情報化社会で何を食う? 百姓 東山広幸
食べ物や健康に関する情報はテレビや雑誌を中心に、ちまたにあふれているが、あまりにも情報が多すぎて、とてもすべてを実行することはできない。たとえば体にいいという食べ物をすべて食べようとすれば肥満になるし、長寿県といわれる地域の食事を真似したとしても、それが自分の体にいいとは限らない。しかもたとえば、沖縄では豚肉が多くの料理に使われているからといっても、それはハレの日のための料理にであって、日常肉ばかり食べてきたわけではない。このように情報の信憑性についても再考の余地がある。
そこで、どういう情報が自分に価値のあるものかということを判断するために、「食の哲学」というものをもつ必要がある。この講演では、私の食と健康の哲学を一例として挙げようと思う。
私達は生き物であるので、当然、生物として何を食べる生き物かということが遺伝子に刻まれている。さらに、ホモ・サピエンスというだけでなく、人種や民族の歴史も遺伝子には残されている。遺伝子が要求する食なり生活パターンに近づけることが、天寿を全うするためにもっとも重要ではないだろうか?
| 現代人の食性は、進化の方向から見ても、合理的とはいえない |
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それでは、人は何を食う生き物か? これは消化酵素や歯の種類と割合、分類学的に近い動物の食餌内容から、おおよそ見当がつく。たとえば、人の唾液にはα
-アミラーゼの活性が高いことから、デンプンを中心とした食性が当然予想され、臼歯が多く、次に前歯が多いことから木の実や穀物食に適し、次に漿果(果物)も多く食す動物であることが推定される。これは類人猿であるゴリラやチンパンジーを見ても大体当てはまると言っていい。次に日本民族に関して考えてみる。ご先祖様の生活も遺伝子には刻まれている。たとえば、日本人は牛乳を飲んで腹を下す人が多い。これは乳糖分解酵素(ラクターゼ)の活性が遺伝的にほとんどない人が多いためで、乳製品を食料として利用してこなかったからである。また、日本人が胴長短脚なのは腸が長いためであるが、これは消化に時間のかかる植物食が中心で、滞留時間が長いと微生物によって有害物質を産生されやすい肉類を多く摂らなかったことに適応している。また、日本人は糖尿病になりやすい遺伝的体質を持っていると言われていますが、これも飢餓に適応した遺伝子のためということである。また、粉質のジャガイモやカボチャを好むのは日本人とアイルランド人だけと言われているが、どちらも歴史的に有名な飢饉の歴史を持っている国なので、デンプン価の高い粉質の食物を好むのかもしれない。
さらに、もっと近い歴史まで見ていくと、平安時代までは主に玄米のおこわ、江戸時代にいたっても庶民の多くは精白度の低いコメを炊いて食べていたわけで、こうした精白度の低い粒食を中心とした食べ物を遺伝子は求めているといえるのではないだろうか。
| 本来の食性から離れていく日本人の食生活 |
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現代は飽食の時代と言われている。何でもカネさえあれば簡単に手に入るように思われているが、素性のわかるものは意外と入手が困難だ。郊外型の大型スーパーに行っても、国産原料の食品、特に生産者の分かるものはほとんど売られていない。また、農薬や添加物の害のなるだけ少ないものを選ぼうと思っても、意外と選択肢は少ない。遺伝子組み替え食品に関しては、現在壮大な人体実験中で、日本人も1億総出で人体実験に参加しているが、まだ結果がわからないので、なるだけ実験には加わらないほうが身のためである。
昔から「身土不二」といって、3里四方で穫れた旬のものを食べていれば、健康に暮らせるといわれている。現代ではそれほど近場から食料を調達するのは至難であるから、現代の交通手段で手軽にいける距離というぐらいに考えればいいが、野菜や果物の旬の季節ぐらいは頭にいれておいたほうがいい。
日本の伝統食といえば、なんといっても漬物であるが、学校給食で漬物を出されることはなく、一般に市販されている「漬物」でも、本物の漬物は皆無に近い。本来、漬物は発酵食品であるが、店頭に置いておくと極めて変質しやすい性質を持っているからだろう。このため、市販されている「漬物」は調味料により味付けされただけの「漬物もどき」か、殺菌・密封された「死んだ漬物」である。田舎のばあさんの漬物も「たくあんの素」「ナス漬けの素」などという食品添加物の調合品を使ったものが多く、乳酸発酵で味をかもし出した真に伝統的な漬物は極めて少ない。市販品の唯一の例外は韓国産のキムチであって、輸入物だけが本当の発酵漬物だということは、実に悲しい。伝統的なへら菜
(体菜)や野沢菜、高菜の古漬けなど、なんとも言えない滋味があるが、こうしたものを私が売ると、「腐った漬物は要らない」などと言われる。この国の食文化の根幹が失われてきているのは、極めて残念なことである。| ★日本料理の調理法★ 和食に本来、精製油を使った調理法、つまり炒めるや揚げるというものはない。油脂作物は、主に「灯油」として利用するためのもので、料理に使うのはゼイタクだったからだろう。逆にいえば、あえて精製油を食物として摂る必要はないともいえる。油は細胞にあったほうが、酸化する心配もなく、健康にいいはずだ。大豆やゴマなど、そのまま利用すべきということである。 |
この他、乾物の利用が減っているのも残念だ。スポーツ選手がガムを噛んでいるのをよく見るが、どうもアホ面に見えてよくない。日本人ならガムでなくスルメを食えばいいのに。スルメはタウリンも豊富で疲労回復にも効果があるかもしれないし、歯を丈夫にするのにも理想的だと思う。動物性食品なのにカリウムも含まれていて高血圧の心配も少ない。この他の乾物も、栄養が凝縮し、特にミネラルが豊富なのでもっともっと見直されていいのではないだろうか。
最近、多くの識者が指摘しているように、日本人の清潔志向は異常で、免疫力を損なったり、今までになかった病気の原因ともなっている。口の中や布団まで殺菌するなんて、異常としか言えない。本来被曝すべきばい菌に被曝しないのが、腸内環境をも非常に脆弱にしている。O-157なんて、後進国には決して問題にならないのは、本来の大腸菌が先住菌として住み着いているので、生命力の弱いO−157が来ても定住できないからという。厚生労働省は、こうした食中毒に関して、感染した者としなかった者、発症して重症化した者と軽症で済んだ者のどこが違ったのか疫学的調査をすべきであった。我が家では賞味期限を過ぎたものでも、匂いをかいでなんでもなければ平気で食う。発酵食品など、賞味期限を過ぎた頃がうまいものも多い。賞味期限に惑わされず、自分の五感を信用にたるほどに研ぎ澄ませておく必要がある。
ちなみに、食べ物は全般に、遠縁のものを食うほうがいい。人なら、たとえば植物や微生物が一番で、動物ではイカやタコ、貝などの軟体動物、脊椎動物なら四足(よつあし)よりも鳥、鳥よりも魚といった具合である。肉食動物はけっして同じ肉食動物同士で食い合いはしない。これは草食動物の内臓から必要な栄養を摂る必要があるということと、同類の動物から病気をうつされないためもあったのだろう。人も四足を食わなければ狂牛病はうつされないし、鳥からはトリインフルエンザをうつされても、魚からコイヘルペスをうつされる心配はない。
現代の栄養学はヨーロッパで生まれたので、自分達の栄養摂取をより進んだものとして自己正当化している側面がある。それに加えて、戦後、合州国が農産物を売り込むために、日本の伝統食バッシングをしてきた経緯がある。現代栄養学は本来ヒトが必要な食べ物のごく一側面しか捉えていない不完全な学問であるから、栄養学に惑わされていはいけない。
現代の栄養学は、その内容以前にデータの信憑性も疑問だ。成分表にある数値は、その材料の産地・季節・作り方によって数倍の開きが出るのに、有効数字が3桁も表示されている。料理のレシピにもごていねいに、「
697kcal」なんて記述があったりするが、化学天秤を使って数mg単位の制度で材料を計って調理しても、この通りに作るのは不可能である。このバカバカしさに気が付かなくてはいけない。そもそも食品の成分を考えて食うことに意味があるのか? ビタミン
Cなんて、本来の日本人の食生活をしている限り、絶対に不足するはずのないものだし、欧米人よりもずっと少ないカルシウムで、日本人は骨折しにくい丈夫な骨を持っていた。栄養的成分の少ないといわれていたナスやカリフラワーなどに、次から次へと有効成分が発見されているし、成分よりも、その季節のその土地のものを食うという本来の食生活に戻るべきである。
ただ、こうは言ってみても、実生活で完璧を目指すのはムリがあるし、ストレスがたまるからやめたほうがいい。「よりマシな食生活」という程度にとどめておくほうが身のためである。なるだけ旬、なるだけ地場のもの、なるだけ無農薬、なるだけ添加物の少ないもの、なるだけ伝統的な料理というぐらいでかまわないと思う。
そして、大事なのは、「何のための健康、何のための長生き」かということである。長生きしても、のんべんだらりと死期を延ばすというだけでは、無意味とは言わないまでも、有意義な生き方とはいえないし、生きるための意欲も湧かないだろう。やはり、自分のなすべきことをしっかり持った上で、健康で長生きを目指してもらいたいと思う。
最後に提案だが、親はしっかり伝統食を子に伝えて欲しい。子に伝えそこなったままその子が親になってしまった場合は、直接孫に伝えてもらいたい。それがこの民族を守るために、何より重要な安全保障であるといえる。