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メールはスパムフィルターを設定してありますが、 先頭部分に qwerty1 と言う文字列を入れるとフィルターを通過して届きます。

コラム
2015.4.13
dionのADSLが終了するようでホームページをgoogle-siteに移動したいとおもいます。 リンクは https://sites.google.com/site/shokadad4dionnejp です。 今後はgoogleのページを更新していく予定です。 今年中近いうちにdionを解約するのでdionのページも削除されると思います。


2011.10.16
最近思ったこと:日本政府の借金のあり方
国外の信用不安がつのっているので円高圧力が強まっています。 大きな災害に見舞われたにも関わらずに円高が進んでしまうほどの強力さです。
そのような状況のなかで財政健全化を言うと更に円高が進み 国民の財産が国外に散失してその結果経済が収縮して円安圧力が発生して 安定化する結果になりかねません。
つまり国全体が貧乏になった結果相手にされなくなってしまうというわけです。
このような状況に陥ることをさけるためには財政健全化を行なわずに とにかく国債発行をくり返すべきです。 そうすると円安になり税収が多少上がるはずです。
財政健全化は世界経済との関係の中で行なわないと失敗します。


2011.6.16
最近考えたこと:地名相似
地名相似とは同じ地名が2箇所にあってしかも、 例えば盆地を取り囲む複数の山の名前が並び順まで同じだったりすることです。 こうなる理由はそこに住んでいた人たちが集団移住して新しい土地に 前の名前をつけたからだろうと考えられています。
有名なところでは福岡の甘木市と奈良の大和地方が上げられます。 これは邪馬台国の人々が移り住んだのではないかとも言われています。
このほかにも日本国内には何カ所かあるようです。
このように新しい土地に移っても前と同じ名前をつかえるのは 日本人の宗教観から来ているのではないかと私は考えています。 外国に目をむけるとエルサレムは複数の単一神教の聖地になっていますが、 錯綜することをさけるために別の土地に同じ名前をつけて聖地としたりはしません。 しかし、日本では多神教なので分祀(ぶんし)が出来るので 地名相似の山や土地に加えて神社も一緒に移住出来てしまいます。
移住しなければならない理由は新天地を求めてのものだと思います。 かりに自然災害や戦争などで移住を余儀なくされた場合は前の地名は残りません。
このようにして日本全土に人々が広まって行ったのではないかと思います。
その名残が今でも寺や神社が任意に分祀できて あらたな寺や神社になれるという形で残っています。 しかも、寺が神社になったり神社が寺になったりもでるみたいです。

福島第一原発の事故から3ヶ月がたってようやく汚染マップが明らかになってきて、 今後100年以上 人が住めない地域が存在することも報道されるようになってきましたが、 地名相似について書いたのはこのためです。
日本書紀や古事記の時代になってくると記録すると言う観点から 整合性をとるために地名相似はなくなってきたのだと思いますが、 福島の避難の場合、あえて地名相似を作り 個人の土地レベルまで同じ配置で移住するという方法があるのではないかと思います。 日本人の宗教観からそれで納得できると思います。
また、このように今ある土地の名前を変えることが出来るのは国なので 国に動いてもらいたいものです。


2011.4.23
最近考えたこと:復興資金
ちょっと気になったので、復興資金に関わるデーターを検索してみました。 この手のデーターは正確なものは存在しないのですが、 憶測を交えてその結果を書くと次のようになります。
復興資金は多く見積もって一年10兆円ぐらいで、10年間継続、合計100兆円
2011年現在の国の借金800兆円でありこの額は30年で積み上がった。
2011年現在の国民総資産8000兆円
2011年現在の国民総資産(現金預金)1000兆円

復興資金財源は消費税増税と言う意見と、 国債発行という二種類の意見があるようです。
仮に国債発行でまかなうとどのようになるのか考えてみました。
震災前のペースで借金していくと仮定すると数年で国民総資産(現金預金)に達し、 300年後に国民総資産と同額になります。
国民総資産(現金預金)に達した後は 土地建物などを国債に置き換えていくことになりますが、 それは総額に近づくにつれて徐々に国債の借り手がつきにくくなり やりにくくなっていきます。 そのため、300年より前に破綻することになります。 また、国民総資産(現金預金)に達したあとは 土地の価格が徐々に下がっていくことになるので 300年より少し前に破綻するのではないかと思います。
ここで、単発で発生する復興資金100兆円は どの程度の影響があるのかを考えてみます。 平均した一年当りの借金は800/30=26.66[兆円/年]であり、 復興資金100兆円は100/26.66=3.75年という計算になります。 これは300年が3.75年短くなるということで、1.25%の影響となります。
この割合は誤差の範囲と言えます。
一方、様々な消費量減少要因がある中、消費税増税はよくないと言えるので、 復興資金は国債発行でまかなうべきです。

普通に考えると国債発行を選択するべきですが、 私は復興資金をきっかけとして、 これとは関係なく今までの経済停滞を税制で打破する方法を思いつきました。
それは「所得税増税+全品所得控除」です。
昔書きましたが、 日本経済の現状は(閉鎖系のエントロピーのように)上昇し続ける 仕事の効率の恩恵を気づくことができずに、 ひたすら消費者物価を上昇させることで吸収しています。 それにつられて、土地建物の価格も上昇し結果として蓄財します。
これが一因となり、今回の復興資金は国債発行でまかなえることになります。
今までニューディール政策のような新規需要を引き起こそうとして 国債を発行して公共事業に投資してきましたが、全く効果はありませんでした。 その理由はいまだ分からぬ未知の需要に投資した公共事業が的中しなかったからです。 アメリカのニューディール政策では電力などのインフラを整備することで 早急な雇用創出とインフラを利用する未知の需要の顕在化という 2つの効果を生み成功しました。 しかし、日本ではもはやインフラは事足りているので、 それをどれだけ強化しても未知の需要を呼び起こすことはできませんでした。
今後の日本で現れるであろう未知の需要とは、 私は遊びの需要であると考えていますが、 遊びと言っても広い範囲があり具体的なものは解りません。

そこで、未知の需要を呼び起こすためには 目的は解らないし問わないけれども お金を使いたくなるような政策が必要になってくるのですが、 それが「所得税増税+全品所得控除」です。
現在の税制では、もらう給料に比例してその額の何パーセントかを 税金として払います。その割合は給料の額に比例して大きくなっていき 0%から最大40%ぐらいまでになります。
所得控除とは、所得(もらう給料)のうちある一定の金額を税金の計算から省くことで 支払う税金を安くするということです。 省く金額は家族構成や生命保険などの支払い金額で決まっています。
「全品所得控除」というのはその年に購入した全てのものの金額を所得から省き、 実質的にその年に貯金した金額に対してのみ税金をかけるという意味です。
この方法だと、その年の所得をすべて使いきるともっとも税金が安くなります。
貯蓄率が異常に高い日本で いかにしてその貯蓄を市場ににまわすのかが議論されますが、 買いたくなるものがあるわけではなく、 お金に色をつけることはできないので貯蓄に税金をかけることはできずに 解決策はありませんでしたが、 この方法だと所得が貯蓄にまわるところで税金をかけられるので 貯蓄率を減らして市場にまわすことができます。

実際にこの税制を行なうには複雑さを排除するために現在の諸控除をやめて 「全品所得控除」に一本化し、控除に加える割合aをきめ、 全体の税収が変化しないように税率を見直す必要があります。

税額=abs(所得−支出×a)×f(所得)

このような式の形になります。


ちなみに、今回の地震で私の被害は全くありませんでした。



2011.1.31
最近気づいたこと:学校教育における体罰のあり方
家庭教育と学校教育の体罰のあり方は現在異なっており、 家庭教育では親権という物の元で体罰を加えてもいいことになっていますが、 学校教育では体罰は暴力に当たるのでいけないことになっています。
伝統的に家庭教育では悪いことをしたら体罰を加える方針と そうでない家庭があるようです。 この2種類のどちらでも最終的に物事の良し悪しを学べます。 体罰を加える方針で学べる理由は直接的なので理解しやすいですが、 加えない方針はどうでしょうか? 体罰無しでも学べる理由は体罰の代わりに親が表情を曇らせるからだろうと思います。 つまり、「優しい表情<->怖い表情」の組み合わせで教育を行なっているわけです。 また、仮に無表情ででも「体罰無し<->体罰」の組み合わせでも学べます。 また、大きく振れ幅をとって「優しい表情<->体罰」の組み合わせでも いいのだと思います。 このように何らかのコントラストがあればいいわけです。
家庭ではこのように様々な教育方法が行なわれています。
学校教育の役割は、教育の素人である一般人に変わって プロである教師が均一な教育を施すことにあります。
またとくに初等教育では物事の良し悪しも学ばなければいけません。 そのときにそれを知るシグナルとなるものはどうあるべきでしょうか? それは家庭教育の延長線上でなければうまく機能しません。 しかし、それは上に書いたように様々な組み合わせとなっています。 そのなかで全ての組み合わせを包括するものは「優しい表情<->体罰」のみです。
つまり、家庭教育で体罰が許されている以上 学校教育でそれが許されないと言うことは、 均一な教育が行えないので、法律解釈の矛盾と言えます。
この矛盾を解消するには、 家庭教育での体罰の禁止か、学校教育での体罰の許可しかありません。
体罰は有史以来行なわれてきたことなので 前者は難しいのではないかとおもいます。


2010.12.16
最近思いついたこと:新卒者就職難の理由
大企業が新卒者を選抜する場合、常に前回の結果をフィードバックして 選抜基準を変化させ現在の傾向にあわせていると思いますが、 わりと見落としているのではないかと思われる点に気付きました。
最近の新卒者はゆとり教育をうけた人たちですが、 その人たちが象徴的に好む歌に「世界に一つだけの花」があるそうです。 この歌は、人の順位付けなど無意味でそれぞれの個性を見ていこうよ という内容であり順位付けが激しかった前ゆとり世代に向けた応援歌になっています。 この歌の作者の意図は今のゆとり世代に向けた物なのかもしれませんが そうはなっていないようです。
何度かこの歌がゆとり世代に悪影響を与えているという話を聞いたことがあります。 それは順位付けを気にする必要はないということの補強になっていることだそうです。 別にそれでもいいように思われますが、 これともうひとつの事実が重なると悪い事態が発生します。
それは、「自分には今はわからないけど何かの能力がかくれている」 としんじこむことです。 この「しんじこむ」というものが問題で、 「能力をしんじる」と言う場合は普通は「自分をふるいたたせる」と同義なのですが、 ゆとり世代の人たちの一部には小さい頃から何かの能力を言われ続けたために ちょうど「霊の存在をしんじる」とか「UFOをしんじる」とかいうように いざとなれば、あるいは何かのきっかけで、 かくれた能力が発揮されると思い込んでいる層があるのではないかと思います。 このような層は「世界に一つだけの花」で順位付けを否定されると ますます能力の不在に気付きにくくなってしまいます。
このような層が面接などで自分をアピールしたらどうなるでしょうか?
まるで霊の存在を力説するように自分の能力を力説するわけで、 何の負い目もなく能力をアピールできてしまいます。 全く根拠のない存在をあたかも実在するがごとくに説明するわけです。
その様子を見た面接官は本当に能力があると誤認してしまいます。 しかし、後に誤認と気付き何らかのフィードバックをかけます。 そうすると今度は自分の能力を正しく理解している層は あまり強力にアピールしないので逆に無能と誤認されてしまいます。
このような理由で採用を減らさざるをえなくなってしまいます。 これが就職難の原因の一つなんだと思います。
この流れは正しく自分の能力を理解している人にとって大変不幸なことです。
この問題を解決するためには 面接では能力は問わないというようにするしかありません。 能力は別の方法、たとえば 実際に作品を作るなどの方法で問わなければ今の時代は解らないのだと思います。


2010.9.11
issassist-1.0.0 をリリースします。
これは2006.9.23で書いたフライホイルマウスと言う物を実現し、 また、キーボードレイアウトの入れ替えを行ないます。
最近のX11(X.org)はhal対応のためにsuspend後復帰したら、 前のキーボードとは別のキーボードであると認識するために、 最初に/etc/xorg.confで設定したレイアウトが無効になってしまいますが、 issassistではUSBの名前から設定を決定するのでどのような順番で抜き刺ししても、 確実にレイアウトを決めることができます。 また、それぞれレイアウトが異なるキーボードを複数同時に刺しても 正しく動作します。
フライホイルマウスでは 最近appleのおかげで高機能タッチパッドが生産されるようになりましたが、 その機能のうちタッチセンサーを利用して実現しています。 またさらにジェスチャー機能と言う物を用いてホイールも実現しています。


2010.1.26
最近思いついたもの:交流二次電池
二次電池と言うものは充電できる電池のことです。 普通の二次電池は充電放電は普通は直流で行なうものですが、 これを交流で行なおうと言うものです。
アルミ電解コンデンサーは電解液に浸された2枚のアルミ電極に電圧をかけると、 プラス極側の表面に多くの酸化膜が成長しますが、 それが絶縁体であるためコンデンサーとして動作します。 また、マイナス極側も薄い酸化膜があり 耐圧が低いけれどもコンデンサーとして動作します。 この2枚の酸化膜と間にはさまる電解液が直列につながって 全体としてもコンデンサーとしての動作をします。
一方、鉛蓄電池はアルミ電解コンデンサーと同じような構造をしていて、 酸化膜を形成させて充電するのですが、アルミと異なり鉛の酸化膜は導電体なので、 コンデンサーにはならずに直流電流を流すことができ、 酸化膜を還元させながら電気エネルギーを取り出すことができ、 二次電池として使えます。
このように酸化膜が絶縁体か導電体かでコンデンサーになるか二次電池になるかが 決まります。
このような関係があるので、 かりにコンデンサーの酸化膜に電流を流すことができれば、 それは二次電池になります。その方法が交流です。
動作としては、 直流バイアスゼロの交流を流すと、 酸化膜に接する電解液が酸化環境と還元環境に交互に入れ替わりますが、 すでに酸化膜が出来ているためそれ以上酸化されずに還元されていき、 徐々に直流バイアスが発生するので、それをエネルギーとして取り出せます。 充電は発生する電圧よりも大きい直流バイアスをかけさえすれば 交流を流しても流さなくともできるはずです。
つまり、交流電流を流している間は普通の二次電池として動作します。 交流を止めるとコンデンサーになります。
かけるべき交流の周波数は電解液の特性に依存して、 イオン分子が自由回転する周波数で最も効率がよくなるのではないかと思います。
この交流二次電池のメリットは利用できる金属や電解液の種類がふえるので、 よりよい選択の可能性があることと、 交流電流が止まると酸化膜が還元しなくなるので安全であり、 製造ミスや外部からの機械的ダメージで発火しないということです。 モバイル機器の安全性もさることながら、 電気自動車の安全性に有効だと思います。


2009.12.13
最近思いついたこと:カギ時計
でかけたとき、ちゃんとカギをしめたのかどうか気になることがありますが、 その不安を解消するちょっとした小物を思いつきました。
普段ポケットに入れておく家のカギに時計をつけておき、 カギを操作するたびにその日付と時間をポーズして表示させ続けると言うものです。
カギをかけたかどうかあやふやな場合でも家を出た時間はだいたい解るので、 その時間にポーズした時間があっていればカギをしめたことが解ります。 異なっていて前日なんかを示していればカギは開いたままです。
カギのキー本体の指でつまむ部分に貼り付ける形で固定して、 つまむとスイッチが入り表示時間を更新させるようにすると合理的です。 また、普通のカギは180度回転させて開け閉めするものなので、 重力方向をセンサーで調べたら開けたのか閉めたのかを知ることも出来るので、 閉めた場合のみを記録すると頻繁に開け閉めした場合でも 確実に閉めた時間を知ることが出来ます。
この発想を応用して、メカ的にキー自体になにかをスライドさせて 直前に開けたのか閉めたのかを表示させる方法や、 接触通信を使う方法などもあるのではないかとおもいます。


最近思いついたこと:角膜再生技術の応用
レーシック手術といって角膜を削って近視を矯正す方法がありますが、 これとは逆にドーナツ状に中心が薄くて周囲が厚い再生角膜を貼り付けて 矯正する方法もあるのではないかとおもいます。
厚さをうまくコントロールすれば乱視なども直せるとおもいます。


2009.10.29
最近思いついたこと:ロボットの表情表示
10年ぐらい昔にTVで紹介されていたのですが、 人の頭ぐらいの大きさで卵形に切り出した発泡スチロールに プロジェクターで顔を投影したら 石膏像のように見えるというのをやっていました。 投影する影像をナポレオンとかビーナスとか切り換えると 石膏像も一瞬にして切り替わっているように見えると言うものでした。
これを応用して、乳白色電球状の内側から顔を投影すると言うのを考えてみました。 小型のプロジェクターが登場してきたし CG描画も充分な性能になっているので簡単に実現できるとおもいます。
白熱球60W=ボール形蛍光灯12W=LED電球7.5Wらしく、 C/Pが高そうなボール形蛍光灯を買ってきて思いつきました。
ちなみに、LED電球は色再現性が上がるであろう 次世代が買いなのではないかとおもいます。


2009.10.6
最近思ったこと:「日本語がおかしい」がおかしい
TVを見ていると「日本語がおかしい」と言うことで賛否両論を問う番組があります。 番組が続くと必然的に細かい言い回しまで探し出して来ることになってしまいます。 そうなると、例えば「食べられる」「食べれる」とか 動詞の活用方法まで言い出すことになりますが、 もしかするとこれは方言の一つなのかもしれません。 実際に「方言 動詞の活用」でgoogle検索すると いろんな地方の活用パターンが紹介されていることがわかります。 そうすると「日本語がおかしい」といいながら 実質的には方言を否定していることになってしまいます。
もしかすると動詞の活用方法以外にも 方言を否定する番組内容があるのかもしれません。
正しくは「標準語がおかしい」と言うべきです。


2009.9.5
最近思ったこと:道路交通法の拡大解釈
道路交通法に というような感じのものがあります。 高速道路上の事故の場面を思い浮かべると全く妥当なものだと思います。 また渋滞の最後尾では表示板や発煙筒は現実的ではないし、 もしかしたら信号待ちの一部分かもしれないけど、 停車のようにも見えるのでハザードランプを付けたりもします。
具体的な状景を思い浮かべると法律をまちがいようはないのですが、 文字列暗記している人にとっては、 故障や事故にはめったにあわないのでほとんど適用されないし、 スイッチが手近な位置にあったりするので ハザードランプの印象が強く表示板や発煙筒が消えてしまい、 そもそも、カッコの中はもとの文章に含まれていないので結局、 というようになり、やむを得ない場合があやふやであるので、 例えば店の近くに駐車スペースがない場合もやむを得ないということになってしまい、 この法律は一部の人にとって、 と拡大解釈されているように思えます。(駐停車が駐車に変わっています) この拡大解釈には曲解も含めて何とおりかバリエーションはあるようで、 というようなものがあるようです。
このように法律が想定する状景を思い浮かべにくいものがあると ドライバーにとって都合がいいような様々な曲解が生まれてくるようです。
ハザードランプは法律上はあくまでも故障や事故のときにつけるものです。 最近は「夜間路上に駐停車する場合、ハザードランプをつけなければならない」 という亜種がでてきているようですが、これは道路交通法の 「法第五十二条第一項前段の規定により、 夜間..(略)..非常点滅表示燈又は尾燈をつけなければならない。」 という部分からでてきたそうです。 この文は故障や事故で非常点滅表示燈(=ハザードランプ)をつけている場合は 尾燈はつける必要がないということを言っているようです。

ここで少し話が変わりますが、電動自動車などの騒音をあまり出さない車は、 歩行者が気付きにくく危険なので、 なにか音を出した方がいいのではないかと最近いわれはじめているようです。 これを表した法律が出来ると、 また同じように拡大解釈されるのではないかと思います。
今現在既に歩行者保護として、歩道がないような道路で、 歩行者と自動車の間に充分な距離(1m〜2m以上、普通車の横幅ぐらい) をとれないような場合、 徐行(ブレーキをかけ始めてから1秒以内に止まれる速度で前進、5〜6km/h(?)) しなければいけないとなっており、 とくに音を出さなくても充分な安全を確保できるはずなのですが、 この法律が守られておらず、 歩行者が自動車に気付き避なければいけないことになっています。
このような状態で電気自動車の法律ができると、 それは、現在ある法律を穴埋めするような 視覚障害者が道路を渡ることを想定した法律になると思うのですが、 曲解されて、 というまちがった私制法律が生まれてくる可能性があります。
現行法律をゆるめる方向に変更したように一部の人に思えてしまう 可能性がある新たな法律を作るのであれば、 現行法律を強める法律も同時に作る必要があります。例えば、 というような感で今でも法律はあるのですが、具体的な数値を出して文章化 する必要があります。


2009.5.23
「逆アスペルガー症候群」
2009.4.19のコラムに「逆アスペルガー症候群」と言う物があるのかもしれないと 書きましたが、その1症例らしきものを見つけたので書きたいと思います。
それは自動車運転で事故を起こしやすい認識スタイルについてです。
逆アスペルガー症候群は極端に人間に興味を示し物には示さないというものです。 この定義で言えば物損事故を起こしやすいのではないかと連想できますが、 そうでもなくて物損事故をよく起こす人は人身事故もおなじようによく起こすと 言うことを聞いたことがあります。つまり、この連想はまちがいです。
まずは、逆アスペルガー症候群の人がどのように 物事を認識していくのかを考えてみます。 このタイプの人は定義により、 人以外の物は一旦、人に置き換えて認識することになります。 このとき自分もその1メンバーです。 4輪車を運転する場合は自分の4輪車が自分そのものであり、 他の4輪車は他人と認識することになり、 また通行の優先順位などのそのキャラクターも同時に考えます。
必ず人に置き換えなけれないけないので、同時に認識できるのは1種類だけです。 そのため、4輪車以外は認識が出来ません。 例えば4輪車に加えて2輪車も認識するときは 人に置き換えるべき対象物の範囲を広げて再認識する必要が出てきます。 さらに歩行者や、例えばハトが路面にいた場合は、 種類が増えるたびに毎回リセットして再認識する必要が出てきます。
一方このタイプでない人は動く可能性がある物はまとめて認識するので、 毎回リセットする必要はありません。 動く物のうちで衝突しそうなものを見つけてどう対処するのか 優先順位などを考えます。
つまり、運転において、 このタイプとそうでない人とでは認識の順番が異なると言うわけです。 4輪車と2輪車と歩行者が同時に目の前に現れた時の 実行ステップを機械的に書き出すと次のようになります。
逆アスペルガー症候群 非−逆アスペルガー症候群
14輪車の認識 動く物の認識
24輪車の優先順位確認 4輪車の優先順位確認
34輪車+2輪車の認識 4輪車+2輪車の優先順位確認
44輪車+2輪車の優先順位確認 4輪車+2輪車+歩行者の優先順位確認
54輪車+2輪車+歩行者の認識 
64輪車+2輪車+歩行者の優先順位確認 
このように6ステップと4ステップと言う具合に 逆アスペルガー症候群の人は全体の認識に時間が長くかかってしまいます。
この表は危険度や運動性の面から最適とは言えないので、 4輪車と2輪車をまとめて車とし、 歩行者の優先順位を上げて最適化すると次のようになります。
逆アスペルガー症候群 非−逆アスペルガー症候群
1車の認識 動く物の認識
2車の優先順位確認 歩行者の優先順位確認
3歩行者+車の認識 歩行者+車の優先順位確認
4歩行者+車の優先順位確認  
逆アスペルガー症候群の人は 運動性の違いから車と歩行者を同時に認識することは出来ず その結果、全体の時間が長くかかります。 また、詳細にみると、認識を2回行なっているので、 目線を2回動かす必要があります。 優先順位の確認は物理的に何かを動かすわけではないので、 目線を動かすのに比べるとかなり速いのではないかと思います。 つまり、歩行者に気付くのに2倍の時間がかかることになります。 また、疲労してくると目線を動かす量を無意識に減らすために 歩行者を認識しなくなる可能性もあります。
女性は文系傾向が強いので逆アスペルガー症候群の存在確率が高くなりますが、 このような理由で、女性の自動車運転が危険だと言われているのかもしれません。


政治ネタ
少子化対策に援助とか支援とか言って予算をつけようとしていますが、 その前に、子供用商品の価格の適正化が必要な気がします。 かりに、資金を支給してもその分、商品の価格が上昇して吸収してしまい、 支援とはならないと思います。

最近、たくさんの基金が設立されていますが、 その会計ルールに「かんぽの宿」などの土地建物の運用実績を 建設工事1年目から反映するべきなのではないかと思います。


2009.4.19
理系と文系
理系と文系の違いは明確な定義があり、 それは、理系は自然現象を研究するもので、 文系は人間関係を研究するものとなっています。 ところが、世間一般ではこれとは異なる意味合いで語られています。 その理由をまとめてみました。
先ず、この定義は研究対象のみで分けたものであり、 学習方法には触れていないことが関係しています。
前に書いた、 「学習するべき物事を抽象概念に分解し、 他の概念との関係を探り作りながらおぼえ、 この時、より合理的に分解出来れば、よりコンパクトに簡単に記憶でき、 また、そう出来るほど、より広く応用が出来るようになる」 ような能力を「理系学習能力」と呼ぶことにします。 これを「理系能力」と呼ぶ人もgoogleで検索すると出てくるみたいですが、 理系能力と言ってしまえば、その意味合いから 理系学習能力で学習した理系の知識も 含まれてしまうことになるので区別したいと思います。 本当は理系という文字列を加えるべきではなく、抽象とか加えたいところですが、 それでは解りにくくなってしまうのでこう呼ぼうと思います。
これを使って理系と文系の学習と研究に必要な能力の表を書くと次のようになります。
理系文系
学習理系学習能力、記憶力記憶力
研究理系学習能力、記憶力理系学習能力、記憶力

学習の部分は理系と文系が異なり、研究の部分は同じです。 なぜ、学習方法が異なるのかと言えば、 理系は学習量が多いが各項目が関連しているけれども、 文系は理論的な学習の量は少なく各項目は独立していると言う関係のために、 自然とこうなってしまうのではないかと思います。
多くの人は学生時代に経験した学習の部分だけを見て 文系と理系を判断することになるので、 文系を記憶だけの科目であると言うのではないかと思います。
また、クラス分けも理系学習能力の有無で分けてしまうことになって、 文系クラスに行ったら理系学習能力を養う機会が奪われてしまい さらに能力が相対的に縮小してしまうと言うことも問題です。 その結果、 理系と文系との人には「より広く応用が出来るようになる」ような能力に 大きな差ができてしまい、 「文系」と揶揄されることになるのではないかと思います。

この、文系クラスの未発達を解消する方法はわりと簡単です。 人間関係を扱う文系で理系学習能力が必要な学問を 小中学校から加えてやればいいのです。それは、法学です。 法学は法律の文章が山のようにあり、暗記するのは大変ですが、 法はメタな概念をたくさんの法との依存関係を保ちながら文章化したものなので、 主のメタ概念と依存するメタ概念の関係をおぼえていけば 依存関係のネットワークとしておぼえることが出来ます。 これは理系学習能力でやることとおなじです。応用は立法にあたります。
社会科の法律関係を増やしてそれで理系学習能力を養えばいいのです。

最後に理系か文系かを見分けるための 簡単な心理テストを書いておきたいと思います。
「なかのいい、A君とB君がいました。 二人がある部屋に入るとそこには、テーブルの上にバナナが置いてありました。 A君はバナナを耳に当ててB君を見ながら「もしもし」と言いました。」 なぜ、A君はバナナを耳に当てたのでしょうか?
と言うものです。 これは放送大学の心理学講座で アスペルガー症候群の診断用の心理テストのひとつとして紹介されていたものですが、 (ディテールまで同じとは言えません) 理系と文系の定義によくあうので出してみました。
この質問に、 「バナナが受話器の形ににていたから」と答えると理系
「B君を笑わそうとして」とか「ぼけと突っ込みを期待して」と答えると文系です。
理系は物に興味を示し、文系は人間関係に興味を示しますが、 この文章は極力、人間関係と物への興味を平均的になるように書いたつもりですが、 1つしか答えにくいようにすることで、 どちらに重心があるのかを知ろうという狙いがあります。
ひとつ興味がある点は、 ちょうどうまい具合に理系と文系を二分するような心理テストが、 なぜ、アスペルガー症候群という病気を分類するために 使われるのかということです。 これで納得する人は世界が相当かたよって見えていると言うことになります。
理系と文系を基軸に理系に極端に偏り 人間関係に興味を示さない場合をアスペルガー症候群と言うのであれば、 逆に、文系に極端に偏り、物への興味を示さない 「逆アスペルガー症候群」と言えるものもあるかもしれません。 ビデオの予約録画が出来ないとか部屋が片付けられないとかが これに当たるかもしれません。


2009.3.25
ゆとり教育
2009.3.18で、なぜゆとり教育が行なわれたのかを書きましたが、 話が長いので短くまとめました。
教科は形式的に理系と文系に分けることが出来ますが、 その学習方法は、
理系は学習するべき物事を抽象概念に分解し、 他の概念との関係を探り作りながらおぼえるものです。 この時、より合理的に分解出来れば、よりコンパクトに簡単に記憶でき、 また、そう出来るほど、より広く応用が出来るようになります。
文系はひたすら暗記するべきものです。
この分け方は正しくありませんが、 高校までの教科でいえばだいたいあっていると思います。 本当は、理系は自然現象を研究するもので、未知のものを探し、また作るものです。 文系は人間関係を研究するもので、何かを分類するものです。
こういう関係があるのですが、 ある官僚が、理系を単純に暗記しようと努力した経験から、 そんなものは生きていくには何の役にも立たないと思い、 また、文系を研究する時間がなかったので文系の時間を増やそうと思ったことから ゆとり教育が始まったのではないかと私は考えています。
「理系を暗記する行為は役に立たない」ということはごもっともですが、 そもそも、あるものをまちがった扱い方をして、うまくいかなかったので、 そのあるものはいらないと考えることは大きな判断ミスです。 「暗記する行為は役に立たない」と考えるべきところを、 「理系は役に立たない」と取り違えてしまったわけです。
この判断ミスに気付かずにゆとり教育を推し進めてしまった結果が現状で、 日本社会に理系能力をもった人材が不足する結果に陥っています。 理系能力とは上述の理系の学習方法ができる能力です。

ゆとり教育を廃止した後は、 理系科目を暗記することで受験に通ったりしないようにするために 理系科目の量を増やす必要があると思います。
また、理系能力をもっているけど暗記速度が遅くて受験に通れずに 教育をうけられなかった人のために教育機会を増やす必要があります。


2009.3.18
ゆとり教育
なぜ、これが行なわれたのか少し解ったような気がするので、 今更ながら、ゆとり教育について書きたいと思います。
ラジオ番組にゆとり教育を主導的に推し進めた元官僚の方が出ていました。 その方は現在映画を研究しているそうです。 ゆとり教育を始めたきっかけはその方の経験で、 入試試験があまりにも詰め込みすぎでおぼえることが多いから、 それを緩和しようと思い、また暗記ではなく「生きる力」を養わなければ ならないと思ったことから始まったそうです。
ここでも、2009.1.21のコラムの「覚える」と「憶える」の定義を使います。 この定義はこのコラムの中の最近の話だけで通用するものですが、 以下の文章はこの定義を厳密に使い分けて説明することになるので、 あやふやであれば前のコラムを読むことを読むことをおすすめします。
この方が言う「おぼえることが多い」とは 暗記と言っているので「憶えることが多い」という意味です。 理系と文系に分けると、理系は「覚える」もので、 社会科を含めた文系は「憶える」ものが大半ですが、 この方は、今の仕事からも解るように文系タイプのようで、 理系を「憶え」ようと努力し、 文系に「覚える」を見いだしたいけれども 現実の試験問題が「憶える」ことに偏重しているので それが出来なかったのではないかと思われます。
「生きる力」とは何かと思い検索してみると次のように出てきます。 この内容から、理系を「憶え」ようとしたことが見えてきます。
(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/index.htmより引用)

最初の項目は「資質や能力」と言っていることからも解るように、 何かを「覚える」ことのようです。 二番目の項目は道徳、三番目の項目は健康で 特別に言わなくてもよいぐらいに当たり前で重要なことです。
最後に書いてある「など」から、この文章を書いた人が 表現したいことを100%言い表せないもどかしさを読み取ることが出来ます。
何かを覚えることのうちの何かとは、 この元官僚の方が覚えることを行なわなかった理系科目であり、 覚えることを行なえなかった文系科目のことだと言えるでしょう。 全ての学問は理系と文系に大別できるので これで「何か」の全てを言い表しています。
つまり、 「生きる力」とは「学問を覚える」ことと「道徳」と「健康」のようです。
その当時の教育を否定してこの「生きる力」と言う物を引き出していますが、 当時も道徳と健康は当然あっただろうから、 残る「覚える」ことをあたらに言いたかったのではないかといえます。 つまり、裏返すと、 理系も文系も全て「憶える」物であると考えていることがうかがえます。
そのような考え方に基づいてカリキュラムの変更をしたために、 理系を「憶え」やすくするために量を減らし、 文系を「覚える」ために、 表現方法などを学ぶカリキュラムを増やしたのではないかと思います。
「学問を覚える」ことを目的として、 理系を「憶え」やすくするために量を減らす というという行為は明らかに矛盾していますが、 理系科目を減らし変な科目を増やしたのは事実です。 「覚える」と「憶える」の概念がなければこの二つは混同されてしまい、 量を減らして「憶え」やすくすれば、 「覚え」やすいだろうと考えたのかもしれません。 この辺りのあやふやさが、「など」という表現で表れているのかもしれません。
正しい方針は理系を「覚える」必要性はそのまま残し、 文系を「覚える」ように変更すべきだったのです。
私はこの元官僚とは異なり理系を「覚え」たのですが、 私の感想からいえば詰め込みどころか量が少ないと感じました。 微分積分を発明して大発明だと喜んでいたら、その後に学校で学び落胆し、 HAMMER SHIP の技術 の「物理シミュレーション」で書いたような グローバル角速度とローカル角速度の問題で悩み、 大学で偏微分を学んでやっと解くことができました。 このような経験をしたのでもっと早く教えてくれれば ぬか喜びや時間の無駄がなかったはずであり カリキュラムの遅さに悔しい思いをしました。 多分当時の理系カリキュラムは「覚える」には 全く無理がないものだったのではないかと思います。
元官僚はそれを無理矢理「憶え」ようとしたがために高負荷だと感じたのでしょう。 なぜそうなってしまったのか、 それは通った学校の責任か本人の資質の問題か解りませんが、 多分理系に興味がもてずに拒否反応をおこしたけれども、 学校はうまく導けなくて、しかたなく無理矢理「憶え」たのだと思います。 また、もしかしたらその学校は道徳と健康を なおざりにしていたのかもしれません。

多少別の話になりますが、 このゆとり教育化の流れから、大変重大な問題点が見えてきます。
ゆとり教育の必要性をといたのは前出の元官僚一人のようですが、 (自らスケープゴートを買って出たのかもしれませんが) 速やかに実行されてしまったところをみると、 官僚たちの中でそれが支持されたという事実がうかがえます。 つまり、当時から官僚はこの元官僚に共感する同じタイプの人が 多数をしめていたと言うことです。 そして、その元官僚が定年かなにかでやめるまでの時間がたってしまっています。 つまり、今の官僚は全員理系を「覚え」ていない人たちなのです。 これは、まさに「生きる力」の最初の項目である
を持ち合わせていないと言うことです。 思い起こしてみれば 「官僚的」と揶揄されることはこの資質がかけていることをさします。
今となっては日本の官僚は全員この資質や能力を持ち合わせていないということであり、 もはや手遅れのようにも思えますが、 日本は行政府のトップである内閣が独立していて間接的にも選挙で選ばれるので 政治がどうにかすればこの重大問題を解決できる可能性がまだ残っています。 さいわい、 2007.9.22日本復興の最後のチャンスで書いたようなタイムリミットはありません。

最後に子供の学習に目を向け、 「生きる力」と言う物を「覚える」と「憶える」の定義を外して、 私流の言い方をすると次のようになります。 これは、ゆとり教育とは関係なしに、今の教育に必要なものです。

2009.3.20追記
ゆとり教育を廃止した後、どのように変更するべきなのか考えてみました。
元に戻しただけでは、また次のゆとり教育の目が出てきてしまいます。 これを阻止するためには、 理系を「憶え」ることで受験にパスしようとする 行いが出来ないようにする必要があります。 そのためには、「憶え」られなくするために量を増やすべきです。 そして、「覚える」ためにはどうすればいいのかをとく必要があります。 また、「覚え」やすくするために カリキュラムを今一度見直す必要があるのかもしれません。
文系については私自身あまり興味がないのでわかりませんが、 これも「覚える」ことに重心を移すべきなのではないかと思います。


2009.3.18
最近思ったこと:ユーザーが本当に欲しているもの
ノートPCは電池のもちぐあいがよく話題になり、 短いとやりだまに上げられてしまいます。 いったい何時間もてばいいのかは底抜けで、 無限にもつことを欲しているように思えます。
実際の使用状況を考えてみると、 電池が長持ちしなければいけない場面は電車や外で使う場合ですが、 普通の生活者ではその頻度は低いものです。
本当はACアダプターを持ち歩くことが煩わしいと 言っているのではないかと私は思います。
これを解決するには本体にAC−DCコンバーターを内蔵すればいいことです。 ネットワークもPLCでACケーブルを使って接続すれば セキュリティー面でも有利になります。


2009.2.10
漢字を「覚える」
少し前から麻生首相の漢字の読みまちがいについての報道を 時々見かけるようになりました。 何とも見当違いな報道をやっていると思いますが、そのことは置いておいて、 なぜ読み間違えるのかを前のコラムの内容から説明できそうです。
2009.1.21のコラムで「覚えると憶える」について書きましたが、 ここでもその2つの「おぼえる」の定義を使います。
漢字の読みをおぼえると言った場合、漢字の性質上、 ここの定義で言うところの「覚える」と「憶える」が入り交じっていることが 解ると思います。 例えば「海」と言う字は、たいていの場合、 漢字が連なっている場合は「かい」と発音し、 前後にひらがながある場合は「うみ」と発音します。 これらは複数の場面で共通しているので「覚える」ものです。 しかし、海老(えび)と言う例では「海」単体で何と発音するのか解りませんが、 この文字列では「えび」と読むと「憶える」必要があります。
また、漢字以外の例として、 動詞の活用はたいていの場合、五段活用でありこれはこの規則を「覚える」ものです。 しかし「来る」の活用はカ行変格活用なので、 これを特別に「憶える」必要があります。
このようにたいていの場合は「覚える」ものですが、 「憶える」必要があるものも混じっています。 その割合はいったいなんで決まるものなのでしょうか? 例えばカ行変格活用は地方によっては五段活用するところもあるそうです。 それは方言とされていますが、そちらの方が合理的な感じがするので、 その地域が広がっていきカ行変格活用は古語になってしまうかもしれません。 また、海老(えび)の類は流行り廃りで表れたり消えたりするものです。 このように変化していく中で今の割合に決まっていますが、 これは大多数の人が許容できるような割合におちついているのだと思います。
製品のパッケージデザインには海老の類の漢字を使いたがるかもしれませんし、 普通の生活者は字面がいやでカタカナで書きたがるかもしれません。
個人別に見ると、この許容できる範囲というものは人によって異なっているはずです。 また、おぼえた時間的経緯によっても事態が変わってきます。 仮に、若いうちから字を覚えて、あとから字を憶えようとしても、 憶えた内容よりも覚えた内容の方が高速に思い出せるので 覚えたことがじゃまをして憶えられなくなってしまうはずです。
このことは漢字をおぼえるということでは解りにくいかもしれませんが、 算数では多分誰もが経験することなのではないかと思います。
それは、鶴亀算です。鶴亀算では足の数a本、頭の数b個ある場合、 鶴と亀はそれぞれ何匹づついるでしょうか?という問いに、 アルゴリズム的な解法をするものです。
という感じか、もしくはニュートン法みたいな計算をします。 中学校では代数を使った連立方程式を学びますが、これで解くと、 鶴の数をx 亀の数をy 置けば、
a=2*x + 4*y
b=x + y
と書けるので、
亀の数 y= a/2 - b
鶴の数 x= b - y
と解けます。
代数を習った後には連立方程式の方が簡単だし汎用性が高いので、 鶴亀算のアルゴリズムを考え出せなくなってしまうという経験はないでしょうか? より汎用性が高いものを覚えると 同じ結果のものなら汎用性が高い方を使いたがるものですが、 汎用性が低いものは使えなくなってしまう という性質が人にはあるのではないかと思います。
麻生総理は この性質が漢字の読みに適用されてしまっているのではないかと思うのです。
漢字や数学と言ったもののうち何が適用できるのかは経験則で知るしかありませんが、 経験自体が少ないうちに確定してしまうと普通とは異なることになってしまいます。 大多数の人の確定時期が早くなると 海老(えび)の読みとかカ行変格活用はなくなるだろうし、 遅くなると、もっと種類が増えてくるのではないかと思います。
発達が遅いことを障害と言いますが、 この場合は速い場合も障害ということになります。 しかし、見た目は同じかもしれませんが、内容は全く異なります。


2009.1.28
2009.1.21コラムのつづき「覚えると憶える」
昔から、どうも、記憶はあるけどそれの応用が出来ない人が いるような気がしていました。 具体的には、なにかの特性の分布傾向をつかむために、 ガウス分布に当てはめて平均と分散を計算して、 どの程度の確率で規格外のものが出来るのか予測しますが、 具体的な例を前にしてガウス分布の話をしたとき、 「それはこのように使うのか!」と驚かれたことがありました。 品質管理なんかをやっている人ではなく、 本当に何十年ぶりにガウス分布と言う言葉を聞いたのだと思いますが、 多分、その人はガウス分布やその性質を文字列として 音声野なんかに記憶していたのではないかと思います。
そして、その驚いた瞬間に抽象概念に分解し正しい脳の位置に 結びついたのだと思います。
これは憶えるが覚えるに変わった瞬間だと思います。

ここから、子供の学習を考えます。 2009.1.27の追記で抽象概念が脳のどこかに存在しており、 個別機能に裏打ちされていない抽象概念も やはり脳のどこかに存在すると書きましたが、 かりにその場所のひとつを部位Aとします。部位Aは複数存在します。
また、漢字の意味合いから、
「覚える」とはすぐに応用が出来る形で記憶することであり、
「憶える」とは文字列として記憶することと区別します。
前者を行なうためには先ず物事を理解する必要があり、 そして意味合いを分解して部位Aに当てはめていく必要があります。 未熟なうちはそもそも部位Aの数が少ないため、 新規作成や入れ替えを行なう必要が出てきます。 そのため、最初のうちは、ある程度の時間がかかりますが、 部位Aが増えてくると覚える速度も上がってくることになります。 その速度上昇は指数関数的になるはずです。
一方、後者はその必要はなく、ただそのまま暗記すればいいので、 最初から比較的に高速に憶えることが出来ますが、速度は一定です。
一人の人はこの2種類の「おぼえる」行為をどちらもでき、 使い分けています。 かりに、あることを「覚える」ことが出来ると、 類似のものは前のものを足がかりに次々に覚えていくことが出来ます。 しかし足がかりがつかめなければ、「憶える」ことになります。 また、足がかりそのものがないものは「憶える」しかありません。
同じ内容でもどちらの「おぼえ」かたをするのかは、 人によって異なります。また、比較的「覚える」ことが多い人と、 「憶える」ことが多い人がいます。
大学受験のことを考えると、 いまのセンター試験では問題内容から、「憶える」タイプの方が有利になります。 しかし、世間のニーズから「覚える」タイプの人が多く受かるべきです。 この部分に現在ミスマッチが生じています。
また、ペーパーテストであっても、「覚える」タイプの人で、 一生のうちどこかで「憶える」タイプの得点力を追い抜くはずの人であっても、 18歳という年齢ではまだ覚える速度が遅いため不利になってしまいます。
世間のニーズを考えると、 大学入試試験は「覚える」タイプの人に有利なものにする必要があります。
ではどうするとよいのでしょうか?
私自身すぐによいアイディアが出せるわけではありませんが、 群論などがヒントになるのではないかと思います。 群の定義は文字列として憶えるには長いので難しいですが、 何のために考えられどう使うのかが解れば覚えやすいものです。 このようなものを使えばどちらのタイプなのか判断することが出来そうです。


2009.1.21
ヘッドフォンアンプの設計にその後を追記しました。


2009.1.21
最近思ったこと:抽象化
わけが解らないタイトルですが、 この抽象化という作業を人間は本能的にやっているのではないのかという話です。
空を飛ぶ夢の話が時々語られますが、私も昔時々みました、 私の場合は地面から1mぐらいの高さを滑るように飛ぶというものです。 飛ぶことが主題というわけではなく、どこかへ移動するときに、 何気なく使う技として出てきました。
その夢の中では空を飛ぶためのノウハウというものがあり、いまでも覚えています。 まず、場所は必ず下り坂でなくてはいけません。 また、飛んでいる間は体を「レ」の字に曲げて足を腰の位置よりも高く上げ、 その足を上げ下げして飛ぶ高さを調整します。 あまり高く上がると失速して墜落してしまいます。 着地するときは、すとっと足を地面につけて立ち止まり反動で走ったりしません。 うまく飛べる日とそうでない日があり 飛べないときは何度やってもうまきいきません。 このような性質を持っていました。
ある日ふと昔小学生のころ川遊びしたことを思い出したのですが、 その中で水の流れに乗る方法が この夢の中で空を飛ぶノウハウと全く同じであることに気付いてしまいました。
川の流れは層流になっていて表面近くが最も速く流れ、 底の方は石などの抵抗のために速度は遅くなっています。 この、表面近くの流れを背中や腕でうけて、 足で川底付近の速度の遅い水をから揚力を得て浮かび上がりながら前進します。 そのとき足の高さで揚力を調整します。また、層流になっていそうな場所を 選ばないとうまく浮きません。 このように夢のノウハウと全く同じです。 この技が使えるのはどうも水の粘性の関係上身長が低くないといけないらしく、 学年が上がるにつれてうまく浮かなくなってしまいました。 これが、 夢の中で飛べる日とそうでない日があることに対応しているのだと思います。

運動に関する記憶が、このように川遊びとという場所にかかわる情報どころか、 水とか層流といった運動に密接に結びついているはずの情報さえも 分離してしまっており、 私自身そうとう後になって一連の状況であったことに気付きました。 これは意識的に抽象的な部分を抜き出したわけではなく、 無意識下で行なわれて覚えていたとしか言えません。
この無意識に分離したこと自体が本能的な抽象化なのだといえます。

この例では運動と状況が分離し、運動については水の抵抗とかそういうものも 一切関係なしに手足の動かし方のみを抽出することになりました。 この分離の仕方は勘ではありますが、 脳機能の部位で切り分けられたのではないかと思います。 つまり、一連の状況を記憶する場合、 脳の一か所に全てをまとめて記憶するのではなく、 それぞれの機能に関係する部分に バラバラに分解して記憶すると言うことになります。
さらに推測すると 例えばもっと一般的な抽象化の例で「赤い」とか色に関するものがありますが、 これも視覚が赤い色を感知する場所の近くに多数の個々の経験に基づいた記憶があり、 その記憶の結びつきは抽象化した結果そのものであると言えます。
つまり、本当は抽象化という作業は存在せず、 最初から抽象化されたものを複数あわせて 具体化して人は物事を認識していると言えます。 また、「抽象化」と言った場合は認識しているものの複数の 抽象概念を選択していることになります。
さらに、抽象概念のマップは脳機能の部位に そのまま当てはめることができることになります。 つまり抽象化の結果を表す形容詞は それに対応する脳の部位が存在することになります。 このような理由でたくさんの人の間で形容詞を使って話のやり取りが できるのではないかと思います。
逆にとらえると、脳の部位に存在しない抽象概念も存在するはずですが、 それは多数の人々が理解することがうまく出来ないために 新しい概念である可能性が高いと言えます。 既に知られているものもあるでしょうが、 未知の概念が眠っている可能性が高いはずです。


2009.1.27追記
具体的な経験を無意識に分離して記憶し、結果として抽象化され、 また、それが視覚認識など個別機能にもとずいたものであれば、 抽象概念として多人数で共有可能であることをうえで示しました。 個別機能に裏打ちされていないけれども 共有化されている抽象概念というものも存在しますが、 それらは辞書的な定義によって文字列としてのみで存在するのか、あるいは、 やはり脳のどこかに存在するものなのかを区別することは難しいことです。 辞書的な定義がないのにも関わらずに共有化された抽象概念が存在すれば それは脳のどこかに存在することになりますが、 その様な特殊な例を見つけたので書こうと思います。
2004.7.20 と 2004.10.30 のコラムで、 長崎弁には「〜ばい」と「〜たい」と言う言葉があり、 標準語に直すとどちらも「〜だ」に相当する言葉だけれども、 実際には「〜ばい」の方は自分のことを断定するのに用いて、 「〜たい」は自分以外のことを断定するのに用いられていると書きました。
運がいいことに、方言は標準語と一対一対応していると信じられているので、 この区別の仕方は文章化されずに無意識に使われています。 外国語ではまた異なる区別の仕方も存在しますがそれは文章化されています。 また、長崎弁では「〜と?」と「〜ね?」という言葉があります。 どちらも疑問形ですが、「〜と?」の方は断定する言葉をイントネーションで 疑問形に変えたものなので、対称形にはなっていません。 これらも「〜ばい」と「〜たい」と同様な人称で用いられますが、 それも無意識に行なわれています。 このように、文章化もされず無意識に使われている2組み4種類の言葉で、 同一の概念を表しているものが存在しています。 表にすると次のようになります。
 自分のこと自分以外のこと
断定「〜ばい」「〜たい」
疑問「〜と?」「〜ね?」
これを可能にするためには個別機能に裏打ちされていないけれども 脳のどこかに抽象概念が存在しないといけません。 もしかするとこれが前頭葉にあり人間固有の能力なのかもしれません。

別の話になりますが、昔から感じることに、 TVで学者が他人の発明発見を、 標準語でも区別して話すことは可能なのにもかかわらず、 いかにも自分のもののごとく話すことがありますが、 「〜ばい」「〜たい」文化圏の人間としては大変不快に感じます。 時々、学歴詐称で政治家などが弾劾されることがありますが、 学歴詐称と同様だと思います。
国語の授業で「を」と「お」の違いを教えるそうですが、 これは、書きことばでは区別するけれども、 方言によっては区別せずどちらも「お」と発音する地域があるためだそうです。 これと同様に「〜ばい」「〜たい」に相当する なにかを教える必要があるのではないかと思います。 この概念は明治時代に教育カリキュラムを外国から輸入したときに、 言語体系の違いから気付かれずに抜け落ちたのではないかと思います。




過去の近況 [2008] [2007] [2006] [2005] [2004] [2003] [2002] [2001] [2000]



最近メインに開発している sxbike について
このページのタイトルは SXw のホームページになっていますが、 基本構造の開発は終了し、現在は機能の追加や修正が主になっています。
sxbike は現在(2002.5.12)鋭意発中のプログラムです。 これは最終的にモーターバイクのシミュレーションをすることを目的としています。 バイク以外に4輪車もシミュレーション出来ます。 ライブラリーには SXw と OpenGL を用います。
物理シミュレーションは質点をトラス構造で結ぶモデルを用いています。 一部のバイクのフレームはいかにもトラス構造になっていますが、 そのような事実から、このモデルはバイクのシミュレーションには最適 なのだと思います。

物理シミュレーション関係
[登場する車] [登場するバイク] [動画 sxbike1.mpg (2.7MByte)] [動画 sxbike2.mpg (2.9MByte)]
運動神経のシミュレーション [動画 sxbike3.mpg (2.4MByte)] [動画 sxbike4.mpg (2.4MByte)] [動画 sxbike5.mpg (1.7MByte)]

SXw とは
SXw とは、いわゆる widget set とか tool kit と X11 の世界で言われている ミドルウエアーです。libc と libX11 とリンクします。 独自にスクラッチビルドしたものです。 開発の初期段階からメモリーチェックの機能を組み込んでいたので、 メモリーリークやライトオーバーランはありません。 また、内部構造は直交性を重視した作りになっているので、 バグの発生が低く抑えられています。ゆえに安定性がいいものになっています。
メモリーチェックの機能はユーザープログラムにも働かせるので SXw を用いた開発ではメモリー関係にまつわるバグを低く抑えることができます。
従来のように、逐次ウィジェットツリーを作っていく方法以外に、 スクリプトを用いてウィンドウを作ることが出来ます。このスクリプトは プログラム中に埋め込むことや、 設定ファイルとして独立して用意することが出来ます。
sample ここにある画像は、SXw のライブラリーを用いたサンプルプログラムの実行例です。 これは、 80行ほどのCで書いた汎用スクリプトローダー580行のスクリプトでできています。 (スクリプトのすべてのウインドウを出しているわけではありません) スクリプトと言えども、処理速度は高速で、マウスをクリックして、 そのクリック音がなりやまぬ間にウインドウが現れます。(CPU は M1 150MHz)
Celeron 450MHz では音が耳に届く前に画像が目に届きます。
現在、gtk+ とか Qt というものがありますが、SXw はこれらより新しい世代であり、 新しいプログラミングパラダイムを提供しています。
SXw によりプログラマーは、わずらわしいウインドウ操作から解放され、 純粋に本来の機能設計に力を注ぐことができるようになります。

[詳しい説明]

対応環境
対応環境は UNIX + X11 の環境全般を狙っています。^^/
開発は Linux + XFree86 を用いて行なっています。Linux 関係では大抵動くと 思います。

ソースファイルのダウンロード
ライブラリー
アーカイブファイル名 進捗状況 現在のライセンス 完成時のライセンス(予定) 説明 作者
SXw-1.9.0.tgz
SXw-1.9.1.tgz
SXw-1.9.2.tgz
完成 SPL SPL [詳しい説明] 岡田伸也

アプリケーションソフト(動かすためには上の SXw ライブラリーが必要です)
アーカイブファイル名 進捗状況 ライセンス
現在/完成時
説明 作者
sxterm-1.2.4.tgz
sxterm-1.2.5.tgz
完成 SPL1000
SPL1000
ターミナルエミュレーターです sxterm-1.2.0 は SXw-1.6.x に対応しています。 [詳しい説明] 岡田伸也
sxcalc-0.1.2.tgz 90% SPLfree
SPLfree
256桁で16/10進数の計算ができる電卓です sxtools に移動しました。 岡田伸也
sxtools-0.1.0.tgz sxtools-0.2.0.tgz 90% SPLfree
SPLfree
sxclac 256桁で16/10進数の計算ができる電卓
sxfind find のラッパー
sxgrep grep のラッパー
が含まれています。 [詳しい説明] 0.2.0 は SXw-1.6.x 以上対応です。
岡田伸也
sxload-0.0.1.tgz sxload-0.0.2.tgz sxload-0.0.3.tgz sxload-0.0.4.tgz 80% SPLfree
SPLfree
LM75 LM78 を直接アクセスして温度グラフを書くソフトです 岡田伸也
hammerShipX-0.0.0.tgz 1% SPLfree
SPL2000once
フライトシミュレーターゲームです (おぼえている方はいらっしゃるでしょうか?) 岡田伸也
sxbike-0.0.1.tgz
sxbike-0.0.2.tgz
sxbike-0.1.28.tgz
50% SPLfree
SPL2000once
バイクのシミュレーションを目指したものです。 岡田伸也
sxmodeler-0.0.1.tgz
sxmodeler-0.1.0.tgz
sxmodeler-0.1.1.tgz
sxmodeler-0.1.2.tgz
sxmodeler-0.1.3.tgz
40% SPLfree
SPLfree
0.0.1 はrok形式ファイルのビューアーです。 0.1.0 は3D作画ツールです。 岡田伸也


アプリケーションソフト
アーカイブファイル名 進捗状況 ライセンス
現在/完成時
説明 作者
soloBoot-IPmasquerade.tgz 86% SPLfree
SPLfree
ダイアルアップ用に現在私が使っているソフトです。 岡田伸也
soloBoot-deflag.tgz 0% SPLfree
SPLfree
デフラグ専用のブートプログラム 岡田伸也
sssendmail+named+news-0.1.8.tgz
sssendmail+named+news-0.2.0.tgz
sssendmail+named+news-0.3.0.tgz
90% SPLfree
SPLfree
sendmail のクーロン + named + news サーバー + spam削除ツールです。 [説明] 岡田伸也
sssnamed-0.9.0.tgz
sssnamed-0.9.1.tgz
95% SPLfree
SPLfree
ダイアルアップ専用のネームデーモンです。 パケットを取りこぼすことなくオンデマンドダイアルアップが できます。 [詳しい説明] 岡田伸也
hammerShip98.tgz 100% 再配布自由(変更品の再配布は不可) 説明
mountusb-0.0.1.tgz mountusb-0.0.2.tgz mountusb-0.1.1.tgz mountusb-0.1.2.tgz mountusb-0.1.3.tgz mountusb-0.1.4.tgz 100% 再配布自由(変更品の再配布は不可)


ファイルネームの見方
上のテーブルからダウンロードできるファイルの名前は下の図のように3個の フィールドでできています。以下にそれぞれの説明をします。
    sxterm-1.0.0.tgz
    ^^^^^^ ^^^^^ ^^^
      |      |    |
      |      |    +-- 圧縮形式
      |      |
      |      +------- バージョン番号
      |
      +-------------- アプリケーションの名前

圧縮形式
.tgz とは .tar.gz のことです。
これは、元のディレクトリーツリーを最初に tar というコマンドでまとめて、 次に gzip で圧縮したことを示しています。 [詳しい説明]
ファイルを解凍するときは、圧縮した順番の逆を行います。
sxterm-1.0.0.tgz を解凍する場合は次のようにします。
cat sxterm-1.0.0.tgz | gzip -d | tar xf -
また linux ではどのディストリビューションでも GNU の tar コマンドを使っているので
tar xfz sxterm-1.0.0.tgz
でも解凍できます。(バイク乗りは tar fzx という話もある(ちょっと古いかも))

バージョン番号
このホームページにおけるバージョン番号の運用の仕方について述べます。
バージョン番号は、例えば 1.2.13 のように数値をピリオッドで区切って書きます。 このピリオッドはバージョン番号を書く場合においては小数点ではありません。 3個の整数を並べて書いたものであり、ピリオッドはその区切りです。 そのため、繰り上げとか言う概念はありません。
例えば 1.3.99 の次は 1.3.100 です。

3個の数値はそれぞれ次のような意味を持っています。
1個目
メジャーバージョンと呼ばれるものです。 この数値が0の時は未完成品であり、1以上になると完成品です。 SPL ではこの数値でソフトを同一と見るか見ないかを決めます。
2個目
マイナーバージョンと呼ばれるものです。 機能変更があるとこの数値を上げます。
3個目
一般的には特に名前は付いていませんが、 ここではマイナーマイナーバージョンと呼びます。 バグフィックスやソースコード改善など、機能の変更をともなわない 変更の時にこの数値を上げます。
なお、この決まりは一般的な決まりに似ていますが、それを説明したものではなく、 このホームページにあるソフトのバージョン管理の方針を書いたものです。

ライセンスについて
ライセンスの種類は次のようなものがあります。詳しくは SPL とはをご覧ください。
関連ドキュメント
一般事項
タイトル 内容
運営方針 「技術者と技術を重んずる」という方針について
技術者の心得 現在のソフトウエア技術者が心がけなければ いけないと思うところ
SXw 関連
タイトル 内容
説明 SXw の機能を説明しています
その他
タイトル 内容
作者プロフィール コンピューター歴について
思想的文章 経済学的、教育論、地球物理学と雑多な内容です
技術系ドキュメント
タイトル 内容
ゲーム「馳」の説明 1980年代後半に雑誌に掲載していただいた ゲームの説明文です。
HAMMER SHIP の説明 1980年代後半に雑誌に掲載していただいた ゲームの説明文です。
デジタルフィルターの原理と応用 実用的なソースコードを交えて手短に説明しています。
オイラー角とクォータニオンとジンバルロック 実用的なソースコードを交えて手短に説明しています。
ヘッドフォンアンプの設計 回路図、測定など
物理シミュレーション 質点系によるシミュレーションです。 sxbike で用いている方法の説明です。
運動神経のシミュレーション 2足歩行ロボットの応用と、 その結果得た神経動作のあり方から 実際の神経動作の仮説をたてています。

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