむことがしばしばでした。
 しかし、一番効果的で、無理がなく、楽しく、損ではなく、得をし、何よりも様が喜んで下さる健全な方法は、イエス様を礼拝することでした。
 そのことによって、喜びと満足を与えられるとともに、心の闇(罪)を示された時には神様の前に言い表し、祈ることができました。
 そのようにして、長年の間にこびりついていた(習慣化していた)悪い考え方のパターンや、それに伴う行動パターンに気付き、変えられていきました。
 私は、今でも食べることが好きです。しかし、以前とは違い、それを楽しむことができ、満足感も味わうことができるようになりました。
 これはすごく大きな恵みですが、イエス様によって救われ、生かされ続けているほんのその過程にすぎません。
 本当に素晴らしいことは、
 “イエス様が私の罪を永遠に葬り去って下さったこと。
そのためには、ご自分の命を身代わりに差し出して下さったこと。
それほどまでに真実な愛で私を愛して下さって、今も、そして永遠に私を愛し、守り導いて下さることです。”
 イエス様を信じて救われ、神様の子供とされている恵みに心から感謝致します。
         “この人による以外に救いはない。
         私たちを救いうる名は、これを別にしては、
         天下の誰にも与えられていないからである。
                       (使徒行伝4:12)
「山は動く」  〜主婦 Tさん〜
「姉妹、山は必ず動きますよ。信仰を持って祈っていきましょう。」
 そう言って橋本牧師先生は私を常に励まして下さった。
 しかし、私には空をつかむような言葉だった。このときの私は経済的不安を抱え、借金地獄の生活。やっとの思いで始めた仕事で食べるのが精一杯。家賃も払えなくなり、生活はますます困難になっていった。
 主婦業と仕事で心身ともに、疲れ果て不眠症、不安感、過食と積年のストレスが重なり、とうとううつ病をわずらってしまった。それからは本当に辛い日々だった。家に帰りたくない、ハンドルと握ることもできない、死さえ頭をよぎったこともあった。
 自分ではどうにもならない精神状態。周りの誰一人としてその変化に気付かなかった。教会に行っている時だけ、安らぎがあった。自分の存在をそこに見出すことが出来た。それ以外の場所では、私の存在価値が何もないかのようであった。ただ必死に祈るだけであった。みことばにしがみつくように。
 やがて、牧師先生の言われた「山は動く」が現実のものとなったのである。主が実に不思議な方法でなされたのである。
 まず私のうつ病がいやされ、そして住居の問題では県営住宅の抽選で補欠の一番になった。二ヶ月の間に当選。(教会のみんなの背後の祈りのおかげ)そして住居が与えられた。南向きで明るく、風通しも良く、家賃も安い。なによりも教会の近くでまるで教会の一室を間借りしているような思いになる。
 いよいよ引っ越し。雨の中であったにもかかわらず、牧師先生初め、のり子先生兄弟姉妹たちの、愛のお陰でエレベーターのない5階の住居に荷物を運ぶことが出来た。この時に居合わせた私の両親はその姿に感動し、教会に対し、好印象をもったのであった。後に妹からの電話で「涙がでるほど感謝の気持ちでいっぱいだった」と両親が話をしていたと聴いた。
 主は本当にその一番良い時を備えて下さるお方である。その時は主イエス様だけがご存知である。あの苦しかった日々があったから、今のこの祝福を素直に喜び、感謝することが出来るのではないか。
 主のご計画は必ずなされる。主のみ業は人知ではとうていはかり知ることの出来ないものであると、私は現実に体験させて頂いたのである。今まで私は自分を守るために、仮面をかぶって生きてきた。本当の自分が分からなくなっていた。自分の存在すらも、否定していた。今私は、自分探しをしている。どんな自分をも、受け入れ、愛するために。
 「娘よ、あなたを愛しているよ。」と、主のこの愛の言葉を感謝して、受け取ることが出来る。主は素晴らしい。
 牧師先生御夫妻、兄弟姉妹たちの背後の愛の祈りに支えられていたことを感謝しつつ、ハレルヤ!
「主に導かれて」(インタビュー) 主婦Kさん
質問:「Kさんは、どういうきっかけで教会に行くようになったのでしょうか?」
Kさん:「孫に誘われて、教会に行くきっかけになりました。(Kさんのお孫さんは、大阪のJ−Houseの牧師、飯田先生の牧師夫人であります、美貴子さんです)」
質問:「教会に来られる前は、大変な手術をされたということですが、その時はいかがでしたか?」
Kさん:「その時は、まだイエス様が信じられなくて、しかし孫が大阪から2回も介護に帰ってきてくれて、神様のお話を毎日、毎日してくれました。それでなんだか、年もいっているので、よるべも欲しくておまいりするようになりました。(お孫さんの美貴子夫人の話では、おばあちゃんの病気は大変で、元気になれたのは、本当に奇跡でイエス様が癒して下さったということです。)」
質問:「お孫さんがお祈りして下さったのですね。こうして元気になられて教会に来られるようになったのですが、礼拝に出られて最初の印象はいかがでしたか?」
Kさん:「若い人がたくさんで、年のいった人がいなくて、歌の賛美をするんだけれども、私は賛美ができなくて、みんなの後を追って、すこし声を出して歌いましたが、なかなか頭に入らなくてみんなの後をそっとついていく状態です。でもこうして教会に来ることによって、元気が与えられてオシッコがきれいになって、うれしくって感謝で、さあ早く今日も、教会に行かなくっちゃと一生懸命努力して来ております。」
質問:「アーメン、感謝します。」
Kさん:「教会に来た日は、何かとても気持ちがいいです。朝はなかなか出れないような気がするんですが、来て賛美すると家に帰ってからは何か気持ちがいいんです。」
質問:「アーメン、ではKさんが洗礼を7月20日受けられたんですが、受けようと決意されたのはどういう気持ちからでしたか?」
Kさん:「せっかく、教会におまいりするんだから、みんなのように洗礼を受けて人並みのことがしたかったし、孫も受けなさいといつも言ってくれますし、教会でもそういう風に言ってくれますから、やっぱり受けて正式に神様にゆだねたほうがいいんではないかと思いましたから、受けました。」
質問;「洗礼を受けられてからどんな風に変わりましたか?」
Kさん:「なにかクリスチャンになったんだなあと、思うようになりましたよ!(テンションが上りました。)
質問:「はい、そして?」
Kさん:「そして、礼拝に臨むようになりましたあ!!」
質問:「はーい、感謝します、今日はどうもありがとうございました。」
NEW 「むなしさからの解放」 T兄
私は、複雑な家庭環境で育ち、心に傷がありました。
また、目と耳に障害を持っていることで、仕事もうまくいかず、ひねくれてしまったいました。そして、私は心のむなしさからお酒に走ってしまっていました。
ある事から、私は2年数ヶ月のあいだ、断酒してきていますが、心は空しいままで以前と全く変わらなかったんです。
しかし、教会に来るようになって、心が変わってきていることに気づきました。
日曜日に教会に行こうか、迷って、いやいやながらとか、しぶしぶ行っていたこともありました。けれどもその教会から帰るときには、心がスッキリしているんです。
いつもなぜか心が帰る時にはスッキリしているんです。
そのことに気づいて私は、「ああ、私は変わってきているんだ!」と感じています。本当に感謝します!

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