長州第二奇兵隊の悲劇 維新を目前に夢潰えた若者たち
2014年3月末、自費出版で『長州第二奇兵隊の悲劇 倉敷・浅尾暴動事件』を上梓しました。
岡山県下、総社市立図書館,倉敷市域六館全図書館,岡山市立図書館,岡山県立図書館。及び県下全図書館に寄贈しました。最早盗作は許しません!。 A5判 416頁。注も雑学的で充実。
下津井港で浅尾正之助が撃ち殺されていますが、本書に銃撃者の名前を書いています。ぜひご一読を。
謹告。 第二奇兵隊に関するサイトはほぼ小生のサイトからの盗用物です。  それ以降当ホームページの改訂を行う気持ちが萎えてしまいました。
当事件検察官林半七の履歴について
吉川弘文館の辞典(事典)類で正確なものは一つもありません。半七履歴は大間違い。これを引用したのかネットサイトも間違いの上塗り。
鎮魂 戦艦大和
中山忠光辞世盗作?
生け贄を選べ!久坂玄瑞 櫛部坂太郎逮捕 下津井の銃声
  尊攘激派三宅高幸 の連島西之浦に上陸   坂田屋礼助 今橋事件 新録派閥抗争か?

 第二次長州戦争直前に発生した第二奇兵隊脱隊兵らによる倉敷・浅尾暴動事件の山口県側の記録は消された歴史に等しい程少ない。理由の最たるものは、事件が地元で起きたものではなく岡山県(備中)で戦われたことに尽きるだろう。まとまったものとして、
第二奇兵隊暴徒御処置一件 乾・坤(山口県文書館蔵)これは、主として逮捕処刑記録である。
倉敷暴動其外(山口県文書館蔵)備中側の記録で脱隊兵らの逮捕や蒔田藩陣屋での死亡者などの記録が主である。
第二奇兵隊記録(山口県文書館蔵)事件の発生から、脱隊のリーダー立石、引頭の闘死や自決を簡潔に記した記録である。
 第二奇兵隊士が倉敷や総社でどのような行動をしたのか、当時の山口県側(長州藩)の記録は全く存在しないし、 山口県地方史研究(山口県地方史学会)にもこの事件に触れたものはたった一編の小論が存在するのみである。
坂田屋礼助の墓
【突然の遭難者たち】

花の一九 米屋おきよさんの墓
門番摂三 妻お志代さんの最期
代官所吏員 長谷川仙助出血多量死
金蔵こと 川崎治昌の墓

【残されていた銃弾痕など】
再利用された代官所格子戸
牢から救出坂田屋礼助の墓
浅尾陣屋で戦死した清水宗義の墓
浅尾陣屋で戦死した平松精一の墓
 『安政三年 (1856) 生まれの祖母は、私が小学生の頃昔の話をよく聞かしてくれた。当時私から見ると相当の年寄りに思えたが今計算してみると六十を過ぎたばかりで記憶は確かであった。 少し大袈裟に言えば、明治維新前後の生き証人ともいえる・・・ そして当時十才ぐらいであった祖母はこの斬首の現場を目撃しており後ろ手に縛られて正坐し首切り人がエエイーと大声を発しながら刀を打ち下ろした。・・・ 中には切られる前に大声で辞世をうたった者もいた。斬首直前の詩。まぎれもなく辞世の詩であり、切られる当人にとって息づまる意志表示であったであろう。・・・』
 元山口県玖珂郡上関町教育長 佐原秀雄氏談
坂田屋礼助は倉敷の牢に繋がれていた。 浪士等は礼助を釈放し、礼助は浪士等と行動を共にし浅尾で闘死した。
慶応二年(1866)四月、防州の離れ駒 百余人は維新の魁けたらんとして、天領倉敷代官所を襲撃。 たった七日間ではあったが備中の天地を怒涛のごとく駆け抜けた。 幕閣の恐怖は極限に達し畿内・山陽・山陰の諸藩に追討令を発し、 京都守護職、所司代も動いた。 維新回天の始まる二ヶ月前の出来事であった。

新説・誰も伝えなかった戦艦大和の最期
戦艦大和は聯合艦隊の命令通り出撃しなかった。 その全貌 はこちら
戦艦大和一枚の写真が波紋を拡げる。
代官所警固死亡者 三島定太郎の墓    小松原芳太郎の墓    山川真喜太の墓
この事件により、岡山県北部津山市近郊の山間地域から猟師鉄砲隊が組織され倉敷に駆けつけた。 彼らの内幕府軍の誤射により 二人の戦死者が発生。 事件発生当時、倉敷村郷宿(ごうしゅく)に宿泊していた者が「丙寅(へいいん)初夏倉子城(くらしき・倉敷)日記」を書き残している。  この倉子城日記を読み下し浪士の動きと幕府の動静などを整理した。  また、余波として津山藩に収監されていた井汲唯一が自裁した。

 当ホームページは慶応2年(1866)4月に起きた長州第二奇兵隊の悲劇をとりあげたものである。
 幕末、経済は逼塞し時代は変革を求めていた。そして防州の若き獅子たちは立ちあがった。
 彼らこそ矛盾に満ちた幕藩体制を命の限り打ち砕こうとしたが・・・ その末路はあわれであった。
 そして草莽(そうもう)の幾多の人材を失った。
美和町処刑場跡の碑
美和町処刑場跡
 身分差別は苛烈を極め士席以外は人間として扱われなかった。
 雨天でも彼らに出会うと傘や履き物を脱ぎ土下座が強要された。
 また無礼と判断されると切り捨て御免であった。それが実態であった。

 こんな不条理な世の中は俺たちで最後にしてやる。  そのために周防の若者は立ち上がった。
 第二奇兵隊士で倉敷事件に参加した若き隊士たちの末路は哀れであった。
 帰還した隊士は捕らえ、彼らの出身地近くで殺害された。隊士のある母は首なき息子の遺体を涙ながらに背負い帰宅したと伝えられている。
 父母や同胞(はらから)にとってこの郷土は「哀しみの山河」となった。  幕末動乱の時代に生を受け、志し高く生きようとした彼らの夢はあえなくも挫折した。 さらに追い打ちをかけるがごとく脱隊反乱の汚名を着せうち捨てた。そして誰一人香華を供える者もなく 彼らの終焉の地は草木の中に埋もれようとしている。
合 掌。

    一、南奇兵隊の陣営に乱暴したるも国外に出でざるものは死一等を免じ流罪。
    二、南奇兵隊の陣営に乱暴せし者に非るも国外に附随して乱暴せし者も亦同前。
    三、南奇兵隊の陣営に乱暴しさらに国外に出で乱暴したるものは斬る。
    「概ねすでに断然幕府と絶つを大局の利益と認むるも部分発動の如きは無謀の軽挙たるを以てなり」
    と史書は記す。この瞬間彼らの運命は決まった。


惨劇への序章
当資料作成のための文献等
第二奇兵隊関連年表
隊結成当時の幹部名
刑死者及び処刑地
裁判担当者略歴
暴徒一件隊員名簿
立石奔る。呼応した他隊犠牲者
立石・引頭検死記録
美和町引地峠説明板
久賀町維新公園碑文
河谷鹿槌と第二奇兵隊日記
櫛部坂太郎逃亡と写真
櫛部坂太郎両殿様御聞
佐場野三郎 玉島被捕その後

幕末諸事件長州全死亡者調査
幕藩体制の人口割合
文中登場人物寸評
戦い ランチェスターの法則
幕末をもっと知りたい方へ
幕末老中在任表 元号西暦対照表
長州が購入した武器の値段
彦根藩・高田藩(榊原)が持参した鉄砲数
会津戦争 確認できる長州戦死者
 

第二奇兵隊 序
第二奇兵隊脱退地理的理解の一助
幕末の経済その実相
なぜ攘夷だったのか
薩摩討幕転向とその攘夷
重商派政権の誕生と崩壊
第二奇兵隊の誕生
惨劇の幕開け
伊保田廻覧
若き獅子たち 倉敷へ
襲撃 幕府倉敷代官所
美作山間地域援兵隊記
田中東蔵 死傷者検視記録
驚愕激震 備中の村々
浅尾藩撤退 無惨
諸藩の装備と対応
浅尾藩戦後処理
海路追討幕府軍派遣
追討幕府軍構成と宿泊
四月十四日 七ツ時
東高梁川河口銃撃戦
四月十四日 真夜中〜朝
下津井争乱最後の銃声
隊士ら脱出の実相
立石主隊祝島での捕縛
 

光市 千歳橋の惨劇
上関 室津白浦
光市 鴉迫尻の自決
大島 久賀松野
田布施 戎ケ下
光市室積 黒磯
下松市 宮原山
美和町 引地峠
防府市 さいの松
萩市 大谷公設処刑場
山口市 羽坂村
浅尾藩陣屋に遺棄された日記
本郷村史記述部分
流転立石孫一郎
立石孫一郎関係系図
  立石孫一郎居宅見取図
  立石孫一郎と下津井屋事件関連
悲運の志士 赤根武人
悲運 防州傍流の志士たち
強運の志士 石田英吉
生粋の志士 土佐 石田英吉
天誅組の変 本隊脱出者その後
派遣幕府軍大砲隊
関連リンク
改訂頁
 立石孫一郎とその時代    経済・軍事・くらし・その他思想など

【軍事】
  東北諸藩 米沢・仙台藩新潟攻防戦
  明治維新期 全国諸藩の鉄砲戦力
  文久幕府軍制改革
  幕末東北諸藩の領国経営と軍事力
 全国諸藩の購入軍船
  仙台藩の兵備
  火縄銃の有効射程と幕末輸入火器の射程
  駆足 戊辰前史 長州藩の軍制改革
  軍制改革 戊辰前史に至る人物編
  奥羽鎮撫総督府の戦力
  長州庶民軍の服装と武装・教育
  世良修蔵の評価  (大村益次郎の戦い)
  第二次長州戦争 幕府軍慰霊祭と余話
  ○○士魂・武士道に異議あり
  津山藩元大砲奉行 自嘲回想録
  幕末20大事件  馬関戦争その一
  馬関戦争その二 武士の戦死者19%
  刀は武具失格 戦場の主役弓鉄砲
  飛び道具は卑怯なり! 鉄炮持たない侍達
  益田・万福寺銃弾痕と鶴田藩
  小瀬川口彦根藩戦死者
 
【経済】
  貨幣経済の浸透と本百姓の消滅
  持てる国日本 (なぜに攘夷か?)
  貿易の実態 開国・開港によって
  幕末経済の実相 (日本経済の破綻)
  攘夷鎖港が実現すれば
  長州富裕(大庄屋)百姓の動き
  薩摩 討幕の理由 経済的自立を求めた
【くらし】
  貧困に喘ぐ徒士層の生活
  ある岡山藩士の回想
  武士道考
  黒船来航によって
  幕藩体制・社会構造と現代社会
  武士内身分差別
  武士階層内内部矛盾
明治六年一月調べ武士の総数
  貧困による嬰児殺し恒常化
  百姓一揆 多発藩ベスト20
  百姓一揆の発件数
  ご一新なったものの
  壱人扶持、米1石とは
  国会偽eメール事件と非常識侍たち
【政治・思想・その他】
慶応2年(1866)1月の政治状況
  井伊大老の見識と靖国参拝問題
  日本植民地化の危機感
  国家像の形成
  京都見廻役 総社蒔田廣孝(16才)
  京都 警察機構と組織
  見廻組パトロール順路
  天誅と称した殺人
  島田左近 天誅絵図
  池田屋事件 長州(山口県)関係者
  新選組(池田屋事件) 余話
  立石の運命を変えた天誅組の変
  中山忠光の辞世は盗作か?
  事件の発端 楢崎剛十郎家系
  楢崎剛十郎妻 やすさんの写真
  総社浅尾藩陣屋家宅図と攻撃
  禁門の変 江戸藩邸没収事件
 ◆ 世良殺害犯のその後
 ◆ 世良殺害と浅草宇一郎系図
   幕府使節中根一之丞暗殺事件
   脱走榎本艦隊の軍艦名
 ◆ 東北戦争野戦病院長 関 寛斎
悲運の志士たち・白虎隊
 総督府参謀世良殺害の陰で散る 松野儀助(16歳)殺害
 悲運の志士 奥羽鎮撫総督府参謀 世良修蔵
 劣悪な武装で戦場に。 白虎隊士が見た戦場・・・
会津関係はこちら
 最終到達点 目指すは会津若松鶴ケ城
 復讐するは我にあり。望みは容保首一つ
 会津藩北遷と司馬遼太郎史観なるもの
史跡巡り地図表示カシミール 無料でGet  それと携帯GPS(手ひらカーナビです)  
【幕末ダイジェスト】
幕末 a〜z の展開
天下の嫌われ者会津藩松平容保と最後の将軍一橋慶喜
幕末動乱長州藩諸事件・諸事変別死者・他藩人死者数
常識を疑う。 東北諸藩 米沢・仙台藩の戊辰戦争
戊辰前史 長州藩の軍制改革と教育
記録に残る会津藩投降者一覧と接収武器
【最初に入室 ●●藩系の方】
精神衛生上問題があります。入室お断り!
【旧帝国軍隊の体質】
日本軍の体質 テクノロジー音痴−T
技術音痴−U 連発より単発銃。レーダー闇夜にカンテラ
松脂(松やに)があれば戦争継続可能と思ったバカども
【許せない人間たち】
卑劣・愚劣。無責任にも若者の使い捨て
管理者が大嫌いなかっての日本軍人

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