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| 元日 | 1月1日 | 「年の初めを祝う」 | 日本の古来のお正月は新年を迎えるとともに、年神様や祖先の霊を迎える霊(タマ)祭りの行事でした。やがて仏教の普及により、祖霊を迎えるお祭りは夏のお盆や春秋のお彼岸などが盛んになり、お正月は年神様や氏神・産土神のお祭りとなりました。 |
| 成人の日 | 1月第2月 曜日 |
「大人になったことを自覚し、 自ら生き抜こうとする青年を 祝い励ます」 |
陰暦の正月15日は、新年最初の満月の頃で、各地で豊作を願い、また悪霊を払うドンド焼きなどの行事が行われました。新暦の1月15日を成人の日とし、年の初めに人としての豊かな成長を祈る思いが込められています。 平成10年の祝日法の改変により、平成12年より1月第2月曜日と定められました。 |
| 建国記念の日 | 2月11日 | 「建国をしのび、国を愛する 心を養う」 |
わが国最古の歴史書「古事記」、「日本書紀」(記紀)による人代の最初の天皇、神武天皇即位の日です。 神武天皇は九州より東征して5年目に大和に入り、その3年後の「辛酉年の春正月、庚辰の朔(ツイタチ)に、天皇、帝位(アマツヒツギ)を橿原宮に即(シロシメ)す」にいたったとされます。この日付を現在の暦に変換すると2月11日となります。 西暦紀元前660年のこのときを元年とする年の数え方を神武天皇即位紀元、あるいは皇紀といいます。 |
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●建国記念の日 国民の祝日。1966(昭和41)年から国民の祝日になった。記紀によると神武天皇の即位の日でかつて「紀元節」という祝日だったが、戦後「紀元節」は廃止された。1951(昭和26)年頃から復活の動きが見られ1957(昭和32)年以降9回の議案提出・廃案を経て、1966(昭和41)年に、日付は政令で定めるものとして国民の祝日に追加された。「建国記念日」ではなく「記念の日」なのは、建国された日とは関係なく、単に建国されたということを記念する日であるという考えによるもの。「建国をしのび、国を愛する心を養う」を趣旨としている。 ●紀元節 1873(明治5)年から1948(昭和23)年まで祝日とされ、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を新暦(グレゴリオ暦)に換算した2月11日を祝日と定めた。当初は1月29日だったが、翌年から2月11日に変更された。戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されたが、昭和41年に「建国記念の日」として復活した。 ●文化勲章制定記念日 1937(昭和11)年、文化勲章令が定められ、文化の発展に優れた業績をあげた各界の人に文化勲章が贈られることになった。 ●万歳三唱の日 1889(明治22)年、帝国憲法発布の記念式典で、初めて万歳三唱が行われた。 ●干支供養の日 干支置物等を製作している陶磁器メーカー・中外陶園が制定。立春の直後で、十と一を組み合わせると「土」になることから。一年間大切に飾られ厄を払ってくれた干支置物に感謝し、元の土に還す日。 |
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| 春分の日 | 3月21日頃 | 「自然をたたえ、生物を いつくしむ」 |
日本の仏教では、平安時代のころから春秋に彼岸会(ヒガンエ)が催され、悟りの彼岸へ至るための法要が営まれました。また浄土思想の広がりとともに、彼岸の中日(チュウニチ)の夕刻、落日に向かって念仏を唱えれば、西方の極楽浄土に往生出来ると信じられました。 しかし祖霊崇拝の思想は仏教にはなく、日本古来の風習が仏教に結びついたと考えられます。明治以来宮中で行われる春秋の皇霊祭は、祖先供養の風習を仏教色をのぞいて宮中行事化したものにほかなりません。 春分・秋分の日の趣旨は、日本本来の自然観に立ち返ったものといえるでしょう。 |
| みどりの日 | 4月29日 | 「自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心を育む」 | 在位64年と歴代最長となった昭和天皇のお誕生日です。 戦争、敗戦、復興、繁栄と未曽有の歴史をたどった昭和の記念日といえるでしょう。新しく祝日法が制定されるとき、明治天皇の誕生日が文化の日として残された例にならっています。 |
| 憲法記念日 | 5月3日 | 「日本国憲法の施行を記念し、 国の成長を期する」 |
現行の日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布されました。これは先の大日本帝国憲法が、明治22年2月11日の紀元節の佳日に公布された先例にならい、明治節の日が選ばれたものといわれます。そうすると憲法記念日は11月3日でもよかったのです。 ところが当時の人々は明治節への愛着が強く、何とか明治天皇ゆかりの日を残そうとしました。そのため憲法記念日は翌22年の施行のこの日となったのです。 |
| 休日 | 5月4日 | 「前日、および翌日が祝日と なる日は休日とする」 |
昭和60年の暮れ、上のような祝日法の追加条項が加えられました。ところが翌年、翌々年は日曜となったり振替休日となったため、実際この条項が生きて実施されたのは昭和63年の5月4日が最初となりました。そのため暦によってはこの休日が記載されていないものもありました。 ちなみに祝日と日曜日が重なったとき、翌月曜日を休日とする「振替休日制」が公布されたのは昭和48年です。 |
| こどもの日 | 5月5日 | 「こどもの人格を重んじ、こども の幸福をはかるとともに、 母に感謝する」 |
元来、3月3日と5月5日は、もとの上巳(3月上旬の巳の日)と端午(5月最初の午の日)が3日と5日に固定したものです。正月7日(人日)や7月7日(七夕)、9月9日(重陽)とともに、平安時代頃から五節句とされていました。5月5日は、菖蒲を飾って邪気を払ったのが、尚武や勝負につながり、勇壮な男の子の祝いとされたのです。 なおこの日は「母に感謝する」日でもあります。 |
| 海の日 | 7月第3月 曜日 |
「海の恩恵に感謝するとともに、 海洋国家日本の繁栄を願う」 |
平成7年に制定された最新の祝日です。この日は明治天皇が東北ご巡幸のあと、青森から船に乗り、函館を経由して横浜港に着かれた日といわれます。 平成13年の祝日法の改変により、平成15年より7月第3月曜日となる。平成14年までは7月20日 |
| 敬老の日 | 9月第3月 曜日 |
「多年にわたり社会につくしてき た老人を敬愛し、長寿を祝う」 |
昭和38年に「老人の日」と制定された9月15日が、昭和41年国民の祝日となりました。来るべき高齢化社会を先取りしたものと評価されています。 平成13年の祝日法の改変により、平成15年より9月第3月曜日となる。平成14年までは9月15日 |
| 秋分の日 | 9月23日頃 | 「祖先をうやまい、なくなった 人をしのぶ」 |
太陽が天球上を北から南に移る日。 戦前までは「秋季(春季)皇霊祭」と呼ばれました。宮中ではこの日、神武天皇以来の皇室の祖霊を祭る皇霊殿で皇霊祭が行われ、天地・八百万の神々をまつる神殿では神殿祭が執り行われます。多くの日本人もこの頃、祖先の墓参りをします。 春の春分の日とともに、前後3日間を含む1週間を「彼岸」といいます。季節の変わり目で、よく「暑さ寒さも彼岸まで」といわれます。 |
| 体育の日 | 10月第2 月曜日 |
「スポーツに親しみ、健康な 心身をつちかう」 |
昭和36年制定のスポーツ振興法に、10月第2土曜日を「スポーツの日」と定めています。秋晴れの候で、昭和39(1964)年の10月10日は東京オリンピックの開会式の日です。2年後の昭和41年、建国記念の日、敬老の日とともに10月10日は体育の日となりました。 平成10年の祝日法の改変により、平成12年より10月第2月曜日と定められました。 |
| 文化の日 | 11月3日 | 「自由と平和を愛し、文化を すすめる」 |
明治時代の天長節、昭和になってから明治節と称された明治天皇のお誕生日です。 天長節の名称は奈良時代に初めてみられ、明治3年に復活したもの。趣旨はやや抽象的ですが、この日は新憲法の公布の日にもあたり、前半はそのスローガンである「自由と平和」をとり、後半は明治時代の近代化政策により、飛躍的に社会の生活・文化が発展したことをふまえています。まさに明治と新生日本を記念する日です。 |
| 勤労感謝の日 | 11月23日 | 「勤労を尊び、生産を祝い、 国民がたがいに感謝しあう」 |
戦前までの新嘗祭(ニイナメサイ)です。この日宮中では、その年取れた新米を神に献饌し、その後、神より供されたものとして天皇自らが召し上がられます。新嘗祭は本来旧暦の「11月下卯の日」で、新暦では12月下旬前後の冬至に近い頃でした。ところが明治6(1873)年、新たに採用された新暦の、11月の下卯の日であった23日が、以後そのまま固定されて今日に至っています。 |
| 天皇誕生日 | 12月23日 | 「天皇の誕生を祝う」 | 昭和64年1月7日、昭和天皇が87歳で崩御されました。同日、皇太子明仁殿下は御年55歳で、神武天皇以来125代目の日本国天皇に即位されました。翌8日には改元が実施され、昭和に変わり「平成」の時代が始まったのです。践祚(センソ)された明仁天皇は、昭和8年12月23日がお誕生日です。 天皇が新しく即位されると、その初めに大嘗祭(ダイジョウサイ・オオニエノマツリ)が盛大に執り行われます。このお祭りは新嘗祭とよく似ていますが、そのための特別の建物が造られるなど、より神秘的なものとなっています。 なお元号は、現代では日本でのみ行われ、明治からは一世一元となりました。昭和54年、元号法として確定しました。 |
| <参考資料> 教育勅語 (現代語訳) 12の徳目 |
教育勅語(現代語訳) 私は、私たちの祖先が、遠大な理想の元に、道義国家の実現を目指して日本の国を お始めになったものと信じます。 そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、 今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた 国柄の賜物と言わねばなりませんが、私は教育の根本もまた道義立国の達成に あると信じます。 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟、姉妹は互いに力を合わせて助け合い、 友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手を そしのべ学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、 社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生 の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。 そしてこれらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、 私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかに することでもあります。 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならない ところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、 外国で行っても間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、父祖の教えを 胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。 明治23年10月30日 12の徳目 孝行 親に孝養をつくしましょう 友愛 兄弟姉妹は仲良くしましよう 夫婦ノ和 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう 朋友ノ信 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう 謙遜 自分の言動をつつしみましょう 博愛 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう 修学習業 勉学に励み職業を身につけましょう 智能啓発 知識を養い才能をのばしましょう 徳器成就 人格の向上につとめましよう 公益世務 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましよう 遵法 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう 義勇 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう |
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